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〇ウクライナはポーランドとなる

第二次大戦前、英国などの欧米諸国は、ポーランドを侵略するものには、ポーランドから武力で撤退させるという条約を結んだ、ところがソ連とポーランド分割の密約をしたドイツは、1939年9月、突然ポーランドに侵入したにもかかわらず、英国などは蹂躙するに任せて、武力行使をすることはなかった。

 単にドイツに宣戦布告をしただけであった。これが第二次大戦の始まりであった。ところが英国などは武力行使をしないものだから、単にドイツとにらみあうという奇妙な戦争になった。英国などはドイツの侵略に何もせずに口だけで宣戦布告をしただけだったのである。

 ひるがえって現代、ロシアはウクライナの国境に軍隊を終結させている。これに対して米英諸国はウクライナに侵攻したら厳しい経済制裁を課すと言っているだけで、軍事的にウクライナを守るとはいってはいない。ロシアのクリミア半島侵略に対しても同様な態度をとったから何の効果もなかった。ウクライナはポーランドの二の舞になろうとしているのである。

 今この問題は、NATOが旧ソ連の衛星国を次々に加盟させてソ連を圧迫している、という問題に矮小化されている。NATOの侵略にソ連は怒っているぞ、というわけである。

 しかし、ことはそんなに小さな問題ではない。筑波大学にいた中川八洋氏は、ソ連の崩壊を予測した数少ない人物である。その中川氏が「大侵略」(副題:二〇一〇年ロシアはユーラシアを制覇する)という著書を早くもソ連崩壊直後の1990年に出版している。簡単に言えばソ連は二〇一〇年までに、分裂独立した旧ソ連の共和国を再び侵略して、かつての強大なソ連が復活する、というものである。

 二〇一〇年ということははずれたにしても、現代ロシアのクリミア半島併合などをみるとロシアの行動は長期的に中川氏の予言通りにしているではないか。ベラルーシなどの旧ソ連量は着々とロシアの影響下に収められている。中川氏の言う通りなのである。ウクライナはポーラランドと同様、軍事的に対抗しなければロシアに併合される。その他の旧ソ連の共和国の運命も同様である。

 ちなみにウクライナから核兵器を撤去するとき、米露はウクライナの領土の保全を約束した。ウクライナに核兵器がある限り、ロシアはウクライナに侵攻できないからである。その条約はすでにクリミア半島で反故にされている。










静岡県の小学校に次のような記念碑がある。

内容は読んでいただければいいだろう。

顕彰塔誌

 霊峰富士を仰ぐ、この地に建立されたこの忠霊塔には、西南の役以来幾多の戦役に従軍し、一命を 皇国にささげられた旧御殿場町在籍の英霊三百九十余柱が鎮まります。

 顧みれば、英霊は明治維新の大業成り、国民皆兵の義務のもと、皇国の防衛と国権の維持に力を注ぎ使命感に徹し忠君愛国の精神を堅持して、西南の役日清日露両戦役に従軍し国威を全世界に宣揚した勇士や続く満州事変日支事変に際して国家の権益擁護に敢闘し一死国恩に報じた列士、更には八紘一宇の大理想と東亜被征服民族を開放し、万邦をして各々その所を得しめんとの、大義名分を旗印とする大東亜戦争に及ぶや感泣勇躍、陸海空を所狭転戦中忠孝の道きわまり散華した義士であります。この聖戦に男女青少年学徒、一家の柱石等総力を傾注して戦い、天に三百十余万の生命を犠牲にしましたが昭和二十年八月十五日終に敗戦といふ結果を招きました。

 国破れて山河ありこの冷厳な事実を直視した国民は異口同音に日本を再建しなければならない、その再建は日本人自身の不屈の努力によらなければならない、他人の援助や偶然を期待してはならないとの眞剣な自覚を促すにいたった。この自覚の由来は実に英霊が身を以て実践垂範せられた遺産に外なりません。一度は敗れたとはいえ 外、東亜諸民族は相次いで独立した。正に英霊は身を殺して仁を為すと称せらるべきもの。内にしては、焦土と化した大小都市に高層建築を林立せしめ、剰え今日世界屈指の経済大国を形成せしめた。これまた、英霊各位の遺徳偉勲の賜ものに外なりません。終戦三十周年に当たり顕彰塔詞を建立して、その遺徳を万世に伝える次第である。

 

   昭和五十年十一月十六日

バイデン政権はやはり親中

 門田隆将氏と石平氏の共著「中国の電撃侵略」にはバイデン氏が骨がらみの親中であることが、縷々書かれている。「中国はすでにバイデン家を『一家ごと買収済みだ』」(P57)とまで述べて、息子などの親族が買収されていることを例証している。


これに対して、日本では、アメリカは議会も共和党、民主党ともに反中だから大丈夫だ、という楽観論がある。ところが産経新聞令和2年2月23日記事によれば、バイデン大統領は、アジア系米国人への差別を取り締まる大統領令で、政府関連文書で「中国ウイルス」とか「武漢ウイルス」という用語の使用を禁じた、というのだ。

トランプ前政権は終始「中国ウイルス」と呼んでいたのと真逆なのだ。そればかりではないトランプ大統領は「孔子学院が米国の多数の大学で講座を開くのは中国共産党の独裁思想の拡散やスパイ活動のためだとして刑事事件捜査の対象としてきた。同政権はその政策の一環として、米側の各大学に孔子学院との接触や契約があれば政府当局に報告を行政当局に報告を行政命令で義務づけてきた。」という。

 とろが何とバイデン政権はこの行政命令をなくす措置をとったばかりか、この措置を敢えて公表しなかった、というのだ。これらの一連の行動をみればいくら、バイデン氏が「中国は戦略的競争相手だと公式には声明しても、有名無実であることがわかるだろう。門田氏らは著書で、バイデン政権の誕生によって、中共が4年以内に台湾に何らかの形で軍事的侵略をするだろうと、預言する。

 バイデン大統領の一連の行動をみれば、なし崩しに中国を抑え込む措置を解除していって、台湾が危機となることは明かであろう。バイデンはやはり骨がらみの親中なのである。







尖閣諸島の島嶼奪還は日米安保の対象にはならない

 米国は、日本の施政権のある尖閣諸島は日米安保の対象となる、と言い続けている。しかし、これには「施政権が日本にある」という条件付きである。言い換えれば施政権が日本になければ対象とはならない、ということである。現在の尖閣の状況はどうか。毎日中共の公船がやってきて、日本の領海での漁の妨害をして、中共の領海での漁を禁止する、とうそぶいている始末である。

 そもそも日本は強襲揚陸艦なるものを保有して、逆上陸の訓練をしている。これは、中国人が尖閣に上陸してしまったことを意味する。尖閣には日本人もいなければ、守るべき施設もない。そこに中国人が上陸して国旗を建てているということは、既に施政権が中共の手に渡ったことを意味する。

逆上陸とは、尖閣の施政権が中共に奪われたことを意味する。日本に施政権がなければ、日米安保の対象とはならないのである。

 逆上陸で当初の奪還をするということは日本単独で行わなければならず、米軍の援助は期待できないのである。日本は尖閣に灯台などの施設を作り、公務員を常駐させ、中国人の上陸を迎撃する体制を至急に作る必要がある。そうしない限り、逆上陸などは中共に対する侵略となる。島嶼奪還に安保条約による米軍の支援など期待してはならないのである。尖閣諸島の島嶼奪還は日米安保の対象にはならない

 米国は、日本の施政権のある尖閣諸島は日米安保の対象となる、と言い続けている。しかし、これには「施政権が日本にある」という条件付きである。言い換えれば施政権が日本になければ対象とはならない、ということである。現在の尖閣の状況はどうか。毎日中共の公船がやってきて、日本の領海での漁の妨害をして、中共の領海での漁を禁止する、とうそぶいている始末である。

 そもそも日本は強襲揚陸艦なるものを保有して、逆上陸の訓練をしている。これは、中国人が尖閣に上陸してしまったことを意味する。尖閣には日本人もいなければ、守るべき施設もない。そこに中国人が上陸して国旗を建てているということは、既に施政権が中共の手に渡ったことを意味する。

 逆上陸とは、尖閣の施政権が中共に奪われたことを意味する。日本に施政権がなければ、日米安保の対象とはならないのである。

 逆上陸で当初の奪還をするということは日本単独で行わなければならず、米軍の援助は期待できないのである。日本は尖閣に灯台などの施設を作り、公務員を常駐させ、中国人の上陸を迎撃する体制を至急に作る必要がある。そうしない限り、逆上陸などは中共に対する侵略となる。島嶼奪還に安保条約による米軍の支援など期待してはならないのである。







〇何故、武漢コロナウイルスは死滅しない

 不思議に思わないのだろうか。世界中で、ロックダウンなどの新型コロナウイルス対策をしている。ウイルスも生物であるから、寿命がありSARSのようにいつか自然に消滅するか、活動が低調になり普通の季節性インフルエンザになるのが自然であろう。欧米と東アジアでは程度の違いはあれ、特に欧米では武漢コロナウイルスの活動は活発していっても、低調になる気配はない。

 小生は、香港における反政府活動の妨害に武漢コロナウイルス騒動が利用されている気配を書いた。そして、トランプの再選の妨害にも利用されている気配も書いた。これらは、既に概ね成功を収めた。にもかかわらず、武漢コロナウイルスは活発化を止めない。武漢コロナウイルスで妨害されようとしている残りの最大のものは、東京五輪である。たとえ東アジアで武漢コロナウイルスの活動が低下しても、欧米の現在の様子では、いかに東京五輪をするかは難問である。

 武漢コロナウイルスも他のインフルエンザと同様に、一定の期間の対策によって自然に活性化が収まるべきが自然であろうと思う。そうならないのは、活性化を維持する人為的活動がなされているとしか思われないのである。それは武漢コロナウイルスの発生を奇貨として中共政府に利用価値がまだあるからである。それは東京五輪の中止と言うことではなかろうか、と思うのである。




黒人暴動による、香港デモ弾圧の合理化

 六月初めのアメリカにおける、黒人暴動と警官による鎮圧の映像は、デジャブ(既視感)があったのではなかろうか。これは単なるデジャブではない。われわれは、香港デモ騒ぎとその鎮圧の光景というそっくりなものを既に見ている。このふたつの光景はまるでおなじものを映しているのかと見紛うばかりである。アメリカでは、警官による黒人殺害に対する抗議デモの報に、極左暴力組織ANTIFAの煽動活動があったとされ、暴徒化した民衆にたいして、警官による催涙弾等を使った弾圧行動があったのである。

 香港デモがあれほど過激になったのも、単なる抗議デモではない。デモ参加者の数人に一人は中共当局に雇われた者を入れて、デモを暴動にするような、過激な行動を故意に起こしたのである。こうして、デモの弾圧は、デモ隊のテロ行為に対する鎮圧として合理化されたのである。

 さらに中共政府はウイルスを漏えいして感染を広げることによって、香港デモ弾圧を合理化しようとしたのではないか、という仮説もある。そして次に起きたのは、何とアメリカで警官による黒人殺害に端を発して、黒人暴動が起き、警官隊も暴力的に取り締まるという行動に出たのである。

 香港とアメリカにおける類似性は、警官に対する暴力的抗議活動に対して、警官側からも過激な弾圧行動が起きた、ということである。六月三日の産経新聞によれば、早速中共政府当局は、「香港の抗議活動を擁護してきた米国の政治家が、今回のデモを『暴徒』と断じるなどとして『米国式のダブルスタンダード』だと批判した、と伝えている。

 米国は香港で起きたことは応援するのに、自国内で起きると正当化している、ということである。換言すれば米国の暴徒を鎮圧するのには干渉しないから、香港で起きていることにも米国は干渉するな、ということである。

 だがこれはどっちもどっちではない。香港で暴徒化したのは、全てではないにしろ裏で中共政府が煽っていて、「暴徒」を鎮圧することを正当化している。これに対してアメリカで起きているのは、中共がANTIFAという極左暴力組織を利用して、黒人の抗議行動を暴徒化して、政府が武力弾圧をせざるを得ないようにしていることが大きいのであろう。

 アメリカでは黒人差別はいうなれば日常茶飯である。そのチャンスをとらえて、黒人を暴徒化する、ということはいつでも可能なのである。

 つまり香港デモでもアメリカの暴動でも、中共政府が暴徒化を煽っているのであろう、ということである。結局は香港での暴徒の鎮圧にアメリカに口を出させないためなのである。加えて武漢コロナウイルス禍対策として、九人以上の集会を禁止したから、天安門事件の31周年記念日のデモも、静かなろうそくデモにとどまった。

 結局のところ香港では、香港独立まで叫び始めた、中共政府の危機を、米国の人種差別問題や、コロナウイルス禍まで利用して抑え込もうというのである。



〇香港の皮肉

 香港国家安全維持法が全人代で可決された。これによって香港の一国二制度が崩壊し、香港の自由と民主主義が失われたと嘆く声は多い。しかし、これは大いなる矛盾と皮肉であることを伝える声が全くないのは、不可解ですらある。

 そもそも香港がなぜ英領であったかを何故考えないのかが不可解である。英国は輸出品が少ないために清朝にアヘンを売りつけた。それを無法だと怒った清朝の役人が、アヘンを没収したために起こったのがアヘン戦争である。アヘン戦争は、英本国議会でも恥ずべき行為だと言う議員がぃたほど、「恥ずべき戦争」だったのである。

 敗北した清朝は香港を英国に永久割譲した。香港は永久に英国の領土となったはずである。しかし、隣接する新界は99年の租借期限が設けられた。共産中国になって香港の返還交渉が行われた。香港は永久割譲されたのだから、法的には英国に返還の義務はないのであった。ところが問題は租借期限がある新界であった。

 香港の水は新界を通じて供給される。新界が条約通りに99年で返還されることになれば、香港は水を止められることになる。その脅し文句に乗って香港は中共に返還されることになったのである。香港は英領であったから支那人は徹底的に差別された。公共施設には「犬と支那人は入るべからず」という看板が立てられたと言う、嘘か真実か分からない噂まであったと言われたのである。

 皮肉、と言うのはそのことではない。最後の香港総督となったクリス・パッテン氏は任期中の五年間、自由選挙など香港統治に民主的制度を取り入れたのである。ここに、犬並みだった香港人は民主主義の人民となった。もちろんその功績はパッテン氏だけに起因するものではなく、英本土の民主的傾向は、それ以前から香港に流れこんだのである。

 そればかりではない。英領になる以前は寒村に過ぎなかった香港は、英国支配によって都市化すると同時に支那の金融の中枢にもなっていった。香港に流入した支那人は自由と民主主義ばかりではなく、豊かさも求めてきたのである。

 本来は搾取されるべき植民地香港が、自由と民主主義のみならず、豊かさの象徴となった。このことは、鄧小平の改革開放の遥以前のできごとであった。ここまで書けば「香港の皮肉」の意味は理化していただけであろう。小生は記憶に頼って書いているから正確ではない。しかし、哀れな植民地の民であった香港の住民は、ちっとも中共に併呑されることを望まなくなったのである。これが皮肉ではなく何であろう。

 ちなみに、香港最後の総督となったパッテン氏のことを、中共幹部のひとりは、あの野郎だけは生かして帰さない、とつぶやいたそうである。支那人の英国植民地支配に対する怨恨は、かくまでも大きい。しかし、それが香港住民の気持ちを代弁しているかは別の話である。




〇日本の思想の分裂

 日本では、反日左翼だとか、右翼だとかいう思想の大分類がなされている。これは明治維新以降、ことに米軍に占領された以後の実態からすると、あまりに左右の対立軸だけにとらわれた発想ではなかろうか。

 日本を含む多くの国は歴史的経緯から、単純に左右の対立軸以外のものがベースとして存在する。典型的なのが旧ソ連の支配地域で独立した国々である。例えばバルト三国やウクライナなどにおいては、元々の住民をシベリア開発のために、強制的に移住させた。その代わりにシベリアより環境のいい、これらの国々には、ロシア系の人々が送り込まれた。

 元々は、これらの国々に送り込まれたロシア人とて、好き好んで住み着いたわけではないが、何十年も住み着いて、世代が変われば、もはやそこは自分の故郷となる。従って、非ロシア人の共和国には、何割にもなる、多数のロシア系住民が住み着く。すると彼らは親ロシア系住民となる。多くロシア系住民は、ロシアによって併合された方が良いとすら考えている。そのような人たちが国内に何割もいれば、国論の分裂は当然であり、左右の思想問題ではない。

 このような紛争が現に東部ウクライナの、ロシアとの紛争として現れている。ロシア系住民はロシアから送られた特殊部隊と呼応して、東部ウクライナのロシア併合を画策して紛争になっている。このように単純な思想問題よりも根底に、歴史的経緯に起因する根源的な問題を抱えている国は多いのである。

 ミャンマーのロヒンギャ問題は、英国統治の残滓だから、アウンサン・スー・チー女史と雖も解決は容易ではないのである。実は日本にも歴史上初の外国統治の結果として、大きな思想分裂を起こしている。それは七年間による米国統治による、反日思想がそれである。米国が、マスメディアに対する徹底的検閲によって、戦前の日本は悪の塊であった、という思想をすりこんだ。

 戦前からのノーマルな思想を持つ人物は、公職追放によって、マスメディア、思想界、教育界、政界、財界等から徹底的に追放されたから、教育も報道も、全て日本は悪い国だった、ということがベースとなっている。多くの日本人は、意識しようとしまいとこれらに囚われているのである。これらの事情は江藤淳氏の「閉ざされた言語空間」などの一連の著書で明らかにされている。

 社会人になったばかりの頃、戦前生まれの人生の大先輩の知人から「手紙と言うのは皆開けられて検閲されているのだよ」と聞いて驚いた。戦前に検閲があったとは聞いたが、マスコミの話であろうと思っていたのである。この先輩はあたかも現在も私信の検閲が行われているごとくの口振りだったから呆れた。この先輩は、届いた手紙が開けられた形跡があった記憶があったのであろう。このような私信の検閲については、生活に窮して指針の検閲をさせられた人の著書に詳しい。かの先輩は、かつての経験から戦後何十年たっても、私信に検閲があると信じていたのである。

 このようにして、GHQによって日本の思想の基層は歪められていった。そればかりではない。戦前からの共産主義運動は暴力革命の地ならしとして、日本の動向を否定する思想を注入していたのだから根は深い。かくいう小生自身にしても、これらの思想の歪みは自覚的には知ってはいるのだが、無意識には顔を表すことなしとはしないと自覚している。保守を自称するひとたちにも、思想の基層に歪みがあることを垣間見ることが多い。それほど日本人の思想の歪みは大きいのである。

 まして、自由な思考をしていると信じている多くの日本人には、これらの思考の歪みがあるのである。ましてや大手マスコミ、例えば朝日新聞は、昭和20年9月に、米軍の批判をしたかどで、2日間の発刊停止を命じられて、論調が180度変わったことは有名な話である。このように日本には、というか日本にもというべきか、単純な左右の思想対立よりも歴史に根差す深い思想の歪みがある。

 同じ敗戦国でも、ドイツはうまくやった方であろう。ユダヤ人虐殺は全てナチスの犯罪であって、ドイツ民族の犯罪ではない、という立場を貫いている。ドイツ民族もナチスの被害者なのである。有名な「荒野の四十年」は日本では、ワイツゼッカーによる謝罪の書であるとされている。しかし、同書を丹念に読むが良い。ドイツ民族による謝罪の言葉などは一言半句も書かれていない。それどころか連合国による都市無差別爆撃批判の言葉すらある。ドイツは勝つことにも負けることにも慣れているのである。だから謝罪などせず、いちはやく国軍を復活している。何せヨーロッパで最も使われる主力戦車のほとんどは、ドイツ設計のものなのだから。




〇日本の性に関する意識について

 元来、日本では現在に言われるほどに、性についての貞操観念と言うものは、厳格ではなかったと言うのが、小生の調べる限りでの常識です。それが破壊されたのは、明治に大挙して入ったキリスト教の影響によるものが大であろうと考えます。

明治期においてすら、軍人の恋愛結婚と言えば、大抵は売春婦との結婚であったと言うのです。しかも奥さんが売春婦上がりであったということによって、出世に差別は全くありませんでした。何も見ずに書いているので名前は忘れましたが、奥さんが売春婦上がりで大将にまでなった人はいくらもいるはずです。

 一方で鴎外・森林太郎は、軍人は出世の妨げられるとのことで、母や上司に妨害されて、軍人を辞める覚悟でのドイツ女性との結婚を放擲させられて生涯悔いています。相手が日本人売春婦ならこうはならなかったのです。

 たとえキリスト教の影響が明治に入ってきたと言っても、過去の風習はそう簡単に消えるものではありません。これは仮説ですが、大衆に売春は悲惨なものと言う意識を決定的に植え付けたのは、大恐慌だったのではないでしょうか。大恐慌によって食うや食わずになった東北の農民が、借金のかたに娘を売春宿に売り込まざるを得ない羽目になったのです。

 五一五事件や二二六事件などで、不況にあえぐ農民を救わんとして唱えられた昭和維新なるものがあります。これは共産主義者にそそのかれた面が大きいにしても、下級将校たちには、娘を売春宿に売り込まざるを得ない、東北の貧困は政治の貧困として、怨嗟打倒の対象としたのです。

 こうして、未曾有の不況から起きた娘を売る、という行為は許されざる悪として日本の社会に定着していったのではないでしょうか。それによって、戦後には、売春防止法制定と言う運動に発展したものと推量します。それまでは、江戸時代よりはるか以前から、単なる職業のひとつに過ぎなかった売春と言う行為が、賤業として卑しめられていったのです。

 今でも時代劇に出てくる、花魁の行列は華々しくはあれ、賎しいものではありません。しかし、他方で買春は賎業だと言うテレビの脚本家たちは、同時に性病でだめになっていく、売春婦をも描かずにはいられません。キリスト教の布教に伴うそれまでになかった貞操観念と、大恐慌によって売られていく哀れな娘たち、そしてそれを弄ぶ大財閥というような観念が、売春というものを賎業と言う意識を生み出したものと想像します。

 小生は売春を論じてきましたが、必ずしも性風俗イコール売春ではないとは思いますが、イコールの場合もあるはずです。その場合は売春防止法が戦後成立した以上は、現在の性風俗産業即違法となります。違法であるにも拘わらずニーズがある以上存在する、ということです。その問題点は論点をはずれるので、これ以上は言いません。ただ風俗を賎しく辛いだけのものである、というのは、戦後作られた観念である、と言っているまでです。




〇武漢コロナウイルス陰謀説・2

▲ 以前、武漢コロナウイルス陰謀説、と題して、武漢ウイルスの発生は、香港のデモ対策に苦慮した中共政府が生物兵器である武漢ウイルス拡散を故意に行ったのではないか、という仮説を書いた。それをフォローしてみる。産経新聞令和2年4月12日付けの、香港の民主活動家・周庭(アグネス・チョウ)氏へのインタビューが載った。

 香港の反政府デモの現状は?と言う質問に対して周氏の回答は下記の通り。


 
民主化運動は終わっていません。今でも抗議活動が行われ、逮捕者が出ています。政府は3月下旬、防疫を理由に、5人以上の集会を禁止しましたが、これもデモ参加者を逮捕するために防疫を利用したのではないでしょうか。


 と答えている。故意にウイルス拡散をしたかどうかは別にして、少なくとも中共政府が防疫をデモ鎮圧に利用しているのは事実である。5人以上の集会を禁止したのが3月下旬と言うのは遅すぎる気はするが、そのよほど以前から、デモの報道はなされていないことから、防疫を理由に何らかの規制は行われてはいたのだろう。

 勘ぐれば、最初に武漢ウイルスに警鐘をならした医師が処分されたのは、単なる隠ぺいではなく、充分に感染が広がるまで時間かせぎである。中共の地図を見ると、北から南に湖北省、湖南省、広東省と並んでいて、香港は広東省にある。肝心の武漢から香港までは、東京から九州位の距離で遠いようだが、広大な中共の国土を考えれば、遠い距離ではない。

 隠ぺいをしたのは、この距離間で感染が広がるのを待っていた、とでも言える。香港デモには首謀者とおぼしき人物がいないと考えられている。陰謀説が間違いであるにしても、ウイルス拡散を奇貨として香港デモを鎮圧しているのは最低限間違いはない。ウイルス拡散を口実としてデモ参加者が次々と逮捕されていけば、デモ参加経験者にじわりと逮捕の恐怖が拡散されていくのは間違いない。

 自由世界では、香港デモの象徴のように扱われているのに逮捕もされないのは、中共のいつもの手で、自由世界に有名になった人物には手を出しにくい、ということだろう。


 ▲ 次は、メルマガ「週刊正論」令和2413日号に、下記のような記事があったので、紹介する。

 英語ニュース・オピニオンサイト「Japan Forward」は、中国当局の大規模な隠蔽工作が武漢ウイルスの世界的蔓延をもたらした、とする日本国際問題研究所上級海外フェローのモニカ・チャンソリア氏の寄稿を掲載しました。中国の軍事研究者たちが、圧倒的な軍事力を誇る米国に対し、「非対称の戦い」を挑むため、20年にわたり、生物兵器に焦点を絞って研究開発を進めてきた、といいます。非常に興味深い論文なので週刊正論では日本語訳全文を紹介します。

                ◇

 中国の独立系メディア「財新」は、中国の研究所が201912月末までに謎のウイルスを非常に高い感染力の新たな病原体として確認していたことを明らかにした。ウイルスは、後にCOVID-19として識別された。しかし、研究所は当時、さらなるテストの中止、サンプルの破棄、そして情報を可能な限り秘匿するよう命じられた。

 今回のパンデミックの発信地である中国・武漢の衛生当局は、202011日以降、原因不明のウイルス性肺炎を特定するサンプルを破壊するよう研究所に要求したのだ。中国政府は、人から人への感染が起きている事実を3週間以上も認めなかった。

「財新」は、非常に重要な初期の数週間に、こうした致命的で大規模な隠蔽工作が行われた明確な証拠を提示し、それによって大流行、すなわち、その後、世界に広がり文字通り「世界閉鎖」を引き起こした大流行を制御する機会が失われたと結論付けた。

以下、略。COVID-19とは、巷で「新型コロナウィルス」言われているもの、すなわち武漢ウイルスに他ならないのである。この記事によればパンデミックは、他ならぬ中共の生物兵器の管理不行き届きによる漏洩が原因だと言うのである。





〇武漢コロナウィルス陰謀説

 武漢コロナウィルスが始まったのは令和元年11月である。その頃中共では、どんな問題を抱えていたか。香港抗議デモである。月刊Hanadaの令和2年3月号で、支那出身の石平氏は「無能・無策・無責任・習近平が中国共産党を潰す」という論文を寄稿している。

 煎じ詰めていえば、習近平政権は香港抗議デモに妥協することに失敗したうえに、実力行使で事態を収拾することもできていない、という雪隠詰めに陥ってどうにもならない状態に陥っている、というのだ。選択肢は妥協か実力行使しかないから、無為無策状態を放置せざるを得なくなってしまっている、ということだ。その上、アメリカでは「ウイグル人権法」が可決された。四面楚歌である。

 ところが、武漢コロナウィルスが発生してどうなったか。香港抗議デモはどこかに消えてしまったのである。石平氏によれば、香港抗議デモは中共の共産党支配をゆるがしかねない重大事である。ところが習近平政権のアキレス腱はウイルス騒ぎによって、いつの間にか消えてしまったのである。そして最初に武漢コロナウィルスを発見した医師は処分して、ウィルスの拡散の妨害は排除された。

 飛躍しているかもしれないが、謀略説を語るとすれば、武漢コロナウィルスの発生は、香港抗議デモ対策ではなかろうか、ということである。香港問題で世界を巻き込むようなことをするはずがない、というなかれ。あれほど騒がれたSARSでさえ、感染は中共国内が主であった。日本には一人の感染者もいなかったのである。武漢コロナウィルスもその程度で済むと考えたと誤算したということも考えられる。武漢コロナウィルスの感染防止のために、香港市民は街頭に出るな、と中共政府当局が言ったとしても、欧米諸国は、デモの弾圧だと非難できないのである。こうして香港抗議デモは鎮圧された。

  中共政権は国内統制のためには国民の犠牲など何の関心もない。いや、生物兵器としては致死率の低いウィルスを使ったところを見ると、少しは国民の生命も顧慮したのだろう(^_-)-☆手の付けられない事態に陥っていた香港抗議デモがあっというまに消えてしまったことと、感染発生のタイミングを考えると、陰謀説も荒唐無稽ではないように思われる。

 状況証拠はまだある。米大統領補佐官が中共が初動でコロナウイルス発生を隠蔽した、と発言したのに対し、3月13日中共政府高官はツイッターで、新型コロナウィルスは米軍が中共に持ち込んだと、とんでもないことを主張した(報道ステーション)のである。これは中共政府が、武漢コロナウィルス発生が軍の持ち込んだ人為的なものであること、すなわち生物兵器である可能性を示唆したのである。嘘をつく者は、自分ならやるようなことを言うものである。

 なお、本ブログでは、新型コロナウィルスが中共発であることを明示するために、武漢コロナウィルスと呼んでいる、ブロガーの「テレビ倒さん」さんにならって、基本的に武漢コロナウィルスと呼ぶことにしている。なお、米国のマスコミでも同様な主旨を採用しているものがあることも付言する。「テレビ倒さん」さんの先見の明に感心する次第である。





〇米海兵隊は捕虜を取りませんでした

 米海兵隊は、少数の情報入手用の日本兵を除き、捕虜を取らない方針でしたから、その旨命令していました。このことは当時の海兵隊将校の証言や戦後の証言によって確実です。ただし欧州戦線では確認はしていません。米陸軍も大差ないと思われます。捕虜をとらない(=殺しちまえ)というのに死んだジャップは良いジャップ、と表現することもあったのです。これは死んだインディアン良いインディアンという言葉を想起させますから、対独戦とは違う、人種差別観を思い起こさせます。

 ある黒人水兵は、日本人パイロットの死体に、白人水兵たちが、死体を突き刺し金歯を抜き取った残忍な攻撃を目撃している(人種戦争・ジェラルド・ホーン著)。すると黒人水兵は、南部でリンチされた数々の黒人の写真を想いだした、というのだ。ドイツ人に対するのとは違う人種差別観があるのです。米国人自身が、戦争初期には多くの日本兵が投降しても、残虐に扱われるのを知った日本兵は、段々投降しなくなったと認めているのです。バンザイクリフで投身した日本人も、鬼畜米英の所業を知っていたのです。

 万歳突撃しても、即死者の二倍は人事不省などで生きている日本兵はいたはずです。呻いて転がっている日本兵にとどめをさしたのです。こうして太平洋の島々では、皆「玉砕」となりました。戦闘中の行為ですから合法には違いありませんが、常識からは非人道的です。

 他には、赤十字マークの野戦病院を襲って、動けない傷病兵を皆殺しにした例も少なくありません。これは完全に違法行為です。また赤十字マークをつけた病院船が負傷者や女子供など民間人を本土に移送するのを、潜望鏡で確認して撃沈してしまいました。米海軍は武器を搭載していたから正当だ、と主張していますが、沈没してしまった船にどうして武器があるかわかったのでしょうか。




新型コロナウイルス生物兵器説考

 新型コロナウイルスについては、当初から生物兵器の漏えい説がささやかれている。そもそもNBC防御の研究は、大抵の国の軍隊で行われている。NBC兵器とは、核、生物、化学兵器である。日本の自衛隊は核、生物、化学兵器のいずれも持たないが、防御についての研究は行われている。地下鉄サリン事件での自衛隊の対応は覚えている方もおられよう。

 米英露中共北朝鮮イスラエル等は核、生物、化学兵器のいずれも保有しており、防御の研究も行っている。以前紹介したロシアの歩兵戦闘車BMP-1は戦術核兵器で敵を制圧した後に歩兵を突入させるためのものだから、放射能汚染領域内で活動できる。構造は簡単で車内の圧力を外気より僅かに高くして、放射能の侵入を防ぐとともに酸素ボンベ等で空気を確保する、というものであろう。そして放射能汚染が一定レベルに下がったら外に出て占領する。BC兵器の直接防御手段も似たようなものであろう。

 いずれにしてもBC兵器を持つ国はもちろん、持たない国も防御手段は研究している。ちなみに悪評の高い旧日本軍の731部隊とは、生物兵器ではないが、赤痢やコレラなどの疫病の蔓延する支那大陸での防疫を主任務としていた。生物兵器防御の先駆といえるものである。当然のことながら石井部隊長が細菌による人体実験データを米国に提供して免罪された、などということは、根拠のないプロパガンダに過ぎない。

 それでは生物兵器の利点は何であろう。それは軽量で投射に色々な運搬手段を用いることが出来るとともに、物理的な破壊をせずに、一定の領域の人間だけを殲滅することができる、ということである。もちろん生物兵器とは細菌やウイルスを攻撃の手段とするものである。

 生物兵器は搭載能力の小さなミサイルにも搭載でき、人間がカバンに入れて運搬し、敵地に置いてくることさえ可能である。小生は北朝鮮がICBM(大陸間弾道弾)で米国を射程に入れていても、搭載する小型核弾頭はまだ保有していないものと考えている者である。しかし、軽量な生物兵器なら搭載可能であろう。

 生物兵器には必須な条件がある。投射した場所の一定の範囲だけで、ウイルス等の感染能力が高く、感染させた人間は確実に殺す。ただし、ウイルス等はだらだらいつまでも生き残ってくれても困る。感染が際限なく広がってしまったら、攻撃側が敵地を占領できないし、味方領域まで犯すからである。

 湖北省の武漢の近くには生物兵器の研究施設があると言われている。新型コロナウイルス漏えい説の出る所以である。しかし、新型コロナウイルスはだらだらと感染が広がるだけで致死率は低い。生物兵器の要件は全く満たさないのである。しかし、はっきり言って中共の科学技術のレベルは低い。生物兵器の要件に適合しないできそこないを作ってしまい、漏えいしてしまったという可能性は完全には否定できないであろう。生物兵器漏洩説の真偽はともかく、日本人はこの機会に生物兵器の脅威と言うものを考えることが求められる。





〇カタカナ語の乱用

 幕末以降、西欧文明が入ると日本人はそれを漢字で表記してきた。経済、哲学などなど数えたらきりがない。ところが最近の日本人専門家はそれを怠りはじめているように思われる。その典型的な例が倉山満氏の「2時間でわかる政治経済のルール」という本に示されている。

 「地政学の五つのキーワード」(同書P38)を見てみよう。地政学の理解で重要な五つの語を挙げている。アクター(関係国)、パワーズ(大国、列強)、ヘゲモン(覇権国)、チャレンジャー(挑戦国)、イシュー(争点)である。倉山氏はこれを列挙した上で次のように述べる。

 「日本語があるなら何もわざわざカタカナにする必要はないと言われそうですが、馴染みのないカタカナ語のほうが、一般的によく使われる日本語より地政学用語として規定された概念を表現するには適しています。例えば『アクター』は主体性のある国のことで、国家としての意思や能力のない国はアクターではありません。『関係国』と言う言葉は普段から使っている一般的な単語なので、漠然と「関係している国全部」と考えがちですが、『アクター』と言うことによって、その混用が避けられます。・・・」として残りの四つの用語も説明がされている。

 日本人なら、一瞬なるほどな、と思うであろうが、よく考えるとこの説明は実に珍妙なのである。これらの概念は欧米人によって作られたものである。その欧米人の立場に立つとどうなるか。いや高校生程度の英語の知識があれば、ヘゲモンを除く四つの言葉は、一般的な英単語として知っている。ましてや英語のネイティブの人間ならば、例えばアクターという言葉は多義に渡り「『アクター』は主体性のある国のことで、国家としての意思や能力のない国はアクターではありません。」ということは、そのような地政学的用語の説明を聞かなければ分からない。

 英和を引いても「俳優、役者、行為者」とあるから、欧米人にしてもアクターとだけ言われれば、「俳優、役者、行為者」など全然関係のないことを漠然と思い浮かべるだけで「その混用が避けられます」ということにはならない。要するに欧米人にとっても地政学上のアクターとはいかなるものか定義されなければ、役者などととんでもないことと混同されてしまうのである。まだ日本語の「関係国」の方がはるかにましである。

 日本人が専門用語として日本語を使っても英語のカタカナ語表記を使っも意味不明だから、きちんと定義をしないと分からない、というだけのことである。小池都知事が、例えば「都民ファースト」などといって、簡単な意味のことをカタカナ語にして、偉そうに煙に巻いている、というレベルの話なのである。

 工学用語で、この例を説明して見よう。材料力学には、応力とひずみ、という重要な概念がある。いきなり応力、といわれても普通の国語にはないから調べるであろう。しかしひずみと言われれば、国語辞典にも出ているから、その意味だと誤解されるが、材料力学用語としては、きちんと定義しなければ分からないのである。手元に材料力学のテキストがないのでウィキペディアをひいてみる。次のような意味である。

 元の長さLの物体が荷重によって長さがℓに変化した場合、ひずみeは

 e=(ℓ-L)/L

 の式で表される無次元の数値(単位がない)であり、荷重が引っ張りの時eは正の値、圧縮の場合は負の値となる、というものである。ひずみは英語では、strainという普通に使われる言葉だから、欧米人にとっても定義がなければ工学上の意味が分からないのである。なお工学用語では「歪」という漢字は使わずに普通は「ひずみ」と書く。

 ちなみに、応力の原語はstressだから日本人にとっても欧米人にとっても、「ストレスによって病気になった」などという場合のストレスと、工学上でストレスと言った場合には意味が全然違うのである。一般に英語での専門用語は造語せずに、一般的な英語がそのまま用いられることが多いから、専門の範囲での言葉の定義をしないと、とんでもない誤解をすることになる。ところが、欧米の文明を取り入れた日本人は苦労して、国語にない新しい翻訳用語を発明した。それが「応力」のような言葉となったのである。

 だからカタカナ語をそのまま使えば混乱しないで済む、などということがいかに珍妙か分かるだろう。ちなみにISO規格などの欧米発の規格では、まず最初にterms and definitionsという項目が書いてある。これは「用語と定義」と訳される。つまり規格の最初には用いられる専門用語を列挙して、その定義を明確にする必要があるのである。

 日本の規格や技術基準類もかなり前から、この方式を取り入れている。カタカナ語だから混用を避けられるのではなく、定義を明確にしなければ混用は避けられないのである。だから、地政学用語で「関係国」という言葉の定義を明確にしておき、英語ではアクターと言う、という説明なら筋が通るのである。

 こんなことをくだくだ述べたのは、近年,工学でも社会科学でも、果ては日常の言葉ですら、英語そのままのカタカナ語を使い、日本語に翻訳する努力を怠っている傾向が著しいからである。特にIT業界用語にはその傾向が甚だしいようである。昔の人はエンジンの部品でも、英語をカタカナ語にしただけでそのまま使うのではなく、全て漢字に当てはめる努力をしたのである。クランクシャフトを曲軸と訳したのを、素直にクランクシャフトと言えば分かりやすいではないか、と揶揄する者すらいるから本末が転倒している。



〇危険な遺伝子理論による男系天皇論

 八木秀次氏は、XX染色体の女性と、XY染色体の男性の結婚によって生まれる男子はXY染色体、女子はXX染色体を持つので、Y染色体に含まれる遺伝子は、男子によってだけ受け継がれるから、天皇家は男系によって、永遠に遺伝子が引き継がれ、萬世一系の天皇が続いている科学的根拠とした。

 それ故、女系では遺伝子が断絶することになる、という観点から、女系天皇反対論を唱えた(Voice 20049月号)。これは遺伝子科学の観点からして正しいとされ、男系天皇論の科学的論拠と認められるに至っている。これは伝統的風習が、実は科学的にも根拠があるという、ありがちな科学的論説である。従って、男系天皇論の絶対的根拠とされるかに見えた。

 そうはどっこい、左翼はもっと狡猾であった。男子皇族が減少している現代では、女系容認しか皇統を守れないのではないか、と餌を投げたのである。これに見事に引っかかったのが、保守の重鎮たる、田中卓皇學館大学教授である。「女系天皇で問題ありません」(諸君20063月号)といって、現実的観点から女系天皇容認論を展開して今に至っている。

 これに追従した保守に、何と高森明勅氏や長谷川三千子氏もいるのである(小林よしのり氏は思想を論ずる人ではないので除く)。これは重大なことである。長谷川氏の変節には、西尾幹二氏も呆れていた。

 科学的に男系でないと萬世一系は途絶える、と証明した結果がこれである。女系容認の保守は、現実的観点ばかりでなく、庶民如きが皇統に口を出すのは僭越に過ぎる、遺伝子による証明など皇統に対する侮辱であるがごとき論調である。

 しかし、一方で八木氏の男系天皇論は科学的に正しいことは、右も左も認めているのである。すると、女系天皇が誕生した瞬間に反日左翼の日本人は「科学的根拠を持って萬世一系の皇統は途絶えた」と絶叫する。科学的事実だから誰も否定できないのである。これに気付いたのであろう正当な保守は、先例のないことは一切すべきではない、との論拠で男系天皇論を展開している。

 しかし、八木氏が言わなくても賢い反日左翼は、いずれ遺伝子科学を持ち出すであろう。いずれにしても八木氏の遺伝子論は萬世一系の皇統護持に重大な一石を投じてしまったのである。田中卓氏は諸君で滔々と女系容認論を述べた。

 しかし、反日左翼にとっては都合のよい論説に過ぎない。女系天皇誕生を虎視眈々と待っているのである。女系天皇論の危険は理論や科学や、いわんや事実ではなく、「天皇制廃止」のはずの反日左翼が女系天皇論を唱えている、そのことにこそある。女系天皇容認論の保守は、そのことを心するべきである。




〇米国は陸戦に懲りた

 米国は対日戦で、苛烈な陸上戦闘に自信を持った。日露戦争の日本軍や第一次大戦の戦訓を入れた陸兵の訓練に成功したのである。陸軍と海兵隊である。第一次大戦当時は、勇敢だが無鉄砲だと言うのが、欧州軍人の米軍人に対する一般的評価である。それを矯正するのに成功したのである。

 この勢いを持って朝鮮で戦ったが、ベトナムでの長期のゲリラ戦で懲りて、長い間陸戦恐怖症にかかった。しかし、湾岸戦争で少し自信を取り戻したが、イラク戦争で、再び懲りてしまった

 湾岸戦争とイラク戦争は正規軍での圧倒的な兵力差で勝って一度は陸戦に対する自信を取り戻したように見えた。しかし、イラク戦争後、女子供まで使ったゲリラ戦で、まともな戦闘もないのに、毎日一人、二人と確実に犠牲者が出ると段々に耐えられなくなった。期間に対する犠牲者の比率は、ベトナム戦争よりよほど少ないのに、である。

 だから対北朝鮮に対しても、爆弾や巡航ミサイルによる間接攻撃はできても、歩兵や戦車などの戦闘車両を使った陸戦はできないのである。せいぜい特殊部隊による首脳の暗殺作戦位のものであろう。

 だがトランプ大統領の決断はどうであろうか。陸戦をするも辞せず、という覚悟がなくて、北に核開発を止めさせることはできない。少なくとも陸戦を実際に行わなくても、陸戦を行う覚悟は必要である。だが、イラク戦争の不評をよく承知しているトランプ大統領に陸戦の覚悟はないように見える。

 かつてイスラエルがイラクの核開発を阻止するのに、数機の戦闘爆撃機で一か所の原発を爆撃して成功した実績はある。しかし、これは核開発のごく初期だからであって、現在の北朝鮮のようにある程度開発が進み、施設が分散した現在では不可能である。時間がかかり過ぎて、その前にソウルが甚大な被害を受けるという予測をしている。

 クリントン政権時代に空爆によって核開発を阻止する計画があったが、北朝鮮による謀略によって中止された。空爆によって核開発を阻止するチャンスは、このとき永遠に失われたのである。

 この時は、北朝鮮か核実験どころか米本土まで射程に入れるICBMまで、ロシア、ウクライナ、中国、パキスタンなどの技術支援によってできる可能性がある、などとは想像もつかなかったのである。要するにアメリカは北朝鮮の未来が深刻な脅威になるとは想像もしなかった。その結果一番嫌な陸戦を覚悟しなければならない羽目に陥ったのである。

 トランプ大統領は、北朝鮮問題より優先度の高いはずの、対イラン戦略においてさえ早々と戦争はしない、と宣言してしまった。

 ただ、推測されるように最近の潜水艦発射弾道ミサイル実験は、潜水艦から発射したものではない模擬実験のようであるし、弾道ミサイルに搭載可能な核弾頭の開発は、当分覚束ないようである。米国の逡巡もここにあるのだろう。



何故中国は新幹線技術を習得できたのか

 雑誌正論平成31年2月号で、西尾幹二氏は石平氏に鋭い質問をしている。それは

「・・・中国の発展を見ていて意外で仕方がないのは、たとえ日本の新幹線の技術に学んだにせよ、あっという間にその技術を身に付けて新幹線を外国に輸出し、日本と競うまで力をつけたことです。たとえブリキ板1枚を作るにも高い技術が必要とされます。中国には古来高い技術があつたとはいえ、近代科学技術と結びついたものではありませんでした。過去の停滞していた時代に中国では、理数科の学校教育がきちんと行われていたんだろうか。中小企業による下支えはできていたのか。そういうものがあれば今急に新幹線技術をコピーできたのも納得できます。他のアジアの国はまともに新幹線を造ったりはできません。中国だけができたのは、なぜなんでしょうか。」

 この質問は欧米技術に基づく製造業の技術基盤の必要性、というものの本質をついた質問である。西尾氏は欧米技術に基づく製造業の技術基盤について、そう簡単なものではなく、①理科系の教育体系と②大企業から中小企業までの産業構造の必要性を、ズバリ指摘しているのである。工業の専門家ではない西尾氏の見識は流石である。

 これに対して、石平氏の回答は、次のようなものである。

「50年代になると旧ソ連が、中国の産業化を全面的に支援し、数万人のソ連の専門家が派遣されてきました。・・・農民の富を吸い上げて資本を蓄積し、重工業の発展につぎ込んだのです。こうして60年代までに中国では工業の基盤ができていました。80年代にはそうした産業体系がそろっていたところに改革開放で、外国資本が入ってきて新たな技術も導入され、中国の高度産業化が実現したのです。」

 石平氏の回答は、整合性は良くとれているので、西尾氏は納得するのだが、小生には、はなはだ信じがたいものである。日本は幕末以来、昭和20年まで約100年間、初期の欧米の技術の時代から、西欧に寄り添って、教育界から産業界までが、地道に努力を続けても、追いつくことはなかった。コピーすらできなかった技術すら幾多ある。欧米技術の製造業の技術基盤とはそれほど奥深いものがある。

 日本の新幹線技術などは、戦前の地道な努力がようやく戦後花開いたものと言うべきである。それが、1950年代から、わずか30年、それも文化大革命の大混乱を含めてである。それだけで、欧米技術の技術基盤を身に付けたとは到底信じられないのである。我々は宇宙開発や新幹線技術のコピーと言った派手なものに目を晦まされてはいまいか。そうでなければ「中国製造2025」などという標語が飛び出すはずはないのである。





〇小林よしのりは漫画家であって、思想家ではない

 小林よしのりは漫画家であって、思想家ではない。小生は自明のことを言っているのに過ぎない。しかし、ご本人は「戦争論」や「天皇論」なる漫画を描いて、思想家気取りであるように思われる。漫画で思想を論ずることが、絶対に不可能である、とは言わない。しかし小林の書いている漫画は、芸術作品であって、思想論文ではない。悪くすればアジびらに等しいものすらある。自分の論敵を醜悪に描くことによって、どぎつく相手を罵るのに、等しいものすら珍しくないからである。

 芸術作品は、鑑賞者の五感を通して情感に訴えて自分の目的を達するものである。小林の漫画の場合、自分の主張を読者に伝えることが目的である。そのために、視覚に訴える漫画と言う手段によって、情感に訴えて主張を伝達する。思想論はこれと違い、多くは文字により論理を構成して、理性を通して主張を伝えるものである。手段が情感に訴えるのと、論理によって理性に訴えるのとの大きな違いがある。

 例えばある雑誌で、八木秀次氏が「特別永住制度」を「在日特権」のように間違った主張をしていると、言うのだが、ある事例を持ち出して強烈な漫画でインパクトを与えて、あたかも反論しているようなのだが、そこには理性に訴えるものはなく、脅迫的に読者に結論だけ押しつけているのだ。表現の強烈さによって、説得される読者もいるだろう。しかし、八木氏の主張を丹念に論破する姿勢はなく、一方的な決めつけだけである。

 二葉亭四迷が文学を志したきっかけは、ロシア文学が革命を成就するための爆裂弾のようなインパクトがあることに魅せられたのである。このことはロシアの革命文学と言う芸術によって、情感によって革命思想に取りつかれるロシア人が多いことを知ったためである。革命思想論のような論理で理性的に説得するよりも、遥かに効果があるものと知ったのである。このように、芸術は説得力はあるが、あくまでも理性によってではない。だから革命思想が正しいか否か、を論理的に検証をしない、という重大な欠陥がある。

 芸術に拠って説得された人々は、正しい理想にかぶれたのではないかも知れないのだ。小林のように芸術によって、擬似思想論を展開する手法には、このように重大な欠陥を有している。流石に非難されて最近では小林は、「論敵」を醜悪に描くことは減っているようだ。しかし、漫画表現を使って正邪を判定させようとする手法は相変わらずである。

 多くの論者は、女系天皇論などで小林を批判している。しかし、小林は芸術家としての漫画で、擬似思想を語っているのだから、論ずるに値しないのである。漫画で思想家を気取っているのは、大間違いである。最近は明治の壮士を扱って、派手に血を流すシーンを描いて悦にいっている。本人も壮士気取りなのであろう。思想家としては論ずる手段を持たない、取るに足らない人物である。

 しかし、二葉亭のように、芸術による爆裂弾に等しい効果は、むしろ下手な思想論より大きい。だからむしろ厄介である。これまで閲したところ、保守ないし右翼を気取っているが、小林には定見がなく、その時のカッコよさを狙っているにすぎないようである。その証拠に、既に初老の域に達した肥満した男性であるにも拘わらず、漫画に描かれる小林は、常に美青年なのである。

 これを論文によって文字で表すなら「私はハンサムな青年です」という間違ったことを書くことになる。これは漫画が芸術であって思想論ではないから許されるのであって、思想論で、そのように書いたらその時点で信用を失う、虚偽記載なのである。小林よしのりには、分際を知れ、というのが、最も適した言葉である。付言するが、小林は漫画を伴わない論文の類も書いているらしいが、それは芸術としての文学に等しいものであって「論文」にはなっていないことは想像に難くない。




〇左翼全体主義考(3)左翼は全体主義である(最終版)


(3)-1 戦後の共産主義

 戦後日本の共産主義は、政府がGHQに抑え込まれたことにより、拡大した。一つは無力だった刑務所にいた共産主義者の釈放による登場と、戦前の潜伏共産主義者や偽装転向者との合流による共産党と社会党という共産主義政党の結成。二つ目は共産主義学者やジャーナリストの復活である。学者の中には家永三郎のように、戦前は皇道主義を唱えていたものが、時局に乗って、共産主義的言動をするようになった者も少なからずいた。朝日新聞などのジャーナリズムは、元々いた隠れ共産主義者が復活すると同時に、GHQの弾圧によって朝日新聞のみならず、一般スコミは左傾化していったのは、時勢に阿っていたのだが、世代が変わると左傾言論は「社是」となっていった。

 三つめは共産主義系労働組合である。共産主義労働組合の主力は、国鉄、国家機関、公教育者の労働組合である。これらを官公労とすれば、民間会社は自社が潰れたては困るから過激な左翼運動はあまり出来ず、官公労が主体となったのは自然な成り行きである。こうしてGHQによる自虐史観が、マスコミや政党に跋扈し、公然とした言論は自虐史観しかなかった。子供の頃の小生の周囲は、残虐な日本軍のイメージとは程遠い人たちばかりであったから、自虐史観にあまりの不自然さを感じていて、戦前の日本人の行動の弁明を求めた。

 従って、自虐史観しかなかったとしても、常に疑問を持つことが多かったため、自虐史観にどっぷり浸かることはなかったと思う。しかし、維新以後の戦前日本の行動を具体的事実を持って、肯定的に評価するには二十年は要したと思う。大平洋戦争という、教科書の用語から脱したのも時間はかかった。父母が決して「太平洋戦争」とは言わず大東亜戦争、と言っていたのを子供心に不可解に思っていた。

 小生は「大東亜戦争」が自然と言えるように、逆洗脳を自らかけていたのである。従って、今では「太平洋戦争」と言うか「大東亜戦争」と言うかを、ある人物の歴史観を判定するリトマス試験紙にしている。いかに立派な論を説こうとも、太平洋戦争と表記する限り、GHQの洗脳の呪縛から解けきれていないと判定する

 閑話休題。敗戦から長い間、マスコミもジャーナリズムも公に出るものは左翼的であったにも拘わらず、保守と目された保守合同後の自民党政権が、共産党や社会党などの官公労の共産主義の者の支持する政党に政権を譲ることはなかった。戦前の事情を知っていた日本人が、大勢を占めていた時代には、表面に現れていた左翼的思潮に騙されることはなかった。時に自民党が腐敗すると社会党に票が流れることがあっても、国民の投票結果は、共産主義政党に政権を渡そうとはしなかったのである。ただし西尾幹二氏によれば、自民党は保守主義者だけの政党ではなく、自民党議員の思想の配分が、国民全体の思想配分に等しいから、大勢として結果的に保守政党であった、という。これは正しい分析だと思われる。自民党にも加藤紘一のような共産主義もいたのである。

 その後、昭和四〇年代頃からであろうか、「諸君」などの雑誌等によって、戦前の日本に対する弁明が始まるようになって、小生は貪るように読んだものであったが、世間の表層に現れた思潮は相変わらずであった。しかも徒弟制度で凝り固まった日本の学会は、自虐史観に席巻されていたと見え、一方で学問の府である大学は左翼思想で非ずんば、人に非ずという風潮であったろう。

 政界の決定的な転機はやはり、ベルリンの壁の崩壊に続く、ソ連の崩壊であろう。ここで思潮の流れをはやまって読んだ、重要な転機をもたらす人物がいた。小沢一郎である。今でも小沢の行動を軽視する傾向が強いが、現在に至る日本の政界を混乱に陥れている、という意味で小沢の存在と罪は大きい。自民党の一党政権を一党独裁と批判する輩には、自民党に対抗できる保守政党は必要不可欠である。

 ソ連の崩壊とともに、共産主義は死んだに等しいと小沢は思ったのである。共産主義が死んだということになれば、共産主義政党はいずれ消滅する。とすれば自民党に類した保守政党による二大政党政治の実現が現実になる、と踏んだのだ。そこで、自民党が共産主義政党を圧する前に、自民党を割って、保守政党を作って政権の受け皿にすることにした。

 ところがどっこい、共産主義政党は消滅しなかった。小沢は見切りが早過ぎたのだ。国民一般は共産主義は間違いであることを実感したのだが、共産主義政党の支持基盤である、官公労は健在であった。社会党はほとんど崩壊したが、共産党は健在で官公労の票を集めた。官公労の票の受け皿は、民主党、民進党、立憲民主党などと名前が変わっても、官公労が堅固な支持基盤であるのに変わりはない。

 看板だけ自由主義で、支持組織は共産主義であった民主党は、一時国民の眼を欺いて、政権を獲得するに至ったが、あまりの拙劣さで失敗し、自民党以外の健全な保守政党を求めた無党派層国民は離れていって現在に経っている。結局立憲民主党は、官公労などの共産主義の支持に等しいだけの勢力しか得られないのである。小沢は今や、選挙に強いという都市伝説の主となって、反自民の頼みの綱になっているに過ぎない。政治生命は終えたし、政治信念は何も残っていない。

 ところが変わらないのは新聞マスコミである。相変わらず朝日新聞は自虐さを増した。それどころではない。新たなマスコミの旗手となったテレビは、反権力を装った、共産主義者の牙城になったのに等しい。例えば意味のないモリカケ問題では、地デジ全局が何の根拠もないのに「安倍夫妻疑惑」を垂れ流した。一方で、テレビ離れした層のメディアである、インターネットの世界でも左翼的言論が拡散した。ネトウヨと呼ばれる層も根強いが、ヤフーニュースは徐々に左翼的傾向を増しているように思われる。また学者層では、公的に登場する憲法学者は全員が、自衛隊違憲論者である、というように学問の徒弟制度から、左翼の牙城となっている。


(3)-2 左翼全体主義による言論弾圧

 さて本論である。マルクス主義の前提のひとつは、共産主義に至る道は普遍的な歴史的経過であって、共産主義社会は必ず到来し、そこで歴史は終わる、ということである。それから類推して、「ソ連」を成立させたマルクス・レーニン主義は科学的社会主義であると言った。その意味は、科学だから「絶対的に正しい」ということである。これは20世紀初頭の誤謬である。科学だから「絶対的に正しい」とは限らないことは、現代の科学者なら誰でも知っている。ニュートン力学は相対性理論から見れば、近似解を与えるに過ぎないことが分かっているのである。

 しかしマルクス主義においては、そのことが勝手に独り歩きしていった。ソ連ではマルクス・レーニン主義以外の思想は禁じられた。唯一全体正義のマルクス・レーニン主義以外の思想を信じることは、罪であるとされた。コミンテルンの支部として作られた各国共産党においてもマルクス・レーニン主義だけが正しい思想だとして、それ以外は排除された。ソ連においては、非マルクス・レーニン主義は弾圧された。内心の自由はないのである。

 日本でも同様であった。宮本顕治は仲間とともに裏切り者を粛清した。これがマルクス・レーニン主義における正義である。テレビのインタビューで、共産主義の日本の泰斗である故向坂逸郎は、共産主義政権が出来たら共産主義思想以外の思想の者をどうしますか、と聞かれた。向坂は「弾圧する」と断定した。向坂は正直で共産主義に忠実だったのに過ぎない。共産主義すなわち極左思想を持つ者は異論を許さない全体主義者である。


  戦前の状況

 戦前は自由主義的思想が弾圧された、とされている。天皇機関説や自由主義者の河合榮治郎らの大学からの排除である。この厳しさは安政の大獄以来のことで、日本で苛烈に思想によって弾圧するのは例外であったように思われる。中川八洋氏によれば、戦前に弾圧に回った側は、実は多くが共産主義者である。ゾルゲ事件はスパイ事件であって、思想弾圧ではない。

 しかもゾルゲや尾崎秀実に連なるはずの多くの人々、すなわち共産主義の群れは、逮捕されずに闇に消えた。ゾルゲ事件の全貌は明かされていない。キーマンであった近衛文麿は自殺して、全てを隠して死んだ。しかし、これは共産主義ネットワークによる隠ぺいのための殺害であると言う説がある。これらを要するに、戦前の極端な思想弾圧は、実は右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説に小生はたどりついた。

 思想的に比較的寛容な日本人による、苛烈な弾圧は他に説明がつかないのである。安政の大獄は攘夷派と佐幕派のテロルの応酬であり、権力闘争であって思想弾圧ではない。信長の宗教弾圧も思想問題ではなく、武装仏教の解体による政教分離であった。これらすら欧米や中国の宗教弾圧や権力闘争に比べれば可愛いものである。これに比べ、戦前の極端な思想弾圧は、非日本的な匂いがする。そこで現代に移る。


  現代の左翼全体主義

  では戦前の思想弾圧が、右翼に偽装した共産主義者の仕業ではないか、という仮説をたてた。マルクスは愛国心を肯定した国際的労働組合、すなわち第二インターナショナルの綱領作成に関与したと言われている。従って、必ずしもマルクス自身は当面は国家を否定してはいなかった。しかし、マルクスの共産主義と労働者の国際的連帯と言う発想は、元々世界はひとつである、という夢想的アナーキズムにつながってしまう要因があったのではなかろうか、と思う。

 それはソ連による第三インターナショナル、すなわちコミンテルンとして利用されてしまった。世界の労働者は各国において、ソ連を祖国とする共産主義に忠誠を誓うと言うものである。つまり各国の共産主義者と労働者は、ソ連に利用されることとなった。ソ連が崩壊した結果、忠誠を誓うべき祖国はなくなったのである。恐らく日本の共産主義者に支配される労働組合はとりあえず、中共に忠誠を誓うことにしたのではなかろうか。

 日本を否定する以上、ソ連に代わる国外で従うべき国家権力が必要となったからである。反日である以上、帰属する国家権力が必要なのである。マルクス主義に胚胎していた、共産主義絶対視の傾向は、マルクス・レーニン主義により確固たるものとなった。小生の知己のある共産主義者は、若い頃雑談で、「俺達は正しいのだから、手段は悪であっても良い」、という意味のことを言ったので唖然としたことがある。ところが昨今のジャーナリズムやインターネットの状況を見ると、この言葉は真実味を帯びてきたのである。

 例えば杉田水脈氏は、ある雑誌でLGBTは生産性がない、という意味のことを書いてバッシングされ、その雑誌が翌月号でその特集を組むと、雑誌もバッシングを受け廃刊を余儀なくされた。ひどいことに例の菅直人氏は似たような発言を何年も前にしたのに、何の問題にもされなかったのである。杉田氏は保守で菅氏は左翼と看做されたからである。ジャーナリストや学者、政治家などで保守ゆえに左翼からバッシングを受けてひどい目にあった、例はいくらでもある。小川榮太郎氏などは、新聞社から、言論ではなく言論機関にあるまじき、裁判という報復を受けている。

 かつては改憲をいうだけで非難される状況があったが、さすがにそのような状況はなくなった。しかし、左翼による言葉狩りのような傾向は、特にテレビマスコミにおいてひどくなっているように思われる。繰り返すが、マルクス・レーニン主義に淵源を持つ日本の左翼は本質的に、言論の自由を認めない全体主義的傾向が強い。彼らの言う言論の自由とは、左翼思想の範囲内での言論の自由なのである。

 百田直樹氏や櫻井よしこ氏などが講演をキャンセルされたことがあり、そのような例はいくらでもある。ところが、左翼論者が同じような目に遭ったことは極めて少ないし、そんなことがあれば、テレビマスコミが一斉に唱和して思想弾圧だと騒ぐから、できないのである。令和元年の参議院選挙の際には安倍首相の演説の際に集団でやじを飛ばし、演説を聞かせなかった。警察も止めないので、ある人がスマホで動画を撮ったら、集団の一人が、携帯を奪って壊した。ここに至って、初めて警察は動いたのである。その後の安倍首相の演説でも集団がヤジで妨害したので、警察が排除した。前回の件で学習したのである。ところが、朝日新聞はこのことを「警察による言論弾圧」と記事にした。朝日新聞も、ヤジ集団も左翼である。自分たちは悪い安部の言動を阻止した正義の行動をしたのである。選挙妨害ではなく「絶対正義」なのである。

 何度的゛も言う。左翼・共産主義者は思想統制を是とする、全体主義者である。そのことは、実は戦前から続いているのである。インターネットは大丈夫と言うなかれ。中共の例でわかるように、インターネットは、言論の自由にも寄与するが、全体主義の思想統制には最適な道具なのである。

 自由主義者は言う。「君たちの言論は間違っている、しかし君たちの言論の自由は生命を賭して守る。」と。共産主義物は言う。「君たちの言論は間違っている、だから君たちの言論を弾圧する。」と。

 尼港事件の犠牲者は壁に「共産主義は我らの敵」と血書して絶命した。その叫びを今聞くべき時である。




〇左翼全体主義考(2)日本の共産主義

(2)日本の共産主義

(2)-1 共産主義と社会主義

 ここで、便宜上共産主義と社会主義の概念の相違について書く。本稿全てにおいてそうであるように、これらの定義は全て小生によるものである。皆さんは既にご存知と思うが、後の議論のためと、小生の頭の整理のために書くのである。

 社会主義とは、共産主義と比較すれば、広い概念である。現実に存在する共産主義国家から、共産主義のうち計画経済と私有財産の否定を基準として考えると分かりやすい。社会主義の最も左翼を、計画経済と私有財産の否定と考えれば、共産主義は社会主義の一部に含まれる。現在の資本主義社会では、全く国家統制のない自由勝手な経済政策はあり得ない。例えば賃金においては最低賃金制度があり、国家が推奨する分野においては補助金を出したりする経済政策も、一歩計画経済に近づいたという意味においては、社会主義的であるといえる。

 私有財産の否定の中間はないかといえばそうではない。高額の相続税や固定資産税である。資産家から取ったこれらの税金は福祉などという形で低所得者に配分される。資産家の財産は、相続税として奪われるのである。税率が高くなればなるほど共産主義的であると言える。要するに共産主義に近ければ左翼的ないし、より社会主義的となる。

 だから社会主義とは相対的な概念である。だから資本主義国家においても民主社会主義、というような理念を党是とした社会主義政党が存在するのは、そのような理由である。自由主義とも言われる資本主義と共産主義を除いた社会主義とは何か、である。上記の説明と共産主義の定義を比較すれば分かるであろう。信教の自由と思想の自由というふたつの「自由」があるのが、共産主義を除いた社会主義である。思想の自由からは、結社の自由が導かれ、結社の自由からは政党の自由が生まれる。

政党の自由からは議会制民主主義が生まれる。こうして、資本主義国家においては、議会制民主主義国家が生まれる。ところが、運営の実態上からは、ロシアは本当に資本主義国家なのか、という疑念がある。民主的な手続きを経てエリツィンから権力を得たプーチンは、長期間権力を維持し続けているばかりではない。私有財産保有の自由はあるものの、建前上言論統制がなく議会はあるものの、ジャーナリストの暗殺という形で、実質的に言論の自由が奪われているに等しい。つまり資本主義ではあるものの自由主義とは言えない。

 ここに、資本主義と自由主義の乖離する例がみられる。このような例は、発展途上国では多く見られる。ロシアは科学技術はともかくとして、政治的には前近代的な要素の残滓が多い例である。結局国家体制と言うものは、支配民族の性格のくびきから逃れられないものであるとだけ言っておこう。中共についてはさらにややこしいが、深入りの必要がないので、やはり支配民族の性格によるものとだけ言っておこう。


(2)-2 戦前まで

 日本の共産主義はもちろん、欧米の思潮の影響を受けたものである。概括的に述べれば、マルクスの著作が日本に入ってきたのが、共産主義の始まりだと言える。日本においては共産主義は、皇室を否定する危険思想として、政府は一貫して排除する姿勢をとってきた。検閲や、かの治安維持法である。こうして共産主義は危険思想として禁止された、ということになっている。

 ところが不可解なことに、日本人による社会主義色の濃い、あるいは共産主義に基づく出版物は、共産主義と名を付けない限り、ほとんど野放しにされたに等しい。例えば「改造」などという雑誌がそうである。改造はマルクス主義思想家の巣窟となり、廃刊させられたのは、なんと終戦直前であった位、野放しにされていた。輪をかけて不可解なのは、マルクスの著作が堂々と出版されていたことである。コミンテルンの地下活動と相まってマルクスなどの著作を読んだ帝大生などのエリート層にも共産主義しそうははびこっていった。

 この乖離は不可解と言うよりは、大間抜けに等しい。アメリカが言論思想の自由の建前から、共産主義者が跋扈していたのは理解できない訳ではないが、国策として日独防共協定まで結んで、共産主義を天敵扱いしていた日本では、矛盾の極致である。しかもゾルゲ事件という大事件を経た後でも、軍や政治家、思想家の中には、共産主義者が残ったのである。米国がレッドパージ後、政治における共産主義者が徹底排除されたのとは著しい違いである。

 ここで特筆すべきは、北一輝である。彼は大川周明とともに、民間右翼のボスと言われた存在である。これはかの中川八洋氏の示唆と小生の読書の結果から言う。大川はいざ知らす、北は共産主義者だったのである。書架に見当たらないので記憶で書くが、「日本改造法大綱」によれば、骨子はふたつ、「国民の天皇」と「私有財産の上限を何万円(現在なら数億円)かにする」というものである。

 国民の天皇ということは、カモフラージュである。よく考えれば天皇は国民のものだと言うのだから、国民が廃止しようとすればできるのである。現代の日本共産党と変わりはない。私有財産の上限と言うのは、私有財産の禁止を合理的に実施する手段である。前述のように完全な私有財産の廃止と言うのは、日常の生活を考えれば不可能だから、制限すれば生活に支障のない範囲で私有財産が禁止できる、という訳である。

 北は軍人の一部と組んで統制経済を推進すべきと主張していた。しかも統帥権の干犯などという統制的言辞を発明して、政党を持って政党を弾圧せんとしたのである。これらを総合すると北は「天皇制廃止」「私有財産の禁止」「言論弾圧」「計画経済」と言うソ連の真似事を日本に導入しようとしたのが本質と言わざるを得ない。北は共産主義者である

 北ばかりではない。スパイ尾崎秀実ばかりではなく、陸海軍の幹部にもソ連の計画経済のインチキな成果に魅惑されて、統制経済を推進する者は多かった。統制経済とは、ソ連の計画経済と同じではまずいと思ったカモフラージュであろう。そして言論統制が強まった。不思議なことに言論統制は、自由主義者である、河合榮次郎にも及んだのである。国体明朝として行われた言論弾圧には、結果からすれば共産主義者よりも、河合榮次郎のような天皇の崇敬者の方が被害が大きかったのではなかろうかと疑う。

 つまり計画経済をベースに陸軍の一部の地下にも潜った、共産主義者の活動家に都合のよい言論弾圧ではなかろうかと疑うのである。ゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実らのソ連のスパイは人身御供であって、親ソ共産主義の御本尊は政治家や軍人の中に公然と残されていたのである。徳田球一らの共産党員ら幹部は、根こそぎ逮捕されて、皆が戦地で戦死傷する中、刑務所で不自由なく暮らしていた。実は「転向者」とされる人物の多くは公然と社会に出て活動をした。

 ここで整理すると、戦前の共産主義者には、三種類の系統があったように思われる。ひとつめは、コミンテルン日本支部として創設された共産党だが、逮捕拘留されて戦後GHQが釈放するまで実質的に活動はできなかった。ただし、逮捕されたが転向を誓約して、釈放されたもののうちの一部が隠れ共産主義者として活動している。

 ふたつめは、尾崎秀実らゾルゲなどのコミンテルンの指示を受けて活動をしていたグループで、政権中枢に食い込んで支那事変を煽動するなどしていたグループである。三つめはソ連の計画経済にあこがれた軍人グループや、民間浪人や学者などのグループである。このグループには、第二のグループと連携をしていたものとそうではないものがいたであろう。例えば米内光政は、陸軍の大勢が支那事変拡大反対であったにもかかわらず、突如強硬意見を主張して、支那事変を拡大した。彼はロシア通であったために、ハニートラップにかかって籠絡されていた、という説さえある。

 第二のグループは、特に近衛内閣の中枢に食い込んでいて、支那事変から対米戦争へと誘導したとみられている。しかし、ゾルゲ事件で一部が逮捕処刑されたものの、戦後、近衛が自殺したために全貌は明らかになっていない。そのため近衛は殺害説すら出ている始末である。

 戦前の厳しかったと言われる思想統制の大本は共産主義者で、思想統制の対象は巧妙に自由主義者に対して行われていたのではないか、という仮説を小生は持つに至った。これについては最後に述べたい。




左翼全体主義考()共産主義とは


(1)-1 共産主義とは

 日本における左翼の全体主義的傾向と、それに起因する言論の抑圧の甚だしさについて、共産主義とはいかなるものか、ということから始めて、言論抑圧の必然性を考えてみよう。特に近年、日本において左翼による言論抑圧の傾向が強まっているように感じられるからである。まずは共産主義とはいかなるものか、である。

 日本の左翼とは、共産主義者ないし、そのシンパである、と定義する。共産主義とは何か。この点に関してはソ連と言う「共産主義全体主義国家」が崩壊した今となっては、原点にかえって考えるしかない。というのは、ソ連はマルクス(マルクスとエンゲルス:以下省略)の共産主義を現実化するために、マルクス・レーニン主義という理論を考え、実践した。これは政権奪取においては暴力革命を、暴力革命の実施にあたっては、プロレタリアートは共産主義の前衛たる共産党の指導を仰ぐ、というものである。

 国家の運営に当たっては、共産党一党独裁体制における、宗教の否定、私有財産制の否定と計画経済によることとした。これがソ連およびその「衛星国家」と言われる東欧諸国の基本原則であった。アジアにおいては、中共その他の「共産主義国家」が誕生したが、元々はソ連の傀儡政権であったが、誕生以降はアジアにおける古代からの専制王朝の様相を呈して現在に至っている。そしてソ連が崩壊して以来、日本の左翼が故郷と仰いだ、共産主義の御本尊が消え、一般大衆からも共産主義に対する幻想が崩壊したから、左翼も崩壊したはずであるが、そうはならなかったのである。

 マルクス・レーニン主義とは、マルクスのいう共産主義国家を実現するために、マルクスから逸脱したものである。マルクスは革命とは言ったが、合法ではないにしても必ずしもレーニンが行ったような殺戮をも当然とする革命とは明言はしてはいなかった。マルクスは共産主義者がプロレタリア階級を指導することを示唆したが、労働者を愚民扱いするに等しい「前衛」などという言葉は使ってはいない。

 確かにマルクスは、私有財産制度と宗教を否定した。この点は明らかである。しかし、共産党一党独裁については、論理的必然性からしてそうなることは明らかだが、共産党一党独裁についても明言はしてはいない。まして計画経済だとか、統制経済など言うものについては、マルクスはむしろ否定的であるとさえ思える。労働者「階級」が、生産用の資材を保有し、自由に働くことを求めていたようでさえある。

 結局のところ、現実の共産主義国家、ソ連邦を実現するために、レーニンはマルクスにはない発明をしたのである。しかし、現実の共産主義国家を実現運営するには暴力革命も、共産党一党独裁も、計画経済も必然となった、と考えざるを得ない。たとえマルクスが生きていてそれらを否定しようが、これらの悲惨な現実は実にマルクス自身が考えたことに淵源を有すると言わざるを得ないのである。

 唐突だが、後々のため、皇室と共産主義体制の関係について一言する。天皇は権力を分離して、権威として存在するようになった。だから武家政治でも明治の中央集権的国家体制にも矛盾なく適合した。維新国家は事実上立憲君主制となったが、それとも矛盾はしない。その意味で天皇をいただいた共産主義体制は天皇の側からはあり得る

 しかし、共産主義は、絶対君主を否定する。従って、共産主義者から見れば、天皇は認められないのである。マルクスの理論の帰結は、権威と権力の分離などということは認められない。マルクス主義が科学的社会主義として、宗教を否定したから、宗教と同じく権威の源泉である天皇は認められないのである。結局のところ共産主義体制は、天皇制を否定しなければならないのである。たとえ天皇の側から共産主義を受け入れられても、共産主義者は、それを認めない


(1)-2 マルクスの理論

 順は逆になってしまったが、なぜマルクスは私有財産の否定などに至ったかを示したい。マルクスの共産主義への道や共産主義について考えていた事は、端的に「賃労働と資本」と「共産党宣言」の二著がもっとも理解に適切であろう。資本論は、英国の資本主義社会の悲惨を描いたものであって、共産主義の理論を書いたものではないからである。

 マルクス主義理論のエッセンスは「賃労働と資本」に書かれている。それは剰余価値説である。その理論は単純なもので、全ての工場生産品の価値は、労働者による労働のみによってだけ生まれる、というのが理論の絶対的前提である。価値が労働だけからしか生まれないとすれば、それによって収入を得る、資本家は労働者が生み出した価値を搾取している、ということになる。

 労働者の生み出した価値とは何か。価値とは、労働に要した時間に相当する労働者の生活費である。マルクスの理論からは、資本家は労働者の生み出した価値の全てを労働者に分配すべきであるが、資本家が雇用しているために、そうとはならない。しかも労働者は生活のために、より低い賃金でも雇用されることを求める。あくまでも資本家の地位は揺るがないので、搾取はより多くなるようにしかならない。

 労働者の窮乏は激しくなる一方である窮乏が際限なくひどくなって、頂点に達すると革命が起き、労働者が権力を奪取する。従って、革命は資本主義が高度に発展した社会においてだけ起きる。それを媒介するのが共産主義者である。あけすけに言えばマルクスの考えた理論の根幹はこれだけの事なのである。

 このことからマルクスはいくつかの事を敷衍する。革命は歴史的必然から生まれるものである。従って、この歩みは絶対的真理である。このことを後の共産革命の実践者は科学的社会主義であると呼んだ。科学のように普遍的真実だ、というわけである。これを否定する者を弾圧する、という考え方はここに起因する。また宗教は労働者の窮乏を、精神的に救済するものである。だからマルクスは宗教をアヘンに等しいものである、と言った。宗教は否定された。

 資本家は資産によって工場を経営し、労働者を搾取するから、私有財産は搾取の手段である。従って財産の私有は禁止し、労働者の共有であるものとする。注意を有するのは価値を生むのは、工場の労働者によってのみ生まれるから、マルクスの言う労働者とは、一般に言うところの工場労働者だけである。農民も商人も価値を生み出さないから、マルクス理論においては労働者ではないという帰結となる。ソ連において、医師や技術者が低賃金におかれたのは、その実践である。レーニンはマルクスの理論に現実を合わせようとしたのである。


(1)-3 マルクスの理論の現実との乖離

 これだけシンプルにマルクスの理論を見ると、今の目で見ると現実と甚だしく乖離しているのは分かるであろう。明瞭なのは、労働者には工場労働者以外の、農民、商人などは労働者としてカウントされない、ということである。現代の共産主義者はそのことは語らない。現実と乖離しているから都合が悪いからである。農民はや商人は労働者ではなく中産階級であると、マルクスは明言している

 このことをレーニンは徹底して悪用した。ソ連は西欧諸国より工業部門で立ち遅れた。近代兵器生産ができないのである。そこで行われたのが飢餓輸出である。重化学工業に投入する資本を得るために、農民から農産物を奪って資金を得て、あたかも計画経済が大躍進したように宣伝した。しかし、そのために農村では餓死者が出たのである。

 マルクスの言う資本家とは、自ら資本を持ち工場を経営する者のことである。現実にはこのような者が大勢を占めたのは資本主義社会においては、ごく初期の段階だけであった。その後の大資本においては、経営者自身が工場などの資産を自ら保有することなど不可能な規模に発達したのである。現在社会で経営者が自ら資産を持って工員を雇う、などというのは規模の小さい町工場でしかない。

 現在の日本の共産主義者が応援する中小企業とは、マルクスの言う、労働者を搾取する資本家そのものである。マルクスが見た当時の英国での資本家とは、その程度の発展段階のものでしかなかった。マルクスは、それが全てである、として理論を組み立てたからこのようになってしまったのである。そして科学的社会主義として、宗教を否定したから、このような矛盾はなきものとされた。

 共産主義社会の最も不可解なのは、私有財産の否定である。私有財産とは何か、を考えれば分かる。金銭、不動産、その他の資産である。金も家もなければ、人間はどうやって生活すればいいのだろうか。食料を買うのにすら金が要る。金がなくて生活できる、近代社会とは何であろうか。どんなに単細胞が考えても不可解極まりない。現にソ連にも金銭はあったのである。

 このようにマルクスの理論ですら、普通に考えるだけで、現実に適合しない事ばかりである。ところがこれを多くの学識あるはずの人が大真面目に信じたのである。否、ソ連が崩壊した今でも信じている人がいる。マルクス主義批判をする人ですら、マルクスの理論は巧妙精緻であるという。どうしたことだろう。それは数学を考えてみればわかる。

 数学とは現実を数量化した普遍的なものである、と考えがちだがそうではない。数学とはいくつかの仮説(公理)を立てて、仮説を論理的に展開して、公理系を作る。公理系の中で矛盾が生じなければ、その公理系は成立することになる。

 例えば、負の数の二乗は必ず正の数になる。これが一般的常識である。ところが数学者は二乗すると、負の数となる「虚数」という概念を発明した。これを加減乗除した数学を展開しても、矛盾が生じないことを発見した。これが虚数の世界である。現実から直観すると奇異だが、このような数学の世界は存在する。しかも、虚数を使った数学は、流体力学や伝熱工学といった現実を理論的に解析するのに有効なのである。

 マルクス主義批判をする人ですら、マルクスの理論は巧妙精緻であるといったのは、このようなことではなかろうか。理論の中では矛盾のない体系が構築できるのである。しかし、虚数を使った数学が、流体力学や伝熱工学といった現実を理論的に解析するのに有効なのに対して、マルクスの作った理論体系は、現実世界に適用は出来なかった、それだけのことではなかろうか、と思うのである。それで現代のマルクス主義者は、マルクスの作った架空の世界に生きているのであろう。それどころか、日本のマルクス主義者は現実をマルクス理論に合わせることを夢見ているのではなかろうか。その一端が言論抑圧という形で露呈しているのだと小生は思う。




〇漱石の名言

 漱石の名言と言えば、いわゆる名言集に数多く収められている。「草枕」の次の一句もその一つである。


 「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角この世は住みにくい。」

 このような漱石の名言は世に溢れているから、まず世間に知られていない、小生推薦の名言を紹介する。

 最後ノ権威ハ自己ニアリ

 という一言である。これは漱石全集(昭和五十四年刊行の第二十五巻「日記及断片」P105)の断片の一行である。前後に脈絡も説明もなく、突然書かれているだけの素っ気ないものである。短編どころか、日記でもない、単なるメモである。だから誰も気付かないのだろうと思う。この一言は漱石の面目躍如たるものであると考える。

 「最後の」という言葉は英語を専門とした漱石だから、混乱して聞こえるかもしれない。He is the last man 云々・・・.

 と書いたら、彼は何々をする最後の人である、と直訳してはならず、彼は絶対に何々しない、と訳すのは受験英語でも基本である。英語の苦手な小生でもご存じである。ところが漱石の言葉はこのような英語風にとってはならないのである。


 文字通り、最終的にものごとを判断するのは自分自身である、ということを警句風に表現したものである。つまり、物事の判断基準は自分自身にしかない、ということだから判断基準は自分にあるのだ、という傲慢な言葉にも聞こえよう。

 そうではないのである。たとえ権威者が言ったことでも、それを理解せずに鵜呑みにするな、ということでもある。結局は自分自身が判断しなければならない、ということである。これはとてつもなく自分に厳しい言葉ではなかろうか。判断基準が自分自身にある、ということは自分の知性なりを磨かなければならないことを意味する。

 人は万能ではない。知識にも判断力にも限界があるから、間違った論理判断を展開することは稀ではない。それでも最後の権威は自己にしかあり得ないのである。自分自身の行いについて判断を有識者に仰ごうと、結局それを理解して決定するのは自分しかいないのである。出来事の解釈とても同様である。世間に事件があった時、それをどのように解釈するのは、結局自分自身でしかない。

 これは政治家にも大いに言える。政治家は多くの専門家からアドバイスを受けるが、結局判断するのは政治家自身なのである。それ故政治家は、自己を研鑽しなければならないのである。単に専門家の判断だから従う、ということであってはならないのである。かといって、研鑽をできていない政治家が、とんでもない誤判断することがあるのは、過去の事例が示すところである。小生のような市井の人にとっても同様である。座右の銘というよりは自戒の言葉としたい所以である。




〇鴎外と漱石の創作意欲の元

 鴎外の「舞姫」はドイツ留学時の恋の物語である。漱石の作品は、三四郎から心までは一貫して道ならぬ恋である。鴎外の場合は、実話に近いことは「鴎外の恋人」が明かしている。舞姫以外にも、鴎外が恋人「エリス」と会う淡々とした話があるが、実際には結婚を前提として示し合わせて相次いで二人で日本に来る、という切実なものだったそうである。

 「鴎外の恋人・今野勉」の書評で述べたが、鴎外のドイツでの恋は相当に真剣なものであった。元々文学の素養がある鴎外にしても、創作意欲の根源はドイツ人との恋であったのに違いない。舞姫が実在のモデルを基にしている、ということは当初から広く知られていた。

 少し考えてみれば当たり前の話だが、漱石の三四郎から心までの六部作の共通項が、一貫して道ならぬ恋である、ということは、小生は江藤淳氏の評論でようやく気付いたのである。漱石を小説や短文ばかりでなく、日記まで全て読み通しながら、そのことに気づかないという杜撰な読書だった。

 「三四郎」は美禰子が、三四郎を慕いながらお見合いして去っていく。「それから」と「門」は、元々婚約者がいて結婚する直前だったのを、主人公と会うなり恋仲になって駆け落ち同然に結婚する、というものである。しかも婚約者の男性と言うのは主人公の親友だったのである。

 「彼岸過迄」の主人公は、互いに慕いながら結婚に至らない二人を観察するナレーターに過ぎない。「行人」は兄嫁を慕っているらしい主人公が、偶然台風で兄嫁と二人で一夜を過ごすのだが、何も起こらなかったのに、心を病むらしい兄が異様に嫉妬する物語である。「心」に至っては二人の親友の若者が同時に、下宿先の娘に恋をして、一人が親友のKを出し抜いて婚約してしまい、それを知ったKが自殺してしまったのを、出し抜かれたショックで自殺したのに違いないと思い悩む。

 主人公は、Kを殺したと悩み仕事もせず親の財産で暮らしている人を「先生」と慕っている。先生は過去の顛末を長い手紙に書き残して去ってしまう。先生は奥さんに自然死したように見せかけて自殺しようとしている、と書き残した。

 このように漱石の六部作が、パターンが少しづつ違うが、共通しているのが道ならぬ恋である。しかも漱石自身の恋人のモデルが実在し、その人は道楽者の兄の妻であった、というのである。しかも江藤に言わせれば、二人の関係は具体的にはどのようなものであったかは不分明だが、相思相愛であったことは間違いない、と断定している。

 不可解なのは、小宮豊隆ら漱石を聖人のごとく崇める「弟子」たちが、この六部作の共通点に、一切言及しなかったことである。だから小宮らの評伝をも読み込んでいたつもりの小生が、大間抜けだったのには違いないが、江藤淳氏の評論まで全く気付かなかった。確かに漱石のデビュー作の「猫」は、思想的あるいは面白みと言う点で、その後の漱石の作品を総括している、という時間的には逆転した不可思議と言うべき作品である。

 しかし、江藤氏の評論によって、その後の六部作が漱石の創作意欲の源泉の発露であった、ということに小生は確信を持つようになった。漱石も鴎外も創作意欲の源泉は「実らなかった恋」、であったと思うのである。漱石は教師から朝日新聞社に就職して、「小説家」に転身するにあたり、将来の生活に困窮することのないように、契約内容に慎重であったほど世俗的であった。しかし、創作の動機は失われた恋、という甚だ世俗的ではないものであった。

 鴎外も、母親のため軍医として出世することに腐心する、と言う世俗的な一面を持ち合わせている。しかし、世俗的出世のために成就寸前の恋を放棄しなければならなかったことを生涯悔いていた。鴎外が死に際して「一石見人として死せんと欲す」と遺言したのは、その出世の肩書さえいらなければ、恋を成就した、という一心によるものと信じている。ある数学者は雑誌に、鴎外が日清戦争で脚気対策に失敗して、戦死者より多くの犠牲者を出した責任を感じて遺言したのだろうと推測しているが、私にはそうは思われない。

 鴎外は役人としての仕事にも文学哲学にもあふれるほどの自信を持っている。脚気の原因が分からなかったのは、世界的医学水準の程度の問題であって、鴎外・森林太郎個人の責任ではないと考える。ちなみに海軍の脚気による犠牲者が少ないのは、英国流の結果重視の現実的対処をしたためであり、医学水準が高いためではなかった。

 ちなみに鴎外と漱石の性格は全く相違している。鴎外は、外では自信たっぷりで居丈高そうだが、家庭では母にも奥さんにも可哀想な位、気を遣って暮らしていた。漱石は、沢山の私的な弟子がいて、聖人とも崇められるほどの有徳な人と見られているが、家庭では精神病を抱えて気難しいなどという程度のものではなかった。





F-2後継機の開発

 現在の防衛政策の課題のひとつが、国産戦闘機開発である。政府は、共同開発であっても、日本が主導となる開発をすることを発表した。しかし、実験機「心神」を実物大の実用機にするには、途方もない予算がいるから無理である。イギリスのテンペスト計画に乗るのでは、日本が主とはなり得ないから、日本の戦闘機技術の継承には無理がある。その後、F-35の追加購入が決まったから、F-35と競合する、主力戦闘機の新規開発は無理だろう。


 軍事研究2018年11月号に「日の丸F-35のお供に中国産JF-17はいかが」という文章が載った。JF-17を輸入するか、同程度の安ものを新造して数を揃え、ハイローミックスにするというのである。これは実現できれば妙案である。航空自衛隊は、旧式化した戦闘機やF-1などと同時に、最新の米空軍機を導入してハイローミックスをしてきたのである。しかも敵対するロシアや中共の戦闘機はF-35ですら、高度に過ぎる。ただし、JF-7の輸入は無理だから自主開発しかない。

 ところで先日初めて株主総会なるものに行った。IHIである。パンフレットにジェットエンジンのプロトタイプの自衛隊納入があったので、開発の段階と実用機搭載の見通しを聞いた。すると、2030年頃、F-2後継機に搭載予定と答えた。なるほどF-2後継機なら言われているし、2030年頃なら遅くても新戦闘機の試作機が完成していなければならない時期だろう。

 調べてみたら試作エンジンXF9-1は推力が、F-2の搭載エンジンより、ほんのわずか大きい。最初からF-2クラス用エンジンを狙っていたのである。F-2は結局、F-15並の高価なものになってしまった。前述のハイローミックスまでとはいくまい。しかし、心神の実用化型は最新ステルス機を狙っているので、F-35の輸入型よりはるかに高くなるだろう。

 政府はすでに、F-35輸入とは別に新戦闘機の自主開発、ないし日本主導の国際共同開発を公表している。そこで「主任設計者が明かすF-2戦闘機開発」と雑誌「JWings」令和元年8月号の日本の将来戦闘機特集を参考に、新戦闘機開発について考えてみたい。国際共同開発は、開発相手方が問題である。必要条件は中共やロシアのように敵対する可能性のある国ではないことである。また共同開発したものを相手国でも導入使用することである。この両者を満たすのは難しい。後者には、それなりの技術力と資金力が必要である。

 パキスタン、台湾やイスラエルは技術的可能性はあっても政治的に無理だろう。ヨーロッパでは英仏独伊は除かれる。各々独自開発やヨーロッパ域内共同開発があるからである。すると、スェーデンが残る。グリッベンはあくまでも第4世代だから、第5世代機は必要と考えられる。非西欧国家で航空機開発の実績があるのは、ブラジルくらいのものだが、実力は怪しい。

 米空軍は無理でも、F-35を導入せず、F/A-18を使い続けている米海軍があるが、艦上機である、という特殊性と、独自に飛躍的なものを考えているだろうから無理である。結局残ったのは、神田氏がF-2開発で述べているように、独自開発を模索することだろう。小生には共同開発の相手としては、独自開発を理想としながら結果的には米英の技術に依存しているスェーデン位しか考えられない。神田氏によれば、共同開発には言語の問題が相当なものであると言う。結局は英語を使うしかないのだろう。またスェーデンの場合、高速道路からの発進や山岳地への格納など運用上の特殊性がある、という日本とは相反する条件があるから、設計条件が具体的になると難点が現れると思われる。

 共同開発を諦めて自主開発にするなら、調達機数の不足も含めて、恐らくF-35の直接購入より高くても、能力はより低いところを狙わざるを得ない。共同開発にしても自主開発にしても、これまでの経緯から、エンジンはIHIが開発中のXF9の実用型を使いたいだろう。すると、機体規模はF-2と大差ないものとなる。盛り込むべき新技術については、JWingsの特集号に書かれているので省略するが、あくまでもF-35を補完するものとして、コストの削減を考慮すべきと思う。

 小生は、工学の最低限の素養はあっても、軍事や航空工学については専門外なので、ここではF-2後継機の内容よりも、気になる米国の圧力について考えてみた。F-2は政治的圧力によりF-16ベースとなった。F-2後継機についても同様なことが考えられる。最近になって、F-35はノックダウンすらやめて、直接輸入にしたことと、F-35の購入機数も増加したことが気になる。これは単に安倍政権が、トランプ大統領に阿って赤字削減策としただけなのだろうか、ということである。

 希望的観測をする。何回も言うがその少し前から政府は新戦闘機は国内開発ないし、日本の主導による国際共同開発、ということを発表した。しかし、それに対するアメリカの風当たりがあまり強くないように思われるのである。これは新戦闘機の開発方針が、F-35の購入とセットになっているのではなかろうか、と想像する。つまり、F-35の輸入拡大の見返りとして、米国に日本主導の新戦闘機開発を許容させたのではないか、ということである。

 このような取引はまともに考えれば屈辱的であろうが、世界の軍用機開発の現状や日本の戦闘機開発の技術力の維持と言ったことを、長期的総合的に考えれば、許容すべきものではなかろうかと思う次第である。新戦闘機開発の方針は令和二年に決定される予定である。小生の希望的観測が当たることを願う。もっとも小生の希望は滅多に実現しないと言うジンクスがあるのだが。




共産主義国家という語義矛盾2

 前回の「共産主義国家という語義矛盾」では、マルクス・エンゲルスの発明した共産主義は、アナーキズムであると言った。これを敷衍して見よう。共産主義体制を「ソ連」で実現したのはレーニンである。だから共産主義を今では、マルクス・レーニン主義ということが多い。ところが、マルクス・レーニン主義は、共産主義国家建設と言う必要性から、マルクス・エンゲルスの発明した共産主義から決定的変貌を遂げた。

 マルクス・エンゲルスの発明した共産主義とは、あくまでも労働者が支配する世界で、全世界で実現したあかつきには、国家というもののない世界であったはずである。国家の指導者が即労働者であるはずがないからである。共産主義をアナーキズムという所以である。つまり国境のない世界を目指したのである。そこでレーニンらが発明したコミンテルン、という組織である。コミンテルンを世界各国に組織し、共産主義革命を起こし、順次ソ連邦に加盟させ世界を共産主義社会にしよう、というわけである。理想主義は狂気と紙一重である。レーニンは本気であったのかも知れない。理想主義は現実には実現しない。レーニンとスターリンの狂気は、粛清と国民の大量殺戮という点では変わりない。

 結局コミンテルン工作は理論倒れに終わった。反共の国も根強く、第一次大戦で敗北したドイツですら、共産主義革命は起らなかったのである。この現実を目前にしたレーニンたちは、一国社会主義、という理論を発明した。世界中が共産主義社会にならないのなら、ソ連だけでも社会主義を実現しよう、という「現実主義」を取ったのである。そして逐次ソ連邦に編入して、社会主義を拡大していこう、というわけである。

 ただし、共産主義への理想は全くのまがい物になったわけではない。ソ連ではマルクスの「宗教は民衆のアヘンである」という教えに従って、宗教を弾圧した。ロシアでは強固なロシア正教があり、ソ連に組み入れられた共和国にはムスリムも多かったにもかかわらず、である。しかし、一国社会主義という概念はレーニンやスターリンに結局は悪用された。

 抑々「ソビエト社会主義連邦共和国」という名称が世界史的には奇妙なものである。ソビエトとはロシア語で「評議会」という意味だからである。多くの国家の名称は、地域名や民族名、あるいは清朝のように理念を現す言葉を淵源としている。それを普通名詞である、ソビエトという名前を冠したのである。このことがソ連邦の発端が、アナーキズムであることの傍証である。

 しかし、そのことは現実には、周辺諸国を侵略するという帝国主義としかいいようのない膨張政策を合理化していったのである。今は独立したバルト三国は、全く同時期にソ連邦への「編入」を申請して了承された、という形をとって侵略されてしまったのである。その昔の旧ソ連時代の頃に、バルト三国を百科事典で調べたところ、三国が幾日も間をあけずに、次々とソ連邦に参加を申し入れたと、何のコメントもなく書いているのに唖然とした。その百科事典には日本の「中国侵略」に対する悪罵で満ちているにもかかわらず、「ソ連によるバルト三国侵略」とは絶対に書かないから、ひどく矛盾に思ったのである。

 このようにソ連邦と言う名称は、アナーキズムとしての共産主義を象徴しているにもかかわらず、現実にはソ連の帝国主義的覇権主義を合理化するものとなっていたのである。中共の場合はさらに狡猾である。はなから世界の共産主義世界の実現などは考えていない。単に清朝領土の継承と、さらなる領土領海の拡大を目指しているだけである。それが、前項で述べたように国家資本主義であろうと、国家社会主義であろうと、方便として有効なら何でもよいのである。毛沢東から鄧小平への経済政策の大転換は、今から思えば不思議ではない。経済政策などは方便に過ぎないからである。

 ソ連が内にロシア正教やムスリムを抱えているのに対して、中共の特異性は、支配民族たる漢族は、これらに比べれば無宗教に近いのである。儒教、道教といったものは、ロシア正教やイスラム教に比べれば宗教的色彩は薄い。しかし、今後注目すべきはチベットやウイグルと言った、明確な宗教を持った民族を植民地化していることである。また漢族内部にも回民と呼ばれるイスラム教徒を抱えている。これらの異教徒はいつの日にか中共を支配する漢族を脅かす。中共が法輪功を弾圧するのは、その恐怖に慄いているのである。現在のロシア共和国ですら、共産主義を脱したことになってはいるが、イスラム勢力は看過できない。

 付言するが、ロシア革命はマルクス・エンゲルスの思想からばかり生まれたのではなく、フランス革命の狂気を直接の契機としたという説(渡辺京二氏など)は根強い。いずれにしても、現実の闘争にマルクス・エンゲルスの思想は利用し尽くされたのである。




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My Opinion




書評・主任設計者が明かすF-2戦闘機開発 神田國一


 本書は最新の技術開発がいかに行われるかに興味があって読んだが、結果的に裏切られないどころか、近世以来の日本人による技術開発についての本質をついた記述があったのは貴重であった。

 F-2は日本独自開発を米側の要求に屈して、米空軍のF-16をベースに改造することで開発されることになったのだが、本書によれば、そんな単純なものではなかった。F-16の初期のデータはもらえたが、肝心の技術情報やその後の試験等の技術データは開示されなかった、というのだ。要するに姿・形は教えてもらったのだが、それを裏付ける技術データは非開示であった、ということである。その逆に日本で独自開発された複合素材などの新しい本機への適用技術は全て米国に提供された

 冒頭の近世以来の日本人の技術開発についての本質は、筆者の次の言葉が的確に言い表している。

 「不遜な言い方かもしれないが欧米で実現している技術は、技術資料はなくても、必要な資金と『できたという正しい情報』があればすくなくとも類似の技術はできる(P196)

 まさにその通りである。だから技術情報の開示はなくても、どんな技術が盛り込まれているかという答えだけ、を知ることが出来れば、同技術レベルのものは開発できるのだ。だからF-16のそっくりさんであっても、中身は独自開発と同じことなのである。

 それで思いつくことがある。戦後自衛隊が開発した最新技術の飛行機には、常にそっくりさんがいることである。付言するが、レシプロ機からジェット機に移行したことによって、戦闘機などの外観形式の自由度は大幅に拡大した。同じ要求仕様でも、外観形式にはかなり選択の幅が大きくなったのである。そのことを前提に以下を読んでいただきたい。

 T-1練習機はF-86の、T-2はジャギュアの、T-4はアルファジェットのそっくりさんなのである。これは悪く言えば、開発側の自信のなさの現れとも言えるが、同時に技術水準の高さをも表している。

 多くの日本の専門家は、これらの日本製の機体が、外国製の同時代機のそっくりさんであることを認めない。果ては、同じ要求使用に基づけば、同じような外観になるのは当然とすら言い切る。これが間違いであることは事実が証明している。例えば同じ要求仕様に基づいて作られた、YF-22とYF-23は全く外見の配置形状が全く違う。似ても似つかないのである。YF-22が採用されたのは、必ずしもその相違に拠るものばかりではなく、出来上がった試験機のテストの総合結果の優劣に拠るものであったろう。しかし、両機とも同じ要求使用に基づいていたのである。

 日本ですらT-1開発の際に各社が応募した設計の概観は各社全く異なるものだった。しかし、採用されたのは、F-86に似ているが、後退角を少なくしてリスクを減らしたものだったのである。これならば後退翼と言う新技術を無難に習得できるからである。脱線したが、多くの自由度があるなかで、過去にある外国機の概観を真似るのは、技術的にはコピーではないが、その方が日本国内での説明が容易なのである。

 その点で、最初からF-16改造、という条件が与えられた方が、設計者の心理的負担は少ない。どういう外観形式を選択するか悩む必要はなく、似ていて当然だからというわけである。だからといって、設計者の労力負担が少しでも減るわけではない。そっくりでも技術資料がなく、同等のものを作るには、結局自前の技術がなければならないからである。コピーと簡単に言うが、実物だけ与えられて同等のものを作れるのは、同等の技術が必要となる。

 幕末に黒船が来ると、いくつかの藩で独自に工夫して蒸気船を作った。製鉄のために反射炉も作った。しかし、そこまで到達するには、欧米の技術にキャッチアップする自前の努力があったのである。その点当時の清国は違った。定遠などの巨艦に見られるように、いきなり外国製のものを買ってきて、自前の技術の涵養に努めなかった。日本は、日露戦争当時、最新式の軍艦は輸入に頼ったが、、二線級の軍艦は、自前の技術水準で追いつくことができる国産としたのである。

 その後金剛級を、英国製と日本製のものに作り分けることによって、国内技術を涵養した。タービン技術はかなり後期まで、外国製の技術に依存することが多かったようであるが。これらの国内技術の育成が、大戦末期に設計ノウハウもない図面だけで、自前のターボジェットを製造するに至ったのである。清国の安易な輸入方式は現在までも、中共の製造業の特質を現している。中共は自前の技術の養成に努めないから、現在に至るまで、製造の基礎技術は低い

 F-2はそれまで培った技術の蓄積があったからこそ、F-16のろくな技術資料の提供も受けずに「F-16改造」と言われるF-2を完成できたのである。

 かの零戦も同様である。米国の事情聴取に対して、設計主務の堀越二郎氏は、外国製のものから多くのものを得たことを告白している(前間孝則氏による)。しかし、堀越氏の著書では一切触れない。しかし、たとえ外国製のコピーに等しいと言われようと恥ずべきことではない。それだけの技術の素地があったからこそ「コピー」できたのである。零戦の榮エンジンも同様である。英国のジュピターの国産化から始まって、米国エンジンの技術も取り入れながら熟成していったのが、榮エンジンであった。

 ここに日本の技術開発の欠点と言うべきものが垣間見える。本書の著者が言うように、新しい技術の「できたという技術情報」は必要なのである。換言すれば、新開発する戦闘機に盛り込むべき技術は、米国の技術動向の情報が必要なのである。この点に関しては、次期戦闘機に盛り込むべき技術の研究が、防衛省の指導の下に研究されていると伝え聞く。技術の素地はあるのである。だがそれらは、現在の欧米の技術動向の応用の範囲であって、全くの先鞭をつけるものではない。

 F-2の場合は、日本でも複合素材の使用などいくつかの、新技術があったことは明るい情報である。複合材料技術は日本の技術開発の成果が、米国に移転することによって世界に普及し、いまや民間旅客機の技術としては当たり前のように普及しているのである。

 余談だが、スウェーデンのグリッペンは意外なしろものだったことを本書で知った。姿形こそ独自であるが、実はスウェーデンは細部設計と主翼の開発は、イギリスのエアロスペースへ外注し、米国のリア・シーグラー社に飛行制御コンピュータソフトを委託し、アビオニクス等は多くが米国製品の輸入だそうである。外見だけF-16のそっくりさんのF-2が、中身が日本の自前であるのに対して、独自のスタイルをしているグリッぺンが、そのほとんどの技術を米英に頼っていたのである。

 レシプロ戦闘機の時代から、ジェット機まで数々の戦闘機を国産開発してきたスェーデンが、いつの前こんな仕儀になってしまったのであろうか。恐らくは費用の問題が最大のものであろう。ハイテクの塊の新鋭戦闘機の開発を現在まで自前で行ってるのは、ロシアだけであろう。それも実用化に達しているのは、一世代前のSu-27系列のものまでであり、他の国はほとんどが国際共同開発である。

 スェーデンが独自の国内開発をしていると思ったら、何と自前なのは外観だけだったのである。フランスのラファールについては情報がない。スェーデンのやり方では、飛行制御に不具合が起きたり、今後の性能向上等を行う場合には、大いに支障が出るに違いない。日本の新戦闘機の開発に当たっては、様々な困難が予想されると著者が考えるのは当然である。困難には、著者が再三述べる技術の継承の問題も大きいことも付言する。本当に肝心なことは防衛機密だから書かれていないのだが、航空技術や軍事に興味のある人ばかりではなく、技術者一般にも一読の価値がある、と考える。




やはり中国は西洋化した


 以前、中国は皇帝制度を廃止してから変質した、という小生の意見に対して、毛沢東は世襲には失敗したが、結果的に集団指導体制の中から「皇帝」を選ぶシステムに移行して、かえって実質的な皇帝制度の安定的存続には成功したのではないか、というご意見をいただいた。これは「皇帝制度」の存続にはかえって有利である、という点において大いに貴重な意見であると考える。


 ここでは、その点はさておく。ここでは、現代世界が実質的に西欧的な価値観が基本である、という観点からすると、いかに中国が抗おうとも結局は、西欧的価値観に取り込まれて、その中であがいているのに過ぎないのではないか、という直観的発想をした。一番分かりやすいのが科学技術である。現代世界の科学技術の基本は、全て西欧発のものである。

 かつては支那大陸もイスラム世界も独自の科学技術を持ち、西欧に比肩するどころか西欧を凌いでいたのである。ところが、ニュートン力学をはじめとする西欧の科学技術が急速に台頭すると、数式などによる表現力と、構造計算などの普遍性により、急速に世界を制覇していった。なかでも、それまでの風力や水力といった、自然の力を使っていたものから、蒸気機関や内燃機関などの人為的動力の発明は大きい。また構造物の設計にも、それまでの経験だけに頼っていた手法から、数値による強度計算が可能となったことも画期的である。

 もちろん西欧科学技術も、インドやアラビア世界の発展的継承であることは言うまでもない。しかし、その発展の質が画期的なのである。

 もし、西欧の体系的理論化がなければ、コンピュータ、自動車や飛行機などといったものは、人類は永遠に発明しなかっただろう、とさえ思わせる次第である。例えばライト兄弟より早く「飛行器」を着想したといわれる二宮忠八も、搭載する動力を得られず頓挫したというに等しい。結局、日本も中国も、その他の地域も西欧発の文明に席巻されていった。しかし小生には、中国だけは、日本を含むその他の非西欧地域とは、対処の仕方が違うように思われる。


 日本は皇室を権威とし、政治権力とは分離する、西欧で言えば立憲君主制に相当する国家を変化させはしなかった。イスラム諸国もイスラム教を国法とする体制に固執して揺れながらも、西欧と抗っている。確かに中国も欧米と抗っている。しかし、その抗い方は西欧の物まねでしかないように思われるのだ。政治体制は恐怖と弾圧と殺戮というソ連の共産主義の物まねでしかない。チベット、ウイグル、内モンゴルでは、民族浄化と言う、米国がネイティブアメリカンに行った政策を実行しつつある。アフリカなどの発展途上国に対しては、一帯一路なる「新植民地主義」政策による強奪外交を展開している。

 科学技術は西欧のコピーどころか、西欧の資本を利用したコピー以下のものでしかない。だから外国企業がいなくなれば「中国製造」さえ不可能となる浮薄なものでしかない。製造設備が老朽化し、部品の補給が外国からなければ製造は止まり、それに代わる改良された製造設備に自ら更新することはできない。製造工程すら、日本や欧米諸国の指導を仰がなければ継続生産できなくなる。つまり現代中国とは、欧米の政治、経済、科学技術のあらゆるものが、悪しき欧米の物まねである。

 現在、その悪質さに気づいた米国をはじめとする諸国により、敵対的対応をされつつある。中国が敵視される悪質さは、西欧的手法の悪しき安い物まねでしかないからである。その根源は常に周辺民族から支配されて変転極まりない王朝を連綿として仰いできた「漢民族」の唯物的価値観にあり、本質的に伝統と継続性、さらには発展性と言うものを持たない政治体制をいただいてきたことにあるのではなかろうか、と考える次第である。




〇東條英機論考


 雑誌「丸」の連載「数学者の新戦争論」(渡部由輝氏筆)の平成30年10月号に「東条英機論」がある。東條英機に対する批判論の典型なので、まずこれについて論じる。揚げ足取りから始める。タイトルの東条からして変である。故意に東条と書かれている。それに筆者の偏見が現れているとしか考えにくい。小生の苗字も旧字が含まれているが、普段は略字で済ますが、役所への書類ばかりではなく、真面目に書くときには略字には絶対にしない。だから筆者は故意に侮蔑感を込めて略字にしているとしか思えないのである。そうでなくても不快である。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」は、敢えて正字の龍を使わないのは、ノンフィクションではなく、フィクションの小説だからである、と言う説があるがその通りであろう。人物の漢字表記とは、かくも重いものと考える次第である。

 タイトルの横に要約が書いてある。曰く。

 点取り虫で戦闘経験も人望も大局観もなかったと酷評される東条英機首相だが、逆に私利・私欲なかった!

