消費者政策学


            

「はじめに」より

  社会科学における19世紀の最大の発見は労働者であり、20世紀のそれは消費者であるといわれる。
労働者をめぐる経済社会の環境の変化は、近代市民法原理を修正する社会法としての労働法を成立させ、労
働政策という独自の政策領域が学問的にも実学の分野でも確立し、行政組織としても独立した労働省(現・厚
生労働省)という官庁が作られた。

  一方、消費者をめぐる環境の変化は、ときに大きな社会問題を引き起こし、人間の生命まで脅かす欠陥商
品の流通やお年寄り等の社会的弱者を食い物にする悪徳商法の増大を招いているが、いまだ、消費者政策あ
るいは消費者法という独自の政策・法領域の確立は学問上も実務上もなされているとは言い難く、消費者省等
の独立した官庁も存在しない。

  その理由をあげることは、またそれ自体が大きな研究課題ともなり得るので、ここでは触れないが、そうした
状況下にあるため、未だに消費者政策の定義やその体系化の試みは十分ではない。ところが、消費者をめぐ
る問題が数多く発生している今日、消費者に関係した法律が数多く作られ、施行されている。そのため、消費
者関連法の解説や大学等で利用することを想定したテキストも数多く発行されているが、当然、こうした書物は
現存する消費者関連の法律の紹介や解釈が中心となっている。そこで筆者は、個別の法律の解釈や政策の内
容を記述するのではなく、消費者政策なるものの理念や輪郭を明らかにし、その体系化を試みることはできな
いかと長年考えていた。本書はその試みの第一弾として執筆したものである。何とか書き上げてみて、消費者
政策という政策領域のつかみどころのなさと筆者の構想力のなさを痛感し、出版を取りやめようかとも考えた
が、まずは第一歩を踏み出さなければ先には進まないと考え、世に問うこととした。試論あるいは私論の領域を
出るものではないので、タイトルもいろいろ考えたが、あえて、「消費者政策学」とした。


  ここで本書の構成を述べておきたい。

  第T章では、消費者政策という政策領域の理念や目的、その手法等を明らかにすることを試みた。消費者
政策の理論ともいうべき内容を目指したが、記載内容のレベルを考えて、「消費者政策の基礎概念」とした。

  第U章は、第T章に含めてもよい内容であるが、分量が多くなることから分離し、消費者政策を体系的に把
握するため、「消費者政策の位置付け」と題し、産業政策や競争政策等、諸政策との関係や相違について考察
した。

  第V章は、戦後の消費者運動の発生とそれに応える形で発展してきた消費者政策を10年ごとに時代を区
切って取り上げ、「消費者政策の歴史」と題した。

  第W章は、消費者及び消費者団体をはじめ、立法府、行政府、あるいは公益団体、さらにマスコミや、事業
者・事業者団体も含めて消費者の権利や利益確保の担い手として考えたとき、どのような役割を果しているか
について考察することを目指し、「消費者の権利確保の担い手」とした。

  第X章では、消費者法の立法過程と消費者政策の推進体制に焦点を当てて、その分析・評価を試みた。こ
こでは消費者基本法における「消費者の権利」規定の評価、消費者契約法制定過程の分析により、消費者立
法の問題点を指摘するともに、省庁再編や消費者基本法による消費者政策実施体制の評価を行なった。

  第Y章では、企業のコンプライアンスの監視と法執行おける私人と行政の役割分担という視点から消費者
行政の理念型を提示し、さらに、消費者政策の流れを政治体制上の理念との関係で把握することにより、消費
者政策の体系化を試みた。
 巻末には消費者基本法の全文と学習指導要領中の消費者関連項目リストを掲載した。

  最後に、本書を2003年12月のクリスマスイブに亡くなられた元主婦連合会会長高田ユリさんに捧げたいと
思う。高田さんには15年ほど前に仕事でお会いして以来、公私ともにお世話になり、私には特別の思い出があ
る。高田さんの行動の原点は主婦連ジュース裁判に敗訴したことにあるようだった。なぜ、果汁が入っていない
飲み物を無果汁と表示してほしいという消費者の声が行政に届かないのか、無念な思いに満ちていた。私が早
大の大学院法学研究科に社会人入学したことを知って、高田さんもその翌年の1995年に79歳で入学したのも
消費者の生活を守る武器としての法律について研究したいと思ったからだ。

 「三宅坂に穴ぼこがあったら、それは私たちの涙であいた穴です」
 高田さんがよく使っていた言葉だ。永田町の政治家に陳情に行き、適当にあしらわれ、とぼとぼと三宅坂を上
って四谷の主婦連会館に帰っていくときの寂しさを表現している。 残念ながら、高田さんは大学院を卒業する
前に病気で倒れ亡くなったが、高田さんのあの熱い思いは今でも私の心に火を灯し続けている。


  消費者政策の実現は政治過程そのものである。しかし、従来の消費者法関連の書物は出来上がった法律
や政策の解釈・評価が中心であった。本書はそうした法政策形成の過程にも焦点を当て、そこでの問題を探り
出そうと試みた。生涯を消費者運動に捧げた高田ユリさんに本書を贈りたいと思う。高田さんが天国で「タイト
ルだけは立派ね」と笑っていることであろう。

細川幸一


2007年4月 成文堂より発行(本体3000円+税)(ISBN 978-4-7923-3228-0)


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