Classic KAI

at Osaka Nanba Hatch

2005.9.15

 

 いつまで続くこの曲がり路なまま半年を経て

公私ともにわたわたしておりますがやって参りましたなんばHatch。

この日は夕方早退。 今月ここまでの働きならこんぐらい許されるじゃろ(^^;

新馬GSX R1000でちゃかっと行くつもりがさすがにこの時間の御堂筋は渋滞。

低速続けると熱いんすけどと思いつつHatch脇の舗道に停めて会場へ。

何故か通路脇が多いわしであるが今回もまた通路脇である。

広くて嬉しいがアコギ+ストリングスで広さに意味があるのかどうか・・・

珍しくというか初めて統一感のある服装で三人が現れる。

開演!

 

  かけがえのないもの

前のツアーでは観れなかったこの曲。

ハーモニーが気持ちいい。

松藤さんの脚が聞こえないリズムを打つ。

 

  昨日鳴る鐘の音

前野さんはアコーディオン。

スローなアルペジオでもリズムが気持ちいい松藤さん。

このスタイルでもドラマーなのかもしれない。

ストリングスが二枚入る。

ほおその音はこれかと何を今更。

 

  かりそめのスウィング

オリジナルだっ(笑)

ストリングスが入るとやはりこう感じてしまう。

しかし本当はベースもドラムもここにはないのだが。

そんなことは思い返してみないと気づかない。

最後の「オーイエイ」が甲斐さんの気持ちよさを表現していた。

ストリングスの女性四人も衣装は黒でサングラス。

なんだこの統一感は(爆)

 

  甘いキスをしようぜ

間奏のホーンで感じたけど、前野さんもやっぱリズムいいんよな。

この人達の心臓はスネアでできとるんじゃなかろうか。

歌詩は脆弱なのに音は凶刃いや強靱で、

アンバランスなのにバランスが取れているという不思議な唄。

 

  安奈

ストリングスが入るだけでオリジナルに程近いイメージになるのは

不思議なようであり当然なようである。

それにしてもストリングスの音は太く気持ちいい。

演ってる本人達が一番気持ちいいのだろうが。

 

   LADY

フルで演るより叙情的な感じになっていた。

まあそれがより堪えるって処なんですが(^^;

 

  裏切りの街角

チェロっていい音だなあ・・・

しかし松藤さんはエイトに乗って弾いてないね。

絶対16で弾いてる。

出す音のリズムはエイトであっても。

 

 ここで前野さんとMくん(笑)を紹介して長いMC。

バーホルスタインなんて見つけたらわしは絶対行きますけど。

そしてこのライヴの建前(←わしは甲斐さんが言う事をあまり信用してないんで(^^;)を。

 

   花、太陽、雨

演れば演るほどグルーヴが増していくこの曲。

間奏で絡み合うアコーディオンとギターとチェロが絶品。

 

   イエローキャブ

はいお釣り出ました(笑)

これは凄い。

わしはこの一曲だけで来た甲斐が在ったと断言します。

オリジナルのスケール感をたったあれだけの、

しかもリズム隊なしで表現し得たメンバーには脱毛いや脱帽。

いつものように右から左に流れるライトはやや暗め。

間奏のギターにはもう鳥肌立ちまくり。

 

  風が唄った日

ストリングスと来ればこれを演らないわけにはいかないでしょう。

出だしの甲斐さんのシャウトにぶちのめされた。

ここまでの三曲、スケールの大きさが凄い。

Hatchの小さなステージが何倍にも広がる。

この形はもっと大きな会場で演るべきかもしれない。

 

   破れたハートを売り物に

ふとKAI FIVEの破れたを思い出させる。

それはあくまでもふと、であり、その後はただ、

唄のスケールと歌詩に取り残されたような感覚がわしの周りにあった。

全く、声が出なかった。

 

  風の中の火のように

あれ・・・途中まで全然記憶ない(笑)

破れたの残滓に浸ってたんでしょう、多分。

それでもわしは父親であったりするんだなとふと思う。

 

   漂泊者(アウトロー)

思い返してみるに結局わしはほとんど声出してないな。

前回もそうだったけど。

出してないんじゃなくて、出すと違うものに換わるからだが。

これもまたグレードアップ。

フルで演る時との差がどんどん縮まってると思う。

 

   〜アンコール〜

 

   翼あるもの

甲斐さん独りで。

だからこれ沁みるって(^^;

何処へ行くのかどうなるのかってねえ。

判ってるのは、この音はわしの傍に在るという事。

 