 戦闘経験がなかった、と言う点はいいがかりも過ぎる。本人が戦闘に参加することを拒絶したというのならともかく、単に戦場に行く機会がなかったのに過ぎない。東條は主として軍事官僚と政治家としての道を歩んできた。その見識について戦闘経験がなければならない、と言う道理はないのである。

 山本五十六は日露戦争で、指を失うという戦闘を経験している。しかし、その結果山本が軍事に対する大局観があったとは言い難い。永年つちかってきた海軍のドクトリンを突如変更して真珠湾攻撃を強行した。装備、編成、訓練、作戦計画は、そのドクトリンに基づいたものだった。変更するなら、それらの装備、編成、訓練、作戦計画を有効活用するものでなければならない。現に米軍は、長い年月練ったオレンジ計画を対日戦の基本としたのである。真珠湾攻撃への批判は最近とみに強まっている。山本は緒戦の大戦果に浮かれた挙句、ドゥリットルの本土爆撃に狼狽して、ミッドウェー作戦を強行して失敗したにも拘わらず、責任をとらないどころか、敗北の秘密を知る兵卒を苛酷な戦場に送り込んで糊塗した。戦場経験がどこに生きているのであろうか。それならば、今の防衛省制服組の幹部は皆無能であるというのか。

 本文の批判に入る。努力して勉強して成績が良くなったというのだが、「その努力とはひたすら教科書の内容を暗記することであったらしいから・・」点取り虫であったという。維新前の教養とは、ほとんど四書五経などを丸暗記することから始まる。しかし、吉田松陰らの見識はそれにとどまるものではなかったことはよく知られている。過去の知識は絶対ではない。しかし、先人の経験を吸収することは絶対的に必要である。問題はそこにとどまるか否かである。東條が単なる軍事官僚の域を超える人物であったことは、後で例証する。

 渡部氏自身が「戦時における名宰相も教育や修業では作れない。自然に生まれるのを待つしかない。」と書いているではないか。がり勉であろうとなかろうと、名宰相は自然に生まれると言っているのと同然ではないか。かといって、教育や修業はいらない、と言うのではあるまい。渡部氏は桂太郎の軍歴とそれに陶冶された人徳を称賛している。それは是とする。しかし、戦場経験のない人格の陶冶も、戦時における名宰相を生まないとも言えないのである。「自然に生まれるのを待つしかない。」というのはそのことを言っているはずである。

 渡部氏は保阪正康氏の「東条さんのためなら・・・」という部下や同僚は全くといっていいほどなかった、という酷評を取り上げている。大東亜戦争の意義を全く認めない、保阪正康氏なら言うであろう。それなら言う。東條の人物を知るためには赤松貞雄氏の「東條秘書官機密日誌」が最適である。赤松氏は、東條さんとの十五年間(P30)という項のはじめに、こう書く。読者に対する注意書きである。

 「東條さんはすでに歴史上の人物としてクローズアップされ、多くの人によって論ぜられ、今後ともさまざまに発表されるであろう。その発表された内容が果たして真実であるかどうか、私の述べている内容と食い違いがあった場合、果たして私の述べていることに確実性があるや否や、果たしてどちらを信用してよいか、という問題が起るかも知れない。このような場合に、正しく対処したいからである。」

 として、氏の東條との関係が、昭和三年の氏の青年将校時代から、首相秘書官を経て、東條刑死まで続き、家族以外では東條を最も知る人物であると述べる。ここまで熟考した文章なのである。渡部氏のように、軽薄な人物評価が出ることなどは、予想の上で、信用してくれ、と語りかけるのである。赤松によれば東條は、尊皇・忠誠の人であり、責任感が旺盛で、行政手腕抜群、人情に厚かったと言うのである。何よりも赤松が東條の人物を慕っているのである。

 この一文の中には、ゴミ箱を見て廻ったことをはじめとする、東條を批判する多くの逸話が語られており、これらが誤解であることを東條の真意を持って逐一説明している。これらのことは同書が、東條がいかなる人物であったかを知る最適なものであることを説明している。小生は同書を東條の事績を例証するためには引用しない。あくまでも人物評である。赤松氏は近くにいただけで、必ずしも東條の見識を示す事績の全てを知っている訳ではないのである。渡部氏はこの書を読んだのであろうか。もし読んだのなら如何なる根拠を持って赤松氏による人物評を覆すと言うのだろうか。軽薄と言う所以である。

 なお、同書の題名と本文の見出しには「東條」と正字が使われているのに、本文の文章にはことごとく「東条」とされている。これは、常用漢字を使用しました、と出版社による断りが入っている。発刊当時、既に物故していた赤松氏の本意ではないのである。なお同書の、「はじめに」と「解説に代えて」が半藤一利氏であるのは意外な気がする。しかし、半藤氏の赤松評価は極めて高い。その赤松氏の東條評がかくなるものなのである。残念ながら赤松氏の本は、国会図書館やインターネットを調べる限り、昭和60年の初版以降再版もされなければ、文庫化もされていないようである。小生の蔵書が見つからないので、急いで図書館で借りて再読したが、何と今ではあり得ない図書カード付の古本だった。

 戦場経験もなく、人望もないという説を2ページ近くも費やしておきながら、あげくに渡部氏は「・・・実戦経験など、戦時宰相たる者のそれほどの必要条件ではないかも知れない。人望も絶対の条件ではなかったりするのかも知れない。ときには国民一般や周囲のことごとくが反対しても『千万人といえども我行かん』の気概で押し切るような我の強さも必要だったのかもしれない。」というから呆れる。ただし、それには大局観の裏付けが必要である、というのだ。

 東條には大局観がなかったといって例証するのは、「太平洋戦争」では①長期戦は避ける、②英米側につくか、枢軸側につくかの選択である、という。

①は石油を米国に八割も頼っている日本が、アメリカと戦争しようとすることが誤っている、というのだ。これほどの誤認はあるまい。しかし、これがすんなり受け入れられるほど、現代日本の常識は狂っている。東條の陸軍は対米戦ではなく、対ソ戦に備えていた。これは現実の問題として必要であり、現にソ連は中国赤化のために、中国自身ばかりではなく米国や日本の中枢にも謀略を仕掛けていた。対ソ戦略は必要なものであり、武備あっての対ソ戦略である。そのために満洲国は、現地住民の支持もあって成立したのである。

 反対に対米戦に備えていたのは海軍の方である。海軍は陸軍のように戦略によってではなく、壊滅したロシア海軍に代わる仮想敵として、建艦予算獲得のために対米艦隊決戦を想定していたのである。だから海軍中枢は対米戦をしたくないと考えていた。実際問題として政府、陸海軍ともに対米戦は絶対に避けたいと考えていたのである。にもかかわらず、日本の国内事情だけが原因で対米戦が発生したごとく言うのは、東京裁判史観の偏狭な観念の典型である。最大限譲歩しても、米国は裏口から対独戦参戦のために、対日戦を欲していたのが定説である。既に米国がソ連の陰謀も含めて、対日戦を望んでいたことは常識となりつつある。日本と戦争をしたかったのはアメリカであって日本ではない

②は①で述べたように、英米につくという選択肢はなかった。英米ともに公然と中国に武器支援していて、実質的に日本と敵対し挑発し続けていたのは明白だった。どちらかを選択しろと言うなら独伊しかなかったのである。海軍が一時三国同盟に反対していたのは、英米への親近感や外交戦略によるものではない。三国同盟は、日独防共協定の延長で、ソ連と敵対するはずのものであった。すると対ソ戦に備える陸軍が、予算獲得上有利となる。それで反対したのである。

 だから、独ソ不可侵条約が突如結ばれると、三国同盟にソ連参加の可能性が出る。つまり、対ソ戦はなくなり対米戦向きになる。だから海軍も三国同盟に賛成に転じたのである。海軍の動きは全て「予算獲得」という典型的官僚発想のポジショントークである。それに石油を絶対的に必要としていたのは海軍であった。石油を米国に頼っているのに、東條が石油のために対米戦を行うのは大局観がない、と批判すること自体が見当違いなのである。

 東條が陸軍大臣として対米開戦を主張したのは、日本がアメリカに散々追い詰められ、このままでは日本が戦うことなく滅びる、と判断したからである。だから東條は、自分が首相に任命されたのは、天皇陛下の対米開戦回避の意向によるものであったことを知ると、開戦回避に全力を尽くした。しかし、対日開戦を望む米国の苛酷な挑発に政府は全力を尽くしたが甲斐なく、御前会議で対米開戦を決定すると、天皇陛下の意にそむくことに追い込まれたことを悔いて、東條は自宅で嗚咽した。このような官僚がどこにいようか。

 一方の山本五十六は真珠湾攻撃の成功に舞い上がり、ドゥリットルの本土空襲に慌てふためいて、ミッドウェー作戦を強行したことは前述した。ミッドウェーで空母の被弾が次々と報じられると、またやられたか、とうそぶいていたと言う。指揮義務放棄である。このような説は、敗北にも泰然自若としていたと言う神話作りとしか考えられない。この言説は山本批判の人士ばかりによるものではないからである。このような指揮官がいるものか。本当とするならば東條の誠意とは対極にある。

 渡部氏は東條の大局観のなさとして、「東条はガダルカナルの惨状を知らされておらず、そのためビルマ作戦を承認し、戦況をさらに悪化させたと戦後になって述懐しているがお粗末すぎる。参謀本部の『雰囲気』でそのことを洞察しなければならない」と述べるのだが、あまりに東條に万能を求めている。東京裁判史観の持ち主が、日本人や日本軍にだけ、世界史上あり得ない完全無欠を求めて止まないことに類する。

 そもそも無理筋のガダルカナルに固執したのは海軍であり、山本五十六は航空戦史上初めての、無理な遠距離飛行による作戦で、大量の艦上機と搭乗員を無駄に損耗し、後の敗戦に繋がった。後の米軍ですら、日本本土空襲の援護戦闘機も、相当な無理をしていたのである。海軍が当初の大本営決定の作戦範囲を逸脱して無限に戦線を拡大したのが、最大の敗因である。海軍は米軍に対する補給阻止も、輸送船の船団護衛も適切に行わず、ガダルカナルを餓島とした張本人である。ガ島で陸軍兵士が餓えている最中に、それと知りながら、フルコースの食事を満喫していたのは山本五十六その人であった。もっともそれは、英海軍の真似をした海軍の伝統に従っただけなのである、と弁じておこう。

 自殺の失敗問題である。東條は連合軍による拘束が迫ると、自殺を図ったが失敗した。「みっともないことこの上ない。」「わが国においては古来、武人たる者の最低限有すべき『覚悟』であった」とし終戦時自決した、政府・軍関係者は10名以上であり、東條だけが失敗した、と酷評する。

 いちゃもんから始めよう。終戦時自決した、政府・軍関係者は10名以上どころではない。桁を間違えている。氏は、著名人だけを数えたのであろう。終戦時自決した人々は民間人もいるし、一兵卒もいる。靖国神社に東條英機の魂が祀られている。遊就館に行って遺影を見るが良い。東條英機の隣には一兵卒の遺影が飾られている。英霊の魂には大将も一兵卒にも区別はないのである。

 そもそも東條は、連合軍がしかるべき手続きを踏んでくるならば、自決するつもりはなかった。戦陣訓は政治家であった東條には適用されない。東條は、正規の手続きを踏んで米国が要請するなら出頭する覚悟であった。反対に無法にも連合軍が押しかけてくるなら自決するつもりだったのである。筋はしっかり通っている。自決とそうでない両方の心境を保持するには強靭な意志がいる。どうせなら自決した方が楽だったのである。失敗したのは、東條を晒し者にするために米軍が瀕死の東條に大量の輸血をして助けたからである。拳銃は切腹より確実な自決の方法である。大西瀧次郎は切腹して介錯を拒否したから、十数時間生きて果てた。助ける者がいれば生き残ったのである。大西の最後は立派であった。

 結果から言えば東條は、恥をさらして生き残ることによって、昭和天皇を守り日本民族を救った。我々は感謝すべきである。東京裁判なるもので弁舌を尽し、日本を擁護した後、処刑された。殺害された、というべきであろう。東條自身は、戦争犯罪人であることは拒否し、開戦時の政治責任者として国民に対する責任をとるべく死んだのは遺書に語られている。その従容とした死は、決して一時の修練でできるものではない。生涯に渡る陶冶のなせるわざである。みっともない、とはよく言えたものである。もっとも東條は後年国民からこのような悪罵をあびせられることは覚悟の上であった。

 渡部氏の「東條には私利私欲がなかった」という点に関しては些末なので省略する。小生は数学者の東條英機論だというから、意外な論点を期待したのだが、実際には巷間に溢れている東條批判論を敷衍したのに過ぎないのには、正直がっかりした。


◎東條の大局観

 それでは、小生の見る東條の大局観について例示する。これらは、単なるがり勉の官僚発想からは絶対に生まれ得ないものである。海軍の中枢で一人としてこのようなものがいたか。陸軍の石原莞爾は大戦略を持って、満洲事変を実行した。しかし、本人の意に反して軍律違反の責任は取り得なかった。それで後に後輩の華北政権の樹立を制止すると、満洲事変を起こした人が、と言われてぐうの音も出なかった。小生は石原の思想や戦略を評価する。しかし石原にはその思想と戦略を実行する力には、最終的には欠けていた、と言わざるを得ない。戦時中の会見で東條を石原が面罵したのは有名である。しかし、石原には面罵した所以を実行する力は既に持たなかったのである。理屈で勝っただけである。

 まずは大東亜会議の開催である。詳細は深田祐介氏の「黎明の世紀」を読まれたい。東アジアの国と多くの欧米植民地の代表を集め、東亜の自立を宣言したのである。英米の大西洋憲章が、これらの地域の独立を認めないインチキなものであるのに比べ、大東亜会議は実のあるものであり、戦後のアジア諸国の独立に直結している。

 提案したのは、重光葵であるが、それに賛同し実現に奔走したのは、東條英機その人である。東條がいなかったら実現しなかったと言っても過言ではない。だから東京裁判史観の持ち主は故意に大東亜会議を過小評価するし、渡部氏は触れさえしない。知らないとしたら東條を論ずる資格はない。

 次はユダヤ人問題である。ナチスのユダヤ人迫害に対する日本人の救出は、外務省の杉原千畝が有名であるが、陸軍の樋口季一郎は、安江大佐とともに亡命ユダヤ人救出に奔走した。当時の東條関東軍参謀長は外務省の方針に従って、ユダヤ人脱出ルートを閉鎖しようとした。しかし、樋口が説得すると方針を一変し、全責任を取るとして脱出支援を承認したのである。当時日独防共協定を結んでいた、ドイツ外務省の抗議に対して東條は「当然による人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。満洲ルートによる亡命ユダヤ人は3,500余人に及んでいる。これは東條の決断なしには実現しなかったものである。

東京裁判における東條自筆の宣誓供述書である。東條の大東亜戦争に至る歴史的見識がなみなみならぬものであることは、この宣誓供述書を読めば分かる。ほとんど資料もなく、筆記具もままならない中で、宣誓供述書を書いたのである。小生は、昔本文だけ出版されたものを買って、要約のメモを作ったことがある。最近では、解説付きも出版されているから便利である。よく読んでいただきたい。

 インパール作戦は大東亜戦争でも無謀な作戦の典型とされている。しかし、英軍の指揮官によれば、日本にも勝機があったのである。しかし、空挺作戦と言う奇策がこれを打ち砕いた。チャンドラボースは、作戦中止しようとする日本軍に最後まで抵抗した。英霊に礼を言いたい。インパール作戦の犠牲は無駄ではなかったと。対英戦に参加したインド国民軍(INA)の将校たちを、戦後裁判にかけようとするとインド全土で暴動が発生し、手に負えなくなった英国は独立を承認した。インパール作戦は歴史を変えたのである。それを見ることなく航空事故死したチャンドラボースの遺志は貫徹されたのである。

 そのことは現在に至るまで、日印友好関係として、日本の外交戦略を助けている。もっと早くインパール作戦を発動しようとしたのに、補給の困難を理由に反対したのは、他ならぬ牟田口廉也である。東條はチャンドラボースの熱意にほだされて、ついにインパール作戦を決断した。がり勉の官僚的発想ではない。現在の外交にまでつながる大局観があったのである。偶然ではない。そのことは次の例でも示す。

 関岡英之氏の「帝国陸軍知られざる地政学戦略」には次のようなことが書かれている。すなわち「・・・一九四三年、西川は張家口領事館の調査員という肩書で、東條英機首相の『西北シナに潜入し、シナ辺境民族の友となり、永住せよ』という密命を受け」たというのである。西川はそれを実行したが、日本敗北の報を受けても日本には帰らずモンゴル人として、チベット、インドなどを放浪し、一九四九年にようやくインド官憲に逮捕、日本に送還の上、GHQに移された。命令した東條もすごいが、究極の任務遂行を続けた西川もすごい。

 東條の命令は、当時陸軍が構想していた、地政学的ユーラシア戦略に基づくものである。それは、モンゴル、東トルキスタン(ウイグル)の独立を支援して、東アジアの共産化を防ぐというものである。この構想を関岡氏が取り上げたのは、現在にもつながる雄大な構想だからであろう。現在の日本の政治家でこのような構想を発想する者はいない。今後の日本や東アジアにとっても参考になる構想である。その一環を担おうとしていた東條には、大局観があったと言うより他ない。

 東條がメモ魔であり、細かいことに気付く人であることは、遺族自身が認めている。欠点として指摘されることが多いが、決して偏狭な軍人・官僚ではない。次男の輝雄氏には軍人になるよりは、技術者となることを薦めている。同じ航空技術者として三菱重工で輝雄氏の上司として働いた堀越二郎氏が、組織人として不適格で、零戦の名声にもかかわらず、三菱での評価に恵まれず退職したことに比較すると、輝雄氏は三菱自動車の社長、会長までのぼりつめた。輝雄氏は「A級戦犯の息子」として出世競争に重大なハンディキャップがあったのにもかかわらず、である。小生は父東條英機の薫陶による人徳の故と信ずる。

 巷間の東條英機批判論には、先の赤松氏がはやくも予測したように、ためにする悪罵に満ち溢れている。高評価するのは、故岡崎冬彦氏位しか寡聞にして知らない。この洗脳の厚い皮を剥ぎ取るためには、理性による克服が必要である。昭和天皇の英明は言うまでもない。従って小生は、第一次大戦以降の日本の歴史上の人物で、東條英機を昭和天皇に次ぐ人物と評価する所以である。




複製第二次大戦機はエンジンのコピーはできない

 今、日米露の三国で、商業ベースで第二次大戦機のコピーがさかんに行われている。米英機は、実物のレストアがあるから、対象となっているのはあまり聞かない。そこで対象となるのは、日独露の第二次大戦機が多い。手法としては、実物を分解して、内部構造まで寸法を測って再現するリバースエンジニヤリングというものが使われているものが多い。しかも本物のエンジンを積んで飛行可能なのが原則である。

 中には、ほとんど壊れている機体の一部を流用しているものさえある。特にロシアの場合は、販売目的でコピー機を造っているから趣味の領域ではない。何年もかけてコピーしては売るのだが、計器などの小物部品を別として、絶対コピーできないものがある。それはエンジンである。

 機体は、相当精密にコピーしているにも拘わらず、エンジンはコピーできないのである。そこで使われるのは、米国製エンジンで大量にレストアされているエンジンである。Me-262のようなジェットエンジン機などは、新しいエンジンでも現在でも生産されているから、寸法さえ合えば使える。当時のエンジンより小型、大推力だから外形にフィットできる。

 問題はレシプロエンジンで、レストアされているものから、寸法の合うものを使うしかない。現在では小型機用のレシプロエンジンは作られていても、大馬力の空冷星形や液冷のV12エンジンは作られていないのである。

 零戦のエンジンはP&W R-1830が使われている。大東亜戦争末、零戦に金星エンジンを搭載する際に、直径が大きいことやエンジン袈の寸法構造が違うことが問題にされたごとく書く記事を見かけるが、R-1830は金星より直径は大きく、エンジン袈の寸法構造が全く異なる。

 それを米国人は何の問題にもせず、平気で取り付けている。零戦の榮エンジンは、馬力向上後も、直径は変わらないので、幅に関しては二一型でも五二型でも直径は同じであるが、側面形は大分異なっているから面倒そうであるが、再生機は二一型でも五二型でも同じR-1830をつけて、直径の差はカウリングの形状処理で誤魔化してしまい、あまり違和感なく、済ませている。零戦の金星エンジン換装には、その程度の困難さもなかったのである。

 問題は、エンジンのコピーの困難さである。メカニズムのコピーができないのである。機体のメカニズムの部分とは何か。要するに動く部分の事である。機体で動くものと言えば、風防と舵とフラップ、引込み脚位である。この四つの要素はシンプルかつ相互に関係がない。舵やフラップはヒンジとピンで回転し、それをワイヤで引っ張って動かすだけである。スライド風防は、レール上を動きぴたりと閉じれば良い。サッシの窓枠と変わることはない。

 これらは、概ね寸法さえ大差なければ機能する。一発勝負で作っても、調整が可能である。実機でも試作機をいじくり回すことが多いから、一機の機体で調整が可能である。引込み脚は、それよりずっと精度が高いだけで、同様であろう。脚カバーがぴたりと主翼にフィットするかが問題だが、想像するに外板の厚みの3分の1程度以下にフィットすれば機能上支障ないと思う。正確にコピーしてうまくいかなければ、ボスあたりを削って調整し、ダメなら一部部品を作り直せばいいのである。

 ところがエンジンはそうはいかない。飛行可能にしなければならない。シリンダとピストンの嵌合は、数値で正確に表せない、経験的なものがある。その他の多くのパーツがそうである。そうしなければ、エンジンの外観だけは再現できても、エンジンとしての性能を発揮できない。それは、経験に基づく工作精度が必要だが、コピーではその経験の積み重ねがない。実機のエンジンは何台も試作して、各種の運転をして、ようやく実用化に至る。開発と言う過程が必要で、一台限りというわけにはいかないのである。

 それには素人集団の集まりではできない。一台のコピーエンジンを作るのに、エンジン開発を行っていては、技術の習得から始めなければならないから、コストも時間もべらぼうになる。ラジコン用模型エンジンですら、うまく動かすには、そうは簡単にいかないのである。ましてや現在製造されていない、大馬力の空冷星形エンジンには、多くの設計製造ノウハウが必要である。ところが、ノウハウは既に失われている。図面や実物だけでは実用エンジンは作れない。機体の複製はできても、複製第二次大戦機のエンジンのコピーはできない、という次第である。

 小生の経験をしよう。河川流水で水車を廻し、コンプレッサで圧縮空気を発生させて、水中に気泡を発生させて、河川水の浄化をしようというプロジェクトがあった。ある企業が新発明の特殊コンプレッサを使うことを提案したが、問題はその会社がコンプレッサの製造経験がないのである。しかもクランク機構が新発明である。

 担当者が小生にアドバイスを求めてきたので、コンプレッサの製造経験のない会社が新規開発するには、何台か試作機を作って試験しなければ実用機は出来ないから、コストがかかり過ぎる。失敗するから、汎用のコンプレッサを買ってきて使えと言ったが聞かなかった。強引に試作機を現場に持ち込んで使ったら、横置きしたピストンの重みでピストンリングが片減りしてすぐ交換する羽目になったのと、圧縮空気が高熱を発して漏れて、コンプレッサ室に充満し、火災を起こす寸前で発見されて止まった。それで交換部品もなかったことから、その設備の開発は放棄された。たかがコンプレッサでさえ製造ノウハウが必要である。まして大型星形エンジンにおいておや、である。

 ついでに補助機器類の話をしよう。機体にもエンジンに計器などの各種補助機器類という汎用品がある。これらの補器類は精密機器で到底コピーできる代物ではないし、当時のものはない。だから複製機では現代の類似品を流用していることを付記する。




倉山満氏の馬脚

 雑誌WiLL20196月号の令和特集号の倉山満氏の元号についての小文には、小生ならずとも、多くの読者は唖然としたことだろう。小生は「嘘だらけの」シリーズ以来、倉山氏の著書にはまって、教えられること多大であった。今も国際法の本を読み返している位である。ところが、この小文は、倉山流に言えば、突っ込みどころ満載、なのである。逐次批判していく。

 冒頭から「国語辞典を取り出して」「令」の意味を云々する手法は、命令の令と言おうが令嬢の令と言おうが、辞書で「完結すると思うなど不真面目だ」という。そうだろうか。見識のある人物なら、辞書を引用するのは、単に辞書に依拠しているのではなく、辞書の意味がまともであることをチェックした上で、説明の便のために辞書を引用しているのに過ぎず、辞書で完結していると考えているようなレベルの人物でマスコミに論評する者は論外であろう。

 例えば、広辞苑の何版からか「従軍慰安婦」と言う言葉が登場した。そのことをもって、保守の論客で、従軍慰安婦と言う言葉を、国語として正しい、と断言する人はいまい。必ず、慰安婦なり従軍慰安婦と言う言葉の使われ方の経緯をひもとき、従軍慰安婦なる言葉の国語としての正当性がなく、広辞苑に国語として掲載することが不当であることを論ずるであろう。このようにまともな人なら、辞書を根拠としても、自己の識見により批判した上で使うのである。このように辞書を引用しただけで「完結すると思うなど不真面目だ」という、というのは、倉山氏の衒学に過ぎないと思われても仕方ない。

 以上はイントロである。次に「現代の漢文においても、『令』はレ点で読む使役の文字の典型例として登場します。」と言う。不可解なのは「現代の漢文」という言葉である。現代日本でも高校などで漢文は教えられているから、教科書などは多数出版されている。しかし、漢文の用法の根拠たるべき、漢文で書かれた現代の新しい書物、すなわち現代の漢籍というべきものを小生は寡聞にして知らない。だから現代には用法の「典型例」の出典たるべき漢籍が存在しない。高校で教える漢文も、古い漢詩や四書五経などの漢籍に拠っている。現代でもこれらの古い漢籍に用法を求めるのが漢文であって、漢文の使用が廃れた今では「現代の漢文」と言う言葉は存在し得ない。現代の北京語や広東語の漢字表記を「漢文」と誤解している人は論外である。

 倉山氏は、令和とは現代の漢文では「和に令す」すなわち、「日本国に命令する」の意味であると主張する。漢籍を典拠とすれば、これが間違いであることは、令和元年五月十二日付けの支那古典の専門家の加地伸行氏の一文が証明している。「令」と「和」の漢字を接続しての使っている漢籍は「礼記」で、元の漢文は「和令」だそうである。訓読すると「令を和らぐ」で、意味は、徳を布き禁令・法令を和らげる、というのだそうである。漢籍による用例を絶対とする漢文の世界では、倉山氏の「令和」解釈は「間違い創作漢文」の典型例に他ならない。

 もっと根本を言えば日本の近代の元号は、古典書物から漢字を二字を取り出して並べたものに過ぎず、そもそも漢文ではないのである。令和とは万葉集の文書の途中に「令」と「和」が順に出てくるから、その二字を出現順に並べたものに過ぎない。仮に、文字の出現順が、和が先で令が後なら「和令」と表記しなければならなくなってしまう。「令和」の出典の万葉集自体も中国の漢籍の出典がある。従って、漢文の多数の漢字の羅列の中から「令」と「和」のふたつを順に取り出してくっつけたものに過ぎない。つまり「令和」自体が漢文ではあり得ない。元号は漢文ではないのである。「令和」を漢文として延々と批判するのは無駄の限りである。倉山氏ともあろうものが何をとちっているのだろうか。

 例えば現代国語の「経済」は漢籍の「経世済民」という漢文、すなわち「世を経(おさ)め民を済(すく)う」から二字を拾いだし発明したもので、すでに漢文ではなくなっている。哲学などの明治日本で発明された二字熟語は、それ自体は漢文ではないのである。元号も同様である。

 ついでに倉山氏は、令和を幕末に元号案となった、「令徳」になぞらえている。朝廷が元号案とした「令徳」が「徳川に命令する」の意味だとして、幕府が拒絶したという悪しき前例を紹介している。これは豊臣末期に方広寺の鐘の「国家安康」の文字が、家康の名前の間に「安」の字を入れて、家康の体を分断する意味だ、と徳川方が豊臣方にいちゃもんをつけたことに類似している。この事件は大坂冬の陣の遠因となっていると言うからただごとではない。方徳や国家安康の命名の意図はどうあれ、その文字を理由として強い側が弱い側にいちゃもんをつける口実としたのに過ぎない。

 倉山氏の言うように、令和に悪意が秘められていたと仮定しよう。反対に、多くの保守の識者が主張するように、良きに解釈することも可能なのである。倉山氏の論は、すでに令和の元号が決した後に登場した。解釈に関する保守と左翼の論争の最中である。従って倉山氏の批判は左翼を利する結果となる。愛国者ならば戦争反対でも、始まった戦争には協力するものである。倉山氏の態度は戦争が始まった後に、敵国に味方するのと同然である。

 倉山氏は「国際法で読み解く世界史の真実」で、国際法の要諦の第一は「疑わしきは自国に有利に」と説いている。まさにそうではないか。新元号は決した。それにもかかわらず、左翼は令和の意味にいちゃもんをつけて、元号の廃止すら意図している。倉山氏の疑義がもっともな面があるにしても、疑義があると考えるならばこそ、愛国者であるならば、元号「令和」に有利になるように解釈すべきなのではないのか。

 なおWiLLの本号は実に皮肉な構成となっている。倉山氏を含む8名の「令和評」に続いて、資料編として「発言集 令和を貶める人々」というものが掲載されている。主として左翼系と考えられる人々による、令和批判の一覧を、「悪癖を一部抜粋したので紹介、永く記憶に止められたい」として掲載している。共産党の記者会見が典型である。WiLL誌が執筆依頼して掲載された令和評は、倉山氏以外は、令和を歓迎するものばかりであり、倉山氏が唯一の例外である、という体である。

 繰り返すが、WiLL本号は、令和を歓迎するために組まれた特集であるのに、倉山氏の論評だけが異様である。なお「発言集 令和を貶める人々」のなかには左翼以外に、自民党の石破氏が載っている。石破氏は今や、安倍内閣何でも反対の、党内極野党だからさもありなん、とはいうものの、たちが悪い。小林よしのり氏も保守を気取っているようだが、女系天皇を声高に言うなど、最近は支離滅裂な発言で、今や思想の根本がどこにあるか分からなくなってしまっている、不可解な人物である。小林よしのり氏は所詮芸術家であって、論理的に思想を論じることが出来る思想家ではないと思う。

 倉山氏の論は、本当に保守を憂い皇室を敬っていることだけは読み取れるだけに、残念至極である。



皇室の藩屏


 平成三十一年四月二十六日の産経新聞の正論欄に、小堀桂一郎氏が「安倍内閣が残した3つの課題」とする中で、「皇室の藩屏の再建を図れ」という一項目がある。「占領軍により皇籍を離脱せしめられた旧宮家の方の一部の皇籍復帰といふ〈法的な工夫〉を通じて皇室の藩屏の再建を図れ」というのが、その主旨である。皇籍復帰と言う主旨には大賛成である。

 だが、小堀氏ともあろうものが、皇族のことを「皇室の藩屏」というのは、大いなる誤用ではなかろうかと思うのである。皇族に天皇陛下ご自身を含めたものを皇室と言うからである。つまり小堀氏は皇室の藩屏を皇族と看做していることになる。論中に「皇族と言う氏族集団の復活」と言っていることから、そのことは明瞭である。

 藩屏として天皇を守るのが皇族である、ということになってしまう。皇室の藩屏とは、皇室をガードする防壁、という意味であろう。皇室の藩屏とは旧華族のことをいうのであって、旧華族とは、公家たる堂上華族、江戸時代の大名家に由来するもの、国家への勲功による新華族、臣籍降下した旧皇族の3種から構成されているとされる。皇室の藩屏には、本来的に皇族は含まれないのである。

 そのことは、明治期に出版されて、国会図書館に保管されている「皇室之藩屏」にも明らかである(インターネットでダウンロードできる)。ちなみに、日本国憲法で、華族制度は廃止されているから、華族の「臣籍降下した旧皇族」の中には「占領軍により皇籍を離脱せしめられた旧宮家の方」は含まれていないことに注意する必要がある。

 中川八洋氏は「徳仁《新天皇》陛下は、最後の天皇」という著書で、以上の事を踏まえた上で、皇室の藩屏は「あくまでも堂上公家の役割。皇族は“皇室の藩屏”ではない」と断じている。中川氏が藩屏を旧華族のうち、堂上公家に限定するのは、他の華族は歴史的に新し過ぎ、堂上公家は多くが藤原鎌足を始祖とする、格式ある古い家系だから、というのである。

 ついでに言うが、中川氏は皇族の役割は皇室の藩屏などではなく、皇室の血統を守る「血の冷凍保存庫(言葉遣いは感心しないが)であり、このためには、戦後に臣籍降下された旧皇族の皇籍復帰ばかりではなく、「大正時代から昭和初期にかけて臣籍降下され華族に列せられた十二名の元皇族の血を継ぐ子孫の皇族復帰」も実現すべきと主張している。

 中川氏はかなりエキセントリックな主張の展開をする奇矯な人物と見られかねない。しかし、かつて「諸君」誌上で、パネー号撃沈事件の真相について、旧海軍の奥宮正武氏と論争し、完膚なきまでに論破した(あくまでも小生の判定)ように、論理は極めて明晰である。中川氏の皇族復帰の主張は傾聴に値する、と考える次第である。




わかっちゃいるけどやめられない、岡田克也氏

 立憲民主党(つまりかつての民主党)は「わかっちゃいるけどやめられない」、政党だということは、産経新聞の阿比留瑠比記者の「立民 非現実的政策の理由」(H30.12.21)という記事と、立民党の岡田克也氏へのインタビュー記事(H130.12.24)を対比すると歴然とする。前者では、早い話、政権獲得の可能性がないから、政権奪取したら困るような、沖縄政策や安保政策を平気で掲げているというのだ。

 その証拠に当時の社会党の村山富市氏も総理になった途端、永年の信念を翻して自衛隊合憲と言った。民主党の鳩山由紀夫総理は、結局辺野古移転を行う閣議決定をし、あくまでも辺野古移設に反対する、福島瑞穂氏を大臣罷免までした。ところが野党になった途端に、彼らは元の「反対派」に戻ったのである。実に単純明快である。

 ところが、この記事を読んでいるはずの、岡田氏はインタビュー記事で、当時辺野古移設は他に選択肢はなかったし、安倍政権は強硬にものごとを進め、基地問題をこじらせてしまったから今は反対である、と言っている。その癖、現段階での他の選択肢は提案しないし、そもそも現政権が辺野古移設の工事を始めたのは、当時の沖縄県知事が移設を容認してからであって、その後知事が変わると容認撤回したのである。こじらせたのは政権側ではなく、県側である。

 自衛隊の憲法問題については、岡田氏は言及すらしていない。党内事情と党勢拡大のために、言及できないのである。最後は「政権交代可能な政治の実現」のため近い将来枝野政権を誕生させたい、と結ぶ。岡田氏は政権をとることができないことを百も承知だが、分かっちゃいるけど(から)「なんでも反対」はやめられないのである。





「新潮45」休刊と日本ファシズムの影

 ファシズムとは、倉山満氏によれば、一党独裁で党が国家の上に君臨する事である。まことに明快な定義である。それによれば、ナチスドイツやイタリアのファシスト党はもちろん、ソ連や中共は明快にファシズム国家であると言える。ソ連などには軍隊にも政治将校と言うのが配備されていて、指揮官に党の命令を伝えていた。

 日本はかつてもファシズムであったことはない。政党が解散させられて、大政翼賛会ができたが、これは政党ではないし、国家の上に立ったこともないからである。党利党略だけを優先し、外交政策に無責任な政党群を緊急措置として、一時的に解散しただけのことである。

 ところが小生は日本ではファシズムを信奉する勢力が、今頃になって威力を増しているように思われる。その典型的な現れたのが新潮45休刊騒動を代表とする、国内の動きてある。これらは、ソ連崩壊以後顕著にあらわれてきた傾向のように思われる。元々共産主義に理想を求めた人たちが、ソ連が冷戦に敗れた結果、共産主義が資本主義より優れている、という信奉が実際には間違いである、という事実を突き付けられたにもかかわらず、それでも共産主義は正しい、という心情は多くの人の中に残り続けたと思われる。

 その人たちがよりどころとして求めたのが、東京裁判史観、あるいは自虐史観、と保守の側から批判される思想である。本稿で述べる東京裁判史観について定義しておこう。もちろん東京裁判の判決で示されたように、支那事変、大東亜戦争は日本の愚かな指導者が起こした、東アジア諸国に対する侵略戦争であり、南京大虐殺などを行った日本軍は、人道的であった連合国軍に対して、非人道の極みの軍隊であった、という基調が根底にある。

 東京裁判史観の基調はこのようなものであるが、さらに日本の侵略史観が原因となって、北朝鮮、韓国、中国に対する贖罪意識が強い。いわゆる「従軍慰安婦の強制連行」についてみれば分かる。「吉田清治」証言の嘘がばれたにもかかわらず、東アジアの人たちの軍による「性奴隷化」はあった、と言う立場は崩してはいない。もちろん東京裁判史観の持ち主と言っても、単に東京裁判の判決を多少受けているのに過ぎない程度など、程度の差はあるが、ここで問題にしたいのは、徹底的に明治維新から敗戦までの日本を暗黒の国として、日本が悪い、という材料があれば何でも飛びつき、日本を貶めようとしている反日日本人である。以上のような考え方を、ここでは東京裁判史観という。その人たちは、根底が共産主義の信奉者やそのシンパである、と考えられる。

 ソ連が理想の国だとは今更言えないから、かつて日本は東アジアを侵略したから謝罪すべきだ、などということを声高に言う人達である。その結果、チベットやウィグルへの弾圧は無視し、北朝鮮による拉致問題には冷たく、「従軍慰安婦」問題で日本政府を追及する、という具体的な行動をとっている。

 その真逆の立場も近年、実証的な立場から強化されている。朝日新聞による「吉田清治」証言の誤報の謝罪や、「南京大虐殺」の捏造、日米戦争はルースベルト政権やコミンテルンの陰謀であったこと、日本の植民地解放などが次々と検証され始め、日本擁護論が論壇の一方の雄になりつつある。昭和20~30年代には、戦争を知る世代が中心だから、多くの国民の内心としては、日本の戦争は間違ってはいなかった、というものであったろうが、表に出るジャーナリズムや論壇は東京裁判史観が席巻していた。GHQの検閲の影響が強かったからでもある。しかし多くの国民は、真実はいつか分かる、と耐えていたのである。

 実際、政界では憲法改正などというものなら、袋叩きにされたものである。ところが当時の多くの国民の内心は必ずしもそうではなかった。現に昭和30年代の漫画やラジオなどでは、ジャーナリズムに叩かれるのを恐れながらも、消極的ながらも戦争を日本人擁護の立場から描くものもあったのを覚えている。「怪傑ハリマオ」という、日本人の反欧植民地の英雄のテレビドラマもあったのである。

 しかし、明快に日本の戦争にも理があった、と論証するマスコミやジャーナリズムは例外であった。読売新聞の「昭和史の天皇」という連載は、東京裁判史観に配慮した、おずおずとしたものだった。この連載ですら、今常識になりつつある、「バターン死の行進」の嘘などは書かれていない。この連載に、大東亜戦争の日本の正義を証明することを期待こしていた小生は幻滅した。林房雄の「大東亜戦争肯定論」程度のものが画期的である時代が敗戦後からずっと続いた。

 「保守」という言葉を肯定的に変えたのは、かの西部邁氏の言論の影響が強かったように記憶する。その結果か、保守を自称する思想家が輩出してきた。その少し前から、明治維新以降の日本の立場を一貫して肯定する史観が、ジャーナリズムに続々と現れた。

 一方でソ連が崩壊して、共産主義の間違いが明白になったにもかかわらず、東京裁判史観をベースとした思想は、ことにテレビを中心とするメジャーマスコミに既に確実に定着していた。テレビは東京裁判史観の公然とした支持者に成り代わってしまったのである。朝日新聞に対峙している産経新聞の系列であるはずのフジテレビですら、ワイドショウから報道までが、東京裁判史観にどっぷり浸かっている

 現在は、小生の見るところ書店の棚においては、東京裁判史観の立場に比べ、これに対峙する保守の立場の書籍の方が優位である印象が強い。かつて左翼雑誌の旗手だった「世界」など見る影もない。しかし、新潮45廃刊事件に見られるように、公然たる社会的影響力においては、東京裁判史観派が圧倒的影響力を持っているように思われる。そう考える根拠は、杉田水脈論考をのせた新潮45と、その擁護論を特集した翌月の新潮45本はヘイト本扱いされたあげく、社長が謝罪して廃刊せざるをえないほどの攻撃を受けたからである。廃刊と社長の謝罪に際しては、社内での突き上げが決定的だったようであるが。

 これは、個人なら到底耐え難いほどの誹謗中傷もあったのだと想像する。ところが、保守側がそのようなことを仕掛けるのは、ほとんどないのである。例えば反東京裁判史観の雄である、櫻井よしこ氏や百田直樹氏らをイベントの講演に招聘しようとすると、主催者が脅迫や恫喝に等しい攻撃を受けて、招聘を中止せざるを得なくなった事件があった。このことをテレビは、実質的には何の問題にもしないのである。

 新潮45の廃刊について、平成30年12月号の雑誌WILLに曽野綾子氏が取り上げている。それも極めて控えめで、せいぜい「別に放火や殺人や詐欺をすすめたりしたのでもない雑誌をつぶした人たちは、この時代にはっきりとした汚点を残した。」と述べるだけなのだ。もっと過激に反論せよ、といっているのではない。これがまともなもの言いなのである。

 ところが東京裁判史観の側の人たちは、遥かに過激なものいいをするにもかかわらず、社会的制裁は何等受けない。安保法制反対デモの際に、法政大学の山口二郎教授は時の首相を「安倍に言いたい。お前は人間じゃない!たたき斬ってやる!」と発言した。新潮45論文の杉田氏に対しては、殺害予告がされた。曽野氏の言う、殺人をすすめた、どころか、殺人を宣言したのである。水田氏の新潮45における文章どころではない、とんでもない暴言である。ところが一部新聞等で報じられただけで、山口氏は法政大学を馘首されたどころか、謝罪もしていない。事実上黙認されたのである。むしろ東京裁判史観側からは、よくぞ言ったというのが本音であろう。

 また、ネットで保守的言動を書き込むとネトウヨ、と悪罵を浴びせる。このように社会的影響力においては、東京裁判史観に立つ側の方が異常に強い。彼等は異常に強い自己正義の絶対的塊である。言論の自由を標榜しながら、異論を絶対に許さない。言論の自由は自己主張絶対化の口実に過ぎない。

 保守の言論が出版界で多勢を占めているようなのに、社会的影響力では東京裁判史観の側が圧倒的に強いのは何故か。確たる自信はないが、テレビマスコミで大勢を占めている他、保守の側は団結力が少なく、東京裁判史観の側は、団結力が極めて強くかつ攻撃的であることによるものだと小生は推測する。保守の側は僅かな意見の相違で仲間割れするのに対して、東京裁判史観の側は、例えばターゲットを水田氏に絞れば少々の意見の相違は無視して、団結して攻撃的姿勢で一致するようである。

 逆に保守の側では、例えば櫻井よしこ氏を営業保守、すなわち金儲けのために保守的言論をしているといちゃもんをつける、保守論客の文章を読んだことがある。この人は櫻井氏とさほど意見の相違はないのに、考え方の相違ではない、話にならない事で強く批判をするのである。またかつての「新しい教科書を作る会」での内紛騒動も仲間内の争いである。

 共産主義者の根源的恐ろしさを思うたびに想起するのは、共産主義の絶対的信奉者の故向坂九州大学名誉教授である。生前の向坂氏の、テレビでの発言を見たことがある。インタビューアーが「日本に共産主義国家が成立して、それに反対する意見が出たらどうしますか」という主旨の質問をすると向坂氏は、明瞭に「弾圧する」と断言した衝撃は忘れられない。言論の自由などとい考え方は、そもそもなかったのであろう。彼は戦前、大学を馘首される、という弾圧を受けた。その経験は言論の自由を主張するのではなく、思想の異なる者を弾圧するのは当然、という思想を補強したように推察する。

 東京裁判史観の持ち主(つまり隠れ共産主義者)は、自分の意見に賛同する人間の「言論の自由」しか認めないのである。現在の中共が言論弾圧しているから言うのではない。「マルクス・レーニン主義」の本質がそうなのである。カール・マルクスは英国における苛酷な工場労働の実態をあばき、労働者による革命政権の成立を予言しただけで、共産主義となった政治の運用方法について言及してはいなかった。

 暴力革命の実現(実態としては、帝政ロシアを倒した白色革命に対して、これを倒したクーデターであるが)共産主義国家の運営方法を実践したのは、レーニンであった。だからマルクス・レーニン主義というのである。だが、レーニンとその後継のスターリンが世界に拡散させた共産主義国家群、というのは理想国家どころか、帝政ロシアや資本主義英国より遥かに悲惨なファシズム国家群であった。

 こと今に至っても、ソ連は本当の共産主義国家ではない、と「真の共産主義」を擁護する人々はいる。しかし、レーニンが実践した方法でしか、共産主義国家は実在し得ないことは歴史が証明している。レーニンが実現した共産主義国家の悲劇は、実にマルクス自身の言った、私的財産所有権の否定に胚胎しているのである。私的財産所有権の否定は、現実政治の実践においては、国家による個人資産の略奪に他ならない。「共産主義黒書」に記述されている、世界戦争の惨禍より悲劇的な共産主義国家群の成立は、マルクスの思想そのものに淵源がある。

 共産主義国家はファシズム政府となる。共産党による国家支配である。日本には共産党以外、ファシズム志向の政党はなかった。一般国民の考え方とは反する、東京裁判史観支持者の、社会的影響力の増大は、ファシズムの臭いを感じる。




モンスター官僚・面従腹背編

 以前紹介したモンスター官僚の前川喜平氏が、とうとう座右の銘と語った「面従腹背」をタイトルにした本を出した。売れ行きが良いのだそうである。図書館で調べると6月に出版したばかりなのに、7月初めにアクセスしてみた都内の図書館全てで購入している。そればかりではない。予約状況が確認できた三図書館とも、全て予約待ちの状況である。どういう意味でか断定はできないが、読みたい人が多いのに間違いはない。

 違法な天下りを指揮して馘首同然で退職し、野党からもマスコミからも非難ごうごうとなった。ところが、「加計問題」で元文科省役人の立場で安倍内閣批判をすると、マスコミは手のひらを反して、気骨ある元官僚のごとく持ち上げた。同時に出会い系バーという売春斡旋まがいの悪所に、勤務時間中に出入りしたことを報道されると開き直り、貧困女子の調査だと白々しい言い訳をしたが、多くのマスコミはそれを真に受けた風をした。

 当時言ったのが、座右の銘は面従腹背である。安倍総理に面従腹背を通したと言いたいのである。元通産官僚の岸博幸氏が「官僚のクズ」と罵倒するのも当然である。座右の銘とはその人の信条なり信念を言うものであろう。それを、上の者に媚びへつらい、その癖裏で裏切るに等しいことをすることが信念だと言うのだから恐ろしい。座右の銘の多くは、実現できなくても、その人の理想として、一歩でも近づこうと努力目標とする言葉であろう。理想が裏切りだ、と言うのだからなにをかいわんやである。

 だがこの言葉は安倍総理にだけ向けられたものではないはずである。天下りの件では前川氏は、野党からもマスコミからも痛烈な批判を受けて、嫌な目に遭った。しかし、安倍批判をした途端に批判が転じて野党やマスコミの寵児となり、出会い系バー通いが批判されることもほとんどなくなった。それなら前川氏が人間不信となるのは当然である。今氏を持ち上げている人たちに対しても、前川氏は面従腹背を貫いているのに違いないのである。

 あれほど非難しておきながら、途端に手のひらを反す面々を心から信用するはずはない。今は本の出版のチャンスもでき、売れている。講演をして稼ぐこともできる。しかし、間違えても前川氏を持ち上げた面々に気に入られない発言をしてはならないのである。


 氏は面従腹背の鎖に縛られたのである。もっとも前川氏は元々左翼官僚であったそうだから、安倍内閣を気に入らないのは当然だから、ドジを踏む気遣いは少ない。それにしても、GHQによってゆがめられた結果、教育行政のトップに、このような人物がつくようになった。日本の前途は多難である。

 ただ前川氏が見損なっていることがあるのではあるまいか。前川氏に安倍内閣批判の材料を提供したり、講演会の斡旋をしているのは文科省の労組の人達であろうと推察される。いくら前川氏が彼らに媚を売ろうと、彼等には事務次官などという出世競争とは、逆立ちしても縁のない人たちである。出世街道を歩いた前川氏とは、思想が一致しようが、立場は元々水と油である。本来蹴落としたい人物が権力者となったのが前川氏である。

 前川氏は生きてゆくすべを、本来味方であるべき彼の後継を目指す人々に託すのではなく、利用できる限りでしか利害の一致しない、本来の敵に委ねたのである。その証拠に中学の講演に前川氏が出て、文科省が調査に入った時、前川氏は文科省批判に利用された。批判されているのは前川氏の味方であるべき文科省幹部である。前川氏は期せずして、そういう綱渡りの路地にさまよいこんだのである。でもまあ、人生万事塞翁が馬。人生なんとかなるものである、という良き見本である。



○朝日新聞の社是

 朝日新聞の社是は、打倒安倍内閣だ、と朝日新聞の幹部が言ったとか言わないとかで、裁判沙汰になっている。朝日新聞の大幹部には、戦前の緒方竹虎、戦後の秦正流がいる。この二人の言葉を検証してみる。

 緒方竹虎は副社長までなった人物で、リベラルの評価が高い。緒方は「五十人の新聞人」という本で、戦前の新聞界を振り返って、こう書いた。


 「これは丸腰の新聞では結局抵抗はできない。只主筆とか、編集局長が自ら潔しとする意味で、何か一文を草して投げ出すか、辞めるということは、痛快は痛快だが、朝日新聞の中におってはそういうことも出来ない。それよりもこれは何とか一つ朝日新聞が生きていかなければならないという意識の方が強くなり・・・」

 結局、新聞で権力に抵抗するよりは、社員は朝日新聞の存続を図るため、筆を曲げろ、というのである。この自分勝手な一文は、当時の左翼人士からも侮蔑された代物である。

 一方、朝日新聞大阪版では、一読者が「新聞も戦争に加担した」ことにはならないか、と投書したことに対して元大阪本社編集局長の秦正流氏が連載記事で答えた 。そこにはこうある。

 「多数の従業員をもち、多年の伝統をもち、社会的信頼を寄せられている新聞社としては『余程』のことがなければ玉砕は許されない。」

 意味は明快である。何のことはない、戦争に協力せずに弾圧されて倒産すれば、社員が路頭に迷うので、多数の社員を抱えた大新聞としてはそんなことはできなかった、ということを品良く言ったのである。「多数の従業員をもち、多年の伝統をもち、社会的信頼を寄せられている」会社は当時から多数ある。それらの会社と新聞社は変わらない、と言うのである。ジャーナリズムの誇りはどこにあるのか。


 更に秦は「新聞がどうして戦争協力に走ってしまったか。」と自問して次のように答える。

 「それは新聞自体が生きのびるためであった。そのような新聞を国民が望んだことも、つまり鶏と卵の関係が生じていたことも忘れてはならぬ。鶏と卵のどちらかはともかく、新聞だけがその原因をなしたのではなく、最大の責任は軍部を抑え切れなかった政府にある。その政府を支援してきた財界にもあったということだ。今も。」

 秦はついに開き直った。マスコミは正しいと信ずることを報道することが、健全な政治の重大なひとつの要素であるという自負はない。恥も外聞も捨てて、他に責任を転嫁する。新聞社がつぶれたら俺たちは困る。国民が望むから戦争に協力したのだ、お前たちに非難されたくはない。そもそもの責任は政府と財界にあるのだ。露骨に言えばそう述べたのだ。

 秦の責任転嫁は更にエスカレートする。

 「言論界の外でも、歌謡曲が情緒に訴えて国民の戦意を高揚した。小説、映画にも干渉が加わり、軍国の母、軍国の妻が称揚された。作家も画家も動員された。そして、この流れに乗ったのが、まず今日も現存している著名な出版社をはじめとする大小の御用出版雑誌社。」

 秦は調子に乗りすぎたのである。新聞ばかりではない、あらゆる階層が戦争に協力したではないか。新聞だけ批判されるいわれはない、と開き直ったのである。御用出版と言うなら、朝日は御用新聞ではないか。よくも言えたものだと呆れるしかない。

 この二人の朝日新聞幹部は戦前戦後と時期は違うにもかかわらず、「ジャーナリズムとて真実の報道に固執して社がつぶれるよりは、何よりも朝日新聞紙が生き延びることが肝心である、と見事に同じことを書いている。秦はこれに加えて社員の生活がかかっているからつぶれては困る、とさえ明言している。安倍内閣打倒が社是である、というのは言ったの言わないのと物証のない水かけ論である。しかし、彼等二人の「朝日新聞がつぶれないよう、筆を曲げるのもやむなし」と言う言葉は、自ら書いた記録が残されている。まぎれもない朝日新聞の社是である。



モンスター官僚登場

 モンスターペアレンツなどは、既に定着した言葉となっている。ここに新しいモンスターが登場した。文部科学省の事務次官だった、前川喜平氏である。「出会い系バー」なる、売春斡旋組織にも等しい場所に、教育行政をしていた現職当時、頻繁に通っていたのである。それを認めたばかりか、開き直って貧しい女性の調査をしていたなどと、のたまわった。もちろん調査報告もなければ、教育行政に反映した痕跡すらない。

 教育行政の調査と言うのだから、勤務時間中だと認めたのである。職務専念義務違反のみならず、教育行政にたずさわる官庁の幹部が、買春をしていたといわれても仕方ないことをしていたのだから、本来懲戒免職ものである。前川氏が退職後学校で講演をした内容を、文科省が調べたことを、自ら、教育に対する行政の介入したと、逆切れした。テレビの識者なる人は、前川氏が出会い系バーに行っていた過去をキャスターが問うと、良心的行為だと平然と言ったが、これに対する出演者の反論もない。安倍内閣批判ならどんな悪事も許すのである。一方で財務官僚の某幹部が、セクハラをしたから馘首せよ、と辻元議員がいうのだから、ダブルスタンダードの極致である。

 前川氏の座右の銘は「面従腹背」だそうである。表面はおべっかを使い、陰で裏切る、という不道徳の極地である。このような人物が教育行政官僚のトップにいたのである。前川氏は、道徳教育の批判をした。さもありなん。座右の銘が「不道徳」なのだから、道徳教育などとんでもない話なのであろう。

 出会い系バー通いも、面従腹背も公衆の面前で公言したのである。このような官僚トップがとうとう登場した。マスコミの大勢は批判どころか、前川氏の安倍内閣批判を称賛すらしている。日本の堕落もここまできたのである。前川氏をモンスター官僚と呼ばずして、どこにモンスターがいようか。



恐怖の半島の完全非核化

 平成26年1月の雑誌ウイルで、西尾幹二氏は、その1年ほど前に行われた韓国大統領選挙では、親北左派の大統領が誕生する工作がなされていたにもかかわらず、意外にも朴槿恵大統領が当選した。比較的高齢の保守層が危機感を持って巻き返した。その結果北朝鮮の政権の延命が困難になっていて、朴氏の五年の任期を待つことすら困難になった。


 北の選択肢は、中国流の改革開放路線で行くか、一挙に韓国内の親北勢力と北の軍事力が組んで韓国の共産化路線を実行するかの二択であるというのだ。ここで問題なのは平成28年に予定された、韓国の戦時作戦権放棄を米軍が実行するか否か、にかかってくるということだという。

 氏の読みは見事に当たりつつある。戦時作戦権の放棄が実行されなかった結果、北はもう待てなくなり、韓国内部の親北勢力を使って5年の任期を待たずに、朴氏は引きずり降ろされた。韓国の国会にまで、北の支持派が及んでいるというのである。西尾氏の予測通り北はもう持たないのである。

 4月には、南北首脳会談が行われて「半島の完全な非核化」だけが約束された。しかも既に、改革開放路線を計画していたといわれる、北のナンバー2の張氏が処刑された。金正恩の叔父ですらこれである。比較的開放的だと言われた正恩の兄も最近公然と暗殺された。既に改革開放路線は放棄されたのである。

 西尾氏の予想した筋書きに、当時起こっていなかったこれ等の情報を入れると恐ろしい予測がされる。半島の完全な非核化とは、北の核廃絶ばかりではない。セットで米軍の核兵器と米軍自身の撤退をも意味すると考えるのが普通である。ところが、日本のマスコミの多くは、北が、完全に核開発を放棄するか否かだけの問題に矮小化しているのにし、呆れる。半島の完全な非核化とは、在韓米軍の核兵器ごとの撤去に他ならないから、韓国の共産化に他ならない。そうしなければ、北の政権維持は困難だと北自身が考えているのである。

 金正恩はもちろん飾りに過ぎないが、代わりとなり得る正男は殺され、もう一人の兄弟も、殺されるのを恐れてか、姿を現さない。北の指導層は使い勝手のよい、正恩を選んで他の選択肢を断ったのである。5月に正恩と会談を約束した、トランプ大統領は米軍の撤退はもちろん、核兵器の撤去も認めないだろう。

 すると米朝会談は行われないか、決裂するしかありえない。しかしここに米軍のジレンマがある。地上軍の派遣されない空爆だけで北の核無力化は不可能である。しかし、地上軍の派遣は数万の米兵の死傷が予測可能なので、実行は不可能に近い。しかも空爆だけにしても、反撃で在韓米軍に被害は予測される。小生はたとえ近距離用であるにしても、北は実用的な核弾頭を持ってはいないと考えるが、通常弾頭ミサイルだけでも相当な被害は出る

 絶望的貧困により訓練ができない北には、近代的な空軍や機甲部隊を運用する能力は喪失していると考えられるが、ソウルが国境に近いことから、最後の力を振り絞った地上戦やミサイル攻撃で相当な被害が出る。これらのことは、いかな韓国人も予想されるが、座して待つうちに、韓国内の北のスリーパーと、これに煽動された韓国人によって、統一運動が起こされるだろう。統一運動には、必ずしも北による武力攻撃は必要ではない点が恐ろしいのである。

 米国が、南の非核化まで容認しなくても、座して政権の崩壊を待つより、統一運動による共産化を実行するだろう。これを防ぐには、最低限米地上軍の侵攻は必要である。ジレンマはこれにとどまらない。まず中共軍の出動の可能性が大きい。そして米政府は日本の安全のため、と自衛隊の出動を要請する可能性が高くなる。

 小生は国益のために自衛隊の派遣には賛成する。しかし、元々中国の共産化を促進したのは日本に戦争をしかけた米軍にあり、半島の不安定化を招いたのも、中国やソ連の跳梁を招いた米国に責任があり、敗戦した日本にはない。支那事変以来の清算の貧乏くじの最後を引くのは米軍だけにしていただきたい。

 ただそこにも、日米同盟の不安定化を招くと言うジレンマがある。ただし、このジレンマは、日本は日本自身が守る、という意識を回復させる唯一の特効薬である。憲法論や法律論は、このジレンマを解く鍵になるかも知れないが、陸自以外の自衛隊は、装備も運用も、あまりに米軍に組み込みされてい過ぎる。しかし日本の国防が自立するためには、必ず通らなければならない道である。



国民よ衆愚政治の徒となるのか

 森友学園問題は、いよいよ平成30年3月27日、佐川前国税庁長官の国会の証人喚問が始まった。そもそも、この問題は、財務省の出先機関が、森友学園に対して不当な値引きをして、国有地を払い下げたことについて、手続きに瑕疵があったかということだったはずである。財務省の一出先機関と一中小経営者間での出来事であり、到底内閣に波及する課題ではないはずの中小案件であった。

 ところが朝日新聞は、森友学園の経営者と安倍総理夫人とが、接点があることを奇禍として、不当な値引きに安倍総理の関与があったと言うストーリーをでっち上げ、日本史上初の改憲を具体化させようとする、安倍総理を退陣に追い込もうと企んでいるのに相違ない。

 小生はこれまでの状況からの推移で、でっち上げと断じた。朝日新聞は、安倍総理の意向を忖度した犯罪であると断じた。忖度は内心の問題だから、なかったとは証明できない。「悪魔の証明」である。できるものなら、でっち上げではないと証明するが良い。朝日新聞にテレビのワイドショーが、芸能人のスキャンダルと同じノリで大問題に格上げした。各テレビ局が安倍退陣で横並びで同じ論陣をはっているのは、言論ファシズムである。

 朝日新聞の言う、現時点での森友問題は、①国有地売却の「決裁文書」の改竄に安倍内閣が関与している、②改竄前の文書に安倍夫人の名前があるが、安倍夫人の名前が改竄で削除されているのが、安倍内閣が国有地の不当な安売りに関与し、改竄にも関与している証拠だ、という2点である。

 改竄にも不当安売りにも、安倍総理の意向に対する忖度があり、改竄前文書に安倍夫人があったことが忖度の物証である、というのだ。産経新聞に元財務官僚の高橋洋一氏は「財務省は内閣を忖度するような役所ではない」と論じた。安倍総理の支持のつもりが「忖度の有無が問題だ」という朝日新聞の罠にかかってしまった。

 人の意向を忖度したか否か、というのは、内心の問題だから証明のしようがない。私は安倍総理の意向を忖度しました、と証言したところで、事実認定は不可能である。不可能だから、朝日新聞やテレビは、昭恵夫人と言う名前と写真を何千回と登場させた。証拠能力のいらない印象操作である。内心の問題を根拠として犯罪の追及をするのは、法治国家にあってなすべきことではない

 それを許せば、誰でも犯罪者に仕立て上げる冤罪の源泉となる。現実に共産主義独裁国家においては、スターリンや毛沢東が、任意に国民を捕まえて拷問にかけ、国家反逆を内心で考えていたと拷問し、処刑した。相手は政敵でなくてもよい。スターリンと毛沢東に反逆心があるに違いない、という内心に対する疑いで、何万何十万人と言う罪なき人々が粛清された。粛清を実行したベリヤは、スターリンに処刑されると恐れ、スターリンを毒殺したと言う説がある。スターリンとベリヤは互いに疑心暗鬼となっていた。生き残ったベリヤも後任のフルシチョフに処刑された。内心を理由に人の罪を問う、というのはかくも怖ろしいことだから、法治国家でしてはならないことである。

 万歩譲って、仮に忖度の有無を問題にしたとする。それでも確実な物証は必要である。物証は改竄前の文書に昭恵夫人の名前があり、改竄によって消えた、と言うものである。ところが昭恵夫人の発言とは、森友から近畿財務局が聞いて記録した伝聞に過ぎない上、内容も「いい土地だから買ってください」という賄賂を貰った者とは真逆の発言である。

 その上、昭恵夫人とともに名前が削除された政治家には、「賃貸料」値引きの交渉を依頼されたが、拒否した人物さえ含まれている。これらから考えても昭恵夫人の名前が削除されたのは、「土地価格」の値引きと、文書改竄に安倍内閣が関与した証拠にはならない。国民よ、朝日新聞とマスコミによる執拗な印象操作に騙されるような、衆愚政治の愚民にならないでいただきたい。

 今や朝日新聞の倒閣のターゲットは自民党になった。将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、である。仮に国会の追求を乗り切ったところで、支持率の低下により自民党内が動揺して、安倍内閣を辞職させるか、次期総裁に選ばないことも充分に考えられる。倒閣の布石は、先まで打たれている。



○なぜ財務省は森友学園に超安売りしたのか

 産経新聞平成30年3月17日版の産経抄に面白い文章がある。17世紀末の米国の魔女裁判である。告発された女性は、証拠調べのために、重い石を縛り付け水中に放り込む。魔女でなければ、沈んだまま死ぬ。魔女なら浮かんで生き残るから、火あぶりの刑である。魔女と告発された瞬間から、どのみち死ぬ運命である。安倍夫妻を悪人と決めつけるのは、魔女裁判と同じだと言うのである。魔女裁判で、煽られて理性を失った大衆は熱狂した。一部野党とマスコミの追求方法は、魔女裁判である。

 国会周辺ではマスコミに煽られた大衆が、昼夜熱狂的に安倍総理退陣を叫んでいるのは、常軌を逸している。野党、マスコミ、大衆のターゲットは安倍内閣を倒すことである。理由は明白である。森友学園が問題なのではない。「日本国憲法」を改正するタイムスケジュールまで公表したのは、安倍首相が初めてだからである。

 GHQによる弾圧と検閲によって、憲法改正反対に洗脳された政治家、マスコミと大衆は、自らの意志だと信じ込まされて、熱狂的に護憲を叫ぶ。彼らにとって、安倍総理は悪魔に見えるのである。加計、森友問題の淵源は、改憲問題である。前川前文部科学事務次官の退官後の学校の授業での講演活動を調査した文科省だけを、教育への不当介入だと非難している。この理由も明らかである。前川氏が安倍内閣に不利な証言をしたので、倒閣に利用できる人材だからである。

 森友問題で野党もマスコミも、「決裁文書改竄」問題にターゲットを絞って、安倍内閣を倒すつもりである。まだ不明な第1点は「決裁文書」が公文書かどうか、ということである。公文書ではない、手持ち文書、事務連絡の範疇の文書なら、改竄の違法性を問うことはできないからである。

 また、財務省が根拠の怪しい値引きをしたであろうことは、既に明らかになりつつある。しかし、後述するように「改竄」前の文書や巷間の情報を聞いても、政治家等が購入価格を値引きするように圧力をかけた、という話はないのである。野党やマスコミは、安倍総理が森友問題に関与している、文書改竄の責任は安倍総理にあり、というイメージ操作をしてる。初手から安倍総理の責任ありき、という魔女裁判である。魔女であろうとなかろうと、野党やマスコミは安倍内閣の命脈を断とうとしているのである。


〈公文書とは何か〉

 公文書である最低限の条件は、文書番号があることである。文書番号とは財務省理財局作成のものであれば、1ページ目の右端には、1行目に「平成○年○月○日」と決裁日付けが書かれている。2行目には「財理第△号」とあり、これが文書番号である。△は当該年度の理財局の文書番号が、決裁順に1から番号を当てられる。日付、文書番号と、文書の表題は文書課などの文書担当課の文書台帳に記載される。文書台帳は永久保存だと思う。

 今回の開示された資料で不明なのは、1ページ目にあるはずの、文書番号等の記載があるはずのページが存在しないから、改竄された文書が公文書か否かは判断できないのである。公文書でなければ、書き換えしようが違法性を問えないのだから、公文書か否かは重大である。また公開された「改竄文書」のように、「別紙1」のように書かれていれば、解釈は次のようになる。

 「別紙2」などとあるのは、当該文書が他の文書に引用(引用元文書)されているものであることを示している。もし、「引用元文書」が公文書であれば、別紙2の文書は公文書の一部であり、引用元文書が公文書でなければ、別紙2の文書は公文書ではない、ということになる。例えば、後に分析するNHKの公表文書の「5.特例承認の決裁文書②「普通財産の貸付けに係る特例処置について」(平成27年4月30日)」のようにタイトルが枠外に書かれている文書は、これが全文であれば、公文書ではないことは明らかである。

 公文書は開示請求ができるから、野党もマスコミも開示請求すればよいのである。多数インターネットに公開されている、NHKの公表文書に公文書と断定できる文書がないのは、公文書自体を入手していないからであると考えて間違いなかろう。


〈決裁とは〉

 「公文書」という用語と異なり、「決裁文書」という用語は正規のものではないと思う。単に決裁を受けた文書、という意味でマスコミに報道されているのであろう。正規の決裁とは公文書の決裁を言う。ところが、上司に印鑑をついてもらった文書を「決裁文書」と呼ぶとすれば、公文書以外にも決裁文書は多数存在する。これは公文書管理の立場から言えば「決裁もどき文書」という他はない。

 例えば本省の官僚は、ある政令の運用方法を「事務連絡」と称して、出先機関に通知することがある。本省のある課で事務連絡を係長が作成したとする。課内はもちろん関係各課とも下打ち合わせして決めた事務連絡である。係長が独断で作成した文書ではないことを証明するために、文書の頭に決裁用紙を付け、係長→課長補佐→課長→関係各課関係者、のように印鑑をついてもらう。


 単なる事務連絡だから通常は軽微な文書であるが、中には運用上重要な内容のものである。重要な内容だからこそ、自分が勝手にやったのではなく、上司の了解があったことを、証明するためである。つまり官僚の自己防衛本能である場合もあろうと思う。これは一例であるが、今回改竄されたとされる文書が「決裁もどき文書」であるか、公文書の決裁文書であるかは不分明であるが、この点は後述する。


〈NHKの公表文書について〉

 インターネットで「森友学園 改竄文書 NHK」を検索すると(平成30318日現在)14通の「改竄文書」が改竄前と改竄後の比較対比表がpdで公開されている。これについて見てみよう。

①「1.貸付決議書①「普通財産決議書」(平成27428日、平成27527)

表の枠外にこう書かれた文書が最初にある。「1.~14.」まであるから、番号は元の文書ではなく、公開者が便宜的につけた番号であろう。これを利用して、以下文書1のように呼ぶこととする。ページ番号が表の枠外の下方に文書の「1.~14.」まで通しでつけられているが、文書は日付順に並べられていないことから、これも公開者が便宜的につけたものであろうが、以下には断りがない限り、ページ番号はこれを引用する。なお各文書のページ番号は表の枠内に書かれている。

a.文書1(平成27428日、平成27527)は公文書なのか
 文書1だけが、2種類の日付の文書の各々の文書の冒頭の右肩1枚目に別紙2と書かれている。文書の冒頭に「別紙○」と書かれているのは、この文書だけである。つまり、文書1の2通だけが、別紙2として公文書の本文に引用されている文書である可能性が残る。それ以外の文書は、その文書単独で存在するものであり、文書番号がないことから公文書の可能性はない。

 文書1に含まれている2通の文書だけが別紙2として公文書の一部を構成している可能性があるのだが、別紙2の引用元の文書は公開されていない。野党やマスコミは公文書なら開示請求でき、公文書ではなくても、今の勢いをもってすれば、財務省も拒否はできまい。ところが、引用元が公文書でない、とすれば文書改竄の道義性を問うことはできても、違法性を問うことはできない。つまり野党やマスコミが安倍内閣を批判するネタにするには、その点が不明瞭な方が都合がよいから、あえて引用元文書を開示請求しないのだろうと邪推する。

b.文書1(平成27428)の改竄内容

 文書1だけが、公文書の可能性があると前述した。すると改竄の内容に問題性があるか否か、は文書1が重要である。削除された部分を閲してみる。特に問題となりそうなのは、

P3.「特例的な内容となることから」削除。

P7.「本件貸付料は・・・主張がなされた。」削除。

P8.「・・・本件の特殊性を踏まえて・・・」削除。

P10~13.「標準書式に追加」という文言を多数削除。

P13.「学園提出の要望書について」を内容ごと全文削除。

c.文書1(平成27527)の改竄内容

P17.{見積り合わせ以後の経緯}この表題の内容を全文削除


d.文書1(平成27428日、平成27527)から分かること

 文書1には、特殊性等の怪しい文言や詳しい経緯が削除されている。しかし、森友学園という固有名詞や学園の概要などと、学園と交渉した、ということは削除されていないから、森友学園だけを相手にしたこと自体を、財務省は問題ありとは考えてはいないことが分かる。要するに特にマスコミが問題にしそうな点を薄めていることと、佐川氏の国会答弁との不整合部分の削除である。人間の本能として、佐川氏の答弁との整合に直接かかわりなくても、広めすなわち安全側に削除するのは自然である。

 しかし文書1には安倍夫人やその他の政治家の名前は一切書かれていないから、改竄は、安倍夫人らへの配慮ではない。安倍夫人やその他の政治家の名前が書かれているのは、後述するように、文書1ではない別の文書だからである。


②「5.特例承認の決裁文書②「普通財産の貸付けに係る特例処置について」(平成27年4月30日)(以下文書5.と呼ぶ)

 マスコミに報じられた、安倍夫人と政治家の名前のある文書を探した。すると文書5にあった。文書5で見つけたものだから、面倒になって残りの12通の文書をチェックするのは止めた。だから、他の文書にないとは断言できず、政治家たちのかかわりも、この文書限りのものであることを付言する。

a.政治家等のかかわり
 「改竄後」の文書では以下の個人名は全て削除されている。「出た順に紹介する。

鴻池議員:秘書から「森友学園が・・・購入するまでの間、貸付けを受けることを希望して・・・」いるとの希望を伝達した。→削除

安倍総理夫人:なお、「打合せの際(森友学園との打ち合わせとは記載なし)、・・・夫人からは『いい土地ですから、前に進めてください』とのお言葉をいただいた」との発言あり。→削除

森友学園:森友学園が・・・・北川イッセイ副大臣秘書に、「・・・概算貸付料が高額であり、副大臣に面会したい」と要請したが、国土交通省は意味がないと拒否。→削除

平沼赳夫議員:秘書が財務省に「概算貸付料が高額であり、何とかならないか」と相談があった。→削除

鳩山邦夫議員(故人):議員秘書が近畿財務局に来て「概算貸付料が高額であり、何とかならないか」と相談があった。→削除


b.文書5は公文書ではない

 文書1のように「別紙○」のような、親の文書から引用された形跡がないから、独立した文書である。しかも文書の冒頭には文書番号がないから、公文書の可能性はない。文書5の途中には「別紙1」という文書がある。もし、文書5が他の文書から引用されているのなら、文書5自体が、別紙1となるのであって、この点からも文書5は独立文書かつ、公文書の一部を構成し得ない。


c.政治家等とのかかわりについての解釈

 鴻池、平沼議員は、秘書と言う間接的なものであり、内容も、貸付料が高額であり、何とかならないか」ということで、購入金額ではなく貸付のことに過ぎない。北川イッセイ議員に至っては、面会を希望しただけの上、断られている。議員が秘書を通じて役所に働きかける、などということは日常茶飯のことであり、伝えた内容も大したものではない。その上、議員秘書は、議員の意志ではなく、点数稼ぎの個人プレーをすることもある、というから議員を問題にする根拠すらない。

 安倍夫人に至っては、森友学園による伝聞に過ぎず、証拠能力はない。もし安倍総理が安売りに関して、森友学園から賄賂をもらっているのなら、せりふは、議員秘書の例にならえば「購入金額が高額なので何とかして下さい」であろう。それに森友学園側に言うのではなく、財務省関係者にいうべきことである。しかも伝達はせめて、総理秘書が言うべきであり、夫人が言うものではない。その上安倍夫人の言ったことが事実しても、夫人は買って下さいと森友学園に言っているのであって、賄賂を貰っているせりふとは、論理的に真逆である。値切って買おうと思っている相手に、買って下さい、と言うはずはないのである。夫人の言葉を真実と仮定し、かつ最大限悪意に解釈しても、夫人はおべんちゃらを言ったのに過ぎない。

 以上のように、この文書が公文書ではなければ、単なるメモに過ぎず、それに政治家等の名前があったとしても、法的に何等問題もあるはずはない。しかも政治家等の名前が出ているのはメモの、さらに添付の別紙と言う軽いものに過ぎない。


③決裁文書改竄と理財局長との関連

 公開された、改竄文書は文書1を除き、公文書である可能性は極めて少ない。文書1ですら、供覧という形で、理財局内部の関係者だけの印鑑をついてもらっただけの、「決裁もどき」文書の可能性可能性がある。NHKで公開している14通の文書が全て、決裁もどきだとすると、改竄とその後の理財局の対応が良く分かることがある。そこで全て決裁もどきと仮定した、小生の推測を説明する。

 決裁もどき、とすれば作成したのは理財局の担当課の係長ないし、課長補佐であろう。印鑑をついのは、作成した本人はもちろん、担当課および関係課の課長補佐、○○官、課長であろう。課長を超えて理財局次長や理財局長には、印鑑をついた可能性はない。それどころか、文書について内容を協議したのは、担当課と関係課の課長どまりで、理財局次長や理財局長は相談どころか、文書の存在も知らなかった可能性が高い。

 この決裁もどき文書の一部がリークされ、朝日新聞が公表したのである。その事を国会で追及された理財局長は、決裁文書に問題となる内容はない、と答弁した。答弁の準備をした時点で佐川前理財局長は、文書の内容を担当課に問い合わせたのは間違いないが、見せられたのが改竄されたものか、改竄前のものかわからない。どちらも見た可能性もあるが、このとき佐川氏は、少なくとも改竄前の文書を見て、野党に問題とされる可能性のある箇所は把握していたはずである。

 ここまでの経緯は自民党では知らされておらず、理財局からは朝日新聞にリークされた文書は問題ない、と騙されていたのである。でなければ正直な麻生氏が平然と答弁てきるはずはない。国会答弁で理財局長は問題とされる野党の追及を否定した。遅くともこれ以後、すみやかに答弁の内容にそった改竄は開始されたのである。

 しかし、改竄前の文書は、国土交通省から会計検査院に送られていた、というからいずれリークされたのに違いない。結論から言えば、公文書でなければ、公文書管理の違法性は問えず、道義的責任を問われるだけである。改竄が全くないかと言えば、公文書についてはあり得ないと思う。公文書でなければ、珍しくもないであろう。単なるメモの位置づけだから、内容がどんなに重要なものであろうと、印鑑をついた人たちに了解をとればいいのである。改竄ではなく修正である。理財局長は、改竄前の文書について作成時点では、存在すら知らなかった。改竄について指示したか否かは不明であるが、マスコミに公表される以前に改竄の事実は知っていたであろう。

 公文書は、公式なことしか書けないから、交渉の経緯など本質的なことは、メモとして非公開でしか書き残せないのである。そのように表と裏を使い分けをするのは、民間会社組織でも同様であろう。同様どころか、海外案件などに極端に見られるように、裏工作や賄賂なとは必要悪として、非公開のメモでしか、残せないものは、民間の方が甚だしいと考えられる。そんなことは組織人として10年も過ごせば理解できる。それでも、後述する「なぜ財務省は値引きしたか」の真相については、よほどの事が無い限り、判明することは考えられない。



〈なぜ財務省は値引きしたか〉

 前項までに、「改竄」文書からは、財務省が森友学園に国有地を値引きした理由は、政治家の圧力である、という証拠は出てこない。にもかかわらず、世論の安倍内閣非難の声は熱を帯びている。まさに安倍氏は魔女裁判にかけられたのである。逃げ道はない。万一総理の意向があったとしても、なぜそんな意向を持ったのか全く不明である。篭池氏と総理が仲が良かったとしても、それで8億もの値引きの意向を持つとは信じられない。せめて、政治資金などの賄賂をもらっていた、などの具体的な証明が必要だが、それもない。

 財務省が総理の意向を「忖度」して8億の値引きしたなどとは、主張するものがいたとしたらまともではない。マスコミは、安倍総理が潔白でなければ、総理も議員も止めると強く発言したから財務省は改竄したのかもしれない、とさえ言う。ここまでくれば邪推と言うよりは、何としても安倍総理を止めさせたいために、あらゆる言辞を尽くして、イメージ操作をしているとしか考えられない。マスコミは大衆の理性を馬鹿にして、煽っているのである。

 思うに可能性は唯一である。土地の価格評価は画一的に行われるから、実態とは必ずしも一致しない。土地によっては、この公式評価と実態の差が小さいものと、大きいものがあるのだろう。また、差は実態が高いケースと、実態が安いケースが考えられる。ところが国有地評価額と相場との差があれば、買う者はいない。まして、乖離が大きかったとすれば、売れないからようやく森友学園、という買主を見つけて大幅値引きして売らざるを得なかったと想像するのである。

 今、マスコミは8億円の値引きの根拠がインチキである、と報道している。前述のように相場との乖離によって、財務省が過大な値引きをしたなら、理由があるはずである。土中のごみが故意に過大評価されている、と批判するマスコミは多くても、そこまでしなければならない理由を追及するマスコミは皆無である。地元の不動産関係者なら事情を知っているはずである。しかし、不動産関係者も黙して語らない。日本のマスコミは、伝統的に強き者につく。安倍総理批判などは、権力への批判でもなんでもない。マスコミが強き者の位置に立ったのに過ぎない。


〈総括〉

 安倍総理が森友学園に国有地を格安で売り払う動機は存在しない。にもかかわらず、財務省が文書を改竄したことと、改竄のため、安倍夫人の名前が消えたことを好機として、安倍内閣の倒閣を画策している。マスコミに煽られた大衆は、冷静に考えれば、安倍内閣に責任がないことは明白であるにも拘わらず、熱狂的に安倍批判に不和雷同している。

 野党やマスコミが熱狂的に安倍総理を追求するのは、改憲が具体化しそうだからである。日本国憲法の批判を弾圧して護憲派の種を撒いたのはGHQである。しかし、育てたのは、法学者で日本国憲法の権威であった、宮澤俊義や教科書裁判で有名な家永三郎ら、日本人自身であった。彼らは戦前、積極的な帝国憲法体制支持者であったにもかかわらず、GHQが権力を持つと素早く変身して、日本国憲法の熱烈な支持者となった。保身である。

 宮澤は、当初は穏健な体制派であった。しかし、天皇機関説事件などを経て、帝国憲法の熱心な支持者となった。宮澤は常に強きものに、こびへつらったのである。家永が亡くなった時、マスコミは信念を曲げない人、と讃えた。しかし、事実は信念を真逆に変えたのである。彼ら学者と変節したマスコミの力で、多くのマスコミも学者も、そして大衆も、憲法は変えてはならないもの、と言うようになった。改憲を明示した安倍総理は、魔女として魔女裁判にかけられたのである。魔女として告発された女性は、魔女であろうとなかろうと、殺される運命にある。


追記

 森友学園に関する文書書き換え問題で、安倍内閣が辞職したとする。すると、日本の政治史に恐ろしい前例を作ることになることに気付いたので一言する。

 今後も、安倍内閣の関係者が、官僚に指示して文書を改竄したという明白な証拠は出てこないだろう。最大限に見ても、忖度があったという心証だけで野党やマスコミに追及され、自民党内でも反安倍勢力の離反によって倒閣されるのである。これは悪しき前例となる。北朝鮮問題や経済問題なと現代日本は、もっと重要な課題はいくらでもある。愚かなワイドショウは、金太郎飴のように、どのチャンネルでも毎日、安倍内閣批判に熱狂している。



 今後自民党内閣を倒そう、と言う意志を持った役人がいたとする。高級官僚ではなくても良い。いわゆる「ノンキャリ」の平職員でもいい。公文書ではないメモ程度で、上司に供覧して印鑑をついてもらうものはいくらでもある。印鑑をついてもらってから、書きかえる。そのことを朝日新聞なりのマスコミにリークする。

 そうすれば、森友学園文書改竄事件の再演となる。時の自民党内閣を倒す権力を、一役人が持つことになる事を、今回の事件は教えてくれる。倒閣の意図を持つ人間は、一役人ではなくてもよい。野党やその他の政治勢力でも、一役人を利用すれば可能なことである。一役人が内閣の命運を決する、というのは恐ろしいことではないか。

 野党やマスコミの姿勢には、明白なダブルスタンダードがある。引きずり下ろす対象の政治家は、拉致問題などの北朝鮮問題、憲法改正派などの保守勢力であって、反保守の政治家は、どんなに役所に対する政治介入を行っても、批判のターゲットにはならないのである

 保守政治家批判に利用できる者は、誰でも利用する。違法な天下りの責任で文科省事務次官を馘首されたはずの、前川氏は、文科省が学校に不当介入した案件で取材され、政治家の不当介入だとテレビに登場した。天下り問題で辞めた人が何故登場するのか、という批判に、過去の罪を償ったひとをいつまで追求するのか、とテレビのコメンテーターが擁護していた。これに対して他のコメンテーターからは何の反論もない。安倍内閣倒閣利用できるのなら、誰も善人になる。

 前川氏は、出会い系パーに入り浸ったことを批判されると、貧しい女性を調査していたのだと開き直った。反安倍ならこのようなことも不問に付す。前川氏は調査報告もしていない。勤務時間外ならば、単なる道義的問題で、タレントのスキャンダルと同様にくだらない問題である。しかし、自ら仕事で調査していた、というから勤務中である。公務員の職務専念義務違反の違法行為である。

 この点では処分されるどころか、社会的制裁すら受けていない。それどころか前川氏は座右の銘が面従腹背だと公言している。面從とは人前では媚びへつらうこと、腹背とは、心底で背くこと、すなわち媚びへつらう裏で裏切る、という信頼のできないことを言う。それが座右の銘、すなわち信念であるというのだから恐れ入る。かつて前川氏をトップとして仰いだ、文科官僚は恥じ入るしかないであろう。

 前川氏の信念によれば、氏を取り上げるマスコミに対しても、面従腹背なのであろう。自分を擁護するマスコミに媚びへつらいながら、心では愚かな奴ら、とせせら笑っているのに違いないのである。かなりの社会的地位にある人物で、不道徳である事を身上とする、特異な人物が公然と登場したこと、正義の味方を演じているはずのマスコミも、その人物を持ち上げて利用して恥じないとは、日本の堕落もここに極まれり、である。




ルーズベルト大統領は独裁者か

 日米開戦時のF.D.ルーズベルトは、国民は厭戦気分から圧倒的に欧州戦争の対独戦に反対であったのに、日本に最初の一発を打たせることによって、日本の同盟国のドイツとの戦争に引き込むことを画策した、というのが定説である。主な根拠は、対独戦が始まって以降、日米開戦前の世論調査で対独戦参戦反対の声が圧倒的に強かったことと、ルーズベルトの三選の際に、対独参戦をしない、という公約をして当選したという二点にある。ふたつの根拠は現在でも確認できる事実である。

 ルーズベルトと対独参戦を画策していた大統領の周囲の関係者は、一人や二人ではあるまい。そのグループが集団で嘘をつき、過半の支持者を騙して当選することが、アメリカ大統領選挙では可能である、ということである。小生にはとても信じられない。素直に考えて、アメリカ合衆国は、少数のグループが国民が望まない、参戦を強行できるほどの独裁国家なのであろうとは思われないのである。

 現にヒラリー・クリントン候補とトランプ候補の大統領選挙で、トランプが勝つ、という予測した米国大手マスコミには、ひとつもなかったといわれているほど、クリントン候補が優勢であったと思われていた。にもかかわらず、当選したのはトランプ氏だったのは周知の事実である。

 選挙後、隠れトランプ支持者がいた、と識者は弁解している。それならば、クリントン優位を報じたマスコミによる調査は、信頼がおけない、ということに他ならない。別項に書いたように、第二次大戦参戦以前に、中立法改正と言う名の国際法の中立違反の立法や、対英武器援助、対独対策としてのグリーンランド等の保障占領、ドイツ潜水艦攻撃などの、対独敵対行為を執拗に行っている。

 ルーズベルトの政策に公然と反対したのは、かのチャールズ・リンドバーグらの少数派だけであった。大統領選挙で選挙民が候補者に、戦争か否かと言う重大案件で騙されるほど、アメリカの民主主義は脆弱なものであるとは小生には考えられない。もっとも当時のアメリカ民主主義とは、白人のためのものでしかないのだが。



○文学は広義のエンターティンメントである

 文学は広義のエンターティンメントである。つまり娯楽である。娯楽と言っても、ただ面白、おかしいだけ、という意味ではない。文学を鑑賞することで、何らかの精神的な楽しみを享受することができる、という意味である。それ以外に何の目的が文学にあるというのだろう。文学がエンターティンメントであることは、その価値を少しも減ずるものではないことは、言うまでもない。

 二葉亭四迷は、文藝は男子一生の仕事にあらず、と断言しながら、最後には生活費としての給料をもらうために、其面影というエンターティンメントとしての傑作である、恋愛小説を書いた。それは二葉亭が文学とはエンターティンメントである、ということを理解してしまったからであると思う。

 元々二葉亭が、将来の敵性国家のロシア語を学ぶうちに、ロシア文学に傾倒したのは、ロシア文学が革命運動とリンクして、政治的価値を持つものだと誤解したためだということは、本人が吐露している。

 それならばロシアにおいてなら文学はエンターティンメントではないのだろうか。そうではない。ロシア文学に傾倒したロシア人が、エンターティンメントである文学から、革命思想を引き出したのである。ロシアにおいても、文学における革命思想とは、エンターティンメントの題材のひとつに過ぎなかったのである。いくら書いた小説家自身が、本気で革命思想を書こうとしていたとしても、である。

 このことは、多くの日本人が漱石の作品を読んで、明治の思想を理解しようとしているのに似ている。もし、エンターティンメントではなく、思想を論ずることが漱石文学の真の目的ならば、漱石文学に書かれた思想が間違っていれば、漱石文学は価値がない、という奇妙なことになる。亡くなられた渡部昇一氏は、漱石は若くして死んだ、と喝破した。確かに漱石が死んだのは49歳という若さである。

 80歳を超えた渡部氏には、漱石文学に書かれた思想の未熟さを言ったのである。後年、小宮豊隆らの高弟が、漱石を聖人のように持ち上げることの方が尋常ではない。だからといってエンターティンメントとしての漱石文学の価値は少しも減ずることはない。文豪、と呼ばれる人たちの言葉を、思想の論理として真に受けるのが間違っているのだ。だから思想を語っても正しいとは限らないし、情感に訴えるエンターティンメントなのだから、論理的に正しいか、否かは関係ないのである。

