6月14日(火)

 ということで、i-modeとはいえ慣れない絵文字の乱発はどうみても不自然すぎるので(苦笑)、通常モードに戻ります。

 僕らが住んでいる地域のいろいろなところ、いろいろな施設で、遊びと学びの実践が組織されようとしているんです。その話をうかがうと、その一つ一つがどれも参加者にとって魅力的なものになりそうで、どれも大切なものになりそう。正直、ワクワクする秊。

 そうすると時光の独自性ってなんだろうなとふと思った。規模は小さい、人数もかなり少ないし流動的。1年かけて、やっとこさ、自分たちで自分たちの取り組みを計画できるようになってきた気はする。
 今まで、好きなことをだらだらと好きなようにやっていた時期もあったんだけど、それは結局存続の危機を導いたりもした。それはそれで大事な必要な時期だったんだと思ってる。
 それを乗り越えてきた仲間は絆が深いし、かと思えばギクシャクしちゃったりしている。
 自分たちは何者か、何を目指しているのか、問われる局面も度々あった。考える、それぞれ、そして皆で。他方、自分たちは「何をしているのか分からない」集団だとあっさり定式化されてしまうことすらあった。

 最近、あるメンバーは、友達から何のために時光に参加しているのか、それに参加してどうなるのかと問われたそうだ。答えに窮した、と難しい表情で僕に話してくれた。そうか、と気づいた。動けば動くほど「何をしているか分からない」という状態と、自分たちが「何をしているか分からない」と最初からおさまっていることは違うんだね。気づかされるなぁ。

 今タームのフェスタへ向けた取り組みは、こうしたことを皆それぞれ考える機会が多かったように思う。その一つの形が、当日までに作られていく。今週末は、制作系の準備だね。

 あ、時光の特徴は「跳躍台」にもなることだった!