黒澤明「七人の侍」製作秘話にみる生活史研究の欠如



  NHKが放映した「脚本家・橋本忍が語る黒澤明〜"七人の侍"誕生の軌跡〜」は家政学の視点で非常に興味深
かった。


  同映画の脚本は黒澤明、橋本忍、小国英雄の3氏によるものであるが、この中で存命なのは橋本氏だけである。そ
の橋本氏がどのようにして「七人の侍」の脚本が出来たかを語る番組であった。


  黒澤は「生きる」に続く作品に時代劇を撮る予定を立てたのだが、大きな事件やヒーローを扱う従来の時代劇では
なく、リアリティのある時代劇にしようと、普通の武士がどのような一日を過ごしていたのかに興味を持ち、そうしたスト
ーリーを中心とした映画を考えたのだという。そこで黒澤監督は橋本氏に史料をあたって武士の生活実態を調べてほ
しいと頼んだ。橋本氏は足げく図書館通いをしたが芳しくなかった。黒澤監督に対して、橋本氏は「無理でした。大きな
事件などは詳しい資料がたくさん残っていますが、平凡な人びとがどのような生活をしていたかなどの史料はありませ
ん。例えば、日本人はいつから一日三食を食べるようになったかとか、江戸時代の武士は昼食をどこで食べたのかな
どはわからないのです」と答えたのだという。


  そこで、黒澤監督は考えを変え、上泉信綱などの剣豪伝をオムニバスで描く作品を考え、橋本氏は脚本を完成させ
るのだが、監督は「クライマックスばかりのものでは映画にならないね」と言ったという。


  結局、黒澤監督はその後、戦国時代の武者修行に興味をもち、修行の最中にどうやって飯を食っていけたのかに
ついて関心を持ち始めた。監督に橋本氏は「道場で手合いを願い出て、その後、食事や握り飯をもらっていた」と答え
た。監督が道場がないところではどうするのかと聞く。「当時はお寺で旅人に食事を出していた」と答えると、さらに、お
寺がないところではどうしていたのかと聞く。「農民に飯と宿を与えてもらう代わりに山賊から村を守っていた武者もい
た」ということを話すと、監督は「それだ!」と言って、武士が農民に雇われて村を守るという「七人の侍」のストーリーの
骨格ができたのだという。


  この話しを聞いて、人々の生活に係わる資料や調査というものは予想以上に乏しく、研究が進んでいないのではな
いかと感じた。戦争が科学を進歩させるといわれる。自らの国家存亡の危機にあれば、それを回避するための軍事力
強化は国の最重要課題であり、そこへの人的・財的資源の投下はすさまじい規模となる。結果としてそれが科学の進
歩に貢献しているというわけである。
  一方、市井の人びとの暮らしやすさとか生活を巡る問題を国家が率先して調査・研究する動機には乏しいのが世の
常であろう。そして、軍事強化のための科学技術には「生活者の視点」は入りようもない。また、個人が残した資料など
はたくさんあったのであろうが、いつのまにか消えてしまったり、処分されていったことは想像に難くない。従って人類の
歴史のなかで生活者の視点での研究やそれを受けての進歩はそれほどではないのが実情ではないのかと思う。


  例えば、最近のトイレットペーパーホルダーは良く出来ていて、使い終わったペーパを簡単にはずせ、新しいペーパ
ーもすぐに取り付けられる。心棒がなくなり、芯を押さえる両サイドのレバーが短くて、はずすために倒れるようになって
いるからである。構造はとても簡単である。しかし、こんなトイレットペーパーホルダーは20年前にはなかったと思う。ロ
ール型のトイレットペーパーがいつ出来たのかはこれも明らかではないと思うが長い歴史があろう。しかし、こんな簡単
な改良するために人類はどれほどの時間を費やしたのか? 原爆ができ、人類が宇宙に行くようになった時代はとっく
に到来していたにもかからわず・・・


細川幸一




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