学生3分類説



   私の恩師の説である。学生には三種類あって、第一は指導などしなくても自分で勉強・研究して良い成績を取るグ
ループ、第二はなだめすかして、指導していけば伸びていくグループ、第三は何をしてもどうしようもないグループ。そし
て大学教員の役割は第二のグループの指導であるという。
   しかしながら、近年、学力低下、学生のやる気の無さが指摘され、第三のグループが着実に増えていると感じる大
学教員も少なくないようである。
   
   2005年5月20日付産経新聞朝刊でお茶の水女子大学名誉教授森隆夫氏が「『ゆとり教育批判』にもゆとりを」
とする論考を寄せているが、そこでは学力低下より人間力低下が深刻であるとしている。「ニート」なる表現はやわらか
すぎる表現であり、これを無職、学習意欲のない者としてズバリ、「無気力者」というべきと主張している。
   
   「知識」は「意識」があってはじめて「知恵」となる。これが私の持論である。「知識」ばかり詰め込む教育では、結
局、すぐ忘れるか、覚えていても活用できない情報ばかりとなる。家政学はまさに「生きる知恵」の学問である。

   私が中学生だった頃、体育の時間に友人がジャージを忘れ、、他組の生徒から借りて授業に出たことがあった。
それを知った先生は「人のふんどしで相撲をとるな」と怒った。私は違和感を感じた。人のふんどしを借りてまで相撲を
とろうとする姿勢は批判されるべきものなのであろうかと・・・・


   潔さ、潔白性・・・・そうしたものが日本人男性の伝統的美学にかなうのであろう。もちろんこの言葉の意味は十分
理解できる。しかし、現在、あまりにも何とかしようという意識、意欲を持った学生が少なくなっているのは事実である。

   師、レポートを見て、「何でもう少し調べないの?」と問う。「本が見つからないから」、「面倒くさいから」、「え?そん
なことまでするの?」そんな答えが返ってきそうな昨今の教育現場である。
   
細川幸一


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