 鴎外は、小説がエンターティンメントに過ぎないことを理解し、北條霞亭のような史伝に逃避したように思われる。大塩平八郎の乱などの歴史小説といわれるものを描いた結果、思想を小説で表現することの無駄を理解したのである。伊澤蘭軒などの史伝は、エンターティンメントたることを放棄し、単に鴎外自身の知的興味を満足させるために書いたものとしか考えられない。鴎外の史伝を高く評価する専門家は多い。

 しかし、エンターティンメントたることを放棄した以上、小説の形式をとってはいても、文学の範疇には入らないとはいわないが、文学としての価値は低い、と言わざるを得ない。鴎外自身もそのことは充分承知していたはずである。小生も伊澤蘭軒を無理して読もうとした。何日に一度、2~3ページずつでも読んで、何年かかけて読破しようとした。

 しかし、読むことから精神的楽しみを得られない自分自身に素直になって、読破を放棄したのである。だから小生は伊澤蘭軒を四分の一も読んではいない。史伝の類でも、初期の渋江抽は読み終えた。一見淡々と文学的装飾をした文章の中に、時々色気らしきものを感じ、それを充分に楽しむことができたのである。

 鴎外が伊澤蘭軒その他を書くことができたのは、悪く言えば自身の文学者としての名声を悪用したのである。鴎外はこれらの史伝を文学として楽しむことが出来るのは、例外的な人物であることを知っていたとしか考えられない。

 鴎外の名声がなかったら、これらの史伝に類するものは出版することもできず、購入する読者もいるはずがなかったのである。そのことは、芥川賞を取ったから、その作品を買う者がいるのと、同様である。だから芥川賞を取った作家の作品でも受賞直後だけ売れて、その後の作品が面白くないから売れず、廃業せざるを得なくなる場合があるのである。

 芸術には目的があるといった。文学の目的はエンターティンメントである。つまり精神的な娯楽である。文学はコミックなどと違い、文系の学術書と同様に、主として文字によって表現をする。そこで人は、文学に思想を求めてしまうのである。特に純文学と呼ばれる作品には、そのように扱われる傾向が強い

 推理小説だとか、SFだとか、歴史小説は、単に特定の題材に特化しているのに過ぎない。刑事や探偵などによる推理を主題としているから、推理小説と呼ばれるのである。エンターティンメントの題材を、特定の分野に絞っているのに過ぎない。文学に思想を求めること自体は間違ってはいない。ある時代に書かれた以上、その時代を背景とした思想がある可能性があるからである。

 ただそれは文学を楽しむのではなく、文章を解剖する作業である。思想を考える上でのネタにしているのである。かと言って文学評論の中にそのようなものが含まれていても間違ってはいない。ただし、文学から思想を抽出しようとする作業だけしているのは、文学評論とは言えない。繰り返すが、文学に書かれた思想が正しいか否かは、文学の価値の評価とは別の話である。



日本人の活動家は性奴隷の意味をわかっているのか

 最近の日本の左翼の活動家は「慰安婦」のことを性奴隷と呼んでいる。性奴隷すなわちsex slaveと言う言葉を発明したのはWiLL20178号によれば、日本人だという。すなわち1992年に国連人権委員会で慰安婦問題を提起した戸塚悦朗弁護士で、本人が「それまで国連に相手にされなかったのに『性奴隷』という言葉を使ったら急に取り上げてくれるようになった。性奴隷と言う言葉は僕が作った」と誇らしげに語った、というのである。


 彼は国連が急に取り上げた理由を分かっているのだろうか。西洋人ないし、西洋系の教養を持つ人たちには、奴隷とは究極の人権無視だからである。古代ローマなど現代西洋とつながりのない、過去の歴史では身分は奴隷と言っても、かなりの自由を享受でき幹部軍人などにもなった、といわれている。

 だが現代の西洋人の考える奴隷とは、そのようなものではない。動物以下の扱いで主人に生死すら自由気ままにされる、全くの劣悪な身分である。性奴隷と言えば売春婦ですらなく、報酬もなく、単に性行為に利用するために最低限生かされている生き物、と西洋人は考えていると思うべきである。

 戸塚弁護士は慰安婦とは、戦地で使われる売春婦であると知っていながら、もののたとえとして、「性奴隷」と言う言葉を使いだしたのであろう。しかし、西洋人の受け取り方は全く違うのである。日本人のおもてなし、など日本人のやさしさを強調することが今の日本では流行している。しかし、西洋人は日本人が、さほど昔ではない第二次大戦中まで性奴隷を使っていたと認識すれば、やさしい日本人とは仮面に過ぎないのではないかと、疑うであろう。

 米国人は、リンカーンが奴隷解放をしたことを誇る教育を施されている。かつては奴隷を使っていたのに、解放したのを自慢するのは変だと思うのはお人よしの日本人である。今の米国人は、奴隷が絶対悪だと教育されているから、奴隷解放が、たとえ南北戦争の方便であろうと、自慢するのである。その米国人が性奴隷、と聞いたらいかなる思いをするかは、想像の埒内である。

 AV女優の悲惨な境遇を書いた新書本のカバーに「まさに性奴隷」と書かれたものを見た。確かにAV女優は悲惨な境遇のケースもあるのであろう。しかしそれでも性奴隷とは、もののたとえとしか言いようがないのである。



不動産投資の手品

 平成29年8月28の産経新聞に面白いエッセーのようなものがあった。経済学者の伊藤元重教授の文章である。金利が変化すると不動産価格がどの程度変化するか、と言うのがテーマである。伊藤氏によれば年間家賃120万円のアパートがあったとする。金利が1%だとして、このアパート経営に投資するに見合う、金額は一億二千万円だというのである。


 一億二千万円で金利1%の債権を買えば、年間120万円の金利が入るから、というのである。金利収入はその通りである。しかし、一億二千万円で土地を買い建物を作り、年間家賃120万円で、採算が合うのだろうか、と考えたらよいのである。

120,000千円/1,200千円=100年である。

 伊藤教授の金利の計算は間違いないが、果して、100年経たなければ回収できない、というアパートを建てるものがいるはずはなかろう。こんなことを考えたのは、小生の父がその昔、建設業者に勧められて、使わず余った畑の一部に戸建ての賃貸住宅を建てたからである。子供ながら、建物の建築費だけを家賃で割ってみたら、30年近くかかる計算になった。

 安造りの木造だから、30年も経ったら使い物にならない。どう考えても賃貸契約は採算に合わないのは、分かり切っている。せいぜい、固定資産税対策にしかならないのである。土地が只であると言う計算ですらこんなものである。実際に賃貸経営をしている知人は何人かいるが、すべて親の資産が只で手に入ったケースだけである。

 つまり、余程の田舎で土地が只同然で買えるケースしか、土地と建物を買って割が合いそうなケースありそうもない。だがそんなところでは、割に合う家賃収入は得られないから、結局教授がいう賃貸目的の不動産投資は割に合わないのである。

 相続資産を持つ者に賃貸経営を勧める業者が、自ら賃貸経営をしないのは、そこに理由がある。賃貸経営を勧める言葉は伊藤教授のような論理を元にしたものであろう。教授のような経済のプロが時々空論としか思えないことを言うとしかの思えないのは、そんな訳である。



旧皇族の皇籍復帰は皇室存続対策となるのか

 皇室のことを語るのは、畏れ多いとは思うが、ある本に気になることが書かれているので、紹介したい。このままでは、将来皇族がいなくなってしまう可能性が高い。それで女性宮家の創設や、旧皇族の皇籍復帰が対策として主張されている。女系天皇につながる可能性のある、女性宮家の創設よりも、旧皇族の皇籍復帰の方が小生には常道だと考えていた。

 臣籍降下した家は皇族には戻れない、という慣例があるが、戦後の臣籍降下は占領されている時代に占領軍から強要されたもので、そもそもあってはならないことだからである。ところが、倉山満氏の「日本一やさしい天皇の講座」に「・・・強制的に臣籍降下させられた十一宮家、いわゆる旧皇族の方々はすべて伏見宮にさかのぼります。維新後に創設された宮家はすべて伏見宮家の系統ということになります。・・・この伏見宮家が江戸時代に絶えそうになります。・・・御兄弟が次々とお亡くなりになられたときに、鍛冶屋の丁稚に行っている男の子を連れ戻しました。・・・その『長九郎くん』を第十三代伏見宮家当主貞致親王として戻し、今に至っています。真贋は、当時の京都所司代が『これはご落胤に違いない』と判定したとのこと。」(P106)と書かれている。

 これは「伏見宮家実録」に載っている話だそうである。さらに明治期にこの疑義を払拭するために伏見宮家出身の皇族との婚姻を進めたので、臣籍降下させられた伏見宮家の系統の人々は、明治天皇と女系ではつながってはいるそうなのである。つまり、占領軍に臣籍降下させられた旧宮家は、男系である確証が確実とは言えない、ということである。

 これは重大なことである。旧皇族の皇籍復帰を実現して、その子孫が将来天皇となった場合、天皇に反対する反日日本人が、これは女系天皇だから、万世一系の天皇はいなくなった、と快哉を叫ぶ可能性がある、ということなのである。

 もちろん倉山氏は単に旧皇族の皇籍復帰をするだけではなく、皇籍復帰した家と今の皇室の内親王との婚姻を考えるべきだ、などのいくつかの対案を提案している。現在の皇室存続対策は、女性宮家の創設が主流で、旧皇族の皇籍復帰論は比較的少ないようにみられる。しかし、旧皇族の皇籍復帰論すら危険をはらんでいる。天皇のおられない日本は、日本ではない、という観点からすれば、日本は滅亡の危機に瀕している。



合法な生麦事件


 生麦事件は、現在横浜となっている生麦村で起きた事件である。島津久光らの一行に、英国人の商人らが騎馬で大名行列に正対して、通過しようとして殺傷された事件である。結局、日本は賠償金を取られたが、果たして国際的に見て違法な事件だったのだろうか。

 アメリカ大統領が自動車に乗ってパレードをしていたとする。ケネディー大統領の暗殺時のパレードのシーンを思い出せばよい。大統領と警護の車の列に、正面から数台の自動車が正対して走行し、パレードの車の間をすり抜けて行ったとする。この時何が起こるか。警護の車や周辺の警察官が、これらの車の乗員を、警告もなしに全員射殺してしまうだろうことは、火を見るより明らかである。

 これを米国では、正当な警護と看做す。他の西欧諸国やロシアで類似な事件が、現在起きたとしても同じことである。生麦事件では、警護の侍たちは、英国商人たちに馬から降り、立ち去るよう、身振りで警告すらしたのである。それを無視した英国商人で、殺害されたのは、たった一人に過ぎない。

 当時の日本の警護というのは、現在の世界的常識と比較してすら、かくも微温的だったのである。日本では今でも生麦事件は、侍の横暴であった、と言うのが普通の意見であろう。だが、かく言うように、当時の一藩の幹部の列に突っ込む人たちを成敗するのは、警護の義務ですらある。

 御定法に照らすまでもなく、緊急措置として合法である。当時、他にも類似の事件が発生しているが、同様である。西欧の横暴がまかり通ったのは、当時の日欧の力関係に過ぎない。



池上彰氏の歴史観

 博識で有名な池上彰氏の歴史観を象徴する、テレビ番組を偶然見たので、紹介する。

その1:バルト三国は、元ソ連だった

 平成28年11月26日のテレビ朝日の番組での、池上氏の発言である。トランプ大統領の当選に関連して「バルト三国はかつてはロシアと同じくソ連だった」という主旨のことを言った。その上、バルト三国のうちの一国がトランプの当選に伴い、ロシアが攻めてきたら、という想定の演習をしている、とこともなげにいうのである。

 この奇妙さは池上氏が、南北朝鮮はかつて日本と同じく大日本帝国だった、とこともなげにいうはずはない、ということを想像すればわかる。独立国だったバルト三国は軍事力による脅迫によって「ソビエト連邦に参加したい」と「自発的に要請して」ソ連邦の一部にさせられたのである。ソ連時代の苛酷な支配、粛清やシベリアへの強制移住などの怖ろしい体験をしているからこそ、バルト三国はトランプが選挙中に表明していた孤立主義によって、ロシアから再侵略を受けないかと恐怖して、演習をしていたのである。

 これらの歴史的経緯をすっ飛ばして、ロシアがバルト三国にいかに怖れられているかをも説明しないで、単に対露軍事演習などをしている、と平然と言うのである。売り物にしている池上氏の博識とは、GHQによって洗脳された史観に基づくものでしかない。GHQ史観のデパートに過ぎない。


その2:象徴天皇とは

 平成2942日の週のテレビ番組であったと思う。池上彰氏の解説で皇室のうんちくを紹介する番組があった。冒頭のあるタレントへの氏の質問で、象徴天皇の「象徴」とはどんな意味か、と聞いた。聞かれたタレントが的確に答えられなかったのは仕方ない。驚いたのは、氏の解説が憲法改正直後に政府が出した、憲法の解説書を引用しただけだったことである。

 事実はGHQが日本政府に提示した英語の憲法草案にsymbolとあったのを象徴と直訳したことが発端となったのは、常識であり明快な答えである。池上氏はこのことを絶対に言わない。理由は単純である。日本国憲法はGHQに強要された、とは間違えても言いたくなかったのである。そのことは日本国憲法擁護論者でも、今では認めていることなのに、である。

 池上氏はテレビなどで、教養ある解説者としてひっぱりだこである。氏の解説は明快で公平であるように思われるからである。ところが池上氏は上記のふたつの例のように都合の悪いことは、知っていて言わない、という悪癖があることは覚えて置いたほうがいい。



日本の軍隊はクーデターを起こさない

 倉山満氏が言うように(*P268)今の自衛隊は「すごい武器を持った警察」である。「法体系が、自力で動いてよい軍隊のものではなく、政府の命令がなければ何もできない警察と同じだからです。いわゆるネガティブリスト(禁止事項列挙方式)ではなく、ポジティブリスト(許可事項列挙方式)になるという問題です。これなどは憲法を変える前に整備しておくべき問題です。」

 要するに、世界中の軍隊はネガティブリスト方式で運用されているのに、自衛隊だけが警察と同じく、ポジティブリスト方式で運用される法体系となっているから、軍隊らしい強力な装備をいくら持とうと、法的には軍隊ではない、ということである。自衛隊は憲法違反だという論者は珍しくないのだが、そもそも軍隊ではないのだから、自衛隊は憲法違反ではない、という論理的帰結になる。

 ポジティブリストで縛っているのは、自衛隊を軍隊にしたくない、という反戦論者の深謀遠慮などではなく、警察予備隊から発展した、という歴史的経過があったのに過ぎない。自衛隊は禁止されていない事なら何でもやっていい、という軍隊並みになったとして生ずる最大の危険性はクーデターである。発展途上国にしばしば、クーデターが起こるのは、軍隊のこの性格によるものである。

 だが、自衛隊が軍隊とされないのは、残念ながらそんな配慮によるものではない。結局クーデターが起らないようにするためには、厳しい軍律が守られることと、政治の軍隊に対する優越が必要である。それは政治家の権力が上位にある、ということだけでは済まされない。政治家の軍事的判断能力が優れている、という前提が必要である。

 戦前の日本では、五一五事件や、二二六事件など、クーデターもどきが起きたり計画されたりしたが、結局はクーデターは起きなかった。二二六ですら、天皇の君側の奸を取り除く、ということでしかなく、現在も某国で起きているような、反乱の首謀者自身が軍事政権を握る、ということすら計画にはなかった。それでも、内閣の機能不全は、昭和天皇の反乱軍討伐命令、によって解決された。ぎりぎりのところで、政治が軍事を統制したのである。

 戦前は軍部独裁になってしまった、と言われるが、そうではなかったのである。前述のクーデターもどきの事件の例は、現在の世界の水準からみても、日本の軍隊は抑制的であった、というのが実態である。なるほど軍による倒閣はあった。ところが「自分たちが組閣すると衆議院が反発するので、もっと早く総辞職に追い込まれます。(*P175)

 もっとも、満洲事変のように、政治が軍事を統制することができない事件も起きた。しかし、関東軍に満洲の権益と在満の居留民を守れという任務を政治が与えておきながら、漢人の暴虐が質量ともに膨大となっても、政治は関東軍に自制せよ、というだけで解決策を示さなかった。

 だから関東軍は自助努力をせざるを得ない立場に追い込まれた。朝鮮軍の林銑十郎は支援のため、軍規違反である越境をした。まさに統制に服さなかったのである。ところが、事変を歓迎するマスコミや世論に押されて、政府は軍規違反を追認した。どちらにしても、自衛隊が本当の軍隊となっても、戦前並の軍律意識があれば、自衛隊がクーデターを起こさない、ということは歴史が証明している。

 倉山氏が言う如く、自衛隊を軍隊とする、ということは、単に自衛隊を国防軍という名称変更をし、憲法に国防軍を認める条文を入れる、という事だけでは済まない問題である。それでも集団的自衛権を認めるか否か、という既に実行済みの問題を認めることですら、大騒ぎになったのである。

 現に、日本国憲法が施行された以後の、朝鮮戦争やベトナム戦争で米軍基地を提供することで、集団自衛権は何度も行使されていたのである。戦争中の国に基地を提供するのは、戦時国際法の中立違反、すなわち戦争に参加していることを意味する。たまたま日本が直接攻撃を受けなかったのは、北朝鮮にも北ベトナムにもその能力がなかったのに過ぎない。当時、北朝鮮にも北ベトナムにも、日本を攻撃する国際法上の権利はあったのである。

 それどころか憲法九条のおかげで日本は戦争をせずに済んだ、というのも大嘘だということも付言する。朝鮮戦争で米軍の上陸阻止のために撒かれた機雷を、日本の掃海部隊が派遣されて掃海し、戦死者一名の犠牲が出ている。機雷敷設は戦闘行為であるのはもちろん、それを除去する掃海も、戦闘行為である。憲法九条がありながら、日本は戦争していたのである。

*日本国憲法を改正できない8つの理由・倉山満・PHP文庫



お札を刷ればデフレ終了?

 経済に詳しい者は、デフレを脱却するには、日本銀行がお札を刷って増やせばよい、という(*のP233)。「デフレとは、モノはしっかり生産して増えているのに供給されるお札の量が足りない状態のことです。」確かに品物の量が一定で、お札が増えれば、単純計算上は単価が上がる、物価が上がるからデフレは脱却できる、という理屈である。

 素人目には、こんなに単純にいくのだろうかだろうか、とむしろ不思議に思える。日銀がたくさんお札を印刷したとして、それはどこに行くのだろうか。印刷された札は日銀の倉庫に積まれる。積まれたお札が、市中にどうやって出ていくのか。その説明を寡聞にして聞かない、から教えて欲しいのである。

 日銀は、会社と直接取引をするわけではないから、日銀の倉庫に山と積まれたお札が市中に出ていくには、普通の銀行家を経由しなければならないのだろう。まず、日銀から一般の銀行に、どうやって渡すのか。ただ渡すわけではあるまい。

 また一般の銀行から会社にどうやって会社にお金を渡すのか。たくさん日銀から受け取ったお札を、どういう理由で会社に渡すのか。まさかお札をただでごっそりくれてやる訳ではあるまい

 方法論を説明してくれないから、永遠に素人には分からないのである。同書でお札増刷の後に延々と続くのは、日銀総裁の地位は不可侵だから、第二次安倍内閣以前の、政府に反対する日銀の抵抗の強さを延々と書いているのであり、上記の疑問の説明はない。

 同書で、もう一つ小生には理解できない記述がある。「平成初頭にバブルが崩壊して以降、日本は一度も好況になったことがありませんから(P232)」云々である。森永卓郎氏が、2006年11月付けのブログで「国民が『いざなぎ超え』景気を実感できない理由」という文章を書いている。それによれば、2002年2月に始まった景気拡大が57カ月続き、戦後最長の「いざなぎ景気」を超えた、と書いている。

 いざなぎ景気とは、「好況」のことである。好況と比較するのだから戦後最長続いた、というのは「好況」のことだろう。森永氏はバブル以降、いざなぎ景気を超える長期の好況があったと書いているとしか考えられないのである。ところが、不思議なことに「好況」とは決して言わず「景気拡大」と言っているのである。

 当時の新聞記事の記憶があるが、確かに「いざなぎ景気を超える戦後最長の景気回復」という活字が躍っていて、森永氏同様「好況」「好景気」とは絶対に書かないのである。つまりバブル崩壊以後、経済の専門家は「好景気」「好況」という言葉を忘れたカナリアになってしまった。

 小生は1999年の末頃、内部配布の広報誌にエッセーを書かされた。経済の専門家ではないのに、「不景気不景気と言うが、平均株価が20,000円を超えたのだから、好景気に向かっている兆候ではないか」という主旨のことを書いた。バブル崩壊が株価や地価の暴落から始まったのだから、株価がある程度回復したのは好況になりつつあるはずだ、と単純に考えたのである。森永氏が書いているのは2002年の初めから「好況」が始まったということだから、小生の素人エッセーは、見当違いではなかったのである。

 ところで森永氏のブログの主意はタイトルの通り、なぜいざなぎ景気越えが起きているのに、国民の9割は実感できていないのだ、ということである。森永説によれば、ひとつは配分の不公平にある。好況がきて金が余っても、それは普通のサラリーマンには行かず、企業、それも大企業にいくから、中小企業も潤わない、というのだ。

 もうひとつは税制の不公平の拡大だという。発泡酒等の課税や配偶者特別控除の廃止など、庶民には厳しく、法人税減税など企業に有利な税制改革が進められているというのだ。森永氏はこれらの不公平の拡大で、せっかくの好況も庶民を潤していないと、批判しているのである。

 それならば、森永氏は一部の特権層だけが、不当に好況の利益を得ていると批判しているのだ。平成28年から29年にかけて、森永氏はテレビ広告に出ている。前の年は、肥満して、お腹が垂れ下がっている。翌年の広告では、ダイエットに成功してお腹も普通になり、締った体を誇示している。

 最初の肥満体は、明らかに飽食の結果で、貧しい生活どころか、贅沢三昧の食生活をしていたのである。それは貧乏人ではなく、お金持ちの生活である。それをわざわざダイエット会社のプログラムによって改善したのである。世界の発展途上国では、苦労してダイエットしなくても食料飢餓で痩せ細る

 明かに、森永氏は好不況にかかわらず、飽食をできたのである。森永氏自身の言う特権層に属しているのである。森永氏は好況の時の不公平な世の中でも、有利な方を享受していたのである。森永氏が高収入を得ているのは、もちろんたゆまぬ努力の結果であり、非難すべきことはない。

 ところが、森永氏は自身の努力と同時に、自身が批判している不公平の結果を十分に享受している。森永氏の映像を放映しているのも、出演料を支払っているのも大企業であろう。森永氏のブログの主張が正しいとすれば、その批判は氏自身にもブーメランのように戻って来ている。

 もうひとつ倉山氏の同著で、疑問に思うことがある。「皇室典範がこのままだと皇族がひとりもいなくなるという危険性(P273)」があるというのである。これは皇室典範が女性宮家を認めていないことを言っていると推察される。女性宮家ができても、その子孫は女系である。すると、倉山氏は本書では明言していないが、女系天皇を認めよ、という主張なのだろうか。

 ところが、平成29年の5月に、誰か覚えていないが、女性宮家でも旧皇族の男系男子を婿に迎えれば、男系男子は絶えない、と書いていた。なるほどという解決策である。もしかすると、倉山氏も、これと同じ解決策が念頭にあるのかも知れない。しかし、倉山氏と同じく、戦後皇籍を離れた旧宮家を復活する、という方法に言及しないのは小生には不可解である。

 なるほど一度臣籍降下したものは、2度と皇族には戻れない、というが原則であるというのは承知している。しかし、戦後の臣籍降下は、GHQが皇室が将来維持できなくなるようになる、という深謀遠慮によって悪辣な脅迫同然に行われたものである。国際法違反、という以前に、日本人が許すべきものではない。

 不思議なことに、保守系の論者でも、皇籍の復活について反対する者が多いように思われる。さきほどの論者でも、旧皇族の男系男子を婿に迎える、というのは実質的には皇籍の復活と同じである。なぜストレートに、GHQにより臣籍降下させられた旧宮家の復活を主張しないのだろうか。

 ところで、倉山氏の本に関しては、本論と関係ないところを取り上げたので、書評とはしない。しかし、いつもながら「憲法」全体と、成文化された「憲法典」を区別しての、憲法改正論議は読むべきものがある、とだけ言っておこう。

*日本国憲法を改正できない8つの理由・倉山満・PHP文庫



仏のEU残留とスコットランド独立

 平成29年4月から5月に行われている、フランス大統領選挙は、EUからの離脱がひとつの争点である。フランスが離脱すれば、EUはドイツ一強になるに等しく、崩壊の始まりだろう。離脱がなければ、英国が予定通り離脱しても、EUの崩壊は当面ない。元々英国は通貨統合には参加していないから、限定的なEUメンバーであった。

 大陸にあった英国領土を喪失してからは、英国外交の主要課題は、大陸の勢力バランスが崩れ一国が突出するのを防ぐことであった。通貨統合もせずにEUに参加したのは、その政策の延長と言えないこともない。しかし、英国は元来、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの連合帝国で、アイルランドに至っては、北アイルランドを残して独立してしまった。

 スコットランドは、住民投票で辛うじて、英国に残留した。しかし、スコットランド住民は大勢はEU残留にメリットを感じている。イングランドと利害が異なるのである。もし、フランスがEUを離脱してEUが崩壊したとなれば、イングラントとスコットラドの対立点は減る。

 逆にいえば、EUが崩壊しなければ、EUから離脱する英国にいるメリットは大きく損なわれる。つまりEU離脱後の英国の経済情勢の変化によっては、スコットランドだけがEUに加盟したいと考える可能性がある。これはスコットランドの独立志向を意味する。

 そうなれば、北アイルランド情勢に影響を与えないはずはない。そもそもアイルランド島のほんの一部だけを、凄惨な内戦までして英国に残させる、ということに無理がある。北アイルランドは、いずれアイルランドに吸収されるであろう。これは小生の願望であって予想ではない。

 太陽の沈むことのない、と言われた大英帝国も、本国自身が島国の中で小さく分裂するのである。トルデシリャス条約で地球をふたつに分け合った、と豪語したスペインとポルトガルは、かつての栄光の影もない。世界中の有色人種を不幸に陥れた、英国も末路を迎えた。その後継たる米国も超長期的にはムスリムや黒人の増加によって、その栄光は消えるであろう。



日本の使命は白人支配の打破である

 大東亜戦争の結果、ともかくも白人の植民地支配を解放した日本が、今後大東亜戦争の目的を完遂するために、残された世界史的使命は、未だに世界に強固に残る白人支配の打破である。大東亜戦争後、世界には有色人種の多数の独立国が生まれ、白人の世界支配は崩壊したかに見える。しかし、かつての植民地支配を蒸し返して批判しようとした、ミャンマーは軍事政権と批判され、こともあろうに宗主国英国に親を殺されたに等しい、アウンサン・スー・チー女史を擁立して批判を封じられた。

 アウンサン・スー・チー女史は少女の頃から英国に連れていかれ、英国の教育を受け、英国人の結婚し、流暢なイギリス英語を話す。それを英国は、いざという時の隠し玉として周到に用意していたのである。女史の父は独立の闘士として国民に絶大な人気があるからである。

事実上の大統領となって国政を運営する、アウンサン・スー・チー女史の政策は成功するかどうかはおぼつかない。しかし、植民地批判を封ずる役者としての女史の役割は、英国にとって終わった。今後ミャンマーの政治がどうなろうと英国は知ったことではないのである。

 支那は相変わらず、世界の白人支配には無関心で、時には欧米を利用し、時には欧米と対立する。自国の覇権だけを求めるための便宜主義に過ぎない外交をしている。それを打破できる資質があるのは、日本人しかないと思われる。

 例えば、日本は多年に渡る歴史から、世界に稀な宗教の平等を実現している。それは日本の国家元首は国際慣例から言えば、天皇陛下に他ならない。天皇陛下が行っておられる、在日外国大使の認証は、国際法上は国家元首の役割である。また皇室は神道の総本山と言えるだろう。ところが、皇室には権威はあるが、実際の政治権力を持たない。現在の政治権力は総理大臣をトップとする政府にある。それ以前は、政治的権威は征夷大将軍の率いる幕府にあった。

 だから総理大臣ら政府の構成員が神道ではなく、仏教徒でも何派かのキリスト教徒でもかまわない。この違いは米国と比較すれば、よくわかる。米国は大統領が権威たる国家元首であり、政治権力のトップである。ところが大統領は就任の際に聖書に手を置いて宣誓する。これをイスラム教徒ができようはずはない。

 米国大統領は、キリスト教徒でなければならないのである。従って日本のような宗教の公平は実現していないというのはこの意味でもある。現在、米国でムスリムの比率が確実に増大していることを考えれば、将来、何百年先か分からないが、米国がムスリムの多数国家に成ることは考えられる。すると民主主義の建前から言えば、ムスリムの大統領が出現ことは起こり得る。このとき聖書での大統領の宣誓は問題になるはずである。

 ともかくも現代世界で顕在化しているイスラム教による混乱を解決することができる可能性のある民族は日本人しかいない。さもなければ世界はキリスト教徒とムスリムの長い力の抗争の末、最終的に強きものが弱きものを抑え込むことにしかならない。その結果はかつてのようにムスリム優位の世界かも知れない。

 逆に宗教戦争で永年苦しんだフランスは、厳密な政教分離を実現せざるを得なかった。それが本当なら、政治家は一切宗教行事に参加してはならない、という意味である。それなら、葬儀に参加することも不可能なはずである。なぜなら宗教行事ではない葬儀と言うものは語義矛盾だからである。

 無宗教なら、死者単なる物体に過ぎないから、葬儀を行うこと自体あり得ないことである。死体を物体として適当に処分してしまえばいいだけのことである。葬儀を行うのは、何らかの不可知なものを認めるからである。それは広義の宗教である。日本でも戦死者を神道の靖国神社ではなく、無宗教の施設で慰霊すればよいではないか、という意見も散見するが、慰霊という行事そのものが、宗教的なものなのであって、無宗教での施設での慰霊はあり得ない。もし、無宗教と称して戦死者の慰霊施設を作ったとすれば、それは政府が新しいカルト宗教を創設することに他ならない。

 日本は永い間、権威と権力を分離することで、宗教の公平を実現して来たのに、維新で西洋の一神教文明を取り入れたことに始まって、敗戦による精神の混乱により、伝統的な宗教の公平と言う知恵を忘れつつある。だから日本人の使命たる、白人支配の打破は困難を極める。まず日本人の伝統的な知恵を回復しなければならないのである。



共産主義国家という語義矛盾

 マルクスとエンゲルスの発明が共産主義である。その共産主義とは、究極において国家の存在を否定する、アナーキズムである。アナーキズムこそが、極左である。その反対が極右だとすれば、国家絶対主義である。ところがソ連であれ、中共であれ、実在の共産主義国家とは国家絶対主義である。

 マルクス・エンゲルスの言う共産主義とはアナーキズムだから、共産主義国家とは語義矛盾である。むろん極左翼国家というものもない、ということになる。ソ連や中共は国家絶対主義だから極右国家という事になる。そのことは実際彼らの国策たる共産主義政策の実体が証明している。

 共産主義とは自由に働き、働いて発生した価値、すなわち利潤は、労働者自身が得るものであって、国家や資本家が得てはならないのである。だから国家や資本家から労働者が搾取されることはない、という理論なのである。つまり国家も資本家も労働者の敵として否定される。ところがソ連でも改革開放以前の中共でも、計画経済と称して、国家官僚が生産物と生産量を決め、労働者はそれに従い働き、一旦は生産物を国家に召し上げられ、労働者は国家からの配給を与えられるだけであった。

 これはマルクス・エンゲルスの言う資本家による搾取に他ならない。国家社会主義どころか、国家資本主義に他ならない。国家が資本家になりかわって労働者を搾取するのに過ぎない。極端なのは国営農場などである。農民は土地を国家に召し上げられ、その土地で国家の命令通りの農業をするのに過ぎない。ソ連も中共も一度はこのような集団農場を実行、対外宣伝を大々的に行ったが、集団農場自体が失敗に終わった。

 改革開放も、国家経由で外国資本を導入したのに過ぎないから、その本質は変わらない。労働者は相変わらず、外国資本の工場を通して国家から搾取されるようになった。外国資本を導入したのは、満洲に日本が残した資本をむさぼりつくして枯渇すると、中共自体が蓄積した資本がなく、技術も全く持たなかったから、国家は外国資本を利用しただけである。

 現在の中共では、一見中間層が増えているように見えるが実態はそうではない。外国資本の導入によって利益を得ているのは、外国との合弁会社における幹部職員である。この幹部職員とは実態は民間人ではなく、国家官僚である。国家官僚が労働者から搾取した利益を中間で奪い、残りを国家に上納する。受け取るのは中共のノーメンクラツーラ(赤い貴族)たちである。

 中共が西欧の資本主義と異なり、国家資本主義であるというのは、大量に作られる高層マンションによく表れている。高層マンションは売れなくても、国家の計画で次々と作られる。するとマンションというGDPが一見増加するばかりではなく、資材流通も起こり、労働者も賃金が受け取れる。

 昔ソ連では計画に基づき、使われもしない建設機械を量産して、使われないから河に放り込んだ。これは中共の売れないマンションとは五十歩百歩である。自停車操業どころではない。だからいずれ、中共は破綻する。経済は軍事力の基礎である。海外領土侵略を狙ってブルーウオーター・ネービーを建設しているが、経済がこんなことだから、中共海軍と言うのは張子の虎である。

 だが、いくら張子の虎でも、支那は伝統的にプロパガンダ能力が優れているから、張子の虎を本物に見せている。中共の沖縄の籠絡は着々と進んでいる。既にして朝日新聞やNHKは中共のプロパガンダ機関になっている。朝日新聞職員が、いくら日本のための正論を書こうとしても、籠絡された幹部が絶対に書かせない。

 朝日新聞には、人民日報の支局が、NHKには中国中央電視台(CCTV)の支局が入っているのは有名な話である。日本の大手メディアに、中共の国家情報機関に等しいものが入り込んでいる、というのはゆゆしきことである。



小型化で滅びたグラマン社の猫シリーズ


 かつての米海軍艦上戦闘機の雄のグラマン社は、ノースロップ・グラマンとして残っているものの、久々に取り返したF-14トムキャットを最後に、艦上戦闘機のシェアを失った。もちろん、厳しい航空機産業の競争に敗れたのが根本原因である。グラマン製艦上戦闘機の終わりの始まりは傑作と言われたF8Fシリーズであるように思われる。グラマン社はF6Fのように、手堅い堅実な設計が売り物であった。それが零戦の登場により、小型軽量化の必要性に迫られたといわれている。

 だが一説によると、零戦の影響より、空冷エンジンながら液冷エンジンより空気抵抗の低減に成功した、と言われるFw-190の影響の方が大きいとも言われているが、小生にはこちらの方が真実味を感じる。米軍は零戦の設計を脆弱過ぎるとみなし、構造や空力等の技術的な参考としてよりも、空戦法の欠点探しに心血を注いだ形跡がある。

 ともかくF8Fは同系統のエンジンを搭載したF6Fより大幅に小型軽量化された。しかも、当初は主翼に過荷重がかかると翼端が飛ぶという極端な軽量化までしたのである。このような方針はジェット戦闘機の開発になっても続いた。グラマン最初のジェット艦上戦闘機F9Fは、この流れにそった軽量小型機になっている。

 軽量小型化こそが、優秀な性能発揮の根本だと考えたふしがある。ところが、同じ系列のエンジンを搭載した、F6F、F8F、F4Uの三機種のその後の運命は微妙である。F6Fは手堅い設計のため、戦時中は大いに活躍したが、終戦とともに実戦用としては外されていった。F8Fは第二次大戦には間に合わず、終戦とともに生産数は削減され、フランスなどの海外供与機となって終わった。

 ところが、新技術を多用して空力的にも洗練されたF4Uは、朝鮮戦争に参加してジェット戦闘機の撃墜まで演じている。結局F4Uはジェット艦上機時代のつなぎとしての役割を演じた。F9Fの後継として開発したグラマンF11Fも小型化の路線をいって、採用はされたが、ヴォートF8Uや台頭してきたマクダネル社のシリーズに主力の座を奪われ、性能向上もあまりされずに終わった。

 F11Fに改良を加えて日本に売り込んだスーパータイガーは皮肉なことに、徹底した小型化と空力的洗練で、迎撃戦に徹したF-104に負けた。スーパータイガーは小型機にも拘わらず、汎用機の道をいったのが中途半端だったのである。その時点でF8Fに始まったグラマン社の小型艦上戦闘機路線は長く途絶え、グラマンは艦上戦闘機から外されたと思われた。

 ところがマクナマラ国防長官の海空軍戦闘機機種統一路線が示されると、グラマン社は主契約のジェネラル・ダイナミックス社の提携先として、F-111の開発に協力して復活した。ところがところがである。複数用途の性能発揮のために採用した可変後退翼などで肥大化した機体は、艦上戦闘機としては適さず、空軍にしか採用されず、グラマンの最も望んだ、猫シリーズの艦上戦闘機の復活はならなかったのである。

 それどころか空軍ですら、F-111は戦闘機としては大型に過ぎ、ベトナム戦争の教訓として得られた、戦闘機はミサイル運搬車としての速度性能だけではソ連機には通用せず、戦闘機本来の機動性が必要、という要求から、空軍ですら、まもなく海軍の開発したF-4を採用する仕儀となったのである。

 話題はそれるが、F-35はCTOLの艦上機と陸上機、STOVLの、最低三機種を同時に開発している。F-111ですら大型化して失敗したのに、F-35はF-22よりも小型化されている、設計の手際の良さは不可思議である。

 閑話休題。これでグラマンの猫シリーズの命脈が絶えた訳ではない。空軍が大型で高価なF-4を補完するハイローミックスの、ロー側の競争試作でYF-16、YF-17から、F-16を採用した頃には、F-4も陳腐化し、F-15を開発することになった。ほぼ同時に海軍もF-4の後継機としてF-14を開発した。いずれもMiG-25に触発されたと言われる、双垂直尾翼を採用している。

 このF-14がグラマン・トムキャットである。猫シリーズはようやく復活したのである。しかも、F8Fの小型化路線をようやく脱したのである。ところが、F-14は当初から機体とエンジンのマッチングが悪く、エンジンがストールを起こす傾向があり、空中戦などの機動に制限がかけられる、という問題児であった。だからほぼ同時に就役したF-15が未だに現役なのに、F-14は2006年に早くも米海軍からリタイヤした。

 小生は昭和53年頃、航空自衛隊のFX選定の時期にF-14とF-15が模擬空戦をしてF-14が勝ったと報道された時、航空自衛隊のFXは米空軍の制式機から選ばれるという、暗黙の了解があるのに、と思ったものである。それどころか、当時の小生は知らなかったが、F-14は最初から克服できない欠陥商品だったのであるから、その意味でもF-14の不採用は正しかったのである。

 安価なため採用されたYF-17の発展型のF-18がさらにスーパーホーネットとしてF-14をリプレイスして現在に至っている。これで猫シリーズの命脈は完全に尽きた。その原因は艦上戦闘機の小型軽量化に拘り過ぎて、陳腐化や多用途化に対応できなかったためのように思われる。それを脱したF-14は、時既に遅かったのである

 ところで、F8Fの模範となったとされる、Fw-190Aの発展型のFw-190DシリーズやTa-152シリーズは、日本では当時の最高性能機のようにいわれるが、テストした欧米での評価は案外高くない。日本で人気が高い、高高度戦闘機のTa-152Hなどは一見しただけで、あの長大な主翼では、高高度ではともかく、中高度以下では強度が持たず、まともな機動はできず、逃げまくるしかない。



そこまで米国製日本国憲法が有難いのか

 平成28年に時のオバマ政権の、バイデン副大統領が、トランプ大統領候補批判のなかで「日本国憲法を、私たちが書いた」云々と述べた。あまりの率直さに、日本国憲法至上主義者も驚いて考え直すかと思いきや、何の驚きも引き起こさなかったように見えた。日本国憲法が米国製であるのは彼らにも常識になっていて、この発言は意外でも何でもなくなってしまったのだ。


 その系譜は今に始まったことではなく、根は深い。日本国憲法擁護の重鎮の丸山真男の「後衛の位置から」という著書がある。それには「改憲問題と防衛問題との歴史的関連」という章がある(P24)。そこには、朝鮮戦争前後から、防衛問題がアメリカ極東戦略の要請から、憲法九条が日本の政治問題化していって、その結果一般的な改憲問題となった、という。

 つまり日本国憲法改正の動きは、米国の極東戦略の要請が発端となって起った、というのである。ところがこの章には「・・・翌二十八年の十一月には、ニクソン副大統領が来日して、戦争放棄条項を日本の憲法のなかに挿入させたのはアメリカの誤りであった、という有名な談話を発表した。」と書いてある。

 バイデン副大統領と同じく、ニクソンは米国が占領の法制度を変えてはならない、という国際法の基本に違反した、という重大なことを認めたのである。ところが、平成二十八年の護憲論者も丸山真男も、この点を一切問題にしない。この章で丸山はニクソン談話に一切コメントを書いていない。

 その代わり、ニクソン談話の前に、昭和二十七年に最初の安保条約が発効し、警察予備隊が保安隊となったことを書いている。談話の直後には、吉田首相は自由党に憲法調査会設置の要望を出し、改進党は憲法改正によって自衛軍を保持すべきと決議したと書いている。

 結局「ニクソン談話」が米国の「国際法違反を認めている」ということを問題にせず、米国の要請による防衛力保持のための憲法改正の流れ、というものを説明し「談話」をその時系列の中に埋没させることにより、憲法擁護の自説を補強するのに利用したのである。

 巧妙な逆転の発想である。米国の国際法違反を認める発言ですら、米国による改憲の謀略に見せてしまうことが出来るのである。病膏肓に入るというべき、日本国憲法神話は今更ではない。元々アメリカ占領軍が検閲や公職追放などの「日本国憲法」にすら違反する、あらゆる行為を駆使された結果、日本人は日本国憲法を有難がるようになったのである。

 まさに江藤淳の著書のタイトルの「忘れたことと忘れさせられたこと」という言葉がこのことを象徴している。



中共はまだ崩壊しない

 中共の大陸支配は盤石である。ある新聞で、中共が南シナ海の問題で仲裁裁判所で負けたことなど、このところ支那の外交は失敗し続けていると、いくつかの例を挙げていた。それ自体は事実である。ところが、それにも拘わらず、共産党政権がゆらぐどころか、習近平主席が追い落とされる様子すらない。

 香港で民主化運動が起ろうが、適当に弾圧して済ましている。反日教育に熱心なのは単に共産党の正統性を主張するだけで、巷間言われることがあるように、政権が倒れるのを防いでいる訳ではないと思われる。もし、尖閣での挑発が過熱して、日本と一戦交えて負けても、中共政府は平気であろう。過去にもベトナム戦争後、ベトナムに侵攻した。国際社会ではベトナムに負けた、というのが常識であった。


 ところが、国内的には懲罰戦争として宣伝し、一撃を加えて撤退したと押し通した。要は国内統制ができていれば問題はないのである。誰かがベトナムに負けたではないか、と政府を非難し、そのことにより反乱が起ることない状態であればいいのである。

 この10年位、中共のバブル崩壊で、経済がだめになるという、中共崩壊説が盛んである。数年前、中国は2014年に崩壊する、という本が出たが、2014年はとうに過ぎた。歴史が教えるところでは、支那の王朝の崩壊は内部ないし、外部からの反乱でしか崩壊しない。単なる経済問題だけで崩壊した王朝はない。

 天安門事件などで、アメリカに亡命した民主活動家の運動も、到底反乱の勢いを持っているようには思われない。中共政権はまだ70しか経っていないから、という訳ではないが、まだその時期であるようには思われない。

 ただし崩壊するときはあっけないだろう。その後長い混乱が続き、新しい王朝が興る。支那大陸の歴史はその繰り返しである、清朝崩壊後1949年の中共成立まで混乱が続いた。戦前の日本には、漢民族には国家統治能力がない、と見当違いな断定をした識者が多い。眼前における混乱が新王朝成立までの過渡期であると気付かず、永続するものと誤解したのである。逆にいえば過渡期の支那の混乱は、それほど物凄いものであったのである。

 支那の混乱期については、「満洲國の出現の合理性」(ブロンソン・レー)という本に描かれている。小生は戦前の古書で読んだが、最近、新訳が刊行されたようである。タイトルは変わっていると思う。

 余談だがレー氏は日本や満洲人への同情心から満洲国擁護論を展開したのではない。米政府の満洲国対応が、米国建国の理念に反すると考えたのである。レー氏は愛国者であって、親日家ではない。



反権力マスコミの嘘

 現代日本のマスコミは何かと、反権力と言論の自由を振りかざす。世の中にこれほど胡散臭いものはない。有名なジャーナリストは、日本の首相を何人も辞職に追い込んだと、反権力を自慢げに語ったのを、ある評論家に、それなら最も反権力の監視の対象となるべきは、その男自身だと揶揄していた。図星である。

 日本のマスコミの反権力とは、攻撃しても徹底的に反撃できない都合のよい権力者攻撃である。それも基本的に対象者は日本人だけである。日本の政治家が失言すれば、よってたかって叩く。それも外国の批判を招くから、という外国頼みのものすら多い。しかもその外国と言うのは反権力の言論の自由が全くないから、自己矛盾も甚だしいのである。


 現代も含めて、支那の歴代王朝には、公式史観という言論統制の枠がある。現在の王朝の正統性を保証する歴史観である。これに対する批判は許されないから、反権力の言論の自由はない。日本のマスコミが反権力を言う時に最もよく持ち出すのが、現代中共王朝の歴史観に日本の政治家の言動が反していた時である。曰く、中国から批判をされるぞ、である。

 反権力を標榜するときに、批判が絶対許されない他国の歴史観に則っているから、矛盾も甚だしい。井の中の蛙と言ってもいいだろう。

 欧米にしても日本人が考えているほどに、反権力の自由も、言論の自由もあるわけではない。言論弾圧もある。戦前米国のミッチェル准将は、戦艦に対する航空機の優位を主張していた。そこで戦利戦艦を演習で爆撃して見事に沈めてしまった。デモンストレーション見学に居並ぶ海軍の幹部は色を失った。ところが、海軍はダーティーなマスコミに金を渡してスキャンダルをでっち上げ、ミッチェルは屈辱の中で退役に追い込まれた。

 「東京裁判」で何人もの米弁護士が真摯に日本人を弁護した。大統領を非難する言論すら展開した。その結果、弁護士で米国での職を失った者もいた。大西洋無着陸初横断飛行で有名なリンドバーグは欧州戦争への参戦に対して、ラジオ放送などを通じて反対運動をした。そのため多くの中傷と非難をあび、脅迫までされた。かくほどに米国の言論には、自己の信念を貫くための不利を覚悟の上で戦う人士がいることである。

 ロシアや支那でそのような人士がいないこともない。ただ違うのがロシアや支那では例外であり、欧米では例外とは必ずしも言えないことである。さらに違うのはロシアや支那では言論弾圧の程度が違うことである。ソ連崩壊後といえども政権批判をしたために、不可解な死をとげたロシア人はけっこういる。

 中共では政権にわずかな批判をしただけで、行方不明になったり、ひょっこり現れて突然前言を翻す、という「事件」が最近頻発している。欧米でも同様な弾圧はないことはないが、ロシアや支那に比べれば例外的と言えることが違う。

 これらに比べれば、現代日本のマスコミの反権力とか言論の自由はままごと遊びの類であろう。そもそも日本のマスコミは維新以後、常にその時々の最も強い権力に追従していたのは事実が証明している。戦前のテロで多くの人が暗殺された。暗殺されたのは、どういう人士であったか。政治家、軍人、資本家、金融家である。この中に欠けている有力な職業がひとつある。ジャーナリストである。その原因は、ジャーナリストが常に最大権力に阿っていたことである。同時にジャーナリストが世論を形成する最大権力者であったことすらある。



稲田議員の試練

 平成28年8月5日の日本経済新聞に、稲田新防衛大臣のインタビューの「『侵略一概に言えず』■靖国参拝『心の問題』」と題した記事が載った。稲田氏は「百人斬り事件」の弁護をするなど、以前から保守の論客として知られていたから、日本のマスコミは中韓に気に入られない稲田氏の思想をターゲットにする気なのである。

 「日中戦争から第二次大戦に至るまでの戦争は侵略戦争か、自衛のための戦争か、アジア解放のための戦争か」などと記者が質問したのを、稲田氏がうまくかわして明言しなかったのが、マスコミはいたく不満だったのである。侵略戦争を否定すれば、失言だと書くし、肯定すれば節を曲げたので、ざまあみろ、と言いたいのである。

 ドイツのような敗戦国も含めて、世界の国々でこんな国はない。自国が過去に侵略戦争をしたといいたがるマスコミは、ドイツも含めてどこにもない。国際法の解釈は別として、欧米諸国で道義的意味では侵略をしなかった国はない。


 欧米の侵略と植民地支配は恐ろしく悪辣で苛酷であった。アヘン戦争は当時英国内でも道義的に問題にする政治家はいた。しかしそれはその時点での政策論争だった。それを戦後70年たって自国を侵略国家と言わなければ文句をいう、という日本のマスコミは世界的に見て尋常ではない。自国の過去を卑下すべきだと言うのは狂気の沙汰である。

 靖国神社の参拝にしても、中曽根内閣が中共政府内部の権力闘争に配慮して、参拝を止めてから問題にされるようになったのであって、それまでは中韓両国とも文句を言ったことはなかった。日本のマスコミが問題にして政治化すると、特に中共は外交カードに使えると、味をしめたのである。

 これらの事実をマスコミは百も承知である。それでもこの体たらくである。かの記事の最後は「稲田氏は今回、歴史問題について体系的に述べているわけではないが、今後議論を呼ぶ可能性がある。」と結んでいる。稲田氏が閣僚である限り問題にしてやる、という脅しである。

 小生は男女の区別なく、稲田氏の思想信条からして、今は総理大臣になってほしい逸材だと考えている。他の自民党議員は日本的リベラルとみられる人材ばかりである。自民党の思想信条のまともな人物は、かつての江藤大臣のように、自爆覚悟で信念を吐露してしまったケースが多い。

 このような売国奴的マスコミにいかに対応できるかが、稲田氏の首相への道の試金石となろうと思うのである。いや、安倍総理は試練を与えているのであろう。信念を正直に公然と語り自爆するのは学者であって政治家ではない。妥協のため信念を曲げるようでは、支持する価値はない。

 小生は丸川珠代議員の将来にも期待している。しかし、小池都知事と知事選挙前に遣り合った結果、選挙後の記者会見で小池氏と似た服装で登場して話題になったのはいただけない。服装で張り合うのは女性であることを利用している気配があるからである。総理大臣に男女の区別はいらない。丸川氏はまだまだ伸びしろがあるのだろう。



米国の滅亡

 ソ連崩壊よりかなり以前、ソ連が滅亡する原因として、イスラム社会のソ連内での急速な活動を指摘する本があった。しかし、ソ連は解体されたが、結局は旧ロシアに戻ったのに近い。ただ、帝政と言う統治形態を廃しただけである。帝政ロシアの時代は、ヨーロッパの一国に過ぎず、権謀術策でヨーロッパの国々と、色々な同盟を繰り返していた。


 ところが、ソ連は東欧を支配下に置くことにより全西欧と対峙することができる「大帝国」となった。ロシア帝国は単に皇帝がいるから帝国を名乗っていたが、ソ連は自国の他にヨーロッパの半分を支配することにより、米国プラス西欧と対峙することのできる、実力としての帝国であった。歴史的にはそれが異常だった。結局ほぼスラブ民族の一部によるロシアに戻ることにより、帝国は解体されたが滅亡は免れた。

 アメリカはどうだろう。アメリカは何時かは、滅びる。滅びた結果の、現在の合衆国領土はどういう統治形態になっているか、予測はつかない。しかし、滅びる原因は民族問題である。現在の支配民族はWASPと呼ばれる白人である。ところがヒスパニック系や黒人の増加が著しく、いつかはWASPは少数民族となる。それが米国滅亡の始まりである。

 米国は、黒人が公民権を得て、建前の人種間の平等が成立してから何十年もたつのに、人種差別はなくなるどころか、潜在的にはひどくなっているとさえいえる。それに、イスラム系のテロやメキシコなどからの不法入国である。

 中共にしても、漢民族ですら複数の異民族から構成されている。だがアメリカと決定的に異なるのは、福建人でも広東人でも、歴史的に民族と土地が結びついている。だから漢民族国家が分裂する可能性はある。しかし、ウィグルのような異民族は別として、漢民族にはなぜか統一志向があり、統一と混乱を繰り返している。しかし、多くの識者が言う通り、各王朝間には連続性はない。滅亡と勃興を繰り返しているだけである。

 これに対してアメリカは、一つの州をとっても色々な民族、人種が住んでいる。白人と黒人とヒスパニックを例にとれば、州内で相対的にどれかの民族が多いと言う地域はあるにしても、民族や人種と土地との歴史的結びつきは希薄である。大雑把に言えば、アメリカは各州に色々な人種がばらまかれているのである。

 だから、、アメリカが民族ごとに分裂する地理的に起因する必然性は少ない。ところが黒人とヒスパニックは、人数に於いて白人を圧倒する時期が来るのであろう。そうなったときWASPのアメリカ、という本音のアイデンティティーは崩壊する。その時が米国の滅亡の始まりである。

 支那でモンゴル帝国が滅んだとき、再統一は漢民族と呼ばれる、いくつかの民族が定住する地域で統一された明朝が成立した。WASPを漢民族になぞらえることは困難である。米国にはWASPだけが住む歴史的地域はないのだから。

 その一方でカナダには白人がいて、中南米には米国のヒスパニックに人種的に似た人々が住んでいるから、WASPの衰退は南北アメリカを巻き込んだ混乱を惹起する可能性がある。また、現在でも厳然として黒人やインディアンに対する差別は存在するのだから、それらの人種が占有する居住地域を作って独立する可能性はある。だから米国の滅亡の始まりから、アメリカ大陸の国家の再編までには、永い混乱期が続くのだろう。それどころか、終わりの始まりですら、今生きている人間は見ることができない先の話である。



○曽野綾子氏の舛添知事擁護論の見当違い

 既に旧聞に属するが、産経新聞平成28年6月15日の、曽野綾子氏の舛添前都知事に関するオピニオンは、氏らしい意外な着想だが、筋論としてはおかしいことが多いと考えられる。氏は知事が海外出張するときは、ファーストクラスでスイートルームをとるのは当然である、という。だがどんな組織にも旅費規程のようなものがあり、一定以上の役職ならファーストクラスやグリーンの交通費を払い、役職に応じて宿泊費が規定されている。

 インターネットで調べたら東京都には「職員の旅費に関する条例」というのがあった。まず海外出張の航空運賃であるが、都知事のような「特別職」は運賃が二段階設定の場合は上級の運賃、三段階の場合には、中級とある。例えばファーストクラス、ビジネス、エコノミーがある便の場合はビジネスを適用、ファーストクラス、エコノミーの場合はファーストクラスを適用となる。ファーストクラスだから即いけない、という訳ではないという曽野氏の意見は正しい。そしてエコノミークラスに乗れと言わんばかりのマスコミはおかしいのである。

 余談だが、小生は10年以上前に、東海道新幹線で、指揮者の小澤征爾氏を見かけたことがある。小生と同乗していた人は、しばらく前に、イベントに小澤氏をよんで間近で見たから、間違いない、という。何と小澤氏は小生と遠く離れていない普通車に乗っていた。グリーン車ではないのだ。その後しばらくして、上野駅構内の雑踏で、一人か二人のお付きらしい若者と立っていた。世界的指揮者が大勢の者を従えて威張り腐って闊歩していたのではなかったのに驚いた。

 次に条例の宿泊費を見る。すると、外国旅行の旅費は一日当たりの「日当」、一夜あたりの「宿泊費」と「食卓料」の計3つで構成される表がある。表の指定職で3つの一番高いものを合計すると、41,700円となる。マスコミが都条例の宿泊費の上限は4万円と主張するのはこのことだろう。正確には、日当はホテルに払う宿泊費ではなく、昼食その他の滞在の経費だから、一泊二日なら日当は二日分払われる。そんな厳密なことは無視しよう。

曽野氏の言う「スイートルーム」は当然、というのはどの程度を言っているのか分からないが、一泊二〇万円というのは、どう考えてもべらぼうである。ちなみにインターネットでホテルの宿泊予約検索すると、国内の場合だが、大抵一泊二万円を超えると「ハイクラス」と表示される。都条例は既にハイクラスであるが知事クラスなら当然だろう。

 都条例を遥かに超える宿泊費を毎回使っていたのは条例違反である。条例の金額が世界の常識に反しているのなら、都条例の規定を改めなければならないのであり、改めずに毎回べらぼうな宿泊費を使うのを繰り返すのは単なる条例違反である。

 VIPだからといってホテル側が勝手におためごかしに高い部屋に泊まらせて正規料金を払わせることがあって、迷惑な話だと、曽野氏は同情するのだが、その次から反省して担当がホテル側のおためごかしに騙されなければいいのであって、条例違反を黙認する理由にはならない。そもそも舛添氏は「知事が二流のビジネスホテルに泊まれますか」と反論した。誰も二流のビジネスに泊まれとはいっていない。そんな下手な論理のすり替えをするから国民は怒ったのである。

 湯河原なら災害時にも、そんなに時間もかかれずに都庁に戻れる、と曽野氏は言う。だが災害時という緊急時に何時間もかけて戻らなければならないところに、毎週定期的に二日以上滞在するのが危機管理上問題である。災害なら交通網が寸断されて、都知事が都庁に付けなくなる確率が高いことを想定すべきである。これは曽野氏らしくもない言説である。

 舛添氏は「私がいなくても副知事が代行できる」といったが、危機管理を全く知らない暴言である。都でも、知事に何かあれば副知事が、その副知事にも何かあれば誰々にと、職務権限を継承すると言う緊急時の規定があるはずであって、舛添氏はそれを言っている。

 しかし、それは知事が万一指揮を取れなくなる非常事態を想定した規定である。毎週末知事が指揮を取れなくなる可能性の高いところにいることが常態化している、という事自体が危機管理を知らないのである。その点は悪評の高かった菅元総理よりたちが悪い。知事がいなければ、副知事が代行できるからよい、というのが慣行化常態化しているのなら、最初から知事という役職者はいらない

 第三者による調査に時間がかかったのが問題だから、徹夜でも調査させるべきで、できないのが社会的問題である、と曽野氏はいうのだが批判としては的外れである。時間より根本的な問題を見逃している。舛添氏は自費で弁護士を雇ったと言う。それなら、法的には弁護士は依頼人の舛添氏の個人的利益を守るのが責務の「代理人」であり、弁護士倫理規定にもかなっている。

 当然であろう。裁判では原告と被告の双方に弁護士が付き、弁護士は報酬をもらうから、双方の弁護士の主張は異なる。舛添氏の代理人たる弁護士が、誰からも反論の余地のない客観的な調査をすることはあり得ない。例えば、弁護士がもっと調べるべきことがあると考えても、舛添氏に不利になる可能性があれば、調査しないでおく方が、舛添氏の代理人たる弁護士としては正しいのである。

 確かに明白に、政治資金規正法違反だと言える案件は指摘されていない。新聞の投書にあったように、舛添氏はかつて、同法はザル法だといっていた。それを機能させるには、政治家個人の倫理性に頼らざるを得ない。だから、舛添氏は何度も政治家や公務員の倫理保持の必要性について語っていた。結果的に舛添氏はザル法だから放っておいてはよくない、と主張していたのである。それを承知で舛添氏が、ザル法を逆手にとっていたから嘘つきなのである。ちなみに小生は政治資金規正法をいくら厳格化しても無駄で、政治家の倫理性に頼るしかない、と考えるものである。

 曽野氏は、美術品の所在が分からないのは、都庁の役人の怠慢である如きことを言う。だがこの件も含めて、曽野氏には、首長は総理大臣と比べても、遥かに独裁的権限を持っている、という根本的認識が欠けているように思われる。本来日本の公務員は、物品管理にはうるさいほど几帳面である。だが買った美術品の保管場所を確認させて下さい、と部下が言っても、余計なことをいうな、と言われればお終いである。横暴とは思っても、部下は従わざるを得ないことが多いのである。

 だから、舛添氏ばかりではなく、宿泊費が条例違反だと首長の部下は諫言できないのである。今回明らかになった最大の問題は、首長が節操を無くして独裁権限を振り回した、と言う事であろうと思う。東京都の場合には組織が大きいし、マスコミなどの監視は厳しいからましな方である。だが、県、市町村など組織が小さくなり、人間関係が濃密になると、首長の独裁的傾向はひどくなる。小さな組織で、何期も連続して首長をしている自治体では、幹部ばかりではなく、かなり末端の職員まで横暴な首長の顔色を窺わなければならない実態があり得ることこそ問題である。

 曽野氏の言うように、わずかな私的流用のために、多額の議員給与が浪費されたことが問題なのではない。独裁権限を乱用した首長が、政治資金規正法については違法性をないことを利用して居座り、それをやめさせるのに多額の議員給与が浪費され、マスコミが大騒ぎしなければならなかったことが問題なのである。

 個人的な妬みの溜飲をさげた人たちを見るのは、あまり楽しくない、という氏の結語は大いに賛成である。一部週刊誌のような、舛添氏の少年時代の生活を私的流用の心因であるがごとき報道は下品の極みである。だが、以前は高潔と見られていた舛添氏が、首長と言う独裁権力を手にすると、次第に暴慢な独裁者の如き者になり果てたのは、多くのトップが他山の石とすべきなのであろう。毎週湯河原まで車で送ることを批判した部下に「俺の車を自分で使って何が悪い」と言ったと伝えられるのは、事実ではないにしても、象徴的である。



どこの国でも共産党は「赤い貴族」を生む

 平成28年7月10日の参議院選挙の開票日、フジテレビで主な政党の紹介をしていた。もちろん泡沫政党の社民党は紹介されない。傑作なのは「日本共産党」だった。のっけからソ連共産党の日本支部として、日本の共産党ができた、と言った。堂々と日本共産党はソ連の傀儡だと出自を語ったのである。

 党本部は85憶もかけて建直した豪華なものであるのはいいとして、受付のおじさんから、食堂で働く人まで全員が正職員であるばかりではなく、志位議長をはじめとする幹部も含め、おじさんたちも全員が同じ給料だから、俸給表などはない、というのだ。なるほど共産主義者らしい建前の世界だ。

 馬脚はすぐ現れた。前トップの不破哲三氏の自宅を紹介したのだ。もちろん敷地にカメラは入れないが、遠くから撮影する木の間から見えるのは、巨大なと言うべきものすごい豪邸であった。なにせ近隣にある運動場を含めた小学校と敷地面積がほぼ同じだと言うから、その大規模さが分かる。

 これを見てソ連の、ノーメンクラトゥーラ(赤い貴族)という言葉は死語ではないと思った。共産主義のご本尊のソ連も私有財産の保有は禁じられ、共産党幹部から一般市民まで全員が平等のはずであった。実際には共産党幹部は、ノーメンクラトゥーラと呼ばれる特権階級である。豪邸や別荘を保有し、外国の高級料理を好きなだけ食べられるし、ソ連製のボロ乗用車ではなく、専用ドライバー付の高級外車を乗り回した。

 一般国民は食料を長い列に並んでも買えないこともあるのに、赤い貴族には好きな食料でも何でも好きなだけ手に入る。要するに建前の給料以外に欲しいものは、ソ連政府、いやその上に立つソ連共産党が与えてくれるのだ。

 日本共産党幹部の豪邸の陰には、同じシステムがある。日本の赤い貴族なのである。不破哲三には100冊を超える著書があるそうだ。アナウンサーが豪邸を見て、印税が入るからでしょうかね、と言っていたがそうではあるまい。桁が違う。その印税ですら、末端の貧しい党員が、なけなしの安い給料から不破氏の本を買って得られる。

 それどころか、建前から個人資産ではまずいから、豪邸は日本共産党の保有で、豪華な食事も好きなだけ日本共産党が支給するのであろう。不破氏しか使えないのだから、実質は不破氏の資産であるのに固定資産税も払わずに済む、というメリットすらあるのであろう。

 毛沢東は国民が餓え死んでいる時、豪華な食事を楽しみ、若い女性をとっかえひっかえはべらせた。赤い貴族の頂点である。日本共産党は政権も取っていないのに、赤い貴族を生んだ。正確に言えば、現幹部は生きているうちには政権は取れないから、生きているうちに、共産主義政権の神髄たる、赤い貴族位にはなりたいのであろう。かくして見れば共産主義政権が赤い貴族を生む、というのは必然である。選挙番組は意図せずして面白い光景を見せてくれたのである。



日本の変革は政界再編ではできない

 保守の多くの心ある人たちは、日本の変革を政界の根本的再編によって行うべきだ、と信じているように思われる。心ある人物かは別として、小生もかつては同じ考えであった。現に自民党から離脱した保守政治家に、それを実行しようとしている人たちがいる。例えば、日本のこころを大切にする党である。

 石原慎太郎ともに平沼赳夫らが結成した太陽の党を解消して結成した日本維新の会は、石原慎太郎が橋下大阪市長当時、橋下に期待した政党である。石原は橋下の思想を読み違えていた。慰安婦問題などに対する橋下の正論に幻惑されたのである。橋下の言動は、その時々の判断で正しいと考えていることを強く表現するだけで、確固とした思想や歴史観に基づくものではなかった。

 それが分かった石原は日本維新の会から離れたのである。石原の考えは憲法観などの一致する、保守政党を立ち上げて、既存の各政党にいる、同様の志を持つ政治家を糾合すれば、自民党より正統かつ大きな勢力になり、共産党などのような反日としか考えられないような勢力を圧倒できると考えたのであろう。さらにうがった見方をするなら、それらが弱小化してものの数ではなくなって、保守政治家が糾合した大きな保守政党ができた時、分裂して保守二大政党政治に至る、と考えられる。

 現に戦前の二大政党は、根本的に歴史観や国防観に違いはなかった。ところが皮肉なことに、それ故政権欲しさに泥試合を演じて、肝心の国防や外交を政争の具にしたうえ、これらの問題に政治的回答を出そうとしなかった。そのため、危機を実感していた国民は政党ではなく、解決策を提示した陸軍に期待した。

 例えば、大陸で激化する反日テロについて、一向に外交的解決策を出さない政党政治に対して、陸軍は満洲事変と言う解決策を出したのだった。その挙句は大政翼賛会という政党政治の終焉であった。だから二大政党政治が現今の日本にも適しているか、は大きな疑問なのである。

 少々脱線したが、民進党にも健全な保守政治家はいる。反対に、引退した加藤紘一のように利益誘導型政治手法だけが自民党的で、思想的には非保守反日の典型のような政治家が自民党にも多数いる。あろうことか、反日極左の牙城である雑誌世界誌上で安倍政権を批判する大物の元自民党政治家さえいる。

 他にも日本のこころを大切にする党と類似した思想の、旧自民党政治家を集めた政党はある。これらをひとつに集めても現在では少数勢力であるのに、糾合する様子はない。もちろん自民党や民進党を離脱して、これらの政党に加わる政治家がいる様子も全くない。結果から言えば、平沼や中山恭子らのしたことは、腐っても保守の一大勢力である自民党を弱体化させ、自民党が思想の真逆の公明党と組まざるを得ないと言うことになった。

 その原因は思想の小異を超えて、大同に付くと言うことができないことと、政治家にも人間関係がある、ということであろう。その典型が郵政民営化問題である。民営化に反対した有能な政治家が自民党を離れた。民営化自体は健全な保守かどうかを判定するリトマス試験紙ではなかったのに、である。

 それ以前にも小沢一郎による、二大政党政治を目指した自民党からの分裂があった。大きく見れば、小沢は冷戦の終結により、日本における親社会主義政党が崩壊して、保守による二大政党政治が実現するチャンス、と考えたのであろう。小沢の真意はともかく、それまで社会党や共産党に自民党へのチェック機能しか期待せず、決して政権を与えなかった多くの国民は、そう期待したのである。

 ところが、冷戦が終結しても自民党の社会主義シンパは駆逐されず、共産党は衰退しなかった。それどころか、社会党という消えゆく政党に見切りをつけた労働組合は、自民党の離脱者と松下政経塾出身のノンポリ議員と旧社会党議員を糾合した民主党を作った結果、一時は自民党に勝つに至った。

 自民党の離脱者と松下政経塾出身のノンポリ議員は、民主党の組織票基盤が実は極左に近い労働組合であるという事実を国民の眼から隠す、隠れ蓑に使われたのである。だから、民主党の左派は国民の眼を騙すことに成功し、一度は政権をとったものの、党綱領すら作れない政権担当能力皆無の政党であることを露呈して崩壊し、また勢力を再編し民進党となったが、本質に変わりはない。

 結局のところ、石原らが考えたであろう、政界の大再編による保守の糾合は成らない、と結論するしかない。維新以前の日本もそうであった。水戸学などの影響により、徳川政権はもうだめだから、大変革をすべきだと言う考え方は、何も幕末にペリーなどの欧米勢力の来航に慌てて興ったものではない。

 例えば勤皇論を唱えて高山彦九郎が自刃したのは1793年、維新が成る80年近く前である。幕府の機能は既に命脈が付き、根本的変革が必要だと見通して運動を起こしたのである。しかし、彼の思想が生前に結実することなかった。だが、継承された思想が維新のひとつの原動力となったのも事実である。その意味で日本への本当の回帰があるとすれば、今期待されている政界の再編によるものではなかろう

 高山のように、今日本の危機への警告を乱打する識者は多い。だが日本国民もマスコミも多くは、日々の生活に目を奪われている。経済さえうまくいけばいい、と言うのである。英国のEU離脱の国民投票結果が出ても、経済危機に注目するだけで、それが欧州の政治情勢、ひいては世界の政治情勢の混乱の可能性に言及するマスコミは少なく、テレビに至っては聞いたことがない。

 日本はこのままゆでガエルとなっていくのかも知れない。文革で一千万人の犠牲者が出たのは、単に毛沢東の責任に帰するわけにはいかない。間接的であるにしても国民の責任は大である。その証拠に一千万も殺したと言われる毛沢東の、中共国民へのカリスマは失われていない。日本の国体の背骨は近代における西欧思潮の乱入と、GHQの言論統制によって、相当に傷つけられているのは間違いない。



十二月八日の記

 大東亜戦争が始まったとき「これは大変な事になったと不安に思った」あるいは「アメリカのような大国と戦って勝てるわけがないと考えた」という文章は現在では珍しくないが、これは大方嘘である。

 もう散々このコラムでは「大東亜戦争」という言葉を使っているので抵抗はないと思う。実は私自身も子供のころ、両親が大東亜戦争と言っていたので、何と古臭いと思っていた。しかし、正式の呼称としてはこれが正しいことを理解してからは、自ら洗脳したのである。だから今は、太平洋戦争と言う言葉の方に違和感を感じるまでになった。

 今ではよく、知られているように「太平洋戦争」というのは占領軍の検閲によって昭和二十年の秋頃から新聞やラジオを通じて普及された名称で The Pacific Warの直訳である。米国にとっては、この戦争は太平洋の覇権を争うという政治的意義があったのであるから、太平洋戦争とは米国の都合による名称である。米国が太平洋戦争と呼ぶのは勝手であるが、だからといって日本人が追従することはない。二国間の歴史的事件は双方の国で呼称が異なる場合の方がむしろ多いのである。

 ところで昔母に「戦争が始まったときにどう思ったの」と聞いた事がある。意外にも「ついに来るものが来た、と思って晴れ晴れとした気持ちがした」と言った。当時の小生には大いに意外だったので、忘れもしない。母は関東大震災の年の生まれだから当時十八歳位で、充分ものごとのわかる年齢であった。当時の世間の雰囲気はよくわかっていたのである。

 戦後に書かれた回想ではなく、当時刊行された新聞や雑誌などを見れば母の感想が例外ではなかったことは明らかである。

 例えば詩人の高村光太郎は開戦にあたって次のような文章を雑誌「中央公論」に発表している。当時五十八歳である。

「十二月八日の記」

 箸をとらうとすると又アナウンスの声が聞こえる。急いで議場に行つてみると、ハワイ真珠湾襲撃の戦果が報ぜられていた。戦艦二隻轟沈といふやうな思ひもかけぬ捷報が、少し息をはずませたアナウンサーの声によつて響きわたると、思はずなみ居る人達から拍手が起こる。私は不覚にも落涙した。国運を双肩に担つた海軍将兵のそれまでの決意と労苦とを思つた時には悲壮な感動で身ぶるひが出たが、ひるがえつてこの捷報を聴かせたまうた時の陛下のみこころを恐察し奉つた刹那、胸がこみ上げて来て我にもあらず涙が流れた。    (仮名遣は原文のまま)

 この文章の意味するところは明快であるが、戦後世代がこの感覚を実感するのは不可能に等しい。しかし、これは自然な感情の発露と解するより他ない。「軍国主義者」の脅迫で無理矢理書かされたものであり得ようはずはない。高村光太郎は他にも「彼らを撃つ」と題する、現在からみれば過激としか思えない詩も発表している。室生犀星、佐藤春夫、草野心平、太宰治、坂口安吾、高浜虚子その他、開戦に感動した詩や文章を発表した文人人士は数え切れない。

 余談だが、マレー沖海戦で、山本五十六は、英戦艦を二隻とも撃沈するか、一隻だけかで幕僚とビールを賭けた。山本には高村光太郎の「・・・私は不覚にも落涙した。国運を双肩に担つた海軍将兵のそれまでの決意と労苦とを思つた時には悲壮な感動で身ぶるひが出た」という精神はなかったのである。しかもこの時敵将フィリップ提督は自決して、乗艦と運命をともにしたのである。

 閑話休題。ところが戦争に負けると、何故か多くの日本人は開戦時から戦争には勝てないと思ったり、内心戦争に反対であったかのような言動をすることになった。学者や芸術家などで、戦後になって全集から戦争を賛美するような文章や作品を削除したり、目立たないように編集した人は多い。筆者が故人となってしまったために、後の編集者が削除などした例もある。「君死に給うことなかれ」で反戦詩人のように言われている與謝野晶子は開戦にあたって

  水軍の大尉となりて我が四郎み軍にゆくたけく戦え。

という短歌を発表している。反戦詩人というキャッチフレーズは後の世代により意図して作られたもので、晶子本人の本意とするところではあるまい。ちなみにフランス在住が長く、高名な藤田嗣冶は、戦時中帰国して、戦争画を多数書いた。それがたたって、戦後一転して世間から指弾され、嫌気がさしてフランスに戻ってフランスに帰化してしまった。藤田の戦争画を見て感動した人も、戦後指弾した人も同じ人物たちに違いないのである。ひどい話である。

 最後にクイズ。「天声人語」というコラムのタイトルは昭和二十年九月六日から復活しています。それまでの戦時中のタイトルは何といっていたのでしょう。

答え「神風賦



若冲展

 平成28年は、伊藤若冲生誕300年ということで、東京都美術館で若冲展が開かれていた。混むだろうと思って、連休前の平日を選んだが、美術館に行くの途中のチケットショップで40分待ちですが、と言われたで驚いて帰ろうとしたが、今までで一番空いている、というの諦めて列に並んだ。それどころか、その後テレビ放映があったせいか、連休明けは平日でも、4時間待ちの日があったと言うから驚いた。一般に浮世絵師の肉筆画に比べると、流石に技量は高い

 だが驚いた1枚があった。石燈籠屏風図(公式目録番号36、以下数字はそれを示す)である。かなりの大作だが、僅かしか彩色が施されていないで、燈籠が点描で描かれているのだが、他の水墨画に比べて、正直テクニックと言うものがなきに等しい。失敗作であろう。批判する者はいなかったが、流石に他の作品の驚くような混み具合に比べ、見物人はまばらである。黙しても鑑賞者は自然に評価しているのである。

 どんな技量の画家でも、不得意な画題、と言うものがある。この屏風は不得意なものを選ばざるを得なかったのだろう。釈迦三尊像 釈迦如来像(1-1)の三幅の、特に顔の部分であるが、やはり、不得意の節が見える。

 「百犬図」(15)は動物であるにもかかわらず、小生には子犬の表現はいまいちである。どうも鳥や魚などに比べ、哺乳類や人物は得意分野ではないように思われる。

 これは偏見かもしれないが、画業に専念したばかりの40代前半に描かれた「鹿苑寺大書院障壁画 葡萄小禽図襖絵」(20-1)の見事な筆遣いと比べると、70代半ばに描かれた「蓮池図」(36)は、線や面の使い方など、後者は粗雑に見える。年をとれば筆は慣れていても、反射神経や視力に衰えが生じるのではなかろうか。若冲は手が元々いいのである。おわかりだろうか。手筆に恵まれているのである。努力もあったのであろう。それにしても、若冲の筆遣いはすばらしい。

 しかし、筆遣いは歳をとれば、どこかをピークとして衰える。イチローのバッティングセンスと同じである。老境に入って衰えたのは仕方あるまい。しかし、それを指摘しないのは本人にとっては最大の失礼ではなかろうか。画狂人と称して、歳をとれば筆がさえると言ったのは北斎本人の幻想であって、真に受けるものではない。

 若冲がこのところメジャーになっているのは、若冲のセンス、特に彩色画のセンスが、現代のアニメや漫画、イラストレーションなどに強い刺激を与えるものであるからだろうと思っている。江戸期の肉筆の絵師は、狩野派のようなお抱えグループではない、若冲のような民間の個人は少ない。これは浮世絵のような大量出版物にように、薄利多売で大きな利益を上げることができないためであろう。

 若冲は若くして青物問屋の跡取りとして、比較的生活にはゆとりがあった。40歳になって弟に家督と家業を譲ったのも、それまでの蓄えがあり、画の修業が一応の完成の域に達した自信があったからだろう。1枚の単価を高くしなければならない、肉筆画で生活を支えるのは、狩野派のようなパトロンがいなければ困難だったのである。日本でも西洋でもパトロンの存在(王侯貴族)がなくなって、肉筆の絵画が衰退したのは無理からぬことである。芸術で生計を営むことができる、というのは芸術家の最低限の要件である。その点でパトロンもなしに、生前から財をなしたピカソは、その1点において大天才である。



衆愚のトップ舛添知事

 猪瀬前知事は、不正献金で辞職した。多くの国民は政治家が多少なりとも金のかかる選挙のために、何らかの不正献金に手を染めているがばれないだけだと考えている。猪瀬氏はばれただけなのである。

 ところが舛添氏の場合の不正は、全て税金を個人的の贅沢に使っている、という点で猪瀬氏とは全く異なる。不必要に一泊20万近い外国の豪華なホテルに泊まって、個人で贅沢三昧をするとか、果ては家族の散髪代まで都庁につけ回しをしたり、勤務時間中に公用車で別荘に帰ってしまう。職務専念義務違反である。

 全てが私的な楽しみの経費を、都民の税金で払わせている。猪瀬氏のケースに比べ、下品でせこいこと極まりないのである。週刊文春には、就任の都幹部への挨拶で、西郷隆盛の遺訓を紹介して「万民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節倹を勤め、職事に勤労して人民の標準となり、下民其の勤労を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行はれ難し」と訓示したそうである。

 いまこれを思い出して赤面しなければまともではない。民主主義は衆愚政治に陥りやすいといわれる。舛添氏自身が愚鈍な衆愚の最右翼なのである。上に立つ者は「職事に勤労して人民の標準となり」、と知事は訓示した。

 それならば、知事の訓示に従い、人民すなわち平の東京都職員は、週末の三時から別荘ならぬ、自宅に官用車で帰って、ゆっくり風呂に入って疲れを癒すのがよかろう。そんな立派な風呂がなければ、知事の別荘に行ってくつろがさせてもらう権利があると、知事自身が言っているのである。恥を知れ、という一言しかない。



ハイオクは設計性能以上のパフォーマンスは出せない

 以前の著書「技術戦としての第二次大戦」でもそうだったが、兵頭二十八氏は、近著「地政学は殺傷力のある武器である。」でもオクタン価についての無理解を繰り返している。そのことだけを指摘しておく。

 「技術戦・・・」では「レシプロ発動機では、オクタン価の効果は小さくなかったようです。ハイ・オクタンであるほど、スロットルを全開にしたときの発熱量が少なかった。」などと、述べている。これらが全くの間違いであることは、専門家に聞いたり内燃機関工学の入門書をかじらずとも、インターネットを検索すれば簡単に分かる

 それ以前の常識として、熱機関は発熱量が大きいことが、エネルギー量が大になることだから、スロットルを全開しても(出力を上げようとしても)発熱量が少ないという事は矛盾である。「技術戦・・・」の間違いは「書評」で別途説明してあるのでご覧いただきたい。

 「地政学・・・」では更に「100オクタンの戦闘機用ガソリンエンジンは、スロットルを全開にし続けても・・・・・離陸後にオーバーヒートを気にせずに急上昇することが可能で・・・」(P153)とある。氏の記述を見ると、オクタン価がノッキングという異常燃焼の抑止の程度を表しているのを、過熱(オーバーヒート)の抑止と誤解しているようである。

 例えば圧縮比を大きくして、小型軽量のガソリンエンジンを設計しようとすると、ノッキングが起きやすくなる。ノッキングが起るとシリンダやピストンを損傷し使えなくなるから、防止のためにハイオクが必要となる。実際にはエンジンを設計する段階で、何オクタンのガソリンを使うことができるか想定する。

 だからハイオクで設計していないエンジンにハイオクを使っても、「基本的には」設計以上の性能が出ることはない。逆にハイオクで設計したエンジンに、低オクタン価のガソリンを使うと、出力制限などをしなければならない。誉エンジンの性能が発揮出来なかった原因の「ひとつ」がこれであることは知られている。

 だから氏が「英軍機がエンジンが最新型でなくとも、米国製のハイオクガソリンのおかげで、設計性能以上のパーフォーマンスを引き出せたのです。(P154)」というのが間違いなのはお分かりいただけよう。

 ついでに石油生産量についての疑問をひとつ。1939年のドイツの石油生産高は年産450万バレル、1940年のアメリカは1日に400万バレル(P157)とあり、あまりの桁違いに驚いた。ところで1939年のアメリカの原油生産量は世界の半分を占め年産1518万トン(P155)とあった。直観的に年産に比べ日産があまりに多すぎると思えた。

 大雑把な計算だから、1000ℓを1tとし、1バレルを159ℓとして年間365日生産すれば、日産400万バレルというのは

 400万×159×365100023,1214万トン/年

 となり一桁違う。もちろん、石油の比重は1より小さい。1バレルの値も時代や測るもので違うが、倍半分の相違はないから、この値が半分になることもない。半分になっても10,000万トンは楽に超える。また、年産は原油生産量とあり、日産は石油生産量だから1対1ではないのかも知れない。ところが原油生産量に対する、石油生産量とは原油から精製された石油だとすれば、石油生産量1バレルは原油に換算するとさらに大きくなる。素人計算で情報量も少ないので、何かの抜けていることがあるかもしれない。とにかく疑問を持った次第である。



○沖縄基地問題

 保守陣営は沖縄基地問題を日米同盟の必要性の観点から語る。それも間違いではないのだが、本質はそこにはないと思うのである。大東亜戦争とその後の経過から米国は支那本土への足がかりを失った。その代わり在韓米軍と沖縄を得た。返還前の沖縄での米国の施策をみれば、米国は沖縄を信託統治領のようにして、永久に保有するつもりだったと考えられる。

 何万人もの犠牲で得た沖縄を返すつもりはなかったのである。「太平洋戦争」は米国の正義の戦争であり、領土を増やす目的ではない、という米国の建前を逆手に取ったであろう佐藤政権が、沖縄返還に成功したのは、世界史上の奇跡であったとしか考えられない。

 敵対する支那大陸政権に対するバッファとして、在韓米軍は必要である。これを支えるために、本土の基地より自由に使える沖縄の基地重要である。だから返還以前と同じ条件で基地を使える、という妥協点で返還に応じたのであろう。繰り返すが沖縄の基地は米国の立場からすれば多くの犠牲の上に得た、「領土」である。マクロにみれば日本本土にしても似たようなものである。

 安保条約と在日米軍は日本の軍事的自立を防ぐ「ビンの蓋」だと言うのは、米国の本音であろう。だが同時に日本を失えば、米国はアジアにおける最大の橋頭保を失う。また、日本の軍事的外交的自立なしに、米国が日本から撤退すれば、東アジアは大混乱に陥る。

だから日本がいやおうなしに、米国との同盟を続けざるを得ないようにするためにも、護憲勢力の存在は米国にとって必要不可欠である。護憲勢力とは、実際的にはかつてはソ連に利用され、現在は中共に利用され続けている。

しかし日本の軍事的自立を防ぐために、米国にも利用されている。軍事的自立は外交の自立を意味する。しかし護憲勢力は、戦争はこりごりだ、という以外は無思想である。小生は沖縄や本土の米軍基地の存在の現実を述べているのであって、善悪について述べているのではない。



地球温暖化騒ぎの不思議

 一時は疑問が出されていたと記憶するが、昨今では二酸化炭素排出による、地球温暖化対策の必要性への疑義は影をひそめているように思われる。地球温暖化が騒がれ始めたころ、科学者ともあろうものが、北極の氷が温暖化によって融けて、海面が上昇する、と言ったのである。

 北極大陸は海に浮かぶ氷の塊だから、この問題はコップの中の水に浮かべた氷が融けると、水面の高さはどう変化するか、ということに等しい。中学で習うアルキメデスの原理さえ知っていれば、水面高さは何万分の一ミリたりとも変化しないことは分かる。学者が間違えるはずはない。為にする嘘をついたのである。だから今はそんなことを言う者はいない。

 偶然手に入れた「水が語るもの」20103(社団法人近畿建設協会発行)に芦田和男京都大学名誉教授が「気候変動の観点から」という記事を書いておられる。二酸化炭素濃度が倍になったときの地上気温の上昇量を気候感度というそうである。気候感度は2~3℃程度であるが、衛星を用いての観測値から求められた気候感度は1.6℃であることがわかった。

 何と、二酸化炭素の濃度が2倍になったところで、気温上昇は高く見積もって3℃、観測値では1.6℃上がるのに過ぎないと言うのである。逆に言えば、空気の二酸化炭素濃度を半分にしたところで、せいぜい気温は1.6~3℃下げることが出来るのに過ぎないのである。

 これは対数の関係である。さらに半分、すなわち濃度を4分の一に下げても、温度は3.2~6℃下がるだけである。だから二酸化炭素濃度を減らしても、その割に地球温暖化防止はごく少ないのである。それどころではない。世界中で人為的な二酸化炭素の排出量を半分に減らしても、大気中の二酸化炭素濃度が半分になるわけではない。

 既に大気中には一定の割合で大量の二酸化炭素があるからである。地球温暖化の議論で不可解なことがある。例えば日本が何年か後までに、排出量を25%削減します、と目標を掲げたとする。そうすると世界の大気の二酸化炭素濃度が何ppmに減り、前述の気候感度から温暖化防止効果が何度あるか、という計算ができるはずである。

 ところが、削減目標を掲げたとき、温暖化防止効果の温度の数値が発表されたことを、小生は寡聞にして知らない。議論は、一方でそんなに削減するとコストがかかるだけだとか、反対に地球温暖化防止はコストがかかっても人類の生存に必要だとか、感覚的な議論を聞かされるばかりである。

 兵頭二十八氏の「地政学は殺傷力のある武器である」に興味あることが書かれている。現在は地球公転の周期の関係で、太陽から地球が受ける熱量が減る時期にあり、あと一万年位は寒冷化が続く(P95)、というのである。そして地球が数万年サイクルで寒冷化が進んでも、その間に数百年サイクルの温暖化の時期が挟まっている、という。

 実は小生も相当以前に、現在は氷河期に向かっていて、ミクロには温暖化と寒冷化を繰り返してもマクロには寒冷化していて、今は短期の温暖化の時期であるという説を聞いたことがあるから、容易に納得したのである。西暦紀元一年から現在までの歴史を考えても、何回も温暖化と寒冷化のサイクルを繰り返していて、温暖期には食糧生産が容易で生活は安定し、寒冷期には食糧不足による争いが頻発した、のだそうである。

 考えてみればそうであろう。温暖化すれば、寒いところでも農業が容易になる。食料生産と言う観点から言えば温暖化は良いことなのである。それどころか現在は氷河期に向かっているのだとしたら、人間は食料が得られなくなるばかりではなく、凍え死ぬことになる。なぜ温暖化の短所ばかりを問題にするのであろう。

 ただ、温暖化の議論の救いは、二酸化炭素の排出を減らすために、化石燃料の浪費を防止し、無駄なエネルギー消費を減らそうとしていることにある。科学技術の活用の方向性としては間違っていないのである。もし、地球が寒冷化しても、暖房や食糧確保のために、無駄なエネルギー消費を減らし効果的にエネルギーを使う、という技術的努力は生きてくるからである。



ゼロ成長の時代

 経済は成長し続けなければならないものである、というのは一種の定理のようなものである。およそそんなことを聞いたことがある。現に日本の経済関係者は、現在の経済成長の少なさを問題にしている。しかし、平成28年4月6日の産経新聞の正論に榊原英資氏の「先進国が迎えたゼロ成長の時代」という論説が載った。論旨は、欧米の近代資本主義諸国は、覇権国は戦いにより入れ替わったが、フロンティアを開拓することによって、高度成長を続けていた。だが20世紀末までの成長に比べると、21世紀には先進国の成長は止まった。

 原因は先進国のフロンティアであったアジアもアフリカも、世界経済の重要な一部となり、フロンティアではなくなったこと、産業においても開発しつくされて、フロンティアとしての新たな分野が開拓されることもなくなった、という。結論はゼロ成長を容認し、「豊かなゼロ成長の時代」となるだろう、と言うのである。

 小生は結論には賛成である。冒頭のような成長の原則については、以前から疑問を持っていた。ただでさえ差のある先進国と発展途上国間で、先進国が発展途上国を引き離して、さらなる経済成長を続けるのに無理がある、と思うのである。だが榊原氏のフロンティア論は肝心な点が省略されているし、日本のケースは、西欧とは異なると言う点が無視されているように思われる。

 近代資本主義の始まりは16世紀からだとしているが、この時代からは西欧の植民地拡大による侵略という搾取によるものであり、フロンティアなどという綺麗な言葉とは程遠いものである。西欧諸国は植民地では暴虐の限りを尽くした。そのことを日本人は忘れてしまった。英国はインドで紡績職人の手を切り落としたのは有名な話である。そして第二次大戦後、植民地が急速に消滅すると、旧植民地は貿易相手や労働力供給と言う立場で、先進国の成長を支えた。植民地時代に比べれば、よほどましになった。

 その後、旧植民地が世界経済のプレーヤーとして参加すると、先進国のフロンティアではなくなった、というのは榊原氏の言う通りである。日本の場合には、欧米諸国の場合とは異なる。開国以来、近代資本主義社会に参加しても、植民地搾取により利益を上げることはなかった。むしろ、朝鮮、台湾などと領土拡大はしても、投資してかの地の近代化に奉仕したのである。この時代の日本の成長は搾取ではなく、自助努力であった。

 戦後はまた異なる。高度成長期は欧米諸国とのコスト差と、技術力の蓄積で成長を続けたのである。欧米諸国にキャッチアップすると、その後は戦後の欧米諸国と同様に開発途上国を利用したのだが、結局は欧米と同じく低成長に陥ったというのも榊原氏の言う通りである。

 また、「産業分野においてもフロンティアは開発しつくされ、新たな分野が大きく花開くことはなくなってきて」いる、と断定するのは早計に過ぎるように思われる。技術の進歩と飛躍は今後も続くと思うからである。ただ直観であるが、大きな経済成長に貢献するような、技術の飛躍と新たな産業分野が出現することはないように思われる。ただし「豊かなゼロ成長の時代」に貢献する新技術は現れると思う。



田中角栄は天才か

 平成27年4月1日の夜のバラエティー番組で、石原慎太郎の近著「天才」をネタに田中角栄論を放送していた。もちろん石原慎太郎本人もメインゲストとして出演した。田中角栄の金権政治批判をして、晴嵐会を作り田中に永年造反してきた石原が、このごろ田中の偉大さを実感してきた、と言うのである。

 田中が議員立法を多数行い、そのため六法全書を全部記憶したという、努力と頭脳の優秀さや、人間としての魅力を紹介するエピソードには欠かない。高速道路網や新幹線整備への貢献や、リニア新幹線まで予測する、といった先見性も驚異的である。田中は批判されるような、単なる地元利益誘導型だけの政治家ではない

 確かに国を富ますのは政治家の本領である。だが国政は経済ばかりではない。倉山満氏は、戦争に勝つのは国家の責務であり、勝つには経済が必要だと述べている。国防が経済に優先する、というわけでもない。だが、国防すなわち、外交も経済とともに国政の本領である。この番組でも田中の外交上の功績として日中国交回復を取り上げたが、意外に短かった。

 日中国交回復により、日本から大量のODAを得て、現在の経済大国中共がある。その経済力は、結局軍事に投資され、東アジア諸国と領土領海問題で激しい軋轢を起こしている。確かに軍事は経済に支えられ、それが外交力になる。中共は倉山氏の言を証明しつつある。番組が日中国交回復の功績をわずかしか取り上げなかったのは、石原なら、その害を批判するからであろう。そもそも石原が深くかかわってきた晴嵐会は、日中国交回復に伴う、台湾との断交に絶対反対の立場をとってきた。だから、石原が出演して居たにも拘わらず、台湾問題に触れなかったのは奇異な感じさえした。

 田中は経済で成功しながら日中外交で失敗したといえよう。その影響が今日の日本に与えているものは計り知れない。北朝鮮問題も煎じ詰めれば、対中問題である。多くの西欧諸国も対中外交で失敗しているから、対中不見識は、田中だけではない、という言い方もあろう。何とイギリスが中国製原発を導入することになったのだ。AIIBという詐欺まがいの金融機関に欧州諸国は加担しようと言うのだ。

 アメリカは戦前、莫大な資金を支那大陸に注ぎ込み、何の利益も得なかったのに、また対中投資に熱中している。だが西欧と日本と異なるのは、地政学的問題である。欧米は支那と遠く離れ、少々のトラブルがあろうと、直接の被害は少ない。日本は西欧と異なり、永遠の隣国である。だから維新開国直後から支那には悩まされ続けている。松井将軍のように、日支提携して西欧と対峙し、アジアの安定を図ろうとした。

 松井は誠実の人であった。松井の誠意に支那は謀略で答え、「南京大虐殺」の濡れ衣をきせて、謀殺した。支那は松井や田中の思うような支那ではないのである。そのことは、隣国として維新以来、現在まで骨身にしみているはずである。戦前は軍人ばかりでなく民間人まで多数虐殺され、現在でも対中投資した企業の財力がむしりとられている。

 田中が政治の天才ならば、経済ばかりではなく、外交も分からなければならない。ことに中共、ひいては支那の本質も知って居なければならない。その点で田中程の頭脳が経済にしか生かされていなかった、というのは残念な話である。田中がロッキード事件で失脚したのは、米国の逆鱗に触れたため、と言われている。

 本当だとすれば、外交より経済を優先したからである、ということではなかろうか。だがこのことは、一人田中の欠陥ではない。戦後の外交は戦前より劣化している。日本人の頭脳は同じであるとしても、戦後は外交を軍事なしに行う、というハンデを背負っているからである。だが、その責任は敗戦から70年以上たった今、我々日本人自身にある



東京裁判は大量殺人事件

 東京裁判は現在では、内外の多くの識者や国際法の専門家などから、当時の国際法にも国内法にも基づかない違法なものであることが立証されており、批判の論理は明快である。近代法で禁止されている事後法など、欠陥だらけどころではない、裁判と言えるものではない。

 すなわち、多くの観点から裁判とは言えない、インチキなものであったことは明白である。とすれば東京裁判とは何であったか。たとえれば、ある集団と別の集団が喧嘩をして争ったとする。

 その結果、勝った集団は、警察を呼ばずに勝手に、自分の集団のなかから裁判官や検察官なる名前をつけて任命したことにし、裁判の形式をとって判決なるものを宣言し、負けた集団の代表を何人も殺した。処刑した、といえば合法に聞こえそうだから、あえて、殺した、と言っておく。

 たとえれば、東京裁判はこのようなものであった。もとより裁判ではないのである。ある裁判で誤審があったとか、手続きに瑕疵があったから間違っている、ということとは全く異なる。争いの相手を殺す口実として、内輪で裁判もどきを行ったのである。従って東京裁判とはリンチ同然の、歴史的大量殺人事件であった。それをれっきとした近代法治国家が行ったのである。



台湾の親日にはフィリピンの犠牲があった


 米軍は、対日反攻作戦で、陸海軍ともに、フィリピン攻略の必要性を認めていなかったのが大勢であった。一気に台湾を攻略して、次に沖縄侵攻、というのが米軍並びに、政府の考え方であった。ところが絶対にフィリピンを攻略すべきだと主張したのが、かのダグラス・マッカーサーである。

 マッカーサーは日本のフィリピン攻略で、負けが確実となると、多くの部下をバターン半島やコレヒドール島に残したまま、家族と幕僚たちだけを連れて、魚雷艇で逃げ出した。その時言ったのが有名な、I shall return.である。俺は逃げたのではない、と虚勢をはったのだが、トラウマになったのである。

 この一言のために、マッカーサーは軍事的合理性を無視して、フィリピン攻略を強硬に主張した。フィリピン戦以後、国民的英雄になったマッカーサーの意見を大統領はいれた。そこでフィリピンでは激しい戦いとなり、多くのフィリピン民衆が犠牲となった。そのおおく大部分は米軍による無差別攻撃によるものであった。

 とはいえ、山下将軍がマニラを無防備都市宣言して、戦火を免れさせようとしたのに、マニラ戦を強行させた大本営にも、その責任の一端はある。アメリカに怨嗟の声を上げることのできないフィリピン人が、日本を恨むしかないのは当然である。

 いくら日本が台湾で善政をしいたとしても、フィリピンを通り越し、台湾に米軍が上陸して、多数の台湾人が犠牲になっていたとしたら、現在のような親日国になってはいなかっただろう。ちなみに小生はフィリピンが一度米軍の駐留を拒否したのは、苛酷な植民地統治や、大東亜戦争での米軍による民衆攻撃に対する怨嗟が根底にあるのだろうと思っている。

 しかし、米軍の撤退をきっかけとして、フィリピンなどが領有を主張する、スプラトリー諸島に、中共が本格的に侵略をはじめてきたのは、皮肉なことである。同盟において、過去の経緯にこだわることは、必ずしも現在の国益にとって有益になるとは限らない、ということの見本であろう。



シャッター通り商店街考


 地方に行くと、確かに、俗に言うシャッター通り商店街が多い。その点だけ見れば地方の商店街は疲弊しているように見える。東京でも同じ景色が見えるが、都心などの地価がべらぼうに高そうなところを見るとそうではない。これは地方でも同じで、博多などの大都会の駅前周辺に行けばシャッターが下りている店は少ない。これは、大都会の地価の高い所では、うまくいけば儲かる可能性はあるが、失敗して利潤をあげられなければ撤退せざるを得ず、その後に成功をもくろんだ新規参入者に入れ替わるからである。

 ところが駅から少し離れて地価が低そうな所に行くと、やはり商店街は活気がない。数年前に見た、阿波池田駅前の目抜き通りの商店街は典型的なシャッター通りであった。ところが、商店街の住民やその周辺を見ると、貧しくて困っているようには見えない。都会でようやく一戸建てに住んでいる住民の方が、よほど窮屈で貧相な住生活をしているとしか思われない。地方のシャッター通り商店街の住人の方が実態としては、よほど豊かではなかろうか。

