最高学府とおむすび



   少子化、価値観の多様化等々で大学経営もたいへんな時代である。今、大学で学ばせる意味がどこにあるの
か、なぜ女子だけをこの時代に教育するのか、家政学の存在意義などどこにあるのか・・・悩みは尽きない。
 
   私の敬愛するある法学部の男性教授の話である。あるとき、優秀なゼミの女子学生がおむすびが握れないことが
わかった。おむすびが握れないような学生を自分のゼミから卒業させるわけにはいかないと思い、生協食堂からご飯
を買って来させて、ゼミで学生全員におむすびの握り方を教えたという。

   私はこの話を聞いて感動した。いまどきこのような気骨を持った先生がどのくらいいるだろうか・・・なぜ、最高学府
たる大学でおむすびの握り方を教えなければならないのか・・・なぜ、おむすびが握れないと法学のゼミの単位が取れ
ないのか・・・そんなことを真剣に考える人も多いだろう。

   いつのどこの新聞だったか覚えていないのだが、紙面の人生相談で、小学生の娘が化粧をしたがって困るという
母親からの相談があった。回答者はこう言っていた。「ダメだと言いなさい。もし、どうしてダメなのと聞かれたら、『私の
娘だから』と答えなさい。そして年に一度か二度のお祭りのようなときは思いっきりお母さんが化粧をしてあげなさい」。

   最近、やたらと子どもや学生と同じ目線でとか、合理的説明をするようになどといわれる。しかし、教育の骨格は
「信念」ではなかろうか? 時代や学生の環境の変化にあわせた制度改革等は必要だが、変えないものもあってよい。
むしろそういうものを守っていこうとする先人の気概のようなものに触れたとき、人間は成長するのではと思う。

   本学の創設者成瀬仁蔵の女子教育の基本精神を具現化した言葉が、「信念徹底」、「自発創生」、「共同奉仕」の
三つである。自らの人格を高め、自らの使命を見出して全身全霊を尽くして前進することを示す「信念徹底」。各自の創
造的能力の尊重と開発に努める「自発創生」。よりよい社会をつくるための連帯感と協調を図ることを教える「共同奉
仕」。どれも戦後の教育に欠けているもののような気がしてならない。

   細川幸一



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