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先日、 Cool Bizを進める小泉首相が、議員バッジを忘れたために参議院本会議で衛視にとがめられたという報道
がなされていた。日本人の形式だけを問う「門前払い」思想が根深いことを改めて感じた。
昔、パスポートを取りに都の旅券課に行ったとき、印鑑を忘れた。拇印を押そうと思ったら、決まりで拇印ではだめ
だから、近くの文具店で三文印を買ってきて押してくれといわれたことがある。拇印がだめで、どこでもだれでも手に入 る印鑑ならOKという合理的根拠は何もないはずである。赤で手書きして、印鑑を押したと言い張ったらどうなるのか・・ そんなことを考えた。
日本の教育は知識や決まりを覚えさせ、それに従わせることに主眼があり、判断能力を養い、どう行動すればよ
いか―社会的正義とは何であり、その実現のために市民や政府はどうあるべきなのか―そうしたこと、つまり自律した 市民を育てることに対してはほとんどノウハウを持たないような気がしてならない。
アメリカのカリフォルニア大学バークレー校近くの小さな郵便局で感動したことがある。郵便局で、局員が窓口に
おらず、長い列ができていた。そこでは、日本でも最近は多いが、機械から番号札を取る方式であった。局員が出てき て、列の最前列の男性が窓口に行ったが、番号札を取るのを忘れており、持っていなかった。局員は横柄な女性で、 ダメだと言った。その気弱そうな男性は困っていたが、列の後ろの女性が大声で、「彼はずっと並んでいた。ずるはして いない」と言った。他の人もうなずいていた。それでも、その局員はダメだと言うのである。
私はどうなるか興味を持ってみていた。するとその後ろの女性が「それじゃ彼のために番号札を順々に渡しましょ
う」といい、列の全員がリレー式に番号札を前の人に渡し始めた。そして列の最後の人が新たに番号札を機械から取 り出したのである。
この風景には感動した。規則だからとかではなく、何が正義か、だれが善意の者かをその場で皆で判断し、行動
する・・・まさに民主主義の原点であり、それを支えているのは自律した市民たちである。
そうした自分で考え、自分で行動する市民を育てることが大学の使命だと思う。しかし、教える側にそうした素養が
ない。だから教育は難しい。
細川幸一
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