カトマンドゥにて
飛行機が下降し始めたとき、遠く雲の上にヒマラヤがあった。太陽の陽射しを浴び、天国のように輝いて見えた。その光景は神々の存在を肯定せざるを得ないものであった。
ここでの私の日常生活は散歩そのものであった。毎朝六時過ぎに起き、ムスタンホテルを出発し、北西へ向かい、釣り橋を渡り、そこからスワヤンブナート・ストゥーパを望んだ。天気の好い日はヒマラヤの山々が朝焼けに赤く染まっていた。空気が冷たく澄んでいた。
その辺りには牛糞がよく干してあった。手で壁に張り付けるため、牛糞にはくっきり手形が残っている。乾燥後燃料として、火をつけ、使用するらしい。また、河原の石の上には家畜をさばいた後らしい血が残っていることもあった。都市でははばかられるこれらのものが、生活の一部として、風景の一部として、違和感なく、確固として存在していた。
ホテルへの帰途、広場でチャイとドーナツの朝食をとる。チャイは牛乳に紅茶と砂糖と香辛料を入れ、煮立てた、ネパール人にとって日常的な飲物である。実際、彼らの家を訪れたとき、出された飲物はチャイであった。
その後も散歩は続いた。行くあてなどなく、気分のままにさまよっていた。道に横たわる牛を避け、店より流れくる香を嗅ぎ、黙々と路地から路地へと歩いていた。道に迷う気はしなかった。恐怖感など一度も覚えたことはなかった。
小さなストゥーパ(仏塔)のあるラマ教寺院で半日過ごしたこともあった。何をするわけでもなくただぼんやりしていた。ひなたぼっこをするティベット人の老人。赤ん坊に乳を飲ませているティベット人の婦人。駆け回るティベット人の子供二三人。また、ねずみのような少年がよだれを垂らしながら眠っている。ここにはティベット人しか存在しない。寺院の外とは異なった空間が存在している。異教徒の私をも拒まない包容ある空気が漂っている。けれども、ここにとどまっているわけにもいかない。所詮、散歩の休憩にすぎないのだ。
パタンにも、バグタプールにも行った。ボダナート・ストィーパにも行った。パシュパティナート寺院は、ヒンズー教徒しか中に這入れなかった。パシュパティナート寺院のすぐ近くに小さな川があり、そのほとりにはだびに付すための場所があった。私はヒンズー教とラマ教の空気にふれることはできたが、その空気が私の躯に浸透することはなかった。
翌朝、私はポカラ行きのバスに乗っていた。
キランさん
キランさんとは、たまたま這入った雑貨屋で会った。彼は日本語の勉強をしていたので、日本人のぼくに話し掛けてきたのだ。ひげを生やした痩せ形の男性で、黒い皮ジャンを着ていた。ぼくたちは主につたない英語で話し、互いの母国語を教え合った。「ナマステ。」「こんにちは。」「ダンネバッド。」「ありがとう。」
彼は仕事を終えると、いつもぼくの泊まっているムスタンホテルに来た。そして、カトマンドゥ近郊のいろいろな名所に連れて行ってくれた。ローカルバスは行き先がネパール語で書いてあるので、彼と一緒でないと乗れない。バスはいつも満員だった。パタン、バグタプール、ボダナート・ストゥーパ、パシュパティナート寺院など。けれども、ぼくの心に一番印象深く残っているのは、キランさんの家で御馳走になったことだ。
キランさんの家はカトマンドゥの郊外、スワヤンブナート・ストゥーパに行く途中にある。その辺りにはティベット人の村もあるため、頭から荷物を下げたティベット人とよく擦れ違った。彼の家はレンガ造りの四階建てだった。一階には何もなく、二階に彼の部屋があった。部屋の中にはベッドと机が整然と置かれ、清潔だった。そこで彼は、小学校一年生がひらがなの練習をしたようなプリントを見せてくれた。ぼくは何か懐かしい感じがした。
ネパール人の家の台所は決まって最上階にある。それは、台所は神聖な場所であり、天に通ずる場所だからだ。ぼくはかまどのある土間の、縄で丸く編まれた座布団の上に座った。そして、キランさんの家族と車座になり、食事をした。勿論、左手は使わず、右手だけだ。カリーのような豆の汁(バート)を御飯(ダル)にかけ、手で混ぜ、口に運ぶ。最初は少々手が熱いが、思っていたより簡単だ。敬虔なヒンズー教徒は牛肉だけでなく、他の肉も食べないため、あとは漬物のようなものがあるだけだ。どこの食堂で食べたダルバートよりもおいしかった。ダルバートはどうも食べ過ぎてしまう嫌いがある。食後、キランさんの部屋でチャイを飲んだ。
ネパール人は「イエス」のとき、首を縦に振らず、横に傾ける。よく見ていないと「ノー」と間違いそうだ。けれども、彼らは、微笑んで首を傾けるので、すぐにそれと分かる。また、ぼくが接したネパール人はキランさんをはじめ皆、親日的だった。ぼくは覚えたてのネパール語を小さな雑貨屋で使った。ぼくの発音が変なのか、彼女は微笑みながら対応してくれた。その温かさに味をしめ、ぼくは英語が通じなさそうな小さな店に何度となく行った。
ネパールを発つときも、キランさんはトリブヴァン空港まで見送りに来てくれた。出会いがあれば、残念ながら別れがある。ぼくは値段交渉の際、キランさんが助けてくれたお土産を背負い、彼と握手をして別れた。
「ナマステ。」
「さようなら。」
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