「 市民力」 をどう育むか




   「知識はあっても知恵がない」  現代の子供達の特徴と思う。学力はあっても現代社会で生き抜いていく
 知恵はないのである。

  7月12日付読売新聞が品川区が小中学校を通して設置している「市民科」を紹介している。「市民科」は、六・三制の
義務教育を再構成した「小中一貫教育」を行う、品川区独自の教科で、従来の道徳と総合的な学習の時間、特別活動
を融合させたものだという。テーマは幅広く、3、4年では茶道や食事の作法を学び、5〜7年では人権問題や高齢者、
障害者への理解も深める。8、9年生になると「リーダーシップ」「社会における正義」といった単元や、地方自治への施
策提案する単元もあり、社会の一員としてどう生きるかまで学ぶ。「市民科」導入の背景には、子供たちの規範意識や
公共心の低下、いじめ・不登校の増加への危機感や、家庭でのしつけ機能が低下し、大人が子供の人格形成に正面
から向き合ってこなかったという反省もあるという。 
 

  生き方を考える教科として、同記事は、栃木県栃木市立皆川城東小・皆川中の「生き方科」、熊本県富合町立富合
小・富合中の「生き方創造科」も紹介している。「自分の生き方を考え、課題に積極的に取り組む態度」や「自分の生き
方を自信を持って語る力」を養うという。広島県庄原市立庄原小・庄原中は、就労観や職業観を育てる「キャリア科」を
始め、情報活用や人間関係作りなどの能力を身につけることを目的としている。


   私は「消費者教育」という科目を担当している。その中で学生に自分自身の消費者教育を受けた経験を聞いてい
るが、記憶にない、あるいはあっても、教科書でクーリングオフのことを習ったという程度の経験しかない学生が多い。
学校では座学中心の知識詰め込み教育を受け、友人関係はメール中心、食生活は加工品か、母親の作ったものを食
べるだけ・・・そこには社会の経済主体しての消費者意識や政治主体としての市民意識の芽吹きを感じない。社会の仕
組みの中で生きているという意識・感覚がないのである。


  消費者としての能力すなわち、「消費者力」を評価する試みが進んでいるが、「市民力」という概念を定着させたい。
佐高信氏がかつて、会社で毎日働き、食事も社員食堂で済ませる日本のサラリーマンを「社畜」と称したが、学生は就
職すると「会社人」になるだけで、「社会人」ではない人が多い。私は「社会人」という言葉は好きではないが、「市民」と
してどう生きていくかという視点が今の教育には欠けているように思う。そして、その原理やノウハウは家政学にあると
思うのだが、その教育内容も細分化してしまし、社会人・市民教育ではなく、会社人・専門家教育になってしまっている
ような気がしてならない。

細川幸一





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