 総武線のある駅から100m余りの、商店街の入り口の一等地に八百屋があって、お年寄りが老猫と一緒に店番をしていた。不思議なことに、この店に客がいたのを見たことがなかった。これはシャッターを下ろしているのと同じだが、このお年寄りは裕福そうであった。こんなところにシャッター通りの秘密があるように思える。

 シャッターを下ろしてしまった店は、後継者がいないとか、儲からないとかの理由で確かに、商店の営業を維持することが不可能になったのであろう。その場所で商店という業形態を維持できなくなったのである。大規模店舗法が改正されて大規模店舗が出店しやすくなったために、小規模店が維持できなくなったから、というのが定説であるが、果たしてそうだったのだろうか。

 小地方都市に住んでいる消費者の立場になって考えてみよう。大規模店舗が制限された小地方都市では、小規模店でしか買い物ができないとすれば、極めて限定された商品しか手に入らない、魅力のない街になってしまう。マスコミの発達した現在では、大都市の消費生活の華やかさが、全国津々浦々でも見えてしまうのである。

 商品の選択肢が狭い上に、都会なら高い者から安いものまであるのに、価格の選択肢まで狭くなる。都会にいれば必ず物価が高いと言うわけではない。その上に何とかモール、というのは単なるスーパーではなく、買い物ばかりではなく、飲食や映画、ゲーム施設などのレジャー施設もある。

 要するに街の商店街に代わって新しい商店街が、それも都会に準じた商店街が登場したのである。消費ばかりではない。雇用も創出している。このような商店街の形態がベストだと言っているのではない。ただ旧来の駅前個人商店街形式にだけこだわるのは、消費者にとっても働く者にとっても、現代の日本では得策ではなかろうと思うのである。

 変化の波に倒されたのは小規模店舗だけではない。日本のスーパーのはしりであった、ダイエーすらイオンに子会社化された。世の中は変化する。変化こそ、社会のエネルギーのひとつの源泉なのである。もちろん一方で変化しないものが価値のある場合もあるのだが。シャッター通り商店街、というものをいろいろ見た小生の、とりとめのない雑感である。



ベトナム戦争参戦とアジア、支那の保全

 日本に憲法九条がなかったらベトナム戦争に参戦しなければならなかった、という論者がいる。だが、日本はベトナム戦争に直接に参戦するべきであったか、ということを考えるのが先決である。その前に一言する。日本はベトナム戦争に参加する航空機や兵士などに基地を提供している。これは倉山満氏ら何人かの識者が言う通り、国際法上は参戦していたのである。だから、ここで言うのは、戦闘員を送ると言う、直接的な参戦のことを言う。


 ベトナム戦争とは何か。それは戦後再植民地化のために戦ったフランスを、アメリカが引き継いだのではない。ドミノ理論によりベトナムの共産化が、東南アジアの共産化につながることを防止するためである。日本が支那事変を戦ったのも一面は反共の戦いである。ドイツと手を組んだのも反共のためである。日本は一面では、アジアの防共のために戦ったのである。それを理解できなかった米国は、結果として共産支那を成立させてしまった。

 それがなければアジアの防共はありえたのである。アメリカは日本を倒した結果として、共産主義の威力と本質を知り、ベトナムに飛び火した共産主義を阻止しなければならない羽目に陥った。つまり米国は日本のかつての役割を肩代わりしなければならなくなったのである。米国がアジアにおける日本の役割の貫徹を阻止したために、ベトナムで戦う羽目になった。日本が支那におけるゲリラ戦に苦しんだのと同様に、米国もベトナムで苦しんで勝てず、厭戦になったという相似性がある。

 それ以上に、両国の戦いにおける政治的意味は類似していた。ある意味で日本の代わりに米国はベトナムで戦ったと言えるのだが、日本の邪魔をしなければベトナム戦争はなかったのだから、既に支那で大量の犠牲を払った日本が直接参戦する義理はない。つまり、アメリカは過去の間違いのつけをベトナムで払わされたのである。

 だが日米戦争なかりせば、アジアの独立はなかったのだから日本としては、アメリカのベトナム共産主義との戦いに、消極的協力をするのもおかしな話しではない。その意味で沖縄基地を利用させるなど、後方支援をしたのは正当である。すなわち日本のベトナム戦争に対する態度は、結果論ではあるが正しかったのである。

 共産主義を標榜しているとは言えども、現在では中共もベトナムも単なる独裁国家であって、正確には共産主義国家ではなくなっている。両国とも既に市場主義を取り入れた資本主義経済を導入している。中共の覇権主義的行動は、統一された支那政権の伝統的行動であって、共産主義とは関係がない。その意味で日本に代わってアジアでのプレゼンスを得た米国が、日本に変わって中共と対峙するのは当然である。

 米国がアジアにおけるプレゼンスを維持する実力と意志を、日本が阻止あるいは引き受ける覚悟がない以上、日本は米国を支援して中共と対峙して、中共の侵略からアジアの保全を全うしなければならない立場にある。現在では日本が独力でアジアの保全をすることができないというのは、精神衛生上有難くない話であるが、大東亜戦争で証明されてしまった日本の国力や地理的な縦深性のなさから、米国の協力者となってアジアの保全を図るというのは、日本の縦深性の不足を米国に補完してもらえるという意味では有利であるともいえる。

 結果論ではあるが、戦前の日本のように、アジアで孤独に悩むということはなくなった。その意味で支那事変と大東亜戦争を戦ったということは、現在の日本にとって有意義であった。その結果を現在の日本が有効に活用できず、中共に翻弄されているというのは、大東亜戦争の負の遺産である。だが両者を総合すれば、日本は戦前に比べ有利になったと言える。それを利用するのが今後の日本の役割である。

 いつの日にかロシアは覇権国家として再生する。そのときにロシアと支那とは現在とは異なり両立しえないことは、歴史の教えるところである。そのときに支那は分裂しているかもしれない。分裂した支那をそのまま保全することが、支那大陸を構成する各民族の幸福である。その幸福のために、やはり米国と日本は協力してロシアと対峙すべきである。

 日本は米国と異なり地理的にアジアに存在し、アジア唯一の近代的国民国家であるという、戦前からの立場が不変である以上、米国は日本の協力が不可欠である。大東亜戦争を戦った米国には、その事実を教訓として知っていなければならない。知らずば日本は教えなければならない。ロシアが復活する日まで日本と米国は協力して、支那と対峙してアジアを保全しなければならないのも両国の義務である。

 支那と日米の対峙の目標はアジアの保全ばかりではない。支那大陸における健全な国民国家の成立である。支那大陸において未だかつて、近代的な国民国家が成立したことはない。だが支那系住民が居る台湾において、かなりその目標を達成しつつあることは、大陸にも健全な国民国家が成立しえることを証明している。

 健全な国民国家の成立を阻んでいるのは、国家規模の問題と民族の錯綜と大陸における覇権志向の原因ともいえる統一願望である。統一願望は統一が成ったとしても、チベット侵略のように、更なる「統一」を求めて侵略する。これが覇権志向である。現代の中共は世界制覇の野望さえ抱いているように見える。支那においては日本と異なり、古来支配者と被支配者は厳然と区別されている。

 支配者は自らの幸福のために統一と拡大を望む。そして大部分の被支配者は抑圧と収奪の犠牲となる。この不幸の連鎖を断ち切るのは、各民族が分立して独立する、支那の分裂しかない。分裂は適正規模の国民国家の成立と、類似民族の国内共存による安定と民度の向上をもたらす。

 支那は漢民族と呼ばれる多数派民族が支配しているとされる。しかし漢民族というのはフィクションである。それが証拠に漢民族といえども北京語、広東語、福建語など全く異なる言語を話していることはよく知られている。漢字表記のない、漢語すら存在する。そもそも現代「漢民族」は漢文を読めない。だから漢字を共通項とする漢民族などはフィクションだと言うのである。

 互いに通じない異言語を話すものが、同一民族であろうはずがない。異言語とはいえ英語のルーツは古ドイツ語である。そのような意味における近親性すら、支那における各言語には少ないと考えられる。支那は古来、外来民族による支配を繰り返してきた。その外来民族が自らの王朝が滅んだ後にも支那大陸の各地にまとまって定住した。

そのグループが上記の北京、広東、福建などの異なる言語を話すのである。すなわち古来から続く、侵入してきた外来民族の象徴が、相違する各言語である。すなわち北京語と広東語を話すものは民族のルーツが異なる。ホームページの「支那論」で説明したが、北京語を母語として話すのは、実は満州族であるというように。

 支那人が血族しか信用しないというのは、この雑多な異民族性による。血族すなわち同一民族しか信用しないのである。それは大陸が常に外来民族の侵略支配と定住を繰り返した、モザイクのような地域であったためである。血族すなわち同一民族、つまり同一言語のグループだけで国家を構成するようになれば、この不幸は解消する。

 この分裂が始まったとき、日米は協力して分裂を支援しなければならない。そのためには米国人に支那大陸の本質はヨーロッパのように、異民族が各地に固まって定住しているモザイクのような地域であり、統一は住民に不幸しかもたらさない、ということを理解させることである。そして統一志向が覇権志向の原因であり、アジアの不安定化の原因であるということを理解させなければならない。少なくとも支那人以外は知っておかなければならない。

 この際に潜在的な危険がある。それは米国がハワイ併合以来、支那に野心を持ってきたことである。現在の中共は軍事力のみならず、地理と人口の縦深性により侵攻しがたいために、米国は経済的権益の追求だけに止めているが、分裂した国民国家となった支那に対しては、米国は本来の領土的野心をもたげることなしとしない、と考えなければならないであろう。

 そのときかつてのロシア帝国がそうであったように、復活したロシアも支那を狙うであろう。このとき支那大陸の保全のために、ひいてはアジアの保全のために、何らかの形で戦うのが日本の役割である。アジアの安定なくしては日本の平和はない

 もう一つは米国の抜きがたい有色人種への蔑視である。そのことに日本はペリー来航以来悩まされてきた。排日移民法、戦時中の日系人強制収容、東京大空襲や原爆投下など市民への無差別大量殺害などである。すなわち日本人に対する欧米人、従って米国人にも表面上、現在はなりを潜めているが、絶対的な人種偏見がある。そのことを日本人は決して忘れてはならない。米国は日本が対等な同盟関係を求めた場合、その偏見が絶対に妨害するであろう。

 米国が日本になした仕打ちは前述のようであって、米軍が人道的な軍隊などではなく、南方戦線や沖縄、本土において民間人の殺戮と暴行を行ったというのが本当である。しかしその故に同盟が出来ない、という結論を下すのは感情論である。

 欧米人も究極において日本人と異なり暴力的である。だがロシア人や支那人と異なり表面上はルールを確立して秩序を保っている。文明を装っているのである。さらにウェストファリア体制を守ろうとするヨーロッパと、蹂躙する米国とは、これまた異なる。だが彼らがギリシアローマ文明の後継ではなく、ゲルマン、ノルマンの蛮族の出身で、倦むことなく争いを繰り返したのは遠い昔の話ではない。二千年の歴史の経過で暫時文明化した日本列島と異なる。

 楠正成が糞尿をかけて敵軍を撃退した、などというおおらかな話しが讃えられる世界と、十字軍とイスラムの攻防のように、巨大兵器を開発して戦闘を繰り返す文明とは、世界観が異なる。近代においても同一民族でありながら米英は独立戦争を戦った。米国内でも南北戦争という殺戮を繰り返した。

 ともかくも彼らは和解し、米英は断ち難い同盟国であり、米国民は南北ともに対外戦争に協力できている。しかし日本にした米国の仕打ちを忘れてはならない。だがそれ故に同盟が出来ないとしたら米英ですら同盟もできず、米国の南北統一もない。

 これらの同盟と異なるのは前述のように、日米には人種偏見という抜きがたい溝がある。しかし多民族国家である米国にとって人種偏見は、自らにも向けられた刃であることを自覚しているはずである。それゆえ日本は人種偏見がなきがごとく、米国に対応することができるのである。

 日米戦争を戦ったのは必ずしも米国にも反感だけを残したのではない。米海軍には日本海海戦に大勝した東郷平八郎に対する伝統的憧憬がある。日本海海戦は最初の近代的大海戦であった。米海軍の将帥はアドミラル・トーゴーの海軍と戦うと奮い立った者が多いという。大東亜戦争で敗れはしたものの、彼らはカミカゼ攻撃の恐ろしさを知っている。いざとなったときの、日本に対する畏怖はある。

 英米人には伝統的に良く戦った相手に対する尊敬というものがある。その点は日本人と共通するところはある。それは個人から組織にまで及ぶことがある。相手が人種偏見の対象となる人種であっても、よく戦った相手には例外的に敬意を払う

 例えば黒人であっても人種偏見にめげず勉学して弁護士や政治家となり、白人と対等以上の仕事をしている者に対しては名誉白人として、白人と同一の居住区に住めるし、対等に喧嘩をしながら仕事が出来る可能性はある。白豪主義の典型のオーストラリアですら、シドニー湾を襲撃して戦没した、特殊潜航艇の日本人乗員に敬意を払うために、反対を押し切って海軍葬をした

 日本人が米国人の人種偏見を打破して対等の同盟ができるとしたら、その資産は明治以来の日本が、苛烈な戦争を戦い抜いたことである。その極限が特攻隊である。西洋人は日本人と異なり、数百年の戦いを続けてきた戦争巧者であり、戦争の勝利に向けてハード、ソフト共に天才的な努力をそそぎ、才能を発揮することは日本人の及ぶところではない

 だが日本人が故里のために生命を惜しまない精神を潜在させていることを知る限り、対等の関係が成り立ちうる。だが日本にも朝日新聞のような一部のマスコミのように、生命どころかカネの欲しさと脅しに屈して、故里を打っても恥じない者たちが増えている。彼らはパトロンである中共からも侮蔑される存在なのだが、現実には大きな日本の脅威である。

 一方で米国は、ある意味支那には憧れのようなものを持っていると推察される。それが戦前、支那を支援した原因のひとつである。それは支那が文明発祥の地とされるのに対して、わずか二百年余の歴史しかないというコンプレックスであろう。ところが現実の支那はみじめな後進国であるということが、ますます支援を動機付ける。日本に対する蔑視と支那に対する憧れが近年に至っても、時々日米関係を阻害している。

 日本には古来支那大陸との葛藤があった。これに幕末以来、ロシアと米国が参加して日本を悩ませた。隣国朝鮮は常にその間にあって日和見をする自主性のない存在であった。このパターンは現在でも生きている。それが二千年の歴史が教えるものである。

 日本人は中国四千年の歴史というフィクションを忘れなければならない。支那は支那大陸という地域の歴史であって、連続した民族の歴史ではない。繰り返すが、漢民族というものはない。支那は飢餓と戦乱により民族の血統が何回も断絶した地域である。長江文明の支那人は黄河文明の支那人ではない。黄河文明の支那人は秦漢の支那人ではない。

 秦漢の支那人は隋唐の支那人ではない。隋唐の支那人は宋の支那人ではない。宋の支那人は元の支那人ではない。元の支那人は明の支那人ではない。明の支那人は清の支那人ではない。清の支那人は中共の支那人ではない。これらの間には風俗、文明、言語、血統のうちのいくつかが、必ず断絶して不連続である。異民族が漢化されたのではない。前にいた支那の住民が、次に来た異民族に滅亡あるいは同化されたのでもない。支那大陸には次々に異民族が侵入して、先住の民族を押のけて定住し、共存した結果が現在の支那大陸である。

 だから漢民族の四千年の歴史はない。日本人は戦前の日本人が持っていたような、文明の先達としての中国に対する憧憬を捨てるべきである。支那に憧れて殺された松井石根を見習うべきではない。冷徹に支那大陸の覇権争いとして捉えて対処するべきである。それが大陸の住民個人個人の幸福を達成するゆえんであるというのである。



戦前の大陸権益を批判する人たちが日中友好により経済的利益を得ようとする矛盾


 戦前の日本の大陸権益を批判する人たちは、大抵が現在日中友好により中共に投資して経済的利益を得ようとする人たち、あるいはそのような傾向を支持する人士である。これは単純に考えれば、大いなる矛盾であることはお分かりだろう。そもそも戦前支那本土で経済活動をしていた人たちは何も、侵略活動をしていたのではない。現在の経済進出と同じく投資や商業活動をしていたのである。何故同じことをしている人たちを非難できるのだろう。

 ところが、当時の支那政府(当時は各地に実態は匪賊集団に等しい、自称の「政府」があった)は民衆や軍閥を使って、日本の経済活動を妨害するテロ活動をしたのである。元々の日本の大陸での権益とは、南満洲鉄道と沿線の付属地の権利だけである。満洲を守る気がなく、満洲で争っていた日露戦争を傍観していた支那には、戦勝した日本が満洲を併合しても、当時の国際常識からは文句が言える筋合いではなかった。日本にとって満洲自体は、経済的利益より、国防的観点の方が重要だった。

 現に石橋湛山などは、経済的見地から、日露戦争などで得た、大陸の権益放棄論を主張した。純粋に経済的観点からみれば、その通りに違いないのである。満洲に権益を得た後は、満洲ではない支那本土に進出して、純粋な経済活動もしはじめた。これは現在、中共に進出している会社などと変わりはない。

現在大陸に工場などで進出しようとしている人たちは、純粋に経済的利益を得ようとしているだけである。つまり金儲けだけである。戦前の日本は、日露戦争で偶然できた満洲権益が、欧米諸国の経済ブロック政策から日本を守ることができるものにしようとしていた。満洲の権益は経済的利益ばかりではなく、対ソ防衛の死活的な意味を持っていた。日露戦争後一時友好を保っていた日露関係であったが、ソ連成立とともに、共産主義の脅威が日本には発生したのである。単に自分の会社の目先の利益で対中投資する現在の経営者とは立場が根本的に違うのである。

 さらに満洲国は現在の中共と根本的に異なっている。現在の中共も当時の支那本土も同じく、近代的な法治国家ではない。外国が経済投資をすると、政府の恣意で利益を奪ってしまうし、民衆や官憲は政府の指示に従い排外活動を行うのである。この事情は今も昔も変わらない。これに対して満洲国は法治が通る近代国家の地域に日本人がしたのである。

 こう考えると現在の経済人が日中友好により、経済的利益を得ようとすることには大きなリスクがある。まして、大陸に満洲国と言う近代国家を作り、国防と経済の死活的利益を得ようとしたことを批判するのは矛盾に満ちている。もし満州における日本の権益を批判するなら、現在の時点で、中共に経済進出をしようとする資格も判断能力もない。

 ちなみパールバックは支那人に肩入れしている、と言われるが「大地」を読めば支那の軍閥は、匪賊集団に等しく、幹部から兵士達まで、略奪などで儲けようとする者たちであることが書かれている。近代的な国家や社会ではないことも、よく理解できる。ただひとつ、最後に毛沢東が支那の希望の星らしく登場するのが大きな間違いである。



維新以後の日本の世界貢献


 欧米にしても支那にしても、海外への進出とは他民族を犠牲にして、自己の最大限の利益を求めることである。すなわち侵略である。世界史的にはそれが当たり前である。もちろん支那やロシアが現に行っているように、現在でもそのことは不変である。それも自己とは必ずしも自国全体ではない。海外へ行った個人個人と考えるべきである。そもそも欧米人にも支那人にも、国のためになどという精神はないのである。

 その中で、維新から敗戦までの日本だけが例外であった。確かに日本も朝鮮や満洲に進出した。しかしそれは地政学観点から日本を守る、防衛的なものから始まったし、経済的利益を得ようとするようになってからも、防衛的な考え方が基本であった。確かに日本人とて色々な手合いがいるから、大陸でろくでもないことをした人間もいる。

 しかし、それは例外である。例外を極大に見せれば、例外には見えない。プロパガンダによって、例外を日本人の全体像であるかのように見せられているような状況に、現代日本は陥っている悲惨な状況にある。いずれにしても、日本は自国の為に防衛的なことをしながらも、他民族を思いやり、結果としてもアジア、ひいては全世界の植民地を解放した。世界史的に稀有なことである。モンゴルがヨーロッパまで進出して、初めて世界がつながったことに匹敵する事績である。モンゴルによって世界史が始まった、と言ったのは岡田英弘氏である。

 支那のスプラトリー侵略を言うが、それが世界の常態であり、日本は例外なのである。最近ドイツの第四帝国化をいう論者が現れた。当然であろう。英国が失ったのは植民地であり、本土ではない。他の連合国側の西欧諸国も同様で、第二次大戦で旧来の本土を失った訳ではない。それどころか、東ティモール問題やミャンマーでは、隠れてかつての宗主国としての権利を行使している。

 それに比べ敗戦によってドイツが失ったものは大きい。領土や人間の損失ばかりでなく、西欧が行ってきたユダヤ人迫害、という罪を最大限にしたうえで、あたかもドイツだけの罪とされて、名誉まで失った。ドイツは名誉回復を画策しているのだろう。日本と違ってドイツは敗戦には慣れているのである。

 日下公人氏と宮脇淳子氏が「日本がつくる世界史」という本で現代世界に流布している世界史は嘘と不公平ばかりであるが、公平で本当の世界史が書けるのは日本人だけだ、と述べている。その根底には、小生が述べたように、日本が維新以後、世界へ多大な貢献をしている、という認識があるはずである。



何故北は核兵器を持てた?


 中共政府は北朝鮮に核兵器を持たせない気なら、できたはずである。それは核兵器の技術を供与しない、ということではない。北朝鮮の言う核実験なるものが、現在知られている限り、かなり不完全なものである。従って北朝鮮の技術者が北京で勉強したり、技術を盗んだりしたことはあり得る話であるが、直接技術供与はしていないと考えられる。

 中共政府が北の核開発を阻止するつもりなら、政治的、経済的圧力をかければよいのである。政治的圧力には軍事的な要素もある。経済は全面的に中共に依存しているから、この方面の圧力も有効である。ナンバー2.であった張成沢は中共にならって改革開放政策をしようとしていた、とも伝えられている。

 張は中共との関係は良かったといわれているが、改革開放政策は必ずしも中共の望むところではなかったであろう。中共のように成功してしまえば、経済的に自立してしまって、中共のコントロールが利かなくなってしまう、と考えても不思議ではない。だから、張が処刑されて中朝の関係が悪くなったように論評する筋もあるが、決定的に悪くなったという兆候もない。

 北朝鮮が核兵器を持ったところで中共に問題はない。核兵器で中共を恫喝するなどということは、絶対に不可能である。通常戦力でも核戦力でも北を蹂躙するのは簡単だからである。それよりも不完全ながら、北が核兵器を持つメリットは大きい。北の核兵器を使うことによって、間接的に日本やアメリカを恫喝することが可能になるからである。

 中共自身がアメリカを核恫喝するには、リスクが大き過ぎる。現に兵頭二十八氏によれば、米中はICBM競争をしないという、秘密協定を結んでいて、中共のICBMの数はかなり制限され続けているのだそうだ。しかし、北朝鮮ならば、中共自身のリスクなしに、日米に脅威を与えることができる。今すぐ、と言わずとも将来の手駒のひとつになる可能性があるから、北の核開発を事実上放置しているとしか考えられない。

 また、産経新聞の平成28年2月10日の古田博司の正論によれば、核実験や延坪島砲撃事件などの騒ぎを起こすたびに、韓国は北朝鮮に裏金を払っていることがあるのだそうだ。つまり韓国は実質的に経済援助をしている。それならば、中共の経済援助の負担が減る。

 つまり北朝鮮が、適度に騒ぎを起こしてくれることは、中共にとって、北朝鮮をぎりぎりのところで存続させるには好都合なのである。



北海道新幹線には乗りたくない

 平成28年3月には、北海道新幹線が開通する。もちろん地元にとっても待ちに待った日である。だがJR北海道は大きな問題を抱えていて、根本的には解決する様子もない。平成25年11月21日の産経新聞の正論に、評論家の屋山太郎氏がJR北海道の病巣を厳しく指摘して、タイトルも「JR北は破綻処理するしかない」という過激なものである。

 平成23年に石勝線で特急が脱線炎上し、多数の負傷者を出して以来、JR北海道は事故や不祥事が続発している、というのだ。そもそも前身の旧国鉄は労組問題がどうにもならない状況になり、屋山氏が書く通り、国労の富塚書記長は公然と「国鉄が機能しなくなれば国力が落ちる。そうすれば革命がやり易くなる」という、とんでもないことを言っていたのだ。

 日本に暴力革命を起こすために、労働運動をしていると公言しているのだ。当時国労を支持していた政治家や学者たちが、この言動を非難しなかったのは、常識論からは不可解である。暴力革命を黙して支持していたのに違いないのである。

 国鉄の分割民営化は煎じ詰めれば、どうにもならなくなった労組問題を解決するためである。ところが屋山氏によれば、JR北海道は、この旧国鉄の体質が残っていることが原因で、事故やら不祥事が続いているのだ。

 レールの据え付け精度がとんでもなく基準から外れているのが放置されていた例もある。事故が起きるのは不思議ではない。新幹線の工事は、各種の基準通りきちんと実施されているのであろう。しかし、長い間維持管理しながら使っていると、精度は狂ってくる。それを点検して整備・補修しながら安全を確保していくのである。

 屋山氏の指摘のように、JR北が、そのようなまともな維持管理ができるような体制ではない、とするならいつか新幹線のレールや列車が老朽化しても、適切に整備されるとは限らない。在来線より遥かに早い新幹線の場合、維持管理の手抜きの結果は、石勝線の時とは比べられない大事故につながる。

 東日本大震災の時ですら、東北新幹線は事故を起こさず、安全に停止した。だが北海道新幹線は、適切に点検・整備がなされるという保証はないのである。開通してから年を経るごとに事故の危険は増える。人災である。北海道新幹線には乗りたくない。



鴎外は恋人の記録を残したが、ほとんどの人は痕跡すら残していない

 以前、書評「鴎外の恋人」に書いたように、鴎外はドイツでの恋人のことが忘れられず、「舞姫」を書き、二人の子供の名前を、恋人の名前に似たものにした。他にも恋人の存在の痕跡を多く残している。そのために、上記の本の著者は、鴎外の恋人に関する事実を色々洗い出すことができた。

 しかし、同書にもあるように、当時欧米人と恋中になり真剣に結婚を考えた軍人は何人かいたらしいのだが、結局ハッピーエンドとなったケースはないらしい。同書で一人の軍人の名前が紹介されているのはましな方で、その他にも多くの日本人が、欧米人との恋に破れたケースがあったのに違いないのだが、誰も鴎外のように痕跡を残していないのであろう。

 幸せと言うのは変だが、鴎外のように痕跡を残すことのできた者はましである。少なくとも、鴎外は自身の不幸を世間に表白できたのである。多くの人々は涙をさえ隠し、互いの胸に永遠に真実を秘めて亡くなっていったのである。



改憲反対論のバカバカしさ


 安倍政権になってから、改憲論議がちらほら出ている。以前も書いたことだが、再掲する。漱石の吾輩は猫である、にこんな挿話がある。

 儲け話を教えてやる、というのだ。人に六百円貸したとする。返すのは月五円づつでいい。すると一年に六十円返すから10年で完済になる。ところが、毎月返し続けた結果、返すことが習慣になって、10年過ぎても返さないと不安になって返し続ける。

 バカバカしい話である。だが日本の現実は、この話を笑えない。米国人がわずか1週間で書き上げた「日本国憲法」のドラフトを翻訳して、国会審議して帝国憲法の改定を強制させられた。当時の国会議員は真相を知っているから、ほとんど全員がいつか自前の憲法を作ってやると思っていた。

 共産党はその最先鋒で、国防ができない憲法などだめだ、と言っていた。そもそも、共産主義は私有財産権など否定しているから、政権をとったら全面改憲する、というのは理の当然である。ところが時が経つと事態は逆転した。ほとんどの政党が改憲反対となった。

 共産党の中枢幹部は、本心は政権を取ったら共産主義憲法に変えようと言うのであろうが、末端の支持者は改憲絶対反対である。党の綱領に自主憲法制定をうたっている自民党ですら、多くの改憲反対議員がいる。

 その根本原因は、米国による徹底した検閲と洗脳であるにしても、時間の経過そのものにも原因がある。現に改憲反対論者ですら、現在では日本国憲法が米国から押しつけられたことを知るようになった国の基本法規を他国から押しつけられたことを、恥とも思わなくなってしまったのである。

 何年か前、霞が関界隈でデモに遭遇した。政府の政策に反対する労働組合である。当然考え方は改憲反対である。マイクでがなる声を聞くと、外国から押しつけられた法律は、たとえ内容が良くても、だめだ、と叫んでいる。唖然とした。同じ頭で日本国憲法は押しつけられたものでも内容が良いから変えるべきではない、と考えているのである。時の経過は恐ろしいものである。



明治の元勲はどうやって誇りを維持していたのか

 伊藤博文などの明治の元勲と言われる人たちの多くは下級武士の出身である。ふと下級武士上がりの明治の元勲が、元藩主などの上級武士の上に立ち、公家などと対等に渡り合う時に、どうやって誇りを維持していたのか、という疑問を抱いた。そう思っていたら、たまたま読んでいた会田雄次氏の「勝者の条件」(中公文庫)にひとつの答えがあった。

 「優越感こそ成功者の倫理」というのである。人間は幼児の時から、自分で変えられない出自などの環境に優越感がないと成功者にはなれない、というのである(P212)。「むかしから成功した人間-これは立身出世という狭い意味でなく、革命家でも宗教家でも何でもよい、とにかく人々の真の指導者になった人という意味だが-の出身は、伝説的に下層とはいわれていても、そのほとんどが、実はそうでなかったことが明らかにされる傾向にある。」

 ヨーロッパやアメリカは日本より遥かに階層社会である、と言われているが、最下層の人間でも成功者は、その階層における指導的地位にあったというのである。要するに何らかの優越感が必要で、劣等感だけの人間は成功できない、というのである。その例は豊臣秀吉で、出身は最下層の百姓であっても、名主百姓の出身で、百姓仲間でなら村の支配層であった、ということである。

 そのプライドを持っていたことが秀吉の幸運である。そして秀吉が真に天才的なのは、与えられた階層のトップに安住せずに、さらに上の武士の世界に飛び込む挑戦をしたことである。そう考えると、明治の元勲は下級武士と言われても、百姓より上の武士である、という優越感が彼等を支えていた、という結論になる。単に劣等感だけでは、成功者になれない、というのは本当であろう。成功者になると言わずとも、そもそも人間がまともに生きるには、劣等感だけではだめだ、というのも本当であろう、と思うのである。




ソ連の崩壊でアメリカの覇権が消えた

 オバマ大統領は、アメリカは世界の警察ではない、と言ったことに象徴されるように、米外交としては消極的で、それが中東やウクライナ情勢を不安定化させたと言われている。だがこれらの根本原因は、アメリカの対外的消極性にあるのではない。ソ連の崩壊によって、アメリカは欧米、すなわち西側世界の盟主である理由を失ったのである。


 第二次大戦後、ソ連は東欧と一時的にもせよ中共を支配し、さらにはベトナムなどの東南アジアに触手を伸ばし、いつの間にか世界の半分の覇権を握る存在になっていることに、米欧諸国はようやく気付いた。この結果NATOを作るなどして、米国は欧米の盟主にならざるを得なかった。盟主となることが期待されたのである。

 その結果米ソの二極の世界ができたかに見えた。米ソの軍拡競争において、ソ連の軍事的弱点は日本海軍に滅ぼされた海軍であった。米国に対抗できる空母建造に、一気にいけなかったために、航空巡洋艦なる空母もどきを造った後、本格的な空母らしきもの(これも航空巡洋艦と呼んだ)を建造したがカタパルトが開発できない以上、CTOL艦上機の運用が困難な空母もどきに過ぎなかった。

 英国の真似をして、スキージャンプ滑走台を備えたが、これはハリアーのようなVTOL能力のあるものの、搭載量を増やす目的のもので、カタパルトの代用には不十分である。

 恐ろしく高速の水中速度を持つ小型原潜から、第二次大戦前の戦艦に匹敵する巨大な原潜まで造った。その他航空機や戦車などの開発もしたが、最も金がかかるのは巨大な海軍力の維持である。ソ連を経済的に崩壊させた最大の要因は、アメリカに対抗しようとして肥大化させようとした、海軍戦力にあるだろう。

 ソ連が崩壊すると、ヨーロッパは自由になり、ソ連成立以前の大国のゲームの世界に戻った。米国もロシア同様、ゲームのプレーヤーの一国に成り下がったのである。しかし、人の意識は簡単に変わるものではない。父子のブッシュ大統領がイラクに戦争を仕掛けたのは、覇権意識の残滓もあったのに違いない。逆に第二次大戦中までの米国は、英帝国がドイツに滅ぼされようとして、大帝国の地位から落ちかけたとき、全世界の覇権を握ったと考えたのであろう。

 ところが、ソ連は、大国のゲームをして、欧米のどこかの国と利害関係によるパートナー探しをしていたロシア帝国とは異なり、ユーラシア大陸に覇権を確立しつつあった。それどころか、コミンテルンを使って、米国の政権中枢にまで入り込んでいた。過去の情勢意識の惰性に流された米国は、ソ連のこれらの伸長を見過ごして、見当違いな対日戦さえ仕掛けた。

 今やISを始めとするイスラム問題が、世界情勢の課題の中心となっている。中国の台頭は本質的には恐るべきものではあるまい。近代の衣をまとった古代国家支那は、いずれ崩壊する砂の巨人である。崩壊に対する備えさえしておけばいいのであって、本気で軍事的対決するために備える必要はない。前述のように、ロシアも大国ゲームのプレーヤーの一国に成り下がった。


 だが、イスラムの知識のない小生には、イスラム問題が、どの程度本質的に世界を動かすことになるのか分からない。答えは大川周明などの、戦前の日本のイスラム研究の先駆者に聞いてみるのもひとつの手かも知れない、としか言えない。



日本政府の条約不履行

 平成27年の12月31日の正論に防大の佐瀬昌盛名誉教授が、かつて野坂昭如氏が外国に攻められたら「一人一人が抵抗すればいい、・・・市民が蜂起してさまざまな次元による戦いを、しぶとく継続することだ」と書いていたことを批判した。戦時国際法で捕虜となる資格は「軍服を着用し、訓練され、かつ、上官の指揮下にある戦闘員のみに対して適用される」とされていることを根拠に批判しているのである。

 民間人が勝手に敵軍に敵対行為をすれば、捕虜となる資格はないのである。すなわち負けて降伏して捕獲された後に、処刑されても国際法上、文句は言えないのである。市民が蜂起する、というのはかくの如く恐ろしいことなのである。


 日本は昭和28年に「捕虜の待遇に関するジュネーブ条約」に加入した。佐瀬氏の言説はこれに基づいている。この条約には捕虜の待遇や権利など、他にも捕虜を人道的に扱うべきことが書かれている。市民が勝手に戦えば、これらの権利は全て剥奪される。佐瀬氏の文章のタイトルは「戦時国際法の国民啓発が必要だ」というのである。

 しかし、佐瀬氏もよく知るように、先のジュネーブ条約の127条には「締結国は、この条約の原則を自国のすべての軍隊及び住民に知らせるため、平時であると戦時であるとを問わず、自国においてこの条約の本文をできる限り普及させること、特に軍事教育及びできれば非軍事教育の課目中にこの条約の研究を含ませることを約束する。・・・以下略」

 つまり戦時国際法の国民への周知は、単に国民啓発が必要なのではなく、条約上の義務なのである。さらに教育機関によって戦時国際法の研究を国民ないし軍人にもさせなければならない。かつて野坂氏が間違っていたように、日本の平和教育とは、戦争の現実から目をそらすことなのである。日本政府は明白にジュネーブ条約に違反している。


 あのろくでなしの「日本国憲法」ですら、日本国が締結した条約は誠実に遵守しなければならない旨、書いているではないか。



米国民が戦争を欲した

 第二次大戦開始当時米国民は戦争を欲していた。そのことは既述したが、そんな主張をするものは、小生以外にはおるまい。付言すれば、ルースベルト政府の陰謀であったとしても、基本に米国民の支持がなければならない。米国は中共ではないのである。ルーズベルトは暴走し独裁したのではない。

 それどころか第一次海軍拡張法は1934年に始まっている。第二次に至っては、エセックス級空母を含む69隻、40万トンの建造と航空機3000機の製造と言う大規模なもので、1938年5月に成立している。まだ欧州大戦は始まっていない。


 第三次は1940年6月に成立しているが、前年の欧州大戦の勃発のため、予算成立時には不足となったとされ、両洋艦隊法と言われる、第四次海軍拡張法をすかさず成立させている(以上はWikipediaによった)。

 この経過を見ると、第一次大戦でヨーロッパの海軍が弱体化したことから、第一次から第三次までは、日本を対象としたものである。そして欧州大戦が始まると「両用」に対応できる大拡張をしているのだから、最初は対日戦だけを考え、欧州大戦が始まると、対日戦のみならず、対独戦をも考慮するようになったのである。米国は、泥棒が来てから縄をなったのではない。戦争開始に向かって着々と、かつ国民に対しても公然と準備していたのである。

 これらの計画の推進に当たっては、民主党の1下院議員である、カール・ヴィンソンの力によるところが大きい。もちろん法案が成立するには多数の賛成が必要である。従って議員の支持者もこの巨大な軍拡に賛成だったのである。これからも、米国民が真珠湾攻撃まで、厭戦気分にひたっていた、などということは戯言である。

 小生が問題としたいのは、これらの事情を知っていたはずの米国民の、ただ一人として、この戯言を否定するものがいないことである。ルーズベルト政府が対独戦のみならず、対日戦も望んでいた、と論ずる米国人はいる。しかし、戦争を望んでいたのは政府だけであって国民はそうではなかった、というところが限界である。

 これからが小生の仮説である。米国民は戦争を望んでいた。しかし、それでは正義を愛する米国への冒涜である。米国民はあくまでも無垢な反戦主義者でなければならない。もし、ルーズベルトが陰謀で裏口から対独戦参戦を画策していたとしても、ルーズベルトは英国を含む自由社会を守るために、敢て国民を騙してナチスドイツを打倒しようとしていたのだ、と。

 フランクリン・ルーズベルトは国民を騙していた、という説が常識に近いのに、いまだに英雄視されるのは、そのためであろう。ルーズベルトの陰謀説が、裏口からの対独戦参戦、というのがほとんどで、対日戦は元々やりたかった、という説が例外なのもそのためであろう。戦前の世論調査で参戦反対が圧倒的だった、というのも自由と正義の国アメリカ、という米国民自身による欺瞞を示しているのかも知れない。

 米国民は好戦的ではなく、常に自由と正義と民主主義を守るために、やむを得ず参戦するのだ。そう信じたい国民心理が、世論調査に現れたのである。だからどんな状況証拠が米国民の好戦性を示そうと、それを論証する米国人は一人もいないのである。情けないことに保守系日本人ですら、その口車に載せられている。



○航空機記事の怪2

 日本の航空誌などの記事には、たまに、その方面に常識がある人が書いたとは思われない不可解なものがある。以前もいくつか紹介したが、その続きである。

イ.キ-67
 これは昔話である。「日本航空機総集」などのキ-67、すなわち四式重爆、飛龍の解説には必ず、プロペラの回転でパイロットの視界が妨げられないように、操縦席の位置はプロペラ回転面より前に配置されている、と説明されている。今では、そんなことはなくなったが、長い間、飛龍の図面は回転面より後ろに操縦席が書かれていた。明らかなミスが何十年も指摘されていなかったのは不可解である。

ロ.キ-74
 かの試作長距離爆撃機であるが、この主翼は未公認長距離飛行記録を作った航研機、キ-77の主翼を流用したと書かれている。しかし、流布されている図面を一瞥すれば分かるように、平面図で主翼前縁の後退角が異なっていて同一のものとは見えない


 スペックを見ると、キ-74は全幅が27m、翼面積が80m2で、キ-77が各々、29.43m、79.56m2である。ただし、キ-74の翼端はキ-77のものから詰められている、とされている記述もある。

 主翼面積は胴体と重なる部分まで含めて計算されるので、違う幅の胴体を持つ両機の主翼面積の比較は単純ではないが、全幅が2.43mほど切り詰められているのに、主翼面積がほとんど同じなのは理解しにくい。主翼付け根の部分を延長していると考えなければ辻褄が合わないが、その説明がなされた文献を知らない。

ハ.キ-66
 キ-74と同様な話がキ-66にも言える。川崎のキ-96双発戦闘機の主翼は、ほぼ完全にキ-66の流用であると言うのが定説である。ところが、日本航空機総集など世間に流布されている両機の主翼平面形はテーパー比やアスペクト比などが一見して異なっている。どうみても同一の主翼とは考えられない

 ところが、日本航空機総集のデータを見ると、キ-44が全幅15.5mで主翼面積34m2に対して、キ-96が全幅15.57mで主翼面積は全く同じである。全幅の相違が僅かであることを考えると、同じ主翼を使ったと言うのは事実であろう。

 それにしても土井技師は爆撃機と戦闘機の主翼に同じものを使うという、思い切ったことをする人である。土井技師が次々と設計をこなしていった秘密は、こんな合理性にもあろう。

ニ.溶接の開先
 「アナタノ知ラナイ兵器三」P67に航空機ではないが、こんな記述がある。米海軍のギアリング級駆逐艦について、「・・・強度確保と怪我防止に溶接開先(かいさき)が90度とそれ以下の箇所はアールをつけたさりげない気遣いも光る・・・」というのである。これは開先角度のことを言っているとしか読めない。

 図に示したのはAとBの鋼板を180度の角度、つまり一枚板になるように溶接接合する、突合せ継手のX形開先の例である。

 

 開先とはこの図ではX型に開いた空間を言うのであって、開先角度とは図の板Aと板Bの角度(図では180度)を言うのではない

 開先の角度とは図で矢印で示した角度を言う。この本の説明は、AとBの角度が90度以下の鋭角の開先角度では、溶接した板の角が尖ってしまうので乗員がぶつかると怪我するから角を削って丸みをつけている、と言っていると読める。つまり開先の意味を知らないのである。不思議なのは、開先と言う溶接の専門用語を知りながら、その意味を知らないことである。

 ちなみに「開先角度」とインターネットで検索すれば、開先角度の定義が説明されている。



溥儀と呼ぶおかしさ

 ラストエンペラーこと、清朝最後の皇帝は溥儀と呼びならわされている。この方面に知識がなければ、姓が溥で、名前が儀だと思うのに違いない。少し知識があれば分かるように、清朝皇帝の姓は愛新覚羅という長ったらしいものであり、溥儀は名前なのである。姓は満州語読みでアイシンギョロと読むのだそうだが、溥儀を満洲語で何と読むのか知らない。

 いずれにしても、愛新覚羅溥儀とは満州語の音の漢字表記である。溥儀、とだけ言うのがいかに変かは、毛沢東を沢東と呼ぶのが一般的である、と想像すればわかる。日本人なら、家康、信長、秀吉と呼んで平気でいるが、これは徳川、織田、豊臣のように言うと該当者が何人もいて、誰を指しているのか分からなくなってしまうからであって、歴史書ならフルネームで呼ぶであろう。

 また中国人の名前を日本人が呼びならわすときは、フルネームか、姓だけである。例えば、毛沢東なら毛、袁世凱なら袁と言っても通じるのは分かるであろう。その一方で孫文のことを孫とはまず日本人は言わない。どこかにありそうだし、フルネームでも二文字だから略すこともないのである。

 このように歴史上の人物を、日本人が呼称する場合の慣例を、日本人の名前と中国人の名前を表記することを例示すると、溥儀、と呼ぶのがいかに不自然か分かる。なぜそう呼ぶかの答えは、今書いたばかりの一文に含まれている。今「中国人」と呼んでしまったが、溥儀は中国人ではない。

 漢民族という意味での中国人ではないのである。あくまでも溥儀は満州人なのである。それを中国人と思わせるために溥儀、とだけ言うのではないか、というのが小生の邪推である。それならば愛新覚羅と呼べばいいのではないか、と言ったとすればこれも混乱する。日本でも案外有名なのが、弟の溥傑だからである。

 そこで溥儀、溥傑と並べると、うまい具合に、溥が共通するから、ますますもって、溥が姓だと錯覚しかねない。いちいち愛新覚羅溥儀などと呼ぶのが面倒だという事で、日本流に溥儀、と呼ぶのが落ちになるのである。善意に解釈すれば、信長、秀吉と呼ぶようなものであろう。

 前記のように、溥儀は中国人ではない、と言ったがこれもそう単純ではない。日本は昔から漢民族が支配する地域を支那と呼んだが、戦後になって敗戦国民の悲しさで、中国と呼ばされている。戦前使ったから蔑称だ、という訳である。ところが蒋介石政権は中華民国と自称し、共産党政権は中華人民共和国と自称したから、どちらも中国と略せる、という向こうに好都合なことになっている。

 だから保守の日本人は民国と略したり、国交回復以前は中共と略すことが多かったが、この方がまともであろう。清朝崩壊後中華民国が成立し、国際的な承認を受け、戦後は中華人民共和国が成立したから、清朝の後は中国だと言い、今では過去の非漢民族王朝まで中国だというようになった。ご存知のように、各々の英語名はRepublic of ChinaPeople’s Republic of Chinaだから日本語に直訳すれば支那共和国と支那人民共和国である。

 日本語も中国語も漢字表記が共通するから、日本人は中国の漢字表記をそのまま使うのは当然だと思っているが、国際標準から言えば当然ではない。例えばドイツである。英語表記はFederal Republic of Germany略称Germanyである。ドイツ語では Bundesrepublik Deutschland である。略称はDeutschland である。そして日本ではドイツと言う。

 英独ともに、アルファベットが共通文字であるにもかかわらず、ドイツと言う国の表記は、ドイツが使うものが使われていない。だから、日本が中国と言う先方の自称をそのまま使う必然性はない。

 ある戦前の訳本で、支那共和国という言葉が使われていた。実は一般に言う中華民国のことである。訳者はわざわざ、英語表記の直訳を使ったのである。脱線したが、溥儀と言う表記を使うのは構わないが、一度は愛新覚羅溥儀、と書いておいてから、次から省略として溥儀、と言わなければ誤解される。織田信長と言っておいてから、略として信長と書くようなものだろう。一貫して苗字を省略して、溥儀と表記するのは奇妙なのである。



日本人自身がが拉致否定の根拠を与えるというひどい話

 とうとう来るべき時が来た気がする。日本人が、「従軍慰安婦」の証言集に書かれたことを否定するならば、北朝鮮が日本人を拉致した、という証言も信用ならない、という意見が現れたのである。

 産経新聞の平成27年10月14日の高橋史朗氏の「新たな歴史戦に対する連携を」と題する記事に米議会調査局が2007年4月に同議会に提出した報告書の内容が書かれている。「安倍政府の軍による強制連行否定は・・・田中ユキ著『日本の慰安婦』に記載されているアジア諸国出身の200人近い元慰安婦の証言や400人以上のオランダ人の証言と矛盾している。・・・元慰安婦の証言を拒絶すると、外部の者にとっては北朝鮮による日本の市民の拉致事件の信憑性に疑問を抱かざるをえない」と結論づけている、というのだ。

 中国がユネスコ記憶遺産国際諮問委員会に今年提出した「従軍慰安婦」の申請資料には2007の米下院の慰安婦対日非難決議が引用されている。そして非難決議の根拠がこの報告書だというのである。

 日本人自身が集めた強制連行の証言集を否定するなら、日本人による拉致の告発も嘘だ、という理屈は荒唐無稽ではない。「従軍慰安婦」の強制連行説を広めて、ここまでの国際問題とした発端は、朝日新聞を始めとする日本人自身に他ならない。日本人自身が言っているのにそれを否定して、強制連行説が嘘だ、というなら日本人が言う、拉致問題も嘘だ、という恐ろしい理屈に発展することは大いに可能性があったことである。

 結局日本人の言うことなど嘘ばかりなのだ、ということになるのである。ひっくり返せば、拉致問題が本当なら「従軍慰安婦」の強制連行を認めよ、という脅しに等しい。北朝鮮が拉致問題を認めるまで、拉致問題の存在を否定していた輩は、慰安婦の強制連行説を広めていた日本人と見事に重なるのである。以前、小生は、いくら日本人は思いやりがあるやさしい民族である、ということをいくら強調しても、他方で慰安婦の強制連行や日本軍の残虐行為を一生懸命海外に宣伝する日本人がいれば、日本人の思いやりなど見せかけの嘘で、本当は日本人には残虐なDNAがある、と言っているようなものである、という主旨のコメントを書いた。「従軍慰安婦」問題と拉致問題の関係は、これと同じことなのである。



中国経済は簡単に崩壊しない

 中国経済は崩壊をするとか、し始めたと言われて久しい。それによって中国が混乱に陥って崩壊する、という説さえめずらしくない。何年か前2014年中国崩壊説を主張する評論家がいたが、とうに過ぎても劇的現象は起きていない。2015年に訪米した習主席は米国の旅客機300機購入の「爆買い」の約束をする始末である。

 中国経済が、勝って勢いを失って停滞している様子はあるが、実際には言われているような激しい崩壊現象が現れている様には思われない。一体中国経済は恐ろしく過大評価されてはいまいか。例えばの話だが、GDPは公表数値の10分の1しかない、とか桁違いに実際の中国経済水準は低いのではないか、としか思われないのである。

 何年も前に、中国経済の成長が嘘だと言う根拠として、エネルギー消費がある時期から減少を始めたと言う統計を示した識者がいた。省エネの努力をしない中国で、エネルギー消費が減少すれば、GDPも減少しているはずだ、というのである。

 だが中国では政府が、今年のGDP成長目標が7%だと宣言すれば、地方行政機関はそれに合わせた経済統計を発表しなければならないのである。もしかすると、深釧特区が成功して、急激に沿岸地方に外国資本が入ってきて、中国経済が急成長を始めたころは、実態と公表の差は、それほど大きく無かったのかも知れない。それは元の経済力が極小だったから、相対的に大きな成長に見えただけである。

 しかし、一渡り外国資本が入りきると成長は鈍化する。しかし、中国政府はメンツがあるから、成長が鈍化したとは言えず、惰性で誇大な成長率を発表し続けたのではないか。実際、内陸部自体は経済成長は少ない。改革開放の恩恵を受けたのは沿岸地方だけである。人口の大部分は経済成長していない部分に属する。だから中国全体が、いつまでも大きな経済成長を続けられるはずがないのである。

 おそらく日本人並みの生活ができるのは、一億人もいまい。その上、一千万とか二千万人程度のごくわずかな人々が、平均的日本人には考えられない資産と収入がある。結局、経済規模の実態が大したことがないから、経済がだめになったところで、被害は大きくないのではないか。例えば100あったものが10になれば大変だが、元々12,3しかなかったものが10になっても大したことがないということである。だから中国経済が減速したからといって、中国経済も中国も簡単には崩壊しないのである。

 以前から中国人の爆買いが話題になっている。彼等は大金持ちだと思われている。変だと思わないのだろうか。彼等は電気製品でも何でも、同じようなものを大量に買っているのである。どう考えても買った本人が、そんなに沢山使うはずがない。持って帰って売るのである。そう考えなければ辻褄が合わない。

 日本で爆買いをする人たちの周囲には、それを買うことが出来る程度の購買力がある人たちがいるのである。つまり彼等は旅費をかけても、爆買いの商品を売れば割に合うのである。結局彼等は、爆買いの商品を買った金額と旅費に見合った、大金持ちというわけではない。爆買いで金を稼いでいるだけなのである。

 これも中国経済の実体が大したことがないことを暗示している。しかも爆買いが中国経済の減速によって止んだ、ということも聞かない。減ったかもしれないが爆買いはある。これも爆買いが日本の商品を買って中国国内で売る商売だと言うことの証明である。

 小生は歴史の教訓から中国はいずれ混乱と分裂状態になると考えている。しかし、今その時期が迫っているように思われない。しかも中国は清朝崩壊以後、皇帝がいなくなった。毛沢東などのトップを皇帝に擬する識者も多い。しかし、そのアナロジーが正しく、中共という王朝体制が存在して、歴史が繰り返しているのか、小生には判断できない。

 ただ言えるのは支那人の民度からして、いくら工場ができ、機械製品を大量に生産し、ロケットを飛ばそうと、未だに中国は近代社会ではない、ということである。だから名目上の皇帝がいなくなっても、過去の歴史のサイクルから完全に離脱したとも言えない。



「南京事件」の探究・再考

 美津島氏という方のホームページで、小生の「『南京事件』の探究」の書評を引用していただいた。そこで、以前にも書いたが「南京事件」という言葉について論考してみようと思う。

 まず「南京大虐殺」と言う言葉は、プロパガンダの用語であって、歴史上の事件に使われるものとしては不適切であると考える。しからば「南京事件」である。歴史上の事件である、というからには、特異なもの或は歴史上の意義を有するものでなければならない。「南京事件」とは、南京攻略戦の際に日本軍が犯した、不法殺害、略奪、強姦、放火などの行為をいうものとされるのが、一般的認識であろう。

 しかし、都市攻略において、一般民衆が存在する限りにおいて、これらの行為は皆無ということはない。米軍の沖縄攻略戦やマニラ攻略戦においても、南京におけるより遥かに大きな規模で、これらの不法行為がなされている。米軍はフィリピンの民間人を不必要に殺し過ぎた、と陰口を言うフィリピン人はいる。それならばなぜ「那覇事件」や「マニラ事件」と呼称されないのであろうか。

 根本的原因は米軍が勝者で、日本やフィリピンがそのような事件を取り上げることが許されないからである。しかし、米国は、一般民衆が巻き込まれた以上、戦闘の被害は生じるし、強姦事件もあったが、偶発的で仕方ない程度であった、という弁解位用意している。現に「天王山」という本で米国人の著者は「米軍にも残虐行為はあったが、日本軍よりましだった」と言う主旨でうそぶいている。

 被害に遭った人たちからすれば、仕方ない程度、などと言う言葉は許せるものではない。だが国際法適用上の現実なのではある。国際法の大家の立作太郎氏の「支那事変国際法論」でも、戦闘中に非戦闘員が被害にあう場合で、国際法上許される限界に言及している。南京攻略での日本軍行為は多くの場合、国際法上合法か、不法があっても極めて小規模であって、都市攻略の際の状況としては特別なものではない。日本軍の南京の攻略の歴史的意義は、中華民国の首都が日本軍によって占領され、蒋介石が首都を簡単に放棄して逃亡したことにある。すなわち歴史上は「南京攻略」である。

 確かに松井大将は不法行為を嘆いたが、敵国首都攻略という重大時の際に、大将は完璧に不法行為を防止しえなかったことを言っているのであって、潔癖がなせる発言である。故に歴史上、戦史上も南京攻略戦における不法行為は「事件」と呼ばれるべきものではなかった。従って小生は資料の引用等やむを得ないとき以外は「南京大虐殺」はもちろん「南京事件」とも言わない。南京大虐殺などはプロパガンダに過ぎない、という人達ですら「南京事件」と言う人がいるが、それは南京攻略の際に、日本軍が歴史上の事件と言うべき不法行為をした、と認めてしまっているのである。

 むしろ、敗戦直後のドイツで、米ソ軍が行った、何十万という規模の強姦と、百万単位の殺害の方が、なぜ歴史的事件として取り上げられないのか怪しむ。日本に於いても、敗戦直後関東地方だけでも、万単位の強姦事件があった。もちろん市民殺害もである。しかも日独で行われた連合国の犯罪は、戦闘が完全に収束して、勝者が完全に支配している中で行われた悪質な事件であった。人道的な米軍などと言う言葉は、GHQの洗脳である。日本人は米軍が占領中に行った、多くの不法行為を忘れてはならない。むろん、小生は反米感情を抱き続けよ、と言っているのではない。事実を忘れるべきではない、といっているのである。



日本統治論

 天皇は日本人の精神を体現したもの御方である。だから権威の賦与者である。初期は天皇ご自身が部族の長であって、政治と軍事を司っていた時代があり、現在天皇の諡号がある御方にもそのような人物がいたのである。だが、生前のにおいて天皇と呼ばれるようになってからは、既に親政は行われず、前述のような権威の賦与者となっていたのであろう。例外のひとりは後醍醐天皇である。

 従って、天皇は国策の決定者ではない。大統領ではないのである。現実に日露戦争も大東亜戦争も、開戦は天皇の御意思に反していたと考えられている。ところで「明治維新という過ち」という本で、孝明天皇その人が討幕どころか、「尊王佐幕派」であったので、この人がいる限り武力討幕はできなくなる、として、薩長による天皇暗殺の可能性を示唆している。孝明天皇弑逆説は案外根強いのである。

 なるほど、孝明天皇が佐幕の意思を明確にしていて、それを実行しようとしていた、とするならば、天皇が邪魔である、という考えをするものがいても不思議ではない。だが、天皇ご自身が国策を実行する一種の親政は、後醍醐天皇のように例外であり、当時すでに天皇のあり方としてはおかしいのである。過去にも、平氏は安徳天皇を奉じていたが、源氏は後白河上皇に平家討伐の許可を得て、平家を滅ぼし、安徳天皇は入水して崩御された。

 この時本格的に武家政権が登場して、徳川幕府もその系譜に属する。孝明天皇のご意思に反する薩長の討幕が正統性を欠く、というなら、それ以前に武家政権は出発の鎌倉幕府で既に正統性を欠いていることになる。やはり天皇は政策に関与しない、というのが明治以前でも日本の憲政(明文化はされていないが)の常道となっていたというべきである。

 開戦の決定は国策だから、天皇が御決定になることではなかった。しかし、終戦時点においては、日本民族が滅びるか否かの状況に追い込まれていた。日本民族は滅びてはならないという、日本人の精神を体現した天皇が、敗戦を受け入れる決定をした、ということは究極的には、国策の決定ではないと言っていい。二二六事件の討伐の指示については、昭和天皇ご自身が政治に関与したことを悔いておられる。それと反乱軍討伐の判断が正しかった、ということとは別なのである。

 二二六事件の首謀者は君側の奸排除などと、天皇親政のごときことをも言ってはいるが、結局は親政の具体的アイデアがあったわけではなく、政党や財閥の腐敗を正し、農民など庶民の貧窮を助けることができる内閣を求めていただけであろうと思う。

 天皇や皇室というのは誠に微妙なシステムであり、時の政権に権威を賦与する、と言ってもその方法や決定には難しいものがある。実際の政治は幕府に任せたはずなのに、開国の勅許がない、といって井伊直弼は非難されたし、源氏は天皇を擁する平氏を攻めたのである。結局天皇は政権奪取というような政治には関与せず、成立した政権に正統性を与えるだけであった。天皇陛下の御希望は、国家国民の安寧というより他ない。そのようなことができる政権を正統と認めるのである。政治は結果論である。

 前出の「明治維新という過ち」では、幕府の改革によって、スイスやスェーデンのような良い国家になる可能性があり、薩長閥に支配された明治政府とその後継者は、吉田松陰の語る侵略戦争に邁進する、という間違いを犯した、というのであるが、このことについては、それ以上書かれていないので具体的に評価できない。

 一般論として言えるのは、明治から昭和まで戦争に明け暮れた日本は、侵略戦争をしたのではない。それは大東亜戦争肯定論や、西尾幹二氏の説のとおりである。また、アジア諸地域を欧米の植民地として残して、日本だけが安泰な国家として生きながらえられるとも思えないし、その道を目指すのが正しいとも思えないのである。これについては別に論ずる。



国鉄分割民営化の目的とは?

 平成27年10月1日から日経新聞の、私の履歴書というコーナーにJR東海名誉会長の葛西敬之氏の連載が始まった。驚いたのは、当事者が自ら国鉄分割民営化の本当の目的を正面から書いていることだった。分割民営化の議論が行われている当時からの、小生の推測とぴたりと一致したのである。小生はごく自然だと思っていたが、当時、仕事関係の知人に話すと、意外だと言う顔をされたが、考えは変わらなかった。

 連載一回目から書いている。氏は、静岡と仙台に勤務して、国鉄の職場の崩壊を目の当たりにした。労組と当局の悪慣行がはびこる実態を目にして、「国鉄の再生には分割民営化しかない」という確信を持った、というのだ。要するに、国鉄をダメにした労組の力を削ぐには、分割民営化しかない、ということである。

 分割することによって労組の組織を小さくし、民営化して利益感覚を持たせることによって、労組の横暴を自然に止める、ということである。静岡鉄道管理局の総務部長に就任した氏には早速、一人の新人の配属先を動労の要求により替えろ、本社から指示があった。突っぱねると、ストライキをやられて多数の客に迷惑をかける、と言われたが、それでも断り、東京の動労幹部から電話があって、これも断ると、「お前と話してもダメらしいな。後は戦場でまみえよう。」ときつい口調で言われた。

 すると動労は病気と称して集団欠勤したので、国労幹部に話して、乗務をかわってもらって解決した、というのである。仙台では助役たちを虐めたり、威嚇して、仕事をさぼる悪慣行を認めさせた、というので、早速、氏は悪慣行の廃止を宣言すると、無断欠勤を始めたというのである。

 すると氏は、働かないから、といって次々と賃金カットをしたというからすごい。本社のキャリア組は組合の筋の通らない要求に屈したり、水面下で労組幹部と手を結び、見逃していた結果が国鉄の惨状をもたらした、というのだ。だから現場の管理職や良心的な組合員は、キャリア組に不信感を持っていたのだが、氏は実行力で信頼されるようになった、というのは当然であろう。

 小生も高松にいたころ、会合の後の飲み会で、国鉄の現場管理職の愚痴を聞いた。愚痴は労組批判ではなく、二、三年で転勤してしまうキャリア組が、トラブルを恐れて労組となれ合うことに対する批判であった。だから氏の言うことはよく分かるのである。国鉄の惨状が色々書かれているが、氏の勇気には敬服する他ない。小生も労組の威嚇などにあった経験があるが、筋を曲げることはなかったつもりだが、本当の信念を通すことはできなかった。二十年経っても、当時の経験を氏のように公表する勇気すらないのである。



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 独断と偏見で意見を言います



玉ノ井異聞

 平成27年9月26日のアド街ック天国は、向島百花園だった。9月半ばに萩のトンネルがピークで、見に行ったばかりなので、期待していた。東武線の東向島駅下車で、番組でも紹介されていたが、旧駅名は玉ノ井である。玉ノ井といえば永井荷風が通って、墨東奇談の舞台となった、往年の花街である。

 歌手の木の実ナナが、地元だと言って話し出した。近所に玉ノ井の女郎が住んでいたのである。ご出勤のときは、真っ赤な口紅を塗って出ていくのが羨ましくて、早く大人になりたい、と思ったそうである。

それが昭和30年代の売春防止法の施行で、花街が閉鎖になる日の話である。閉鎖の為、店が閉まる時間になると、蛍の光の音楽が流れてきて、ご近所の女郎たちが泣き出した、というのである。風俗を全く知らない小生でも、ホロリとくる話である。嫌な職業から解放されるなら泣く者はいまい。この逸話だけで日本の女郎、すなわち売春婦がいかなる身分か分かる。

 女郎は決して性奴隷ではないのである。日本に奴隷がいたことはない。米国にまで行って慰安婦を性奴隷と言いつのる、反日日本人はよく考えるべきである。米国人は奴隷がどんなに悲惨なものか、記憶があるはずである。米国人に日本人は残酷な民族だと言う間違いを広めると同時に、自分をも貶めているのだから。



池上彰氏の民主主義危機論

 平成27年9月28日の日経新聞に池上氏が、安保法案の採決について、60年安保との比較論を書いていた。事実関係に誤りはないのだが、都合のよい部分だけ取り上げている。60年安保は、一方的なものだったのを改正する良いものだったから、当初は一般市民は反対しなかったのだが、衆議院で座り込む反対派議員をごぼう抜きにして強行採決したから、民主主義の危機だと怒った学生や市民が国会を取り囲んだ、という。強行採決したのは、米大統領の訪日に合わせて条約の批准書を交換するため、急いだからである、というのだ。

 ここに書かれたことにほとんど間違いはない。ところが、結果ばかりで原因が書かれてないのである。強行採決しなければならなかったのは、急いだせいばかりではない。反対派議員が物理的に採決できないように妨害したからである。良き改定である、というのなら、何故反対派議員はそこまでしたのだろうか、という疑問を持たないのだろうか。

 当時は冷戦の時代である。反対の理由のひとつは戦争に巻き込まれる、というものであり、強行採決以前から、いわゆる市民にも反対運動はあった。今では、ソ連が日米同盟を阻止するために、社会党、共産党、総評などに指示と援助を与えて、反対させたことが明らかにらされている。この中には、事実上のソ連のスパイである、誓約帰国者も含まれている。

 国会周辺のデモの学生にも、多数の過激派が含まれている。デモは単に民主主義を守る、というのに限られず、反米闘争の様相を帯びていたのである。つまり根本的には、米ソの冷戦に巻き込まれたのであるが、池上氏は語らない。

 池上氏が60年安保闘争を持ち出したのは、今回の安保法制のデモとのアナロジーを言いたかったのである。自民党が今回も衆議院で強行採決した結果、若者たちが民主主義の危機だ、と感じてデモに集まった、というのである。その上安倍総理は米国議会で、夏までに安保関連法案を成立させると演説したから採決を急いだ、という類似点もあるという。

 この経緯にも、池上氏が書かないことがある。衆議院での審議の際に、民主党は自民党の渡辺衆議院議員への妨害作戦計画のメモまで作って妨害し、怪我までさせたのである。強行採決が民主主義の危機だ、というが、事前に審議妨害計画まで立てて、賛成派議員に怪我をさせることが、民主主義の危機でなくて、何だろう。

 参議院でも、反対派議員は自民党の女性議員を投げ飛ばし、怪我をさせている。混乱の中で自民党議員も暴力をふるったとされるが、程度は遥かに軽い。国会の中であろうと外であろうと、人に暴力をふるって怪我をさせるのは、明白な犯罪である。まして、法律を作る国会議員が犯罪を公然と犯すのは、それこそ民主主義の破壊である。民主党は、国会の中での暴力行為は犯罪ではない、という法律でも作るが良かろう

 採決を急いだ、というが今回の国会は戦後最長で、いくつかの法案の審議も止めたのであるから、短期の審議ではないどころか、充分時間はかけている。しかし野党は、戦争法案だとか徴兵制になる、とかレッテル貼りや虚偽で混乱させるだけで、内容の実質審議は極めて少ないものになった。議会の機能を著しく低下させる行為である。強行採決が民主主義の危機だと言うが、そもそも法的手続きに則って審議可決するのを、物理的に阻止することこそ、議会制民主主義の破壊であろう。

 60年安保の際には、良き改定だったから市民の反対は盛り上がらなかったが、強行採決したから、デモが広がったと池上氏は言う。ところが当時デモに参加した人たちは、良い改定であった、などというものはなかったのである。池上氏が良い改定だったと言うのは、現時点だから言える言葉である。

 それならば、池上氏は安保関連法は良いものなのに、強行採決したからデモが広がった、とでも言うのだろうか。そうではない。このコラムでは60年安保では良否の評価をしたのに、今回の件では評価をしないのである。池上氏はこのコラムでは、評価していないが、別のところでは評価を下しているのに違いないのであるのに。

 また、安保改定が終わると、国民の政治への関心は急速に薄れ、高度経済成長に国民の関心が移ったと言って、同様に「今後はアベノミクスを前面に出せば、国民は政治を忘れ、経済に関心を移す」と安倍首相はきっとこう思っていると断言する。総理を馬鹿にした話だが、結局は国民も馬鹿にしている。日本国民は経済に目を奪われて、政治を忘れた、という愚かな行為をした実績がある、と言っているのであるから。



性奴隷と言う言葉の怖ろしさ

 平成27年9月22日、とうとう、サンフランシスコ市議会が、慰安婦像設置案を採択してしまった。その決議の中には「日本軍によって拉致され、性的奴隷の扱いを強要された・・・」云々という文言が入っている。以前にも一部の日本人学者らが、「日本軍の性奴隷」ということを米国で吹聴していたことさえある。

 この日本人たちは、性奴隷sex slaveと言う言葉が、欧米人にどういう印象を持たれるか分かっていないのであろう。彼等は奴隷といえば歌の「恋の奴隷」というようなたとえか、女郎や売春婦の類を性奴隷と認識しているのではなかろうか。だが、実際についこの前の近代において、実際に奴隷を使ったことのある欧米人にとっては違うのである。

 奴隷は人間ではなく、物である。酷使して使い捨てるのである。アフリカから運ぶのにも、穀物を積むように山積みにして、換気どころか排泄の考慮もない。だから半数以上は途中で死ぬか、使い物にならないと言って瀕死の黒人は海に投棄された。それでも効率よく沢山運べれば儲かるからである。英国人は植民地インドの織物職工を、自国民と競合させないよう手を切り落とした。まして物でしかない奴隷なら、どんな苛酷な目にあったのか我々日本人には想像がつかない。

 日本や米国でsex slave と吹聴している日本人は、自分がいかに恐ろしいことを言っているか分からないのである。以前、ある朝日新聞の記者は日本が植民地支配を謝罪すれば、謝罪しない欧米に比べ道徳的に優位に立てる、などと書いたことがある。これまでの経緯からそんな馬鹿げたことは絶対ないことは証明されている。だが彼らは戦前までの日本の歴史を、どこまでも暗黒なものだと洗脳されていて、謝罪するなり性奴隷なりと言いつのれば、言った自分だけは良き日本人になれるのだと信じているのであろう。

 だがそうでないことは、慰安婦問題が米国で話題になるようになると、在米の邦人がいじめにあうようになっていることから分かる。彼等自身はそれらの犯罪を犯していたことはない。しかし米国人にとっては、日本人のDNAに残虐性があるからと思うのである。今オリンピックを前にして、おもてなしや日本の治安の良さ、など日本人の人間性の良さが強調されている。しかし、一方で性奴隷などという言葉が定着すれば、日本人は普段はおとなしいが、残虐性を秘めている怖ろしい民族である、という認識を持たれるのである。いくら、おもてなし、などと言っても片方で、それをぶち壊しつつあるのだ。



本当に自分の頭で考えているのか?

 産経新聞の平成27年9月8日のコラムで、今話題のSEALDsが、「私たちは、自分の頭で思考し、判断し、行動していきます。」云々と言う宣言文に対して、自分の意見と思い込んでいるのは、左派ジャーナリストの主張にすぎないのではないか、と断じている。その通りである。


 その翌日のNHKだったと思うが、行動する学生をテーマにした放送があった。SEALDsなどの国内の運動に参加する学生たちの意見は、まるで金太郎飴のように同じで、やっぱりね、と思ったがそうでもなかった。世界各国の若者たちとディスカッションする集会に参加したある日本人の若者が、外国人に「戦争は必要だ」というような意味のことを言われてショックを受けていた。日本人に同じ言葉を言われると、拒否反応を示すのだろうが、外国人に言われると、大人しく受け止めるのが日本人らしいのだが。

 SEALDsに参加している学生たちは、同じ意見ばかり聞かされて、お互いも同じ意見で盛り上がっているから、こういう刺激的意見の洗礼が必要なのである。日本では戦争は悲惨だから、絶対悪である、と言う主張が常識である。しかし、ただいま現在も戦争は行われている。渦中の人たちは現代日本人より遥かに戦争の悲惨さを知っている。それなのに戦争がなぜ行われているか、ということに疑問を持たないのだろうか。

 小生は戦争はいいものだ、と言っているのではない。世界には自分と全く異なる意見の人々が多くいるから、それらの人々の声に耳を傾けて、更に自らの頭で考える必要があるのではないか、といっているのである。何度も紹介したが、小生の思想の原点は、日独の軍隊は悪逆非道な戦争ばかりしてきた、とか、日本は戦争をしてはいけないのだから、軍隊はいらないと言う常識に子供の事、疑問を持ったことである。

 これらの常識は外国から、戦後言われ続けたことから始まる。単細胞の小生の結論は簡単だった。日独は戦争に負けたからだ、ということである。そして、普通の国なら全て軍隊があるし、日独の敗戦後も戦争は起きている。日本の常識はどう考えてもおかしいのである。

 自分の頭で考えるべきは政治家も同じである。安倍首相が自民党総裁に無投票で当選した時の、社民党のコメントが傑作である。派閥で締め付けて対立候補が出ないようにしているのは、まさに独裁政党と映る、と批判したのだ。だが、社民党の大好きな中国や北朝鮮は、独裁政党が支配する国家ではないのか。社民党は単に自分の反対する法案を提出する内閣が気に入らないから、事実に基づかず独裁政党呼ばわりするのである。人間は好悪があるから、自分の反対する法案を提出する内閣が気に入らないのは分かるとして、嘘までついて罵倒することはなかろうと思うのである。

 政府批判も出来なければ、政府に都合が悪い人間は、指導者の恣意で法に基づかず拘束される。そんな超独裁国と日本を比べないのだろうか。8月に行われたような、反安保法制のデモを中国で行ったらどうなるかは、天安門事件をみれば分かる。何人が逮捕され何人が殺されたかも、未だに分からない。北朝鮮に至っては、天安門事件すら起きないのである。



○現代アフリカの悲惨の原因を招来したのは誰か?

 長谷川三千子氏の「『国際社会』の国際化のために」と言う中公文庫に収められた文章で、アフリカの悲惨な現実が、いかに生じたか、ということの大枠を知り得た。本全体の書評は後日紹介するとして、ここではまずそのことだけを紹介したい。日本語の国際化に対応するはずの、英語のinternationalizeというのは他動詞で、英英辞典で引くと「(国、領土等を)二ヶ国以上の共同統治又は保護のもとに置くこと(P195)」とあるという。日本人なら、これは特殊な用法だと思うであろうが、この言葉が十九世紀後半に初めて使われるようになったとき、この意味であったし、主たる用法は今も同じである、という。

 西洋人の言う国際化、とは日本語のそれと全く違い、いかに苛酷なものであるか。例としてコンゴの国際化をあげる。コンゴの例とは、当時、コンゴがベルギー一国の領土になりそうな趨勢であったので、コンゴと言う地域をベルギーには独占させないようにする、というのが国際化の目的なのである。

 コンゴをまともな国ではなく、単に植民地の対象としてしか見ていないから、コンゴをどうするか、と言う場合に、コンゴに住む人々は交渉の対象とはならないのである。これは、九ヶ国条約で欧米が支那に取った態度とよく似ている。実体として存在もしない「中華民国」というものを勝手に認めて、これを維持すべきだ、というのだが、その結果もたらされたのは、各国に支援された乱立する軍閥による、支那の混乱と支那住民の窮乏であった。

 さて氏の説明に戻ろう。「・・・当時のコンゴはそんなものだったのではないか、と言う方があるかもしれません。それから百年近く経って独立した後でさえもが、あのていたらくだったのではないか、と。しかし・・・コンゴをはじめとするアフリカの各地域とも、少なくとも十五、六世紀の頃までは、決してそんな風だった訳ではない・・・その形態は近代欧米諸国とは異なれ、さまざまの王国が栄え、すでに高度な文明が各地で発達をとげていた。それを決定的に破壊したのは他ならぬ白人達であります。三百年にわたる奴隷のつみ出しと、それに伴う諸部族の抗争と扇動によって、いわば内と外の両側から、アフリカ大陸の「文明」を崩壊させていった(P199)」というのである。

 例えれば、原野を開墾する場合、現に青々と茂っている草木を根こそぎにするようなものだと。だからコンゴの国際化が言われていた1883年には、コンゴには国と称するに足るものがなかったのではなく、破壊しつくされてなくされていた

 この説明で思い出すのは、テレビで、ユニセフが行っているコマーシャルである。アフリカの栄養失調や病気で死にそうな子供を映して、この子たちをあなたの僅かな寄付で助けましょう、と募金を呼び掛けているのを最近よく目にする。小生はこれを見るたびに不快になる。確かにアフリカの子供たちの人道支援は現時点での状況下では、必要であり尊ぶべきことである。

 しかし、西洋人が長谷川氏の言うように、健全な王国であったところを三百年に渡って破壊しつくしたから、外部から援助しなければ、子供すら育てられないような地域の状態になったのである。西洋人が来なかったら、アフリカは、子供たちすら自ら育てられないような国々ではなかったのである。子供たちもまともに育てられないような状態にした、当の西洋人が作った、ユニセフなる国際組織が子供の悲惨な状態を助けて、人道支援しましょうと呼びかけているのである。

 マッチポンプと皮肉を言うことすらはばかられるような、悲惨な状態を招来したのは、人道支援しようと言っている人たちの父祖であり、そのことに人道支援の名のもとに責任を取るには、ことは重大過ぎる。いや彼らには責任を取るなどという殊勝な意識はない。

 そもそも彼等は父祖のしてきたことを棚に上げて、本気で善意にあふれて真剣に振る舞っているのだ。そう思うと、単に一度戦争に負けただけで、おわびだ反省だと騒いでいる、日本の政治家、学者、マスコミ、大衆の政治的成熟度の程度は絶望的に低い。



○万能機という無謀


 ここはプラモのコーナーではありません。JSFという万能機計画が、いかに無謀かを見せるために、採用となったF-35(当時はX-35)のライバルだったボーイングX-32の不細工な姿を見せるためにプラモの写真を載せたのです。プラモの説明書によれば、JSF計画と言うのは、F-16、F/A-18、ハリアー、ジャギュアの4機種の後継機の開発計画です。少しでも、現代軍用機に知識があれば、この4機種が全く性格が異なるものか分かります。何せ、空軍の戦闘機、艦上戦闘攻撃機、垂直離着陸戦闘機、対艦対地攻撃機、とまあ、大雑把に言えばそんなものですから。

 そこで苦しんで苦しんでボーイングが設計したのが、このX-32です。会社は大真面目だったのでしょうが、素人目には、こんな不細工の極致のような機体が採用されるとは考えられませんでした。もちろん採用されたF-35も、只今大いに苦しんでいます。米空軍機を採用しなければならないことを運命づけられている、航空自衛隊もF-35の採用を決めましたが、価格が高騰して、一体どうなる事かと怪しんでいる専門家もいます。

 米国やこの計画に参画した国の専門家のセンスはどうなっているのでしょう。空軍の戦闘機と艦上戦闘機とを兼用しようとしただけのF-111計画も、艦上戦闘機は不採用、空軍機も不満たらたらで、結局F-14とF-15という別機を開発する羽目になりました。この損害は莫大なものになったはすです。

 余談ですが、不細工の極致、と言いながら、このプラモ完成してみると妙に可愛らしく愛着があります。最近は店頭にはありませんが、軍用機プラモマニアの方には製作をお薦めします。また米軍のF-22より不採用になったライバルのYF-23の方が好きで、1/72のキットのいいものを出して欲しいのです。最近48が出ましたが、巨大過ぎて手にあまりますし、昔2社が72を出していましたが、大いに不満がありました。





安保法制は成立する

 安保法制は必ず通る。理由は簡単である。そもそも安保法制が持ち出されたのは、日本側の国際情勢に対する危機感もあるが、根本的には米国の指示によるものだからである。確か、憲政史研究者の倉山満氏の著書だったと思うが、日本の重要な政策の決定については、政府の一定以上の地位の人物には、米国からの指示が伝達され、その通りに政策を決定しなければならないシステムができているのだそうである。頂点にいるのはもちろん総理大臣である。

 小生はもちろん、多くの国民も口には出さずとも、直観的には同じことを感じているはずである。小生は特に安全保障政策と、それに関連する外交に関しては、絶対的に米国の指示があるはずだと推定している。村山富市氏が総理大臣になったとたんに、社会党が安保条約賛成に政策を正反対に転換したのも、単に立場を考慮したものではなく、村山氏は米国の影響力を知らされたからである。

 小生は不完全なものながらも、今回の安保法制には基本的に賛成である。しかし、その成立は米国の力によるものである。本来の公明党は、安保法制には反対の立場であるはずである。それが自民党に協力しているのは、与党にいるからであり、その限りにおいて公明党幹部は米国の意志に逆らえないことを知っているのである。

 また野党も、反対している民主党などの野党も、そのことを薄々感じているからこそ、反対論が「戦争法案」だとか「徴兵制」につながるとか、論理的ではなく感情的な批判論しか展開し得ないのである。街頭で安保法制反対のびら配りをしている良心的な人たちは、何も知らずそのデマコギーのような反対論に踊らされているのである。以上のような訳だから断言する。安保法制は必ず通る。



何故マスコミは日本の歴史に辛辣か

 平成25812日のNHKで世界遺産ドリーム対決・コロンブスVSバイキングという番組があった。基本的にはは彼らを英雄視している。しかし多くは悪辣なカッパライ殺人強盗の類である。バイキングとは海賊のことではないか。もし彼等が日本人なら思い切り批判するのに、なぜ西洋人なら英雄なのか。大英帝国博物館の所蔵品などは、英国が世界から略奪したものである。バルト三国の紹介番組では、歴史を語っても、第二次大戦のどさくさにまぎれて、ソ連に侵略併合されたとは決して言わない。蒙古襲来についても、単に事実関係を言うだけで、決して侵略してきたなどとは言わない。

 これが日本となると、全く反対の態度を取る。朝鮮征伐は侵略戦争であり、秀吉は年老いて判断力を失い、非道な侵略戦争したという。もちろん韓国併合は悪しき植民地化である。大東亜戦争の東アジアの攻略は、これらの国々への侵略といういい方になる。ところが、東アジアの国々を侵略したと言うのは事実関係から言えば、間違いである。当時、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ビルマ(ミャンマー)という国は無かった。無かった国々は侵略できない。

 日本が攻撃したのは、これらの宗主国である、アメリカ、オランダ、フランス、イギリスである。東アジアの国々を侵略した、と言ってしまうのは、フィリピン、インドネシア、ベトナム、ビルマ(ミャンマー)が、欧米諸国から侵略されて、植民地になっていたことを間接的に隠蔽してしまっている。

 このように、現代日本のマスコミは、欧米諸国の国々の行為については寛容で、日本の行為に対しては極度に辛辣である。これは、欧米の過去の歴史に対して寛容、というよりは事実関係を淡々と説明する、というのが比較的正常であるのであって、日本のマスコミが日本の歴史について、常に極度に批判的であるのが、異常なのである。



○アウシュビッツの犯罪者の逮捕と日本の戦争犯罪者の呑気

 平成27年7月18日の産経新聞に「独、アウシュビッツ看守92歳を起訴」というできごとが小さく報じられた。アウシュビッツ強制収容所で看守をしているときに、1,075人のユダヤ人が虐殺されたことで、殺人幇助として逮捕起訴されたのである。虐殺を実行したのではなく、同地に勤務していただけでこの厳しさである。ドイツがユダヤ人虐殺の時効を停止していることは広く知られているが、ここまで徹底していたのである。

 以前、講談社現代新書の「七三一部隊」の記述を紹介したことがある。それを要約して再掲すると次のようになる。

 旧日本軍の元軍医の証言である。元軍医は七三一部隊のメンバーではなかったが、三年半の間に十四人の中国人を生きたまま解剖し、手術の練習台として殺したのだという。他人が解剖しているのを始めて見たときは異様に思ったが、一度やるともう平気になる。三回目は進んでやるようになった、というのである。更に、彼は当時の心境を次のように語ったというのだ。

 罪の意識はないんですよ。悪いとは思わないんですよ。だって天皇の命令で、その時信じてやったのだし、勝利のためなんだから悪くないんだと、細菌だっていいんだと私は思ったし、石井四郎に尊敬の念を持ったんですから」

 彼は未だに、自分の犯した14人の虐殺行為を後悔も反省もしていないと言うのである。

 ドイツでは、単にアウシュビッツに勤務しただけで92歳の老人が、大量殺人の幇助で裁かれる。ドイツだったら元軍医は当然極刑である。しかも元軍医の日本人は、このことを大勢の前で話しても非難すらされないのである。

 それどころか「七三一部隊」の著者の大学教授は、大勢の前で話す虐殺犯の元軍医のことを尊敬している、とさえいうのだ。狂っているのは日本のこの状況である。まともなのはドイツである。なるほどドイツ以外の欧米やロシアでも、かつて異民族の大量虐殺や虐待などの悪辣非道を繰り返した例は枚挙にいとまがない。だが元軍医のように公然と話す異常者はいない。皆、自国の悪辣な過去は隠ぺいしているのである。日本人にはその程度の羞恥心すら失われている。



○元と呼ぶ馬鹿

 最初はプラモのキットを見て気付いたのだが、中国の潜水艦は歴代王朝の名前が付けられている。納得できないのは、元などという、明らかに非漢民族王朝の名称が付けられていることだ。現在の支那の政府中枢は明らかに「漢民族」と呼ばれる範囲でしか構成されていない。また夏などという伝説上の王朝としか思われないものの名前まで使われているのには驚いた。


 これは現在の支那政府が、中華民族と称して、満州族やモンゴル人まで、ひとがらげにして、歴代王朝を全て中華民族の王朝とすることによって、中国四千年の歴史などと主張していることと符合する。そこで、こんな潜水艦の命名までするのか、と呆れた。だがこれは、小生が往々にして犯す思い込みだった。

 ウィキペディアで調べたら、例えば、元級というのはNATOのコードネームで、支那軍の公式名称は029A型潜水艦(中国字で029A型潜艇)というのだそうである。ロシア軍の戦闘機のコードネームには頭文字Fで、フィシュベッドや、ファーマーなどという、およそ軍用機とは関係のないふざけたものを使っているのとは大違いである。

 なるほど、戦艦には英国では王家関係のものを、米国では州名を使っているのと発想は似ている。だが問題はNATOが、自然に歴代王朝を現在の支那政府の前身と看做していることである。日本が戦前苦しめられたのは、欧米諸国がこのような認識を持ち、清朝の後継は中華民国だ、などと考えて九ヶ国条約で中国の主権の尊重などという実態のないものを日本にも押し付けたことにある。

 「満洲国出現の必然性」という本の著者の戦前の米国人は、支那民族(すなわち漢民族)と言っても、言語、文化等の相違は北欧と地中海民族よりも差があるいくつかの民族から構成されているし、満洲人はその中にさえ含まれない、と喝破したが、このような欧米人は、当時も現代でも例外なのである。欧米人の宿痾がコードネームの命名にも現れている、と気付かされた次第である。



悪質な戦争犯罪者が威張るとは

 平成13年頃だから、かなり以前の話である。高山市で元憲兵隊の「従軍慰安婦係」だという人が、シンポジウムに参加して「従軍慰安婦」問題について証言したという。アジアに大罪を犯したとか、政府は慰安婦問題を隠そうとしているなどと語気を強めた、と報道されている。

 私は彼の態度に疑問を感じる。その言葉を素直に聞く、聴衆にも疑問を感じる。彼は第三者ではない。彼は慰安婦を扱った当事者である。彼の言う「犯罪を犯した」うちの一人である。彼は犯罪者として追及されるべき立場にある人間である。


 ドイツではナチスの関係者は現在でも時効がなく、経歴がバレれば戦犯として処罰さるという。またベルリンの壁から逃亡する市民を射殺した旧東ドイツの一兵士までが、命令に従っただけであっても処罰されると言うのである。以前、自称元日本兵で、戦時中に犯した戦争犯罪を告白して、国内各地で講演をする者がいた。

 そこで、彼の支援者が、彼をアメリカに渡航させて、同様に戦争犯罪の告白の講演をしようとしたところ、先方から許可が下りなかったという。アメリカは、元ナチスの戦争犯罪者の入国を禁止していて、彼はそれに準ずる者とされたのである。これが常識というものであろう。

 ところが、彼と彼の支援者は、戦争犯罪の勇気ある告白をしに行くのに、なぜ入国させない、と怒ったのである。国内で戦争犯罪の勇気ある告白をすれば、拍手喝さいを浴びる、という奇妙な事態が続いていた。それで彼らの常識は倒錯してしまったのである。「告白者」は罪を悔いているのではない。拍手喝采を浴びて得意なのである。非人道的犯罪者()である。

 冒頭に書いた元憲兵氏は、慰安婦制度を非人道的行為として、戦争犯罪同様に看做しているのなら、従軍慰安婦問題の関係者は彼本人も含め、処刑する法律を制定して責任を追及しなければならない、と主張すべきなのである。最低限、私は取り返しのつかない重大な犯罪を犯した、と悔悟すべき張本人なのである。それが、何とその犯罪者が、正義の味方のように、語気を強めて政府を責めていた、というのだ。

 時効が過ぎて処刑される心配のない殺人犯が、真犯人は私です、と名乗り出たところで、勇気ある証言だと感心する人がどこにいるだろう。

 聴衆も、目の前で悪辣な犯罪に加担した張本人が堂々と後援しているのを聞いたら、ごうごうたる非難や罵声を浴びせるであろう。けれども不可解なことにそうはならなかった。その非道な犯罪者は「アジアに大罪を犯した」などと他人ごとのように述べたのである。これは奇怪なことではないか。

 慰安婦問題で、米国にまで行って日本軍は悪いことをしたと、運動して回る反日日本人がいる。彼等は「従軍慰安婦の像」なるものを米国内に建てる運動をしている韓国人と協働している。

 その結果、アメリカ在住の日本人が虐めにあっているという。当然であろう。米国人にしてみれば、性奴隷なる残虐なことを行った民族である日本人には、そんな遺伝的体質があるから他の日本人も同様に、残虐な体質があると考えるのである。

 反日日本人自身は、素晴らしい正義の行為をしていてるつもりであろうが、彼等米国人にとってはは同じ残虐な日本人に過ぎないのである。哀れなことに、反日日本人は米国人から自分もそのように見られている、ということに永遠に気付かない。



本質的な政界再編とは

 政界再編という言葉が、中身もなく乱用されている。そこで本質的に日本に必要な政界再編について考えて見た。

 民主党が平成22年に政権交代を実現した。これは、かつての細川政権などのような単なる非自民党政権によるものと異なり、本格的な二大政党の時代が来たと多くの国民に幻想を抱かせた。だが民主党は、社会党の凋落に組織の危機を感じた労働組合が、投票の受け皿を求めて組織票の中核を結成し、そこに自民党から逃れたもの、非イデオロギーの無党派敵政治家を取り込んで出来上がった鵺のような政党であったことは初手から分かっていた筈である。表にでるのは、ほとんどが、鳩山由紀夫のような、自民党から逃れた者や非イデオロギーの無党派的政治家である。そのことによっで、民主党の集票組織の中核である左派のイデオロギー色を、国民の眼から隠すのに成功したのである。

 何となく事情は分かっていながら、「無党派層」と呼ばれる国民がつい、政権交代、という二大政党時代への幻想を吹き込まれ、かつて無党派であっても自民党に投票していた者の多くが民主党に一時的に投票した結果、民主党政権が誕生した。また小泉政権時代の郵政民営化に反発した多くの自民党政治家が自民党を離れ、みんなの党などのいくつかの小規模政党を作った。この結果も自民党の票を激減させた原因である。

 だが、かつての自民党でも加藤紘一のように、利益誘導的なことだけが自民党的で、思想的にはマルキストとしか思われない政治家が自民党にも多くいたのであって、その意味では、保守合同時点では健全な資本主義政党であった自民党も、民主党誕生以前に鵺になっていたと言えなくもない。

 だから政界引退後に「世界」などという共産主義に未だに幻想を抱く雑誌に、自民党批判の記事を書く元自民党の、それも中枢にいた政治家がいても驚くことはない。自主憲法制定が党是である自民党に、本気で憲法改正を考える政治家が、マイナーな存在であるのも不思議ではない。多くの国民と同様に、すっかり平和憲法という言葉の虜になっている。

 かえって自民党から離れたマイナー政党政治家に、健全な保守主義者がいるのも皮肉である。だがGHQの洗脳の毒は効き過ぎる位効いている。自称保守で比較的健全だと思われていた小林よしのりですら、女系天皇容認論を声高に主張し、実質的にGHQ皇族から追放された旧皇族の皇族への復帰をヒステリックに否定している。

 また自称保守の中にも、戦争忌避主義者も多くいるし、憲法改正についても、現実に提案され公表されているのは、日本国憲法をベースにしているものばかりである。日本国憲法の本質は憲法ではなく、米国が作った日本政府に対する占領統治条約である、という本質を直視するなら、帝国憲法に戻すべきである。軍事占領時に被占領国の法体系を変えてはならない、というのは単なる国際法違反ではなく、自然法を淵源とする国際法の本質に反していることは、銘記すべきである。統帥権の独立を帝国憲法の欠陥であるかの如くいう保守論者が多いが、そんなものは運用の問題である。

 一般論としては、ベースとなるべき帝国憲法ですら、西洋人の知恵を借りた分だけ、歴史的日本の実情に合わない部分もある、と考えられる。憲法改正とは、日本国憲法に戻したうえで、考えるべきである。理想的な政界再編とは何か。このような憲法改正を考えている政治家を糾合した政党を作ることである。

 帝国憲法を改正して、歴史的日本の実情に合わせたものにする、という共通認識さえあれば、大東亜戦争に対する評価や靖国問題に対する対応というのは、チェックするまでもない。伊藤公らは、憲法とはその国の歴史から生まれるものである、という自覚を十分していたことはもちろんである。それでも考える余地はある、と思うのである。全ては、帝国憲法に戻してから始まる。



集団的自衛権一考

 集団的自衛権について反対する理由は、戦争に巻き込まれるというものである。一方で賛成の意見とは、例えば米艦船と自衛隊が共同行動をとっていて、米艦船が攻撃を受けても日本には集団的自衛権がないから、自衛艦は敵を攻撃できず、見殺しにせざるを得ないから日米同盟が機能しない、というものである。これでは議論がかみ合うはずがない。

 安保条約を想定して、自動的に米国の戦争に巻き込まれる、というのは明白な間違いである。安保は米国が攻撃を受けた時、日本に米国を守る義務はないからである。次に、イラク戦争のような場合である。確かに、米国に協力して参戦した国はあるが、同じ国連加盟国でも中露は反対して参戦しなかった。

 集団的自衛権は、国連憲章で規定されている、とされるが正確ではない。国連憲章51条では「・・・安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と書かれているだけである。前段の「必要な措置」とは第1条に書かれた「・・・有効な集団的措置をとること・・・」である。

 これは国連軍による集団的安全保障のことであって、集団的自衛権とは異なるものであるが、混同されているきらいはある。国連軍による集団的安全保障が実行されたのは、唯一朝鮮戦争である。当時、中共も北朝鮮も国連に入っておらず、当初は北朝鮮の侵略に対して国連軍として米軍が派遣され、途中から中共もその対象となったのである。

 国連憲章は国連軍が来てくれるまでの間の、集団的自衛権を否定していないだけのことであるから、集団的自衛権が国連憲章に規定されているという理由で、国連加盟国は他国の戦争に参戦の義務がある、という見解は論外である。国連加盟国であろうとなかろうと、個別の戦争に参戦するか否かは、政策判断の問題である。ベトナム戦争に韓国が参戦したのも同様の問題である。ベトナム戦争は東南アジアに共産主義が蔓延するのを防止するために米国が行ったものである。その米国は戦前の日本の反共政策を妨害したから、自分のつけを自分で払わされただけであって、日本が参戦するいわれはない。

 唯一の問題はPKOの戦闘行動に参加するか否かであろう。日本はPKOに参加しているとはいっても、後方支援任務に限定している。これを紛争の鎮圧、すなわち戦闘行動への参加に拡大するか否かの問題はあるが、これも政策の問題である。ただし、後方任務であっても、近隣の部隊が襲われて助けを求められて戦闘に参加することは、今回の集団的自衛権の保持の憲法解釈で可能になるし、必要である。

 ちなみに戦後日本は、参戦したことはない、というのは国際法の厳密な解釈から言えば、明白な間違いである。朝鮮戦争でもベトナム戦争でも、日本は戦闘に参加する米軍に基地を貸した。特に朝鮮戦争では日本から直接出撃した航空機も多かったし、軍需物資を米軍に売ったし、掃海作業も行って犠牲者も出した。

 これらの行為は全て国際法の中立違反、すなわち参戦したことになる。北朝鮮や中国、ベトナムといった国は国際法上、日本を攻撃する権利があった。しなかったのは、できなかっただけのことである。この通り、憲法九条があるから戦後日本は戦争しなかった、というのは真っ赤な嘘である。していたのである。また、朝鮮戦争とベトナム戦争で基地を提供するなどして参戦したことは、自衛権の行使としか考えられず、自衛権の行使ならば、議論された集団的自衛権と言うしかない。

 賛成派も反対派もまともな常識があれば、そのことは知っているが、知っている者は黙っているのである。賛成派が黙っているのは、今後も似たようなケースが朝鮮半島や台湾で起こり得、集団的自衛権があると言おうがないと言おうが、日本が日米安保による米軍駐留により、否応なく集団的自衛権を行使しなければならない立場にあると追及されるからである。

 反対派が黙っているのは、憲法九条のお蔭で日本は戦争に巻き込まれていない、というのがフィクションであることがバレるのと、既に集団的自衛権が行使されたという既成事実を隠したいからである。こうやって日本はダチョウの如く頭隠して尻隠さず状態で生きてきたのである。

 また、民主党は、防衛法制整備に関して、盛んに徴兵制にするのではないか、という議論をするが典型的な議論のすり替えである。それに対して、近代兵器を使うには短期間では技術を習得できないから、現代では徴兵制は適さない、という反論もあって、それはそれで正しいのだが、本質的には議論のすり替えである。

 どうしても人が集まらないとか、後方要員が必要だとか、徴兵しなければならないケースが絶対に出ないとは言えない。また技術の進歩により最新兵器が簡単に使えるようになる、ということは将来現出しないとも限らないのである。現に刀より火縄銃、火縄銃よりボルトアクション小銃と、技術の進化により取り扱いは容易になっている。いずれにしても、安全保障法整備と徴兵制は直接リンクする事柄ではない

 兵役が憲法で言う苦役である、というに至っては論外である。確かに兵役の訓練はつらい。だがスポーツ、特に一流スポーツ選手の練習は辛い。だが人はそれを苦役だと言い切れるだろうか。スポーツ選手は好き好んでやっているのだから苦役ではない。それは結果が出れば賞金も名誉も獲得できるから、辛い練習にも耐えるのだというであろう。

 正にそれが本質なのである。兵役では、祖国を守るという使命感から辛い訓練に耐える。だから苦役ではないのである。つまり兵役が苦役だといいつのる者は、国を守るという使命の必要性と重要性を無視しているのである。いや、日本など守るに値しない、と考える人たちなのである。そのような人達が、安保法案の議論に参加するのがおかしいのである。彼等は日本が侵略さえしなければ、どこの国も侵略しない。あるいは日本以外に侵略するのは米国だけであって、その片棒をかつぐのは嫌だ、という訳である。

 西洋の古い法律の諺に「第一の原則を否定する人と論争することは出来ない」という(満洲国出現の合理性)。正に彼らは、国防の必要性という、第一の原則を否定しているから議論にならないのである。例えばチベット人やウイグルが兵役につかされるとする。彼等は中華人民共和国を祖国と思っていないから、国土防衛の任につくいわれはない、と考えるであろう。こういう兵役をこそ、苦役というのである。いや、戦争となれば督戦隊に銃で脅されて、真っ先に死地に行かされるから苦役どころではなく、いわれなく死刑を宣告されたようなものである。戦争法不安反対と叫ぶ人たちは、こういうウイグル、チベットの人たちの苦衷を察したことはあるまい。

