ボローニャのおじいさん

 適当に乗ったのがいけなかった。バスは駅のひとつ手前の交差点でそれとは反対の方向に曲がってしまった。ぼくたちは次のバス停で降り、駆け出した。これを逃すとベネチア行きの列車は2時間ない。バスが曲がった辺りを走っているとき、旧型フィアット500(チンクエチェント)がぼくの横に止まった。白髪で、眼鏡を掛けた初老の男性が運転している。彼は窓を開け、「どこへ行くんだ。」と尋ねる。ぼくは、「スタツィオーネ(駅)。」と答える。彼は車に乗れと手招きをする。ぼくたちは躊躇せず、後部座席に乗り込む。5分も経たないうちに駅に着く。ぼくは女性ならキスをしたいくらいだと思いつつ、「グラーツィエ。」と云いながら、彼と握手をする。何かお礼をしたいという思いの後髪を引かれながら、またぼくたちは駆け出した。ホームの番号を確認し、階段を駆け下り、駆け上がり、なんとかベネチア行きの列車に無事乗ることができた。
 後日、このことを友人に話すと、「無事でよかったね。」と云われた。確かに、初老の男性が強盗である可能性もあっただろう。けれども、あのときのぼくにはそれは考えられなかった。イタリア映画にでも出てきそうな人の好さそうなおじいちゃんだったからだ。また、今回の旅行ではいろいろな場面で人の優しさに接した影響もあった。バスに乗り遅れまいと走っていると、バス停を通り過ぎたところで止まって待っていてくれたバスの運転手。バス停で悩んでいると、何番のバスに乗ればいいのか教えてくれた若い女性、中年の男性。バス内で目的地に着くと教えてくれた運転手、初老の夫婦、などなど。
 イタリア・スペインは治安が悪いと云われる。でも、ぼくたちは不幸な事件には一度も遭遇していない。それ以上に彼らの人に対する優しさに触れ、また訪れたいと思う。いままでいろいろな場所を訪れた。それは本物を見るためだ。――山、海、夕日、絵画、建物など。しかし、いい旅だった、また訪れたいと思うのは、人間の優しさに触れたときだ。
 ボローニャで泊まったカヴォールホテルのフロントも人の好いおじいさんだった。黒縁眼鏡を掛け、パリッとした服装をしていた。英語はほとんど通じない。ここのホテルは枕元に置いたチップが一度もなくなっていなかった。チェックアウトのとき、ぼくは彼と握手をし、「Ciao。」と云い、ホテルを後にした。


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