文化は女性だけのものか? −最近の演劇事情から



   私は演劇が好きで、歌舞伎、新派からストレートプレー、ミュージカルまで何でも見る。見るだけでは物足りず、い
っそうのこと自分で脚本を書こうと、東宝現代劇養成所の戯曲科に在籍したこともある。現在、同養成所はなくなってし
まったようだが、かつては帝国劇場の楽屋に教室があったので、佐久間良子や山田五十鈴をよくみかけた。

   その帝劇もだいぶ様変わりした。中年女性中心の団体客を対象としたいわゆる「女性座長公演」が減り、最近は
「レ・ミゼラブル」のロングランや堂本光一の「Endless SHOCK」等ミュージカルが中心となってきた。劇団四季やジャニ
ーズ事務所の俳優達が東宝の本拠地・帝国劇場で主役をはるなど一昔前では考えられないことである。
松竹でも同様で、蜷川幸雄演出の「NINAGAWA十二夜」が歌舞伎座で上演され、「SHOCK」と同時期に新橋演舞場
では滝沢秀明の「滝沢演舞場」が盛況である。ジャニーズ事務所のアイドルが東宝と松竹の看板劇場で同時に主役を
務めるとは興味深い。

  舞台好きの私もジャニーズ系の舞台は見たことがなかった。席が取れないからということもあるが、いわゆる男性ア
イドルものを見に行く気持ちにはなれなかった。しかし、あまりにも人気なのでその原因を探ろうと、「Endless SHOCK」
と「滝沢演舞場」を見てきた。「Endless SHOCK」は全席完売であったため、ネットオークションでチケットを手に入れた。
再演を重ねているだけあってすごい人気である。千秋楽のチケットが30万円で売られているのをチケット屋で見た。こ
の値段で買う人がいるのか疑問だが、ネットでは良席なら千秋楽は5〜10万円くらいが相場のようである。主婦がイン
ターネットで株の売買をしている時代となったが、オークションを生活の糧にしている人も多いのではないか? ものす
ごい出品数の人がたくさんいる。ダフ行為は違法だが、同様な行為がネット上で一般人によって合法的になされ、金儲
けの手段に利用されているように思う。何らかの規制が必要かも知れない。

  「滝沢演舞場」はまだ空席があり、松竹の窓口で楽に取れた。こちらはオークションで儲けようとした人はあてが外
れているだろう。窓口で額面購入できるのだから、わざわざオークションで高い金を出す人はいない。客席最前列とか
かなりの良席だけが値段がついているようである。

  「Endless SHOCK」と「滝沢演舞場」は人気で差があるようだが、興行的にはどちらも大成功であろう。「滝沢演舞
場」も完売ではないというだけで大入りである。1万2千円の席が飛ぶように売れるのだから日本とは豊かな国である。
さて、両者を見た感想だが、どちらも単なるアイドル座長公演ではない。アンサンブルも予想以上にしっかりしている
し、構成、演出も見事である。両者とも作・構成・演出をジャニー喜多川氏がつとめているという。すごい人だ。日本のエ
ンターテイメントを仕掛ける第一人者だろう。舞台装置をフル稼働しての舞台である。私としては「滝沢演舞場」の方が
面白かった。演舞場での上演だけあって、歌舞伎趣向がかなりあり、忠臣蔵、櫓のお七、、義経千本桜、道成寺と場面
がかわり、本水や屋台崩しまである。その合間に滝沢が客席の上をクルクル回りながらと飛んでいくのだからすごい。
猿之助の宙乗りどころではない。最近のフライング技術は恐ろしいほどである。しかし、一歩街間違えれば大事故だろ
う。座長が怪我をすれば、代役はあり得ないから休演となる。ましてや観客まで怪我をすれば致命的である。よくやって
いるとつくづく感心する。「SHOCK」もすごい。映画・鎌田行進曲に出てきたような長い階段(高さ20メートルほどもあ
ろうか)が一幕目最後に現われ、その階段を堂本自身が本当に転げ落ちるのである。堂本も滝沢もそこいらへんにい
る若者とかわらないように見えるが、そのプロ根性は見上げたものである。こんな舞台を2ヶ月、80回以上もするという
のだから、命がけといっても良い。

  ロンドンやニューヨークに行ったときは必ずミュージカルを見てくるが、これらの内容とレベルは本場のミュージカル
に引けを取らないと思う。歌唱力や点では劣っているかもそれないが、全体評価は同じかそれより上ではないか? し
かし、私が感じる違いは、こうした日本での公演がいわゆるアイドルものということで、ほとんど女性観客しかいないこと
だ。そもそも、演劇自体、日本では男性観客は非常に少ない。特に「商業演劇」はそうである。歌舞伎もそうだし、新派
などなおさらである。劇団四季もほぼ女性だけである。宝塚も女性だし、多くのミュージカルもそうである。その意味で
「レ・ミゼラブル」は特筆すべきである。内容はフランス革命における学生と権力者との闘争である。そこにうまくラブスト
ーリーを重ね、ミュージカルナンバーのすばらしさと、日本の回り舞台を採用した場面展開の速さで、見事にエンターテ
イメントに仕上がっている。それでも観客は8割ほどが女性であろうか。男の世界を描く新国劇など、島田正吾が亡くな
って誰も演じる者がいなくなった。島田が晩年に演舞場で演じた一人芝居の「一本刀土俵入り」を見たが、アーカイブス
的な価値を感じただけだった。

  日本では男は外で働き、女が家を守る。休日となると男は付き合いでゴルフ、女は観劇や手芸・・・大分時代はかわ
っていると思うが、観劇事情を見るとあまり劇的な変化はしていないようである。先日、映画街を歩いていたら長蛇の列
が出来ていた。何かのロードショーかと思ったら、アニメの「機動戦士Zガンダム III」だった。20歳から40歳くらいの男性
ばかりがずらりんと並んでおり異様な風景だった。ガンダムを悪くいうつもりはないが、文化の香りはしない。男女共同
参画・・・本当に進んでいるのだろうか。

  「国民経済」あるは「国民生活」という言葉がある。その健全な発展が経済法制の前文では必ずといってよいほど謳
われている。しかし、その意味内容を議論する者は少ない。従来、とにかく経済を発展させること、それによって企業が
潤い、その恩恵を労働者も受けて、生活の質が高まっていく・・・それがかつての自民党政治の手法であったように思
う。分け前はやるから文句を言うな! そんな政治だった。将来はより豊かになるから、今は我慢しろ、過去の問題は水
に流せ・・・そういった手法が通じなくなった。


  最近、車椅子の人が駅員の手助けによって一人で鉄道に乗っている姿を見かけるようになった。一昔前までは車
椅子で、しかも一人で鉄道に乗って出かけるなんて考えられなかっただろう。こういうのが「豊かな社会」なのである。こ
うした風景を目にするまでどれほどの歳月と労力が費やされたか・・・そうしたことに思いを馳せることができる人間を育
てることが大切だと思う。我が女子大家政学部の教育もそうでありたい。そのためには他人の悲しみや喜び、もろもろ
の人生を疑似体験できる演劇のような文化的な環境はぜひとも必要である。そして日本では男性がそれをより必要と
していると思う。

  そして、何より、舞台で俳優が一生懸命、何かを伝えようとして、輝いている姿を見るというのは本当にすばらしい。
映画もよいが、舞台はまた違った醍醐味がある。

細川幸一

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