 まして日本人が、兵役を苦役と言うようになったのは、中国やソ連にとっては喜ばしいことである。彼等は対日戦で日本の勇敢な兵士に苦しめられ、敗北を喫した。その末裔が兵役を苦役と言い出したのだから、対日戦は楽勝だと考えても不思議ではない。それ故、兵役を苦役と言い募ることは対日開戦のハードルを低くする。もちろん自衛隊の諸士がそのような人物ではないと信じている。しかし、兵役を苦役だという日本人が増えたことは、彼等に自衛隊の戦意は低い、と誤解されかねないのである。



ベトナム戦争と日米同盟

 日本に憲法九条がなかったらベトナム戦争への戦闘に参加しなければならなかったという論者がいる。だが、それ以前に日本はベトナム戦争の戦闘に参加すべきであったか、ということを考えるのが先決である。たとえ、軍事同盟を結んでいようと、いまいと、同盟国が自分の国益の選択として始めた戦争に対して、戦闘に参加するか否かは日本が判断すべきであって、憲法を理由にしなければ参戦を断れない、という発想自体がおかしいのである。現に日独伊三国同盟においても、日本は独ソ開戦の際に参戦していない。

 ベトナム戦争とは何か。それは戦後再植民地化のために戦ったフランスを、アメリカが引き継いだのではない。ドミノ理論によりベトナムの共産化が東南アジアの共産化につながることを防止するためである。日本が支那事変を戦ったのも、ある部分で反共の戦いである。ドイツと手を組んだのも当初は反共のためである。日本は一直線とは言えないまでも、アジアの防共のために戦ったのである。それを理解できなかった米国は、結果として共産中国を成立させてしまった。

 アメリカが日本の邪魔をしなければ、アジアの防共はありえたのである。アメリカは日本を倒したために共産主義の威力と本質を知り、ベトナムに飛び火した共産主義を阻止しなければならない羽目に陥った。つまり米国は日本の役割を肩代わりしなければならなくなったのである。米国がアジアにおける日本の役割の貫徹を阻止したために、ベトナムで戦う羽目になった。日本が支那におけるゲリラ戦に苦しんだと同様に、米国もベトナムで苦しんで敗北し、厭戦になったという相似性はよく指摘される通りである。

 それ以上に両国の戦いにおける政治的意味は類似していた。ある意味で日本の代わりに米国はベトナムで戦ったと言えるのだが、日本の邪魔をしなければベトナム戦争はなかったのだから、既に支那で犠牲を払った日本が直接参戦する義理はないのである。つまり、アメリカは過去の間違いのつけを、ベトナムで払わされたのである。

 だが日米戦争なかりせば、アジアの独立はなかったのだから、日本としてはアメリカのベトナム共産主義との戦いに、消極的協力をするのもおかしな話しではない。その意味で沖縄基地を利用させるなど後方支援をしたのは正当である。すなわち日本のベトナム戦争に対する態度は、結果論ではあるが正しかったのである。

 ちなみに、基地の提供などの後方支援は、集団的自衛権の発動であり、日本は戦闘に参加していなかっただけで、国際法上は戦争当事国である。すなわち中立国ではなかったのである。だから、北ベトナムが日本を攻撃する権利はあった。ただ、物理的にできなかったし、する必要もなかった。日本との戦いはべ平連などの日本人反戦活動家を利用することで、事足りていたのである。

 共産主義を標榜しているとは言っても、中国もベトナムも単なる独裁国家、正確にはファシズム国家であって、共産主義国家ではない。中国の覇権主義的行動は、統一された支那政権の伝統的行動であって、共産主義とは関係がない。その意味で日本に代わってアジアでのプレゼンスを得た米国が、日本に変わって中国と対峙するのは当然である。

 米国がアジアにおけるプレゼンスを維持する実力と意志を日本が阻止して、自らアジアの安定を維持する覚悟がない以上、日本は米国を支援して中国と対峙して、中国の侵略からアジアの安定を保つ役割を補完しなければならない立場にある。現在では日本が独力でアジアの保全をすることができないというのは、精神衛生上有難い話ではないが、大東亜戦争で証明されてしまった、日本の国力や地理的な縦深性のなさから、米国の協力者となってアジアの保全を図るというのは、日本の縦深性の不足を米国に補完してもらえるという意味では有利であるともいえる。

 結果論ではあるが、戦前の日本のように、アジアで孤独に悩むということはなくなった。アジアでは、中国やタイ以外にいくつもの独立国ができ、中国の伝統的覇権主義的行動に悩まされているのである。その意味で支那事変と大東亜戦争を戦ったということは、現在の日本にとって有意義であった。その結果を現在の日本が有効に活用できず、共産中国に翻弄されているというのも、大東亜戦争の負の遺産である。だが両者を総合すれば、日本は戦前に比べ有利になったと言える。それを利用するのが今後の日本の役割である。

 いつの日にかロシアは覇権国家として再生する。そのときにロシアと支那とは、現在とは異なり両立しえないことは、歴史の教えるところである。そのときに支那は分裂しているかもしれない。分裂した支那をその状態のまま保全することが、支那各民族の幸福であり、周辺諸国の幸福でもある。その幸福のためにやはり米国と日本は、協力して支那と対峙すべきである。

 日本は米国と異なり地理的にアジアに存在し、アジア唯一の正常な国民国家であるという戦前からの立場が不変である以上、米国は日本の協力が不可欠である。大東亜戦争を戦った米国はその事実を教訓として知っていなければならない。知らなければ日本は教えなければならない。ロシアが復活する日まで日本と米国は協力して支那と対峙して、アジアを保全しなければならないのも両国の義務である。

 支那と日米の対峙の目標はアジアの保全ばかりではない。支那大陸における健全な国民国家の成立である。支那大陸において未だかつて健全な国民国家が成立した経験はない。たが中国系住民が居る台湾において、かなりその目標が達成しつつあることは、適切な国家規模ならば、大陸にも健全な国民国家が成立しえることを証明している。また皮肉なことに、植民地化の間に英国が教えた「民主化」という言葉を覚えた香港人が、支那政府と対峙する形成を見せているのも、支那における光明のひとつである。

 健全な国民国家の成立を阻んでいるのは、規模の問題と民族の錯綜と大陸における覇権志向の原因ともいえる統一願望である。統一願望は統一が成ったとしても、チベット侵略のように、更なる統一を求めて拡大する。これが覇権志向である。支那においては日本と異なり、古来支配者と被支配者は厳然と区別されている。

 支配者は自らの幸福のために統一と拡大を望む。そして大部分の被支配者は抑圧と収奪の犠牲となる。この不幸の連鎖を断ち切るには、各民族が分立して独立する、支那の分裂しかない。分裂は適正規模の国民国家の成立と、類似民族の国内共存による安定である。

 支那は漢民族と呼ばれる多数民族が支配しているとされる。しかし漢民族というのはフィクションである。それが証拠に漢民族といえども北京語、広東語、福建語など全く異なる言語を話していることはよく知られている。

 互いに通じない異言語を話すものが同一民族であろうはずがない。異言語とはいえ英語のルーツは古ドイツ語である。そのような意味における近親性さえ、中国における各言語間には少ないと考えられる。支那は古来外来民族による支配を繰り返してきた。その外来民族が自らの王朝が滅んだ後にも、大陸の各地にまとまって定住した。

 そのグループが上記の北京、広東、福建などの異なる言語を話すのである。すなわち古来の外来民族の象徴が、相違する各言語である。すなわち北京語と広東語を話すものは民族のルーツは異なる。別項で説明するが、北京語を母語として話すのは実は満州族であるというように(満洲化した、いわゆる漢民族も含む)

 支那人が血族しか信用しないというのはこの異民族性による。血族すなわち、確実に同一民族と保証された人しか信用しないのである。それは大陸が常に外来民族の侵略支配と定住を繰り返した、モザイクのような地域であったためである。血族すなわち同一民族、つまり同一言語のグループだけで国家を構成するようになれば、この不幸は解消する。

 この分裂が始まったとき、日米は協力して分裂を支援しなければならない。そのためには米国人に支那大陸の本質はヨーロッパのように、異民族が各地に固まって定住しているモザイクのような地域であり、統一は住民に不幸しかもたらさない、ということを理解させることである。そして統一志向が覇権志向の原因であり、アジアの不安定化の原因であるということを理解させなければならない。外部から干渉あるいは支援などをせずに、内乱を放置することかも知れない。日米ともに、混乱の平定を目的として支援した結果が、毛沢東の統一という最悪の結果をもたらしたからである。

 この際に潜在的な危険がある。それは米国がハワイ併合以来、中国に野心を持ってきたことである。現在の中国に対しては軍事力のみならず、地理と人口の縦深性により戦い難いために、経済的権益の追求だけに止めているが、分裂した国民国家となった中国に対しては、米国は本来の野心をもたげることなしとしない、と考えなければならないであろう。

 そのときかつてのロシア帝国がそうであったように、復活したロシアも中国を狙うであろう。このときアジアの安定のために、何らかの形で戦うのが日本の役割である。アジアの安定なくしては日本の平和はない。

 もう一つは米国の抜きがたい有色人種への蔑視である。そのことに日本はペリー来航以来悩まされてきた。排日移民法、戦時中の日系人隔離、東京大空襲や原爆投下など市民への無差別大量殺害などである。すなわち日本人に対する欧米人、従って米国人には表面上現在はなりを潜めているが、絶対的な人種偏見がある。そのことを日本人は絶対に忘れてはならない。米国は日本が対等な同盟関係を求めた場合、その偏見が妨害するであろう。

 小林よしのりや西部邁の反米論は感情論である。米国が日本になした仕打ちは前述のようであって、両氏の言うことは事実として正しい。米軍が人道的な軍隊などではなく、南方や沖縄、本土において民間人の殺戮と暴行を行ったのは事実である。しかしその故に同盟が出来ないという結論を下すから感情論だというのである。確かに同盟できないとは直接は言っていないように思う。しかし二人の主張を総合すると、同盟できないと考えていると結論するしかない。

 欧米人も究極において日本人と異なり暴力的である。だがロシア人や支那人と異なり、現代では表面上はルールを確立して秩序を保っている。文明を装っているのである。彼らがギリシアローマ文明の後継ではなく、ゲルマン、ノルマンの蛮族の出身で、倦むことなく争いを繰り返したのは遠い昔の話ではない。二千年の歴史の経過で暫時文明化した日本列島と異なる。

 楠正成の糞尿をかけて敵軍を撃退したなどという、おおらかな話しが讃えられる世界と、十字軍とイスラムの攻防のように、巨大兵器を開発して戦闘を繰り返す文明とは世界が異なる。近代においても同一民族でありながら、米英の独立戦争を戦った。国内でも南北戦争という殺戮を繰り返し、北軍は南軍に無条件降伏を要求し、講和による和平を選択させなかった、過酷な人たちである。

 しかし、ともかくも彼らは和解し、米英は断ち難い同盟国となり、米国民は南北ともに対外戦争に協力できている。日本にした米国の仕打ちを忘れてはならない。だがそれ故に同盟が出来ないとしたら米英の同盟もなく、南北対立によって米国の統一もなかったはずである。

 これらの同盟と異なるのは前述のように、日米には人種偏見という抜きがたい溝があることである。しかし、多民族国家である米国にとって人種偏見は、自らにも向けられた刃であることを自覚しているはずである。それゆえ日本は人種偏見がなきがごとく、米国に対応することができるのである。

 日米戦争を戦ったのは必ずしも米国にも反感を残したのではない。米海軍には日本海海戦に勝った東郷平八郎に対する伝統的憧憬がある。日本海海戦は最初の近代的海戦であった。米海軍の将帥はアドミラル・トーゴーの海軍と戦うと奮い立った者が多いという。大東亜戦争で敗れはしたものの、彼らはカミカゼ攻撃の恐ろしさを知っている。いざとなったときの日本に対する畏怖はある。

 英米人には伝統的に良く戦った相手に対する尊敬というものがある。その点は日本人と共通している。それは個人から組織にまで及ぶことがある。そして相手が人種偏見の対象となる人種であっても、よく戦った相手には例外的に敬意を払う。例えば黒人であっても人種偏見にめげず勉学して弁護士や政治家となり、白人と対等以上の仕事をしている者に対しては名誉白人として、白人と同一の居住区に住めるし、対等に喧嘩をしながら仕事が出来る。シドニー湾に散華した日本海軍の特殊潜航艇の乗員に対し、反対があったにもかかわらず、オーストラリア海軍は、海軍葬をもって丁重に葬ったのである。

 日本人が米国人の人種偏見を打破して対等の同盟ができるとしたら、その原資は明治以来の日本が苛烈な戦争を戦い抜いたことである。その極限がカミカゼである。西洋人は日本人と異なり、数百年の戦いを続けてきた戦争巧者であり、勝利に向けてはハード、ソフト共に天才的な努力と才能を発揮することは、日本人の及ぶところではない。その努力の結果は年々進歩している。

 だが日本人が故里のために生命を惜しまない精神を潜在させていることを知る限り、対等の関係が成り立ちうる。だが日本にも朝日新聞のような、一部のマスコミのように、生命どころかカネの欲しさと脅しに屈して、故国を支那に売っても恥じない者たちが増えている。彼らは支那人からも心底では、侮蔑される存在なのだが、現実には大きな日本の脅威である。

 米国はある意味、中国には憧れのようなものを持っていると推察される。それが戦前、中国を支援したのはひとつの原因である。それは中国が文明発祥の地とされるのに対してわずか二百年しかないというコンプレックスであろう。ところが現実の中国はみじめな後進国であるということが、ますます支援を動機付ける。日本に対する蔑視と中国に対する憧れが近年に至っても、クリントン政権のように時々日米関係を阻害している。

 日本には古来支那大陸との葛藤があった。これに幕末以来、ロシアと米国が参加して日本を悩ませた。隣国朝鮮は常にその間にあって日和見をする自主性のない存在であった。このパターンは現在でも生きている。それが二千年の歴史が教えるものである。

 日本人は中国四千年の歴史という、フィクションを忘れなければならない。中国の歴史は支那大陸という地域の歴史であって、連続した民族の歴史ではない。漢民族というものはいない。支那は飢餓と戦乱により民族の血統が何回も断絶した地域である。長江文明の支那人は黄河文明の支那人ではない。黄河文明の支那人は秦漢の支那人ではない。

 秦漢の支那人は隋唐の支那人は宋の支那人ではない。宋の支那人は元の支那人ではない。元の支那人は明の支那人ではない。明の支那人は清の支那人ではない。清の支那人は中共の支那人ではない。これらの漢には風俗、文明、言語、血統のいずれかが必ず断絶して不連続である。異民族が漢化されたのではない。支那の住民が異民族に滅亡あるいは同化されたのである。支那のひとつの文明はひとつの王朝限りで終わっている。現代支那の歴史は1949年の中華人民共和国から始まった、百年にも満たないものである。

 だから漢民族の四千年の歴史はない。日本人は戦前の日本人が持っていたような、文明の先達としての中国に対する憧憬を捨てるべきである。支那の現実をみつめて考えを改めた内田良平を見習うべきであって、支那に憧れて助けようとして、結局は殺された松井石根を見習うべきではない。冷徹に支那大陸の覇権争いとして捉えて対処するべきである。それが大陸の住民個人個人の幸福を達成するゆえんである。



朝日新聞の敗戦の初心とは

 国会図書館の縮刷版は貴重である。朝日、毎日、読売の各新聞の縮刷版が、戦前どころか新聞によっては、創刊当時からそろっている。何故か産経だけは縮刷版がない。パソコンで検索するか、マイクロフィルムを見るしかないから、手軽にパラパラ見ることができないのは残念である。縮刷版がないのは、新聞社が作っていないからである。

 閑話休題。終戦近辺の新聞の縮刷版を書架に調べてみた。驚いたのは、敗戦直後の朝日新聞の論調のまともなことだった。8月15日のコラムには「何故ここに至ったか、責は何人が負うべきか、などといふ勿れ。顧みて他をいふをやめよ。各人、静かに思ひをひそめて、自ら反省すべきである。」とある。

 現在の朝日新聞が、「日本の戦争責任」などと言って、軍部の責任、誰々の責任と言っているのとは、反対である。後年のこのような言動について、当時は戒めていたのである。ところが今は、自から戒めを破って恥じないのである。

 翌日の社説には「死せず亜細亜の魂」と題して「この戦争の結果は恐らく、外面的にはアジアの奴隷化に拍車をかける点、にもかかわらず内面的にはアジアの覚醒に偉大な貢献をなした点に存するであろう」といい、「かつて日露戦争後、同じく解放の熱望に燃える支那の国民的要請を我々が正確に把握しなかったところに、その後における東亜の悲劇の発端があった」という。

 すなわち、日本が負けることによって、欧米の植民地支配は強化されるであろうが、植民地の民族には、日本が戦ったことによって、独立への気概が強くなるだろう、というのであって、暗に将来の植民地解放の実現を示唆している。ただし、支那に関する認識は依然として甘い。清朝崩壊以後の支那は、過渡的な混乱期であって、真面目な日本が巻き込まれたのに過ぎないのであって、「支那の国民的要請」などというものは存在しないのである。ただこれらの弁は、当時の国民の多くの気持ちを代弁していたのも事実であろう。

 そして、縮刷版を丹念に見ていくと、一ヵ月もすると、この新聞のコラムは「神風賦」から「天声人語」とタイトルを変えて、論調も急速に変わってしまった。元々朝日新聞のコラムは天声人語であった。それが紙面が戦時色が強くなると、神風賦と改題した。時節に迎合したのである。

 そして、9月に、GHQによってまる二日間の発行停止にされた。米国等への批判的論調が逆鱗に触れたのである。すると、論調は180度変わった。同時にコラムも天声人語に戻ったのである。常に時節に迎合する。論調が変わろうが、これは朝日新聞にとっては不変のポリシーである。

 だが朝日新聞は、戦前は政府や軍部の検閲で自由がなかったとは言うが、戦後は平和国憲法に検閲の禁止が書かれていたのに、GHQの検閲で筆を曲げたとは書かない。それは、未だにGHQの検閲が終えても、検閲方針に従っているからだ、GHQの検閲がなくなったから自由に書ける、と言ってしまったら、どう論調を変えたらいいか、分からないからなのだ。




○小林よしのり氏の異変


 この頃、小林よしのり氏の言動には違和感がある。保守を自負しているのだろうが、女系天皇論を始めとして、不可解なものが増えている。ここでは、対米テロ以来の新ゴーマニズム宣言について述べる。それはアフガニスタンのタリバンに対する爆撃を原爆や東京大空襲などの日本への無差別爆撃と同一視して非難していることである。

 いうまでもなく日本への無差別爆撃は計画的に民間人を殺戮する意図を持ったもので、非戦闘員への攻撃を禁じた国際法に対する明白な違反である。ところがタリバンに対する爆撃は戦闘員に対する攻撃である。ピンポイント爆撃でも民間人に対する誤爆は免れないことを問題にするのだ、国際法でも戦闘員に対する攻撃が民間人を巻き込まれてしまうことを条件付きで認めている。

 小林氏は真珠湾攻撃を非難しはしないだろう。ところが真珠湾攻撃でも百名を超える米民間人が巻き添えで死亡しているのです。民間人を攻撃する意図を持たず、攻撃の結果が作戦の効果に比べた民間への被害が過大だと見られない攻撃は合法と考えられるのである。

 そうでなければ剣を使った戦争はともかく、火器を使用した近代戦争は、民間人の巻き添えを完璧に防止できない以上、全て違法といわざるを得なくなる。

 西部氏との対談で「パレスチナ側からすれば、国家でなければ軍隊もないわけだから、戦争はできない」といっているのは事実誤認である。現代の国際法では国家に所属しない軍事組織、すなわちゲリラであっても公然たる武器の所持等一定の条件を満たせば、陸戦法規の適用を認めている。このことは西部氏はよく知っているのにあえて指摘しないのである。

 確かに「テロを起こす原因がアメリカにある」のは事実である。だからといって民間機をハイジャックして民間ビルに体当たりするというのは卑劣の極致である。乗客は米軍がハイジャック機を攻撃するのをためらわせるために乗せられているのだから。

 神風特別攻撃隊は軍艦を攻撃したのであって、民間人を殺傷するつもりは全くなかったのだから、同じ体当たりでも同列ではないのに、小林氏は9.11テロと特攻隊を同一視している。

 極悪人が多数の人質を取って立てこもって、人質を次々と殺している。そこに警察が極悪人の家族や親戚を連れてくる。警察は投降しないとこいつらを殺すぞと脅すが、言うことをきかないので、本当に家族などを一人ずつ殺し始める。昨年の対米テロは、ひいき目に見てもこの警察のやっていることと同じではある。

 残念に思うのは小林氏が「つくる会」を離れたことである。人一人ずつの考え方が異なるのは当然である。ともかくも一度共同で教科書をつくることができた以上、自虐的ではない教科書をつくるという範囲では、西尾氏などとの考え方の相違は誤差の範囲であったはずである。

 多くの大人はイソップを子供の寓話で言われるまでもない、と思っているが、結局人は自分の立場になると「キリギリス」になったり「裸の王様」になる。人は知識として知りつつもいつまでもイソップを超えられないのである。

 小林氏は薩長同盟での坂本龍馬の功績を認めるのであろう。だがそれは単にそういう知識を小林氏が持っていて、龍馬の功績を認めていたのに過ぎず、功績を真に認めたならば、同じような立場にあったら、類似の行為をするだろうと考える。

 龍馬の功績は、血で血を洗う争いをしていた薩長を、倒幕して近代日本をつくるという大義のために、小異を我慢させて団結させたということにあります。日本の将来のために、小異を我慢して西尾氏らと再度団結できないのだろうか。「教科書そのものも西尾幹二から頼まれたから仕方なく執筆した」というのでは実に情けない。

 最近まで、私は西尾氏と小林氏には根本的な考え方の相違はないと思っていた。だが最近の小林氏の言論を聞くと、間違っていたのかも知れない。西部氏が保守を自負していても、かつて染まっていた左翼思想に、思想の基層が抜け切れていなかったように、小林氏も思想の基層に左翼思想があるのではないか、という気がする。



○三笠の敵前大回頭は静止目標ではない

 NHKの、再放送の坂の上の雲を見ていたら、日本海海戦開始の三笠の敵前大回頭について、敵にとっては静止目標を打つほどにたやすい、という解説があり、ロシア側も、神の御加護だ、回頭点は静止目標だ、黄金の10分間だ、三笠を撃沈せよ、と快哉を叫んでいた。だが、三笠は先頭にいる。三笠に続く艦なら三笠の航路を見て回頭地点が分かるから、そこに照準を合わせていれば当たる確率は高くなる。

 しかし、三笠は先頭だから回頭地点がわかるのは三笠が回頭してからである。海戦の原則がまず旗艦に砲火を集中する、と言うことであれば、この戦法では不可能である。ロシア艦隊は三笠に続く各艦に一定の座標に射弾を送っているのに過ぎないとすれば、後続の各艦も砲火に晒されている時間は回頭地点を通過する一瞬であって長くない

 いずれにしても、こんな射撃をしていたら、漫然と回頭地点を通過する全艦に順番に射撃をしているのであって砲火を集中している、とは言えない。三笠の敵前大回頭は静止目標ではないのである。確かにロシア艦隊が三笠を狙っていたのは、実際に三笠の損害が大きかったので分かるのだが。



マスコミは時の空気に流されているだけ

 最近の報道で言えば、集団自衛権問題を例にとろう。特にテレビの報道であるが、真剣な顔をして、「日本が戦争ができる国になる危険がある。」ということをキャスターたちは真顔で言うのであるが、彼らのスタッフが国際法上の自衛権について検討し、その上でコメントしているとは思われないのに、なぜあんなに自信を持って言えるのか、不思議ではないだろうか。

 彼らは野党などの反対勢力が言うこと、朝日新聞が時の安倍政権に反対して書いていること、などを要約して言っているだけである。しからば、なぜ彼らは自分の頭で考えもしないことを自信をもって言い、戦争になる、などと怒って見せることができるのだろうか。そう、彼らは、その時の言論界で多数派に寄り添っているから、もし言っていることが間違いであっても窮地に陥る心配がない、と知っているからである。

 反対に集団的自衛権の保持は必要である、などと言えば抗議の電話が鳴り続けるであろう。それは嫌なのである。特にテレビ報道などは、世の中の空気を読んで一番言いやすいことを言っているのに過ぎない。産経新聞とついこの間まで、フジサンケイグループであったフジテレビですら、産経のように、集団自衛権には疑義を呈している。つまりテレビマスコミが一番世の中の言論の支配的空気に乗りやすいのである。

 事実をろくに確認もせずに、戦時中は日本が負けるなどと言えば、憲兵に追いかけられるとか、非国民と言われる、と彼らはいうのであるが、彼らの言うのは、その時代はそういう風潮が支配していた悪い時代であったと言っているのに過ぎない。

 もし戦時中がそのような時代であったと仮定すれば、彼らは戦時中に生きていれば、非国民、と非難する側にいるのに間違いはない。小生は戦時中に反戦的な言動をする者を非国民として非難することを悪い、と言っているのではない。本当にそのような風潮があったと確認したわけでもない。

 しかし、当時のマスコミが非国民という言葉を多用していたとすれば、彼らの多くは、その意味を真剣に考えて言っているのではない。時の空気がそうだから便乗しているのに過ぎないのである。そういうメンタリティーにおいて、今集団的自衛権反対を怒ったように叫ぶテレビキャスターは、非国民とかつて叫んだとされるマスコミと同じである。もっと正確に言おう。

 繰り返すが、戦時中に戦争を批判すると非国民と言われた、と言われたのが事実であったかどうか、ということではなく、そういうことがあったと事あるごとに主張する人たちこそ、時の空気に流されて、一番気楽な言論を語ると言っているのである。例えばテレビ番組で、戦時中の隣組などの場面を作るとき、そんな事実があろうとなかろうと、善良な人を非国民と非難する場面をねつ造するのである。そういう場面を作ることが現代日本での空気に適しているからである。後で嘘八百だとばれたとしても、非難される恐れもないのである。

 政府がマスコミを批判すると、言論の自由を守れ、と言う。戦前のような言論の自由のない社会に戻すのか、と言う。それならば彼らは、政府に批判されただけで筆を曲げるような人たちなのであろう。それならば、彼らはもっと強い圧力がくればもっと平気で筆を曲げる。彼らが言う言論の自由とは、好き放題無責任なことを言っても、日本国内くらいは許される社会にしておいて下さいと懇願しているのに過ぎない。言論の自由の為に闘う、などということは論外で、言論の自由はそこいら中に転がっていて、ニュース営業が勝手にできるものでなければならない。

 朝日新聞が昭和20年九月にGHQの逆鱗に触れて、2日間の発刊停止を命じられた。自民党の新聞への抗議などとはケタの違う、正真正銘の言論弾圧であった。彼らは闘ったか。唯々諾々として検閲通りの報道をしたのである。それどころかGHQが去って自由になってもGHQの検閲方針を墨守した。それどころか、朝日新聞は未だにいかなる言論弾圧があったかを一切検証しない。戦後米国に占領されて、日本には戦前のような検閲がなくなり、自由と民主主義の国になった、とさえ言いきるのである。これでも言論の自由のために闘う、と断言できるのが不思議である。

 だから日本より遥かに言論の自由がない、北朝鮮や支那の政府の言論弾圧は批判しないのである。批判すれば支局を閉鎖されるとか、脅されるという脅威がまっているからである。日本のジャーナリストには、普遍的価値としての言論の自由はない。商売として日本国内で言いたい放題言うことのできることが、言論の自由の意味なのである。

 言論の自由のためにジャーナリストはどう闘っているのだろう。以前、安倍首相がNHKに圧力をかけた、と報道して言論の自由を守れ、と連呼した。これが彼らの闘い方である。僕たちは首相に圧力をかけられたと世間にばらして、世間を味方につけるだけなのである。マスコミの幹部が政治家に圧力をかけられたら、断乎拒否するだけで、言論の自由は守られる。彼らのしているのは、「政治家にいじめられたよう」と叫んで世間に助けを求めているのに過ぎない。


国家指導者の選択方法

 伊藤之雄氏の「伊藤博文」という大著を読み始めて考えていることがある。伊藤の父は足軽となったものの、元々は農家であった。それが、色々な人間関係で成長し、とりたてられて出世し、ついには日本初の総理大臣となった。小生は出世物語そのものに興味があるわけではない。伊藤が出世したのには、日本の指導者の選択の過程によって選択手法あるいは選択基準がある、ということに気付いたのである。

 日本の指導者は、天皇の政治権力の後継となった人々であるが、全て日本人の幸福、もちろんマクロな意味であるが、幸福、ということを絶対基準としていた。小生は戦前の軍人の高官を批判していることが多いが、結局のところ日本の軍人の高官も指導者も国民に劣らず優秀である、と言えるし、何よりも国民全体の幸福を考えていた

 それは隣国支那と比較すればいいであろう。支那における漢民族の指導者に、未だ嘗て民族の幸福を考えたものはいなかった。正確には、そのような人物がいたとしても、結局は指導者に選ばれず排除された、と言えるのである。少し脱線するが話の都合上、漢民族、という言葉について敷衍する。漢民族とはヨーロッパ人という概念とアナロジーがある、というのが小生の結論である。

 ヨーロッパ人にも、雑に数えてもラテン系、ゲルマン系、アングロサクソン系などかいて、アルファベットによる言語の文字表記をするのだが、各々言語も相違する。文化も習慣も相違する。それでも日本人と比較すれば、やはり何らかの共通項はある。このようなヨーロッパ人とひとからげに呼ぶように、大陸に住む人々のある範囲に限ったいくつかの民族をまとめて漢民族と呼んでいる、というのである。つまり漢民族はひとつの民族の呼称ではないように、ヨーロッパ人もひとつの民族の呼称ではない。にも関わらずメンタリティーやキリスト教を代表とする共通項はある。

 ところがヨーロッパ周辺にも、ロシア系、トルコ系、などの言語文字習慣など、ほとんど完全にヨーロッパとは区別できる人たちがいる。かれらは宗教ばかりではなく、メンタリティーにおいてもヨーロッパ人との共通項はかなり少ない。だからヨーロッパ人とは区別が出来るのである。同様に漢民族の周辺にも、そのような民族はいる。チベット人である。ウイグル人である。モンゴル人である。満洲人である。

 支那大陸の王朝には、漢民族以外の満洲人、モンゴル人などに支配された時代があり、漢民族の居住の各地域の広範な自治を許していただけ、漢民族により支配されていた時代より幸福であったと言われている。漢民族と自称している人たちが支配した時代は、漢王朝、すなわち本来の漢民族の王朝の崩壊以後、領域の民を幸せにする指導者がいなかった。日本の指導者が国民を幸せにすることを選抜の条件としていたのに対して、漢民族は指導者とその血族だけの幸福を求めて、凄惨な闘争を繰り返してきたのである。

 その典型が、最近では毛沢東である。彼の命令で何千万、いや億単位の民が死んでいったと言われている。それでも毛沢東の周辺は酒池肉林を繰り返していたのである。いや民は毛沢東を強い指導者として選択し、トップにまでし、尊敬し従ったのである。彼らの指導者の選択基準は、投票で指導者を選ぶことになっても変わりはしないだろう。

 日本でもアメリカでも同じことである。選択の方法が選挙という手続きを踏んでいるだけで、選択の基準は同じなのである。伊藤博文は選挙で日本初の総理大臣になったわけではない。その後議会制民主主義となり、間接選挙で指導者が選ばれるようになっても変わらないのであろう。前述の「伊藤博文」によって伊藤が上り詰めるまでの過程を分析し、その他の日本の指導者の出世過程をも分析すれば、日本の指導者の選択基準はわかるであろうが、小生にはその力量はない。ただし最終目標は民を幸せにする、ということである、ということだけは言える。



共産主義の害毒


1.共産主義とは

 共産主義理論の根本は労働価値説である、と小生は単純に理解している。労働価値説とは、生産物の価値は労働によってしか生まれない、というものである。ところがやっかいなのは、マルクスが考えた共産主義理論における「労働」とは、国語の意味で言うところのものとは合致しないことである。共産主義でいう労働とは工場で行われる労働という狭義なものである。従って農業や運送業、設計などの作業は全て労働とは看做されない。マルクスの著書では、農民と労働者をはっきりと区別しているのである。

 そうなった原因は、マルクスが見たのは19世紀のヨーロッパにおける、悲惨な工場労働者だったからである。資本家によって過酷な労働を強いられ、仕事を得るために低賃金に甘んじている工場労働者の姿を見たのである。資本家は工場を建て、労働者を雇い働かせるだけで、何もせずに次々と金が儲かるというのはおかしいのではないか、という訳である。

 そこで、生産物の価値は原材料を加工する作業を行う、工場労働者だけが生むことができる、という論理にしたのである。農業は種を撒いたら植物は自分で育ち、実がなり農民はこれを刈り取るだけなのだから、農産物の価値は農民が生み出したのではない、というのである。現在までも、少なくとも日本では、政治家も学者も、マルクス主義思想における正確な「労働」の意味を明言ない。このマルクスの論理はソ連において徹底的に悪用された。飢餓輸出である。生まれたばかりの後進国ソ連を守るには軍備が必要である。軍備を行うには重工業が必要である。初期のソ連は資本の蓄積がないから重工業は発達しにくい。

 そこで農業生産物をほとんど輸出に回して資金を得た。そのためには農家から生産物を奪ったから農民には食料が残らない。そこで豊作であっても農民には飢饉が発生したのである。農民は労働者ではない、ということが農民から食料から奪う根拠となったのである。この理論が、恐らく党内で飢餓輸出を実行する説明に使われたのであろう。

 ソ連では、医師やエンジニヤと言った職業も低賃金に置かれた。現実を考えれば、そんなことは理論に拘ることはないのだが、一方で理論を強調したために、無理やり現実離れしたことを行う羽目になった面がある。医者は人の命を扱うことも多いのだから、安い賃金では大した治療はできない。だからまともな治療を受けようとすると、公定の医療費の何倍もする法外な治療費を払わなければならない。

 程度の差こそあれ、このような矛盾はあらゆる職業で発生した。必然的に闇市場が発生する。計画経済などという現実には不可能なものが生きながらえたのは、闇市場の調整機能のおかげである。どんな本に書かれていたか失念したが、昔西洋人が、外部から完全に隔離した数百人規模の人工の街を作り、計画経済の社会実験をしたそうである。

 すると短期間に計画経済は破綻して立ちいかなくなったそうである。こうしたことから、西洋人の経済の専門家はかなり早い時期から、ソ連流の計画経済などは実行できないと知っていたのだそうである。ところが日本では、石原莞爾など対ソ戦を考える陸軍軍人ですら、計画経済による急速な経済成長、特に重工業の発展に幻惑された。ソ連は敵だが計画経済による重工業の発展は、日本の武器生産にも必要である。それで陸軍の軍人が求めたのがソ連でいう計画経済という名前を変更した「統制経済」である。

 戦後の日本の高度経済成長も統制経済の応用である、と言われる。それが日本で成功したのは、ソ連のような硬直した計画経済ではなく、資本主義経済下で日本人の柔軟な調整機能によって行われていたからである。もしソ連圏に組み込まれて計画経済を強制されていたら、高度経済成長などは二重の意味で不可能であったろう。第一にソ連の硬直した方式を押し付けられたであろう。第二に、ソ連の衛星国はソ連に搾取される経済だったのである。ソ連に必要なものの生産を割り当てられるのである。生きた証拠がチェコや東独である。あれほどの工業国であった両国もソ連の衛星国になったために、見る影もなくなっていった。東独などは西独と比較できたから、その差は歴然としている。

2.共産主義の歴史的役割

 共産主義はかつて多くの人々を魅了した思想だが、実は多くの害毒がある悪魔の思想と言うべきものである。日本は戦前から共産主義の害毒に気づき、共産主義者を取り締まっていたはずだった。にもかかわらず、戦前ですら、本気で共産主義を信奉し、ソ連を祖国と思う倒錯した政治家、軍人、学者、ジャーナリストや思想家など知識階級と目される人々の間に、無視できないほどに増えた。

 そこには日本人の西欧思想あるいは外国思想への盲目的信仰が根本にはある。正しい考え方は、日本国内では発生せず、常に外から入ってくる、という半ば体験的な信仰である。戦後の共産主義の跋扈は戦前から胚胎していたのである。胚胎どころか政治中枢まで囚われていた、と言えるが全貌は未だに明らかにされていない。

 中川八洋氏などに言わせれば、ゾルゲ事件などは枝葉末節に過ぎない、というのである。戦後45年も経ってソ連崩壊を契機として、世界で共産主義は否定され、日本でも同じ趨勢にあるように思われる。しかし直接的に共産主義が跋扈することがなくなった現代日本では、依然として共産主義がばらまいた毒に悩まされ続けている。

 日本にばらまかれた共産主義思想の毒の根本は、祖国への破壊衝動である。ソ連の作ったコミンテルンは、世界に支部を作った。世界各国に共産主義革命を起こすためである。他国にソ連と同じ理想の革命を起こす、というのはソ連の使った詭弁である。レーニンもスターリンも、外国にマルクス主義の理想としての革命を起こす気はなくなっていたのである。日本人、ドイツ人アメリカ人などでコミンテルンのエージェントとして活動した者の成果は、ソ連の都合のいいように自国の政府を動かしたり、ソ連に自国の情報を売り渡したのであった。その動機付けが祖国での共産主義革命、ということであった。

 尾崎秀実も近衛内閣を動かして支那事変を拡大して日本を疲弊させ、対米戦に持ち込んで負けさせ、革命を起こそうとしていたと言われている。だがスターリンの目的は日本によるソ連攻撃の可能性をなくすため、日米戦争の危機を惹起して、対独戦に勝利することであった。日本に共産主義革命が起きてソ連化したとすれば、出来過ぎたおまけである。尾崎が営々と祖国を裏切ったのは日本を理想の国にする、という目的があったからである。単に卑劣な裏切り者ではなく多少の(!)犠牲があっても究極的に日本人民を幸福にするという空恐ろしい自信があったのである。

 共産主義には額面上ではそこまでの魅力があったのに違いない。だから現実的なドイツ人や米国人さえ、コミンテルンのエージェントになったのである。だが米国やソ連の衛星国(何という欺瞞的呼称)とならなかった、西欧諸国ドイツは第二次大戦が終わると早くその難を逃れた。西ドイツなどは、戦後共産党は自由で民主的な基本秩序に反するとして、違憲判決を受け、その後名前を変えて再建されたが議席は得ていない。アメリカはエージェントの裏切りが戦後間もなくばれて、レッドパージが行われ、共産主義が一掃された。ジョーン・バエズなどのベトナム反戦運動をした人たちは、間接的にソ連などの共産主義者の活動に騙された人たちで、確信的なソ連のエージェントではない。

 ドイツや東欧では、共産主義の害毒を身を持って被害を受けたから、共産革命を夢見る人たちはいない。いくら子供の頃から共産主義教育をされていても、東欧諸国は共産革命とはソ連に奉仕するものに過ぎないことを身を持って知っている共産主義が抜けないにしても、外国に奉仕したり、自国を破壊するような衝動は持たないのである。

 どこか日本だけが事情が違う。その違いは、歴史的経過と日本人のメンタリティーの相違に起因しているように思われる。歴史的経過とは、ドイツや東欧のように共産主義政権に徹底的に弾圧された被害の経験を持ったことがないのが第一である。第二は正しい思想は外国から来る、という伝統的な幻想である。未だに解けない謎は、外国思想に寛容である、とはいっても日本人はキリスト教を絶対に受け入れなかったことである。キリスト教徒の日本人は例外である。仮説を立てるとしたらキリスト教は神道と根本的に相いれないこと、共産主義はキリスト教と関連があるとはいうものの、表面的には宗教ではなく、科学的思想で普遍性がある思想である、という触れ込みであったことであろう。

 もう一点は、現在のように、共産主義による経済運営は成り立たないことが明白になった現在でも、日本人で共産主義に一度かぶれた者は、革命の原動力となるべき国家に対する破壊衝動が消えないことである。健全な反権力とは、現在の政権や政府機関に対するチェック機能であるはずであり、日本そのものに対する敵対心ではないはずである。これについては後述する。ただ一言すれば、日本を悪く言うこと自体が正しい、という尋常ならざる日本人は確実にいる。いかに尋常ではないかは、あったことがない人には分からない。

3.人権主義者の手続き無視の恐ろしさ

 法治国家では、官憲が人を取り締まるためには複雑な手続きが必要とされる。誰の目にも明らかな犯罪や権利の侵害でも、取り締まるには所定の手続きが必要とされる。これは素人目には面倒なだけに思われる。これを素人考えで明らかな人権侵害を容易に取り締まろうというのが、民主党が提出して廃案となった人権擁護法案である。

 官憲が人を取り締まるために複雑な手続きが必要な理由は、絶対的正義を認めないことからくる。だから米国でも、例外的に情報機関などは表沙汰になったら手続きを踏んでいない、とされる違法な行為が特定の人々にだけできるようになっている。それはこれにかかわる人々の絶対的正義を認めざるを得ない必要性がある例外的事項である。

 だが、人権保護法案のように、公然と特定の人々だけが、明らかな人権と判断すれば、裁判所の令状もなしに個人を拘束できる、というやり方は、明らかに近代法治国家としては異常である。このような考え方の人々は、戦前の特高警察の例を挙げて国家権力の横暴を批判する人々である。明らかに、自分たちが批判している特高警察と同じことができる事を求めている。だが、彼らは特高警察は悪いが、自分たちには絶対的正義があるから同じことをしてもよい、と考えるのである。日本の病理は、保守政党であったはずの自民党議員にも賛成者がいたことである。

4.自由主義の反権力と共産主義の反権力の違い

 元来日本の共産主義者の反権力とは、非共産主義の政府にことごとく反対することである。つまり議会制民主主義の政府の行うことに、無条件に抵抗することである。これは、日本にもたらされた、共産主義の反体制思想が根本にある。共産主義政権以外は全て、暴力革命によって打倒すべき政権である、という思想である。

 革命によって倒すためには、民衆に現在の体制について大きな不満を抱かせなければならない。そのために、社会不安や不満を煽る。日本にもたらされた共産主義には元々このような反体制思想が根本にあるうえに、ソ連によって作られたコミンテルン日本支部、すなわち日本共産党は、共産主義思想を利用して日本をソ連の属国にしようとしていた。活動している者は、ソ連のためではなく、究極は日本のためになる、あるいは民族の枠を取り去った労働者の天国を作ることを理想としていた。だがそれはソ連に利用される謀略に過ぎなかった。

 これらの残滓が現在の日本には明瞭に残っているのである。その結果、日本の反権力の多くは、単に現在の政府権力に対する反発ではなく、日本国という存在そのものに対する反抗意識となっている。歌手の加藤登紀子が「日本」という言葉を発すると嫌な思いがする、というエッセーを書いている。これは、政府という国家権力に対するものではなく、日本そのものに対する抵抗感以上のものだそうである。これは日本そのものに対する忌避感情である。加藤氏は政治活動はしていないが、元々共産主義シンパがあると考えられる。

 これはウイグル人が、中華人民共和国に対して忌避感情を持つのと、同じとも言え同じではない、のである。中華人民共和国、というのは「漢民族」を自称する人たちの帝国であって、ウィグルはその植民地の一部である。一方でウィグル人は国際法上の国家である、中華人民共和国の国民であるという現実がある。

 国際法上の国家の国民が、所属する国自体を忌避する、という意味では同じである。しかし、ウイグル人は漢民族ではないから、漢民族の帝国である、中華人民共和国を忌避する、という意味では、同じではない。加藤登紀子は日本という国民国家の主要構成民族である、日本人そのものだから尋常ではないのである

 加藤氏のように、潜在的に日本そのものを忌避する感情から、反権力思想が発生している、という現象は現代日本人にしか見られない、世界的にも稀な現象であろう。その淵源が共産主義思想にあり、共産主義思想から離れた後にも、このような反権力感情が消滅しない、というところにも現代日本の病理がある。

 ただ、加藤氏のために弁ずれば、小生の深読みかもしれないが、彼女は同じ自虐的日本人と同じく、洗脳にやられたのである。彼女は洗脳によって日本に対する忌避感情を植えつけられたのである。ところが一方で、眼前にある日本人や日本の風土への愛着は自然に生まれたはずであるから、心の中で分裂が生じている、としか言いようがない。



○開戦直前の米マスコミの一例

 ある本で、アメリカの雑誌The Unied States News19411031日号に、「日本への爆撃経路-各戦略地点から日本までの飛行時間」と題する見開きの説明図があると読んだ。そこで、国会図書館で雑誌の所在を調べてもらった。なかなか見つからず、何か所かの大学の図書館にあると分かった。更に調べると、その後雑誌のタイトルにworld reportsというのが加わっているのだが、関西館にあることが分かった。二人掛りで30分はかかり、こちらは諦めかけていたが、さすがのプロである。

 東京館に送ってもらうと到着日から休刊日を除いた、3日間だけ閲覧できるが、送ることはできても、コピー不可の場合があるが、到着日までに電話連絡がなければ、着いていると言った。指定された初日に行ったら紙が古びていて、BC複写という方法しかないと指定されていたが、仕方ない。アメリカの雑誌でも、当時の紙質はさほどよくないのである。スペースの都合で洋雑誌は関西館に置いてあるというのだから、関西館などできなければいつでも閲覧できるのに、と勝手なことを考えたが仕方ない。

 前置きが長くなったが、前記の箇所を探していると、意外な収穫があった。週刊誌が3か月分の合本にしてあったので、何冊分も見ることができたのである。まず広告が戦時色いっぱいなのである。コピーしてきたものだけでも、ユナイテッドエアクラフト社のB-24の写真入りの広告、ベンディックスアビエーション社の爆撃機、軍艦、大砲などのいろんな兵器の写真入りの広告、などがある。

 これらは兵器製造会社だからまだしも、煙草のキャメルの広告には陸軍、海軍、など4人の制服の軍人が煙草を持って「キャメル大好き」と言って、にこにこしているのである。今の日本の常識では、昭和16年の12月の真珠湾攻撃の直前までの時点では、米国民が厭戦気分に浸っていたということになっている。それが事実なら、こんな軍事一色の広告など忌避されているであろう。それが、武器の広告ばかりではなく、非軍事商品の広告までに、兵隊さんが登場するのである。この常識は全くの間違いに違いないのである。ちなみに、この週刊誌は、経済問題も取り扱っており、表紙の説明によれば、国の問題に関する興味深いニュースを扱う、と書いてあるから今の日本で言いえば、「軍事研究」のような軍事専門誌ではないのである。

 この週刊誌を探した本命の記事には、日本を中心とした世界地図があって、シンガポール、キャビテ(フィリピン)、香港、重慶、グァム、ウラジオストック、ダッチハーバーの7箇所からの東京までの爆撃機の飛行時間が書かれている。図の説明の記事は、いきなり「日本は現在では主要7か所からの爆撃圏内にはいっている」というぶっそうな書き出しである。

 そして、戦時には、これらの米国、ロシア、支那からの準備ができていると続く。各基地から東京までの飛行距離まで書かれており、最も近いのはウラジオストックの440マイルという近さである。

 1024日の記事も面白い。タイトルからして、AMMERICA READY TO MEET THREAT OF TWO-OCEANWAR、すなわち、アメリカは両洋の戦争の脅威に対して準備ができている、という刺激的なものである。TWO-OCEANとは大西洋と太平洋のことだから、いつでも対日独両方の戦争をやってやれるぜ、というのである。

 中身はドイツ潜水艦がアメリカ船を攻撃したら、いつでも潜水艦を攻撃してやる、とか日本がアメリカ船の航行を妨害したら、日本はリスクを覚悟せよ、という。ドイツや日本が対英ソへの武器供与のレンドリースの船と護衛駆逐艦の邪魔をしたら攻撃するぞ、というのである。既に中立を犯しておいて、その邪魔をするな、という傍若無人ぶりである。ちなみに日本の邪魔というのは、ウラジオストック経由の軍需物資輸送のことだそうである。

 アメリカは資源なども日々増強しているのに、ドイツはどんどん不足していくともいう。駆逐艦キアニーが独潜水艦に攻撃され犠牲者が出たという。その時までに米商船と軍艦の護衛をしていて、ルーズベルト大統領は、独潜水艦を発見し次第、攻撃すると警告している、というのである。

 最後の方では日本もイタリアも戦争に疲れており、日本の国民は8年間もの戦争で疲れており、工業も資源も尽きつつある、というようなことを言う。1941年の時点で8年というのは、満州事変では短く、支那事変では長すぎるが、いずれにしても日本が支那との戦争でかなり消耗している、と判断しているのは間違いない。結局のところ日本は継戦能力が尽きているから、簡単に勝てると見ていたのである

 結びで、米英の戦略は海軍戦略で、それは消耗戦であるという。だからこの戦争は我慢比べであり、その結果はひとえにヒトラーが勝利の為に何をなすかにかかっている、というのだ。This warat present,などと平気で書くのだから、記事を書いた米人記者にとっては、英ソが戦っている対独戦は既に米国の戦争なのであろう。



侵略という言葉の二義性

 平成27414日の産経新聞の正論欄は古田教授の「『侵略』といえなかった朝鮮統治」であった。教授は、明治期までの李氏朝鮮はまるで平安時代のような古代の世界で、商業も技術も無きに等しい国家で、その状態が何百年続いていたと言う。併合した日本は近代化に成功したのだから「侵略」とは言えないという。教授の言うことは常識的には納得がいくものである。

 一方雑誌「正論」275月号で近現代史研究家の関野氏が、米国の贖罪史観植え付け計画のいわゆるWGIP(War Guilt Information Program)の文書を発見して実在を証明した。その中で関野氏は、日本の侵略をパリ不戦条約を根拠にするには、そもそも条約で侵略の定義がされておらず、当時のアメリカやイギリスの明示的考えからすれば、満州事変以来の日本の行動は「侵略」と見なすことができない、と説明している。

 一方では常識的に侵略ではない、と考えることができるという意見があり、他方では侵略など定義されていない、という意見がある。明らかに「侵略」には二義性がある。侵略が定義されていないのなら、侵略だと断言できないのである。それは古田教授が言うのは、国語的常識から言っているのであり、関野氏は国際法を問題にしているからである。それでは巷間で日本の近代史を説明するとき、この区別が裁然となされているのだろうか。実はそうではない。

 保守系の論者の一部には、大航海時代以降の欧米のアジア・アフリカの植民地支配を、苛酷な侵略と断ずる一方で、日本の満州事変以後の戦争を語るときは、侵略という言葉は当時の国際法で定義されていないのだから、日本を侵略国と断罪はできない、という主張をする人がいる。この混乱は侵略という言葉が幕末以来、欧米の苛酷な植民地支配を恐れ、かつ非難する言葉として使われるようになったため、国語的には道義的色彩を帯びたから、生じたように思われる。

 「侵略」には本来は他国を攻撃して領土を占領ないし、取ること、という物理的意味しかなかったはずである。戦国時代には日本国内では互いに侵略が常態化していて、他国の領土を取ることはむしろ善だったのである。有名な「風林火山」の「侵掠(しんりゃく)すること火の如く」の侵掠は侵略と同義である(広辞苑)泥棒一家ではあるまいし、悪事をスローガンとして押し立ててゆくはずはないのである。だから条約のwar of aggressionという先制攻撃によることを意味する言葉を侵略と訳したのは、本来の日本語の意味では間違いではなかった。だが既に一方で、日本人自らが道義的悪の意味を付与していたのだから、戦後になって自虐史観の立場から大いに悪用される結果となってしまったのである。

 それでは大航海時代以降欧米諸国が、世界各地を植民地を求めて荒らし回ったことは、国際法違反なのであろうか。そうではないのである

 米国人ブロンソン・レーが書いた「満洲国出現の合理性」という本に1841年にジョン・キンシー・アダムスという米国人の国際法に対するコメントが紹介されている。

 「国際法とは地球上の凡有る国家を一様に拘束する法則ではなく関係当事国の性質及状態の異なるに従って異なる所の法律制度である。基督教国の間に行はるる国際法がある。其の国際法は米国憲法に於て米国と欧州諸国及植民地との関係を律する上に於て米国の義務的のものとして認められて居る。其の外に亦米国と阿弗利加の土人との関係を規律する国際法もあれば、米国と野蛮国との関係を規律する国際法もあり、更に又「花の園」即ち支那帝国との関係を規律する国際法もあるのである。」(P25)と。

 幕末以来、現在までの日本人の国際法理解は、アダムスの言う「基督教国の間に行はるる国際法」だけであった。正確にいえば「キリスト教国」間にだけ適用される国際法を「キリスト教国」でなければならないという前提を忘れて、世界中に適用されていると誤解していたのである。それですら、欧米の植民地支配を当然のこととして是認していたのである。

 第二の国際法は米国による、アフリカ黒人の奴隷化を正当化するものである。第三は米国の中南米支配を正当化するものである。もちろん適用地域が違っても欧州と野蛮国の間にも適用されるはずである。第四は支那における欧米の権利を正当化するものである。しかし米国のその後の行動は、日本だけには別なルールが適用されるということを示した。

 当時の国際法には、キリスト教国と野蛮国の区別がある以上、そこに住む住人も対等ではない。効率よく植民地から収奪するためには、植民地の人間は獣並に扱う必要がある。だから国際法の植民地の是認は、植民地支配が苛酷であるという道義的非難を拒絶している。

 国際法の淵源は、ヨーロッパの国家間の戦争におけるルールであったことを忘れてはならない。国際法とはキリスト教国間のルールであり、その他には適用されないはずであった。しかし、大東亜戦争の終結と、アジア・アフリカ諸国の独立によって、時代は大きく変わった。

 植民地の大部分は独立し、国際法には適用する国の「文明」のレベルによって同一ではない、などというダブルスタンダードは建前上はなくなった。世界に一律に同じ国際法が適用されることになったのである。そうである以上、帝国や植民地というものは国際法上、存在を否定されるべきものになったのである。

 帝国のひとつであったソ連は崩壊した。倉山氏の嘘だらけの日露近現代史によれば、ロシアはソ連という帝国に支配されていたのであって、ロシアもウクライナ同様にソ連の支配下にあったのである。いわばソ連帝国の植民地といったところであろう。東欧諸国のほとんどはソ連の間接支配の植民地だったのだろう。そう考えれば非ロシア人即ちグルジア人のスターリンがソ連の支配者だったことも、ソビエト連邦という地名や民族名を含まない奇妙な国家の名称だったことも理解できないわけではない。

 ソ連が崩壊した後の帝国は中共だけとなった。漢民族と称する人たちが、はるかに大きい面積の「少数民族」地域を植民地として支配する帝国である。昔から漢民族が支配する中原(中共の領土の一部)はその周辺の地域を含めて、統一と分裂を繰り返してきた。特に中原は、それ以外の地域とは異なったルールを勝手に作ってきた。従って欧米流の国際法など適用されるとは考えてはいないのである。

 さて、侵略という言葉に戻ろう。現在の国語でいう侵略という言葉が道義的悪、の概念を付与されていることは、いまさら変更しようもない。一方で国際法上の侵略とは、時代によって国際法の変遷とともに定義が変化していったと考えるべきなのである。国際法上の侵略には、善悪の概念を含むべきではなく、その時代において禁止されていたものであったか否かだけを論ずるべきなのである。

 もちろん禁止されるか否かには、理由として善悪が含まれる場合もあるし、政治上あるいは運用上の理由によるものもある。例えばダムダム弾の使用は、被弾者の苦痛を不必要に強める、非人道的なものであるとの判断により禁止されてた。しかし、同様に非人道的兵器があったとして、国際法上ダムダム弾のように明示的に禁止されていなければ、使用は可能であると主張することもできる。戦時国際法のような戦争法規は、禁止されていないことならば、何でもありのネガティブリスト方式だからである。

 侵略については、国際法上は満州事変当時は定義されていなかった、とも言うことはできる。また当時の米英は厳密な意味でのパリ条約に対する留保ではないにしても、各種の発言等で、中南米地域には適用されない、その他の条件をつけている。関野氏が当時のアメリカやイギリスの明示的考えからすれば、満州事変以来の日本の行動は「侵略」と見なすことができない、と述べているのは、この意味なのである。

 米英の明示的考えとは主として「侵略」そのものに関してではなく、「自衛」に含む地域と内容について述べられている。すなわちパリ条約当時は「侵略」の定義を強いて言うなら、「自衛ではないこと」ということである。



なぜクマラスワミ女史はスリランカ人か

 「慰安婦問題」で国連にクマラスワミ報告を書いたクマラスワミ女史は、スリランカの出身でインターネットを調べたら1953年生まれで、ハーバード大学などの米国の大学で学士号などを取得している。現在はニューヨーク大学教授であり国連で活躍したこともある。スリランカは1948年にセイロンとして英国から独立したから、彼女は英国の支配時代は知らない。

 それにしても、スリランカはインドと共に、英国から過酷な支配を受けたから、彼女のように人権活動家であって、過去の人権問題を告発するなら、まず祖国と隣国の英植民地時代の英国による過酷な支配を告発すべきであろう。小生は、彼女がそうしないで、アジアで独立維持のために唯一戦った日本の「慰安婦問題」の虚偽報告まででっちあげた理由を考えたいのである。

 GHQ焚書開封10「地球侵略の主役イギリス」から英国の過酷な支配をざっと見る。インドの紡績産業をつぶすために、紡績工全員の指を切断した。拷問殺害は当たり前、態度が反抗的だという口実だけで投獄あるいは殺された者は、何万何十万か知れない。インド人を徴兵して関係ない国の戦争に参加させ、徴兵に応じない者は苛烈な拷問にかける。

 農業を破壊し尽くしたために、人口の3分の1の一億人は常に飢餓にある。学校は壊されて60%あった識字率は7%に激減した。これらのことは、全てイギリスがインドから収奪して冨を得るためである、というから強欲のために残虐な仕打ちをしたというのだから、ひどいものである。植民地とはそのようなところを言うのであって、日本のように朝鮮や台湾にインフラ整備をしたり、教育に熱を入れたりするのは、少なくとも西欧では植民地とは言わない。

 そこでクマラスワミ女史である。前述のように女史の教養と働き場所は全て欧米である。元英国植民地の常として上流社会の彼女は英語のバイリンガルであろう。つまり、アウンサン・スー・チー女史と同じでメンタリティーは欧米人なのであろう。

 このような人たちの常として、かつて父祖が欧米の苛酷な植民地支配を呪詛し、独立を渇望したことを忘れている。欧米流教育によって忘れさせられている。そして、わずか数年の日本の軍事占領を声高に批判することを無上の喜びとしている。日本は東アジアの欧米の領土を軍事占領しただけで、植民地支配したのではない。欧米の旧植民地の国民が宗主国を批判しない根本的原因は、欧米の支配により恐怖が骨身にしみているのであろう。欧米は出て行ったとはいえ、彼らに屈服したのではなかった。

 フィリピンは米国から独立を与えられ、インドネシアは40万人もの犠牲を出す独立戦争に勝ちながら、オランダから独立のための賠償を奪われた。インドのガンジーが非暴力の独立運動を讃えられるのは、英国に都合がいいからである。ガンジーが非暴力独立運動をしたのなら、イギリスの支配が苛酷ではないと錯覚させる。だがインド独立はガンジーの非暴力運動で得られたのではない

 かつての欧米の植民地だった国の人々は、未だに宗主国を恐れている。だから英語のバイリンガルであることを誇りに思い、欧米流の歴史観を持つことを自然であると、上流社会の人々が思うのは当然であろう。だからクマラスワミ女史が韓国や反日日本人の嘘を容易に受け入れ、日本が性奴隷を使ったと報告することに信念すら抱いているのである。

 今の日本人の情ない状態はさておく。日本人はガンジーやネール、スカルノといった東アジアの強い指導者は戦前にも戦後にもいなかったと嘆く。ならば、どうしてそのような指導者を輩出する、かの国々は容易に植民地になり、日本は欧米の植民地にならなかったのであろう。答えは自ずから明らかであろう。



日本の日露戦争継戦不能はばれていた

 福富健一郎氏の「重光葵」によれば、五高時代のドイツ語教師のハーン博士(ラフカディオ・ハーンではない)の家に書生として住み込んでいた。当時、日露戦争で日本が勝ったのに、賠償も取れず、小村寿太郎を非難する声があふれていて、重光自身もハーンに「小村全権は、なぜ賠償金もとらずに条約に調印したのですか・・・」と聞いた。

 彼は「日本は、確かに勝利しました。しかし、ロシアは国内で共産革命が激化し、日本との戦争を早期に終結したかった。それで講和が成立したのです。日本の弾薬は底をつき、戦争の継続は不可能だった。ウィッテは、さらなる戦争の継続も辞さない態度で小村を責めたのです。」と答えて欧米の新聞を差し出した。

 それで重光は「日本に、これ以上戦う力がなかったのですね。」と納得した。そして「重光に日本のマスコミ報道と国際世論の落差を知らせた。」(P51)というのだ。これは意外なことではなかろうか。日本の講和交渉については、一般に小村らの日本側交渉団は弾薬が尽きかけて継戦不能に近いことを隠し通して交渉した、ということになっている。

 だが、知らなかったのは日本の大衆だけで、欧米ではマスコミに広く知られていたのである。何せ遠く日本にいる外人の語学教師すら新聞で読んで知っていたのである。つまり小村を誉めるべきは、事実を隠し続けて粘り強く交渉したことではなく、相手に弱みを知られながら、賠償がとれずとも、ともかくも日本が勝利した体裁で講和をまとめたことであろう。


対米開戦は日本の米国に対する国際法上の侵略戦争ではない

 小生には、従前より兵頭二十八氏の持論に理解しがたいものがひとつある。それは、対米開戦は日本の米国に対する侵略戦争である、ということである。ここでは兵頭氏の「北京は太平洋の覇権を握れるか」を例にして、この点を論じる。

 「・・・一九二八年の『パリ不戦条約』が公許した戦争は、『セルフディフェンス』(自衛)のみであった。この価値観は、こんにちなお近代国家のあいだでは維持され、支持され、承認され続けている。」(P241)というのである。

 氏は、パリ条約を文言通り解釈して日本の対米侵略を言うのである。そこで国際法の専門家の見解を閲してみよう。「パル判決書」が本の山の中に埋もれて見つからないので、孫引きになるが、中村粲氏の「大東亜戦争への道」では「パル判決書」による、自衛権の問題に関してのケロッグ国務長官の言明を紹介している。(同書P286)

自衛権は、関係国の主権の下にある領土の防衛だけに限られてはゐない。そして本条約の下に於いては、自衛権がどんな行為を含むか又いつ自衛権を発動するかについて各国みづから判断する特権を有する。その場合、自国の判断が世界の国々によって是認されないと云ふ危険はあるのだが。合衆国は自ら判断しなければならない。・・・そしてそれが正当なる防衛でない場合は、米国は世界の世論に対して責任を負うのである。単にそれだけのことである。」

 これに対して日本政府では、田中外相が同意を表明している。これは自衛の範囲は自国領土に限られないと主張したものである、と中村氏は説明する。そして中村氏は張学良の満洲政権に対してソ連が侵攻したことに対して、米英仏伊は不戦条約の義務の注意喚起をしたが、ソ連は自衛行動と反論して、第三国の干渉を拒絶したことを記している。また、米国は条約に公式留保をしたわけではないが、上院外交委員会は、自衛権とモンロー主義のために戦う権利及び違反国に対して条約を強制しない権利を留保する「解釈」を提出したことも記している。

 要するに不戦条約は締結早々事実上の無効なものになっていたのであって、兵頭氏の言うような「この価値観は、こんにちなお近代国家のあいだでは維持され、支持され、承認され続けている」というような事実は大東亜戦争時点では、豪も認められないのである。ところが「東京裁判」では突如として日本の不戦条約違反が持ちだされた、という次第である。

 パル判事と同様に日本の国際法の専門家であった立作太郎氏の「支那事變國際法論」にもパリ条約への言及がある。以下引用は、旧漢字と仮名使いは適宜、新漢字新仮名使いに改めた。

 「亜米利加合衆国の不戦条約に関して為せる言明に依れば、亜米利加案に於いて留保されたる自衛権なるものは、各主権国の当然有する所にして、一切の条約に含蓄さるる所であるとし、自衛上戦争に訴うべき事態を存するや否やを認定するを得る者は当該国の他に存せぬと為したのである。・・・是の如くなれば不戦条約は、少し語を強めて言えば、実際上初めより有れど無きに等しきこととなるのである。」(P10)と断ずる。更に注釈に米国の態度について次のように記す。

 「不戦条約に関する千九百二十八年六月の亜米利加合衆国の通牒中に於て、次の言明を存する。

 不戦条約の亜米利加案中に於て、自衛権を制限し又は之れを侵害すべき何物をも存せず。自衛権は各主権国の当然有する所にして、一切の条約に含蓄さるるものなり。各国民は如何なる時に於ても、又条約の規定如何に関係する所なく、他の攻撃又は侵入に対して其領土を防衛するを得べきものにして、自衛上戦争に訴うべき事態を存するや否やを認定するを得る者は当該国の他に存せず。若し適正の場合なれば世人之を賞賛し、其行為を非難すること無かるべし。

 不戦条約に関する亜米利加合衆国元老院の外交委員会の報告書中に於ても、各国民は常に、又条約の規定に関係なく、自ら衛るの権利を有し、何が自衛権を有し、何が自衛権を組織するや並に自衛権の必要及び範囲の点の唯一の判定者であると為した。亜米利加合衆国は屢々モンロー主義を以て自衛権に基くとするの主張を為したことに注意すべきである。モンロー主義の主張が国際法上の厳正の意義における自衛権の範囲に極限されぬことは言を俟たない。」(P11)

 当然英国も又自己都合の留保を声明しているのは言うまでもない。

 立氏は当時の日本の国際法の権威であり、前掲書は支那事変の最中の昭和十三年に出されたものであり、当時のほとんどの戦争が支那事変と同様に、宣戦布告を伴わない、不正規の「事実上の戦争」であったことを前提とし、国際法が支那事変にいかに適用されるべきかを論じたものである。ちなみに、現在までを振り返っても、宣戦布告をして開始された戦争は例外である。

 現今の日本の史家が、国際法を自分の思想に合わせて勝手に解釈しているのに比べると、立氏の立論は流石であり、このような著作が書かれたこと自体、当時の日本人が如何に真剣であったか感心する次第である。そして日本は日清日露戦争時代と違い、支那事変や大東亜戦争においては国際法を顧慮することがなかったとする言説が、いい加減なものであることを、この本は立証している。

 いずれにしても、不戦条約が如何に理想的言辞を並べようと、空証文に過ぎないと国際的に扱われていたという見解は、中村氏にも立氏にも共通するが、立氏は中村氏よりさらに踏み込んで、自衛であるか否かは、当該国が解釈するものである、という留保と通念があったことを明確に示している。

 また兵頭氏は「・・・『経済制裁』の実施は、戦時国際法上の、『先に手を出した』ことには該当しない-という国際慣行についてだ。(P241)」、としてこんな常識も知らぬ人間が日本には多い、というのだが、これは誤解を招く表現である。「嘘だらけの日米近現代史」で倉山氏が「侵略戦争の定義は『徴発されないのに、先に手を出した』です。」として、「米国内日本人の資産凍結や石油禁輸などの経済制裁、『日本は中国から撤退せよ、満洲事変以降に日本がしたことは認めない』との内容を意味するハル・ノートなどは完全に挑発に当たります。中立国のくせに中国の肩を持ち『制裁』などと介入しているのだから完全に挑発です。ハル・ノートの内容にしても、アメリカが逆のことを言われたらどうでしょう。『ハワイをカメハメハ王朝に返せ』『アメリカ大陸を先住民に返せ』などと言われて、アメリカが黙っているでしょうか。」(P89)と言うのたが、正に至言である。頭氏の言説は倉山氏の見解が間違っている、と誤解させるのである。

 立氏は自衛か侵略かは当該国が判断すべき、と紹介しているが同時に「若し適正の場合なれば世人之を賞賛し、其行為を非難すること無かるべし。」という言辞も紹介している。すなわち日本は米国に挑発されたのだから、侵略ではなく自衛であると主張するのは正に正当である、ということであり、倉山氏の言うことと符合するのである。つまり日本は米国などの言う「自衛か否かの解釈権は当該国にある」と言う解釈を使って、大東亜戦争は「自衛戦争である」と言っているだけではなく、国際的にも正当と認められるべきものである、ということである。不戦条約が現実と乖離した単なる理想的言辞ではなく、国際法上の有効性を持たせるには、日本の対米戦争を不戦条約違反ではないと認めなければならないのである。



なぜ戦後七〇年談話か

 平成27年3月30日の産経新聞で、櫻田淳氏が、「安倍談話」に重き置き過ぎるな、という論説を正論に書いた。曰く、安倍談話の有識者会議のメンバーを見る限り、常識的なものになるだろう、と言うのだが、西洋植民地主義と同じことをした、と櫻田氏自身が言うのだから、メンバーの北岡紳一氏が日本は侵略した、と言って欲しい、と早々に語ったのも、櫻田氏には常識的な範囲なのであろうから、私には理解しかねるのである。

 また、旧植民地との和解と友誼だとか言うのだが、果たして日本を取り巻く状況や外交が、そのようなもので動いていると考えておられるのだろうか。建前としての友誼はいいのだろうが、西欧諸国は過去の植民地地域に和解など求めてはいない。今の目で見れば犯罪的な植民地支配についても、知らぬ顔である。それを今になって、まだ日本だけが侵略の植民地支配、のということを世界中に発表しようと言うのである。

根本的なことを言おう。戦後70年も経って首相が談話を出すことについて、櫻田氏は不思議に思わないのだろうか。敗戦国であるが故に、一国の政治の最高責任者がこんなにも後になって談話を出す、というのは日本以外、古今東西前例がない。

 ドイツの例を持ち出す人は、ヴァイツゼッカー大統領の「荒れ野の40年」のことを前例だというだろう。別稿でも述べたが、小生はこれを岩波のリーフレットで読んだ。大雑把に読むと、反省の文言があるように錯覚する。しかし、子細にチェックしてみた。ところがいくら読んでも、ドイツによる侵略の「謝罪」など一言も述べていないのである。単に「心に刻む」というフレーズが何度も繰り返されているだけである。従って「荒れ野の40年」は侵略の謝罪の前例ではない。

 唯一の前例が戦後60年の「村山談話」なるものである。当時の村山首相が外交に影響を与えるなどについて、政治的考慮もせずに、自己満足から、戦後60年談話なるものを出してしまった。これとて前例もない思いつきに過ぎない。中身は日本が過去に侵略したとして、明瞭な謝罪をしてしまって、外交にその後ずっと利用されて続けてきた。

安倍首相の考えを忖度するに、村山談話により日本が不利な立場にあるので、新談話を出して、村山談話の影響を断ち切りたい、ということであろう。そうでなければ戦後70年も経って、わざわざ「戦後談話」なるものを再び出す理由はないからである。未来志向の文言を入れたところで、村山談話の「侵略の謝罪」が残っているのなら新談話を出す意味はない。そこに前述の北岡発言である。今のところ、安倍総理の信念を信じるしかない。

 何年位前だったか記憶が定かではないが、櫻田淳氏が保守系の論客として言論界に登場した時、氏の意外な着眼点に新鮮さを感じ、今後を期待したものであった。しかし、最近の氏の主張を読むと、結局は江藤淳氏の言う「閉ざされた言語空間」の中で呻吟しているように思われる。



なぜクマラスワミ女史はスリランカ人か

 「慰安婦問題」で国連にクマラスワミ報告を書いたクマワスワミ女子は、スリランカの出身でインターネットを調べたら1953年生まれで、ハーバード大学などの米国の大学で学士号などを取得している。現在はニューヨーク大学教授であり国連で活躍したこともある。スリランカは1948年にセイロンとして英国から独立したから、彼女は英国の支配は知らない。

 それにしても、スリランカはインドと共に、英国から過酷な支配を受けたから、彼女のように人権活動家であって、過去の人権問題を告発するなら、まず祖国と隣国の英植民地時代の英国による過酷な支配を告発すべきであろう。小生は、彼女がそうしないで、アジアで独立維持のために唯一戦った日本の「慰安婦問題」の虚偽報告まででっちあげた理由を考えたいのである。

GHQ焚書開封10「地球侵略の主役イギリス」から英国の過酷な支配をざっと見る。インドの紡績産業をつぶすために、紡績工全員の指を切断した。拷問殺害は当たり前、態度が反抗的だという口実だけで投獄あるいは殺された者は、何万何十万か知れない。インド人を徴兵して関係ない国の戦争に参加させ、徴兵に応じない者は苛烈な拷問にかける。

 農業を破壊し尽くしたために、人口の3分の1の一億人は常に飢餓にある。学校は壊されて60%あった識字率は7%に激減した。これらのことは、全てイギリスがインドから収奪して冨を得るためである、というからひどいというより恐ろしいものである。植民地とはそのようなところを言うのである。

 そこでクマラスワミ女史である。前述のように女史の教養と働き場所は全て欧米である。元英国植民地の常として上流社会の彼女は英語のバイリンガルであろう。つまり、アウンサン・スー・チー女史と同じでメンタリティーは欧米人なのであろう。

 このような人たちの常として、かつて父祖が欧米の苛酷な植民地支配を呪詛し、独立を渇望したことを忘れている。欧米流教育によって忘れさせられている。そして、わずか数年の日本の軍事占領を声高に批判することを無上の喜びとしている。日本は東アジアの欧米の領土を軍事占領しただけで、植民地支配したのではない。女史らが宗主国を批判しない根本的原因は、欧米の支配により恐怖が骨身にしみているのであろう。欧米は出て行ったとはいえ、彼らに屈服したのではなかった。

 フィリピンは米国から独立を与えられ、インドネシアは40万人もの犠牲を出す独立戦争に勝ちながら、オランダから独立のための賠償を奪われた。インドのガンジーが非暴力の独立運動を讃えられるのは、英国に都合がいいからである。インド独立はガンジーの非暴力運動で得られたのではない。

 かつての欧米の植民地だった国の人々は、未だに宗主国を恐れている。だから英語のバイリンガルであることを誇りに思い、欧米流の歴史観を持つことを自然であると、上流社会の人々が思うのは当然であろう。だからクマラスワミ女史が韓国や反日日本人の嘘を容易に受け入れ、日本が性奴隷を使ったと報告することに信念すら抱いているのである。

 今の日本人の情ない状態はさておく。日本人はガンジーやネール、スカルノといった東アジアの強い指導者は戦前にも戦後にもいなかったと嘆く。ならば、どうしてそのような指導者を輩出する、かの国々は容易に植民地になり、日本は欧米の植民地にならなかったのであろう。答えは自ずから明らかであろう。



バターン死の行進はなぜ起きたか

 私はバターン死の行進と言われる捕虜虐待がなぜ発生したかを問うてはいない。以下は「インディアン悲史の書評の一部の再掲載である。


「涙のふみわけ道」(Trail of Tears)とはチェロキー・ネイションの強制移住である。単に白人達に邪魔だと言うだけで、着の身着のままで1300kmも移動させられ、死者は四千人、四人に一人が死に、死者を出さなかった家族はいなかった(P208)。単に移動だけではない強姦殺戮も行われたのである。しかし大統領はインディアンの了解にもとづいて行われて幸福な結果をもたらした(208)と国会に報告するほどの恥知らずである。アメリカ人はありもしない「パターン死の行進」を日本軍の残虐行為をでっちあげているが、その米人ですら、「涙のふみわけ道」にくらべりゃ、パターンの死の行進なんざそんじょそこらのピクニックみてえなもんだ(P152)と評したのだ。要するに「バターン死の行進」とは自分たちの行為を日本人に投影して発明した嘘である。嘘をつく人間は自分がしそうな悪事を人がやったと言うのだ。

 と書いた。戦争にあたっては政府は自国民自身をも欺く宣伝戦も行う。「民主義国家」も例外ではない。第一次大戦の際には、英国はドイツびいきが意外に多い自国民に、ドイツ軍の残虐行為をでっち挙げて、国民をドイツとの戦争に駆り立てた。米国は、それを更に上を行って、日本軍の残虐行為をでっちあげたのである。日本軍は収容施設に捕虜を移送する、という当然のことを行ったのに過ぎない。それは、第二次大戦で初めての大規模なものであったが半分は鉄道輸送だったから、距離からすれば、20分の1に過ぎない。しかし米国人にとって、自ら行った、距離から言えばはるかに大規模で、内容からも残忍な、涙の踏みわけ道、と同じものでなければならなかったのである。


○朝日は反日が問題ではなく、反日で他国のために働くのが問題

 雑誌WiLL平成27年の2月号で、朝日新聞の誤報問題について、櫻井よしこ氏と元朝日の山田氏が対談していた。もちろん山田氏は朝日を擁護するのだが「・・・権力が暴走していくのをぎりぎりで止める大きな役割を果たしてきたと思います。」というのだが、その権力とは警察などの国家権力である。ジャーナリズムが国家権力を監視する、というのはよかろう

 だからそれが、朝日新聞が反日になる理由である。ある人たちに言わせると一般の記者などは、イデオロギーに染まって反日になるのではなく、反国家権力と言う立場から、反日になるのだそうだが、山田氏の見解はそれに符合する。反国家権力、それもよかろう。全ての権力に対してなら、である。

 ところが問題は、北朝鮮や中国の権力に対しては、反権力ではないことである。朝日は反米である、と言われるが、反日に比べれば程度が軽い、とすら言いうる。あらゆる国家権力に比べると、日本の国家権力に対するのが、一番ひどいのである。日本について評価すべきものは黙殺して、批判するネタがあると誇大に書き連ねる。

 原爆投下や東京大空襲は明確に民間人をターゲットにした、残虐行為であり、国際法に明白に違反している。それですら残虐行為の張本人の米国を非難せず、日本が戦争を始めたから仕方ない、という見解である。朝日が反米であるより、より反日である、というのは、この例で明白であろう。 吉野作造であったと思うが、愛国者であるが故に政府を批判する、と言った。しかし、外国と敵対している時は、無条件に日本政府の味方をするというのだ。

 当然であろう。反政府が利害の一致しない外国を利することになっては、いけないのである。ところが現在の朝日は違う。反日であるばかりではなく、反日の結果、日本と利害の一致しない外国の味方をすることである。竹島は日本の固有の領土あることは明白であり、実効支配している韓国と日本政府は争っている。

 ところが、朝日のコラムには、竹島を韓国にくれてやった方がいいかのごときことを書いた。反日が高じて、とうとう韓国を利することまで言いだしたのである。朝日の反日は、それ自体が問題ではなく、意図しているか否かには関係なく、明白に利害を異にする外国を利していることである。



侵略された尖閣は安保の対象ではない

 中国は尖閣周辺に船ばかりではなく、戦闘機を飛ばしてきたことさえあった。これはゆゆしき事態である。ある新聞に、もしこの戦闘機に対して自衛隊機がスクランブルをかけて相対した時に、向こうが領空侵犯だとして警告射撃してくる可能性がある、と書いていた。あり得る話である。国際法上は、領空侵犯で無線等による退去命令に応じない場合は、まず警告のために威嚇射撃する。それでも応じない場合には撃墜してもよいのである。「よい」というよりは撃墜すべきなのである。これらの行為は国内法で決めていなくても、本来実行してもよいのである。軍隊はネガティブリスト式で、禁止条項だけが規定されている。だから、国内法で規定が無ければ、国際慣例から、上述のような領空侵犯機を撃墜してよい。

 愚かなことに自衛隊には、無線等での退去命令だけしか許されておらず、わざわざ国際法上正統な射撃を国内法で禁じている。射撃できるのは相手に撃たれて味方に損害が出た時の、正当防衛に相当する場合の行為だけである。中国機から警告射撃を受けると自衛隊機は、その後撃墜されることを恐れて尖閣の領空外に逃げなければならない。

 すると中国機は警告射撃により相手を領空から追い出したのだから、日本も尖閣諸島を中国領だと認めたことになる。これが国際法の論理である。新聞に自衛隊も曳光弾による警告射撃を許可するようにする、と報じられた。もしそうだとしても、曳光弾を撃っても相手が領空から退去しない場合、本当に撃墜するつもりがないとわかれば、かえって向こうに反撃の理由を与えてしまうのである。

 本論に入ろう。このようなこともひとつの方法であるが、中国はあらゆる方法で実効支配をすることを試みるだろう。例えば民間人を装った人間を、夜間水中からこっそり送り込み滞在させる。すると自衛隊がしなければならないことは、彼らの排除である。すると中国は、自国の領土にいる国民を保護するとして、島に近づく自衛隊の艦艇と航空機を攻撃する。こうした事態に米軍は日本と一緒に中国軍と闘ってくれるのだろうか。答えはノーである。

 中国人が尖閣に上陸した時点で、中国は実効支配したことになる。侵略は成功したのである。日本が中国人の上陸を阻止しなかった時点で、侵略は成功したのである。米国は安保条約による米軍の助けは、日本の施政権の及ぶ範囲である、と明言している。逆に言えば中国人が上陸してしまい、施政権が及ばなくなったと判断されれば米軍は日本と共同作戦を行う筈はない。すなわち、侵略された尖閣は安保の対象ではないのである。

 もし中国が戦争をする気があるのなら、その何年か前に動員をかけなければならないが、現在その兆候はないと言われている。すなわち戦争をしてまで尖閣を侵略するつもりは、今のところない。だから、今あり得るのは武力行使をしない「平和的」侵略である。




何故香港のストは終えたのか

 平成26年12月12日の時点で、香港の民主化闘争は、当局の巧妙な排除によって収束する見通しである。何故天安門事件のような暴動状態にならなかったのだろうか、という疑問の答えを誰も説明してくれないことが、小生には不可解である。当局が天安門事件の教訓から、国際社会の反発を招かないよう、巧妙かつ温和な手段をとったと勝手に考えているのであろう。それは事実であろう。

 だが根本的原因はそうではない。香港の闘争は結果を出したのである。平成26年の台湾の総選挙で国民党が敗退した。その原因のひとつが、大陸との協調を訴える国民党の馬英九総統の主張が、香港の闘争によって、一国二制度などが大嘘で、台湾が大陸に併合されたら、結局、非人間的な大陸の独裁政権によって蹂躙されてしまう、という現実を見せ付けられたのである。


 台湾の総選挙と中共当局が行政長官の民主派候補を排除した時期が接近したのは偶然である。しかし、民主化闘争の指導者はこの偶然を利用したのである。はなから中共当局が闘争の要求を受け入れる筈はない、と考えていた。すなわち、中共が台湾併合の際に一国二制度を認めるなどというのは嘘だ、という事実を明白にしたかったのである。

 それによって国民党が総選挙で敗退することを計画したのである。その計画は成功した。だから闘争は総選挙の結果が出ると、急速に弱体化した。そして指導者も馬が曳かれるごとくにおとなしく当局に逮捕されて行った。通常この手の運動は、最後に残った連中は、失敗の絶望から過激になるものである。それもなかったのも、この闘争が計画を達成したために終結していった、という状況証拠である。



俯仰天地に恥じる

 「加害と赦し」という本が出版された。「わが南京プラトーン」という著書で、当時の上官の嘘の虐殺事件を書いたとして名誉毀損で訴えられて敗訴した、かの東史郎氏とその支援者が、裁判の弁明を行ったものである。この本に「東日記を改竄した二審判決」という項があったので、国会図書館で判決のコピーを入手した。この判決は本の改竄どころか面白い指摘が多数なされていた。

①東氏は日記の原本は展覧会に貸したときに紛失されたと供述しているが、展覧会側はそのようなものはなかったと言っており信憑性がない。

②東氏らは300cc程度のガソリンで事件の再現実験を行っているが、自らの供述とも異なる少量で実験を行ったのは「作為的にしたものと推認せざるをえない。」

③東氏は一審では手榴弾が爆発するまでの時間を十五から二十秒と供述したが、そのようなものが存在しないことが指摘されると供述を変えた。当初の供述は殺人を準備するのにその位の時間を要することから逆算した作為による。

④東氏は現場を訪れて更に記憶がはっきりしたとして、本に書いていないことまで供述しているが、現場は当時とは風景が一変しており、「極めて不自然であり…右供述は到底信用することができない。」

⑤東氏は使用したガソリンを1合と供述したのは実験に合わせたと考えられ、本による袋の燃え方の記述と合わず「信用できない」

⑥ガソリンを抜き取った自動車の位置の供述を変更したのは、元のままでは事件を実行できないと指摘されたためである。

⑦一審では袋をかついで投げたと供述しているのに、二審では蹴り落としたと変更した。これは自らの実験で人の入った袋を放り投げるのが困難と分かったためである。

 以上のように判決では裁判官が東氏のことを、虚言癖のある信用ならない人物だと判断していることが分かる。判決によれば東氏は作家ないし新聞記者志望で文才もあり、戦地から友人に戦況を書いた手紙を送ったところ、感激したので雑誌に発表したいと言われたところ、拒絶して「そうするとしても、もっともっと訂正せねばならない」と書き残している。要するに東日記は「事実や出来事の記録ではなく」「従軍回想記ないし戦記」のたぐいで一種の文学である。

 驚いたことに昭和二十一年に東氏は「青年団報」というものに、当時の風潮を憤り「日本共産党の指導者を口を極めて批判するとともに、天皇制に対する熱烈な賛美に満ちて」いる文章を投稿したということを判決は暴露している。

 かの家永三郎氏も戦後の一時期までは、熱烈な尊皇の文書を発表したことが知られ、時流に合わせた卑劣な変節漢だというのが事実である。要するに東史郎なる人物は本来尊皇思想の持主であったが、文才があるため世に文章を発表する希望があったので、チャンスが来ると時流に迎合した「日記」を公表したが、嘘がばれた、というところであろう。

 「加害と赦し」でははるかに多い文字を要しているにもかかわらず、判決に関する反論は少ない。判決の方はよほど短いが簡潔かつ論理的な記述であり、実質的な内容は遥に多い。この本では再現実験を行って事件が可能だとしている。ところが、二審判決では実験自体が事件の再現性がないことを論証しているのにもかかわらず、これに対する反論が全くない。かくの如しで実は南京大虐殺派の本多勝一氏らもあきれて東氏を相手にしていないとのことである。

 俯仰天地に恥じず、という言葉がある。嘘で塗り固めた、東史郎の行動は、これと正反対で、俯しても仰いでも恥の塊である。自身が有名になりたいと言う虚栄心のために、日本人全体を貶めて恥じない。東の子孫自身にしても、残虐な日本兵の子孫として給弾されることもあろう、ということに些かな思いもいたさないのである。


戦犯とは何事か

 例えば文藝春秋の、平成二十六年の四月号の特集に「第二の敗戦 団塊こそ戦犯だ」とある。A級戦犯だとか、戦犯だ、という言葉がこのような使われ方をすることは、戦後の日本では珍しくない。戦犯とは、悪いことがあった時に本質的に責任がある者、という意味で使われている。

 だが、戦犯、つまり戦争犯罪人とは本来戦時国際法の用語で、捕虜の虐待や、非戦闘員の殺害などの戦時国際法違反の犯罪者、という意味である。その上に戦後の日本で戦犯とは、東京裁判などの連合国により戦犯として刑を執行された者に限定されている。その中でB,C級戦犯と言えば前述の戦時国際法違反者である。A級といえば、平和に対する罪というそれまでの国際法になかった、事後法による近代法違反のインチキでっちあげ犯罪のことである。

 しかも、東京裁判その他による連合国の戦争裁判で戦犯とされた人たちは、昭和二十八年の国会決議で、刑死については、法務死であり、犯罪による処刑ではないとされた。刑務所に入れられた人たちも、犯罪者ではないとされたのである。従って犯罪を犯した者には支給されるはずがない、遺族年金や障害者年金等も全て支給されている。

 日本は戦後、このようにして連合国の一方的な裁判で戦犯とされた人たちの名誉を回復したのである。例示した文藝春秋の「戦犯」とは連合国の不当な裁判に根拠を発しているのだが、日本は国是としてこれを否定しているのである。それを保守系のマスコミや論者さえもが、例えばなしとしてでも、軽々に「戦犯」という言葉を使うのは見識を疑う



非日本人として教育された日本人

 アメリカ人は、特殊な例外ではない限り、ジョージ・ワシントンらが行った対英戦争を独立戦争、と呼ぶ。しかし、英国では今でもこの戦争を謀反と呼んでいる。真実がひとつならば、これは矛盾である。だが両国民のほとんどがそう考えているであろうことは事実である。なぜこの矛盾を生じるのであろう。それは教育である。各々、アメリカ国民、英国民として教育を受けているから、各々の国の立場に立って考えているのである。

 全員とは言わないが、アメリカ人の多くは、日本への原爆投下したことについて、戦争を早く終わらせることができた、と評価している。これも、アメリカ人として教育されたから、アメリカの立場で考えているのである。

 それでは日本ではどうなのだろうか。広島の原爆死没者の慰霊碑には「過ちは繰り返しませぬから」と書いてある。これは主語が誰か、という論争があって、公式見解としては、人類が今後、こんな悲惨な行為を繰り返さないように、という意味だそうである。だが実際には政治家や、教科書の一部ですら、日本が戦争を仕掛けてさんざん残虐な行為をしたから原爆を投下されたのはその報いである、とする意見が例外的にではなく公表されている。全くアメリカ人と同じ意見すらある。これは一体どうしたことだろう。

 それは、同じ戦争をアメリカ人が独立戦争と考え、イギリス人が謀叛と考えているのと同じ原因による。すなわち教育である。しからば何人として教育された結果、そのようになったのであろうか。「非日本人」として教育されたのである。以前、朝日新聞の記者が朝日新聞のホームページで

「例えば竹島を日韓の共同管理にできればいいが、韓国が応じるとは思えない。ならば、いっそのこと島を譲ってしまったら、と夢想する。」

 と書いて問題になった。これはこの記者の立場が日本人の側ではなく、韓国の側にあることを明瞭に示す。つまりこの記者は日本国籍がありながら、思想は「非日本人」なのだと考えれば、理解できる。



山本五十六の引き倒し

 山本五十六が対米戦反対であった事をもって立派な軍人であったとするのは、私には信じられない。山本五十六を反戦軍人であるかのように言う輩は、軍隊の「シビリアンコントロール」なるものを重視する輩であろう。シビリアンコントロールなるものでは、軍人が政治に口を出してはならない。つまり、軍人に対米戦の可否を言う資格はない、と言うべきである。

 軍人が対米戦をやるべきではない、と主張するのは、対米戦をやるべきである、と主張するのと同様に、政治的判断に口を出しているという意味においては、シビリアンコントロールなるものの枠を明白に超えている。せいぜい対米戦が起きた場合の戦い方と戦局の見通しを語るだけであるべきである。山本五十六は軍人である。軍人が考えるべきは、まず対米戦をいかに戦うか、勝利のためにはどんな準備をすべきか考えることである。

 東郷平八郎は明治天皇の御下問に対して、バルチック艦隊に勝てるとの戦闘の見通しを述べただけであって、日露開戦の可否を述べたことはない。現代の多くの日本人は対米戦に反対を表明したか否かのどちらの立場にいたかをもって、その人の正邪を判定する愚を犯している。

 また、山本は、三国同盟締結反対のゆえに、右翼に狙われていたとされる。そのために、米内海軍大臣が暗殺を恐れて、海上勤務にするために連合艦隊司令長官にしたと言われている。もちろん、この決定は山本本人の責任ではない。しかし、軍人としての適性から司令長官にしたのではない、というのは余りに不適切な人事である。まして、対米戦争の影が近付いている時期である。危機意識の欠如した悪しき官僚的発想の見本である。山本を讃える人はセットで米内を褒めているから、米内も武人ではなく悪しき官僚であったというべきであろう。このエピソードを山本シンパは、あの悪しき三国同盟に反対して、右翼にすら狙われた、と称賛したいのであろう。だが、このように贔屓の引き倒しなのである。

 日露戦争の際、山本海軍大臣が順当な人事なら連合艦隊司令長官に日高壮之丞がなるところを、敢て東郷平八郎を起用したのに比べてひどすぎる。日高は我が強過ぎるが、東郷ならいうことを聞く、と山本が判断したと言う定説はそれだけではなく日高の健康問題もあったようであるが、山本は、軍令部の反対する真珠湾空襲とミッドウェー攻略を強引に進め、日本の敗北の端緒を作ったのは事実である。

 残念ながら、山本がミッドウェー攻略を強硬に主張したのは、ドゥーリットルの東京空襲を防止できなかったことの不評を、ミッドウェーの戦果で相殺しようとしたのである。日露戦争で、ウラジオ艦隊の跳梁跋扈によって、上村司令官の指定までが非難投石されたことを思いだして恐怖したのである。この山本の判断は軍人の為すことではなく、世論を気にする典型的政治家の判断である。ドゥーリットル東京空襲計画こそ、真珠湾以来連敗の米国民の不満を解消するための、ルーズベルト大統領による政治的人気取りであったのである。それと同じ次元のことを軍人たる山本が行ったのは、軍人の分を超える。

 ミッドウェー作戦の失敗への批判は、索敵の不備、作戦目的の不徹底、情報機密保持の不徹底、信賞必罰のなさである。これらのほとんどは山本自身の責に帰すべきものである。もちろん連合艦隊の最高責任者という組織上の責任ばかりではなく、ミッドウェー攻略は、山本自身の発案で、しかも強硬に主張した本人だからである。索敵の軽視は当時の日本海軍軍人の欠陥であったから、山本だけの責任とは言い難い。ただし組織として海軍は永年索敵を重視していたのである。索敵能力に問題がある潜水艦に水偵を搭載運用したのは日本海軍だけである。艦載用の水上偵察機を海軍は熱心に開発充実していた。それならば、索敵の重要性も教育されていたはずである。索敵の不備があったとすれば、指揮官個人の判断である。せっかく準備してあった索敵用機材をうまく運用しなかったのは、軍人が官僚化して、実戦的判断を軽視したからである。その欠点を最も体現していたのも山本である。

 阿川弘之等の信奉者の言うような名将であったなら、索敵の不備に気付いたであろう。そもそもミッドウェー作戦を実施する前に山本が珊瑚海海戦の戦訓を取り入れた節が全くない。珊瑚海開戦当時ですら米海軍の防空陣は強力で攻撃隊は大損害を出している。空母祥鳳は魚雷7本、と13発の爆弾という大量の被害を受けて簡単に撃沈された。米空母は既に攻撃力も大きく、防空能力も高く、戦意も高かったのである。そして珊瑚海での初の空母戦闘の戦訓を山本は聞こうともしなかった。

 前述のようにミッドウェー作戦を強行したのは、山本個人であった。今度の作戦は簡単だと愛人に漏らしているのは機密保持の考えが全くなかったことばかりではなく、珊瑚海海戦への反省もないことを証明している。珊瑚海ではガソリンへの引火というラッキーパンチによりレキシントンを撃沈するという大戦果をあげたが、冷静に考えれば双方に同程度の被害を与えているノーガードの殴り合いに等しいのが当時の空母戦だということが分かるはずである。

 子細にみれば、後日のように鉄壁と言えずとも、米側の防空力の方が強力であることが分かる。山本がミッドウェー攻略を占領と米空母撃滅の二股をかけた、というのは後の海軍の作り話だという説があるが、その通りであろう。米空母への対応も考えるように、という指示をしていたのなら、そのような陣形をしたのだろうが、そんな形跡はない。当時の海軍の一致した判断は、米空母はミッドウェー付近にはおらず、日本の攻略部隊の迎撃できるはずではないというものである。愛人に語ったように、米側の抵抗は大したことがないから、上陸作戦は簡単に行く、と踏んだのである。

 山本の信奉者が別の場面では、日本軍には信賞必罰がないから、適切な人事配置ができていない、などと批判するのは大矛盾である。南雲や草鹿などの指揮官級に対して何の処罰もしなかったのは、山本自身の判断である。そして連合艦隊は大敗北の実情を知った下級の兵士を隔離したり前線に飛ばすなどの隠ぺい工作を行った。そのことを最高指揮官である山本が知らないはずがない。日本軍の欠陥として言われる上官に甘く、下級兵士に厳しい、という典型が山本自身であった。そもそも山本自身が、何ら責任を取っていない。部下を責めることのできないのは当然である。平成二十四年に公開された映画「山本五十六」で敗戦した南雲を慰めているのを人情ドラマ風に描いているのはいかがなものか。山本は、自分の指示に忠実に従って敗北した南雲たちを、責められるはずはなかったのである。私事に反していたら激怒していたのに違いない。

 真珠湾攻撃で米国世論が激高すると、山本は事前通告が遅れたと悔やんでいたと描かれている。しかし米墨戦争や米西戦争などの戦史を確かめれば、米国政府は相手に先手を打たせて世論を盛り上げるという手法をとっていることは分かるはずである。山本は米国民性も知らなければ、戦史から教訓を得ることもしなかったのである。真珠湾以前に宣戦布告されたか否かが問題になった史実はない。

 例え、一~二時間前に宣戦の通告をしたところで、米国民はルーズベルトの演説に興奮したのに違いない。テキサスをメキシコから奪った時も、メキシコ領内に砦を築いてアメリカ人が居座ったから、メキシコ軍に全滅させられた。メキシコは自国領を侵略したものを撃破して守る正統な権利を行使したのに過ぎない。アラモ砦が先制攻撃されたから、米国民は怒ったのではない。他国の領土に砦を築く不当なことをしていたことは、マスコミが発達していたアメリカ国民も承知していたのである。だが領土欲にかられた米国民は喜んだのである。

 山本の指揮についても考えさせられる。確かに無線通信手段が発達した昭和の戦争では、東郷元帥のように陣頭指揮をとる必要はなかったのかも知れない。だが、真珠湾の石油タンクや工廠を攻撃しなかったのは、山本がその必要性を感じていなかったとすれば、無知である。反対に分かっていて南雲に言明しなかったとすれば、指揮権を放棄したのである。どちらにしても褒められたことではない。ミッドウェー海戦にでも、攻撃中に戦闘を指揮した形跡がない。事前に半数の艦上機を空母出現に備えよ、と言ったというが、各空母ごとに半数の艦上機を、空母攻撃用に残すと言うことは、運用上不可能である。山本の支持に従うなら、半数の空母を米空母対策用に温存していなければならない。それならば、作戦計画で艦隊の編成を山本が確認した際に、どの空母は米空母対策であるかと言うことを確認していたはずであるが、そんな事実はない。それどころか、次々に南雲艦隊の空母が損害を受けた報告を次々と受けると、平静を装って、またやられたか、とうそぶいていたと言うのだから、危機管理能力も指揮判断能力も欠如していたと言わざるを得ない。

 いくら状況がよく分かっている現場に任せよ、といったところで、敵情を確認して指揮した形跡がない。なさすぎるのである。指揮したことがあったのは、唯一空母が全滅した際に、戦艦で攻撃してでも上陸作戦を決行しようと打診した南雲艦隊に、作戦中止を命じたくらいであろう。時事刻々変化する戦況に対応して指揮しようとしたことはない。それは、上陸作戦が唯一の作戦目的である、というのが山本の意思として伝わっていたからこそ、現場では戦艦でもってしても、上陸作戦を強行しようと上申したのである。山本が米空母撃滅のためにミッドウェー攻略を企画したと言うのは戦後の海軍関係者のでっちあげに過ぎない。山本が参戦中止を命じたのは、損害のあまりの大きさに、茫然自失したのに過ぎない。

 山本信奉者の通弊は、海軍の失敗は山本の責任ではなく海軍の通弊や部下の責任に帰し、成功は山本の功績にしていることである。海軍の成功も失敗も最高指揮官たる連合艦隊司令長官の山本の責任であるのは、間違いない。



