マナーと強制

 
   千代田区が路上禁煙防止条例で指定地区での路上喫煙者に二千円の過料処分を科すことを決めたとき、賛否両
論があった。マナーに委ねていては一向に減らない迷惑行為を防ぐには制裁も止むを得ないとする意見と強権力で市
民活動を制限する行為は許されないとの反対意見があった。千代田区では「マナーからルールへ」を標語として、
ルールには違反者に対する制裁がなければ、ルールとして機能しない・・・そのような論理で過料処分を実施した。


   現在、日本では学校における国歌斉唱の強制をめぐってもめている。一方アメリカや韓国等の状況をみると起立
して国歌を斉唱するのは当然であるという印象を持つ。それがマナーとして確立しているのであろう。もしこれらの国で
斉唱しない者、起立しない者がいた場合は何か処分があるのであろうか? すなわち、マナーとして存在しているだけ
なのか、ルールとして位置づけられているのかである。

   日本では国歌の斉唱がマナーであるとの一般認識が必ずしも国民に広く認識されていないなかで、国や自治体
ルール化を目指しているから混乱しているのではと思う。私自身は国歌を起立して斉唱するのはマナーとして当然
と感じるのだが、国や自治体のルール化のやり方はおかしいと思う。なぜならば、路上喫煙問題と違って、心の問題だ
からである。


   学校の現場では、校長が行政サイドと教員サイドの板ばさみになり、かなり苦労しているようである。信じられない
ニュースに接した。読売新聞によれば、北海道美唄市立中央小学校の4月6日の入学式で、国歌斉唱時の起立を促す
ため、学校側が教職員用のいすを用意しなかったのだという。教職員側との10回以上にわたる会議の末、最終的に
同校校長が判断したのだという。児童と保護者にはいすが用意されたが、教員は立ったまま式典に臨み、結果として
国歌を起立して斉唱したという事実を残したのであろう。一体このような形での国歌斉唱にどのような意味があるの
か? また、先日、父兄に式典のビデオ撮影を禁じる学校があったというニュースにも接した。ビデオで国歌斉唱時に
起立しない教員が撮影されてしまうと、それが証拠となり、あとでややこしくなるからという理由だそうである。


   このような大人たちの混乱を目のあたりにしている生徒には日本という国がどのように写っているのであろうか?


         細川幸一
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