命の大切さをどう教えるか 〜 豚のPちゃん


  大学生塾講師による生徒の刺殺など、若者による安易な殺人が相次いでいる。ゲーム世代特有のバーチャルな遊
び感覚が殺人行為とその結果の重大さの意識を麻痺させているのではとの指摘も多い。


  また、モノがあふれ、食べたいものをいつでも気軽に食べられる時代になって、人間は、自らが生きていくために、
動物を殺して、加工食品として流通させ、それらを料理として食しているのだということすら忘れがちである。

  先日、フジテレビで北野たけしをメインにして教育に関する番組を組んでいた。その中で「豚のPちゃんと32人の小
学生」という過去に放映したドキュメンタリーをダイジェストで放映していたが、感銘を覚えた。小学校の若い男性教員
が、今の子どもは給食に出る豚肉と生きている豚とを同じものとみなすことができないとして、小学3年生に豚を飼わ
せ、最後は皆でそれを食べることを計画した。生徒が6年生となり小学校を卒業するまで、豚はすくすく育ち、体重が
300キロを超えた。育てている間に愛情がわき、本来の目的である、殺して食べるということができなくなってしまう・・・
そういう実話である。議論の末、3年生に育ててもらうと一旦は決めたのだが、自分たちではじめたことは自分たちで決
着を付けるべき、3年生が結局自分たちと同じ悩みを抱えることになる等々の理由で、再検討し、結局、クラスは16名
対16名で3年生に引き続き飼ってもらうという意見と食肉センターに引き取ってもらうという意見に二分する。結局、先生
の判断に委ねるということで全員が一致し、先生は食肉センターに引き取ってもらう決断をするのである。殺されるため
にトラックで運ばれる「Pちゃん」をクラスの生徒は泣きながら追っかけ、別れを惜しんでいた。


  私は現在、1年生を対象に「消費者問題概説」という講義をしている。高校を卒業して、生活の自由度が増え、アル
バイト等により収入も増し、開放感に浸る学生に現代消費社会とどう向き合うか・・・それを学ばせるための授業であ
る。日ごろから単なる知識の伝授ではなく、生きる知恵を養ってもらえるような授業を心がけているが、先日、この番組
を授業中に見せた。ビデオを見ながら泣いている学生も多く、かなりの衝撃だったようである。その後に感想文を書か
せたのだが、皆、現在の消費生活について改めて考えるきっかけを得たようであった。考えてみれば、授業で笑うこと
はあっても泣くことは少ないに違いない。心の琴線に触れるような教育の重要性を再認識した。以下はその感想の一
部である。



  最初ビデオの内容を聞いたときは、“食の安全”について子どもたちに教えるという内容だとばかり思ってい
ました。加工品ばかりを口にしている私たちは、もとの食材がどういうものだったのかという部分をあまり知らな
いからです。しかし、ビデオを見ると、テーマはもっと重い、“命の大切さ”についてでした。時代が豊かになった
ために食べ物、着る物、住むところといったことに心配する必要がなくなり、私たちは命や死といったものに対し
てあまり考えることはありません。明日の食べ物はどうしようか…などといった心配がないからです。時間にな
ればだれかが料理してくれた豊かな食事がきちんとテーブルに並びます。こういったことは一例にすぎず、私た
ちが無関心になっていることはもっとたくさんあるのではないでしょうか。



  子どもの頃は、食べ物を残そうとすると親や先生から注意を受けたこともありました。でも現代の教育では
そうしたことを教えるのも難しい環境となっていると思います。こういった中でビデオを見たことで生命の大切さ
や教育について改めて考えさせられる機会となりよかったと思います。最近では毎日のように殺人事件が起き
ていて、生命とは何かということを教えるというよりは、実感できる授業が必要になってきているのではないかと
思います。よく大人の方々が今の若い人は…という言葉を口にするのが嫌だと思っていましたが、今と昔では
生活の基底になっているものが違っていて価値観が異なってくるのも仕方がないことだと思います。こうした時
代に生きていく中で、私自身これから消費行動の意義を考えて生活していきたいと思います。



  生きるためには何かしらの犠牲が必要で、私達の生活は犠牲の上に成り立っている。ビデオを見ると改め
てそんなことを思った。普段、マクドナルドのハンバーガーに入っている「肉」は「肉」であって、“かつて生きてい
た” 動物の一部であることは意識されていない。そのような「命の犠牲」という大切な部分が現代の食生活では
省かれてしまっている。このことは真剣に考えるべき問題だ。家庭科の教科書などの流通の勉強でも扱われる
が、現代を生きる私達は、事実を頭で理解しても実感がなかなかついてこない。だから今回見たビデオの子ど
もたちはとても大切な経験をしたと思う。そして間接的であってもビデオを見て私自身もいろいろ考えさせられ
た。私達は犠牲の上に立って生活を営んでいる。今回、何よりも「感謝」の気持ちが改めて私の中に生まれた。
 「いただきます」 「ごちそうさま」
  この二つの言葉は食事を作ってくれた人だけではなく、食事のために命をはらってくれたもの達への弔いの
言葉でもあると強く感じた。



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