池上氏のコラム掲載拒否は言論弾圧ではない

 平成26年8月に朝日新聞が、ついに慰安婦問題と吉田清治の偽証言報道の嘘を認めた。これに対して、かの池上彰氏が朝日への連載コラムで批判した原稿を送ると、掲載を拒否した。これに対して、他の新聞や週刊誌などは、言論弾圧だと非難した。だがこんなものは言論弾圧でも何でもない。池上氏は他のメディアでいくらでも意見を公表できるのだし、生命の危険はもちろんない。

 この程度のことで、言論弾圧だというのはあまりにやわである。ソ連時代のロシアは、当局を批判する報道はなかったし、ソ連崩壊後も政府批判がきついと、いつの間にか不審死していたなどという事件があった。ソ連崩壊直前に日本の放送局がソ連の「一般国民」を招待して、日本人とテレビ討論会をした。日本人の意見がまちまちなのに、ロシア人の意見はどんな話題に対しても、金太郎飴のように、ソ連擁護で一致していた。これが言論弾圧の結果である。今の支那大陸でも事情は同じである。

 池上氏のケースを言論弾圧と非難する輩は、案外本当の言論弾圧が起きた時は黙して語らないであろう。本当の言論弾圧とは、公然とは非難できないものを言う。朝日新聞は、昭和20年9月にGHQから二日間の発行停止を命じられた。原爆投下や米軍の無法を批判したからである。新聞廃刊の恐怖におののいた結果、論調を180度変え、現在に至るもその路線を守っている。以後そのことを朝日新聞は決して語らない。朝日新聞は背骨を折られ、思想改造されたのである。

 なお、朝日批判の記事を掲載した週刊誌の朝日新聞への広告は、肝心の部分を黒塗りにして掲載するという挙に出た。これを戦前の言論統制になぞらえる人もいるが間違いである。戦前の伏字は○×△で置き換えた。黒塗りにしたのは、戦前の教科書を戦後配布した時に、応急措置として黒塗りにしたのである。それをさせたのは日本政府ではなく、自由の国米国のGHQである。

 池上氏の掲載拒否が非難されると、一転してコラムを掲載した。黒塗りの件と言い、朝日新聞の品性が劣等であることを満天下に知らしめただけで、言論弾圧などと言う大仰なものではない。


韓国の先祖還り

 平成26年、韓国において、船舶事故や地下鉄の事故など、信じられないような事故があり、外国のみならず、韓国自体からも憂慮する声が上がっている。これは事故に限ったことではなく、戦前の対日協力者を処罰する法律を制定するなど、ここ10数年の韓国は、近代国家とは思われない行動を官民ともにとって、日本の保守知識人をあきれさせている。

 漢江の奇跡、といわれた経済成長をとげたとき、それまで北朝鮮を持ち上げていた左翼知識人たちに対して、韓国が近代国家になったと保守知識人は言っていたのだから、状況は著しく変わった。この落差について、きちんと説明してくれる人はいない。昔、韓国を北朝鮮と比べて褒めちぎっていた同一の保守系ジャーナリスト自身が、今では口を極めての韓国批判である。

 それでは韓国は変わったのだろうか。変わったのである。漢江の奇跡と呼ばれた経済成長を支えた人たちは、日本統治時代の世代、それも子供のころから日本の教育を受けた人たちである。つまり日本人の影響を強く持ち、日本的考え方を持つ人たちである。彼らが社会の中心であった時代には、日本の援助はあったにせよ、日本と似ていると言われた、高度成長があった。

 しかし、その時代は長く続かない。日本的メンタリティーを持つ人たちが少数派になると、本来の朝鮮人の民族的個性が表に現れる。すなわち李氏朝鮮で長い間育まれた民族性である。その結果が現在の状況である。そう説明すれば納得できる。だが漢江の奇跡と言われていた時代も、問題を腹蔵していた。多くの人は、それを知りながら目をつむっていたのである。

 例えば技術である。造船は、日本が韓国に技術を輸出して奪われた結果、シェアまで奪われたと言われている。しかし、日本の技術者は知っている。韓国で作っているものは、基礎技術の比較的浅い船体だけである。機関や電装品は日本製だったのである。例え日本でリタイヤした技術者が韓国に行って技術を伝授した結果、日本の技術が奪われたと日本で騒いだが、皮相なものでしかない。

 政治的マインドと言ったものについては、前述のように結局、日本育ちの個人にしか定着せず、伝統として定着しなかった。結局あらゆる分野で先祖還りを起こしたのである。しかし、日本の努力は全く無駄ではなかったろうと思う。李氏朝鮮の時代とは、確かに一線を画している。それを時間をかけて、広がりと深まりのある、確固としたものにするには、日本の支援が必要である。

 だが、日本の支援を拒否する動機の一部は日本人自身が作り出している。いわゆる従軍慰安婦の問題も、日本の自虐史観の持ち主が、敢えて持ち出して韓国人が日本を非難せざるを得ない状況を作り出している。現在の韓国発の対日国際非難の元は、全て日本人によるものである。

 その証拠に、例え反日教育が営々と行われていても、戦後最近まで韓国が「従軍慰安婦」なるものを持ち出して、非難することは長いことなかった。韓国の元大統領自身が、韓国が日本を非難せざるを得ないようにしたのは、他ならぬ日本人だと語っている。自虐的日本人が韓国の対日批判を唆しているのは、北朝鮮の対韓工作の結果である。当の日本人は自覚してはいまいが、事実としてはそうである。韓国と日本を分断して、韓国を併呑する目的のために、日韓に亀裂を入れると同時に、韓国の社会を近代社会から劣化させるためである。自虐的日本人は日本が嫌いだから、日本が韓国を近代化した功績を認めないばかりか、その延長で韓国を本質的に支援することを妨害しているのである。



支那は戦時国際法の対象ではなかった

 主権国家は、国内の治安維持と条約順守の能力があること、という倉山満氏の定義によれば(*)、支那は戦時国際法の対象ではなかったから、支那兵はいかなる状況でも捕虜になる資格はない。非戦闘員の保護の義務もない。当時の戦時国際法は文明国たる主権国家の戦闘員に適用される。

 現在のように、ゲリラにも戦時国際法が適用されるのだが、ゲリラの集団が小国家にに似た組織を持っていたとしても、組織自体が主権国家に準じていなければならないのであろうと考えられる。ゲリラ側だけが支配地域で、治安維持が出来ず、でたらめをしていたり、交戦相手国との約束を守らなければ、ゲリラに戦時国際法が適用可能であろうはずがない。

 支那事変当時、支那は、ひとつのまとまった国といえる状態ですらなかった。蒋介石、共産党、張作霖その他の軍閥の跋扈する地域でしかなかった。中華民国として国家承認を受けて国際連盟に入っていたこと自体、実態を伴わない。現在の北朝鮮と比べてさえ国家の実態はなかった。

 だから、国内の治安は乱れに乱れ、満洲国が建国されると多くの民衆が満洲になだれ込んできたことが、既に治安が最悪であったことの証明である。治安がまともではなく、外交官の保護もできる状態ではなかったから、条約の順守ができるはずはない。だいいち軍閥が乱立する状態であったから、一体中華民国の国家元首は誰であったのだろうか

 だから当時の支那は主権国家ではなかった。少なくとも、西欧人の考えた国際法が適用される主権国家ではなかった。そのような国は西欧では、無主の地とみなされ、国際法の適用外で、何でもやりたい放題であった。支那をあたかも主権国家のごとく扱ったのは、世界が植民地化されて、残ったフロンティアとして欧米諸国が支那大陸で角を突き合わせてしまってこう着状態であったから、妥協点として、合意した結果である。その究極が九カ国条約という実態のないものであった。九カ国条約は中華民国が主権国家であるという、フィクションの上に成り立っている。だから日本が九カ国条約違反を咎められるいわれはない。

 南京における日本軍の便衣兵の殺害を、戦時国際法で考えれば、擁護することもできるであろう。だがそもそも、戦時国際法の適用されるべき地域ではなかったのである。日本が、戦時国際法を準用して守った、というのは人道的措置であって義務を守ったのではない。倉山氏によれば、戦国時代は戦時国際法が確立されていた時代であった。だから維新後の日本が戦時国際法に馴染んでいったのは、付け焼刃でもなければ、西洋崇拝でもなかった。日本には戦時国際法を守るべき資質があったのである。

 戦時国際法の適用外であったのに、非戦闘員を保護したのは、日本人本来の人道的感覚による。だから、南京攻略戦で残虐行為はなかった。日本人の人道的感覚とは、勇敢に敵と戦うものは、非戦闘員である民百姓に悪さをしないという歴史的感覚である。だからこれも西洋の物まねでも付け焼刃でもない。

*歴史問題は解決しない・PHP



戦争ができる国で当然

 集団自衛権問題で、朝日新聞は日本が戦争ができる国になるから、というのが反対理由の大きなものである。だが、これは実におかしな考えである。国会答弁でも政府は専守防衛だと言っていて、護憲政党もこれで納得していたはずである。だから、戦闘機からわざわざコストをかけて空中給油装置を外して、敵基地を攻撃できないようにした。ところが、専守防衛でも、敵がせめて来たら反撃する。これは戦争である。

 日本が戦争ができない国では、専守防衛すらできないのである。突き詰めれば、こうなるのは朝日新聞もよく知っている。そこに真意があるからである。そもそも朝日新聞は軍隊を持つことに反対である。専守防衛と言う言葉を持ち出すのは、政府を攻撃する方便でしかない。彼らには日本が侵略することはあっても、侵略されることはあり得ない。だから戦争ができる国になってはならないのである。



皇紀とは

 戦前の日本政府は、昭和十五年を皇紀二千六百年と定めた。現在ではこのことは、国粋主義に基づく軽率な行為だと批判されている。確かに長い間使われてきた従来の年号に比べれば、軽率の誹りを免れない。しかし、年号と皇紀とは共通点がある。共に、日本より優れていると考えられていた文明のやり方を日本風に取り入れたのである。

 元号は支那の王朝の真似で、皇紀は西暦の真似である。支那大陸の元号は、多くの場合、何かの区切りをつけるために改元していたから、それを真似たのである。朝鮮は大陸の王朝の元号をそのまま採用していた場合が多かったから、固有の元号を制定した日本の独自性がある。

 元号は明治維新から、一世一元に改められて、それまでのように頻繁に変えられないにしても、西暦は一貫しているから、経過年数の計算などに便利に感じられたのであろう。それでも、そのまま採用せずに、天皇を起源としたところに工夫がある。しかし、元号を廃止しなかったから、結局は廃れることになった。日本が戦争に勝ったとしても、元号は廃止されることはなかっただろう。

 結局皇紀は、高揚した日本の気分の象徴となった。都内の神社巡りをすると、多くの神社の陸海軍軍人が神社の名前を揮毫した、石碑が見られる。その年号はほとんどが皇紀二千六百年と記されていて、それ以前のものは見られない。正に時代の反映である。しかし、ある神社では石碑の表の社名だけはそのままなのに、裏の揮毫の部分を削ってコンクリートで埋められていたのは、卑屈としかいいようがない。皇紀を使ったのが軽率ならば、戦争に負けたからと言って、隠してしまうのも同様に時代に迎合した軽率さの現れである。削らずに残している神社の方を範としたい。欲を言えば揮毫の由来などの説明文があれば申し分ない。


義勇軍が戦車‼

 平成26年6月13日の産経新聞によれば、ウクライナにロシアから国境を越えて戦車や軍用車両が運び込まれている、と報じた。記事はプーチン大統領が国境警備の厳格化を命じたのにもかかわらず、ウクライナ東部には、ロシアからの武器や義勇軍の流入が続いていることになる、と続けている。

 こんな馬鹿な記事があるものか。戦車を運用するのに必要なのは戦車の乗員ばかりではなく、整備員や各種の補給が必要である。それを民間人であるはずの義勇軍にできるはずがない。そんなことを言わずとも、戦車や武器をどこから持ってきたというのだ。義勇軍がロシア軍の武器庫からかっぱらってきたとでもいうのか。もし、プーチン大統領が禁止しているにもかかわらず、これらの武器や兵士が搬入されているとしたら、死刑ものである。プーチン大統領の指揮の下に行われているのは間違いがない。

 昔アメリカも似たようなことをしたのは有名である。義勇軍と称して、戦闘機とパイロットが支那事変に参戦した、空軍のフライングタイガースである。当時、最新の戦闘機とパイロットや整備要員その他を派遣するのは、アメリカ政府にしかできるはずはない。現在は色々な証拠から、大統領命令により陸軍航空隊のパイロットと整備員や戦闘機が支那に持ち込まれたことは明らかにされている。

 ロシアの侵略のターゲットは、クリミヤ半島だけなのか、現在紛争中の東部と南部までなのか、ウクライナ全土なのか。いずれも可能性があり、欧米諸国の様子を見ながら柔軟に対応するであろう。最低限度でも東部と南部での内戦は、これを収める代わりにクリミヤ半島の支配を確実にするための取引材料としても使える。



日本は集団的自衛権を行使していた

 日本は集団的自衛権を行使したことがある、と言ったら意外だろうか。そもそも、日本が昭和二十年の八月十五日以後戦争に参加していない、というのは国際法に無知な所以である。参戦とは、直接に戦闘に参加するだけではない。参戦国への軍需物資の提供、基地の提供はもちろん、参戦国の軍隊の通過を許してしまうことさえ、国際法では戦争に参加していると見做される。

 戦争に参加しない中立国の要件とは、中立を守れること、すなわち交戦国の軍隊の通過をすら排除できることである。永世中立国のスイスが実は重武装である原因のひとつが、中立を守るためである。こう考えれば、日本が朝鮮戦争やベトナム戦争に参加していなかった、とは言えないのである。両戦争で日本は基地提供と軍需物資の提供を行っている。戦闘に参加していなかっただけのことである。朝鮮戦争においては、機雷の掃海という準戦闘行為にさえ参加している。

 朝鮮戦争は国連決議による国連軍対中共と北朝鮮の連合軍との戦争である。米軍すなわち国連軍であったから、日本は国連憲章の集団的自衛権に基づき参戦した、と国際法上は解釈するしかないのである。それでは、北朝鮮も北ベトナムもなぜ日本を攻撃しなかったのか、と。皆さん勘違いしてはいませんか。両国とも日本を攻撃したくても攻撃する能力がなかっただけなのです。

 米国民は、真珠湾攻撃が行われるまで、第二次大戦への参戦に反対であった、というのは常識であるが、大間違いである。ルーズベルト大統領は、英国が危機に追い込まれると武器貸与法を作り、大量の武器弾薬を英ソなどに供給した。それ以前から英国に大量の駆逐艦を提供するなどして、援助していた。それどころか、軍需物資を輸送する船団を攻撃しようとする独潜水艦を攻撃した。これらのことは、米国内秘密でも何でもなかった。公然と報道され、議会でも議論されていた。しかし、マスコミも米国民も戦争になるから反対だと言わず、大勢は政府を支持していた。これは反戦国民のすることではない。

 日本が戦後高度成長をすることになった切っ掛けは、朝鮮戦争による「朝鮮特需」であることは常識である。特需とは「軍需物資」の隠語として発明されたものであるのは、いかにも日本的です。経済大国日本も朝鮮戦争、ベトナム戦争のおかげなのである。ちなみに、戦前の米国の国際法の大家は、経済制裁は戦争行為であると公言していた。イラクがクェートに侵攻し、クェートから撤退しなければイラクを攻撃すると、米国が宣言すると、反戦団体は経済制裁で充分ではないか戦争はするな、と言っていたが、戦争と経済制裁は五十歩百歩である。北朝鮮に対する経済制裁もかく考えなければならない。戦争する覚悟なくして、経済制裁などしてはならないのである。



航空記事の怪


 航空機に関する雑誌や刊行物は多い。その中で、飛行機の性能等について書いた記事がある。鳥養鶴雄氏のように、設計の経験のある人物の記事は別として、多くの記事において、子細な機体のディティールには驚くほど詳しいにもかかわらず、一方で初歩の物理さえ知らないと思われる記事が少なからずある。

 航空機そのものではないが、以前、艦艇には左右に非対称性がないにもかかわらず、航空母艦の艦橋は、わずかな例外を除いて、右舷に設置されているかを説明して、世界の艦船誌の投書欄に掲載されたことがある。読んでいただければあまりに単純な話だが、その程度のことを日本の関係刊行物で説明したものが無かったのである。ここでは、その例を掲げる。


1.1990年モデルアート社刊の第2次大戦ドイツジェット機

 He280の記事である。曰く「・・・尾輪式では、ジェット排気が水平に流れず地表にあたってしまい、離着陸時のパワーを殺してしまうので、前車輪式は理にかなっていた。」という。物理の初歩さえ知っていれば、こんなことは考えない。推力はガスを高速で噴出する反動で得られるから、噴出したガスが、その後どこに当たっても推力は変化しないのは自明である。

 初歩的な例えをすれば、ボールを投げるとボールが進む反対方向に、人間は押される。しかし、人間の手を離れたボールが、その先地面に当たったからと言って押される力に変化はないのである。航空技術に関する記事を書く者が、この程度の物理を理解していないのは不可解である。

 もっともジェットエンジン機の前車輪式は、高温のガスが、滑走路に直接当たらないと言うメリットはある。

2.ミリタリー エアクラフト・1998年3月号

 零戦五四型の記事である。プロペラによる推力は直径が大きいほどよいことと、日本機は軽量化のためにプロペラ直径を小さめにとる傾向があることを述べたうえで、次のように書く。

 話を五四型丙に戻すと、直径が10cm増えたことにより、推力はざっと5%も増える計算になる。「たった5%」というなかれ、これは大変な値である。これで最大速度と上昇力は2~3%増えることになる。五四型丙による性能向上は実はエンジン換装ではなく“プロペラ換装”による可能性がある。となると、果たしてエンジン換装は必要だったか、という深刻な疑問も生じる。結論から先に言うと「エンジンを換装せず「栄」を改良してプロペラ直径を伸ばすという手もあったのではないか?」ということである。

・・・「栄」系列は日本で最大の量産エンジンで、基本性能も優れている。このエンジンの減速比をもう少し大きくして、プロペラ直径を3.15mとすれば同じ結果が得られたのではないか。

というものである。これは金星エンジンに換装したにもかかわらず、最大速度の向上が2~3%程度でしかないことから考えた結論であろう。この文章を総合すると、エンジンの出力が増えようが、増えまいが、プロペラの直系の増加によって推力は増加するから、最大速度も増加する、という実に奇妙な結論となる。

 プロペラ直径を増やして推力が増える、というのは、翼断面の形状や寸法、回転数もピッチも変更しない、という場合である。それはエンジン出力を増加しなければ不可能であるのは、明白である。だから筆者が自ら書くように、プロペラ直径を増やして回転数を落とさないと栄エンジンでは10cm増えたプロペラを回せないのである。当然回転数を落とせば、金星エンジンと同じ推力は維持できない。この文章はこういう矛盾を平然と犯している。

 百式司令部偵察機の例を見よう。Ⅱ型は離昇出力1,080馬力のエンジンで604km/hの最大速度を得ている。三型は離昇出力1,500馬力のエンジンで630km/hの最大速度に向上している。しかしプロペラ直径は同じ2.95mである。先の文章の理論ではこのことを説明できない。



Me262の後退翼の不思議

 Me262は世界初の実用ジェット機でありながら、既に後退翼である。その理由は、当初の設計が直線翼であったのに、装備するエンジンの重量が予定をはるかに超えたために、重心を調節するために後退翼とした、というのが定説である。そうではない、という記事を読んだ記憶はあるが、誰の記事か思い出せない。

 それにしてもこの定説は実に奇妙である。日本でも九七重爆が後ろに行き過ぎた重心による縦安定改善のために僅かながら後退角を増加した、という例はある。Me262の場合も主翼の取り付け位置を変更するより後退角を増加する方が設計変更が軽微で済む、という説明である。確かに主翼の取付け位置を変更するのは大幅な設計変更になるが、エンジンの主翼への取り付け位置を変更するのは簡単である。

 通常、飛行機の重心は25%翼弦長の位置に置く。本機の場合、エンジンは主翼下にある。従って、エンジンの重量が大幅に増えたところで、重心位置は大きく変化するようには思われない。つまりエンジン重量の増加のために、18度もの後退角をつけて重心より後方の翼面積を増大させる必要があるように思われない。更に奇妙なのは最初はエンジン外翼の部分だけ後退角をつけていたのだが、すぐに内翼の前方に翼面積を増やしている。

 これだとせっかく後退翼で主翼を後方に移動したのに、その効果が幾分かでもキャンセルされてしまうはずである。もし後退角が大きすぎたために調整するのなら、後退角を減らせばいいだけである。この矛盾についての説明をした記事を見たことがない。確かに設計者自身が後退翼としたことは僥倖であった、と語っている(世界の傑作機・No.2・文林堂、P20)のだそうだから、定説は間違いだとも断言できない。

 しかし前述のような理由で釈然とはしない。18度程度の後退角では効果は少ない、とも言われる。しかし最近の亜音速機では、この程度の後退角の設計も稀ではないのである。また、僥倖だ、と言ったのは結果的に後退角の効果があったと判断したから言ったのである。当時ドイツ航空界では、後退翼の効果はよく知られていた。しかし、後退翼が大きいと、当時では、予測不明な色々なリスクの可能性を伴う。

 初のジェット機を実用化するためには、リスクの少ない、比較的浅い後退翼で試してみたのではなかろうか、と思うのである。勝手な想像だが、エンジンの重心調整云々は、後退翼を採用してみたいために、別な言い訳を発注者に言ってみたのかもしれない。誰か小生の疑問に明快に答えていただければ幸甚です。


○米国が尖閣を日本領と明言しない訳

 保守の人たちでも、米国が尖閣を日米安保の対象となると明言したことに安堵し、日本の領土であるとは言を左右にして言わないことに疑問を呈しない。日本に一方的に肩入れせず、中国が尖閣を自国領と主張していることに対してのバランスを取るのは、米国の政治家としては当然であると認めている様である。だがこれは、実におかしなことである。例えば九州が中国領である、と主張した時にアメリカは同様に日本領と明言しないとしたらどうか、と考えればそのおかしさが明瞭になる。

 一国が独立国と国際法上認められるかどうかは、どれだけ多数の国が独立国として承認する、すなわち外交関係を樹立しているかどうかにかかっている。同様に独立国として日本を認めている米国は、日本の一部の領域が領土が日本に帰属していることを明確に承認しているのであれば、第三国がそこを自国領と主張した場合、米国は日本領と明言するのは当然であり日本へのサービス過剰などではない。

 明言しないとすれば、米国は領土問題が係争中であるから、中立の立場をとり、当事国同士の解決に委ねるということを表明したことになる。つまり、オバマ大統領らの米政府首脳が、尖閣は日米安保条約の対象となる、と明言したことと、矛盾していると考えるのが普通である。

 ところが、ことはそう簡単ではない。安保条約では「日本国の施政の下にある領域」において武力攻撃にあった場合に日米は共同防衛にあたる、と言っているのであって「日本の領土」とは言っていないのである。施政権とは何か。司法、立法、行政を行う権利であって、領有権とは全く同一ではない。領有権のある領域には施政権はあるが、その逆は必ずしも成り立たない。尖閣は沖縄の一部である。しかも、沖縄返還協定で日本に返還されたのは「施政権」であって「領土」ではない

 従って、日米安保が尖閣に適用される、ということと、日本の領有権を認めてはいないと言うことは矛盾しないのである。しからば、返還前の沖縄はどういう立場にあったのか。沖縄にはアメリカの国内法が適用されていた。だから車は右側通行であった。しかし、沖縄の住民には、アメリカの参政権はなかった。大統領を選ぶこともできなかったのである。

 これに似た立場にあるのが現在のプエルトリコである。プエルトリコは米西戦争でスペインからアメリカ領になった。沖縄同様、自治権はあるが米国での参政権はないが米国の領土である。これを植民地という。しからば沖縄は、アメリカ領であったのか。「正義の国」アメリカは、第二次大戦で領土の獲得はしないと宣言した。従って、沖縄はアメリカ領になってはおらず、領有権の内施政権だけ奪ったのである。そうなら領土主権すなわち、領有権の内施政権だけがアメリカに奪われたから、その残りの領土主権の一部は依然として日本にあったということになるが、これもそう単純ではない。

アメリカは日本から台湾を奪ったが、日本が日清戦争で割譲を受けたことを理由に、領有権を中華民国に与えた。アメリカは日本から沖縄の領有権全部を取り上げて、アメリカ自身は施政権だけ受けとり、領有権全体は宙ぶらりんにした、と言いうるのである。そうでなければ、日米安保が「日本国の領土」にではなく、わざわざ「日本国の施政の下にある領域」と限定したことの説明ができない。通常、施政権と領有権は違わないものとして混同されている。現に沖縄返還も「領土返還」と騒がれた。日米安保は、日本には領有権全体を持たず、施政権しか持たない領域もあることを明示したのである。このように沖縄の領有権をアメリカが不明瞭にした理由を、故意に日本と中国の外交関係を不安定にしておこうという意図がある、という説がある。しかし、その明確な証拠はない。だが、現実に日本が中国に付け込まれる余地を作っているのも事実である。



○ウクライナはフィンランドを見習え

 フィンランド化という言葉がある。議会制民主主義と資本主義を維持しながら、ソ連の強い影響下に置かされるようになった悲惨な結果を言う。一般的には、ソ連に屈従させられたことを揶揄する、褒められる言葉ではない。だが私にはそうは思えない

 ソ連はレニングラード防衛に必要だ、という屁理屈をこねて、フィンランド領の一部割譲を要求した。ところが、小国フィンランドは敢然として大国ソ連と戦ったのである。このとき英米は何の支援もせず、ソ連の侵略を黙過し、フィンランドは孤軍戦わざるを得なかった。その結果、結局は領土の10分の1を奪われた。第二次大戦が始まると、失地回復を目指してドイツ側につき、ソ連と戦った。兵器は、軍用機だけを見ても、ドイツ製、イタリア製、フランス製、英国製など、世界中のものをなりふり構わず買って使っている。

 あげくは、ソ連製軍用機も捕獲してフィンランド空軍の国籍標識を付けて使っている。ちなみに当時のフィンランド空軍の標識はかのハーケンクロイツである。 結局は、枢軸国の敗戦により、国土の一部は奪われたままで、国は協定でソ連の影響下に置かれたが、東欧諸国のように共産化することはなかった。フィンランドとバルト3国の違いをみれば、いかによく闘うことが最低限国の独立を維持するために必要だと言うことが分かる。

 バルト三国は、ソ連の圧迫やソ連軍の侵攻を受け、反ソ議員の立候補を禁止した、やらせ選挙により、人民議会が成立し、昭和15年7月21日議会は、ソ連邦への編入を願うことを議決した。何とこのように同日に三国で同じ経過で同じことが行われたのである。インターネットのウィキペディアでも各種の本でも、ソ連の侵略により脅しの下に議決されたことは現在では書かれている。

 ところがソ連華やかなりし頃の日本の有名な百科事典には、議会が各々の国で自主的な議決によりソ連邦編入を申請したと平然と書いてある。昔、ある図書館でこれを調べて、3国が同日にソ連への編入を申請したと書かれてあるのに衝撃を受けた。知性も教養もある百科事典の編集者は、この恐ろしい「偶然」に何の疑問も持たなかったのである。一方で日本の満洲侵略の傀儡政権のと書くのに、である。自虐史観の人たちは、バルト三国が一斉に侵略をされたことに憤りを感じることのないメンタリティーを、いまだに持ち続けている。

 こんな話を続けているのは、ウクライナ情勢を言いたかったのである。ウクライナの紛争で親ロシア系住民というのは誤解を招く言葉である。実態はほとんどがロシア系ウクライナ人であるから、ロシア政府に呼応してロシア編入を求めるのは当然である。クリミアはきまぐれによってウクライナに譲渡されるまでは、ソ連邦ロシア共和国に支配されていたから、元々ロシア系住民が多かったのであろう。だが、東部は、ソ連が併合してからロシア系住民を送り込んで増えたのであろう。このことはウィグルやチベットでも同じことが言える。ウクライナに対する野心は、ウクライナが農業でも工業でも旧ソ連の最高の地域だからである。

 ウクライナ東部には、ソ連の特殊部隊が送り込まれてロシア系住民を扇動して政府と戦っている。この見え見えの情勢に、米国は早くも軍事オプションの放棄を宣言して、経済制裁にとどめているが効果はあるまい。しかし、情勢はソ連侵略時のフィンランドよりましであろう。孤軍奮闘したフィンランドに比べ、まだウクライナは、西側の支持を受けている。

 ウクライナがクリミアを失うだけですむか、東部を、あるいは独立そのものを維持することができるか否かは、フィンランド自身の決意にある。決意とは外でもない。西側の直接的軍事支援なしで自国だけで戦うことである。ベトナム戦争が示すようにせめて軍事物資の援助さえあり、国民が戦う気持ちがあれば、ロシアを撃退できる。アフガニスタンさえソ連を駆逐した。日本の評論家は天然ガスや経済問題を重視する。だが経済問題を考えていたら、アフガニスタンやベトナムはソ連や米国に勝てなかった。貧しいベトナムは戦後ソ連への武器援助の多額の借金のために、多数の国民をソ連で奴隷労働に等しいことをさせて返済した。平和にどっぷり使った日本人は、侵略の撃退と経済問題とを天秤にかけている。世界の監視下にあるだけ、ウクライナはフィンランドより有利な地位にある。要は国民が武器を取る決意があるかである。


異質ではないロシア

 26年3月27の正論で木村汎氏が「『異質のロシア』研究を再興せよ」と論じていた。ソ連崩壊後のロシアは、民主主義と市場経済を目指し、われわれと変わらぬ普通の国になるから、もはや真剣にロシアを研究する必要はないと言う世界的な風潮が続いた。しかしクリミア併合にみられるようにこの見解は間違っていたことが証明された、というのだ。

 そもそも、民主主義と市場経済を目指し、われわれと変わらぬ普通の国、という概念が世界に共通してある、といのが幻想である。小生は、同じ民族がある国家の主力をなしている場合には、外見上別な政治経済体制をとろうと、民族が入れ替わらない限り国家に本質に急激な変化はないと考えている。

 ましてクリミア併合ごときで、やはりロシアの本質は変わっていない、と驚く必要はない。戦前は世界中でそんなことは当たり前に行われていたのであるし、戦後もその残滓は大いにある。例えばハワイはアメリカ人を多数送り込まれ、独立宣言して女王を退位させたうえで、米国に「併合を求めた」ことになっている。民主主義と市場経済がある普通の国であるはずの米国が明治維新後に行ったことである。その後の米国の政治的変化といえば、黒人に公民権が与えられたことくらいで何も変わっていないのである。

 ソ連に至っては、バルト三国に「お願いされて」の併合や、フィンランド領の強奪など枚挙にいとまがない。中共は戦後チベットやウイグルなどを侵略したが、改革開放で市場経済となったが対外侵略性に何の変わりもない。中共が市場経済を取り入れ、外国資本を入れれば徐々に民主化して侵略性も薄れると楽観したが何の変わりもないではないか。


ワシントン軍縮条約とロンドン軍縮条約

 両条約に関し、戦後流布されている説はこうである。両条約で日本は希望の対米七割を得ずに、対米六割で抑えられた。しかし、現実には日本の建艦能力に比べ、米国の方が遥かに勝るから、この比率は問題ではなく、対米六割で妥協しようと、それだけの数を充足できない。妥協したのは対米協調の所産であり賢明であった。条約を締結せず、無制限の建艦競争になったら、日本の財政は破綻していたであろう。条約に賛成したいわゆる条約派は国際協調派で、反対した艦隊派は軍国主義者である、と。そしてその神輿に乗って海軍軍縮条約反対を唱えた東郷元帥は、時代錯誤であるというものである。

 これは原則論からして、既に破綻している。同じ主権国家同士が軍縮を話しあう場合、経済規模に合わせて比率を決めると言うことは、主権の大小を認めることであり、国家主権の対等の原則を認めていないことになる。実は日本側は経済規模で決めたつもりでも、米英はそうではない。覇権の権利が米英より日本の方が小さいと考えているのである。いずれにしても、国家主権の対等の原則を認めていないことに変わりはない。

 また、この説は実際の環境や米国の意図を無視した抽象論でもある。軍縮条約を持ちだしたのは米国である。それならば、その意図を考えなければなるまい。検討には二冊の本が参考になる。西尾幹二氏の「GHQ焚書図書開封6」と岡田幹彦氏の「東郷平八郎」である。ワシントン軍縮条約は極東の特に支那の問題を9カ国での討議とセットで行われたのだから、軍縮条約の意図は九カ国条約の内容にある。ワシントン会議で締結された、九カ国条約の眼目は

①支那の独立と主権の保持の尊重

②支那における各国の機会均等と門戸開放

である。

 西尾氏によれば、支那大陸にある程度の権益を保有している日英仏に対して、全く進出の余地がなかった米国が、俺にも分け前をよこせ、と主張したのである。その証拠に米国は「支那解放決議案」として、それまでの各国の条約の特権を廃止した上で、機械均等を認めよ、という提案をしたが、他の国に反対されて成立しなかった。門戸開放や機会均等と言えば聞こえがいいが、実際には支那を守るものではなく、単に米国も分捕りたい、というものである。そもそも多くの国がある国に進出することについて話し合う、ということ自体が、その国の主権を全く尊重していない。

 外交の相互主義の原則から言えば、支那も残りの国に機会均等や門戸開放を主張できるはずなのである。それと併せて軍縮条約を結ぶのは、太平洋を越えて海軍力で支那に進出するための邪魔者、すなわち日本を抑え込もうというのがアメリカの意図である。

 岡田氏によれば、ロンドン条約で実質的に軍縮したのは日本であり、アメリカは軍拡の結果をもたらした(P233)というのである。大型巡洋艦は、日本は対米6割とされたが、その結果の保有量は現有8隻プラス、ほとんど完成状態にある4隻に等しいから、条約がある限り新規建造はできない。

 反対にアメリカに許された保有量は、現有保有量の9倍となる。アメリカにも建造中のものが幾隻かあったが着工したばかりで完成率は低い。小型巡洋艦も同様である。駆逐艦だけが日米とも削減となる。しかし、日本の駆逐艦は第一次大戦後に作られた新鋭艦がほとんどだから、これらの新鋭艦を削減することになる。アメリカは第一次大戦中に作られた旧式艦がほとんどであり、多く見える現有保有量も戦時体制の過大な量である。

 だから、これらの不用なボロ船を廃棄して、平時体制に必要な制限枠で新造できるのである。つまり米国は無駄をなくすというおまけまでついている、と言うのであ。これらを閲するに、なおさら平時であることを考えれば、無制限の建艦競争に巻き込まれて日本経済が破綻する、などということは杞憂である。まして条約反対の急先鋒であった東郷は対米6割ではなく、7割を守れ、というのだから、これが実現したところで巡洋艦はわずかな建造量が認められ、駆逐艦は廃棄量が僅かに減る、ということに過ぎず、経済的負担は少ない。恐らく、米国がワシントン条約に続き、ロンドン条約を締結したのは、このままでは日米の補助艦艇兵力の比率が日本に有利になっていってしまうことを考慮したタイミングで行ったものであろう。米国はあくまでも狡猾なのである。

 砲雷撃戦主体の当時の海戦に置いては、ほぼ単純に艦艇の数量の差が勝敗を分けるものであったと、誰かの文章を読んだことがある。典型的なものがその時までの最大の海戦である、ジュトランド沖海戦である。呉の海軍兵学校のツアーだったと思うが、元海上自衛官の解説では、砲数等のデータ比較を詳細にするとバルチック艦隊より連合艦隊の方がかなり優勢だったから勝って不思議はない、ということであった。圧倒的に完勝したのは秋山真之の述懐通り天佑だったのではあるが。

 米国が軍縮に海軍兵力にしぼったのは、日本海海戦での日本の圧勝への恐怖の他、戦車も航空機も未発達な時代であり、整備に時間がかかる艦艇に軍縮の的を絞ったのであろう。指揮官さえいれば歩兵は戦時には急速動員可能なのである。このように考えて行くと、ワシントン条約やロンドン条約に対する現在の日本で流布している通説は、怪しいものである。



カタカナ英語よりろくでもないもの


 昔から、国語の文章中に、カタカナ英語が増えていることを憂うる声は多いし、正論なのであろう。だが小生には、それ以上気になる傾向がある。会社などの名前を本来の漢字や仮名ではなく、わざわざローマ字表記することである。

 一番驚いたのは「MAMOR」という雑誌である。本屋にはミリタリーのコーナーにあったし、表紙を見れば軍事関係の雑誌であることは一見して分かる。よく見ると「防衛省編集協力」とあり、自衛隊の紹介をしている雑誌である。本のタイトルは「守る」なのである。

 にもかかわらず編集関係者は、日本語表記ではだめでアルファベット表記にしなければ読者を惹きつけない、と考えたのであろう。日本の国防を考える本が、ローマ字表記風のタイトルになっている。これほどの皮肉はないと思うのである。この感覚は、アメリカ人が漢字をデザインした服をファッショナブルだとして着ているのとは、異なる。服に描かれた漢字は文字表記ではなく、模様に近いのである。これに対して「MAMOR」は「守る」の文字表記なのである。

 対欧米戦争に負けた傷はこれほどに深く心に浸透しているとしか思われない。明治期に後に文部大臣となった森有礼が日本語を配して英語を国語化しようと提案していたのとも次元が違う。森は西欧との文明のギャップに驚き、追いつくために動転して錯乱した提案をしたのであるし、これに追従するものもいなかった。これに対し、日本語標記のローマ字化は、カッコイイものとして一般化していて反発する話は聞かない、根が深いものである。



○景気は変動する

 景気は変動する、この簡単な真理を政治家も経済学者も積極的には肯んじないのは、いかにも不思議である。もちろん、正面きって景気は変動しない、という人はいない。しかし、いつでも好景気を望み、適切な経済対策があれば常に好景気であり、不況は防止できるかのように言うのである。

景気の変動は力学にたとえれば一種の振動現象である。バネに吊るされた錘に様々な上下方向の変動する外力が加わると、上下方向に振動する。これが振動現象である。外力の変動が無くならない限り振動は止まらない。小生は景気とは振動現象のように、好況と不況の間で常に変動するものであると考えるのである。

 外力とは、需給関係や投資、経済政策等の景気に関係するもので、無数にあると言ってよい。これらの無数の外力は常に変化している。だから景気は上下するのである。そのことは実際に、好況と不況が交互に来ていることで証明されている。だが、例えば政治家も経済人も消費税の増税をすれば景気が後退する、などと批判する。

 だが景気は様々な要因による振動現象である以上、どんなに適切な経済政策を行っても、変動は避けられない。常に好景気であるということはあり得ない。景気が好況から不況に転じたとき、適切な経済対策を行っても、景気の落ち込みの幅を小さくできるのに過ぎず好景気に転ずるということは考えられない。

 バブルの頃を思い出してみるがいい。土地価格や株価はいつまでも上がるかのように、経済評論家は煽った。景気が振動現象だとすればそんなことはあり得ないことは初手から決まっているのに、である。税収が増えて余った挙句、ふるさと創生などと称して、全国の全ての自治体に一億円づつばらまいた。国債の残高を少しでも減らす絶好のチャンスだったのに愚かな事をしたものである。一方野党は景気を維持するために減税せよと言った。景気が悪い時も減税せよと言ったから、常に減税せよと、大衆に迎合しているのに過ぎない。

バブル崩壊後は反対に景気判断については極端に慎重になって、「好景気」あるいは「好況」と言うことを言わず「景気回復」という奇妙な言葉を使った。バブルの後も好景気はあった。平成14年頃から数年は好景気が続いた。しかも戦後、最長期間好景気が続いたのである。しかし、新聞やテレビのニュースで使われた文字は「いざなぎ景気を超える長期間の景気回復」という奇妙なものであった。



GHQの深謀遠慮

 かの「吾輩は猫である」、にこんなエピソードがある。手元に本が置なく、記憶で書いているから正確ではない。ある人が金の儲け方を教えてやるといった。6〇〇円人に貸したとする。そして返済期限が来ても一遍に返さなくてもいい、と言ってやるのだ。月に10円づつ返してくれと言う。すると、1年で120円返すから、5年で完済となる。

 しかし、借りた人は毎月毎月金を持っていくのが習慣になって、金を持って行かないと不安になって、5年を過ぎても金を持ってくるように来るようになってしまうから、5年過ぎると儲かる、というわけである。あまりに馬鹿馬鹿しいので、多分ほとんどの読者は、記憶に残っている人は少ないと思う。しかし小生は現実にこんなことはないにしても、習慣が理性の判断を曲げる恐ろしさを表わした挿話だと思い忘れられなかった。

 借りた人は初めの頃は、借りたものの義務として仕方なく返しに行ったのである。しかし永年の習慣が続くと、仕方なく、ではなく、返すことが当然の義務と感じるようになってしまったのである。これに符合する事実は世の中にいくらでもある。

 別冊冊正論に、桶谷英昭氏がNHKのラジオ番組録音で、大東亜戦争、と語ったらその後、大東亜戦争はまずいから、大平洋戦争と言ってくれと言われたというエピソードがあった。理由はNHKでは大東亜戦争は禁句である、と言うのだ。氏が拒否すると「大東亜」の所をカットして放送されたというのである。

 GHQは大東亜戦争を大平洋戦争にせよと、検閲を指示した。NHKの職員とて当たり前だと思っていた大東亜戦争を使うのを「仕方なく」止めて、大平洋戦争と言わされていたのである。しかし、長い間検閲が続くと、検閲が解除されて自由になっても、大平洋戦争、と言う言葉を使わなければならない、という当然の義務感になっていたのである。

 600円の借金の儲け話は単なる笑い話ではなく、人間の一面の心理をついたものなのである。もちろん、大東亜戦争が使えなくなったのは、こんな単純な話ではなく、多くの複雑な要素もあろう。しかし、原因の一部を構成しているのは間違いはない。ちなみにマスコミにも関係なく、戦後の教育も受けず、歴史に興味もなかった父母は、死ぬまで当たり前のごとく、大東亜戦争と言っていた。



北朝鮮のクーデター

 平成25年12月14日の産経新聞報道によれば、13日金正恩第一書記の叔父で後見人とされた前国防副委員長の張成沢氏が処刑された。報道によれば、国の破局が拡大しているにもかかわらず、現政権が何も対策できないため、クーデターを計画していたことを本人が認めたとされる。指導者の金書記は若く経験もないため、就任後、核実験強行や朝鮮戦争の休戦を白紙にすると言ったり、常軌を逸した動きを繰り返している、という。今回の事件もあたかもその一環であるかのようにみているのだ。

 小生にはこの筋書きがどうしても納得できない。そもそも、金書記本人が処刑や一連の動きを発想し指示する権力を持っていたとは思われないのだ。あの若さでいきなり権力中枢の頂点に立って行動できている、と考えるのが余りにも不自然である。結論から言うと、北朝鮮の政権は金書記を飾りにして、実質は張氏をトップとするグループが仕切っていたのである。張氏は経済立て直しのため、軍が持つ鉱山開発の「外貨利権」などを剥奪したり、中露に経済特区や港湾の使用権を売るなどした、とされている。

 つまりこれらの張氏の「改革」に反対する者たちが集まって、張氏をトップとする政権中枢を排除した、クーデターであったのだ。いみじくも張氏の罪状を「クーデターを企てた」としているのがそのことを物語っている。政権の実質的トップである張グループにクーデター計画が洩れたら逆に粛清される。だから突然張氏を拘束し、特別軍事裁判をして翌日に処刑するという迅速な行動が必要であったのである。

 金書記が飾り物でなく政策を仕切っていたとしたら、排除すべき人物には金書記本人も含まれていたあったはずである。そうでなかったからこそ、後見人の張氏グループが失脚しても金書記はトップでいられるし、「改革」は張氏グループの排除だけで阻止できるのである。要するに全体主義国家にありがちな権力闘争に張氏は負けたのである。


専守防衛とは本土決戦である

 現代日本の防衛戦略は専守防衛であるという。専守防衛とは何であろうか。敵と考えられる軍艦が領海に侵入して、明らかに射撃の照準が行われても自衛隊は攻撃しない。自衛隊は敵艦が発砲してからでないと反撃できないのである。こんな状況では上陸地点確保のための支援射撃も容易にできるから、敵軍の上陸は容易である。航空攻撃に対しても同様である。敵の攻撃機が爆撃や対地ミサイルを発射しない限り戦闘機は攻撃しないのである。これでは本当の戦闘は敵軍が上陸してから始まることになる。

 大東亜戦争末期に、沖縄まで奪われた日本軍は本土決戦を呼号した。米軍の上陸地点は九州南部と関東平野であると予測され、米軍の計画とも大きな食い違いはなかったと言われる。本土決戦は、上陸前に一応の攻撃はするが、決定的戦闘は敵が上陸してからを想定している。相当な被害は与えても上陸はされると想定して、本格的戦闘は上陸後に始まるのである。

 つまり専守防衛とは本土決戦に他ならないのである。むしろ上陸前の反撃は最低限度しか許されないから、本土防衛を徹底的に純化したのが本土防衛である。本土防衛をシミュレーションした小説はいくつも書かれている。それらに共通しているのは民間人を巻き込んだ凄惨な戦闘になる、ということである。民間人の死者は一千万、二千万人とも予測されている。例え国際法を厳守して民間人が戦闘に参加しないとしても、戦域と居住地の区分はほとんどできないから、民間人に大量に被害が出ることは間違いないのである。

 政府が敵のミサイル基地を先制攻撃することを許容するような発言をすると、マスコミや政治家は専守防衛を盾に批判する。だがこの人たちは、日本軍が本土決戦を計画したことを強く批判していた人たちと重なるのである。彼らはそのことに矛盾を感じないのであろうか。

 いやそんなことは百も承知である。日本が海外に侵略しない限り、日本には戦争は起こらないという妄想に深く囚われているのである。専守防衛を止めて外国からの攻撃が予測されたときに先制攻撃をすると、日本の侵略になるというのである。それどころか、外国が日本攻撃の準備をするということさえないと考えているのであろう。だから専守防衛による凄惨な本土決戦は起きないと考えているのである。

 確かに戦後日本は直接戦闘をしたことはない。だが朝鮮戦争でもベトナム戦争でも戦争特需に沸いていた。軍需物資を売ってもうけていたからである。これは明白な中立違反である。国内の自衛隊や日本の船舶、領土を北ベトナムや北朝鮮が攻撃をすることは国際法上の正当な権利である。ただ両国とも現実的にはできなかっただけのことである。日本は国際法上の戦争には参加していたのである。

 また李承晩ラインによって竹島を奪われた。領土も侵略されたのだ。しかも多数の国民が北朝鮮に拉致されている。憲法擁護論者は、憲法九条があったから日本は戦争に巻き込まれずに、侵略もされなかった、と主張する。だが現実は戦争には参加していたし、領土も国民も侵略されていたのである。



なぜGHQの掌で踊る。

 皇族が減るというので、女性の宮家を創設するという提案がなされている。本来ならば理不尽にもGHQが勝手に臣籍降下させた宮家を復活すればいい話である。それなのに、臣籍降下した皇族は復帰できないと言う、皇室典範を盾にして反対している。そもそもGHQは皇室典範を無視して皇室弱体策を行ったのである。憲法にしても、GHQが理不尽にも他国の憲法を変えてしまったのだから、主権を回復したとき日本国憲法を破棄して帝国憲法に戻ればいいだけの話なのだ。帝国憲法が不磨の大典となって欠点が露呈しているのなら必要な部分を改正すればいいのである。

 尊敬する保守の論客たる中西輝政教授ですら、日本国憲法は長い間施行されていたので、日本は建国以来体制の連続性が切れたことが無いから、たとえ米国製でも日本国憲法の改正と言う手続きでいい、と言う。そうだろうか。日本は歴史上初めて他国の支配を受け、国家改造までされた。日本の歴史の連続性は途切れたのである。

 GHQの言論統制は、米軍による原爆投下を批判すること、日本国憲法を批判すること、など数々の禁止事項を指示した。ようやくこれらを批判する言論が増えて来ているが、政治を変えるに至っていない。日本の大勢はGHQの指示に未だに従っている。日本はGHQの指示から逸脱しないことを大前提としてもがいているのだ。孫悟空の如くGHQの掌で踊っているのだ。


米軍が記録したガダルカナルの戦い・平塚柾緒編著・草思社


 ここでは標記の本をきっかけに書いた意見で、書評ではありません。ただこの本は一読の価値有り、とだけ言っておきましょう。

 主として米軍が撮影したガダルカナル島攻防戦の写真を中心に、戦闘経過や日本軍兵士の回想記で構成したものである。あとがきで述べられているように、日本軍の情報軽視、戦力の逐次投入や戦術の拙劣さが失敗の原因である、というのは事実であろう。

 しかし根本的な作戦の欠陥にはほとんど触れられていない。それは補給の問題である。米軍は何の障害もなく、兵員や多量の物資や武器弾薬を運んでいるのに、日本軍はわずかな物資や武器弾薬を運ぶのに駆逐艦や潜水艦と言った効率の悪い物で運ばざるを得なかった。この差の原因のほとんどは日本海軍の作戦の拙劣さにある。

 日本海軍は劣勢であったのではない。この時期に生起した海戦ではほとんどが日本海軍の方が艦隊は優勢であったのである。皮肉な事に、珍しく劣勢であったルンガ沖夜戦とコロンガンバラ島沖夜戦と言う小規模な艦隊の衝突では日本海軍が圧倒的に勝っている。日本海軍は優勢な勢力を有しながら、輸送船団の保護もできなかったのである。

 補給路が日本の方に不利だった訳でもない。米軍の補給はほとんどがハワイからである。日本側より近い訳ではない。例えば原爆を運んで撃沈された重巡インディアナポリスは、サンフランシスコから真珠湾に行き、そこからテニアン島に直行している。日本海軍の駆逐艦は機銃以外に対空能力はないから、航空攻撃に対して輸送船を護る能力はない。潜水艦に返り討ちにされる位だから、対潜能力もお寒い限りである。海軍は第一次大戦に参戦し、船団護衛が主任務であった。にもかかわらず、船団護衛という考え方は皆無に等しかった。

 駆逐艦を輸送任務に使ったのは、速力と運動性能が輸送船よりはるかに高かったからである。船団護衛はできなかったが、自ら荷物を積んで逃げ回ることはできないことはないと考えたのである。疑問なのは補給阻止に潜水艦を使った形跡がないことである。防空能力に隔絶した差があったから、米軍の輸送を航空攻撃で阻止できなかったにしても、潜水艦ならまだそれほどの差がなかったから不可能ではなかったのである。結局日本海軍には補給、という考え方がなかったのである。日本の潜水艦は米西海岸を空襲砲撃できるほどの長大な航続力を持っている。ハワイへのあるいはハワイから戦場への補給路を断つ能力は充分にあった。

 航空機による艦船攻撃に固執したのは山本大将その人であった。イ号作戦なるもので片道千キロも零戦と一式陸攻を飛ばして、ベテラン搭乗員を消耗し尽くして僅かな戦果しか挙げずに満足したのである。山本はハワイ・マレー沖海戦の少数の犠牲と多大な戦果から類推して、多大なこ戦果を得たと、根拠なく自負した。山本は情の人であるが、情がかけられたのは、取り巻きの連合艦隊幹部にだけである。千キロ飛んで15分しか空戦てきないパイロットたちには一片の情もかけなかった。何せ搭乗員が血みどろでプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを攻撃している最中に、戦果に連合艦隊幹部とビールを賭けて遊んでいたのである。ユーモアとブラックジョークで知られる米軍指揮官ですら、こんな馬鹿な事はしない。戦闘中の指揮官のなすべきは、刻々と入る交戦情報から打つべき手を指示することではなかったか。

 最終的に日本軍は三万の兵士を送り込んでいる。それで勝てなかったのは、兵力の逐次投入と言う拙劣さ以上に、補給が皆無に等しかったと言うことにあると考えざるを得ない。米軍とて、ガダルカナル攻防戦での戦死は6,842人であった。日本陸軍の戦没者は21,138人であった。日本軍の多くが餓死病死だったのだから、この最悪の条件下で日本軍は戦闘で圧倒的に負けていたのではない。もし応分の補給ありせば、と考えるゆえんである。



習近平とは

 習近平がいわゆる太子党、共産党幹部の子弟であることはよく知られている。ウィキペディアを調べたら、父は習仲勲というそうである。「毛沢東・大躍進秘録」と言う元新華社通信の記者の著書を見て驚いた。この本には大躍進と言われた毛沢東時代の、引用するのさえおぞましい凄惨な記述がどの頁を開いても出てくるものである。壮大なでたらめ-利水工事(P397)と題する記述がある。3000kmの水路を作り、ダムを二つ、発電所を数十か所建設し、二〇余の件が肥沃な土地に生まれ変わるというのだ。ずさんな計画で膨大な金と人員を投入し工事は三年で中止された。一九五八年の秋に国務院秘書長の習仲勲が現場を訪れて、この工事は世界的な意義を持つとか、共産主義の未来を見せてくれたとか演説したと言うのだ。つまり習近平の父は、文化大革命以前からの筋金入りの毛沢東の子分である。習近平は、就任してからさかんに毛沢東を礼賛している。それは党の引き締めを狙ったとか論評されているが、そればかりではない。毛沢東を礼賛することは、父をも擁護する保身でもあるのだから、習近平の言動にようやく納得できた。

 ところで、先の毛沢東と言う本だが、前述のように、凄惨な記述に満ちている。それをいちいち紹介すると大変な事になるのでほんの一部だけ紹介する。続発する粛清とリンチ(P48)という項には人民公社での非道な行為が書かれている。

「全公社には公社、大隊、小隊あわせて一五一〇人の幹部がいたが、うち、幹部総数の41.5%に当たる六二八人が人を殴った。殴られた者は三五二八人・・・におよび、その場で殴り殺された者五五八人、殴られた後で死んだ者六三六人、障害が残った者一四一人、死に追いやられた者一四人、逃げ出した者四三人である。拳で殴る、足で蹴る、凍えさせる、飢えさせる以外にも、冷水を頭から浴びせる、髪の毛を引き抜く、耳を切り取る、竹串で掌を突き刺す、松葉で葉を磨かせる、火のついた炭を口に押し込む、乳房に熱いコテを押し当てる、陰毛を引き抜く、膣に棒を突っ込む、生きながら埋めるなど、数十に及ぶ残忍きわまる体罰が行われた。」

 「前代未聞の残虐性」(P428)と言う項には「・・・食料隠匿反対運動、窃盗反対運動で行われた刑罰は以下のようなものである。手の指を切る、口を縫い合わせる、耳や踵に針金を通す、布を巻いて油を注ぎ逆さに吊るして火をつける、地面に売った杭に両手の親指を縛りその杭に楔を打ち込む、手足を一つに縛り顔を下向けき背を上向きにする、髪をつかんで地面を引きずる、赤く焼いた火ばさみを口につっこむ、銃殺する、生き埋めにする、など前代未聞の残虐さであった。」湄潬県でこれらの反対運動は一九六〇年一月に行われ、死者は一三二四人に達したと言う。全国ではなくひとつの県のほんの一時期の犠牲者がこの数に上るのだ。そして犠牲者の死体は人民公社の裏の巨大な穴に捨てられたが、人々はこれを「万人坑」と呼んだ。

 これらは「人民」が生きんがための努力をしたために処罰されたのだ。これらの行為を見て欲しい。中国で日本軍が行ったとする残虐行為に酷似している。つまり中国人は自分たちならして当たり前の行為を日本軍に投影して嘘をついているのだ。また、虐殺された死体の処置場所が万人坑と自然に呼ばれていることにも注意してほしい。中国人は万人坑をも日本軍を批難するネタに使っているがこれも彼ら自身が「人民に」行ったことなのだ。

 人肉食行為の報告はざらである。「多くの農民は追い詰められ、肉親を顧みることなく家族は離散、子供は遺棄され、死体は道端に捨てられた、李立からの呉芝圃への報告によると、全公社で三八一人が飢えのあまり、一三四の死体から肉を切り取り、家に持ち帰って食べたという。(P50)」「人が人を食うのは別に珍しいことじゃなかった。おれだって食ったことがある。・・・「肉を食えよ」と隊長が言った。「何の肉だ」と聞くと「死んだ豚の肉だ」と言う。・・・「こりゃ豚の肉じゃない」とおれが言うと、「誰かが畑にあった死体から削ぎ取ってきた肉だと言った(ここで筆者を乗せてきた運転手が口をはさみ、人の肉はうまいか、と聞いた。すごくうまい、柔らかいんだ、と余文海は答えた)。」(P60)

「信陽五里店村の十四、五歳の女の子が、四歳くらいの弟を殺して煮て食べた。両親が餓死したため、子供二人だけが残され、飢餓に耐えかねて弟を食べたのである。」(P62)

 P62には「人肉食は日常茶飯に」という項がある。そこには死体の肉を牛肉として打ったのがばれて撲殺された男、墓地に遺体を掘りに出かけたもの同士がはち合わせて喧嘩になり片方が殺して食べたのがばれて刀で殺された者、自分の六歳の子供を絞め殺して食べ、別の人の二歳の子供も殺して食べた三八歳の中農の男が逮捕されて獄死した事件などが書かれている。

 ここまで引用したのは人肉食の記述の全てではない。それどころか至る所に人肉食について書かれているからきりがないのである。そして残虐行為の記述も精読して探したのではなく、パラパラ思いつきで本をめくって簡単に見つけたものである。つまりこの程度の事はそこいらじゅうに書かれている。そこで小生は精読するのを諦めた次第である。精読したら恐ろしさで気味が悪く神経が耐えがたい。中国人はこのようなおぞましい社会を作る人たちなのである。

 そしてこれらの行為をした人たちは処罰もされていないし、現在でも反省も何も行われていない。それどころかトップの習近平はこの時代を作った毛沢東を礼賛している。中国シンパのある日本人大学教授は最近でも文化大革命は権力闘争ではない、と肯定的に評価している。人間の目と言うのは、まともな理性があっても曇るとどうにもならなくなるものである。

 毛沢東の王侯生活(P487)には「毛沢東は肉断ちをしたか」というのは傑作なエピソードである。一九八〇年代の中国の本では、大躍進の飢餓の時代に庶民と苦楽を共にするために肉を三年間食べなかったと書かれている。筆者も若い頃はこれに感動したのだそうだ。ところが「毛沢東遺物事典」の一九六一年四月の項に書かれている西洋料理のメニューは次のようなものだそうだ。

「蒸し魚のプディング、桂魚(スズキ科の美味な淡水魚。ケツギョ)のステーキ、桂魚の揚もの、モスクワ風焼き魚、チーズ味の焼き魚、ポーランド風煮魚、エビフライ・・」なるほど肉はない。しかしこれが豪華な食事でなくて何であろう。公式記録でもこれである。実は毛沢東は豚肉はコレステロールが高い、というので医師が牛や羊の肉を食べるよう勧めていたと言う。そして一九六一年四月二八日にコックや従業員が作った西洋料理の献立には、牛や羊の肉を使った料理が十数種、西洋風スープが一六、七種類書かれている(P489)。要するに牛肉以外なら何でも食べていたのである。多くの人民が飢餓で人肉を食らっていた時期にである。しかも高コレステロールだったのである。筆者が「王侯生活」と書いたのは憎悪であろう。

 ちなみに中国では、インターネットの使用禁止用語が発表された。その中には「習近平」もあるそうな。



漢文を中国語とは何事か

 平成25年のNHKの歴史教養番組の「歴史ヒストリア」の「空海からの贈りもの」でとんでもないことが堂々と語られている。空海の手紙を見せ、ナレーターの渡辺あゆみさんが、空海の手紙について「漢字ばかりが書かれていますね」と言った後、何と「当時の日本人は自分の気持ちを中国語に翻訳して書いていた」というのだ。さらに「この頃の書き言葉、中国語は結局は外国語、日本人の心の世界をうまく書き表わすことはできなかった。」という。 その後空海が発明した象形文字による「益田池碑銘」を紹介して空海が自由な表現を求めて漢字を換骨奪胎したもので、これがひらがなの発明につながった、という学者の言葉を紹介している。さすがにこの学者は漢文のこと中国語だとは言わない。

 渡辺あゆみさんは漢文という言葉を知らないのだろうか(´Д`)中国史などの研究で著名な岡田英弘氏は「この厄介な国中国」で漢文は中国語ではない、と断ずる。もちろん「漢文とは、中国語の古典ではない」のである。漢文は古代中国語の文字表記ではないのだ。だから源氏物語は現代日本人には難しくても読む手掛かりはあるが、現代中国人にとって漢文は発音することはできても、意味は皆目分からないと言う。それどころか漢文には文法もなければ、動詞や名詞と言った品詞もない表記であるというのだ。要するに漢文とは表音文字を使った、おそろしく原始的な表現方法である。しかも現代中国人が「温故知新」という論語を読んでも広東語の母語の人と北京語を母語にする人では発音が異なる、という奇妙なことになる。

文字は漢字のように表意文字から始まる。ものの形をまねて文字にするのが一番作りやすいからである。しかし、それでは音声による言語を文字に書き写すことは不可能だから次第に表音文字に進化してもっぱら音を表わすようになる。アルファベットしかり、ひらがなしかりである。ところが漢字は、古いものは絶対に正しく変えてはならないという尚古主義の伝統が災いして表音を墨守したために、実際に使われている言語を表記する手段に進化することができなかったのである。

 だから漢字は言いたいことを正確に表現する手段としては極めて不適切な文字である。そこで漢文の古典には必ず意味を解説した注釈というものが必要である。清朝では膨大な四書五経などの漢文の古典を満洲文字で書かれた満洲語に翻訳した。満洲文字はモンゴル文字から生まれた漢字とは関係のない文字である。現代の西洋人は漢文の古典を研究するために死滅したに等しいと言われる満洲語を習う人たちがいるという。満洲文字で書かれた四書五経は漢字では書かれていない解釈を加えて翻訳しているから普通の言語として読むことができるのである。昔の支那では漢文の注釈も漢文で書くしかないから難解で理解できないのである。

空海が漢文では日本人の心の世界をうまく表わせなかったのは、漢文が表現手段としては実に原始的で、心の機微を表現することなど、漢文を書いた中国人にすらできなかったのであって、漢文が「外国語」だからではない。私は漢文の事を中国語と言ったのを聞いたのは生まれて初めてである。渡辺あゆみさんは知性も教養もないお馬鹿な人ではなかろう。その人が大真面目に漢文のことを中国語だと言うのだから世も末である。

 ところで
、私は佐世保の自衛隊の展示館で、旧海軍の出征兵士の遺書を見たことがある。そのいくつかは漢字だけで書かれている。ところが漢文の素養がない私にもすらすら読める。不思議に思って後で考えたら、それは漢文書き下し調のものから、仮名を抜いたものだったのである。日本語の語順だから助詞を適当に補ってやれば理解できたのである。その時はなんとインチキな漢文だ、と思ったのだが、岡田氏の説明を聞いて間違いだと納得した。漢文が表意文字による情報伝達手段に過ぎず、文法がないとすれば、佐世保で見た漢文は見事にその機能を果たしている。漢字の正統な使用方法なのである。


日本人だけが知らない・世界から絶賛される日本・黄文雄・徳間書店

 これは書評ではなく、メモランダムである。神風特別攻撃隊について紹介した1項がある。そこには

 「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、戦わずして亡国にゆだねるは身も心も民族の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦わずとも祖国護持の精神が残り、われらの子孫はかならず再起三起するであろう」

 永野修身軍令部総長が昭和十六年九月十六日の御前会議で述べた言葉として紹介されている。この言葉が御前会議で述べられたものかどうか小生には確証はなく、言葉も微妙に相違したものが世間には流布されている。曰く「戦うも亡国、戦わざるも亡国、戦わずして滅びるのは真の亡国である」という核心の部分に変化はない。

 これは政府および陸海軍幹部の共通した認識であった。決して強大な米国の国力を見誤り、無謀な戦争に突入したのではなかったのはこの言葉が証明している。日本は日露戦争と同様に国家の存亡をかけて戦争に突入していたのであって、昭和の日本人は愚かなのではなかった。だから国民は体当たり攻撃という異常な事態の発表があった時、必死に耐えたのである。

 一人だけ夜郎自大であった人物がいる。山本五十六である。陸上攻撃機などの海軍航空戦力が充実すると、航空機による主力艦攻撃によって米艦隊を暫減すれば艦隊決戦で勝利して、米国と有利に講和できることが出来ると考えた。そして真珠湾攻撃が成功すると欣喜雀躍して、開戦時の大本営の決定を破って戦線を拡大していった。補給さえおぼつかないミッドウェー攻略を強引に進め大敗した。ミッドウェー攻略は楽勝だなどと愛人に漏らしていたというのだから、守秘もくそもない。ミッドウェーの敗北にショックを受けると、ラバウルで単調で意味のない航空線を延々と続けて戦力を消耗し尽くした上に自殺してしまった。

 草柳大蔵の「特攻の思想」の新聞記者の大西瀧治郎へのインタビューを紹介している。新聞記者が「神風まで出して、はたして敗戦を挽回できるかどうか」と質問すると

 「会津藩が敗れたとき、白虎隊が出たではないか、一つの藩が最後でもそうだ。いまや日本が滅びるかどうかの瀬戸際にきている。この戦争は勝てぬかもしれぬ」

 「それなら、なおさら特攻を出すのは疑問でしょう」

 「まあ、待て、ここで青年が起たなければ、日本は滅びますよ。しかし青年たちが困難に殉じていかに戦ったかという歴史を記憶する限り、日本と日本人は滅びないのですよ」

 この会話を如何に感じるかは皆さんの問題である。特攻の父とされる大西瀧治郎は毀誉褒貶の多い個性的な人物である。だが決して非合理的な精神の持ち主ではない。渡洋爆撃で九六陸攻が戦闘機の迎撃で大きな被害を受けたことから、一式陸攻の開発に際して航続距離を減じてもいいから、燃料タンクの防弾をせよと、最も強硬に主張したのはほかならぬ大西瀧治郎であった。ちなみに一式陸攻の初期型には全く防弾装備がなかったと言うのは間違いで、不完全ながらインテグラルタンクには防弾用ゴムが使われている(一式陸攻・・学習研究社)。世間に流布された常識とは当てにならないものである。


デフレは止められない
 いつものように常識に挑戦しよう。第二次安部内閣が成立して、デフレ克服を行うと宣言している。果たして可能かどうか、小生は疑問を持たざるを得ない。テレビを見ても、口を開けばデフレの克服と経済成長を言う。ところが、同じテレビがいかに安く生産するかの努力を誉める番組や、安くて美味いという店の紹介をしている。サラリーマンは安い昼食の店を探し、主婦は安い店を探しまわっている。そもそも国民は現実の場に行くと安いものを探しているのだ。旅行だって安いパック旅行が出回っているし、格安航空が増えている。街頭インタビューを見ても、経済政策についてはデフレの克服と経済成長を語るのに、同じ人物が安売り店を探すのである。

 デフレ対策をするには、デフレの原因が分からなければならない。デフレと明確に言われるようになったのは、バブル崩壊以後のことであろう。戦後日本は高度経済成長を続けた。それは欧米の経済力に追いつくためのものであった。しかし、日本の経済は欧米を追い越した、と言われるようになった。同時に東京の物価は世界一高い、と言われるようになった。賃金の水準も世界一になったのである。

 平成の初め、アメリカに出張に行った人がわざわざゴルフクラブやカメラを買ってきた。同じものが日本の半値で買えるのだそうである。そして外国人労働者の単純労働への参入を求める声が財界から上がった。建前は国際貢献などと言っていたが、本音は日本人は給料が高過ぎて使えないから、安く使えるアジア系の外国人を使いたいのである。派遣をアウトソーシングなどといって安く使うことが当然となった。

 発展途上国との賃金格差、物価の格差が圧倒的になった。特に中国が改革開放で外国の投資を受け入れたから、賃金格差が目に見えるようになった。中国が鎖国状態であった時代は、それが見えなかった。突然近くに巨大な賃金安の国家が出現したのである。東南アジアに比べ近いから輸送費も安い。こうして周辺諸国との賃金格差と物価の差が明瞭になれば当然デフレ圧力は強まる。同じ商品なら安い方がいい。しかし中国が鎖国していて、それが実現できないうちは、国内の高い労働力で高いものを買うしかなかったのである。

 30年前我が家で初めて買ったビデオは20万円を超えた。今ではそれ以上の性能のHDDプレーヤーが10分の1で買える。給料は何倍にもなったのに、である。白物家電も同様である。外食店ですら、安い外国人店員でコスト削減をしている。そのくせ日本人の正規雇用の賃金は上がる。労働組合が強いからである。だから急速に派遣が普及した。要するに賃金上昇の埋め合わせである。30年前ならは非正規雇用と言えばパートかバイトである。これらは、必ずしも生活に絶対必要な賃金を得る目的ではなく、時間があるから、とか小遣いがほしいから、というケースも多い。少なくとも派遣がほぼ全員生活のために絶対必要な賃金を得るためであるのとは事情が同じではない。

 長々と書いたが要するに日本は物価も給料の水準も世界平均から隔絶して高いのである。アメリカでさえ日本に比べれば格差社会だから、安い賃金で安い生活英暮らす人たちがいる。つまり国内で低賃金の労働力を得ることができるのである。日本は元々格差の少ない社会であったのが、戦後益々格差が減った。今の日本が格差社会だと言っている人たちは、世界の水準と比較しないのである。地方に行っても物価はたいして安いわけではない。それどころか、ペットボトルのお茶のようなものは都会ならとんでもなく安いものが買えるが、地方に行けばそうはいかないところも多い。安売りはなく、定価でしか売らないのである。地方で暮らしても安い生活費で暮らすわけにはいかない。確かに土地は安い。しかし、一軒家を建てるとすれば建築費はさほど安くはない。

 つまり日本は世界水準との格差を埋めるために、デフレになっているのである。この格差が一定以下にならない限りデフレ圧力は無くならない。それならば、誰かが言うようにお金を大量に刷って人工的に物価を上げたとしよう。大量にお金を刷っても同時に給料が上がるわけではない。すると少なくとも今よりは生活は苦しくなる。最初に困るのは低所得者層である。そして給料を上げれば、輸出は減る。従って国内産業は外国に移転して生産しなければならない。雇用は減少する。こんな悪循環に陥るしかないのである。

 今の日本で考えなければならないのは、経済成長を金額ベースで考えることを放棄することである。例えば、円高になれば相対的に経済成長をしている、ということを考えるべきなのではなかろうか。また、生活水準が向上したことをもって経済成長したと見る考え方は自然であろう。例えばバブル崩壊前は、携帯はなかった。パソコンも職場ですらまれであった。今では、職場では各人一人、家庭でもパソコンは当たり前で、インターネットも常識になった。フリーターと称していてもパソコンや携帯は持っている。

 他にもバブル前になかったものがあるようになり、あるいは劣っていたものの質が向上した例はいくらでもある。物質的には豊かになったと考えるべきである。経済成長は精神的な豊かさとは関係がないから、物質的により豊かになれば経済成長したと考えるべきである。つまりデフレでも経済成長している、ということは言いうるのである。世界の多くの国々の人々と比べて、平均的には日本人は「物質的には」豊かな生活をしているのは事実である。そう思わない日本人は、日本人だけ眺めて「俺よりもっといい暮らしをしているやつがいる」と思って、日本人はまだ豊かな生活をしていない、と言っているだけである。



日本農業異見


 私の田舎は父の代まで専業農家だった。父は長男が県庁勤めするとまもなく亡くなったから、それからは母が細々と続けてきたが老いてからは止めた。その母も3年前に亡くなったから誰も農業はしていない。その間広かった田畑は次々と売ってしまって、僅かな田圃が残っているだけである。今も稲作をしてあるところは自前ではなく人に貸して作ってもらっているだけである。残りは休耕田となっているから形式的には兼業農家である。だから減反奨励金を受け取っているのであろう。

 祖父は耕運機が発売されるといち早く買った。母が大変だから、と言った。祖父は寡黙で朴訥だったがやさしかった。その代わり馬が売られて行った。夜、白熱電球を煌々と点けて最後の飼葉を食べさせてからトラックに乗せられた。その時の潤んだような大きな馬の目は悲しい想いと共に忘れ得ない。母は農家の生まれの癖に体が弱く、農繁期を過ぎると必ず一週間ほど寝込んだ。祖父はそんな母を気遣ったのである。

 祖父が耕運機を買ったのは、収入を増やすのではなく、楽をするためであった。農業機械があるからと言って、農業規模が増えなければ収入は増えない。農業機械を買う経費だけ収益は悪化するのである。その上に農業機械は1台が年間に数日しか稼働しない。そして当時の耕運機などは、3年もすればガタガタになって買い替えた。農業機械や肥料を買うのはもっぱら農協を通してである。米は農協が全部買いあげてくれる。こうして儲かったのは農協だけである。近くの農地がいつの間にか農協に買われて運動場のような広場がある農協の出先ができた。太ったのは農協だけである。

一級上の近所の女の子が高校を卒業して農協に入った。その子が親に連れられて夕方、農協貯金に入って下さいと我が家を訪れた。こうして多くの農家の子弟は農協に採用されて兼業農家になった。高価な農業機械を買って、子弟を教育するためには現金がいる。こうして多くの農家が兼業農家になっていった。農協は農家の上に君臨している。TPP参加の問題が起きると多くの農家が反対した、と言うのは正確ではない。テレビをよく見て欲しい。TPP反対の先頭に立っているのは、JA全中すなわち全国農業協同組合中央会である。

TPPに参加すれば、日本の農業は合理化しなければ立ちいかなくなる。合理化のためには、農協の独占的利益によって効率が悪くなっている日本農業を改革しなければならなくなる。多くの中小規模兼業農家は独立して経営する能力が無いから、農協に頼らざるを得ない。その状況を打破しなければ農業の活性化は成らない。現在農地を取得できるのは農家だけである。株式会社が農地を取得して農業が出来るようにすれば、会社にとって農協は不要である。そうすると農協は崩壊する。農協は子弟を雇っている事や農協に頼る農家をまとめて、政治活動を行い自民党の農水族議員を育てた。農水族議員は米価の逆ザヤや、補助金等を農家に垂れ流し、農業の効率化を阻止した。旧来の農業をしていて済むから改良努力をしないのである。農協が農業技術の改良をしているのはもちろんである。しかしそれは既存の農家の枠内であり、逆ザヤや補助金を前提としたものである。

TPPに参加したら日本の農業は崩壊する、と言う。しかし我が実家の現況を見るとわかるが、日本の農業の多くは既に産業と言える状態ではなく、崩壊している。産業の体をなしているように見えるのは、多くの税金が農家と農協につぎ込まれているからである。日本の工業が興隆したのは保護によってではなく、自由貿易によってであった。繊維の自由化によって崩壊したはずの繊維産業は、化粧品ばかりではない、最新の旅客機を作る高強度炭素繊維を開発してよみがえった。日本の農業の再生は農地の利用を農家に限定するのではなく、株式会社に開放することである。じいちゃんばあちゃんの三ちゃん農業に技術開発、品種改良や営業活動ができようはずがない

農協はその点は農協がやっている、と言う。そこも盲点である。自分で生産をする会社ならば技術開発、品種改良や営業活動は死活問題である。農協はあくまでも農家とは別個の組織である。だから農協にとっては死活問題ではない。産業は顧客のニーズが育てる。そのニーズに農協は第三者としてしか関係できないのである。そこに効率の悪さがあるし切実さもない。しかも農水族に頼ると言う一見、一番楽で効率的な方法がある。しかも農協は特権的地位を利用して観光など本来の任務以外に肥大してしまっている。今や農協の目的は農家の育成ではなく、農協組織の維持である。農協は戦後農地解放によってできた中小農家の育成の時代には大きな役割を果たした。しかし既にその役割は終わったのである。

我が家の新しい墓地は、遥か遠くにできたので皆車で行かなければならない。母が死ぬ直前に、あそこも家の田圃だったといった。それほど広大な地主だった我が家が落ちぶれたのは戦後の農地解放によってではない。病気がちだった曾祖父の治療費のために土地を切り売りして、分家に土地を貸すと居住権でむしり取られ、戦前に既にようやく専業農家がやれる程度に落ちぶれたと聞いた。かつては地元の豪族であった痕跡はわずかに戦国時代の古文書と槍の穂先位しか残っていない。刀もあるが、祖父が鉈代わりにするために半分に折った上に切っ先を成形したので見る影もない。侍だったはずの我が家の心は、長いうちに農民となっていた。

その農民の子弟の小生がTPPに参加すべきだと言う。ショック療法でしか農業の再生はないと思うのである。


○何故日本の景観は雑多になったのか

 書評でも論じるから重複するが、東郷和彦氏は「戦後日本が失ったもの」と言う著書で、ヨーロッパの街並みに比べ日本の風景は特に戦後醜く雑多になった事を長々と論じている。そして雑多な町並みは全国同じような風景でかつてのような地域による個性が無いとも言う。同書でも紹介しているように、幕末に日本を訪れた欧米人は日本の街並みの美しさに感動したというのは複数の文献から証明できる。東郷氏は今日の雑多で醜くなった日本の街並みを作ったのは昔と同じDNAを持った日本人とは思われないと言う。ここまでは反論の余地が無いように思われるし、このことは定説と化している。

 私は「同じ日本人が」と言うところに実は疑問を持った。同じ日本人が違う事をしているのではなく、同じ事をしているのではないか。それはメンタリティーが変化する原因が見当たらないからである。だから江戸期の日本の街並みが綺麗にそろっていて整然としていたのは、メンタリティーに起因しているのではないのではないか、と考えるしかない。考えられる一つの原因は、テクノロジーが低かったからである。似たような材料で似たような低い技術でしか作ることができなかったのである。メンタリティーの問題でも現代ヨーロッパのように法律などで景観を統一したのでもなく、似たようなものしか作れなかったと考えるのが最も自然である。

 人々は皆が等しく、地元産の素材を使い受け継いだ同じ技術で営々と街並みを作っていった。だから質素で統一的な景観が出来るのである。その上幕末明治の欧米人の紀行文に書かれているように、不潔できたない支那や朝鮮と異なり、日本人は清潔好きで清掃も行きとどいていて綺麗である。もうひとつは、各藩が独立していて交流が少ないから自然とその地域の材料を使った独特の技術を養ったから、地方ごとに統一された独自の景観が養われて行った。地域ごとに個性的な建築ができるよう地域の景観の個性がはぐくまれていったのは、実に藩の間の交流が禁止されていたという、現代ではありえない条件に支えられていたのである。さらに寺社と違い木造の、安価で居住を条件とする家屋が技術的に高層にできようはずがないから高さも統一される。高層建築は寺社が稀に作るものだから一種のランドマークになる。こうして西洋人が感動する街並みが出来た。


 ところが貧しかった戦前と異なり豊かになって行った日本は欧米の技術を用いた建築を庶民まで安価に作ることが出来るようになっていったのである。元々景観を守ると言う発想で景観を統一したのではなかったから、西欧の技術で安価に多種の建築ができるようになってくるとそれを積極的に導入した。元々日本人は外国のテクノロジーに対する好奇心が強い。そして戦後はとみに建築業者の大手が全国で大量に安価な建物を供給すると、雑多ではあるが、どこの地域の街並みも同じような地域の個性がない建物ができると、地域の景観の個性がなくなった。東郷氏が言うように「公」としての日本が何かということが、我々のDNAから欠落してしまった(P128)という事ではなかろうと思う。江戸時代の日本人が「公」の意識から景観を統一したという証明は東郷氏もしていない

 景観無視のコンクリートの護岸も同様である。戦後治水や下水道のために町中の河川がコンクリートで安価に整備することができるようになった。景観よりも機能の充実が喫緊の課題であった。それらが充実して満たされると、必然的に景観の重視を求めることができるゆとりができると、醜いが安価で当座の機能を満たしたコンクリートの護岸が果たした役割が忘れられて、非難の的になっていったのである。正に衣食足りて礼節を知る、であった。醜い電柱と電線も同様である。電線を地中に埋めるよりも電柱を使う方が安価であり、急速に増える戦後の電化需要を満たすには電柱も仕方なかったのである。電化の普及が終わると、張り巡らされた電線の醜さに気付くゆとりが生まれ、電線の地中化の事業が始まったのだがタイミングが遅すぎた。公共事業削減のあおりを受けて、機能上問題が少なく景観にも良い電線地中化の事業は細々と続けるしかなくなって現在に至っているのである。


 一方で東郷氏が言うように、確かに欧米の建築は長持ちして家主が変わっても建物は変わらない。日本の木造建築は法隆寺などのように歴史的建造物はともかく、木造では庶民レベルで長持ちするものを作るものは無理だったのである。庶民とはかけ離れているが伊勢神宮がわずか20年で立て替えるのに象徴されるように古来建物は立て替えるものだ、と言うのが今も続く日本人の意識なのであろう。現に住居を頻繁に立て替える、というのは東郷氏が景観を称賛する江戸時代もそうであった。江戸市中は火事が多いため、焼けて立て替えることを前提としている。個人住宅で白河郷のように長期間持つ建築というのは例外なのであろう。小生には検証するすべがないが、江戸時代の白川郷の茅葺屋根の木造住宅が何百年ももつとは考えられない。近年になってあのような木造建築は、現代ではコストから立て替えが困難になって、立て替えのインターバルが長くなったのではなかろうか。白河郷の人たちにしても、観光のために我慢しているのであって、当座の生活を重視すれば安普請の現代建築に住みたいのであろう。

 私は醜く雑多で地域の個性のない現代日本の街並みを改善すべきである、という主張に反対しているのではない。その原因が日本人の考え方が変わったことにあるのではない、と言いたいだけである。その改善には法律で強制するのではなく、人々が受け入れることができる適切な動機付けが必要であろう、と言うことである。現に東郷氏が小樽の例を挙げて、小樽のレトロには生活の香りがなく観光のための努力の跡だと述べている(P111)のは私の言わんとすることと同じだと言うことは理解していただけると思う。さらに小樽の運河がオランダの運河に比べてなにかしっくりこなかったのは、運河が街全体の生活の中に溶け込んでいなかったからだろう、と述べているのも私の意見と同様である。観光のために無理やり法律で過去の景観を保全しても、運河が現実に使われると言う必要性で存在しているオランダの自然さにはかなわないのである。


○政党無用論

 元々民主党は政党の体を成していない、と言ってもいい。寄り合い所帯もいいところで、政権を獲りたい、という点しか共通点はなかったのである。しかし自民党にしても、震災問題や増税について、党利党略にしか利用していないありさまである。個人の忠誠心や信念、といった日本人の根本にかかわる理念が多くの人たちに共有されていた、という点では戦前の方が余程ましだったと言える。しかし、それでも当時の政党も党利党略に走っていた事には変わりはない。例えば野党の政友会はロンドン軍縮条約締結の際に統帥権干犯と批判して政権奪回を図った。本心は軍縮しなければ財政破綻の恐れありと考えていたのに、政局に利用するために反対したのである。

満洲における条約上の約束を破り続ける中華民国に対して、幣原外交の政党政府は融和策に出るだけで無策であった。中西輝政教授が条約を守るまで保障占領するのは国際法上の権利であると言ったがその通りで、何も謀略的に満洲事変を起こして国際的非難を浴びることはなかったのである。しかし政治家にはそのような当たり前の知恵がなかった。それもこれも政党政治の無為無策に起因したものであって、関東軍としては軍事力行使しか使える方法はなかった。

もし満洲事変がない上に、ブロック経済が日本の貿易を阻んだ現実が続いたら、日本は疲弊して米英ソに対抗する軍事力を保有できず、日本自身が米国の支那大陸進出のための植民地となり、満洲はソ連領、大陸本部は米英仏に分割されていたであろう。我々は有色人種も独立国家を持てるのが当然の現代にいるから、当時の欧米ソ連の世界覇権の恐ろしさが見えないのである。そして有色人種も独立国家を持てるのが当然である時代を招いたのは大東亜戦争である、というのは事実であって夜郎自大ではない。

民主党が政権交代を実現しようとしたとき、多くの評論家が二大政党政治の実現への期待を表明した。しかし、戦前でも日本は立憲政友会と憲政党の二大政党政治は実現していた。それにもかかわらず、二大政党はうまく機能しなかった。そのことを反省しようとしない原因は分かる。GHQの焚書坑儒による教育と洗脳により、全ての戦前の失敗を軍部の特に陸軍の責任に帰したからである。いや大東亜戦争は失敗ではない。有色人種が独立国を持てるのが当たり前の世界を招来したという世界史的観点から失敗ではない。それを失敗だと思い込まされているのである。日本は戦争目的を達した。しかし失敗は、その後にある。唯々諾々と連合国に思想改造されたことにある。

日本人が連合国によって植えつけられた思想は、大陸侵略の意図を持った陸軍がテロなどで右翼と組んで政党政治を消滅させた結果、対米戦に突入して滅んだ、と概括すれば良いだろう。だがこの考え方は本末転倒しているのだ。支那の革命外交によって大陸の権益が失われようとしている時、政党は政権獲得のための政局に狂奔していた。統帥権干犯という言葉は右翼が発明したが、有名になったのは前述のように、政権欲しさに憲政党批判に政友会が利用したからである。

外交など国際問題に適切な判断力を持っていたのは政党ではなく陸軍であった。もちろん海軍などは埒外である。東京裁判で文民政治家すら処刑されたのに、海軍軍人出身者がただの一人も起訴さえされなかったのは、日本海軍の首脳が連合国に都合のいい存在であったことを示唆している。政策だけではない。実質的戦果のない真珠湾攻撃で米国に開戦の正義を与え、その後は野放図に戦線を拡大し、まずい戦闘で負け続けてくれたのである。

日本の国際的課題の基本は支那大陸との関係であった。日露戦争で得た、満洲鉄道とそれを護るための関東軍の存在がそれであった。元々が東亜の大部分は欧米の植民地であった上に、不況でブロック経済化する世界情勢の中で唯一日本が期待できるのが満洲であった。マッカーサーが証言したように、満洲を失う事は、日本経済の壊滅を意味した。世界は現在のような自由貿易の世界ではなかったからである。だから当時の新聞に満蒙は日本の生命線、という活字が躍ったのは正鵠を得ていた。

日本陸軍が永田鉄山や石原莞爾といった戦略家を生んだのは、陸軍が満洲駐屯を通じて国際政治の何たるかを身に着けざるを得なかったからである。それにひきかえ、プロの政治家たちは政争に明け暮れ、条約交渉すら政局にして国内政治と化し、選挙の勝利を得るための方便にしていただけであった。国際政治については欧米にも支那にも協調外交しか能が無かった。この点は現代日本の政治家と酷似している。勉強の場が無い者にはその方面の知識も判断力もないのは当然である。東京裁判史観に呪縛されて国際関係や軍事について自由な思考ができない分だけ、現在の政治家の方が劣化しているとさえ言える。

 外交や軍事に関しては、戦前の政党政治でもうまく機能していなかったのである。それでは何故、米英ではうまくいっているのであろうか。根本的には現在でも世界の覇権を握るのが欧米諸国だからである。もうひとつはエリートの育成という点が重要である。だがこの点についてここでは触れない。

近代日本史から分かるのは、危機が迫っているが緊急事態に至るまでは政党政治は政権欲しさに危機に対応する能力がなく、危機に直面すると日本人は政党政治を放棄したという事実である。危機をも前提とした米欧の議会制民主主義が、危機に至ると忽然と独裁制度に移行して、平時になると元に復帰することができるシステムを持っていることである。第二次大戦のチャーチルとルーズベルトの支配は事実上の独裁であって、選挙が独裁への移行への支持の手続きであった。チャーチルは英国崩壊の危機を独裁で支えたが故に、危機が去ると遠慮なく選挙民に放擲された。ルーズベルトは三期も勤めて戦争中に任期途中死ぬまで政権を離すことはなかった。

日本の政党政治に必要なのは、議会制度を維持しながらも非常時には統帥を行う独裁となり、平時には独裁を止めるシステムを作ることである。戦前の日本は、議会を解散して大政翼賛会を創設した。これもひとつの知恵であろう。現在の日本の状態を日清日露の戦争直前の危機に例える輩は多い。しかし、全世界に有色人種の独立国がほとんどなく、白人支配の世界であった戦前と現代とでは基本的状況が違う。日本の危機はGHQや共産主義に洗脳されてまともな歴史観を持てない、日本人自身が作っている。議会制民主主義や政党政治は方便であって目的ではないことを知るべきである。

○農協異見

 現代日本は利権社会である。その典型が農協である。農協は、農地解放によって小規模自作農が増えたために、その農業指導を行うためにできた組織のはずである。たがら適切な化学肥料を選択して販売する、精米などをして買い上げる等々である。自作農となった小規模農家は、いわば個人経営で組織力が無いから、このような支援が必要なのである。

 町工場などの自営業とはどうちがうか。町工場は技術と経営力を持つ個人が自立したものである。農作業を行う能力があると言うだけで、農地解放によって経営能力も技術もあるものもないものも自動的に経営者になったのである。そのなかから経営者になれる能力のあるものは少ないだろう。町工場だって経営者になれるものは少なく、大多数は工員として働くから、このことは農業従事者の資質が低いことを意味しない。

 しかし農家の世帯主は、農業経営に向こうが向くまいが、農作業に向こうが向くまいが、農業経営と農作業に従事しなければならない。工場経営者は適性が無ければ倒産するし、工員も全く適さないものは止めて行くだろう。農地解放当時の農家には適性の選択、ということはなかったのである。私の父も専業農家をしていたが、農業機械の取り扱いが下手でよく事故を起こしていた。

 しかし戦前の農業と異なり、農地解放後の農家は徐々に経営が立ちいかなくなってきた。農業収入で生活できず、父も母も農閑期には近隣の建設業や工場でアルバイトをしていた。では戦後なぜこのような変化が現れたのか。私の体験的に分かるのは、現金収入の必要性である。教育が普及し、家電製品等が普及した。この結果現金の必要性が戦前に比べ飛躍的に増加した。相対的にはそれまでの農家は自給自足に等しかったのである。小作のうちで米を作り野菜を作り、それを消費していれば済んでいたに等しい。

 私は高校に入るとき通学用自転車を買ってもらった。信じられないだろうが、中古だったのに、半額は現金ではなく、米と野菜をリヤカーに積んで自転車屋に持って行かされた体験がある。私の家は当時は既に没落していたとはいえ、田圃だけで2町歩以上ある、近所に比べ決して小規模農家ではなかったのである。現金収入の必要性が増えると生産ばかりではなく、販売のノウハウも必要となってくる。このようにして大規模組織化した農協が全国の小規模自作農を支援してきた。その功績は大である。絶大である、と言ってもいい。

 しかし問題はそれからである。小規模自作農は絶対的に効率が悪い。小規模農家が現金を獲得するには、米を高額で販売するのがもっとも簡単である。野菜や花などの方が効率がいいのだが、経営に工夫がいる。それに比べ昔と変わらず単純に米を作って農協に引き取ってもらえば経営的努力が必要ではない。サラリーマンの収入が上がれば、それに匹敵した暮らしをするには米の価格を上げなければならない。しかし工業製品が大量生産によって、給料に比較して相対的な価格が低下させて大量販売によって収益を挙げることができるのに反して、経営規模が変化しない小規模農家の米は経営努力によって大量生産して安い価格で大量販売して利益を挙げることができる可能性が少ない。

 それどころか戦前は無きに等しかった農業機械の普及によって経費は上がるばかりである。たとえ狭いとは言え、手作業による田植えや稲刈りの大変さは並大抵ではない。テレビで子供たちの田植えの体験報道では楽しそうだが、ある程度の面積の田植えの作業の大変さは実際にやってみなければ分からない。だから田植え機が出れば飛びついて二度と手上には戻れない。ところがこうした農業機械は年間数日しか使わない効率が悪いものである。

 だから農業機械等の経費と農家に必要な現金収入から算定される米の生産価格と市場で決まる実勢の販売価格との差が生じる。工業製品の多くは大量生産による価格低下があっても大量販売で利益を上げるか、付加価値を高めて利益を上げることができる。逆に言えばそうすることを工業経営者は求められている。本来は農業もそうなのである。ところが小規模農家の米の生産に関してはその余地が少なく、そのような経営努力をする能力のある者は少ない。これを解消するために考えられたのが、いわゆる逆ザヤの補てんである。

 しかし農家にはそのような事を実行する政治力はない。そこで登場するのが農協である。政党は政党で票が欲しいから、農協に農家の票のとりまとめを依頼して逆ザヤや各種の農業補助金の立法を実現する。こうして農政族政治家、農協、農家のトライアングルが出来上がった。政治家は農協に政治家でいられる保証を受けているのだし、農家は農協によってしか団結することはできないから、トライアングルで最も強いのは農協である。農協は農業以外にも金融や観光など業種を拡大して膨れ上がった。職員には農家出身の子弟を優先的に雇うから、農家は益々農協に依存する。

 大昔近所の農家の女子が高校を出て農協に就職した。ある夜その子が母親と共に来て、農協貯金の勧誘に来た。このようにして農家は農協に取りこまれて行ったのである。農協は正確には各地に分立しているから、全国ひとつの統一組織ではない。しかしこれは独占禁止法逃れの建前に過ぎない。全国農協中央会によって実質は全国統一組織である。巨大な財閥である。TPP反対などの農家がデモ行進をする際に指揮を取っているのは農協中央会である。決して農家が自主的に行っているのではないことはもちろんである。

 農協がTPPに反対するのは、農家のためではない。自立できない中小農家を擁護する事によって、農協の組織を守ろうと言うのである。現在自立して農業を行っている人たちの多くは農協に依存していないで経営努力をしている。自立できない中小兼業農家が減って、自立した大規模専業農家が増えると農協は破綻するのである。TPPによって農業部門の自由化が進むと、農協に依存した農家は保護しきれなくなる。小生がTPP参加に賛成するとすれば、農業の大規模や法人が農地を持てるようにするなどの改革をして、農業経営を効率的なものにする契機となる可能性からである。

 このような農業経営者は農協の埒外である。だから農協はTPPに反対する。農協は農家を、農業を守ると言っているが、農協に頼る既存の小規模農家は既に破たんしている。小生の実家は父の代まで専業農家であった。兄はサラリーマンで、成人してから農機具に触ったこともない。農地の一部は荒れ果て一部は別の農家に貸して稲作をしている。残りは高速道路などに売ってしまった。荒れ地は減反奨励金を受け取っているのだろう。とすれば何も農業をしていないにも拘わらず、兼業農家ということになる。


○宇垣中将の特攻

 もちろん、プラモの紹介ではない。これは800kg爆弾を搭載した、宇垣中将の特攻機の彗星四三型の模型である。尾部下面には増速用のロケットをつけてあるが、実際には使用されていない。海軍機では空冷の彗星が特攻機としてよく使われている。

 知られているように宇垣中将は玉音放送の直後に参謀たちの制止を振り切って出撃し戦死した。玉音放送以前に宇垣により出された五機出撃の命令に対して、玉音放送の直後にあえて稼働機全機11機が出撃した。全機出撃は特攻隊員が命令違反でも出撃すると宇垣に言って行われたのである。

 宇垣は後席の偵察員を降ろして搭乗しようとしたが、本人に拒否されて3人で出撃した。宇垣中将の出撃には海軍関係者からも、停戦後有為の若者を多数巻き添えにした、という批判の声が多い。俺も後から必ず行く、と言った責任を取るなら勝手に一人で自決せよ、という訳である。

 小生には宇垣と特攻隊員の心情を詮索することはできない。ただ、この出撃のエピソードは特攻隊員として散華した多くの搭乗員たちの心情を象徴しているように思えてならないのである。


○利権社会日本

 現代日本は利権社会である。ひとつの典型が農協である。農協は、農地解放によって急に小規模自作農が増えたことから、その農業指導と経営支援を行うためにできた組織である。だから適切な化学肥料を選択して販売する、精米などをして買い上げる等々をしたのである。自作農となった小規模農家は、いわば個人経営で組織力が無いから、近代農業を行うためにはこのような支援が必要なのである。

 多くの組織がそうであるように、発足当時は必要性から出発したのだが、農業が衰退する半面、農協は肥大化した。農協は健全な農家の育成から自身の組織の維持拡大が最大の目的に転化した。そのためには農協から自立した大規模経営の農家は不都合で、旧来の弱い小規模農家のままでいた方が都合が良いのである。だから農協の繁栄は農業の衰退である。戦後は、多くの組織がこのような利権集団と化していった。郵便局しかり、電電公社しかりである。しかもこの利権集団は選挙の時の集票マシーンとなることによって政党と結託し政党を利用する。

 利権集団はどんな国家にも生ずる。戦前の日本も例外ではない。これはまだ仮説であるが、戦前との違いは、戦後は利権の対象が経済に特化したことである。例えば海軍は、艦隊の充実と言う利権に特化した官僚集団であった。しかし軍人たちは経済的利益を追求したわけではなかった。軍人が互いに地位を争った形跡もないし、自己の収入を増やそうと言うのでもなかった。陸海軍が政党と結託して自己増殖に努めた形跡もない。この点も現代日本の利権集団と大きく異なる。

 戦後も旧海軍の幹部が、大東亜戦争の海軍の失策を糊塗しようとして虚言を弄するのも、この延長線上の惰性であるともいえる。既に亡くなった海軍の名誉を守ろうと言うのである。確かにそれは何らの経済的利益を目的としない純粋なものではある。戦後は国防が忌避されてきたことから、日本人の努力は経済成長に集中せざるを得なかった。従って日本の利権集団は経済的権益に集中する事になった、と言うのが私の現在の仮説である。

 これは政治も例外ではない。政治家は権力を欲するのが本質であろう。ところが日本の政治家の権力把握の目的は、経済的利益獲得のためである。例えば元首相の娘で口八丁で人気のある国会議員がいる。彼女は政策に何の定見があるわけではない。ただ演説が面白いだけである。それだけで多数の票を集めいているのはいかにも不可解であろう。謎を解く鍵は利権にある。元首相は地元に多くの会社を持ち、公共事業を分配してきた。彼女はその利権の象徴なのである。

 彼女の取り巻きにとっては、利権の配分を適切に行うに当たって、彼女は元首相の正当な後継者たる国会議員である、と言う「黄門さまの印籠」なのである。だから彼女が政治家として無能であろうが構わないのであって、せいぜい、面白いパフォーマンスができることが求められているに過ぎない。彼女は充分にその役割を果たしているから、西欧の価値基準からいえば無能な政治家であるにもかかわらず支持者が集まり当選するのである。

 アメリカマスコミによって「お馬鹿」のレッテルを張られた元首相様も同様である。何の定見もなく、せいぜい、その時限りの口当たりのいい言葉を話すだけの人間であるのにもかかわらず当選するのは、彼がある利権の象徴だからである。彼はいい年をして親から何億もの「小遣い」を貰う事ができる大財閥の御曹司だからである。日本の政治は国家国民を護るのではなく、経済利権を守るためのものになり果ててしまった。大部分の政治家の支援者と言うのは、政治家が支援者の利益のために口利きをしてくれるから支援者になっているのである。

 もちろん労働組合も経済的利権集団である。末端の組合員ですら賃上げという利益を受け取ることができる。幹部ならなおさらである。彼らが組織の維持拡大に狂奔するのは、その功績により組織内の地位が上がり、地位が上がれば報酬も増える。組合のトップは組合費を納める末端の労働者からすれば、驚くほどの高額報酬を得ている。何せ彼らには、会社や官公庁の幹部と対等に渡り合うにはそれと対等の給料をもらわなければならない、という論理がある。もちろん大多数の末端の労働者は誠実にボランティアとして働くのはもちろん、選挙の時期にはプラスアルファの組合費まで喜んで納めているのである。

