小説 花吹雪 一部抜粋

 

 春爛漫。

熊本城の桜はこぼれるように咲き誇っていた。薄桃のベールに幾重にも包まれた黒い城は<その姿をより堅固に浮かび上がらせていた。

 来須の柔らかな笑顔を見て、ほんの数日前の出来事が来須と並び歩き出した瀬戸口の脳裏に浮かぶ。

その春先のまだ少し肌寒い城下を、夜半瀬戸口と来須は制服のまま連れ立って歩いていた。城の周りの石垣は昔と変わらず城を支え続け、桜に守られるように建つ城は高みから二人を見下ろしていた。

仕事も訓練も終わり、もう深夜に近い時間帯になっている。周りには当然のように人影はない。昼に屋上から遠くにかすんで見えた、けぶる薄桃の城を見に行こうかと口にしたのは来須の方だった。

桜は今が満開とあでやかに花開き、その花びらを潔くはらはらと散らしている。風もないのに、ゆるやかに舞い散る雪の一片のような花びらを、二人は黙って歩きながら見つめていた。昨夜降った雨に湿った土が、柔らかい春の匂いを発している。生命の萌え出ずるくらくらしそうなほど熱くなまめかしい匂い。

瀬戸口はどこかエロティックなものを創造させるこの香りは嫌いではなかった。

深夜の城下はしんと静まり返り、はなびらの降る音さえも聞こえそうだった。言葉もなく二人は肩を並べて歩く。時折頭上に目をやりながら。

ふと、二人が砂利を踏む音が、本当なら耳に届くはずの花の降る音をかき消してしまっているような気がして、一本の桜の木の下で瀬戸口は歩みを止めた。来須も同様に、歩みを止める。音のない、ただ花に埋め尽くされた空間が広がる。耳を澄ましてみるけれども、花降る音色は瀬戸口の耳に届かなかった。