  冷血

始まった瞬間にわくわくさせられた。

ストリングスがどう絡んでくるのかと。

オリジナルとは全く違う、しかしスケールは十分に大きく間奏で絡む。

音の太さがスケール感を生むのだろう。

 

  ここでストリングスもメンバー紹介。

ビオラとセカンドバイオリン、名前わかんねえって(^^;

わしはビオラなのに

間違えてクラッシャー板前って言ったら誰が返事したのかはちょっと気になる。

 

   レイニードライヴ

こういうステージでピアニカを見ることなんてまずない。

しかしこの牧歌的な音が寂し気持ちよくてたまらない。

和む、という唄ではないのだろうがわしの気持ちは和みます。

 

   熱狂

このスタイルの定番化してきたこの曲。

しかし・・・繰り返しますけど何処行ったらいいかなんざ知りませんよあたしゃ(^^;

それでもまあ、歩き続けることに変わりはないんですが。

その内目指す処も見えてくるでしょ、たぶん。

暖かいな、この唄。

 

 ここでまた長いMC。

甲斐さんが大森さんの事に触れた瞬間の松藤さんの表情が印象的だった。

だがそこでしんみりさせず三文字語を連呼する甲斐さん(爆)

思い返しても笑えますが・・・(^^;;;

 

  バス通り

何度かこの曲を演るのは観たが、常にアコースティックユニットで

慎ましやかな雰囲気だったので今回はやけに新鮮だった。

そういえば前回もこの曲の前はやたら長いMCだった。

ためらいでもあるのだろうか・・・

あるな、たぶん(笑)

 恥ずかしながらストリングスの音をまともに聴いたのは初めてである。

某単車の師匠は大学生当時バイオリンを習っていたそうであるが。

唖然とする程の太い音だった。

大森さんがインタビューで、ロックとそれに類する音楽の楽器の音は細く、

クラシックの太い音を聴くとバランスが取れるという意の言を発しておられたが、

正に音の太さを体感することができた。

そして、ライヴではついぞ聴けること無かった演奏、

つまりはスタジオワーキングの結果として発表されたオリジナルでしか

聴くことのできなかった演奏をも体感することができた。

結果としてステージから開場に向けて発せられる音は大きなスケールを持ち、

正直に言って音のスケールと会場のスケールの差異には違和感を覚えた。

むしろキャパ2000を越える大会場でこそ栄えるのではないか、そう感じた。

 語弊を恐れず言えば、武道館でMy Name...形式、もしくはアコギ形式で演れば、

スケール感の一致は難しいと思えるし、一致できたとしても

それはメンバー(とはいえ最大三人だが・・・)に

過大な消耗を強いるだけのものかもしれない。

しかしこの構成であれば、武道館=キャパ10000程度には対応できそうである。

My Name....では甲斐よしひろ個人のスケールを表現するものであったが(もはや断言)、

Classic KAIでは音の持つスケールを表現していた事は間違いないだろう。

温故知新ではないが、クラシカルな楽器が持つ強さは凄まじい。

寡聞にして・・・というのも恥ずかしい話ではあるが。

 その太い音に挑むかのような三人がいた。

音の太さは如何ともし難かろうが、それを補って余りあるグルーヴを以て。

それは風車を巨人と思い込み戦いを挑むドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの如く、

荒唐無稽な試みであったかも知れない。

しかし風車に吹き飛ばされることなく、

ドン・キホーテ、サンチョ・パンサ、ロシナンテの三人は、

誰が誰かと訊かれても困るのだが、

見事にストリングスの音の強さに負けることもなく、

むしろ対を張り、リードすらし、所謂ロックに用いる楽器を用いずにして

ロックを表現し得ていたと思う。

三人の奏でるロックのグルーヴが在ってこそのストリングスであり、

アコースティックユニット+ストリングスによるロックであった。

これがClassic KAIにおける挑戦であり、実験であろう。

 ここで勝手ながらCRYの言を借りよう。

彼はライヴ後、「今回のライヴはRockumentである」と言い放った。

もちろん彼がこのような言語表現をするわけはないのだが。

その辺は適当に意訳されたい。

わしは上記の意味に於いて完全に同意する。

Rockumentは実験的表現の場であるのだから。

これまでにないストリングスとのコラボレート、それだけでも十分に実験であるが、

その更に上位の実験として、ストリングスと対を張ってロックに仕上げることができるか否か、

これこそがこのライヴで行われた実験であろうと思う。

ただし一般的に言われる実験とは異なるだろうからこれも他人の言を以て補足しよう。

わしが片足かけて所属する某機関のNo.2とされる人物の言を紹介する。

「実験とはその結果に確信を持って行うものである」

もちろんこれもこのままの表現ではないが。

あくまでも帰納的に実験を行い、その結果は当然として、

更に上澄みから何かを掬い出し、また新しい方向へ向かう。

これが甲斐よしひろのスタイルであることに異論は無かろう。

甲斐よしひろは実験的と言いつつまた新たなスタイルを築いたのだ。

次回のツアーが更に楽しみである。

 