 消費税が導入されたころ、当時の社会党の党首は、消費税が高いことをアピールするために、買いものをしているところをテレビで映させた。彼女が買って見せたのは、何と2万円のブラウスであったのは忘れない。現実に消費税で家計が圧迫されて困る人たちは、2万円のブラウスは間違えても買わないのである。金銭感覚が違うのである。はしなくも彼女が大金持ちで多額の組合費をいただく労働貴族であることを証明した。

 橋下大阪市長が無党派層に人気があるのは、彼が経済的利権と無関係に見えるからである。国民のうち政党に所属して支持している人たちは、結局、政党によって自身の経済的利権を保護拡大してくれていることを期待しているのである。無党派層、というのはこのような経済的利益の配分にあずかれる立場にない人に過ぎない。早い話が政党によるおこぼれにあずかることのできない人たちである。日本のあらゆる組織が経済利権集団化している限り政治はその利権を維持拡大する事が目的なのだから、無党派層は力を持ちえないし、政治は国家国防を考えるものにはならない。

 自民党の堕落は保守合同を果たして、共産勢力の支配の危機が消えた時から始まった。党是であった自主憲法制定は忘れられたばかりではなく、平和憲法擁護の自民党議員すら例外ではなくなった。共産主義勢力の危機が解消されたために、自民党のエネルギは族議員として、各分野の利権勢力の代弁者になっていった。全てではないが、国防族と言われる人たちですら、○○重工と言った国防産業の利益代弁者さえ含まれると言う具合である。真の政治改革とは、政治家をこれらの利権組織から切り離すことであるが、私にはまだその方法が分からない。

 戦前の日本は二大政党政治であったが、政権獲得に汲々とするばかりで国家国防外交に資する事はなかった。野党政友会は統帥権干犯、と唱えて与党から政権奪取するために国防すら政局に利用したのである。その歴史を閲すれば日本では二大政党政治などは幻想にすぎないのは既に証明済みである。満洲で排日と言う言葉では表現できないほどひどい暴力によって日本および日本人の利益や、生命財産が失われつつあるとき、政党政治は何の対策もせずに対中融和策を行ったために、かえって排日は悪化した。結局現地居留民と日本権益保護の義務を負わされた当事者である関東軍が立ちあがらざるを得ないはめに陥った。日本では国家存亡の危機に際して、二大政党以前に、政党政治自体が何の役にも立たなかったのは既に歴史が証明済みではないか。大政翼賛会は政党政治の終焉だと批判するのは現代の常識である。しかし事実は国家存亡に際しても権力闘争を続ける政党政治の愚にあきれ果てた日本人の最低限の知恵なのである。


栗田艦隊の謎ではない反転事件

 大東亜戦争の海戦史で必ず語られるのが、フィリピン沖海戦の「栗田艦隊謎の反転」である。空母を基幹とする小沢艦隊が囮となって米機動部隊を北方に集めている隙に、栗田艦隊がレイテ湾に突入して、米戦艦部隊と上陸部隊を撃滅する、というものである。そしてハルゼー艦隊を北方に誘う囮自体は成功した。ところが米艦上機の執拗な攻撃で武蔵などを失った栗田艦隊は、レイテ湾の目前で突入を行わず、北方の敵機動部隊を攻撃する、と称して帰投してしまったのである。

 これに対して、レイテ湾の米戦艦群は西村艦隊との夜戦で主砲弾を消耗していたから突入したら大和以下の栗田艦隊が撃沈して、上陸部隊も艦砲射撃で撃滅できたから、栗田中将は臆病風に吹かれたのだと言う説が戦後定説であったように思う。その後、レイテ湾の米艦隊の残弾数を算定して、実際にはかなり砲弾が残っていたから返り討ちになってしまうのが落ちだし、上陸は既に成されていたから、栗田艦隊は空の輸送船を砲撃出来たのに過ぎない、と言う説が出てかなり信憑性があるようである。また囮作戦の成功を栗田艦隊が受電しなかったので仕方ない、と言う説もある。肝心の栗田は戦後も生き残ったが真相を語らず、僅かに「疲れていたからだ」とだけ語ったとされている。

 最近はネットなどでも、囮が成功しようとしまいと、小沢艦隊の全滅を期した乾坤一擲の作戦なのだから、突入した後の成否に関係なく、予定通り突入を決行するのが当然である、と書かれているがその通りであろう。これ以後連合艦隊の戦艦群は呉で浮き砲台となって組織的行動は取れず日本海軍はフィリピン沖海戦で壊滅したのに等しい。それ以後の海戦と言えば僅かに、何の戦果もない大和の沖縄特攻作戦を行っただけだから、栗田が戦艦を保全して帰ったのには意味が無いのである。

 私にとって不思議なのは、北方にいる機動部隊を攻撃する、といって実質逃避したことに対する批判が少ないことである。栗田艦隊がレイテ湾突入を断念したのは、サマール沖海戦で艦隊の隊列が混乱したために米空母群の追跡を諦めて艦隊の陣形を再度整えて、再度レイテ湾に突入しようとしたところ、北方100キロほどに米機動部隊がいるという無電があったから突入を止めて機動部隊に向かった、というのである。これがどんないい加減な話かと戦史家は思わないのであろうか。サマール沖で戦った相手は、護衛空母に過ぎなかったが栗田艦隊は正規空母群すなわち機動部隊と見做していたのである。目の前にいる機動部隊から逃げ出して、いるかいないか分からない不確かな北方の機動部隊を追跡する、と言うのはどう考えても理解できる話ではない。

 栗田が陣形を立て直して、レイテ湾への突入を止めるのなら、まず現に確実にいる機動部隊の攻撃に再度向かうべきであろう。北方に機動部隊ありとの無電を発した日本軍部隊は未だに知られていない。護衛空母を救うための、あるいはレイテ湾突入を防ぐための米軍の偽電であるという説もある。果ては入電は栗田艦隊の司令部のでっちあげである、という説さえある。だが無電の真偽などはどうでもよい。北方の機動部隊を攻撃するため、ということを口実に戦場から逃げ出した、と言うことだけが確かなことである。

 ただ一言だけ日本海軍のために弁じたい。かの伊藤正徳氏は「連合艦隊の最後」においてフィリピン沖海戦について「無理の集大成であり、そして無理は通らないという道理の証明に終わった」と書いている。実に正しい評価である。しかしレイテ湾米軍上陸のあの時点で連合艦隊は他にいかなる効果的な作戦を実施すべきであったろうか。寡聞にして代替の作戦計画の提案した戦史家を小生は知らない。代替案のない批判は無意味ではなかろうかと思うのである。


○石平氏らの誠実さ
 産経新聞の平成22年11月23日に曽野綾子氏が書いている。昔の週刊朝日に歌手の加藤登紀子氏がのせた文章である。

日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる。

 というのだ。加藤氏は日本に誇りを持てないどころか嫌悪すると書いているのである。ところが加藤氏は知床旅情などの、いわゆる日本情緒のあふれた歌を歌っている。私にはここに不誠実を見る。日本にいて日本の歌を歌い、豊かさを謳歌していながら日本に嫌悪を感じている、と言うのだ。これは本心だとは思われない。何故そんなに日本が嫌なら日本にいて日本の国籍を持って日本人として生きているのか、としか言いたくなるではないか。

 加藤氏とは対照的な人物がいる。日本で言論活動で活躍している韓国系の呉善花氏と中国系の石平氏と言う二人である。二人は多年日本で日本人の立場を擁護する言論活動を繰り広げてきた。しまいには自分の出自である韓国や中国の人たちの民族性に疑問を呈するような発言に至ってしまった。これは日本を忌避する加藤氏と同様に祖国を忌避するにいたったのである。だがそこからが加藤氏とは違う。

 とうとう彼らは日本に帰化したのである。つまり日本人になったのである。それはそうであろう。まともな理性があるならば、祖国をあれだけ否定して平然とその国の人でいられようはずがない。私は必ずしも両氏と意見が一致するわけではない。しかし彼らは思想家としても人間としても真似が出来ないほど誠実なのである。翻って日本の自虐史観の人たちは、自国を否定する言動を繰り返しながら平然と日本人でいる。不誠実の極みとしか言いようがない。あるいは加藤氏のために弁じれば、週刊朝日での発言は、そのことがあたかもカッコイイようだったと思えての若気の至りでの発言であって、現在はそんな心情は持っていないのだろう。だから日本人として平気で生活しているのだろうと好意的に解釈してあげよう。


西山記者は正しかったのか?
 平成24年の3月まで、連続ドラマで山崎豊子原作の「運命の人」がTBS系で放映されていた。このドラマは有名な外務省機密漏洩事件をかなり忠実に模しているとされている。主人公の弓成記者とは実在の毎日新聞の西山記者である。外務省の機密とは、沖縄返還の際に、当時の地権者に米国が支払うはずになっていた原状回復費を日本政府が肩代わりする、という密約をかわしていたものである。確かに戦争で奪った土地を返すのに、費用は奪われた側が払うというものは世間一般の常識では理不尽なことである。

 だが現実には世界にはこのような理不尽なことで溢れている。インドネシアは第二次大戦後、婦女子も含めた40万人の命を奪われる独立戦争を戦ってオランダから独立した。なんとオランダは独立の条件として、多額の賠償金を取ったのである。オランダの植民地支配は、他の欧米食国と同様に現地人を獣扱いした過酷なもので、その結果部族の争いや土地・産業の荒廃、多数の虐殺をもたらした。取り返しのつかない荒廃をインドネシア全土にもたらしたのである。それにもかかわらず、オランダは当然の如く賠償金を取ったのである。未だにアジアのかつての植民地国は白人の宗主国の過酷な支配の過去を公然と国民に教育する事さえ恐れてしていない。一方でありもしなかった日本による占領下の被害を声高に言うのに、である。

 このことに思いを致すことができない現代日本人は何と愚かな人たちであろうか。日本はかつて中国で悪いことをしたから恨まれても仕方がない、としたり顔で言う人がいるが、現実はそうではないのである。オランダに比べれば、建前は米国が支払う、と言うのは良心的であるとすら言える。歴史を見て欲しい。かつて戦争で奪われた土地が外交交渉で還ったことを寡聞にして私は知らない。沖縄は稀有な例外である。戦前はさておき、戦後米国は自由と民主主義の国で侵略戦争は悪である、と言う建前を主張する国になったから、戦争で沖縄が米国領になったとは口が裂けても言えなかったのである。しかし実態は当時沖縄に行くにはパスポートが必要であった、紛れもない米国領だった。


 余談になるが、沖縄が交渉で還ってきたことから、多くの日本人は北方領土が交渉でかえってくるとの幻想を抱いている。断言する。ロシアが余程ひどいことにならない限り、北方領土が交渉で還ってくることはない。二島返還でさえありえない。かく考えれば西山記者の機密漏洩とは何だったのだろうか。日本政府が密約を結ぶのを拒否して沖縄返還が反故になれば良かったのだろうか。たとえ基地付きとは言え返還自体が歴史的なできごとである。西山記者はそれを妨害しかねないことをしていたのである。

 言論の自由・報道の自由を守るとドラマは言っていた。確かにそれは恐ろしく勇気のいることであり犠牲を伴うことである。だがこのケースでは何のためにそれらの自由を守ると言うのだろうか。報道の自由が守られた結果沖縄が返還されなくても良いと言うのだろうか。沖縄の人たちが米軍基地の犠牲になっている事は極めて遺憾なことである。しかし一方で沖縄の地政学的な位置の問題がある。さらに日本が米国に代わって自らを守る、あるいは東アジアの安定に寄与しようとはしない、という怠慢のせいでもある。沖縄から米軍基地を撤去して代替の軍事力を置かなければ、東アジアには大規模な動乱が起きる。

 他のドラマや映画にもあることだが、まだおかしなことはある。沖縄の人が、記者に米軍もひどかったが日本軍はもっとひどかった、と語るシーンである。実際にこう語る沖縄の人は多くいるのだろう。しかし「天王山」と言う米国人が書いた本に、沖縄における米軍の残虐行為が多数書かれている。戦時中の沖縄における強姦事件は一万件を超えていると言うのだ。投降した日本兵を殺害するのはほとんど当然のことだった。連れていた4人の沖縄女性を強姦した上に川に投げ込んで殺したと言うのもある。その他の恐ろしい残虐行為が多数書かれている。つまり米軍は人道的な軍隊などではなかったのである。何故現代の米軍兵士は小学生すら強姦する恐ろしい人たちなのに、沖縄戦当時の米軍が残虐非道な存在ではなかった、と言えるのであろうか。残虐な日本軍、と言う教育のために、日本兵は米軍よりひどかったと言い、反基地闘争のために、現代米兵はひどい、というのではないか。多くの目に監視されていた現代に比べ、やりたい放題だった沖縄戦当時の米軍の方がひどかったのは当然であろう。

 天王山には疑問のある記述もある。ふらふらしている日本兵の胸に煙草の火で合衆国海兵隊という文字を焼き付けた上に、担架で運んでいる最中にわざと落として骨折させたと言う。だがこの日本兵は女性を強姦した後に二人の子供と一緒に咽喉を切って殺したと言うのだ。これは実に奇妙なことである。担架で運ばなければならないほど怪我などで衰弱していた人が、どうして強姦などできたのであろうか。米軍の強姦事件の大半は熾烈な戦闘が行われている地域ではなく、戦闘が収まって落ち着いた場所で起きたと言うのだから。多分このエピソードを語った米兵は、遊び半分に行った残虐行為の言い訳をしたのである。この本には遊び半分としか思われないような残虐行為が多数書かれている。後に日本通で有名になったドナルドキーンですら、当時の手紙で「アメリカ人が日本人をまだ人間として評価できないからだ」と書いた位だと紹介している。日本人は米国人にとって獣であったのである。獣が人道的な扱いを受けるはずがない。
 
 この著者が自虐的日本人と違ってまともなのは、数々の米兵の残虐行為を書きながら一方的に断罪するのではなく、「武装していない住民に対する故意の残虐行為は、日本兵によるものよりはるかに少ない。」と一言だけ同胞のために弁明していることである。ただしこのことを著者はこの本では立証してはいないから勝手な自己正当化に過ぎない。米軍とソ連軍との相違はソ連軍が強姦略奪を上官までが推奨しているのに対して、米軍は公式には禁止していたのに過ぎない。ただし、この本に書かれている多数の強姦殺人、虐待などの戦時国際法に明白に違反する行為については、ただの1件でさえ処罰されたケースがあったとは書かれていない。日本軍では戦時国際法違反相当の行為について自ら処罰した例はある。日本軍の軍紀が厳正であったと言うゆえんである。

 もうひとつは記者が報道の自由を権力から守ろうとした大義についてである。彼は当時の佐藤政権に対して戦ったのである。だがそれ以前にGHQによって日本は徹底的に言論統制が敷かれていた。西山氏はその時代に育ったはずである。言論の自由が奪われたから戦争になるのを止められなかった、と言う反省から、権力の弾圧から言論の自由を守ろうとした、と語る。しかし戦後行われていた米軍による厳しい言論統制については言及さえしない。米軍は自らへの批判を許さなかったばかりではない、公職追放によって、米軍に都合の悪い人物を政界、言論界、教育界から追放して米軍が去っても事実上言論統制の効果が継続するよう仕組んだ。その結果戦前戦中の言論統制を声高に批判する人はいくらでもいるが、戦後の米軍の言論統制を批判するのは例外的である、という米国が望んだ事態が生まれた。西山記者の行為が個人として勇気のあるものだと言う事に疑問はない。しかし米軍による徹底した言論弾圧に触れさえしないことに疑問を持つのである。彼にとって戦前戦中の日本政府の弾圧は存在しても、戦後のGHQによる過酷な言論弾圧は存在しなかった如くである。ちなみに事件を起こしたのは毎日新聞の記者であったが、放送したTBSは毎日新聞の系列である。



○戦前の日本のジャーナリストでテロで殺された人はいない
 戦前は、二二六事件などのテロ事件が頻発している。そこでテロの犠牲者について奇妙な事に気付いた。テロの犠牲者を大別すれば、政治家、銀行家などの企業家、軍人と言った人たちが殺され負傷している。だがその中には新聞記者などのジャーナリストはもちろんマスコミ関係者はただの一人もいないのだ。
 朝日新聞などは現在、新聞などのマスコミは右翼や軍部から言論弾圧を受けたと主張している。元朝日新聞記者の後藤孝夫氏は「辛亥革命から満洲事変へ」と言う大著でこの事件の間に大阪朝日新聞が右翼や軍部から弾圧をうけたことについて多くの紙幅を割いている。その中に書かれている物理的被害とは

1931年頃の在郷軍人会による朝日新聞不買運動
1928年の右翼の編集局乱入騒ぎ


 これだけである。「直接行動で右翼恫喝」(P380)という仰々しいタイトルの項を見れば、最大のものは内田良平が大阪朝日の調査部長と会談したことと内田の公言した「民間団体の直接行動」計画が大阪朝日に大きな衝撃を与えた、というものである。計画だけで怯えたというのだから、「勇気を持って真実を書く」などと言うのは大言壮語である。
 人間緒方竹虎という本には、二二六事件の際に大阪朝日新聞を襲った軍人たちが、「国賊朝日をやっつけるのだ」と言って帰って行った、また軍人がやってきてカネを貸せと言って何千円か持って行った、活字のケースがひっくり返された、と言う被害である。怪我人どころか発砲もされていないのだ。彼らは僅かな被害を持ちださなければ、自分たちが犠牲者である、と言う証明ができないのだ。

 私には新聞関係者だけが殺害の対象にすら成らなかったことは奇異ではない。新聞関係者は、右翼や軍部と敵対していたのではないからだ。それどころか軍人や国民を戦争に煽っていたのだ。もっと正確に言おう。当時のマスコミは国民の意向を反映したのである。そして陸軍も国民の意向を反映していたのだ。当時の不景気や満洲における支那側の相次ぐ暴力行為や条約破りに対して政党政治は何もしなかったのである。

 実際緒方竹虎は戦後「五〇人の新聞人」という本に、満洲事変頃から大新聞が皆で話し合って反戦の運動をすれば軍の暴走を防げたと堂々と言ってさえいる。軍部に弾圧されたのではないと言っているのだ。だから戦後の大新聞は針少棒大に軍部や右翼に弾圧されたという事を言わなければならない。


子供騙しの子供手当
 話題が季節外れだが、一言しておこう。子供手当が財源の見通しもない、と批判する向きは多い。しかし根本的に税金の支出先として間違っている、という批判が無いのを怪しむ。もし子供手当が制度として定着して百年続いたとしよう。一時しのぎではなく恒久的な政策ならばそうあるべきである。すると、老若男女の国民全員が子供手当を受け取った事があるか受け取っていることになる。つまり子供手当の本質は、国民全員がもらうものである、と言う事である。
 
 仮に子供手当が1万円だとしよう。すると国民は1万円の税金を支払って1万円の子供手当を受け取るだけのことである。わざわざ税金を払ったものが戻ってくるだけの話である。それならばそんな税金ならば初めから払わなければいいのである。


 これを読んだ人は既に気付いているだろう。実は子ども手当の支給には経費がかかるから、1万円の子供手当をもらうのに1万円の税金を払うのでは済まない。もしかすると2万円支払わなければならないかも知れないのである。1万円もらうために2万円払う!これでいかに子ども手当が愚劣な制度か分かっていただけたであろうか。子ども手当などと言うものは、子供じみた、あるいは子供騙しの制度である。

 子ども手当が、本当に生活に困窮している家庭だけに支給されるのなら話は別である。彼らはわずかな税金しか払えないだろうから、子ども手当には意味があるのである。その他の家庭ではそのために余分な税金を払わなければならないのだから損ではあるが、相互扶助の性格もある税金からして仕方ないとも考えられる。しかし本来的には個人の生活のために現金を個人に国家が現金を与えると言うのは税金の使途として好ましいものではない。個人への支援は税金の減免にとどめるべきと考える。最大限に拡大しても、働く能力もなく本当に困窮している人だけを支援するために使うべきであろう。

 以前、民主党の岡田大臣が、来年度予算が成立しなければ、子ども手当支給できないなど国民生活に支障が出る、などとテレビで話していたことがある。どう国民生活に影響が出ると言うのか。この人の精神はまともだろうか。小生が通勤するJRの駅前で、たまに民主党の40代前半の若手議員が朝ビラを配っている。この議員さんは都議会議員に出馬する時からこの地道な活動をして、国会議員様になった現在でも続けている、熱心な人である。ところが、この人が持っている看板に掲げた政策のふたつのうちのひとつが、子ども手当の満額支給であるのにはあきれた。


東條英機小論


 誤解を恐れずに、などと言う弁解をせずに言う。小生は、昭和史の人物で東條英機を昭和天皇陛下の次のNo.2にあげる者の一人である。東京裁判でのキーナン判事に対する弁論を高く評価する人物ですら、大抵は有能な秀才官僚に過ぎないという評価を与える人が多い。事実を閲して見ればそうではないことが分かる。

 その前に大東亜戦争開戦が日露戦争に比べて無謀だったという説に反論しておこう。伊藤総理にしても児玉源太郎にしても、開戦するにあたって講和の見通しを立てていたのに、大東亜戦争の指導者はそのような手筈を全くしていなかったという批判が司馬遼太郎を筆頭とする多くの識者によりなされている。しかし単純に考えて欲しい。日露戦争当時は世界で戦争をしているのは日本とロシアだけであった。だから講和を斡旋する第三国の存在の可能性はあった。ところが第二次大戦に参戦していない欧米の大国と言えばアメリカだけである。そのアメリカは日本の戦争相手なのである。大東亜戦争の指導者を批判する人は、どこの国を講和の斡旋国と想定しているのだろう。どういう終戦を想定することが可能だったというのだろう。これでは批判のための批判である。

 昭和18年の大東亜会議は、多くのアジア諸国の独立を果たした画期的な会議である。発想したのは東條自身ではないのにしても東條の指導力により実現したのには間違いはない。日本人が大東亜会議を大西洋憲章と比較して低く評価しているのは、東京裁判と言論統制によるアメリカの洗脳によるものである。そもそも民族自決をうたったとされる大西洋憲章もチャーチルは、ヨーロッパにしか適用されないと明言しているし、ルーズベルトも有色人種には適用されない、としている。こんな民族自決に何の意味があるというのであろうか。何の事はない。ドイツに占領されたヨーロッパを開放せよ、と言っているだけで、アジアの植民地の解放とは関係ない。アフリカなどは脳裏の隅にもなかった。これに比べ実際に民族自決を実現した大東亜会議の方が余程重要である。

 意外と思われるのはインパール作戦であった。インパール作戦はインド国民軍INAの指導者のチャンドラボースのインド独立戦争の情熱にほだされて東條が実行を決定したものであった。作戦で倒れた多くの兵士には哀悼の意を捧げるしかないが、その作戦目的はインド独立と言う壮大なものであった。インパール作戦に日本の勝機があったことは英軍の幹部が証言している。最大の問題は作戦発動の時期が遅かったことであった。しかしインド独立の始まりはそのINA幹部を処刑しようとした英国に対して全国で暴動が起きた事である。インパー作戦は実際にインド独立の契機となったのである。

 大東亜会議にしてもインパール作戦にしても、秀才官僚の発想ではないことは明白である。開戦の御前会議の夜、昭和天皇の意に反して開戦の決定をしたことを悔いて、一晩泣き明かしたことも知られている。自らの行為について、これほどの責任感を持つ政治家が戦後の日本にいるであろうか。ぐず元と呼ばれた杉山元陸相ですら、夫妻で自決した。優柔不断と揶揄される近衛文麿も自決した。当時の日本人の責任感に優る現代日本人はいないのである。

 評価を落としたのは自決に失敗した事である。死なないようにわざと小型拳銃を使用したと批判する御仁がいる。これはとんでもない間違いで、東條が使用したのは女婿が自決したときに使用した大型拳銃であった。心臓の位置を記していたのは律儀さの故である。米軍は東條を裁判で晒しものにするために大量の輸血で助けた。そのような治療が無ければ確実に死んだのであって、助かったこと自体が奇蹟に等しい。おかげで東條はインチキ裁判でキーナン検事を圧倒したのであり、我々は東條の宣誓供述書を今読むことができる。今は解説書まで出ているので一読して欲しい。東條の歴史観は確固としたものであり、マクロな思想もある。昨今の平和主義者のような薄っぺらなものではないことが分かるだろう。

 付言するが、東條の自決と戦陣訓と結び付けるのはいくつもの意味で間違っている。東條は自ら言うとおり、正規の手続きを踏まずに米軍がやってきて捕縛しようとしたら自決するつもりであったのであって、令状なりがきたら出頭するつもりだったのである。まさに米軍は東條家に突如押し入ったのである。戦陣訓の生きて虜囚となるなかれ、と言うのは、支那の軍隊の捕虜に対する極めて残酷な処刑をされるなら自決の方が楽だという意味で、当時の軍隊では明言しなくても常識であった。米軍ですら、日本兵が投降しなくなったのは米軍の残虐な扱いの結果だと、大西洋横断飛行で有名な、かのリンドバーグらのアメリカ人自身が書いている。そもそも東條は大東亜戦争当時から戦闘員であった事はなく政治家であった。捕虜と言うのは敵に捕縛され武装解除された戦闘員である。捕虜でもないのに戦陣訓は適用されない。そのことは先にあげた東條の自決の理由とも合致する。

 東條の処刑の時の態度も尊敬に足るものである。何よりも精神の修養ができていた証拠であり、付け焼刃で出来るものではない。東條の大和民族に対する最大の貢献は、皇室を守ったことである。国体を護持したことである。東京裁判で東條は、天皇は平和を愛する旨と日本臣民たるものは天皇の命令に従わないことは考えられない、と証言した。このことは天皇の開戦における責任に言及したと受け取られかねない。それに気付いた者たちのアドバイスもあって、次回の証言では、それは感情問題であって、開戦には陛下は反対であったが、輔弼の進言にしぶしぶ同意されたのである、と答えて見事に開戦責任問題を解決した。

 この点では米国は既に天皇については追及しないことにしていたとは言うものの、中ソは執拗に天皇の訴追や処刑を画策していたから対応を間違えれば大変なことになりかねないのであった。それに天皇の意思に反して開戦したというダブルスタンダードは東條自身の苦悩の元でもあった。そして天皇を免責することによって自身が後世にまで犯罪者の汚名を着る覚悟がなければできないことであった。当時の恥を知る日本人には死よりも大きな苦痛であった。事実東條はその覚悟を「一切語るなかれ」として弁解を禁じている。現在でも東條に感謝すべき日本人自身が「A級戦犯の靖国神社合祀反対」などと言っているではないか。さすがに当時の日本は東條が皇室を守ったことを知っていて、先の証言によって東條の評価は回復したのであった。東條は身を捨てて国体を護持したのである。皇室のない日本は日本ではない。その日本を後世に残したのである。保身に陥りやすい官僚の発想ではないことは言うまでもない。

 余談だが、東條の次男の輝雄氏は父に軍人より技術者になるように勧められ、航空技術者になっている。東條の父、英教は会津閥なので出世できなかったため、東條は軍人になって仕返しをした、などと言うのはこのことからも下衆の勘繰りであることが分かろう。また、東條輝夫氏は三菱自動車の社長会長まで勤めている。出世レースにおいて「A旧戦犯」の息子であるというのは大きなハンディキャップであったろう。輝雄氏はそれを乗越えるような人格者であったのであろう。これも父英機の薫陶も大きかったのだと信じる。

 残念ながら小生は山本五十六を評価できない。真珠湾攻撃でもミッドウェー作戦でも作戦目的が不徹底であって失敗している。真珠湾の海軍工廠と燃料タンクを破壊しなかったのはその後の米軍の反攻を容易にした。軍艦の航続距離からも真珠湾が軍港として使えなければ、太平洋の波濤を超えての反攻作戦はできないのである。破壊を実施するよう上申する部下に山本が、南雲はやらんよ、と言ったという説があるが、事実なら無責任であり確実に実施するよう指示すべきである。おそらくは山本は破壊の重要性を知っていたと弁護する作り話であろうと推定する。なぜなら工廠などの破壊をすべきと考えていたのなら、当初から作戦計画に織り込んでいたはずであるから。

 連合艦隊が作戦実施中に愛人と同室していたことがある、と言う説がある。小生は当時の風潮として愛人がいたことを批判するものではない。しかし作戦中は陣頭指揮ではなくても刻々入ってくる情報を基に指揮を執るのが連合艦隊司令長官である。最悪なのはガダルカナル方面でだらだらと陸攻と零戦による攻撃作戦を行って、膨大な搭乗員を消耗してしまうのを放置し無策だった事である。石原莞爾と気が合ったであろうと考える向きもあるが、石原は海軍の攻勢終末点を超えた作戦行動を批判していたのであり、それを強引に実行したのは真珠湾攻撃の大戦果で批判することができるものがいなくなった山本自身であった。

 以上閲するに、小生には東條を超える人物は昭和天皇以外に見当たらないのである。石原莞爾は戦略の天才であった。石原の戦略に従って日本陸軍が行動していれば、日本にも勝機はあったと小生は考えるものである。海軍は、補給路遮断や上陸支援などによって陸軍の作戦を支援するものであって勝利は陸戦、最後の勝利は歩兵によって得るものである。日本海海戦が生起したのは、大陸と日本との補給路遮断しようとウラジオストックに向かうバルチック艦隊を、そうはさせじと日本艦隊が入港を阻止しようとするために発生したものである。その後日本海軍が艦隊決戦を戦略目標においたのは本末転倒である。残念ながら石原には組織を動かす行動力に欠け、戦史に貢献することが無かった、と言わざるを得ない。


○生存本能を失った日本人たち
人間は本能を失った動物だと言われる。動物は本能に従っていれば生きている事ができると言う。獲物の獲り方も、食べる時期も本能が教えてくれる。これに対して人間は欲望に従って生きていれば、自堕落で不健康な生活となり天寿を全うできなくなるというのだ。放っておけば遊び暮らし、好きなものを食べて自堕落な生活を過ごして短命になってしまう。これは動物と違って思考力が極度に発達したのが原因だというのだ。

本当にそうだろうか。ほとんどの人間は、欲望に任せて自堕落に生きていないのが現実ではないか。ほとんどの人間は、食べたいものを食べたいだけ食べ、怠けて暮らせば不健康になってしまう、という事を知る理性と実行力を持っている。あまつさえ、多数の人は敢えて苦しさを克服してスポーツをしている。誰に強制されたわけではなく、楽しみで行っているのである。その結果健康を獲得している。

これは理性のなせる業である。中にはアルコール中毒になって早死にする人もいる。極度に太って歩行すらできなくなる人もいる。しかしあくまでも例外である。そのような例外は本能で生きている動物にすらいるのである。人間の本能を理性を除いた欲望にだけ限定するから物事が分からなくなるのだ。人間の本能は理性を含めたトータルで見なければならないのである。理性を含めたトータルで道具を使い学習して、他の動物にはない進歩を遂げたのである。理性は人間を守る本能の一部であると考えれば良い。

ところで平成23年10月28日の産経新聞に、東京都教職員組合(都教組)が「竹島が日本領といえる歴史的根拠はない」とした内部資料を作成している事が報じられた。この問題に関しては、以前朝日新聞論説委員が、竹島は韓国に渡せばいいではないか、と書いた事と共通している。竹島は元々韓国の領土ではなかったのは明白なのに、李承晩の時代に占領して実効支配されて現在に至っている。

こんなことが自国に起こればどこの国の人でも、これを不当である、と言う。だが日本にはそう思わない人が例外ではなくいるのである。それどころか都教組ではそれがメジャーな考え方である。すでに実効支配されているから、そんなものはあげてしまおう、あるいは元々日本のものではなかった事にしよう、と言うのは尋常ではない。現に中共は尖閣諸島や沖縄も自国領土だと主張している。機会があれば奪おうというのである。沖縄の次は対馬である。対馬の次は九州である。

このような世界に日本は囲まれているのである。竹島などいらない、という思考は危険である。日本が無限に侵略される危険をはらんでいるのである。彼らはそれに目を瞑ろうとしている。それは領土を自己主張すれば軍隊が必要となる。日本の軍隊は侵略する軍隊である。こういう思考が絶対的に彼らを支配しているのである。戦争の基となる危険な軍隊に頼るよりは、けちな領土位失ってもいい、と考えているのである。彼らは日本人でありながら日本を守ろうとするのは絶対的に危険であると考えている。

そんな事を考えていれば、自分の寄って立つ国を失う事を世界のいずれの国の人も知っている。幕末以来の日本人もそのために努力してきたのである。それは歴史が人間の理性に教えた教訓である。原始の時代であればともかく、国家のせめぎ合う現代では、国家なしに諸外国から日本人は保護されないのである。自分は国家などには保護されてはいない、という考え方をする資格のあるのはチベットやウイグル人のように異民族に侵略されて隷属させられている民族だけである。

ところが日本は国民国家でありながら自国政府を否定し領土を否定する日本人が多数いるのである。自分を保護するものを否定する危険な思考。これはまさに理性の崩壊である。人間の本能の崩壊である。国に守られ国を守るという、自分自身と子孫の生存するための本能の否定である。本能の崩壊である。それでは彼らは自分はあらゆる他人の犠牲になってもよい、というお人よしではない。そうではない。都教組の活動家は都教組を守るためには嘘や詭弁をも平然とする。朝日新聞の論説委員氏も同様である。自分の直接所属する組織は日本国よりも大事なのである。

冗談ではない、朝日新聞や都教組が潰れても日本人は生き残る。日本国が崩壊したら朝日新聞や都教組が生き残ることに何の意味もない。彼らはそんな世界共通の本能を失っている。彼らは生存の本能を失っているのである。そんな人たちが例外ではなく大勢力を持ち、政治にも影響を与えているのが日本の現状である。日本は国家生存の本能を失わんとしているのである。その理由は自明であろう。

日本は侵略を行う好戦国家であり、それ以外の国は侵略しない良い国家であると書いた憲法。マスコミを多年にわたり検閲して日本が明治維新以来、いかに苦労して西欧の侵略と戦った事を隠して侵略戦争ばかりしていると報道させた米軍の支配である。日本の正当性を説明する日本人を公職から追放した。このように日本を貶めるあらゆる行為をした占領米軍の恐ろしい行為によってである。日本民族は生存本能をなくすように洗脳されたのである。

その結果は不思議な事に人為的に洗脳されたのではなく、自発的な思考であると思い込むようになった。もっと恐ろしいのはこれら本能を失った日本人のしている事である。例をあげよう。イギリス人の書いた紫禁城の黄昏、という本が岩波文庫にある。しかしこの本には原著の1章から10章までと16章を全部カットしている。その理由は「主観的な色彩の強い前史的部分」だからだと訳者は説明している。ここに書かれているのは清朝が漢民族ではなく、満洲族が建国した国家であること、満洲族の最後の皇帝が王朝を再建する事を望み、満洲族に王朝再建運動があった事が書かれているのだ。これは正に当時の日本の行為の正当性を主張する部分である。それを意図的に削除したのである。

英語ではthe last personと書けば、絶対にそういうことをする人ではない、という意味である事は高校生でも知っている。ところがこの本ではこの構文を使っている文章を「皇帝は蒋介石と張学良には絶対に頼らない」と訳すべきところを「皇帝が一番最後に頼る人物は蒋介石と張学良である」と日本語に書けば逆の意味になるように訳している。このような大著を訳す人物が典型的な誤訳をしている。正確には誤訳ではなく、嘘を書いたのである。彼らは洗脳された結果このような卑劣な行為をしても、結果が正しければ良いと確信しているのである。彼らは自分の教えられたことに反する事実が出てくると、このように隠ぺいしたり、嘘をついたりするのは平気である、という倒錯した状態にある。彼らは米軍の統制によって作られた歴史に反する事実の出現に本能的に拒否反応をおこすほどに完全に洗脳されてしまっているのである。これが生存本能を失った日本の現実である。




○国敗れて山河有り
 
用があり24日に仙台周辺に行きました。被災後1か月以上経っているにも関わらず、津波の惨禍は相変わらずでした。地元の人たちの心情を思うと撮ってきた写真をここに公開する気にはなりません。春爛漫の季節ですから、一方でがれきの山がありながら、山々の風景は、緑にあふれ桜が咲き、その対照がかえって人々の悲しみを象徴しているようでした。そこで浮かんだのは杜甫の五言の律詩「春望」の冒頭でした。曰く。

 国敗れて山河有り
 城春にして草木深し
 時に感じては花に涙をそそぐ


○科挙は漢民族の文化ではない

 支那の歴代王朝の官僚選抜試験である、科挙については誤解がある。支那の歴代王朝は、殷、周、秦、漢、隋、唐・・・などと続くが、漢字、漢文が完成したと言われるのは、秦の始皇帝の時代であると言われる。そして科挙の課題となる支那古典の代表である四書五経は、それより以前のものである。そして科挙が始まったのは、紀元後の隋王朝からである。漢字漢文を育て完成したのは秦、漢王朝の民族であろう。これが漢民族である。ところが、漢王朝崩壊によって五胡十六国といわれる戦乱の分裂期に、飢餓や戦争で、中原に住むこれらの民族は10分の1以下に激減し、周囲の異民族がこれにとってかわった。つまり本来の漢民族は事実上絶滅したのである。

 もちろん隋や唐も本来の漢民族ではなく、周辺から侵入した異民族であることが分かっている。つまり漢民族にとってみれば、異民族が異民族を駆逐して王朝を建てたのである。本来の漢民族に対する異民族である、隋王朝にとって漢文の古典とは西洋で言うラテン語の古典に相当するものであった。ここでルネサンスに言及しておこう。ギリシア・ローマの文明はルネサンス以前にはビザンチン帝国などのアラビア人によって継承されて発展していた。日本人は世界史で西洋人に騙されているが、当時はアラビア世界が文明の中心であった。当時は中東が最先端の世界であり、西欧は文明の田舎だったのである。ラテン語などによるギリシア・ローマの古典はアラビア語に翻訳されて学ばれさらに発展していた。現に今使われているのが、アラビア数字であることを考えれば、当時のアラビア世界の水準の高さが理解できよう。

 十字軍でアラビア世界に侵入した西洋人はこの高い文明を見て愕然とした。そこでアラビアで継承発展したギリシア・ローマ文明を導入することにしたのである。これらの文明の成果をアラビア語からフランス語ドイツ語などの自らの民族言語に翻訳する、あるいは古典は直接ラテン語から翻訳する、などの作業が行われた。ルネサンスとは直訳すると再生と言う意味だそうである。これが西洋人の狡猾さである。現代に続く西洋人にはギリシア・ローマの末裔はほとんどおらず、ゲルマン民族の大移動などによって西欧世界の周辺から侵入した、ギリシア・ローマ世界からすれば蛮族の末裔である。それなのに「再生」と言う言葉を使ってあたかも西洋人が大文明であるギリシア・ローマの末裔であるかのごとく装ったのである。ハリウッド映画トロイでアメリカ人のブラッドピットがギリシア神話のアキレスを演じているのを見るとこの思いを深くする。

 ここまで書けばルネサンスを持ちだした意味がおわかりいただけただろう。隋王朝は漢民族に比べれば、言わば蛮族の王朝である。従って漢民族の古典を持ちだす事によって自らを漢民族と詐称したのである。ここでいう蛮族とは、必ずしも野蛮で遅れた民族ということではない。漢文による文明を作り上げた民族を持ち上げて言った相対的なものである。隋王朝が戦乱を統一できたのは、中原に住む多民族より戦争のテクノロジーに優れた民族であったからである。同様にアラビア世界から文明を引き継ぎ発展させた西洋人も優秀な素質を持っていたはずである。しかし古代文明を尊重する隋以降の王朝は、古代文明に対する憧憬から漢文の古典を絶対的な規範とした。その典型が科挙である。

 類似した事は西欧世界でも起きた。ラテン語は、自らの民族言語ではないにもかかわらず、ルネサンス以後西欧の学者や知識人の必須の言語となり、現在に至っている。多くの英語の単語がラテン語から造語されていることは、よく知られている通りである。しかし支那大陸と西欧には1つだけ絶対的な相違がある。支那大陸では漢文の古典を絶対視し、それを発達させなかった事に対して西欧では古典は尊重しながらも、それを基礎として発展させた事である。これは現在に至るまで決定的な差となっている。この違いは、ラテン語が口語と文語の相違はあっても、少なくとも日常の言語を基にしているのに対して、漢文は当時の支那言語とは関係のない、筆記のためだけのものだったからである。そのため漢文には時制も、品詞も文法もないきわめて原始的な表現手段である。

 その後の支那文明の停滞と西欧文明の発展の差は、漢字が表意文字であるのに対してアルファベットが表音文字であったことがひとつの原因である。文字と言うものは性格上必ず象形文字すなわち表意文字から始まる。しかしそれでは言葉を表わすのには不便なので表音文字に進化する。しかし漢字は原始的な表意文字にとどまった。その点で言えば、漢字から仮名を発明した日本人は文字の進化からいえば単なる物真似民族ではなく、漢字の正統な後継者のひとりである。これに対して現在まで中原に住む漢民族と自称する人たちは、文字の進化をさせることができずに、現在に至るまで不便を甘受している。支那大陸では王朝が崩壊する度にその後の王朝には何も継承されず、全て一から始まる。漢民族と称する民族は常に入れ替わり、一からのスタートとなるから文明は進化しない。常にスタートにあるのは四書五経であった。見よ、現代「中国人」の無道徳のエゴのありさまを。人間社会は文明の進化に伴い道徳の進化ももたらす。これが民度の向上である。

 ところがどう考えても中国人の民度は低いのである。漢文の四書五経は支那大陸では文字の上だけの世界になってしまった。どう考えても李下に冠を正さずなどという儒学の教えを守っている中国人などいないのである。儒学の教えは漢王朝の時代までの現実的な道徳的規範だったのであろう。しかし漢民族の滅亡とともにこれらの道徳は継承されなかった。継承されたのは科挙に受かるための方便としての儒学の教えの丸暗記であって実践ではない。形式上、漢民族とは漢字を使う民族の事ではない。漢文を使う民族の事である。科挙の効用もあって清朝崩壊までは漢文を読める人たち、つまり知識人はいた。しかし清朝の科挙の廃止と魯迅などによる白話運動により、支那大陸で漢文は使えるものがいなくなってしまった。つまり現代中国人は形式上も漢民族を自称する資格はないのである。ベトナムでは現在アルファベット表記を使っている。アルファベットは道具として使われているのである。現代中国では漢字は言語表記の道具として使われているだけである。つまり支那大陸における漢字の用法には慎重崩壊以降本質的な変化があったのである。現代の支那大陸の人たちは漢字で書かれた北京語を学んでいる。しかし漢文は全く読めない。北京語が簡体字で書かれているからではない。北京語の漢字表記と漢文とは何の関係もないからである。

 科挙についてのもうひとつの誤解は、支那の歴代王朝の全土で科挙が行われていた、と言う事である。例えば清朝では、漢民族と呼ばれる人たちの居住地域の他に、満洲、モンゴル、ウイグル、チベットなどのはるかに広大な地域を支配していた。これらの地域は独自の文化と制度による自治がおこなわれていた。満洲、モンゴル、ウイグル、チベットでは漢字は使われず、独自の言語と文字を持っていた。だから、これらの地域全部に科挙が行われたはずはないのである。清朝では、漢民族地域では支那の皇帝として、モンゴルではハーンなどというように、その地域における元首として分割統治している帝国だったのである。これは大英帝国の女王が植民地インドにおいてはインド皇帝として支配していたのと同じである。こう考えれば科挙は漢民族居留地域でしか実施されてはいなかったのは当然である。乾隆帝が清朝皇帝であるというのは「漢民族」居留地域の事であって、モンゴルにおいてはハーンであった。乾隆帝が常に住んでいたのは北京ではなく、満洲であったと言う英国人の証言は既に書いた。元朝においてはモンゴル人は「漢民族」居留地域においてさえ、科挙を廃止してしまったのである。

 科挙とは過去の偉大な黄河文明の後継者を詐称するための方便である。だから科挙は必ずしも支那の帝国の全土で行われたわけではない。漢民族を詐称するものたちの中だけで行われたのである。漢字を漢文として使う事を放棄した中国人には、漢民族を詐称する資格すらない。


漢字の崩壊
 中国語で戦車の事を何と言うか。坦克だそうである。読みはタンクーである。分かるだろう。英語の戦車のタンクの音をなぞったのである。漢字は表音文字である。坦の意味は漢和辞典で調べると、ひろやか、たいらの意味である。克の方は、たえる、できる、よくする、うちかつ、うまく、などの意味である。どう考えても二字とも戦車の意味はない。強いて言えば克の元は人がかぶとをつけたさま、とあるのが近いだけであろう。つまり坦克は表音文字として使われているのであって、本来の表意文字としては使われていないのである。これは一例ではあるが、造語の必要性が増えている現代中国では珍しくはないであろう。

 本来漢字は一字一音節である。音はそれほどあるものではなく、漢字は何万もあるから、例えば、aと発音したときに相当する漢字はいくらでもある。それを発音の仕方でできるだけ区別しているが限界はある。しかも呉音とか唐音とか言って時代によって漢字の読み方は全く異なる。今でも地域によって発音が異なる。つまり漢字の発音自体元々は何の意味もなかったのである。ひらがなやカタカナも一字一音節である。ひらがなカタカナは表音文字の漢字を捨象して表音文字になったのである。現代中国において漢字も表音文字として使われるようになっている傾向がある。日本語ではひらがな2文字であれば、ほとんどが2音節である。

 ところが漢字ではひらがなで書けば2音節や3音節で表わされるものも1音節である、と言うのは普通である。だから漢字を表音文字として使っても、ひらがなの場合ほど長くなるわけではないが、やはり冗長である。簡体字が使われるようになったのは単に難しいからばかりではなく、書く速さもあるのだろう。そればかりではない、字づらを見れば分かるように、簡体字は既に表意文字から離れつつある。このまま簡体字化と表音的使用傾向が進めばどうなるか。それは漢字の崩壊である。漢字は本来漢文として使用するものである。漢文は古代中国語の文字表記でもない。発音して聞かせるものではなく、一文字一文字の意味を共通して知っている者同士が書いて情報を伝達する手段に過ぎない。言わば筆談は漢字の本来の使用法である。

 だから清朝の皇帝は四書五経などの漢文の古典を自分が理解できる満洲文字による満洲語に写した。そこで現代では西洋人が支那の古典を学ぶ場合、満洲語を学ぶそうである。満洲語で書かれた四書五経には文法があるから、西洋人にも理解可能だからである。漢字が表音文字化してしまった果てには何があるか。毛沢東は簡体字化の前に支那言語のアルフアベツト表記を試みさせた。その結果分かったのは、北京語、広東語、福建語などのいくつかの言語が全く異なるものと言う事である。更にはそれらの言語を話すのが各々異なる民族である、と言うのが分かってしまうという事である。中央集権による国民国家もどきを作ろうとしていた毛には許せる事ではなく、試みは中止された。支那言語のアルフアベツト化はいくつもの民族国家の分裂へのスタートだったからである。

 それでもジャッキー・チェンの映画は北京語のネイティブには理解不能だから、簡体字字幕が必要である。もう中国の分裂は始まっている。私が言う中国の分裂とは、チベット、ウイグルなどの独立ではない。漢民族と呼ばれる人たちの分裂である。彼らは長い間漢字と言う紐帯だけで結ばれていた。それが各言語の民族に分列するのである。

 その始まりは中共の成立によるものではない。漢字は漢文を書くためにあるものである、という原則を忘れ、口語を漢字で表記すると言う白話運動を、魯迅などが中華民国初期に始めた事によるものである。漢字で口語を表記する、この不可能事が完成した時に漢字は崩壊して漢民族は分列する。それが中国の国民国家化の始まりであり、中国の近代国家の成立である。現代中国は西欧の近代国家に相当するものではないのはもちろん、中世国家にも相当しない。二千年前と同じ古代国家が続いているのである。


○騎士道精神と武士道

 これは、最近完成したプラモであるが、その紹介ではない。特殊潜航艇「甲標的」である。特殊潜航艇とは小型潜航艇で、秘匿のために標的という奇妙な名称をつけてある。真珠湾攻撃の際に使われたものの実物は江田島の旧海軍兵学校に展示されている。

 このプラモはそれを改良して昭和17年5月にシドニー港攻撃に使用されたものである。3隻が出撃して、宿泊艦1隻を撃沈しただけで3隻とも撃沈された。そのうち2隻が引き揚げられたが、何とオーストラリア海軍は二名の日本海軍軍人の海軍葬を行ったのである。

 突入した米海軍軍艦に残された特攻隊隊員の遺体を手厚く葬ったと言うエピソードもある。これは、騎士道精神と言うべきものである。立派に戦った敵に敬意を表する、というのは日本の武士道とも共通するものがある。支那人にも絶対ないとは言わないが例外であろう。縄に縛られて膝まづく南京政府の汪兆銘の石像を作り唾を吐くのが当たり前の支那人である。普通の西洋人や日本人はこのような行為に嫌悪感を抱くのである。

 民族性とはかくも異なるものだということを私たちはもっと自覚しなければならないと思う。しかし人間の精神と言うものは一筋縄ではない。こういうエピソードを持ちだしても西洋人はかくも高貴な精神の持ち主だと、単純に解釈してはならない。一方で西洋人は有色人種に対する極度の差別観を心底に潜ませている。この複雑さを理解できないから、多くの日本人は支那人と長い間付き合っても騙されるのである。いや支那人との付き合いが長いほど騙されることを私は知っている。

 ODAの援助で長い間支那人を知っていると自称していた人が、支那人はプライドが高いと思っていたが、尖閣の漁船体当たりで目が覚めた、と言ったのがその口であろう。こういう人たちを見ると私は何と物忘れが甚だしいと思わざるを得ない。かつて天安門事件があった、日本大使館への警官の乱入、北京オリンピックの聖火リレーでの自己中心的行動があった。全て忘れて今回が初めての支那人の不法行為だと思っているのであろうか。

 尖閣事件で警戒を強めた日本企業も、もう中国進出で業績回復をねらっている。愚かと言うより他ない。


○本能が壊れた日本人

人間の本能

 人間は本能が壊れている動物だと言われる。普通の動物は本能に従えばまっとうにいきていられるが、人間はそうではない、と言うのである。例えば昔英国でこんな実験をしたと言う話を聞いた記憶がある。囚人と豚をずっと飢えさせておいてから、急に美味しいものを山のように出す。すると豚は腹いっぱいになる前に食べ終わるが、人間は食べ続けるというのである。挙句は咽喉にまで食料を詰め込んだから、窒息して死んだ、と言う話である。

動物は生活のリズムも食事の加減も本能が導いてくれるが、人間は食べたい楽をしたい遊びたい、と言う本能に従えば健康を損なったり生活苦になったりして、まともに生きてはいけない、と言うのである。しかしこれは間違いなのではないか。現に大多数の人間は本能に負けて不健康な生活はせず、努力もして健全に生きているではないか。健康ブームと言うのさえある。

 これは人間の「本能」と言う言葉の定義に問題があるからである。つまり人間の思考力、つまり理性も本能の一部として捉えればいいのである。人間はおいしいものを食べたいと言う本能がある半面、それでは不健康である、と言う思考による反省の本能もあるのである。楽をしたい、と言う気持ちがある半面、辛くても努力して成功したい、と言う理性がある。つまり人間は猿から進化して理性を持った時、理性も含めて人間を生存させ人間社会を繁栄させる、と言うトータルでの本能で生きるようになったからである。

 こう考えて思い出すのは、いわゆる自虐史観の人々である。彼らは北朝鮮の拉致事件が判明しても、日本だって朝鮮人を強制連行して働かせたから仕方ない、とまで考えている。つまり日本国民の安全な生活まで平気で否定しているのである。いわゆる従軍慰安婦問題でも日韓基本条約の枠内で解決済みであるのに、できるだけ補償しなければ気が済まない。中国や韓国、北朝鮮にできるだけ有利に取り計らい、日本に不利になる事が正義だと信じて止まない。

 彼らはその点に関して、理性による本能が壊れているのである。実際には世界の各国の政治家も国民も、嘘をついても自分の国に有利にしようとしている。それが正常な本能である。なぜなら、そうしなければ結局自分に不利になるし、ひいては自分の子孫が多大な不利益をこうむる。そうはさせまいと頑張るのが理性と言う本能が導く本来の姿である。そのくせ自虐史観の人たちは自分まで犠牲にしてよいと言うお人よしや極度の善人ではない事は彼らの行動を見ればわかる。

例えば仙谷官房長官である。どんな手をつかっても中国や北朝鮮に有利にしようとしている。それでは彼は自分自身を犠牲にするようなお人よしなのだろうか。そうではない事は皆さんご存知であろう。自分が直接非難されると恫喝的言動や詭弁まで使って自己弁護している。お人よしどころか、自己中心の典型である。ところが日本対東アジア諸国と言う事になるとこの自己中心をかなぐり捨てる。

 人間はまず自己中心である。次に家族中心である。次に所属するコミュニティーや地域中心である。次に自国中心である。最後に人間中心である。この逆ではない。これが人間の理性による本能が構築した社会構造への意識である。確かに自分や家族を犠牲にしても他人を助けると言う人はいるかもしれないが、例外である。立派だと口では褒めても、真似する人はいない。自国より他国が優先されると言う事は正常な本能ではない。自分の子孫や文化の繁栄から言っても他国より自国優先なのが正常な本能である。

 では正常な理性の本能の人の例を見よう。日本において言論活動で活躍している韓国系の呉善花と中国系の石平氏と言う二人を例にとろう。二人は多年日本で、あたかも日本人の立場を擁護するような言論活動を繰り広げてきた。しまいには自分の出自である韓国や中国の人たちの民族性に疑問を呈するような発言にまで至ってしまった。しからば彼らは仙谷のように本能が壊れてしまったのだろうか。

 そうではない。結局彼らは日本に帰化したのである。つまり日本人になったのである。それはそうであろう。まともな理性があるならば、祖国をあれだけ否定してその国の人でいられようはずがない。彼らは思想家としても私たちが真似が出来ないほど誠実なのである。翻って仙谷氏のような日本の自虐史観の人たちは、自国を否定する言動を繰り返しながら平然と日本人でいる。これは大なる矛盾である。理性が壊れている、と言うゆえんである。

 何故なら、そのような人たちが多数を占めたら確実に日本は崩壊する。そうなった時彼らの子孫は塗炭の苦しみを味わうのである。それでは石平氏らのような正常な人と、仙谷のような異常な人の差は何故できたか。石平氏らは自分が色々素直な気持ちで考え抜いて今の考えに至ったのである。つまり自分の理性を駆使して考えたのである。これに対して仙谷氏らの自虐史観は外から強制的に与えられたものである。GHQの検閲やマスコミ操作によって意図的に作られた日本の否定である。

 これを洗脳と言う。洗脳とは本人自身にとって本来都合の悪い考えを強制的に注入して、あたかも本来の考え方のようにしてしまうものである。だから洗脳が完成すると、自己保存の本能の一部たる理性は破壊されているのである。自虐史観の人たちは平気で論理の矛盾を犯す。詭弁を弄する。そして自分自身の事になると極度に自己中心的である。この好例が朝日新聞記者の本多勝一氏である。本多は自著に後日間違いが見つかると、何の断りもなく書き換えを行う。ポルポトの虐殺は全くのウソだと断定していながら、後日には平然と、それを修正している。極度の自己保身でそこには一片の誠意も見られない。彼らは洗脳を理性の力で食い止める事ができなかった哀れな人たちである。彼らの子孫は彼ら自身のおかげで多大な損害を被るのである。

 私自身の経験で言うなら、中学の頃から何となく、何故日本とドイツだけが悪い事をした国だと世界から非難されるのだろう、と言う素朴な疑問を抱いたのである。その結果日本とドイツはともに敗戦国であったと考えた。それから日本が戦争をしたのには「日本の言い訳」があるはずだ、と探し始めたのである。私の理性は子供心の素朴な疑問にかろうじて守られたと信じている。当時の日本の言論には「日本は過去に悪い事ばかりした」と言うものばかりだったのである。

 もちろん日本人にも誠実な人はいた。岡田淑子の愛人である。日本の現状に絶望して宣伝されたソ連を信じて亡命してしまった。愚かである、とは言われても誠実ではある。その結果は、日本のスパイとみなされて銃殺された。殺される瞬間に彼は何を思ったのであろうか。自分のとんでもない間違いに気付き絶望したのであろうか。間違えられたのだから仕方ない、と相変わらず祖国ソビエトを信じて逝ったのであろうか。


地球温暖化のまやかし

 今年の10月の初め、あるところで広報雑誌とおぼしきものを手に入れた。その中に「地球温暖化について考える」という連載があったのでありがたくいただいてきた。京大名誉教授の芦田和男氏の論文である。この中に地球温暖化について考える貴重なヒントがあった。気候感度である。CO2が二倍になった時の気温上昇を気候感度と言うのだそうである。芦田論文によれば気候感度は2から3度で、最近の衛星を使っての観測では1.6度である、との事である。

 日本政府のCO2削減計画の話を聞いている、普通の知能の人はこれを読んで驚くだろう。つまり鳩山前首相が20%削減、と世界に発表して大騒ぎになったのに、CO2が倍になったところで、気温は1.6度から最大3度しか上がらないのである。数学を忘れていない人は気付くだろうが、横軸をCO2濃度として、縦軸を気温上昇としたグラフを書けば、これは2を底とする対数関数である。

 つまり気温をT()としCO2濃度(ppm)をGとすれば

                      T=Clog2G+C

と表わされる。ここでCとCは定数である。数学のコーナーではないので説明は省略するが、この定数Cが気候感度である。気候感度を2度とすれば、現在のCO2濃度を300ppmと仮定して、それが600ppmになると気温は現在より2度が上がる。それが、さらに現在より4度気温が上がるためにはCO2濃度は、900ppmではなく、倍の1200ppmにならなければならないのである。対数グラフを見れば分かるように、CO2濃度が倍になる期間に全世界(!)の排出量を20%削減した所で、ほとんど温度上昇を止められないと言うことである。

 しかもわずか2度程度の温度上昇をほとんど止められない、のである。もしわずか2度の温暖化を絶対に防止するためには、今後人間がCO2の排出を止めるしかないという事である。そのためには人間の活動を一切止めなければならないのである。わずか、2度の温暖化防止のために!現在の世界情勢ではこの20%の削減すら絶望的である。くどいようだがCO2排出量を20%削減したところで、現在よりCO2濃度は確実に増加するのであって、増加率がわずかに減少すると言う事に過ぎない。

 以上の事は全てCO2濃度の上昇が工業化などの近代の人間の活動によっている、と言う事を前提としているが、芦田論文が引用しているグラフによれば、CO2濃度は確かに1970年度以降急に上昇しているが、それ以前の1740年から1970年の間にも直線的以上の上昇を示している。つまり人間の工業活動がなくてもCO2濃度は確実に上昇しているのである。こう考えてみると日本が工業や経済活動まで犠牲にしてしようとしている排出量削減とは何か、と言う気がしてきませんか。

 芦田氏はCO2削減活動の支持者かと思っていたが、最後の方でこう述べていることから、バランスのとれた考えの持ち主だと私には思える。

 さまざまな研究者や過去のデータにあたった結果、人為的な要素と自然現象が重なって起きている問題ではあるが、CO2によるものではなく、自然現象の変動がこの温暖化の大部分を占めているのではないかと考えるにいたったからである。過去に置いても現在の温暖化と同じような変動がみられ、それは太陽活動の変化によって説明されているからである。

 そしてこう警鐘を鳴らしているのには考えさせられる。

 。・・温暖化であろうと寒冷化であろうと、気候が変動すれば雨の降り方が変わり、洪水や渇水として生態系に大きな影響を与える。

 これは至極妥当な指摘であって、CO2による温暖化だけに集中して大騒ぎしている世界、特に日本の現状には肌寒いものを憶える。最後に、地球の気温はマクロな変動とミクロな変動があり、ミクロな変動では気温上昇をしているが、マクロな変動では気温低下していることである、と言う事だけを言っておく。つまり地球は確実に氷河期に向かっているのである。私は無駄なエネルギー消費を節約するという意味では省エネには賛成するものである。しかし、実際の無駄なエネルギー消費減少に何の役にも立たない、排出権取引などというものを提案する地球温暖化論者には商業主義の不純な動機しか感じられない。

 ちなみにこの広報誌とは「近畿建設協会」の「水が語るもの」である。色々な観点からの地球の気象データが紹介されていて無償ではもったいない位である。興味ある方は入手されてはいかがでしょう。


○また満洲事変を繰り返すのか

22年8月23日の記事で、米軍が北朝鮮軍から攻撃を受けて傍に自衛隊がいても、守る事は出来ない、というのがあった。これは相手が中共軍であっても同様であろう。過日、日米外相会議で米国は日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用されると言明した。第5条は日本の領土が武力攻撃を受けた時の条項だから、今回の支那漁船(?)の体当たり事件で、今後第5条の発動の可能性が高まったわけである。

 しかし実際に第5条が発動されて共同行動を取っている時に米海軍艦船が攻撃されたら、現場の自衛隊指揮官は躊躇なく米軍を支援して反撃するだろう。眼前に同盟軍が攻撃されているのを座視する軍人はいないからである。もし反撃しなかったら、連携は崩壊し米海軍も海上自衛隊も各個撃破されて敗退する。もちろんこれは重大な違法行為である。

 小々飛躍するようであるが、これは満洲事変を想起させる。当時日本には条約上の権利があって関東軍が南満州に駐留していた。当時、満洲に居住する日本国民に中国から殺人を含む様々な迫害が加えられていたにも拘わらず、政治家は政争に明け暮れるだけで、何らの有効な対策をしなかった。その事態は今日のわれわれが想像するよりもはるかにひどいものであり、当時の蒋介石政権により計画的に行われていたものである。

 今回、支那人船長が逮捕された報復で、フジタの職員4人が拘束されて日本中は怒りに満ちている。当時の満洲はこの何千倍ものひどい状態だったのである。多くの国民がそれを知っていてマスコミも報じていたのに、内閣は対中融和政策を取っていた。野党もしかりである。例えば今日の欧米諸国であったら、政治家が対応策を検討して、対外的に正当性を宣言して軍事力を発動して満洲を補償占領したであろう。その後に親日政権を樹立する、という決断もあったはずである。

 それが夢想ではない事は、今日のイラクの状況を見れば分かる。イラクは当時の満洲より、米国にとってもっとましな状態であったにも拘わらず、米軍は開戦してあげくにフセインを処刑させた。帝国主義の時代から個決別したはずの今日でも、国際社会とはそのようなものなのである。このようなひどい環境の中、満洲の日本人と権益を守る任務の関東軍が、眼前の不法行為を座視する事ができようはずがない。満洲事変は現地の実情を知らない政治家の無責任によって必然的に起きた事件である。

 政治家が国際的に正当な権利を行使する事をしなかった中、結果として同じ親日政権を樹立する事になったとしても、関東軍ができるのは謀略しかなかったのである。米軍への攻撃の可能性に自衛隊が集団自衛権の行使を検討しもしないで、党利党略しか考えていない政治家の無責任は、戦前の政党政治を彷彿とさせる。いや日本国憲法と日米安保に囲まれて惰眠をむさぼって、国家意識が希薄になっている現代の政治家の方がもっとひどいのである。

 変節と優柔不断を批判される近衛元首相ですら、GHQに逮捕されたら皇室に誄を及ぼすと考えて躊躇なく自決した。現代日本の政治家で近衛を批判する資格のある政治家、いや日本国民はいないと信じる。


○共産主義国の私有財産の不思議

 平成21年の暮、こんなニュースが国際面の片隅に載った。立退き抵抗排除モスクワ、という見出しである。モスクワ市当局が、1950年代に菜園要地として河川労働者に分与され、小家屋の建築が認められたのが始まりで、ソ連崩壊後に土地が転売されたり、一戸建て住宅が建てられたと言う。その後モスクワ市が1998年にこの一帯を自然公園に指定して、違法建築として住宅の強制撤去を始めたと言うのだ。長年住んでいるのを一方的に自然公園に指定して、強制撤去するのが通用するというのはロシアらしいでたらめである。

 だが小生が不思議に思うのはその点ではない。私有財産、つまり土地や家屋などを個人で保有する事が禁止されているはずの共産主義国で、土地が労働者に与えられていたと言うのである。だからこそ今頃になって強制立ち退きなどと言う問題が発生したのである。しかし一方でこの話で納得する事がある。皆が不思議に思わない不思議である。単純な小生は、ソ連が崩壊して資本主義になった時、ロシアには大混乱が起きるだろうと思った。

 ソ連では、土地や家屋などを個人で保有しておらず、全てが国の資産で、現在住んでいるのは、仮に国から割り当てられているだけのはずである。するとソ連が崩壊すれば、土地や家屋を誰が保有する事になるかについて、奪いあいの大混乱が起こるのに違いない、と予想したのである。つまり誰の土地でもない、と言う事は体制が変われば誰にでも権利がある、と言う事だからである。

 ソ連は平等のはずだから、誰も平等に財産を受ける権利があるはずである。例えばソ連崩壊にあたって、国有のはずの土地の配分について、こういうルールを定めたとしよう。一家の人数の頭割でその家族がもらえる総割り当て面積を決める。モスクワとシベリアでは人気が違うから、面積の比率を決める。次に各地の土地の保有の希望を募り、抽選で配分していく、などなどである。だがどのようなルールを決めても皆が公平だと納得できるルールなど作れまい。

 ところがそんなルール作りも行われず、混乱も起きなかった。その理由は、全ての国民が先の河川労働者のように、土地を配分されてそこに住んでいたのである。つまり土地の国有などと言うのは建前で、実際にはそこに住んでいた者の所有になっていたのである。もし住人が仕事の都合で転地すれば、その土地は不要になるから売って、その金で転地先の土地を買ったのであろう。

 ソ連にも貨幣はあったのである。貨幣があれば土地にも自然に価格がついたのである。しかし建前では国有だから、あまり公然とはできなかったのには違いない。だから土地の転売で騙されても裁判には持ち込めないから、裏では色々な問題が鬱積していたのに違いない。つまり資産の国有の建前は、国民に不便を強いていたのに過ぎない。ノーメンクラツーラと呼ばれた赤い貴族、つまりソ連の政府高官一家が世襲の豪邸に住んで、豪勢な暮らしをしていた事はソ連末期には広く知られていた。

 彼らは大資産を事実上私有していたのである。ソ連崩壊後、彼らは公然とそれを私有したのである。共産主義の実際とはそんなものだったのである。ソ連の初期には国営農場などが作られて、農民は土地を奪われて、かつての自分の土地を共同で耕させられていた。これが資産私有の禁止と言う、共産主義を厳格に実現する唯一の手段であった。しかしまもなく農民は共同農場では真面目に働かないために、能率が低下して個人菜園が認められるようになった。

 そして国営農場は崩壊したのである。昔の中学の社会科の教科書には、ソ連のコルフォーズ、ソフォーズと言った国営農場で大規模農業があたかも理想の農業であるかのように、写真入りで紹介されていた。その後の経緯をみればそんな事は幻想であった事が分かる。つまり資産の私有禁止、つまり共産主義などと言うのは実際には運営できないのである。だから世界中で共産党が消え、中共ですら資本主義化した。そう考えると日本にある「日本共産党」なるものに所属する人たちの知能はどうなっているのだろうかと、小生は思うのである。


○芸術の価値
皆様は不思議に思わないのだろうか。ゴッホの時代、レンブラントの時代にはそうそうたる才能がある画家がいて、それこそ命を削って絵を描いていた人たちが大勢いて、素晴らしい作品を残していた。ところが現代はそうではない。人知れず絵画に打ち込んでいる人は稀にはいるだろう。だがそういう人物は少数かつ世に永遠に出ないのである。芸術は普遍の価値を持つというのなら、そのように時代の変遷に流されようはずはないのである。

 だが現実はそうではない。時代に流されているのである。確かに日本でも日展など各種の展覧会でしのぎを削っている人はいる。しかしこれらの公募展は選定委員を頂点としたサロンと化している。日展入選何回、というのがステータスになる仲間内のサロンである。レンブラントがゴーギャンがコンテストのためにだけ絵を描く、そんな時代は絵画の全盛期には無かったのである。なぜそんな事になったのか。それは絵の価値が無くなったのである。こう言うと腹を立てる人が多かろう。だがそれは事実である。あるものの価値が普遍的に続く、と言う事はない、と言うのは自明の真理である。それを絵画にだけは適用できないと思う事こそが不自然である。

 例えば日本刀である。武士の世には侍の魂、と言われるだけの価値があった。事実在ったのである。最高の武器としての刀である。戦う事を仕事とする侍にとって、刀は最高の価値があるのは当然であった。火縄銃が導入された時代にあっても、取り扱いが不便なばかりに刀は携帯して容易に使用できるというメリットから銃が刀に完全に置き換わる事は無かった。それが撃鉄や薬莢を使用して、雨天でも容易に使用できる小銃や携帯できる拳銃が発明されると刀はとってかわられた。それでも銃剣が使用されたように、第二次大戦でも刀は使用された。

 しかし最新の武器の地位を追われた刀は、日本刀のような高度な技術を要するものは、作られ使用される事は無くなったのである。つまりものごとに普遍的に価値が続く、と言う事は無いという事の見本である。しかしかつて作られた日本刀には優れたものが残っている。現代に存在価値がなくなっても、存在が輝いていた時代に作られた作品は、実用される事はなくても、現代にも存在感はある。ダビンチの絵画が現代に存在価値はないとしても、存在価値がある時代に作られたからこそ、現代にも輝いて見えるのである。しかし存在価値のない現代に作られた絵画は輝く事は無い。いや、正確にはわずなかな分野で絵画は存在価値があり、わずかに存在を誇示しているのも事実である事を付言する。しかしそれはわずかな量しかないのも悲しい事実である。展覧会というものは現代に存在意義のない絵画と言うものに存在する場所を無理に与えるものである。

 それでは何故絵画が駆逐されたのか。馬鹿馬鹿しいと言うなかれ。絵画を駆逐したのは何を隠そう写真である。写真の初期は単にあるがままに物を写すだけ、と言うより、ようやく物の形らしく写るだけ、というしろものだった。それを克服しても色の問題が残った。カラーは珍しいだけでリアルではなかった。それすら現代では克服された。ニューヨークのメトロポリタン美術館のレンブラントの自画像を見た。まるで皮膚の下に血が流れているかのようであった。現代のような写真技術がない時代にあっては、この技術は唯一無二の価値があった。他にとって代わるものはあり得ないのであった。そこに1つの絵画の価値はあった。

 しかしどうだろう。あけすけに言えば、そのような写真は現代のプロの写真家には容易に写せるのだ。一部の人は写真は誰でも同じように撮れると思っているのかも知れない。しかしプロの写真と素人写真を比べればすぐ分かるように、写真は明らかに撮影者の技量を反映する。つまり単に同じに写るのではなく、撮影者の意図を反映する。種類は違うが絵画が筆者の技量を反映するのと同じである。写真技術の進歩は筆で自在に描くように、カメラで自在に撮影する事を可能としたのである。こうして写真は絵画を駆逐した。絵画が価値のあった時代に作られたもののうち、優れたものは永遠に人々を引きつけるのだろう。しかし絵画の制作という行為は自体は永遠の価値を持つものではない。

○なぜ沖縄に基地があるか
産経新聞の11月10日の1面に某大学教授の論説が載った。タイトルは「外交の内政化」で民主党批判である。普天間飛行場の県外移設は、鳩山内閣の閣僚の誰かの選挙区移転でも考えない限り不可能であるというのだ。逆に言えば日本の国内のどこかの地域住民が同意すれば移設は可能であると言っているのだ。某教授は果たしてアメリカが日本のどこかが受け入れれば移転に同意するとでも思っているのだろうか。まさに教授自身が沖縄の基地問題を国内問題に矮小化している。この教授も民主党も国際的な軍事問題である、沖縄の基地問題を国内問題や対米関係に矮小化している。本来つまり自分も横這いする蟹のお母さんである。沖縄の基地の重要性は、世界地図を見れば一目瞭然である。台湾と沖縄の距離は500km程度であろう。

 九州と沖縄の距離はそれよりずっと遠い。普天間基地の県外移設となれば、台湾までの距離は1000kmを遥かに超える。軍用機の往復を考えればこの距離の差は大きい。この事は台湾に中共軍が侵攻しようとした場合に、米国が対抗する事が現在よりも遥かに困難になるのは間違いない事を意味している。沖縄の米軍が減る事は、中共の台湾侵略を容易にするが故に戦争の誘発を招く。平和主義者が戦争を招く、の典型である。戦争を招かないまでも、中共の軍事的脅威から、台湾は中共に戦争なくして屈伏して呑み込まれる事もあり得る。台湾国民が中共に併合されて幸せになれようはずがない。某教授は自分自身が外交的な危険も考慮しないで民主党は外交を内政化しようとしていると批判している。

 沖縄から米軍が出られない理由はそればかりではない。沖縄はフィリピンと台湾に対する距離が似ている。しかし米軍はフィリピンの基地反対運動で撤退した。つまり沖縄は台湾に対する唯一の防衛の要となったのである。なぜ米軍はフィリピンから出て行ったのか。それはどの評論家も言わないが、フィリピンの反米感情は我々が思うより遥かに強いからだ。原因はフィリピンを植民地にしている間に悪逆の限りを尽くしたからである。例えばフィリピンを併合する機会となった米西戦争(アメリカとスペインの戦争)の際に、フィリピン独立の指導者に米国の味方をして、スペインと戦えば戦後フィリピンを独立させると約束した。米国はスペインに勝つと約束を反故にした。

 そればかりではない。その指導者を捉えて、足を銃で打って動けないようにして、血を流してもがき苦しむのを放置して1週間生かして、散々苦しめてから殺したのである。同様な殺害シーンはロボコップのパート1でも見られたからこうした拷問殺人は米国人の得意とするところだったのだろう。これは1例に過ぎない。米国はフィリピンで暴虐の限りを尽くしたから反米運動が起きたのである。大東亜戦争でフィリピン人が米国の味方をしたのは米国が圧倒的に強く、日本に味方をしても何の益もないと判断したからであって米国に好意を持っていたからではない。つまり米国は日本より怖かったのである。

 さて沖縄の米軍駐留は日本にとっても利益が多い。フィリピンから米軍が出て行って何が起きたか。フィリピンと中共は南沙諸島つまりスプラトリーの領有を争っていた。中共はフィリピンから米軍が撤退すると同時に、スプラトリーに軍隊を送って支配してしまった。フィリピンは米軍の撤退によって領土争いに何もせず負けたのである。日本も沖縄付近に尖閣諸島と言う島があり、中共はそれを自国領だと主張している。また東シナ海のガス田について中共と権利を争っている。沖縄の米軍が減れば、尖閣諸島にも軍隊を派遣して奪い、ガス田は全て自分のものとして日本の言う事を聞くはずはない。沖縄の米軍の撤退はそんな危険をはらんでいる。それどころか中共は沖縄は自分の領土だと主張しているのだ。

 それでも沖縄から出ていけ、と言う人に言おう。日本が領土を失わず台湾侵略を防ぎ、米軍に沖縄から出て行ってもらう方法はある。それは日本の軍隊が米軍に代わって沖縄に駐屯して中共の軍事力に対抗して東アジアの安定を保つ事である。それも嫌だと民主党政権は言うから何もできないのである。アジアの力の空白を埋めて中共の侵略を防ぐのは日本の他にない。


○西洋文明も模倣から始まった
 現在の西洋文明も模倣から始まった。それは当然である。文明は過去あるいは同時代の先進の文明の模倣から始まる。現代ヨーロッパ文明は古代ギリシア、ローマ時代、あるいはアラビア文明の模倣から始まった。分かりやすいのが絵画である。キリスト教絵画である。ダビンチなどのような立体的写実的がギリシア時代からヨーロッパで連綿として続いてきたかのように考えるのは、単純明白な誤りである。

 中世のヨーロッパなどは世界の文明の片田舎であった。文明の中心はペルシア、ビザンツ帝国などのイスラム帝国であった。ヨーロッパは神聖ローマ帝国などと言っているが、それは古代ローマ帝国などの古代文明の地域をゲルマンなどの蛮族が侵入して蹂躙した後の残骸である。西洋史の歴史書にもローマ帝国の復興などと言っているが、かつてローマ帝国の中心があった地域に、この地域に侵入した別のいくつかの民族が新しい帝国を建てただけのことである。

 ローマ帝国の復興を呼号したのは、ローマ帝国こそこの地域の正当な支配者であると考えられていたからに過ぎない。つまりローマ帝国の再現と称することによって自らの支配の正統を主張していたのである。ヨーロッパ地域におけるかつての最大の帝国であった、ローマ帝国とは、正当な支配者を意味していた。このことは支那大陸で、周辺から侵入して王朝を倒した異民族が、中華帝国皇帝を名乗ったことと酷似している。

 そして当時のヨーロッパのキリスト教絵画は、東洋風の平面的な描写であった。それがルネッサンスの時期を経て、現在のような立体的写実的な絵画に生まれ変わった。西洋絵画の立体的な表現は、ギリシア・ローマの写術的な彫刻の模写から始まったのである。ルネッサンスとは文明復興とも訳される。つまり古代ギリシア・ローマ文明を我らヨーロッパ人は取り戻すのだ、という宣言である。

 ここに巧妙な嘘がある。これではあたかも連綿として続いてきたヨーロッパ人自身が、かつての古代ヨーロッパ文明を取り戻す、という嘘である。古代ギリシア・ローマのヨーロッパ人と現代ヨーロッパ人には何ら民族のDNAは繋がっていない、異民族である。現代ヨーロッパ人は古代ギリシア・ローマ人の文明を模倣して、あたかもその末裔であるように振舞っているだけである。

 だからルネッサンスとは文明の遅れたヨーロッパ人が古代文明を取り入れて、イスラム世界のくびきから脱しようとして立ち上がった運動である。文学の方面では、古代ギリシア・ローマの古典はアラビア語に翻訳されていて、それをドイツ語、フランス語などのヨーロッパの言語に翻訳することからルネッサンスは始まった。

 ギリシア・ローマの古代文明はアラビア語圏のイスラム世界に継承されていたのである。つまり現代のアジア諸国の多くには、自らの言語で書かれた科学技術書がなく、多くの場合英文の書物を読まなければならない。簡単にいえば、当時のヨーロッパはそうした文明後進地域だったのである。

 ヨーロッパ人はアラビア語を通してそれを模倣したのである。現代数学に使われている数字はアラビア数字であることなどは、その象徴である。皆様、何故「アラビア」数字が「ヨーロッパ」人に使われているのかこれで理解いただけたでしょう。その後アラビア語からの翻訳ではなく、ラテン語から直接ヨーロッパの言語に翻訳されるようになった。

 西洋文明はギリシア・ローマ文明の模倣である。それは恥ずべきことではない。文明の継承は模倣から始まるからである。そして私は、ルネッサンス以後現代に至るまで、ヨーロッパの文明の発展は恐るべきものがある、ということを認めるのにやぶさかではない。


○金正日は独裁者ではない
 こう言ったらびっくり仰天するだろうか。だがカッパビジネスの「北朝鮮崩壊と日本」と言う、北朝鮮問題の専門家の佐藤勝巳氏が13年前つまり平成8年に共著として書いた本は、そう結論しているのである。この本では色々な証拠をあげて、金日成死後の北朝鮮は、後継者金正日には実権がないから崩壊すると論考している。しかし佐藤氏が検証できたのは、金正日に実権がない、と言うその時の事実であって、北朝鮮が崩壊するというのは、予測でしかない。つまり当たるも八卦である。しかし、金正日に実権がない、と言うのは現在までの情報からも見当違いではないかも知れないのである。

 金正日の肉声がほとんど公表されていないのは有名である。しかし過去にこのような独裁者はただの一人もいなかった。私の推測はこうである。確かに父の金日成は典型的な独裁者であった。自ら決定し、指示を出して言った。真偽は定かではないが、朝鮮戦争で米軍に追い詰められてパニックに陥った部下を自ら射殺したこともあったと伝えられる。典型的な独断である。しかし金正日は肉声の演説が報道されたのはただ1度だけである。それも短いフレーズを叫んだだけである。しかし金正日の近くにいた人によると、映画など好きなことを話すときは饒舌であるという。にもかかわらず演説はできないのである。

 これは金正日は思いつきで好きなことは話せるが、公式の場で、脈絡の通ったきちんとした話をすることができないことを意味している。これは演説ではなくても、多数の部下を前にして公式な指示を出す能力がないことを意味している。これは独裁者として部下に命令することができないことにほかならない。にもかかわらず国家元首として君臨しているのはなぜか。それは、金日成亡き後、息子のうちには有能な指導者たる人物はいなかった。それならば、後継者の大義名分は、長男たる金正日にある。一番無難なのである。映画や料理が好きな金正日には日常は政治ではなく、そちらの方面に没頭していただいて、政治は側近たちが相談して行う。

 かつての江戸時代の殿様と家老の関係を考えればいいだろう。政治は家老たちが相談して行うのである。独裁者としての能力がなく、芸術に興味が深い金正日にとっても都合が良かったのである。こうして金正日は公式行事には列席するだけ。必要な演説は部下が行う。時々は指導と称して地方に行き、にこにこして歩きまわる。それだけの公務をこなせば、あとは好きな芸術と料理に没頭することを家老たちは許してくれるのである。ここで特徴的なのは、金正日に代わって演説する者は常に特定の人ではない、ということである。特定の人が行えば結局その人物に権力が集中するし、周辺からはその人が実質的権力者と判断されて、金日成の正当な後継者ではないのに、と非難されて、虚構の金正日支配が崩壊して政治は混乱する。

 つまりこのような影の集団指導体制は、体制の維持に必要な知恵から生まれたベストなものなのである。だからこそ、病んだ金正日の映像をそのまま国民に見せ、後継者の誕生が必要だと知らせる。そして集団指導体制は、大義名分の立つ後任の指導者を選定して決定するのである。北朝鮮の指導者は能力ではなく、血統の正当性から決定される。だから権力闘争が行われるとしたら、後継指導者の候補から行われることはないだろう。権力闘争は集団指導体制の仲間内で、誰を後継者にすべきかという論争の形で行われる可能性しかない。だが金正日が後継指導者として選定される過程で、激しい権力闘争が行われた形跡がないことから、今回も激しい権力闘争が行われることはないだろう。

 その原因は、後継者を決定して権力闘争に勝った者が実質的に大きな権力や利益を手中にする、といった権力闘争に伴う利益が、北朝鮮の集団指導体制にはなさそうだからである。権力闘争に負けると失脚するということもなさそうだからである。だがこの推測も、情報統制によって権力闘争が完全に隠蔽されているとしたら外れることになる。いずれにしても現在の北朝鮮は、あくまでも金正日の名前のもとに統治されているのであって、特定の個人が背後で実質的権力者であることはなさそうである。今回の核実験やミサイル発射など、国際社会を嘲笑するようなできごとも、金正日個人の発案ではなく、集団で相談して行ったことのように思われる。

○中国は北朝鮮の核武装を望んでいる。
 中国が制止するにも拘わらず、北朝鮮は核実験したり、ミサイルの実験をしたりしている。これをもって、北朝鮮は中国のメンツをつぶしたと主張するむきがある。これは中国がメンツを重んじる国だという誤った思い込みによる誤解である。中国人はメンツなど重んじはしない。それは過去の行動から明白である。鄧小平は、黒い猫でも白い猫でも、餌を取る猫はいい猫である、とか何とか言った。そしてあっさりと毛沢東の自力更生路線を放棄した。これはメンツを重んじる者の行動ではない。儲かれば何をしてもよいと言うのだから。メンツを重んじるなどと思うのは支那の古典の世界であって、現実の中国人の話ではない。

 中国人は大人(たいじんと読んで下さい)などと言うのも同様である。かつて賠償を放棄すると日本に約束したのに、平然と中国は被害を受けたから、中国にODAなどの支援をするのは当然であると言って、日本の援助について、国民にも知らせず日本にも感謝しない。これでは大人でもメンツを重んじるのでも、プライドが高い民族でもないことは明白である。 だいいち北朝鮮にメンツをつぶされたと考えているのなら、日本が提案した北朝鮮非難決議を議長声明に後退させるはずがない。メンツをつぶされて怒るならたのなら、北朝鮮に侵攻しても不思議ではない。多くの識者の意見に反して、中国は北朝鮮の核武装を密かに望んでいるのである。

  さて本題は、なぜ中国が北朝鮮の核武装を放置しているかである。北朝鮮はミサイルの射程を逐次延伸している。従っていつかはアメリカに届くミサイル、つまり大陸間弾道ミサイルを開発する。これは米国の脅威にはなるが、中国の脅威にはならない。中国は北朝鮮から核ミサイル攻撃を受けて、少々の被害を受けても動じない。国民の被害を無視できる政治体制である。しかし米国はそうではない。北朝鮮から核の恫喝を受ければ民心は動揺する。つまり核ミサイルは一方的に米国への脅威となる。そして北朝鮮が中国を核攻撃すれば、地上軍でも核兵器によってでも北朝鮮は、瞬時にして全滅させられる。北朝鮮の核は中国とって何の脅威でもない。

 しかも中国は北朝鮮が米国の核攻撃を受けたところで何の痛痒も感じない。ところがさすがに中国といえども、米国が大量の核兵器で全力で核攻撃をすれば、壊滅の危機を感じる。つまり中国は北朝鮮の核兵器で米国に脅威を与えることで、自らは安全圏にいて、米国を恫喝できるのだ。もちろん隣国である北朝鮮は、地上から中国から蹂躙されるから、中国のいうことを最後には聞く。つまり北朝鮮は中国の核の手駒なのである。いざ台湾問題などで米中が緊張すれば、中国は、北朝鮮の核兵器を使って、米国の介入を阻止できる。

 かく説明した理由から、中国は世界の常識に反して、米国に届く北の核ミサイルの開発を望んでいる。だから中国は、本気になれば北朝鮮の核武装を阻止できるのに、あえてそれをしないのである。中国人はメンツを重んじるなどというのは幻想である。

○ヴァイツゼッカーの演説の「荒野の40年」は謝罪ではない

ドイツ民族には罪がなく、悪いのはヒトラーだけ

 左翼の人士が日本は過去の歴史について比較して、日本は謝罪していないが、ドイツは謝罪していると常に引き合いに出すのが、元西独大統領、ヴァイツゼッカーの演説「荒れ野の40年」である。ところが岩波ブックレット版で仔細にチェックした結論は、実は謝罪などはしておらずドイツ民族の弁明である事が分かる。つまりヴァイツゼッカーが意図した「謝罪しているふりをしながら何も謝罪しない」という事に見事に引っかかったのである。いや引っかかった振りをして日本を糾弾する愚かな人たちである。

 第一にこの演説には謝罪するとか申し訳ないとかいうように、明白に謝罪を意味する言葉はただのひとつも使われていないのである。それだけでも謝罪していないと言う明白な証拠である。だからこの演説によって謝罪に伴う新たな賠償が発生する事はなかった。 全部を通じての特徴はドイツ帝国が行った「悪事」を全てヒトラー個人の責任にしている事である。最大の悪事とされるユダヤ人種の抹殺についてすら「この犯罪に手を下したのは少数です。公けの目にはふれないようになっていたのであります。」と断言する。ホロコーストですら、ドイツ国民は何も知らずヒトラーと取り巻きの少数の悪人の犯罪だ、と言ってのけるのである。

 そして「一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。」とさえ言う。地下鉄サリン事件は麻原をボスとするオウムの人たちの犯罪であって、日本民族は関係ない、という論理と同じある。ヒトラーを国内犯罪者の一人として追及しているのに過ぎないのだ。

 「今日の人口の大部分はあの当時子供だったか、まだ生まれていませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。」とも言う。

 ほとんどのドイツ人に罪がないばかりではなく、ドイツ人に罪を認めよなどと言う外国人は人間の情けの欠落した人であるとすら抗議しているのだ。そう自己主張するのは都合が悪いのは充分承知している。だから「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けなければなりません。全員が過去からの帰結に関りっており、過去に対する責任を負わされているのであります。」と言ってみせる。

 ドイツ人は罪がないが、ヒトラーたちの犯罪に対する責任は引き受けてやるというのだ。罪を犯してもいないものが、その責任をとると言うのは謙虚に聞こえるが、自分たちは罪がないと言っているのだから、責任を取ってあげるほどの善人だという傲慢さが隠れている。なぜなら罪がないなら責任を取る必要はないからだ。責任を取るというのはドイツがナチスの被害者に対して個人補償している事をいっているのであろう。

 ところがこの本の解説では、次のような事を村上という日本人の大学教授によって書かれているのだ。

 たとえばわが国の「教科書問題」その他においても明らかになったように、国や民族の罪責は、威信や面子のために覆い隠されるのがふつうである。・・・ヴァイツゼッカー大統領の、この無防備ともいえる(それだけに一層心にしみる)率直さはどこから来たのか。

と書く。この人の読解力はどうなっているのだろうか。ヴァイツゼッカーははっきりと、一民族に全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません、とドイツ民族の罪を否定しているのに。無防備どころがドイツ民族をホロコーストの罪の責任から防備しようとしているのは明瞭ではないか。ドイツは謝罪していると言う絶対的な先入観念に囚われると、こうも間違ったことを平気で言えるものなのだろうか。

謝るとは言わない、ただ思い浮かべるだけ
・・・ドイツの強制収容所で命を奪われた六百万のユダヤ人を思い浮かべます。・・・から始まって、戦いに苦しんだ全ての民族、虐殺された人々、銃殺された人質、レジスタンスの犠牲者、などをあげて、これらの人たちに「思い浮かべます」と言っているのに過ぎない。これらの人たちに「謝罪する」とは決して言わない。
 思い浮かべるだけなのだ。それに対して、済まないとか悲惨だとか具体的に、どう思うかは絶対に言わないのだ。それどころか、これらの犠牲者のうちにドイツ人も入っているとさえ言っている。そしてドイツ人だけに対しては、単に思い浮かべるのではない

 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で、捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス・・・これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。

 つまり外国人に対しては単に思い浮かべるのに過ぎないのに、ドイツ人には悲しみや敬意という感情を持って思い浮かべるというのだ。何という自国民だけに対する贔屓であろう。何とホロコーストの犠牲者に対しては何の感情も表明しないのにドイツ人には最大限の同情を表明している。なんという事だろう。虐殺されたユダヤ人に対して哀悼の意さえ表明しないとはどういうことだ。思い浮かべる、と言うのは最大限の表現だと、かの教授なら言うかもしれない。それならば、同胞に限って、哀しみのうちに思い浮かべる、などと余計な形容詞を付ける必要はないのだ。

 この演説には「ナチスの悪事」に対するコメントは必ず「思い浮かべる」とか「心に刻む」という言葉が使われているのが特徴である。これらは単に記憶している、という事実を言っているのであって、それに対する何の感情も表明してはいない。謝罪どころか遺憾であるとさえ言わないのである。
 ドイツ人は論理的な民族であると言われる。だからヴァイツゼッカーの言葉はこのように論理的に解釈すべきなのだ。聞いた国民もそのように正確に解釈したのに違いないのである。
 唯一罪を認めている箇所がある。
・・・第二次大戦勃発についてのドイツの罪責が濠も軽減されることはありません。

 第二次大戦が起きたのはドイツが悪いと言っているのだ。せいぜいそれだけなのである。あたかも裁判官が有罪である、と宣告するように客観的事実を言っているのに過ぎず、だから謝りますとは絶対に言わない。戦争による犠牲に対して済まないとも謝らない。その事は、色々なドイツによる犠牲者を例示する時に必ず、それを相殺するようにドイツ人の犠牲者もあげていることからもわかる。そして開戦の罪があるといいながら、独ソ不可侵条約に言及して、きちんとソ連も一緒にポーランド侵攻を行ったと、ソ連を非難する事を言っている。これは開戦の原因になったポーランド分割について、ソ連にも同等の責任があると、言っている。つまり戦勝国のソ連の責任にも言及している。

連合国だって悪い事をしている
 そしてイギリスの一教師の例を挙げる。この教師は英爆撃機に搭乗して、教会と民間住宅を爆撃したとの告白の手紙をこの教会に出して、和睦の証を求めたと言うのだ。つまり戦争ではドイツばかりでなく、連合国も民間人を不法に爆撃するという悪い事をしてるぜ、と言っているのだ。このように相手には容赦なく批判しているのだ。言辞は穏やかだが内容は痛烈である。
 狡猾なのは、他の箇所では言及の対象をドイツ民族とか、ドイツ人とか対象を明瞭にしているのに、唯一罪責と言って罪と責任に言及している箇所では、ここでは国だか民族だかはっきりしない、ドイツとだけ言っている事である。このドイツとは当時のドイツ国家つまりナチスの支配するドイツであるから、結局開戦の罪責もヒトラーにかぶせているのに過ぎない。
 そしてドイツの被害についてもちゃんと言及する。

 何百万ものドイツ人が西への移動を強いられたあと、何百万人のポーランド人が、そして何百万のロシア人が移動してまいりました。いずれも意向を尋ねられることがなく・・・
不正に対しどんな補償をし、それぞれに正当ないい分をかみ合わせたところで、彼らの身の上に加えられたことについての埋合わせをしてあげるわけにいかない人びとなのであります(拍手)。

 これはソ連がポーランド領を奪い、その代わりにポーランドにドイツ領を与えてドイツ人を追放したことを言っている。移動させられたロシア人もポーランド人も被害者だと言うのだろうが、ここでもドイツ人だけが、強いられた、と被害を強調している。この侵略行為をしたソ連の罪は補償できないほど大きいと言っているのだ。そして聴衆からは拍手である。聴衆はソ連の罪をきちんとヴァイツゼッカーがきちんと糾弾したのを理解して、喜びの拍手をしているのである。

ヒトラーの悪事の原因は彼を選んだドイツ人ではなく、脆弱な民主主義
 そのヒトラーを民主主義の手続きにより選んだのは、ドイツ国民であった。そして次々と領土を回復しさらに拡大したヒトラーを拍手喝采して迎えたのはドイツ国民であった。しかし演説は、

 脆弱なワイマール期の民主主義にはヒトラーを阻止する力がありませんでした。そしてヨーロッパの西側諸国も無力であり、そのことによってこの宿命的な事態の推移に加担したのですが、チャーチルはこれを「悪意はないが無実とはいいかねる」と評しております。

 という。つまりドイツにあってヒトラーを誕生させ悪事を働かせたのは、ドイツ人ではなく、脆弱な民主主義であると責任転嫁する。反面、チャーチルの言葉を引用して、ヨーロッパ諸国はヒトラーの悪事に間接的に加担したと糾弾するのである。見事な責任転嫁と回避であるではないか。これがどうして自らを悔いるものの言であり得ようか。

ドイツ人がユダヤ人を嫌うのは当たり前
 ヴァイツゼッカー演説の最後は実に奇異である。若い人にお願いしたい。他のひとびとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることにないようにしていただきたい。と前置きしてひと語りする。敵意や憎悪の対象とはだれだろうか。ロシア人、アメリカ人、ユダヤ人、トルコ人、黒人、白人だと言っているのである。

 つまり今のドイツ人はこれらの人々に悪感情を抱いているというのである。でなければ憎悪するなとドイツ国民に説得する事はありえない。なんとこのなかにはホロコーストの被害者のユダヤ人も含まれている。奇異だと言ったのはその事である。ドイツ民族はユダヤ人を憎悪する理由があると言っている。ヴァイツゼッカーはこれらの人たちに謝罪していると言われるのだが、なぜわざわざ憎悪するなと言うのだろうか。

多くのドイツ人はこれらの人たちを憎悪する理由があると考えているからだ。ヴァイツゼッカーはドイツ人がこれらの人々に憎悪を抱くのは理由のある当然の事だが我慢せよ、と説いているのである。謝罪ならどうして最後に、わざわざこんな事を言わなければならないのだろうか。そしてしめくくりの言葉は「今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。」と言うのだ。

真実を直視することが謝罪する者ばかりにではなく、常に正しい事を行っている者にも言える真実である。つまりヴァイツゼッカーは謝罪しているのではなく、高見に立って教訓をたれているのだ。

不見識な日本の政治家に比べ、政治家として立派なヴァイツゼッカー
 私はヴァイツゼッカーを非難しているのではない。むしろ政治家として賞賛している。戦後ドイツは侵略とホロコーストのひどい民族として非難にさらされてきた。それに対して、謝罪しているかのような体裁をとりながら、実はドイツ民族の弁明をしているのである。日本の政治家のように一方的に日本の過去を弾劾して得意になっている愚かな者たちと違い、ドイツ民族を狡猾な、と言って悪ければ、巧みな言辞を持って保護しようとしているのだ。

 ヴァイツゼッカーの深謀遠慮が成功した事は、その後の経過から分かる。村山元首相の謝罪談話はその後も日本を非難する材料として、国内外から蒸し返されるが、ヴァイツゼッカー演説はそのような利用はされていない。利用されるはずのない仕掛けになっているのだ。だから愚かな日本人と違い、賢いドイツ国民は、この演説をドイツ非難の言辞として利用する事は皆無である。

 このような狡猾さは、正に危機にある民族の政治家に求められる資質である。愚かな日本の政治家はできるだけ誠実に謝罪しさえすればよいと、小学校の級長さんより愚かな事を考えている。だが謝罪すればするほど日本の立場が悪くなっているのは現実ではないか。この状態が続く限り、日本民族は滅びの道を歩んでいる。ドイツ民族は絶望からの脱出の道を歩んでいる。まさにこの点こそ日本はドイツに見習うべきなのである。

○共産主義崩壊の不思議
 共産主義の崩壊は実に奇妙な事件だった。なぜなら共産主義という、世にも稀な体制が崩壊したのにもかかわらず、何も混乱が起きなかったのからである。ソ連と言う共産主義体制では私有財産は禁止されていた。従って土地や建物などの資産は全て国有であった。

 それが廃止されて全て個人が持つことになれば、国有財産の分配をめぐって、奪い合いが起きて、大混乱が起きるとは誰も想像する。ところが私有への移行にあたって何の混乱も起きなかった。国営工場でさえ、すんなりと民営化した。これは単純な私の頭には不思議なのだが、誰一人としてそのことに疑問を呈する人は専門家ですらいなかった。

 その理由は案外簡単なのである。つまり建前の国有などというものはとうに崩壊していて、実際には全ての土地などの資産は私有化されていたのである。これは当たり前の事なのかも知れない。ある農家が土地を耕している。隣の農家も土地を耕している。

 すると必然的にお互いの農地に境界ができる。するとこの農家が耕している土地は、国有と言う建前とは逆にその農家の占有するものとなる。つまり他人が勝手に耕すことが出来ない事実上の私有地になる。つまり全資産の国有などと言うものはありえないフィクションだったのである。

 それでもスターリンや毛沢東の時代には、農民を強制的に集めて集団で共同農業をさせた。これがコルフォーズや人民公社である。しかしこれも短期間で無理があって自然崩壊した。しかしこれらの集団農場の時代を日本の共産主義者は愚かにも礼賛したのである。

 しかもソ連や中共の集団農場華やかなりし頃ですら、全体の農地に占める集団農場の比率はわずかであったと推定される。つまり共産化などというものは当初からインチキだったのに違いない。

 だがインチキ共産主義にも支配者にはメリットがある。つまり農地も全部国有なのだから、そこからとれた農産物は全て国有だと主張できる。スターリンは軍事力を高めるために、重工業に大規模投資した。その資金を得るために農産物を農民から取り上げて輸出した。

 農民は自分の農産物があるのに奪われて大量に餓死した。いわゆる「飢餓輸出」である。そして工場を建てる家やダム、道路を建設する土地が必要なら国民からただで無条件に強制的に取り上げることができる。何せ土地は全て国家のものだからである。これは中共では今でも行われている。

 共産主義とは単なる計画経済ではない。国家が国民の権利を蹂躙するのに都合が良い体制に過ぎない。つまりソ連における共産主義の崩壊とは、国家が理不尽に国民を蹂躙する体制の崩壊であった。国民に歓迎される体制に混乱が起こるはずはない。

○虎の尾を踏んだ小澤
小澤一郎の側近が逮捕された。何故か。虎の尾を踏んだのである。小澤は米国のクリントンと会談した直後、米軍は第七艦隊だけ日本近海にいればよく、地上軍はいらないと言明した。クリントンおばさんの顔をつぶしたのだ。リベラルと言われるクリントンですら、対日戦の成果のひとつは沖縄に恒久的基地を得て、大陸への足がかりを作ったと認識している。

 日本人のほとんどは敗戦のみじめさからようやく立ち直ったため、世界各国の第一の関心が国防だという事を忘れている。小澤は無防備に、アメリカは日本本土から出て行けと言ったのである。そんな事は防衛音痴の村山元首相すら言わなかった。小澤は自民党政権憎しの日本のマスコミが、いかなる失言をしても許されていることに甘えたのである。

 米国が数十万の犠牲の上に得た日本の基地を手放すはずがない。そんな明白なことすら分からないのが小澤である。クリントンは次期日本総理として小澤と会談した。それなのに直後にアメリカは出て行けと言い放ったのである。もしかすると日本の民主党政権をアメリカは許容するのかも知れない。

 しかしそれはアメリカの言う事を聞くのが絶対条件である。だから小澤をつぶして民主党に警告しているのである。第一小澤が金権政治家の田中角栄の愛弟子である。典型的金権政治家である。つぶす材料はいくらでもある。金権政治反対のマスコミが小澤の民主党を支援していること自体大矛盾である。

 小澤はよほど反省しない限りアメリカにつぶされる。そもそも小澤は総選挙で勝っても負けても無用となる存在である。数から言えば民主党の多数は反小澤である。だから選挙に負ければ小澤は役立たずで追放される。勝てば思想の合わない小澤は無用である。

 これを諺に、
狡兎死して走狗煮らる、と言う。

外交を知らない外交評論家

 産経新聞の平成22年11月30日の一面の岡本行夫氏の記事には驚いた。中国は穏やかになってきた、と言うタイトルが示すように、中国は昔のように強硬ではなく、穏やかで理性的になったというものである。外交評論家たる岡本氏がこのように情緒的言辞で一貫した文章を書くのだから、日本人が外交下手と言われるのも無理はなかろうと思う。

 氏が中国で講演した時に、小泉首相の靖国参拝の心情を説明し、小泉さんを嫌いにならないで下さいと結んだら期せずして聴衆から拍手が起きた、というのはその典型である。中国のような言論統制された独裁国で、国民が正直な心情を公的な場で表明できると考えているのだろうか。

 あきれたのは日本軍が繰り返し爆撃した重慶でも聴衆は温かかったと言う言葉である。東京では同じような時期に、繰り返し空襲を受け、東京大空襲では市民を一晩に10万人も殺戮した。東京は桁違いの被害を受けたのである。重慶爆撃の主目標が軍事施設であったのに対して、東京では市民がターゲットにされた。

 それでも日本で講演するアメリカ人に対して、現在の日本人が冷たいと言う事が考えられると言うのだろうか。この比較からも岡本氏の心理はまともではない。岡本氏は日本だけは悪いことをしたから永遠に恨まれるのは当然と言う心情にあるから、温かい反応があると感涙にむせぶのだろう。中国政府の指示があれば聴衆は一転して岡本氏に罵声をあびせても、不思議ではないのが現在の中国である。

 中国にけちをつけるのが流行になったとか、中国の悪口を言うのを止めよ、と岡本氏は言うが、つい最近まで一般市民でも、中国四千年の歴史などというコマーシャルが使われるように、中国には好意的であった。度重なる食品汚染の事件やオリンピックの聖火リレーでの中国人の暴圧的態度に、市民は中国人の実態に目覚めたのである。そのような人は私の周囲にもいくらでもいる。けちをつける、などと言うのは事実に反して文句を言うという意味だから、話にならない。中国のやり方はおかしいという事実を指摘するのは、けちをつけるとは言わない。

 過去の過ちを認めた途端に今の日本に誇りが持てなくなるのか、と言う。今日本に対して日本軍の残虐行為など、作られた日本の過ちはとてつもなくひどいのがわからないのだろうか。そのような話を信じたら日本に誇りを持てない方が普通である。産経新聞の平成22年11月23日に曽野綾子氏がその証拠を示している。昔の週刊朝日に歌手の加藤登紀子氏がのせた文章である。

 日本という言葉を発するときに、たえず嫌悪の匂いが私の中に生まれ、その言葉から逃れたい衝動にかられる。

と加藤氏は書いている。加藤氏は日本に誇りを持てないと書いているのである。その原因は分かるだろう。これでも岡本氏は前言を撤回しないのだろうか。岡本氏が簡単に認めてもいいではないか、という日本の過去の過ちとはこれほど日本に誇りをもてなくするものなのである。岡本氏は単に一般論として過去の過ちを認めても国に対する誇りは失わないはずだ、という事を言っているのに過ぎず、現実に日本で起きている、日本人自身が日本に対する誇りが失っているという事実を見ていないのである。


 博識な岡本氏がその事を知らぬはずはないから、これは詭弁と言われても仕方ないであろう。私は外交を専門とする岡本氏がこれほど情緒的な論文を書くのが信じられない。外交とは憎悪する相手にも微笑んで握手する場面もあるからだ。中国でやさしくされたから、といって全面的に信じるという外交評論家の見識を疑う。

何故映画の画面は大きいのか

 この質問に何と皆さんは答えるでしょう。テレビは画面が小さく迫力がないから、とでも言うのでしょうか。もちろんこれは本末転倒です。元々昔は動画を見ることが出来るのは、映画しかなかったのですから。そう考えれば理由は分かります。映画を映す装置やフィルムなどは高価で、映すにも特殊な技術が必要である。つまり今のテレビ用に家庭で映画を見るのは不可能なのである。当時家庭では、せいぜい幻燈というちゃちなものしかなかった。

 この事情は今でも変わらないのである。つまり高価な映画を有料で見ることが出来るようにするには、一度に多数の観客が必要である。多数の人が同時に見るには、画面が大きくなくてはならないのである。21インチの1台のテレビを100人で同時に見ることを想像すれば、納得できるだろう。ところがテレビの登場で、映画の衰退が始まった。特にカラーテレビが普及すると、映画はますます不利になる。

 その上ビデオが登場すると、映画もテレビ番組に関係なく、いつでも見られるようになった。このとき映画の唯一のメリットは、大画面と音声による大迫力となった。つまり大画面は映画の必要条件だったのが、メリットに転換したのである。映画のメリットは多数の観客を動員することによる、高額の制作費を使った良い映画を作ることができる、と言う点にも発見された。なぜ洋画が一時日本映画をはるかにしのいだか。それは世界中に配給することによって、多数の観客を動員することができたからである。

 それによりパニック映画や、SFなどコストがかかるが、迫力があり大衆を楽しませることができる、映画を制作出来るになったのである。このとき日本では相変わらず金のかからない、家でお茶漬けをすするようなちまちました映画か、ピンク映画や、やくざ映画に走った。これでは大衆を動員できようはずがない。日本映画が復活したのは、結局洋画をみならったからである。

 大画面は良いのに違いない。初期のテレビは14インチが主流であった。しかしデジタル放送などにより、いい画質の番組が出来、テレビで映画を見ることが一般化し、液晶テレビが普及すると、今や大衆は大画面テレビに走っている。今では夫婦二人だけの少人数の家で40インチ以上のテレビも、ごく普通である。40インチ以上のブラウン管テレビは、想像してもぞっとするほど大きいし、デジタル放送でなければ、画面が粗くてみられたものではない。やはり大画面はいいのである。つまり映画は初期のメリットとは違う面を生かして復活したのである。

 復活したといっても、動画を映画が独占していたのとは違う。映画が産業として成り立つことを再び可能にしたのである。そのことにより、ライターや監督、俳優といった人材まで、優秀な才能の者達が、映画に戻ってくる。そのことにより映画の質を高めて、映画の人気も高める。それで映画とテレビが共存する時代が来たのである。


保守の奇妙な田母神論文批判
 東洋学園大学准教授の櫻田淳氏が産経新聞の11月7日の「正論」で田母神前航空幕僚長の投稿論文に対する批判をした。ひとつは田母神論文は左翼側をかえって勢いづかせてしまって逆効果だといういうことである。この、いわば田母神論文迷惑論は案外保守の主流であるように思われる。実際、左翼は抗議しながら相手のエラーだとして内心歓迎しているとしか思われないからである。

 しかし大部分の政治家が、本心を公表する事を避けてきた結果がこのていたらくである。保守戦後かなりの間、ためにする一部の左翼はともかく、保守政治家や多数の国民は、日本が侵略国だなどとは思っていなかったはずである。その当時周囲の顔色をうかがって、自己主張しなかった結果、現在では安倍元首相などの保守政治家でさえ、日本は侵略国ではなかったと本音事を公言できない事態に陥った。すべては日本的な穏便に過ごすという考えを大多数がとったための結果である。

 なるほど目先を考えれば田母神氏は黙っていればよかったのだろう。だが長年大部分のの保守政治家や政府関係者がそうしていた結果、自国を悪者だったと規定した、世界に類例がない村山談話さえ定着してしまった。本心はそう思っていなくても、村山談話を踏襲すると歴代内閣は言わざるをえないはめに陥っている。それもこれも大多数がことなかれ主義を通した多年の積み重ねの結果である。

 集団自衛権の行使を否定するなど、日本の国防政策が歪んだのは、日本を侵略国だと認めたことが前提だから、正すためには歴史認識の誤りを指摘しなければならない。そもそも田母神氏などの政府関係者が現行の政府の間違いを指摘するな、というのがおかしいのである。現在の法律に改善すべき点があれば、それを主張して法律改正を行うと言うのは、政府関係者の責務ですらある。現在の国防行政が間違っているということを指摘できる最適の人は、国防のプロたる自衛官である。その自衛官が現在の国防のおかしさを指摘していけないというのは異常である。

 かの石原莞爾がそうであったように、国防の戦略は世界観、歴史観の裏づけが必要である。単に戦闘技術への習熟ばかりではだめである。特に国防の幹部にはそれが求められる。田母神氏が国防に関連する戦史の認識のおかしさを指摘するのは責務である。ところが自衛隊や防衛省内部に適切に研究や意見発表すべき場がないから、氏は民間論文への応募と言う奇策に出なければならなかったのである。国防の現場の意見をくみあげるシステムがないのは危険な事である。

 また桜田氏の「日本の自衛隊は、往時の日本の軍隊とは違う」と言ったのは愕然とした。左翼にとって残虐な日本軍と、日本のアジア侵略とは不可分なのである。櫻田氏は田母神論文は内容は正しいと言いながら、無意識に左翼史観に毒されているように思われる。

○何故航空母艦の艦橋は右舷にある

 航空母艦の艦橋は右舷つまり後方から見て、必ず右にある。私の知る範囲では、左舷に艦橋があるのは、日本海軍の赤城と飛龍だけである。これには明白な理由があるのに違いない。だが私の知る限り、この事を明瞭に説明した日本の書籍はない。

 古本に属するが、手元にある潮書房刊の軍艦メカ3、全特集、日本の空母のp10に、「この方式は気流に乱れを生じて不具合であることが判明し」と説明されているだけである。私の知る範囲では日本では大抵そう説明されている。

 しかし前後関係と違い、右と左は条件が対称だから、条件に相違が出る理由がないから、左舷に置いたほうが右舷より気流の乱れがなるというのでは、説明にならないのは明白である。この理由は知識があれば簡単に片がつく。

 ご存じないだろうか。プロペラ機を後方から見ると、必ずプロペラは時計方向に回転している。その反対は、極めて稀な例外しかない。すると飛行機は左方向に旋回するトルクが働く。特に離陸上昇でエンジンの馬力が最大になっているときに激しい。

 これでお分かりだろう。左舷に艦橋があると、このトルクにより衝突しやすいという気持になる。実際にはトルクは舵で修正するから問題はないが、心理的にパイロットには大きなプレッシャーになる。

 ちなみに戦時中、零戦に追いかけられた米軍機は、加速して右に横転して逃げろと教えられた。これは零戦は高速では舵の効きが悪くなるため、米軍機よりエンジントルクに逆らって右横転する性能が悪かったためである。

 それでは、プロペラのないジェット機の時代にも、何故航空母艦の艦橋は右にあるのか、という疑問は当然である。ジェット機にもプロペラはないが、コンプレッサーはある。コンプレッサーとは小さなプロペラが沢山ついたようなものである。

 そしてこれを整流するために、固定のタービンが付いている。これがコンプレッサーの反動を受けるから、結局同じトルクが発生する。私が疑問に思うのはそればかりではない。なぜこれほど単純なことを、多くの雑誌等の筆者が分からないか、ということである。

 私は、この原因は多くの航空機関係の雑誌に記事を書く筆者は工学の素養がないとしか思われない人が多いのではないかという疑問である。工学の素養とは工学部系の大学や専門学校で学んだことがある、という事では必ずしもない。独学でも何でもいいから、工学の基礎を学んだか、という事である。

 公刊されている雑誌や書籍で、明らかに工学の素養の欠如している人が、堂々とその方面に言及して、間違えたことを平然と述べていることが案外多いことから、私はそう疑わざるを得ない。例えばある著名な軍学者が、単行本に、レシプロエンジンでは、オクタン価が高いほうがいい、という意味の事を言っていたのに、私は唖然とした。 

 
○日本は幸運の国である

 世界は、おおむね自由貿易を行っている。その恩恵を現在の日本は存分に享受している。多くの日本人はそれを当然なことだと思っている。しかし、戦前の世界はそうではなかった。アジア・アフリカの各地のほとんどは、欧米諸国の植民地であった。アジアでも、独立国はタイと日本だけ。中国ですら、半植民地であった。だから日本が自由貿易によって繁栄する、などという事はありえなかった。 

 それが、独立して世界で200あまりの独立国が出来て、自由貿易が行われるようになったのは、「無謀にも」日本が大東亜戦争を起こしたからである。結果論であろうと、日本が明治以降、日清、日露戦争や大東亜戦争を起こした事によって世界の植民地が解放されたのは、動かすことのできぬ事実である。

 政治は結果が全てである。である以上、日本は世界の植民地の独立を達成したのである。例えば、一度日本の手で、独立を宣言したインドネシアは、日本の敗戦後、再植民地化を目指してオランダが派兵してきたが、日本に負けた弱きオランダを見たインドネシア人は、四年間の死闘と数十万の犠牲を払った戦闘を続けて、独立を勝ち取った。

 こうして、世界の植民地は解放された。だが、大東亜戦争の開戦が後年遅れていたらどうなったかと仮定すると、日本の戦争が、最後の絶好のチャンスを逃さなかった事が分かる。もし五年遅れていれば、米国だけではなく、日本やソ連、その他の先進国は原爆とそれを運搬するミサイルを開発実用化していた。核兵器の時代に突入していたのである。

 これが何を意味するか、分かるだろうか。現在の核保有国間で、戦争は行われていない。つまり破壊力の過大な核兵器は、抑止力になって、戦争を行えない。つまり日本は米英の理不尽に挑戦はできない。逆に日本も米英に蹂躙される事はない。しかし、それは日本が、名誉白人国家として、植民地帝国の後ろに従うだけのことである。

 現在、チベットが中華帝国から独立できない如く、核保有国は、遠慮なく植民地を蹂躙弾圧して、世界の植民地状態は固定化される。つまり、日本は、核兵器時代に突入する直前の最後に挑戦して成功した。もちろんそれは予想せざる事であった。だからこそ私は、日本が幸運な国だというのである。

 付言するが、ウクライナなどがソ連帝国から独立したのは、ソ連と言う植民地帝国の崩壊による。従って、通常の独立闘争では、容赦なく中華帝国に蹂躙される、ウィグルやチベットも、独立のチャンスは帝国の崩壊しかありえない。だが時間の経過はチベットやウィグルには不利に働く。

 ソ連帝国から独立した各国が、ソ連時代のロシア化政策によって未だに国内の分裂に悩まされているのが、それを実証している。例えば最近のグルジアでの戦争がそれを証明している。私は、ソ連は崩壊すべきだと願ったのであって、崩壊するとは予測はできなかった。ソ連の味方をしておきながら、小田実のようにソ連が崩壊するのは分かっていた、などと放言する嘘つきにはなりたくはないのである。

 中国はヨーロッパのような、中規模国家に分裂する方が、国民の幸せだと思っている。中国が、今のようにシーラカンスのような、現代の世界に存在する古代国家が、近代国家に変貌するには、それしかないからである。その事は、同じ支那系の民族が運営している、台湾やシンガポールの実績が証明している。

 しかし、近代国家への脱皮が五十年百年では到底できるはずがない事から、私が生きている間には、中国の分裂は起きるとは考えられない。台湾、シンガポールの例があると言うなかれ。かの国は、規模の小ささと、日本と英国の強制による教育の効果による事の影響が絶大なのであるから。

 声を大にして言おう。曲がりなりにも現在の世界が、西欧の植民地から解放され、近代社会にむかっているのは、日本のおかげである。日本は世界の宝である。次に世界がなすべきは、中華植民地帝国の解体である。14億の奴隷の解放は、それにかかっている。

○CO2排出ゼロの嘘

 某自動車メーカーが、電気自動車のコマーシャルをしている。地球温暖化防止ブームに乗って。電気自動車はCO2排出ゼロだと言うわけである。技術者が関与している以上、これは明白な虚偽である。電気は日本では、過半が火力発電である。火力発電は、石油か石炭で発電するから、CO2を出す。

 だから直接自動車からCO2を出さないと言うだけで、詐欺に等しい。そればかりではない。発電したものを充電して使うから、効率が落ちる。結局それを考えると、直接ガソリンを使うのとCO2の排出は大差ないのだ。

 それで某自動車のコマーシャルは、「走行中」のCO2排出ゼロと、コメントを変えた。これは嘘ではない。たが、電気自動車を走らせるのに、CO2はガソリン車と大差ないCO2が出るのだから、環境対策の効果はなく、その事情を分かっている悪質なデマに等しい。「走行中」と変えたのは、嘘だと分かっているから、確信犯である。

 ところがドジなもので、古いコマーシャルは今でもたまに流されていて、今日も「走行中」と断らずにCO2排出ゼロと宣伝しているのをつい最近見た。。エコなどと言うものは、かくもインチキな、商業主義によるものである。いまだに、地球温暖化で、北極の氷が溶けて、海面が上昇するなどと言うほらを宣伝しているものがいる。

 悪質なのは、物理の初歩を知っていれば、アルキメデスの原理によれば、温暖化で北極の氷が全部溶けても、海面の水位は1ミリたりとも、上がる事はないと知っていることである。そして科学者と自称している人が、中学生にもばれる嘘をついている。

 私はCO2の削減には賛成である。それは今のエネルギー事情からは、やはり効率的にエネルギーを使うのは、必須だからである。省エネには、何も地球温暖化などと、大見得を切る必要はないのである。

有名な零戦とは
 以前、有名な零戦の設計者、堀越二郎技師について、飛行機設計技術者の見識について疑義を呈した。その第二段である。左は昔作ったプラモの写真である。パイロットの座席を覆う部分をキャノピー、あるいは風防という。このHe112は現在の戦闘機にも広く使われている、バブルキャノピーを世界で最初に採用した機体である。日本の零戦が、良く似たキャノピーをしているのは分かると思う。

 バブルキャノピーは機体の外に飛び出しているので、パイロットの視界が良く、戦闘機に適している。このドイツ製の戦闘機を日本が輸入して、それを見た、堀越技師は当時設計を始めたばかりの零戦の試作機に急遽採用したのに違いない。零戦の場合、旧式な風防を採用した模型の写真も残っているから、間違いない。

 零戦は日本で始めて引込み脚を採用した、実用戦闘機であるが、これも輸入した米戦闘機の機構を真似た。これは現在では定説である。技術は模倣から始まるから、そのこと自体は恥ずべきことではない。問題は、堀越技師がバブルキャノピーや引込み脚の採用の経緯を隠していることである。

 技術者の将来への糧として、この経緯を残すのは貴重なことなのに、である。堀越技術は、著書「零戦」で技術上の特筆事項を得意げに挙げているのに、引込み脚とバブルキャノピーについては、全く言及しない。あたかも物まねを恥じているかのようである。そこまでは日本の技術史にありがちな隠蔽である。

 そこから事態は意外な展開をする。開戦の翌年の、昭和17年の6月、アリューシャン列島で米軍は飛行可能な零戦を手に入れた。零戦などの日本の戦闘機に手を焼いていた、米軍は徹底的に調査して、長所短所を発見した。バブルキャノピーが戦闘機に極めて有効だと判断して、以後同盟国の英国ともども、戦闘機にはバブルキャノピーを採用した。

 有名なマスタングやスピットファイアなどの既成の戦闘機も、ことごとく、バブルキャノピーに改造してしまった。だが、これが零戦の物まねである事は、堀越技師と同じく、英米の技術者も語らない。だからこれは、私の新説である。本家本元ののドイツでは、かなり遅くまで、本格的なバブルキャノピーは採用しなかった。だから英米が零戦を真似たのは事実である。

 米国が、こういうことに関してフランクだと言うのは嘘である。実質はともかく、日本の大和級戦艦が、世界で最大の主砲と装甲を持っていたのは事実である。ところが当時のアメリカは、世界一を自称していたために、そのことが気に入らなかった。そこで何をしたか。戦後、大和級戦艦の砲塔の装甲板を手に入れて、米国最大の戦艦の主砲で砲撃した。

 みごとに米戦艦の大砲は、大和級の戦艦の装甲を打ち抜いた。世界一の戦艦は米国のものである、というわけだ。ところがわずか、数百メートルに置いた装甲板を撃ったのだ。インチキである。これでは打ち抜けるのは当然である。実際には戦闘は、10kmとか30kmで行われる。それを誤魔化したのである。

 米海軍ですら、世界一を自負したいために、かくのごとき嘘をつく者たちなのである。だから、英米が零戦を模倣したなどと言うはずがない。堀越技師と同じくうそつきである。実は日本で最初にバブルキャノピーを採用したのは、陸軍の97式戦闘機である。設計者の小山技師は、試行錯誤をして、ようやくバブルキャノピーにたどりついたのは、ドイツのHe112と同じであるのは、技術史を考えると素晴らしい事実である。

 しかし小山技師のオリジナルは、完全なバブルキャノピーの寸前であった。設計の時期から考えて、97式戦闘機が、最後に完全なバブルキャノピーに脱皮したのは、He112の実物を見てからだと考えられる。それでも、オリジナルで直前までたどりついた小山技師のオリジナリティーは、真似をして語らない、堀越技師とは比べ物にならないと思われる。


常勤の派遣社員とは大いなる矛盾
今や日本の企業は、派遣やパートに支えられている。それはコストが正社員に比べて安いからである。それでは、派遣やパートのコストを安くできるのは何故か、皆さん考えたことがあるだろうか。例えばある会社で一年のうち、忙しいのが二ヶ月あり、その時期に必要な人数を正社員として雇っていたら、残りの10ヶ月は正社員が大量に余る。

 ある食堂で昼と夕しか、客が多くないとすれば、忙しい時期に合わせて調理人やウェーターを雇うと残りの時間には客より従業員が多い状態になり、これもコストの無駄である。さて一般には前者の場合には二ヶ月だけ派遣を雇い、後者の場合には昼と夜の忙しい間だけパートを雇えばよい。

 だがこれは、雇う側に都合が良く、派遣やパートをする側には、残りの期間や時間帯に仕事がなくなるのだから、年収が少なくなり生活が困難になる。そこで派遣の場合には、人材派遣会社に登録しておけば、残りの時期は別の会社に派遣されていれば、一年通しで働くことが出来る。パートの場合には、子育ての終わった主婦などで、一日働くのはいやだが、少しは働きたいというニーズがある人を雇えばよい。あるいは学生アルバイトである。ちなみに英語でアルバイトはパートタイマーという。

 これで雇う方も雇われる方も、両方ハッピーである。これが派遣やパートが始まったそもそもの論理のはずである。ところが実態はそうではない。派遣の多くが通年どころか、同じ会社で何年か働いているケースが圧倒的に多い。派遣が常勤化している。これは派遣の本来の姿ではない。派遣がいつもいるような必要がある仕事の量が常時あるなら、派遣でなく、正社員を雇うというのが本来の姿である。

 ところが現在の多くの企業では、派遣と正社員が区別がつかない状態で働いている。派遣は必要な短期だけではなく、正社員がやるべき常勤の仕事をしている。当初延べた理屈によって派遣社員の雇用がコスト削減になるなら常勤の派遣はコスト削減にならない。そんなことはない。コスト削減になるからあえて正社員を採用しないのである。

 最近は色々な圧力により改善されているものの、派遣には会社の経費を払わないことにより、諸経費が減らして正社員よりコストがかからないから、安上がりになる。以前は保険のたぐいもほとんどかけられていなかった。要するに正社員より悪い労働条件が可能なため安上がりになるのである。

 それでも改善されない事はある。派遣は一定の期間いると別な人に代わる。つまり同じ数の派遣がいるにもかかわらず、同じ人が定住する事は少ない。これにもからくりがある。正社員は年をとるから、年功序列で昇給する。しかし派遣は交代するために年をとらないのである。そうではなくても、派遣は技能で時間給が査定されるから、実際には年齢は考慮されない。

 いずれにしても、派遣はいつまでいても年功により昇給しないから、派遣の給料は低いまま抑えられる。このように派遣の存在は、現代の日本の矛盾を凝縮している。繰り返すが、常勤の派遣は正社員そのものである。最近、このようなケースで派遣を正社員にする動きがあるのは当然のことである。

○小人の国、中国
 上野動物園に中国からパンダが送られる。日中友好のあかしだという。しかしニュースを見て驚いた。なんとパンダは年に一億円(!)で貸与されるというのだ。友好のために送られるといえば、普通ただでくれるものだ。パンダは何年生きるか知れないが、毎年一億円を稼ぐのだ。

 大抵のサラリーマンには夢のような高収入である。プロ野球の選手だって毎年一億稼ぐ者はすくない。この批判に福田総理は、批判はごく一部でほとんどがかわいいパンダを見たいと言っている、と言ったと報じられた。この人には世間の感覚が通用しないらしい。パンダを連れてくれば、落ちた人気が回復すると思っているらしい。

 パンダで人気回復とは大人の感覚ではない。さらに馬鹿にされて支持率は落ちる。日本の首相なら、インドあたりに行って、友好のためにと言って丹頂鶴を送るとして、それに毎年カネを払えということは恥ずかしくて言えまい。ところが中国の元首は平気で言えるのだ。中国人のこのみみっちさ、ずるさ、自己中は冷凍餃子や聖火リレーの事件でわかったはずである。

 日本人は中国人を細かいことを気にしない大人という思い込みがある。だがこれで、中国人の本質は大人どころか、けちな小人であることがわかったろう。だが週間文春によれば、中国人のがめつさはこれでは済まないらしい。今後毎年、パンダ視察と称して、中国人が何人も来るというのだ。そしてその接待費を日本側に持たせるというのだ。これはたかりの世界である。一体中国人は恥と言うものを知らない民族らしい。

○中国にはオリンピックを開く資格はない
 オリンピック憲章を読んでいただきたい。オリンピックに参加するには、人権を守ることが規定されている。ところが中国の人権状況は世界でも最悪に属する。毛沢東による何千万もの国民の大量虐殺、最近でも天安門事件で、国民が軍隊や警察に殺害されたが、政府当局は死者ゼロなどととぼけたことを言っているので、犠牲者の数すら分からない。

 オリンピックが行われるとか、三峡ダムを作るとかの公共事業が行われると、政府は一方的に国民の土地を奪う。そもそも中国の土地は全て共産党のものなのである。中国の人権状況は最悪とされる北朝鮮と大差ない。だからオリンピック憲章によれば、中国にはオリンピックに参加する資格すらない。

 今日行われている聖火リレーについては、チベット支援者は平和的に抗議するのはいいが、暴力的な抗議活動はいけないと諭す人がいる。確かに法的にはそうであろう。こう考えていただきたい。ある家族で父親が年中暴力を振るう。ところが警察にいっても取り合ってくれないし、警察に言ったことがばれると、父親は家族を家に閉じ込めてしまう。

 そこで家族の一人が父親のいない隙に、窓を破って逃げ出して警察に行くがやはりとりあってはくれない。そこで外出中の父親に後ろから棒でおそいかかって怪我をさせる。こういう状況でもあなたは、家族は父親に怪我をさせるのは悪いと断定できるであろうか。殴られた父親に一方的に同情するであろうか。チベット支援者の暴力的抗議だけを批判するのはそれと同じことである。

 今の中国とチベットの状況はこういう関係にある。チベット人は漢民族ではなく、長年独立していた。かつての清朝においては満州族が支配し、漢民族はチベット人とともに被支配民族であった。もし清朝がチベットを支配していたから、チベットは中国の一部であるというのなら、逆に中国はチベットの一部であるとも言える。この論理は、インドが大英帝国の一部であったから、英国は歴史的にインドの一部であるというのと同じく荒唐無稽であることがわかるだろう。

 毛沢東は中国と同じく、せっかく清朝から独立したチベットを、朝鮮戦争で世界の目が朝鮮半島に向けられているどさくさに、チベットに軍隊を進め侵略してしまった。そして反抗するチベット人を何百万人も殺害した。そしてチベット仏教を禁じ、チベット語の代わりに中国語を教え、警察による拷問により恐怖の支配をした。そして計画的に漢民族を送り込み土地を奪い、今ではチベットですらチベット人は少数派になってしまった。

 中国のこれらの行為は「チベット入門」という本に詳しい。女性には文字にするのもはばかられる拷問を行った。これらの行為は実はチベットにだけ行われているのではなく、ウィグルなどの他民族に対しても、同じ残虐行為が現在でも行われている。もちろんこれは中国の法律にさえ違反している。中国では法が行われていないのである。中国では支配者の都合により権力が執行されているのに過ぎない。

 このような状況では先のチベットの暴動のように、国内では簡単に警察や軍隊が鎮圧されて抗議活動はできない。この事件では数百人が「自首」したと中国政府は発表した。どこに自首するやつがいるものか。彼らは恐ろしい拷問にあい、多数は二度と家に帰る事はないであろう。彼らは強制収用所に送られるか、拷問により虐殺されたのである。

 このように徹底的に違法な暴力で弾圧する非道な中国政府に対して、国外においての抗議活動、特に中国による海外イベントに対して、暴力的な抗議活動が行われたところで、その国の法律が執行されるのは当然である、とは言えても暴力行為は心情的には同情せざるを得ない。暴力的な抗議はいけないと諭す人に言う。

 それならば、あなたは中国による人権無視などというものではない、中国政府の非人道的な支配を止めさせて下さい。そうでなければあまりにバランスを欠いているのではありませんか。それが出来なければ、せめてフリーチベットの暴力的抗議活動に対する批判の何倍もの声で中国国内の非道を批判して下さい。

 チベット人の抗議は勝手に起きたのではなく、国内で中国政府の非道を抗議できないので、海外で行なっているのですから。全ての原因は中国政府にあるのですから。中国政府は聖火リレーとオリンピックを中国の威信を高め、異民族支配を正当化しようとしているのである。くしくも聖火リレーなるものはナチスドイツのベルリンオリンピックで国家の威信を高めるために始められた。

 ナチのユダヤ民族浄化を批判するならチベットやウィグルにおける民族浄化をも批判していただきたい。いや過ぎたことを批判するより、現在起きている不条理を批判するほうがもっと重要である。アメリカ人はしっかりしている。ワシントンのホロコースト記念博物館で、当時のベルリンオリンピック開催を批判するポスターなどを展示した特別展「ナチスの五輪」が行われている。このとき使われた聖火リレーのトーチも展示されている。

 この展示は何と昨日から始まったという。もちろん関係者は北京オリンピックとは関係ないと言っているそうだが、聖火リレーに対するトラブルが続出してから開催を決定したことは疑いない。何度でも言う。中国にはオリンピックを開催する資格はない。なぜ中国はかくもひどい国か。それは中国の歴史にある。アメリカにしたって元々はインディアンの土地をだまして奪って成立した国である。黒人に対する動物扱いから始まった。

 未だにインディアンに対する迫害はあり、黒人差別も存在している。しかしアメリカのわずか二百年の間に大幅に進歩したとは言える。ともかくも、自由と民主主義を標榜する国にはなったのである。一方中国は秦の始皇帝が始めて統一王朝を開いて歴史が始まって二千年たつ。その間の歴史は常に外来の民族が中国を征服して言語も風俗もそれに応じて変転しているのに過ぎない。中国服を見よ。異民族たる満州族のもので漢民族古来のものではない。その昔の南画の世界で着ている中国人の服とは全く異なることがわかる。異民族の衣装をあたかも中国古来のものかのようにして自慢している。

 詳しくは本ホームページの支那論を見ていただきたいが、常に破壊の歴史であって、過去を継承して発展することがなかった。だから国民同士の連帯感はなく、あるのは血族だけの団結である。不信と憎悪の世界である。だから中国の民度つまり国民のレベルは二千年変化していない。われわれは二千年前の野蛮な人類と相対しているのだ。だから中国人や中国政府の傲慢きわまりない態度も理解できよう。二千年前の人類には人権の観念はない。だから中国に人権はなく、チベットやウイグルを迫害するのは彼らにとって自然なことなのである。

○なぜ被害者の人権は守らない
 いわゆる人権派弁護士が、冤罪や不当裁判などの加害者の人権を守れと主張する。それはそれで良い。だが一方でそういう人たちに限って、被害者の人権を守ることを主張しないのは、考えてみれば奇妙である。加害者以上に、加害者から人権を蹂躙されているのは被害者であり、そのため加害者の人権が制限されるのは当然だからである。

 これは、人権派弁護士の目的は実は人権を守ることにないことを証明している。彼らは古典的左翼である。意識しようとしまいと、彼らは隠れ共産主義者なのである。資本主義社会における共産主義者の取るべき態度とは何か。彼らの目的は資本主義を倒して共産主義社会を実現することである。

 そのために革命を起こす必要がある。革命を起こすには多数の国民の支持が必要である。革命を起こすには多くの国民が現在の社会に著しい不満を持ち、革命による社会の激変しか社会の改善の方法はないと考えるに至る必要がある。共産主義者は革命を起こすには社会に対する不満をつのらせることが必要である。

 そのためには反権力でなければならない。つまり政府や警察等の権力者は悪いことをするものであるという意識を大衆に植え付ける必要がある。そこで加害者と被害者のどちらの側に立つべきか。被害者の側に立つのは検事や警察などの権力者の側である。これに対して警察などに取り調べられる被害者は権力に圧迫される、いわば反権力の立場である。

 ここに人権派弁護士、すなわち共産主義者は反権力として加害者の味方となる。そればかりではない。犯罪の被害者の多くは死亡している。つまり被害者の人権はもはや回復されることはない。つまり人権擁護をアピールするのに被害者は無用であり、生きて権力の側から投獄されて人権を制限されている者の方がアピールする。

 だから彼らは革命の雰囲気の醸成のために、犯罪者の人権擁護を叫ぶのである。裁判で検察の側が負ける事に意味があるのである。近年弁護士の倫理要綱が改正された。そこで消えた条文がある。真実の追究ということである。弁護士は真実を追究しなくても良いから、弁護を依頼した者に有利にすればよいということである。

 これは恐ろしいことである。弁護士が調査の結果、どう考えても犯罪を犯しているとしか判断されなくても、弁護士は真理を追究せずに、依頼者の有利になるように、はからえばよいということである。最近の裁判ではどう考えても犯人であるとしか考えられないような事件でも、無罪を主張したり心神喪失による無罪を主張する無理なケースが増えている。

 もちろんアメリカにはそのようなケースは多い。しかしアメリカの場合には単に金持ちから依頼されて、多額の弁護料をせしめるための銭ゲバ弁護士に過ぎない。しかし日本の弁護士の多くは、弁護料のために白を黒と主張するのではない。明らかに反権力の立場だけから無理な主張をしているのにすぎない。このような輩が増えることは平穏な日本社会にとって危険である。彼らの目的は人権擁護ではないどころか、かえって人権を蹂躙することにある。   いわゆる人権派弁護士が、冤罪や不当裁判などの加害者の人権を守れと主張する。それはそれで良い。だが一方でそういう人たちに限って、被害者の人権を守ることを主張しないのは、考えてみれば奇妙である。加害者以上に、加害者から人権を蹂躙されているのは被害者であり、そのため加害者の人権が制限されるのは当然だからである。

 これは、人権派弁護士の目的は実は人権を守ることにないことを証明している。彼らは古典的左翼である。意識しようとしまいと、彼らは隠れ共産主義者なのである。資本主義社会における共産主義者の取るべき態度とは何か。彼らの目的は資本主義を倒して共産主義社会を実現することである。

 そのために革命を起こす必要がある。革命を起こすには多数の国民の支持が必要である。革命を起こすには多くの国民が現在の社会に著しい不満を持ち、革命による社会の激変しか社会の改善の方法はないと考えるに至る必要がある。共産主義者は革命を起こすには社会に対する不満をつのらせることが必要である。

 そのためには反権力でなければならない。つまり政府や警察等の権力者は悪いことをするものであるという意識を大衆に植え付ける必要がある。そこで加害者と被害者のどちらの側に立つべきか。被害者の側に立つのは検事や警察などの権力者の側である。これに対して警察などに取り調べられる被害者は権力に圧迫される、いわば反権力の立場である。

 ここに人権派弁護士、すなわち共産主義者は反権力として加害者の味方となる。そればかりではない。犯罪の被害者の多くは死亡している。つまり被害者の人権はもはや回復されることはない。つまり人権擁護をアピールするのに被害者は無用であり、生きて権力の側から投獄されて人権を制限されている者の方がアピールする。

 だから彼らは革命の雰囲気の醸成のために、犯罪者の人権擁護を叫ぶのである。裁判で検察の側が負ける事に意味があるのである。近年弁護士の倫理要綱が改正された。そこで消えた条文がある。真実の追究ということである。弁護士は真実を追究しなくても良いから、弁護を依頼した者に有利にすればよいということである。

 これは恐ろしいことである。弁護士が調査の結果、どう考えても犯罪を犯しているとしか判断されなくても、弁護士は真理を追究せずに、依頼者の有利になるように、はからえばよいということである。最近の裁判ではどう考えても犯人であるとしか考えられないような事件でも、無罪を主張したり心神喪失による無罪を主張する無理なケースが増えている。

 もちろんアメリカにはそのようなケースは多い。しかしアメリカの場合には単に金持ちから依頼されて、多額の弁護料をせしめるための銭ゲバ弁護士に過ぎない。しかし日本の弁護士の多くは、弁護料のために白を黒と主張するのではない。明らかに反権力の立場だけから無理な主張をしているのにすぎない。このような輩が増えることは平穏な日本社会にとって危険である。彼らの目的は人権擁護ではないどころか、かえって人権を蹂躙することにある。  

○なめんなよ
 
大阪国際女子マラソンで期待された福士加代子選手は無残な結果に終わった。足を引っ掛けられたわけでもないのに、よたよたになって何回も転倒した上に、記録も悪かった。最後まであきらめずに走った精神力を賞賛する声が多いが私には到底そうは思えない。

 翌日の日経新聞によれば福士の練習は20km走のスピード練習が大部分で、最長は30km走が1回きりだったという。本人の意志なのか、監督の方針かは知らない。しかしこれはマラソンの距離をなめていたとしか思われない。誤った練習方法をとっていたのでは結果が悪いのは当然である。

 私もフルマラソンを数回走った経験がある。10km、20kmは毎週よく走っていたが、フルマラソンの距離は自信がなかった。そこで大会にエントリーする前に一度名古屋城の周回コースを走った。1周4キロのコースを10周走り、更に4分の1程走ったところで、とうとう足が動かなくなった。

 このコースは正確には4kmに少し足りないのだが、それでも40kmは走ったと思う。それで安心してエントリーした。その晩夕食をして、一人で缶ビールで乾杯して祝ったが、全部飲まないうちに睡魔に襲われて、八時前に寝てしまった。40kmの体力消耗はすごいものなのである。

 福士選手の無謀な挑戦については、スポーツ評論家の
二宮清純氏が、ある新聞で指摘していた。しかし問題はそれに止まらない。なぜあんな状態で完走させてしまったかである。あんな走りでは精神的にも肉体的にも福士選手には相当なダメージを残しているだろう。

 また私事になるが、私は間違ったトレーニングをして、膝に違和感があったのに走り続けたために、ランニングを1ヶ月休むはめになった。膝がロックして走れないのである。それでも問題なく回復したのだが、10年近く経ってから膝の違和感が再発して、段々痛みに変わっていって今に至っている。そこでやめる勇気の大切さというものを知った。

 福士選手や監督などは長い経験から、安全な無理と危険な無理の区別はつくはずである。福士選手は最初の転倒の際にレースをあきらめるべきだった。本人が走ろうとするなら、監督が止めるべきだった。外国人選手の優勝候補などは途中で歩き始めると案外早くレースを放棄するケースがある。

 これは外国時に特有のドライさなのではなく、無理して無残な記録を残すのなら後々良くないと考えた決断の結果だと思う。福士選手の監督は福士選手の将来のためにレースを放棄する勇気がなかったのに過ぎない。面子のために走り続けさせたのに過ぎない。完走するよりも途中で止めさせるほうが勇気がいるのである。

 福士選手は今後マラソンに復帰するには、レースを完走した以上の精神力がいるものと思う。なまじ完走したために、ダメージや恐怖感が残り今後は大変である。ど素人が生意気なことを言うが、マラソンはスタートラインに立ったときには、90%レースは終えているものである。つまりマラソンの結果はそれまでの練習の積み重ねと当日の体調で決まる。それをレース中の根性で克服できるほどマラソンは甘くはない。

○景気回復という不思議な言葉
 最近のニュースを聞くと不思議な言葉がある。経済学者や証券や金融のプロが、最近のサブプライムローン問題などに関連して、これからの景気の予測に使う言葉である。いわく、「今後の景気回復は減速するでしょう」、あるいは、「戦後最長の景気回復は続かないでしょう」、などである。

 「景気回復」とは何か。過去の常識から言えば不景気に対する「好景気」のことである。戦後最長の景気回復とは何か。戦後最も長く続いた好景気は「いざなぎ景気」である。これよりも長く続いた好景気のことを、戦後最長の景気回復と言っているのである。

 なぜ素直に好景気と言わないのか。今から考えてみれば、戦後最長の好景気に突入した時期にも何年かの間、経済の専門家は、長引く不況といい続けた。判断を誤ったのである。好況なのに不況といい続けたのである。その結果、経済の専門家は好景気という言葉はタブーとなった。

 そこで好景気を景気回復と置き換えたのである。これは日本陸軍が米軍に負けて退却するのを、転進とごまかしたのに似ている。日本軍のことを馬鹿にしたくせに、やっていることは同じである。景気回復という言葉は明らかにおかしいではないか。現状が悪いから回復というのである。

 現在良い状態にある時に使う言葉ではない。健康回復と言えば、悪い状態を脱して普通の状態になることである。健康回復しても、それは普通の状態になるに過ぎない。かくまで経済人はおろかである。バブルがはじけたときも、好景気の維持の対策が必要といい続けた。

 彼らは、今現在を振り返って、将来平成20年は不況であったと、将来いいかねないのである。戦後最長の好景気なら、いつ好景気がだめになってもおかしくはない。しかしそんな単純なことすら言わない。経済の専門家の景気予測があたったためしはない。あたることのない予測を平気で続けるのは、耐震偽装と同じで、故意にするインチキである。

○地球温暖化による海面上昇の嘘

 コップに水を入れて氷を浮かべて水の高さを計る。氷が全部溶けるまで待ってもう一度水位を計る。氷が溶けると水位は上がっているのだろうか?答えはアルキメデスの原理にある。いわく「液中の物体は自己と同体積の液の重さと同じ浮力を受ける。」

 コップの水に浮かべた氷の水中部分の体積は、水中水上の氷の全部の重さに等しい水の体積である。つまり氷が溶けて水になってしまえば、氷の体積は減って最初の水中部分の氷の体積になってしまう。氷が溶けても水位は上がらないのである。これは中学の理科の知識があれば分かる。

 さて世界最大の氷の塊は北極大陸である。大陸とはいうものの岩や土で出来ているのではなく、巨大な氷の塊が海に浮いているのに過ぎない。アルキメデスの原理によれば、地球が温暖化して北極の氷が全部溶けても海面は1mmたりとも上がらない。南極も海水が陸地の周囲で凍ったのだから、ことは北極と同じで、南極の氷が全部溶けても海面は上昇しない。

 世界で代表的な氷が全部溶けても海面は上昇しないのである。何故か地球温暖化の危機を説く学者たちはこの事実は言わない。彼らが中学の理科が理解できないはずがない。中学の理科を理解していない者が、地球温暖化というはるかにむずかしい現象を解明できるはずがないのである。私はここに地球温暖化論者の大きな不誠実を見る。

 さて残りはシベリアの凍土や氷河期にできた氷が溶けることである。これとて地図を見れば分かるように、地球全体の広大な海に比べればわずかなものである。これらが全部溶けたところで海面上昇は微々たるものであろう。私は寡聞にして地球温暖化論者が海面上昇の計算根拠を明示したものを見たことがない。ここにも疑問を感じる。

 先日のテレビで南方の島が温暖化による海面上昇で、海岸線が陸地に後退して面積が減り水害による被害を受けているという放送をしていた。これを見て不思議に思わないのだろうか。この島で海面が上昇するなら日本はもちろん、世界中で海面が上昇して大被害が出ているはずである。ところが海岸線の長い日本の砂浜で、海面上昇による海岸線の後退という被害はない。

 海岸に巨大なテトラポットが置かれているのを見たことがあるだろう。これは波によって砂浜の砂が浸食されて海岸の砂が削れて、海に持っていかれて海岸線が後退するのを防止するためである。つまりテレビで映された島の海岸線が後退したのは、海面上昇によるのではなく波による侵食である。テレビは地球温暖化被害を証明するために、いい加減な話に飛びついたのである。

 地球温暖化で海面上昇しているのなら、日本の海岸は後退して日本の国土の面積は目に見えて減っているはずである。日本は遠浅の海岸に恵まれているから、海面上昇の影響を受けやすい。また東京周辺には高さのごく低い埋立地が多い。だから海面が上昇すると、これらの埋立地はすぐ水中に没するはずである。

 ところが教科書によれば日本の国土の面積は50年前も今も37万平方キロメートルである。マクロにみれば国土面積の変化はないのである。あえて言おう。地球温暖化による最大の被害である、海面の上昇は大嘘なのである。


○日本は滅びつつある
 日本文明は滅びるという予言は明治開国以来、何度も多くの人によってなされた。一見安っぽいこの予言は意外なことに、大筋において正しいのではないかと思えるようになってきた。明治開国時の国粋主義者の危惧は、日本は洋化によって古来の日本文明を失ってしまうという単純素朴なものであった。

 この予感は素朴なだけ正しいと思える。彼らは日本人がただ日本語を喋るという日本人の特徴をかろうじて残し、洋服を着洋風の家に住み洋食を食べ、西洋の文明を楽しむというわけである。現代日本を見よ。おおむねそのようになっているではないか。

 さてここで文明を定義しなければならない。私は狭義の文明を普遍的なテクノロジーと考えられる。例えば自動車のように道を走行する技術は、実現する手段は各種の方法があるとはいうものの、同一の手順をふめば同一の結果が得られる。これを普遍的なテクノロジーという。

 明治維新において日本が西洋文明に圧倒されたのはこの点で日本文明が明らかに劣っていたからである。日本人が間違えたのは狭義の西洋文明すなわち機械技術が優れている故に、絵画や小説などの藝術といった文化方面まで劣っていると考えたことにある。油絵の即物的なリアリティー、技術方面の成果を系統的に取り入れた、洋画の遠近法などによって日本文化全体までが西洋に劣っていると誤解したことである。

 狭義の文明はテクノロジーであり、普遍性がある故に優劣をつけることが可能である。刀は鉄砲にかなわないのは明白である。しかし文化には優劣はない。レンブラントの絵画と浮世絵の優劣を比較するのは愚劣である。文化を支えるテクノロジーには優劣はある。しかし劣っていても、そのテクノロジーの限界に挑戦した文化の成果には優劣はない。

 しかし明治の日本人はそれを誤解した。そこで文化の方面まで西洋に劣るから洋風に乗り換えようとしたのである。明治の日本人は今の日本人が思うほど賢くはなかった。文明を定義しよう。狭義の文明とは普遍的テクノロジーである。ここで言う文明とは広義の文明であり、狭義の文明と文化を包含した民族の活動の全てである。

 日本の文明とは何か。全ての文明がそうであるように、日本の文明の中心は日本語である。次は天皇と神道である。天皇は神道の司祭である。まず日本に精神文明として神道が成立した。その後天皇は司祭の代表として現れた。だから順番は神道が先だが、千年以上も前から、天皇と神道はセットとなっている。これから生み出されるのが日本におけるコミュニティーのあり方である。以上が日本文明の基層である。

 それから周辺の文明の成果として歌舞伎や浮世絵といった伝統芸術がある。元号も同様である。最近では日本の芸術としてアニメをあげるむきもあるが、これは正しいのであろう。周辺の文明の成果であるといったのには意味がある。日本の文明は外来文明のコピーに過ぎないと言われる。しかし全ての文明はそれ以前に発達した文明のコピーから出発している。

 コピーから出発して、文明の基層により加工されて独自のものとなる。独自となったものはコピーとは言えない。全ての文明は先代文明のコピーである。ある文明の前の文明というように時代を遡っていくと、行き着く先はラッキョウと同じで何もないのであろう。オリジナルの原初文明などというものはないのである。

 それは時代を昔に遡っていくと、規模も深みも浅くなっていって限りなく無きに等しくなるからである。日本人は漢字を導入して独自の使い方と読みと仮名を生み出した。これらの成果は日本文明のものである。加工する手法は日本文明の基層が生みしたものである。現在の中国の漢字の用法を見るが良い。

 漢王朝までに成立した漢字の用法すなわち漢文とその読みは現在には全く継承されてはいない。現在の中国文は漢字を使っているだけで漢文ではない。現代支那人は論語などの漢文は読めない。それは源氏物語を現代日本人が読めないのとは異なり、異言語だからである。発音も全く異なる。

 しかも同じ中国文でも発音も用法も北京語や広東語などの地方言語では全く異なる。つまり現代中国文明は、漢王朝時代の文明の継承ではない。日本が異文明として漢字を受け入れたように現代シナ人は異文明として漢字を受け入れている。この点は多くの人が誤解している。現代支那人はDNAにおいても、文明的にもオリジナルの漢民族ではない。

 本論に戻ろう。文明の衰退とは何か。それは三種類ある。ひとつは文明のコピーからオリジナルを作る能力の退化である。次はそれを常に更新して新たなオリジナルを作り続ける能力である。致命的なものは基層の損傷による喪失である。私が日本文明が滅びつつあるといったのは、実にこの三つの現象が明治以降の日本に現れているからである。

 明治の日本は西洋のテクノロジーに圧倒された結果、前述のように日本文明全体を劣ったものとする傾向が蔓延した。その結果、西洋文明の正確なコピーこそが最善となる。実際にはあらゆるものを日本化して受け入れるのだが、あくまでも意識的目標は忠実な西洋の模倣である。

 衣服を見よ。西洋の衣服の直輸入であり、日本化はなされない。元号を見よ。かつて日本は支那の元号という制度を取り入れた。しかしシナと同じ元号は決して使わなかった。これが日本化である。日本は西暦に対して同じ事を試みた。西暦は支那や日本の元号と異なり、途中での変更がないため過去の事象間の時間間隔を計算しやすい。従って一見合理的である。

 実は年号のスタートをキリストという宗教者を使っているために不合理な面はあるが、とにかく便利である。そこで西暦のアナロジーから皇紀というものを発明した。神武天皇即位を起源とする通算年号である。昭和15年を皇紀2600年とする。しかしこれは大日本帝国の崩壊と共に放棄された。

 そして合理的であるとして、西暦をそのまま取り入れた。今、平成などの日本の元号が主力として使われているのは、役所の公文書くらいであり、新聞雑誌などは西暦が主である。これは明らかに文明のコピーからオリジナルを作る能力の喪失である。日本が支那の元号をそのまま使わなかったことに比べれば退化である。

 次は多くの日本固有の文化とされるものは何かを考えたい。歌舞伎、茶の湯、人形浄瑠璃などをあげてみよう。確かに日本独自の文化である。しかしこれらは完成された伝統芸能であって、現在演じられているのは過去の忠実な再現に過ぎない。歌舞伎は当初演じられたものの忠実な再現に過ぎない。演者も人間である以上個性というものは発揮される。しかしそれは伝統技能の枠内に過ぎない。

 現代の世相や事件というものを表現する歌舞伎は存在しない。つまり改良して更新する能力の喪失である。唯一気炎を掃いているのは落語であろう。落語には古典落語と現代落語がある。古典落語は過去の作品のなコピーである。しかし現代落語は必死に現代の世相や事件を表現しようとしている。正確にいえば、古典落語は単なるコピーではなく、オリジナルを毀損しない範囲で、現代の世相を取り入れて一部改変して演じられる。落語は、古典落語ですら現代をキャッチアップしようとしている。それが可能なうちは落語は、現代に生きていると言える。

 藝術はその時代を表現するために不断の改良がなされなければならない。それが停止したときは藝術の死である。改良がなされた結果、限界を超えて異質のものになる事が、あり得るのは当然のことである。

 歌舞伎と名がついてもルーツの阿国歌舞伎と現代残っている歌舞伎とはあらゆる面において異なる。私の説の正しいことはかくのごとくに事実が証明している。阿国歌舞伎は阿国歌舞伎に止まらなかったために藝術としての、文化としての生命を保ちえたのである。しかし見よ。歌舞伎、茶の湯、人形浄瑠璃はその進歩を停止した。多くの日本独自と呼ばれる文化はこの体たらくにある。自己の文化の不断の更新の能力の喪失である。

 第三の基層の損傷による喪失を見よう。確かに多くの日本人が新年に初詣に訪れるように、神道の精神は日本人には失われてはいないように思われる。神道に教義はない。しかし、日本人の日頃の立ち居振る舞い、善悪の判定の根底には神道の精神がある。しかし問題は天皇に対する態度である。

 戦後急激に皇室に対する畏敬は喪失された。大江健三郎のごときは天皇はいないほうが良いとさえ思っている。このような者たちが急激に増えている。それは戦前からマルクス主義の蔓延から始まり、敗戦による米国の日本再教育の成果でもある。事態は敗戦により急激に悪化した。

 あるいは言う。江戸時代の庶民は天皇の存在さえしらなかったと。そうではない。勤皇の旗印をあげるや天皇の権威の下に幕末浪士や大名までが結束したのは何故か。明治になるや皇民化教育が容易に成功し、わずかな日月で日清日露の戦争に多くの犠牲をだしても闘う兵士ができたのは何故かと。

 客観的な知識がなくても、多くの民草には京都にありがたき人がおわしますということを感じていたのである。しかしながら、マルクス主義と米国の支配は着実にこれを破壊しつつある。時間はかかるであろう。しかし破壊しつつあるという傾向に変化はない。現に女性天皇の容認などという主張がなされている。奇妙なことに女性天皇の容認という主張は多くが天皇自体を否定する者がなしていることである。女性天皇の容認説は天皇自体の否定の陰謀ことの証明である。

 やはり大東亜戦争の敗戦は致命的であった。白村江の戦いの敗戦でも日本は占領されなかった。蒙古襲来でも本土上陸はされたが、最終的には撃退した。大東亜戦争の敗戦は本土の占領とそれに伴う法律等の諸制度を米国の言うがままにされ、マスコミや教育界は言論統制されるという未曾有の事態を引き起こした。これが天皇と神道という日本の基層を侵しつつある。そして日本に残るものは、日本語だけとなる。

 それに付帯するものはコミュニティーのあり方であると言った。それはさらに確実に崩壊しつつある。会社社会の普及による村落共同体の崩壊である。かつては冠婚葬祭から老人福祉までを村落共同体が荷なってきた。現代で、それがあるのは既に例外と言ってよかろう。

 ひどい落ちを言おう。かく村落共同体すなわちコミュニティーの崩壊が日本の文明の根幹を破壊すると私はいった。その私自身が、子供のころから濃密な村落共同体に本能的恐怖を抱いているのである。 

○織田信長と米軍

 政教分離とは何か。日本では、政治が宗教を弾圧することないし、支配することをやめて、信教の自由を守ることだとされている。だがこれは大きな誤解である。日本の現実に照らしても、政教分離とは宗教の方が政治に関与することを防ぐことである。

 これはヨーロッパ諸国の近代においても同じだった。たとえばローマ法王のような宗教の指導者が政治に介入することを防ぐのである。宗教は心を支配している。人間の内面を支配していると言える。心を支配しているのだから、宗教の指導者が政治的影響力を行使するのは容易である。

 例えば議会制民主主義の世界にあっても、宗教の指導者がこの人に投票しなさいと言えば喜んで従う。これでは内心の自由により成立する議会制民主主義の公正な選挙は成立しない。宗教的指導者の言うがままに信者は投票することになるからである。利益誘導による投票の強要もあるではないかと言うなかれ。

 宗教に支配されたものは死をも恐れない。だが賄賂で投票するものは、命を賭けはしない。宗教の政治関与ほど近代社会に危険なものはない。だからこそ政教分離なのである。日本でそれを実行したのは織田信長であるというのは有名な話である。

 信長は苛烈な手段を用いた。それは宗教が僧兵などの軍事力を用いた政治集団と化したからである。詳しくは井沢元彦氏の著書をぜひ読んでいただきたい。言いたいのはそのことではない。とにかく信長は日本の宗教勢力が政治集団であったのを、皆殺しという手段で鎮圧して、政治に関与しない穏当な宗教集団だけを残したのである。

 日本人が今、宗教はやさしいものだと信じているのはその後の歴史の記憶しかなく、宗教が武士をも圧倒する武装集団で、江戸時代の藩にも相当する政治組織であった歴史を忘れてしまった。戦国時代の宗教とは自衛のために武装した戦国大名も破ったこともある強力な武装集団である。義経を襲った弁慶の本職は坊主であったことを思い出すがよい。

 本論に入ろう。だから日本人にはイスラム教を標榜する軍事的、政治的組織が存在することを理解し得ない。宗教家が政治支配しているアフガンの状況を理解し得ないのである。イラクの混乱も同様である。中東のイスラム社会はいわば信長以前の宗教支配の世界である。

 そこでは宗教の戒律が法律である。目には目を、の戒律が実行される。テロにより敵を殺して共に死んだものは天国に行ける。そう確信して宗教の指導者の指示を実行することに至福を感じる人たちである。

 これは打破すべきであろうか。近代社会に生きるものは打破すべきと考えるであろう。宗教が国家を支配するイスラム社会には近代社会は成立しない。近代社会を絶対善とせず、イスラム社会でもいいという相対主義的考え方もよかろう。

 だが現実はイスラム社会が人道を抑圧してその苦痛に庶民は呻吟している。これに対して、近代社会が人間の可能性を謳歌して、人類の進歩が近代社会に向かうべきであるのは現実が示している。間違いなくイスラム社会は停滞した、今後の世界のあるべき指標に反する。日本がかつて克服したごとく、克服すべき事態である。

 克服する方法は何か。その前例は織田信長が示した。方法は圧倒的軍事力による虐殺である。これをイラクで実行しているのは他ならぬ米軍である。米軍の戦いはテロとの戦いではない。宗教との戦いである。

 たしかに米国もヨーロッパも日本に比べれば、はるかに政教分離の進んでいない国家である。大統領の就任に聖書に誓う国家である。それでもはるかにイスラム国家より政教分離は進んでいる。日本より政教分離が進んでいないにもかかわらず、政教分離という標語を発明した。

それは科学においてあらゆる現象を法則として定式化したことと同じである。同じ事をしても西洋人は表現が適切なのである。米国は意識しようとしまいとイスラム国家の政教分離を実行しようとしている。それは信長の日本における行為を世界的に展開しているのである。

 信長が宗教の牙を抜くのには多大の流血と弾圧を行った。世界の宗教勢力を政治に関与しない「平和的」勢力に転換させるのにも、多大な犠牲が必要であろう。米国がそれを成しうるか定かではない。少なくとも五年十年といった短期に成しうることではない。

 しかし歴史は、誰かがそれを成すことを求めている。いずれ宗教の無力化は歴史の趨勢である。米国が成さずとも、いずれ歴史のたどる道である。それがテロとの対決と言おうと、独裁の追放と言おうとそれは現実に対応するための口実に過ぎない。


○防衛省の汚職は武を軽蔑する日本の象徴
 守屋前防衛省事務次官の収賄事件は、妻まで関与するという前代未聞の不祥事である。犯罪の責は本人にあるのは当然のことである。だが、そのような犯罪モンスターを育てたのは日本国民である。多くの日本人は戦争はいやだとか、憲法9条違反であるとして自衛隊を日陰者扱いしてきた。

 かつては自衛隊の子弟だということだけで、犯罪者扱いする先生もいた。ノーベル賞作家の大江健三郎は、防衛大学卒業者を恥じだとまで言った。国防担当者は国民のために生命をも犠牲にする覚悟を前提にする者たちである。その犠牲的精神をかくまで侮蔑したのである。

 だから防衛省内でも同じことになる。国民が武を軽蔑すれば、防衛省内でも武に励むものは差別される。真剣に国防を考えるものは出世できない。かくして守屋のごとき利権や権謀術策の士が地位を極める。軍事的知識がなくても、国防の見識がなくても、いやないからこそトップになれる。

 シビリアンコントロールとは防衛庁の制服組を背広組が支配することではない。ところが武を軽蔑する日本ではそうとられているから、守屋などはそれを利用する。シビリアンコントロールとは政治家が軍人をコントロールすることである。しかしそれには重大な前提がある。

 政治家が軍人をコントロールして弊害のない軍事的知識を充分に持つことである。でなければ兵器の調達にも、軍事作戦にも政治家が口を出せばとんでもない結果が出る。大東亜戦争では、無能な指揮官のために多くの兵士が犠牲となった。これと同じことがへたなシビリアンコントロールによって発生する。

 兵器の調達でも軍事的合理性よりも守屋のような背広組や政治家が自己の都合で選ぶことができるようになれば、そこに発生するのは単なる金につらなる利権だけである。国防をまじめに考えない者にとって、購入する兵器が軍事に使用されるという認識が欠如している。すると、武器は利権の道具でしかなくなる。かくして利権モンスターの守屋はかくして生まれる。

 明治維新はなぜ成功したか。三百年の太平の中でも薩摩長州などは、武道の鍛錬を忘れなかった。武の心を忘れなかったのである。剣道という旧式な武道であっても、戦う心を忘れなかったからこそ、西洋の新式の武器を手にしたとき有効に活用しえたのである。

 当時の清朝は、カネにまかせて西洋の銃器や軍艦を買った。しかし武を忘れて堕落していたシナ人はそれを活用できず、西洋に植民地化され、日本との戦いにも負けた。守屋などは武器購入を出世やかね儲けの手段としたシナ人と同じある。日本は武を忘れ、清朝のシナ人と同じになったのである。

 武を忘れた清朝は隠して滅びた。そしてシナは軍事国家となった。そのシナに日本は海洋権益を侵されようとしても、戦争はいやだという武を忘れた精神を発揮している。だから日本は滅びる。


○軍事的に脅迫に屈した日本政府
 東シナ海のガス田開発で、日本政府は日本側が試掘を行うことを中止した。安倍内閣時代には中国側と話し合いが秋までにつかない場合には、試掘に向けた手続きを踏むこととしていた。ところが、福田内閣に代わってからこれを放棄したのである。福田内閣が中国側に卑屈なばかりに妥協的なことは、知られていることである。しかし、この重大な案件についての妥協は事ここに極まれりである。

 問題はそればかりではない。中国側は日本に対して、日本が試掘した場合には中国海軍が軍艦を派遣すると何度も発言している。これは明らかな軍事的脅迫である。戦闘も辞さないという脅迫である。福田内閣が試掘中止を決めたのは、この発言が関連しているとも伝えられている。このことは重大である。中国側は明らかに、日本政府は軍事的脅迫により試掘を中止したと判断する。

 すると中国側は、今後日本と外交的摩擦が起きたとき、何らかの軍事的脅迫を行えば日本側を一方的に妥協させることが出来るとの確信を持ったと判断すべきである。つまり中国は日本との外交に対して軍事的圧力を有効に使うようになる。これは最近では見られなくなった19性木の砲艦外交の再生である。中国は軍国主義国家の本質をむきだしにした。

 現在中国は東シナ海での四箇所のガス田採掘に際して、日本が主張する日中中間線ぎりぎりで採掘しているが、まだ中間線を越えてはいない。現在までは事実上日本の主張を是認している。日本の主張が国際法上の正統的なものだからでもある。ここで日本が採掘を行えば、国際法上、日本の主張が国際的に認められることになる。ところが今回日本が試掘を中止したことにより、中国側が自信を深めて中間線の日本側での採掘を始めることも考えられる。

 当然その時は今回より更に強い軍事力を背景にしてくる。そして日本側の主張する中間線は破られる。すると中間線は中国側の主張するものが国際的に認められることになる。これは何を意味するか。ただに資源の取り合いではない。領海に準じたものが侵されるのである。日本が中国から侵略される危険を福田内閣は招いている。日本人は中国の軍国主義的体質を悟るべきである。日中友好の美名に惑わされて中国に迎合すべきではない。

○創氏改名
 山本七平氏に「洪思翊中将の処刑」という著書がある。朝鮮人の日本陸軍軍人の物語である。この名前を見て不思議に思わないだろうか。当時日本では朝鮮や台湾に創氏改名を強制したと巷間では騒ぐ人士が多い。しかしそれならばこの名前は何であろうか。しかも陸軍の将軍が朝鮮名である。洪中将は陸軍大学の同期のトップグループで中将に昇進している。だから彼の同期で大将はいないのである。当時黒人は劣等人種だから将校になることはおろか、武器さえ持たせてもらえず、物資輸送や調理などにもっぱら使われていた米軍とは正反対である。

 それならば洪中将は創氏改名はしていなかったのか。正確にいえば創氏はしていたが改名はしていなかった。誤解されているが、創氏とは日本風な苗字をつけるという意味ではない。朝鮮や中国のファミリーネームは姓である。正確に言えば姓はファミリーネームではないがとりあえずこうたとえる。

 姓は結婚しても変わらない。血族のファミリーネームを引き継ぐのである。例えば蒋介石の妻は宋美麗である。日本では欧米と同じく結婚すると夫婦は同じファミリーネームにする。本当の意味のファミリーネームであろう。嫁は家に入るのである。家族の絆が近代社会の要件であると考えた日本は創氏を朝鮮と台湾で行った。

 現在の洪という名前を氏として登録する。するとその妻も洪という氏を名乗ることにする。ただし戸籍には妻の元の姓は保存記録されている。例えば金氏が金田という日本風な氏を望めば、金田という氏を名乗ることができるが、金という姓は戸籍に残る。 洪中将の場合は日本風な名前を申請せずに放置したために、自動的に洪という姓を家族の氏(ファミリーネーム)としても、そのまま当局が勝手に登録したのである。つまり洪氏は自動的に創氏されていたのである。改名の方は強制ではなかったから、日本風な名前を欲しいものだけが申請して改名された。

 創氏改名の動機は当時満洲や外国に進出していた朝鮮系の人たちが日本風名前の方が商売など仕事に有利だというので、改名の要望が多かったからである。従って改名した者は当然、氏も日本風なものが欲しかったために、氏名ともに改めてしまったのである。

 従って洪中将のように名前を変えないものは氏も新たに作ることはないから朝鮮名が全て保持されたように思われるが、創氏は行なわれたのである。ちなみに同化や民度の相違ということで朝鮮では改名は申請だけで済んだが、台湾では許可制で必ずしも認められなかった。

 洪中将の例の様に日本風に名前を改めなくても陸軍は差別しなかった。それどころか優秀だというので同期で最初に中将にする位公平だったのである。私事だが平成5年に不思議な体験をした。米国出張の際にシカゴのホテルで、トラベラーズチェックを現金に換える際に30歳前後位の東洋系の女性のキャッシャーがトラベラーズチェックを見ると、あなたのファーストネームは「トミオ」かと聞いてきた。トラベラーズチェックには真似されないようにわざと漢字で書いてあったから漢字を読めるのに違いないと思い、日本人かと聞き返した。

 すると彼女の父の名前もトミオと言い、台湾出身だと答えた。会話はそれで終わった。考え直すと奇妙である。彼女は台湾出身なのに漢字表記をトミオと日本風に読めたのである。当時の年齢からして彼女の父は戦前生まれである。そして父は娘にトミオという日本読みを教えていたのてはなかろうかと思うのである。そのことにとっさに気付いていればもう少し事情を聞けたのに後の祭りであった。

○中国の真実を知りたい人へ

 先日秋葉原で、中国人とおぼしき女性が配るチラシをもらった。タイトルは「大紀元時報」である。中国共産党、崩壊寸前、という「号外」である。この組織は、中国の共産党支配による独裁政権を告発したものである。

 中国本土ではgoogleが共産党政府に屈して、インターネット検閲を行っているように、言論と国民への弾圧が行われている、北朝鮮にも劣らない暗黒の恐怖政治が行われている。これを告発するサイトを紹介します。

「大紀元時報」で検索するのもよし、http://jp.epochtimes.com/で検索するもよし。中国は昔から国民を幸せにする善政など行われたことはなかった。日本にとっても二千年来、中国と国交を結んでいいことはなかった。中国は日本の疫病神である。疑う方はかのホームページをご覧あれ。


○日本人は猿である
 最近、テレビの洋画劇場で、「猿の惑星」が放送された。私には猿の惑星という映画を日本人が喜んで見る理由が分からなくなってきた。初回の作品では気付かなかった。だが皆様、変に思わないだろうか。日本人を西洋人は何と蔑称するか考えたことがあるだろうか。

 そう。
イエローモンキーである。猿が西洋人より武力を持って支配する。それでも文明は西洋人から借りたものなのだ。短い期間だがそんなことが現実に起きた。第二次大戦の初期に日本は東南アジアのイギリス、フランス、アメリカなどの植民地を占領した。その地で西洋人は日本人に負けて捕虜になった。

 それでひらめいたのである。そう、映画「猿の惑星」で白人に野蛮な支配をする猿とは日本人のことではないかと。文明人たる西洋人が武力だけに優れた野蛮な猿に捕まるというのが、猿の惑星のメインストーリーである。

 それは第二次大戦初頭、日本軍に負けて捕虜にされた西洋人の姿そのものである。このことに気付いたのは三作あたりだった。原作者
ピエール・ブール。なんと彼は東南アジアの植民地にいて日本軍の捕虜となったフランス人である。戦場にかける橋の原作者でもある。戦場にかける橋とは日本軍の命令で捕虜の英米人が、虐待されながら鉄道橋を架けるという話である。

 事実は日本人技師の設計と指導により橋は作られたのに、ピエールブールは日本人には橋を作る技術がないので、捕虜の英米人技術者の設計と指導により橋がかけられたという、物語に改ざんされている。要するに
日本人にはそんな技術はないという牢固たる先入観がある。そういえば零戦がアメリカ戦闘機をやっつけたとき、アメリカ人は零戦はアメリカの飛行機のコピーで、パイロットはドイツ人だと大真面目に考えた。彼らの偏見の強さがわかる。

 彼は文明人たる自分がが未開の猿たる日本人につかまった屈辱を映画にしたのである。中には良心的な猿もいる。そう。日本人にだって少しは西洋人らしい良心を持ったものもいるといいたいのだ。だが大多数は野蛮な猿だ。日本人たる猿が文明人の兵器を持ったときの恐怖。それがテーマである。

 猿の惑星とは西洋人の
人種偏見の産物である。後で聞くと、上映前、猿の惑星は日本ではごうごうたる非難の声が上がるのではないかと心配したという。心配は杞憂に終わった。なるほど日本人は愚かであった。やはりピエール・ブールは正しい。日本人は自分たちを世界に向けて侮辱されても気付かないほどおろかな猿だった。

 象徴的なのはエピローグである。猿は核兵器を唯一神として扱うおろかな生物であった。それゆえ賢明な白人は核兵器の信管をたたいて炸裂させ、世界は終える。
日本人に核兵器を持たせると世界の破滅になるというメッセージである。

 
日本人は強いが野蛮で、文明の利器を持たせるとコントロールできず、何をするか分からない野蛮人だという意識がそこにある。そのメッセージに気付かない日本人はやはり猿である。唯一の被爆国であり、それを訴える日本人。しかし西洋人には通用しない。西洋人にとって日本人は、原爆を崇拝するおろかな猿としか理解されていないのた。

 中国人も黒人も、インカ帝国も、インドもことごとく白人に従った。一時的であれ白人に勝利し、植民地をなくしてしまった日本人は白人の憎悪の対象である。日本人と同じように白人もなかよくしようと思っているのは思い込みである。それは最近の企業の敵対的買収でも明らかであろう。
白人の憎悪に気付かぬおろかな日本人


○朝日新聞は左か

 産経新聞を読んでいるといったらこういわれた。産経は右だ。朝日が左で、読売がやや右。毎日が中道であると。毎日の中道は意外だった。毎日は朝日と全く同じ論調が基本だが、コラムや何やらで突然読売に似た論調になることもある。

 要するに他の新聞のように思想統制が必ずしも万全ではないということである。さて毎日の評価はともかく、平凡なこの新聞左右論は正しいのだろうか。たとえば小泉首相の靖国神社参拝問題なら、朝日は反対、産経は賛成。だから朝日は右、産経は左となる。

 しかしこの評価は日本一国の国内だけに通用する相対評価である。アメリカで靖国神社に相当するアーリントン墓地に大統領が訪問するのを反対するマスコミはいない。してみるとアメリカのマスコミはみんな右か!靖国神社にはいわゆる「A級戦犯」が祀られているというなかれ。ベトナム戦争を侵略戦争と否定し去る米国マスコミですら、その戦死者を弔うアーリントン墓地に大統領がおとずれるのを反対するマスコミはない。

 中国や北朝鮮に思想的対立はないから論外である。朝日新聞は竹島は韓国に譲ったらとコラムに書いた。世界中の左右のマスコミがいかにあろうと、自国の領土を譲れと叫ぶ新聞はない。狂気の沙汰である。もし無政府主義を極左だと定義するなら、朝日のこの言動は極左そのものである。

 アメリカで核兵器保有に反対するものはいない。産経とて核兵器保有をちらつかせるものの、公然と核兵器保有を主張しない。日本では核兵器保有を主張すると極右よばわりされる。だが世界の趨勢では核保有の賛否は左右評価の対象ではない。左の代表格だったソ連は世界第二の核保有国だった。

 日本は全体的に左よりとも必ずしもいえない。日本では左右の評価軸さえ、世界標準からすればずれているのではなく、歪んでいる。世界では左右いずれのマスコミでも国益を考えている。日本では国益を重視するのが右で、中国やかつてのソ連や北朝鮮などの共産圏に迎合するのが左である。つまり世界の常識に従うのが右である。

 民主党はアメリカではリベラルで、相対的に左寄りとされる。しかし民主党のヒラリー・クリントンは戦前はイラク戦争開戦に賛成した。最近、撤退論に転じたのはイラク国内が泥沼化したからである。ベトナム戦争で反戦運動が起きたのもベトナム戦争が泥沼化したからである。かつてベトナム反戦運動をした歌手ジョーンバエズなどは、最近反戦運動が共産圏を利したとして反省している。日本国内の新聞や論者の左右評価などは大した意味はない。

○戦争とは何か
 戦争は好きですか、と聞かれて正面切って好きですと答える人はいないだろう。だがそれは本当の気持を答えたのだろうか。大河ドラマ「風林火山」は最近になく人気があるという。人気があるというのは好んで見る人が多いということである。だがこのドラマの時代は戦国時代である。日本中が戦争をしていた時代である。しかも物語りは武田信玄が軍師の山本勘助を使った戦いがメインテーマである。

 なるほどこのドラマには毎回戦闘シーンが出るからいやだと見ない人もいるだろう。しかし多数派は好んでみているから視聴率が上がる。もし戦争は嫌だからといって、このドラマから戦闘シーンを抜いたらドラマが成立しない。クリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」も同様である。手榴弾によるむごたらしい自決シーンもある。日本軍の絶望的な戦闘シーンがメインテーマである。私のように日本兵が米兵を機関銃でなぎ倒すシーンを見て心の中で快哉を叫んだ人も多いはずである。

 日本が勝っているシーンは、たとえ戦争であっても素直に喜ぶのである。それは本当ではないのか。それでも戦争は凄惨だからいやだ、では矛盾しているではないか。いや、矛盾はしていない。今からそれを説明しよう。そもそも、戦争はいやだと言う意見も、戦勝に快哉を叫んでいるのも、戦争の多面性の一部を表しているのに過ぎない。

 戦争にはいくつもの側面がある。このことをほとんどの人が理解していない。特に戦争は悲惨だからいやだと一方的に主張している人にこの傾向が強い。戦争の多面性とは何か。戦争にはいくつかの異なった見方ができる。それは

①政治の延長としての行動、②歴史、③叙事詩、④自己の直接体験、⑤軍事技術的側面

 実は戦争にはこれだけの多数の面がある。多くの日本人はこのことを理解しないから、世界の常識から取り残される。それを説明しよう。

①政治の延長としての行動
 イラクがクエートを電撃的に占拠併合したとき、米国はイラク軍の撤退を要求した。これは外交交渉である。しかしこれを拒否したために、アメリカは撤退期限を設定し、期限が切れても撤退しない場合は開戦すると通告した。イラクはこれを単なるブラフで開戦する気はないと見て無視したために、アメリカはイラクに侵攻して、湾岸戦争が行われた。

 この結果米国は、クェートの独立という政治目的を達成した。米国政府が行った、外交交渉も戦争も、クェートの独立回復という政治目的の手段に過ぎない。外交交渉で目的が達成されないから戦争と言う究極の手段にやむを得ず訴えたのである。

 政治としての戦争は単に政治家とってばかりではない。他国による侵略に対して個人が憤りを感じて、開戦と言う政治的判断に積極的に賛成するということもある。まさにパレスチナの人たちがイスラエルに絶望的な戦いを続けているのは、指導者の判断だけではできない。こうした国民の多数の支持がなければできない場合が多いのである。

 日本人の誤解はこの個人的な判断を過少視するか無視していることにある。独裁国では独裁者の命令により国民がいやいや戦争に駆り立てられることがあるという偏見である。独裁者スターリンですら、ドイツの侵略による祖国滅亡の危機を訴えて多くの国民の支持のもとに第二次大戦を戦った。

 ヒトラーはベルサイユ条約で奪われた領土を軍事力により回復し、国民は快哉を叫んだ。ドイツの「ヒトラー」という映画を見よ。ドイツ自ら起こした戦争であるにもかかわらず、侵攻する米ソ軍に対しても絶望的な戦いをしながらも、ドイツ軍は最後まで整然と戦い、国民は支持した。北朝鮮の金日成による韓国侵略は独裁者の過誤であるにもかかわらず、北朝鮮人民は嬉々として参戦した。

 繰り返す。独裁者がいやがる戦争に国民を駆り立てるというのは、歴史的になかったか、あるいは例外である。かのインド遠征をしたアレクサンダー大王でさえ、将兵の歓呼により進撃したが、将兵が戦争に疲れて厭戦すると故国に退却した。

②歴史
 歴史の一部に戦争も含まれる。戦争を歴史の一環として捉えるのである。なぜ戦争が起こったのか。政治家や軍人の戦争指導はどうだったのか、軍事技術の運用が適切であったかなどである。これは純粋に歴史を学問として捉える場合と、①の政治に生かすための実用的な側面を持つのは、歴史研究一般の持つ側面と同じである。

③叙事詩
 叙事詩すなわち物語である。先の風林火山や硫黄島からの手紙などがこれに属する。抒情詩ではなく、叙事詩は過去に起きた事実に基づくドラマである。ドラマだから歴史的事実としてあったことの羅列ではない。人間の内面的心情などの描写もある。だから事実ではなく、ライターの想像もある。戦争は人間の生命をかけたシリアスなものだから、ドラマとしては緊張感のある素晴らしいものができる可能性がある。

 この面を捉えれば戦争は確かに「面白い」のである。もちろん面白おかしいという意味ではない。戦争の緊張感がドラマの素材として適度なものである蓋然性は高いのである。

④自己の直接体験
 戦争に行った身内が戦死する。あるいは自ら負傷するなどという実際の体験である。無事に戦争から帰ってきたとしても、人を殺したという体験によるトラウマは残るかも知れない。直接体験だけには限定すれば、戦争は悲惨なことだけに過ぎないということになる。私とて戦争により片輪になれば絶対的反戦を叫ぶのに違いないのである。

 ①の政治としての戦争などの他の意味を閑却すれば、戦争はただ人を殺し、傷つけるための活動に過ぎないということになる。遊び帰りに高速道路で事故にあった中年夫婦を知っている。夫は即死した。妻は奇跡的に助かったが下半身不随になってしまった。妻は周囲に死にたいと繰り返していた。

 この妻にしてみれば自動車などなければ良いと言うに違いない。戦争は悲惨だから絶対反対と叫ぶ人でも、自動車廃止に賛成はしまい。なぜだろう。自動車交通は悲惨な自己体験ばかりではなく、流通や交通の必要な手段という多面性を持つものだからである。自動車をなくせば現代文明は停止するからである。戦争には自己体験を絶対視して他の側面を無視するのに、交通事故だけは自己体験を軽視して、他の側面を重視するのは明らかな矛盾である。

 戦争と交通事故を同一視するのはおかしいというなかれ。日本では毎年一万人前後が交通事故死する。これは一年続いた日清戦争の死者に等しい。交通事故死を減らすことに努力が払われているにもかかわらず、これだけの人は確実に死ぬ。その犠牲の上に自動車の便利さが成り立っていると言えない事もないのである。

 戦争にしても、一方的に行われるのではない。湾岸戦争でも軍事的圧力を背景にした外交が成功すれば、戦争しなくても済む。それでも外交的圧力は、戦争も辞さずという姿勢がなければ成功しない。わざわざ戦争するよりは、軍事的圧力だけで犠牲者なく政治的目的を達成する方が政治としては上策である。戦争においても好んで犠牲者を作り出すのではないのは自動車交通と同じである。

⑤軍事技術的側面
 現代の飛行機や宇宙飛行などは軍事技術の産物である。飛行機は戦争の道具として極度に発達した。旅客機も同様である。DC-3という軍事用の輸送機は何万と大量生産された。第二次大戦が終えていらなくなったDC-3は安く大量に民間に払い下げられて旅客機として使われた。その安さが民間の飛行機旅行を可能にした。それで得た資金と需要で航空機メーカーは次々と旅客機を作って今に至っている。

 コンピュータの授業を受けると最初に教えられるのは世界初のコンピュータENEACである。ENEACは大砲の砲弾の弾道計算のために作られた巨大なものである。マイコンのはしりは飛行機の機関銃の照準機に組み込まれた、アナログコンピュータであろう。

 このホームページに使われるインターネットも、軍事資材の運用管理や戦車など軍用機械のマニュアルの統合運用のためのコンピュータネットワークとして開発されたものである。インターネットとして民間に解放された現在でも、軍事利用の側面は飛躍的に拡大を続けている。戦争がいやならインターネットも使わぬがよかろう。インターネットの民間への普及はコストや運用技術の発展も含めて、戦争の技術の発展を支えている。つまり戦争に協力している。

 以上戦争の多面性について述べた。このような説明を私自身聞いたことがない。だが自己体験だけで戦争絶対反対を叫ぶ人には、それでも戦争がなくならないのはなぜか、という肝心なことに故意に目をつぶっているように思われる。

 戦争反対という声が日本に満ちて多数派になったのは、戦後のことである。日清戦争、日露戦争、第一次大戦、満洲事変と日本は明治維新以来多くの戦争を戦った。一部に反戦の声があったものの、多数派は戦争賛成であった。それが戦後突然変わった。これは偶然ではない。なぜか。

 あけすけに言おう。大東亜戦争の敗戦までは勝った戦争である。人々は勝てるから戦争に賛成したのである。戦争に勝って領土を得たから賛成する、負けて犠牲だけで利益がないから反対する。一面にはそんなことなのである。戦争に絶対反対の人は、勝てる戦争なら賛成するのに違いないのである。

 ベトナム戦争末期に米国では反戦運動が起こり、とうとう多数派になり政治を動かして戦争は終わった。反戦運動はソ連や北ベトナムの謀略と言う側面もある。第二次大戦ですら米国にも日本の謀略による黒人の反戦運動があった。かたや反戦運動が成功し、かたや失敗したのは何故か。ベトナムでは米国は10年戦っても勝てる見通しがなかったからである。米国人は戦争に勝てないとわかったから反戦に転じたのである。それだけの話である。何と現金な反戦運動。


○「戦争」と言うと「反対」と条件反射する人へ
 日本には「戦争」と言うと「反対」と条件反射する人が山といる。それは日本だけで通用する、世界の非常識である。現に戦後六〇年間世界で戦争は絶えた事はない。現にアメリカはイラクやアフガニスタンで戦争している。アフガニスタンではアメリカだけではない、英国はもちろん、韓国やドイツも戦争している。だから韓国軍ドイツ軍撤退せよと民間人が誘拐されて殺された。

戦争はなくならない

 イラクでアフガニスタンでアメリカと戦っている人たちに、戦争は悲惨だからやめなさいと言ってごらんなさい。馬鹿やろーと言われるのがおちである。戦争は悲惨である。誰もそんなことはわかっている。それでも戦争が絶えることはないのは何故か、反戦のひとたちには説明できない。

 迂遠だがそれを説明したい。豊臣秀吉の刀狩りをご存知だろう。侍以外の者から刀や鉄砲などの武器をすべて取り上げたのである。戦国時代はあらゆる人たちが武装していた。今では平和の象徴である、僧侶や農民も武装していた。商人ももちろんである。堺の商人や本願寺は自ら武装して、戦国武将ですら近寄れない、自立した武装都市を形成していた。

 なぜ皆武装していたのか。寺を襲う暴徒がいても守ってくれる警察はいない。隣の戦国武将が財産目当てに襲っても守ってくれる警察はいないのである。戦国時代では国民を保護する統一政権による警察による治安維持がないから、自ら守らざるを得ないのである。秀吉が刀狩ができたのは天下を統一したからである。侍が寺や農村を襲ったら、秀吉の軍隊が出動して守ってやる。そういう状態が実現したから、安心して武装をやめよと言ったのである。

 この戦国時代の状態が、現代までの世界の状態である。ある国が別の国を襲っても守ってくれる警察はないのである。アメリカはパナマ共和国の元首ノリエガを、アメリカへ麻薬を密輸した「麻薬取締法違反」だとして、軍隊を派遣して逮捕して、アメリカの裁判にかけて有罪でアメリカの刑務所にぶちこんだ。

 こんなアメリカの無法を取り締まる警官は世界にいないのである。日本人の一部は国連が世界の警察の役割を果たしてくれると期待しているが、世界の状況を見ればわかるように実現していない。世界を守る国際警察がないとなれば、戦国時代の日本と同じく、各国は自分で軍隊を持って、自国を守らなければならないのである。そして他国が理不尽なことをしたら警察の代わりに、戦争して自らの国の利益を守らなければならないのである。

 だから戦争はなくならない。日本国内ですらやくざな人間が居て、殺人や強盗などの犯罪が絶えない。だから警察が出動して、時には銃を使って犯罪者を捕まえる。世界にも国家による犯罪が絶えない。だから各国は軍隊を維持して自国を守らなければならないのである。

 日本では平和憲法を守ってきたからそんなことはなかった、平和が守られたというお馬鹿さんへ。国を構成するの領土と国民と国民の財産である。この一部を奪われたことを侵略されたという。それでは戦後日本は外国の侵略を受けたことはないか。ある。竹島は戦前から国際社会に認められた日本の領土である。

 それを戦後、韓国は軍隊を派遣して占拠して現在に至っている。領土を侵略されたのである。北朝鮮は数百人の日本人を、日本に侵入して拉致して、その大多数を返さない。国民を侵略されたのである。日本に対する外国国家による犯罪が今でも行われているではないか。本来ならば、侵略が判明した時点で日本は戦争しなければならなかったのである。戦争にならなかったのは、侵略を黙認したからである。

 強盗に襲われて家族を誘拐されて金品を奪われる。しかし残された家族は警察に届けずに、泣き寝入りしてあきらめる。だから犯罪はなかったのだ。今の日本はそうしているのに過ぎない。これは次の犯罪を生む。知っているだろうか。中国は沖縄を中国領だと主張している。韓国も対馬を韓国領だという。

 現在対馬は過疎対策から、韓国の観光客を多数誘致している。韓国人観光客による密漁など目に余る行為があふれている。韓国資本によるホテルも建つ。もし韓国人の定住者が増えて、日本人を圧倒し、土地を購入し、韓国の勢力が圧倒したとき、公式に対馬を韓国領だと宣言する。そんなときがきたとき、日本はどうするだろうか。

 竹島のときに、日本が抗議しようと国連に訴えようと韓国は無視して実効支配した。日本が対馬で同じ対応をするなら、間違いなく対馬は韓国に併合される。唯一の手段は自衛隊が対馬から韓国人を実力で排除することである。これは戦争である。世界史を見よ、戦争を恐れて滅亡した国は枚挙にいとまがない。

 李氏朝鮮、ポーランド、バルト三国。これらの国は戦わずして亡国して辛酸をなめた。竹島ごとき、拉致ごときでは我慢せよでは、日本は今後も侵略され続ける。侵略を防ぐには戦争しなければならない。だから戦争はなくならない。反戦は亡国である。戦争がいやならば、朝鮮や中国やアメリカに支配されて亡国の民となる覚悟が必要である。


○小澤一郎の読み違い
悪魔と手を組んだ自民党
 現在の政界の混迷の原因は小澤一郎の野心にある。自民党にいるべき人が、民主党などの野党に行ってしまう。だから自民党はやせ細って、政権維持のため悪魔というべき、公明党と組んでいる。政治と宗教が分離すべしとある、日本国憲法下で、創価学会という宗教団体の支配下にある、公明党である。

 創価学会は宗教のもとに日本支配をたくらむ恐ろしい宗教団体である。北朝鮮のサリン実験の手先に使われたオウム真理教などというちゃちな団体と異なり、実態がしっかりしているだけ遥かに危険である。検察や弁護士、警察や政治家など日本のあらゆる支配層に配下を送り込み、日本を裏支配しようとしている。

 創価学会員は学会の命令で投票し、選挙運動する。政治活動を宗教が支配している。第三文明なる雑誌のぶら下がり広告を見よ。毎回池田大作名誉会長が有名人と会談したとか、表彰されたという光景がある。庶民なら勲章も欲しいだろう。偉い人と会談して自分が偉くなった気にもなるだろう。しかし氏は世界的規模の宗教団体の指導者である。宗教を極めたものが名誉欲にかられている、そんな姿である。

 これは学会員がそれを見て、ますます氏を尊敬するからである。氏の姿は学会員の姿である。創価学会員は心の宗教的安心を求めているのではない。現世での利益を求めているのだ。芸能人に創価学会員が多いのはなぜか。それは田舎から厳しい芸能界に飛び込んだ不安からである。田舎では隣近所が助けてくれる。そんなコミュニティーがあったが芸能界にはない。

 そこで友達が欲しくて学会に入る。するとディレクターにも学会員がいるから仕事も優先的に来る。学会の俳優同志で仲良くできる。少なくとも助け合いによって、絶望的なことになる心配はない。学会は都会で崩壊してしまったコミュニティーの代替機能をしているのである。だから日本に蔓延する。日本のあらゆる階層に蔓延する。芸能人やディレクターに蔓延すれば、テレビで創価学会批判は出来ない。大手マスコミで創価学会批判をする社がどこにあるか考えればよい。かの産経新聞すら創価学会批判はしない。

自民党を壊しただけの小澤一郎
 学会のことはこのくらいにしよう。そもそも小澤が自民党を壊したのは、ソ連の崩壊が原因である。そんなこと言う人いませんよね。でも事実である。ソ連の崩壊は共産主義の崩壊である。すると日本の野党のうち社会党や共産党はなくなる。その議席は健全な資本主義の考え方の議員に入れ替わる。自由党と民主党が1955年に合併して保守合同したのは、日本で共産主義勢力が台頭してきたからである。

 そもそも戦前から日本は資本主義政党による二大政党政治だったのである。自民党独裁と言うが、自民党に統一しなければ日本も共産主義化される恐れがあると考えられた。共産主義独裁の恐ろしさはナチスドイツの比ではない。中国ソ連カンボジア北朝鮮などの共産主義政権で殺戮されたのは、70年間で何億人にのぼる。恐れるのは当然である。

 ついに保守合同をやめて健全な二大政党政治に戻ることができる。以上は頭脳明晰な小澤の読みである。論理的には間違いはない。そこで小澤は新進党やら自由党やらとにかく自民党と対決することができる資本主義政党を次々と作ってみた。当時の政党地図は、資本主義の系統で自民党、公明党、民社党である。共産主義の系統で社会党と共産党である。

 資本主義の政党とは言っても、先に説明した事情で公明党議員で小澤の新党に参加するものは一人もいない。民社党は元々社会党右派だから支持基盤は労働組合にある。だから反自民党である。すると小澤の新党は自民党を分割することでしかない。それでも自民党が共産党や社会党の支持者で共産主義に絶望した人たちの票を獲得して勢力を増せばよいのである。

 ところがそうはならなかった。小澤のミスはソ連崩壊によって共産党や社会党が崩壊することを確認するまで待てなかったことにある。小澤の読み違いは、社会党や共産党は共産主義思想の政党であると同時に、労働組合を支持基盤とした政党であるということを忘れていたことにある。日本では思想より組織、あるいはコミュニティーの方が結びつきが強いのである。

 共産党員は確信的な共産主義者だから、共産とという組織がある以上、個人的に党を割って出る事はない。ただし何十年間に代わりすれば確実に衰退するだろう。新規に共産主義にかぶれるものは少ないからである。社会党議員は党を割って出ることはあっても労働組合という支持基盤付である。だからこれらの議員に代わって自民党系の議員がとって代わることはない。

小澤が作った民主党
 自民党が混迷する間にとうとう民主党なるものができた。いわゆる無党派層、元自民党や民社党などの議員が結集したのである。問題は社会党議員が大量に入ってきたことである。共産党のような一枚岩ではない社会党は崩壊する危険があった。それを恐れた社会党議員が支持基盤の労働組合ごと脱党して民主党に入ったのである。

 こうしてかつての野党第一党の社会党はみるかげもなく凋落して、民主党が大勢力となった。このキーワードは労働組合である。労働組合という支持基盤は、共産主義の没落にも崩壊しなかったのである。そして鵺のような民主党という政党ができあがった。依然として堅固な共産主義者、原爆保有を主張する西村慎吾のような右派、反権力ムードだけの菅直人のようないわゆるリベラルなど。

 統一はあるはずもない。しかしこの不統一は議員数を集める上では民主党に有利に働く可能性はある。なかにいる議員の思想と支持基盤はばらばらだが、一人一人の議員をみれば支持者は固定している。固定していなくても、思想のバリエーションが広いから、無党派そうなるひとたちはその中から好みの議員に投票すればよい。つまりあらゆる勢力の支持者がどれか好みの議員を選択できるデパートである。

 だから一時的に勢力を拡大して政権を取る可能性はある。しかし内実は先に述べたようなことだから、長続きはしない。結局短気な小澤は待てなかったが、私たちは共産主義の支持基盤であった労働組合が崩壊するのを気長に待たなければならない。これは長い道である。

 労働組合は非共産主義のあるいは反権力ではない健全な労働組合になるのを待たなければならない。それは長い道である。大多数の労働組合が穏健な思想を持っていたとしても確信的な過激派はおどしによって健全な労働者を支配していることが可能なことを私は知っている。この恐怖の支配が止むには時間が必要である。

 民主党は結局小澤一郎の早すぎた自民分割の究極の産物である。その民主党の党首に小澤がいるのは必然ではなく、アイロニーに過ぎない。小澤は金権候補の権化である。それがリベラルを主張する人たちにかつがれて、選挙対策に利用されているのに過ぎない。小澤は元々国防問題など思想的には比較的健全だった。ところが今選挙対策でなりふりかまわない。健全な思想を放棄して権力闘争に走る政治家に未来はない。


○Radha binod Pal
 
上の名前を見てぴんときたあなたは偉い。かの東京裁判で、東條英機以下の日本の指導者に全員無罪を宣告した人物である。

 当時インドは独立する寸前だったから、パルは英国の植民地の人として来日したのである。立場は微妙なものであったのに違いない。

 はじめから政治的判断で有罪と決まっている中で、植民地の人物が、宗主国に反旗を翻すには勇気がいるなどというものではない。

 現にフィリピンから派遣された判事は、宗主国アメリカにおもねって、他の判事より厳しい評決をした。朝日新聞は米軍に会社をつぶされるのをおそれて、ある日突然米軍に屈服した時代である。


  この画像では読めないから次に拡大する。
 下はパル判事が個人的に判決として提出し、裁判所で朗読を希望した案文の末尾にある結びの言葉である。



 パル判事は英語のバイリンギュアルだから上のように英語で書いた。それが右の訳である。この文章をある年代以上の人は覚えているだろう。

 日本で放映された昔のアメリカの連続テレビドラマ、「逃亡者」The Fugitiveの番組の最後にこのせりふが流された。画面には天秤を持った正義の女神像がある。

 逃亡者は最近リメイク映画が作られたので、ご存知の若い人もいるだろう。妻を殺された医師が逃走して妻殺しの冤罪を晴らすドラマである。

 すなわちパル判事は、日本の被告は冤罪だというのである。しかも賞罰のところを変える、というのは原告のアメリカなどの連合国が実は犯人だったということを示唆している。

 これは想像ではない。現にパル判事は後に広島を訪れた際に、原爆の記念碑に「あやまちは繰り返しません」とあたかも原爆投下が日本の責任であるかのごとく書かれていたのを見て、なぜ原爆を投下した米国を非難しないのかと激怒したという事実があるのだから。

 朝日新聞などは、パル判事は純粋に法手続きとして無罪を主張したのであって、道徳的に日本を擁護したのではない、などと主張しているがこの文章を見れば誤りは明白である。私は肝心なことを言い忘れていた。この碑はどこにあるか。九段の靖国神社である。遊就館の比較的近くにある。小さなものではないが、その気になって探さないと見つからないかもしれないことを付記しておく。

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