 

 

 

 で終わってしまっては自分の言がバラバラである。

ので言い訳がましく続けてみたい。

(^^;;;

 

 前回のレポでは自信を持って私見を垂れ流してみたが、

今回は前回の三人(アコースティックユニット)+ストリングス四人であり

想像とは全く違う構成であった。

正直に白状するが、わしはフルメンバーとして

坂井前野土屋JAH-RAH松藤敬称略のツアーで、と想像していた。

このメンバーでバンド、そう、甲斐バンドではない「バンド」、

の音を表現するのではないか、と。

この時点で読みは完全に外れていた。

堂々巡りの流れの中で、というわしの仮定自体が間違っていたのだろうか。

間違っていようが正しかろうがどうでも良いといえば良いのだが、

敢えて自分の意見を盲信して話を続けてみよう。

わしの仮説が間違っていなければ、

アコースティック→バンド→Rockumentという流れが存在することになる。

ここで上記の論証の通りであるとすればであれば

(1)Classic KAI=Rockument ということになる。

ならばバンドは何処に行った、となろう。

完全にこじつけなので突っ込みながら読んでいただきたいが、

わしはこの方程式であればこれに答えはあると言う。

ここまでほとんど触れずに来た大森さんの死に触れつつ喋った

Box set「熱狂」がそれであると言ってしまおう。

もう現実問題としてあり得なくなってしまったバンド=甲斐バンドは

Boxで表現したのではないか、と。

様々な理由もあろうがこれまでお蔵入りしていた音源を敢えて発表したのが

アコギとClassicの間の時期だった、それが「熱狂」に託されたものであった、

こう仮定することはこじつけながら納得がいくものではないだろうか。

 では逆に

(2)Classic KAI≠Rockument  であるとすればどうだろう。

この場合Classic KAI=バンドという式になってしまう。

これまた当然こじつけつつの論証であるが、これでも式は成立する。

バンド≒オリジナルという補助式を入れる必要があるが。

今回のライヴで感じたこととして、

「アルバムに忠実に」ストリングスを用いて演奏された曲が多い、 という事に異論はなかろう。

なにせ「スコア通りに演った」と甲斐よしひろ自身が述べているのだ。

オリジナルなものを表現している、とだけ言えば

このライヴもBeatnik Tour 2001も同じものと言えよう。

従ってClassic KAI=オリジナルに忠実≒オリジナルな存在=甲斐バンド、

こんな方程式が成立しないでもなく感じられはしないだろうか。

「冷血」や「Yellow cab」はどうすんねんと言われれば反論はかなり苦しいのだが。

ただしこれにもう一つ、「統一」という言葉を使ってみたらどうだろう。

わしは以前、Beatnik Tour 2001でのレポートにて、

バンドによる音の塊り方云々と書いたが、言うなれば

「バンドの名の下での音の統一」、

「甲斐バンドとして集まった男達による統一された音づくり」、

等と言っていいものではなかったか。

一言で「音」といっても勿論そこにはグルーヴだとかフィーリングだとか

いったものが含まれてくるのではあるが。

と、すれば、Classic KAIではまた別の統一を成そうとしていたと考えられはしまいか。

わしは衣装の統一は一つのヒントだと思っている。

甲斐よしひろがステージ上にいて、パッと見て統一感を感じることなど

あり得なかった筈ではないか。

むしろ少しはまとめろよ的な各メンバーのステージ衣装であった筈だ。

それを敢えて統一させたのは、また別の統一感を作り上げようとしていたからではないのか。

そう、バンド(甲斐バンドのみならず)とは違うアプローチで

また別の一塊りとなった音を作ろうとしていたのではなかろうか。

そう考えると、Classic KAI =音の統一=甲斐バンドという式は一応成り立つ事になる。

 

 わしとしては依怙地に(2)を採りたいのだが、 どちらが正しいのか、

はたまた双方間違っているのか、 これは来年二月を待たねば判るまい。

なんとなく双方違うことを望みつつ、次を待つということにしたい。

 

誰や問題先送りって突っ込んどるヤツは。 正解じゃが(爆)

 

KAI Lives

ただ、全部黒だった衣装にもう一つ意味があるような気はする。