令和元年11月30日(土)第6回東京ピアノ国際コンクール

昨日、第6回東京ピアノ国際コンクールの本選があり、現在、愛知県立芸術大学1年生の生徒さんが、大学生部門で、審査員賞を受賞したと喜びの報告がありました。

おめでとうございます!


令和元年11月29日(金)第18回門下生コンサートへ向けて


←イギリス、オックスフォード大学のボドリアン図書館。(写真は、2013年9月20日撮影)。

「ハリーポッター」で、有名になっているそうなのですが、私は、ハリーポッターの映画を見ていないので、よくわからないです。










11月も終わりになり、今年も残すところ、あと1ヶ月となりました。

先日、幹事さん達が、門下生コンサートのお知らせ、申込用紙を作成して
持ってきて下さいましたので、生徒の皆さんにお配りしています。当分レッスンにいらっしゃれない方は、幹事さんの方から、曲目が書かれた
宣伝用チラシと共にメールに添付してお送りさせて頂きますので、宜しくお願い致します。

写真撮影の紙は、レッスン室の前に貼ってありますので、写メしていって下さい。

今年から、アナウンスの方へ、お渡しする原稿に間違いがないかどうか、1人1人、お名前と学校名、曲名が書かれた紙を幹事さんに作成して頂き、レッスンの時に、私と一緒に生徒さん1人1人にチェックしてもらっています。

毎回、より円滑にコンサートが進められるよう、皆様のご意見を頂きながら、色々と工夫をこらして、
18回目の門下生コンサート(2020年3月22日(日)東文化小劇場 午後2時開演)に向けて、
幹事さん達も一生懸命動いて下さっています。本当に有難いです。

チラシもそろそろ、皆様にお配り出来ると思います。演奏の方も、ほとんどの生徒さん達は、もう暗譜もして、これから、音楽の世界へ羽ばたいていけるよう、スタートラインに立っている状態です。あと3ヶ月ほどで、更にじっくり仕込んで、曲を熟成させていきましょう。

皆さんの演奏をとても楽しみにしています!


令和元年11月28日(木)お年賀状、もう書き終えました!


←ウィーン、ラートハウス(市庁舎)前で。(写真は上下共に1994年12月25日、23歳の私。)

ウィーン国立音大に留学して初めてのウィーンのクリストキンドルマルクト。(クリスマスマーケット)










←小屋の中には、イエス様や、マリア様がいたり、冬のクリスマスの生活を送る人々の可愛い人形や、小さな家の暮らしが再現されています。小窓の中をのぞいてみるのは、子供だけでなく、大人もとってもロマンチックな気分にさせられます。

そして、何よりも・・・この時期、ウィーンは、本当の雪が沢山積もるので、1年の中で、最もウィーンらしい風情が感じられるから、冬のオーストリアは特に好きです。








←「アイン フローエス ヴァイナッハツフェスト ウント アイン グーテス ノイエス ヤール

喜ばしいクリスマスそして明けましておめでとうございます」

オーストリアの冬は、この絵ハガキのように、本当の樅の木に本当の雪が積もるのでとても美しいです。














ウィーンに住んでいた時は、クリスマスカードを両親を始め、お世話になった先生方へ、送り、日本にいた頃は、幼稚園の頃から、年賀状は、
欠かさず書く、というのが、私の家の習慣になっていました。

今年も、生徒さん達へは勿論の事、お世話になった方々皆さんへ、お年賀状を、もう書き終えました!あとは、出すだけです。

私は、さささっと何でも早くこなせる器用なタイプではないので、何でも、早め、早めに準備します。いつ、何が起こるかわかりませんから・・・。


今は、世の中の流れが早過ぎて、それこそ、ラインなどで、明けましておめでとう!とかで、簡単に済むことだとは思いますが、そういう人間関係は、簡単につながれる分、切れるのも早い気がするのです。

やはり、何においても、時間をかける、手をかける、ことが、特に今の時代は必要かと私は、思います。いざというときに、心が折れないような
誠実、実直な人間が育つと思いますし、そういった1つ1つを大事にしていくことは、心を清らかにして、人間としての品格がより、美しくなるのではないかなと思います。


私は、常日頃から、「人から受けた恩は、石に刻み、人にかけた情けは、水に流す」事を、心がけています。
私を育てて下さった先生方や、可愛い生徒さん達、応援して下さる方々から、沢山の恩を頂いて生きているので、そのことを一生忘れず、
しっかりと石に(心に)刻みます。

私が、身近にいる人たちへ、何がしかのお役に立てたのなら、それは、すぐ、水に流します(忘れるようにする)。そういう気持ちを込めて書くので、私にとって、お年賀状を書くのは自分の心を清めるためでもあるのです。


令和元年11月24日(日)第1回ラフマニノフ国際ピアノコンクール JAPAN

昨日、第1回ラフマニノフ国際ピアノコンクール JAPANの本選があり、現在、愛知県立芸術大学1年生の生徒さんが、
G部門(18歳以上大学生・大学院生・一般)で、
第2位、カツァラヴァ賞を受賞したと喜びの報告がありました。

幼い頃から、見させて頂いた生徒さん達が、今も一生懸命ピアノに邁進している姿を見るのは、大変喜ばしい限りです。

大学生になっても皆さん、レッスンにいらして下さったり、色々と近況を知らせて下さるので、とても嬉しいです。

おめでとうございます!


令和元年11月22日(金)ピティナの教室紹介をクリックすると、生徒の皆さんのお声が掲載されるようになります!


←ピティナのホームページの私の教室紹介をクリックすると、

「生徒の声」が出てきます。

ピティナのコンペ、ステップに参加すると、アンケート用紙が入っているそうです。

このアンケート掲載は、2年間を過ぎると、消えていくそうなので、書いて下さった生徒の皆さんのお気持ちを無駄にしないためにも、日記に残しておこうと思います。

又、新しい生徒さんが、体験レッスンを受けられる前に、どんな雰囲気の教室なのかな?と下調べをされたいと思うので、是非、ご覧ください。

今後、ピティナのコンペや、ステップなど受けられる方は、アンケートに「あなたの先生について」という欄を見つけたら、是非書いて下さると嬉しいです!


今後もお寄せ下さった、生徒の皆さんのお声が、ピティナのホームページ「教室紹介」の
「生徒の声」欄にアップされていきます。
お書き頂いた生徒さん達本当に有難うございました。
皆さんのお声を励みにして、今後も益々、生徒の皆さんのお役に立てるよう、皆さんが幸せになれるよう、一緒に励んでまいります!

今後とも皆さん、よろしくお願いいたします!




















令和元年11月20日(水)生徒さんのご活躍


←来年2020年2月8日(土)午後13:30開演、電気文化会館ザ・コンサートホールで、

椙山女学園大学教育学部の卒業演奏会があります。

門下生の中から、井上恵利那さんが、ブラームスのソナタC-dur Op.1 第1楽章を演奏されます。

ご興味のある方は、是非、応援に行ってあげてください!

恵利那さんと初めて出会ったのは、彼女が小学2年生の時です。

あれから、14年も時は過ぎ、来年4月より、中学校の音楽の先生になられることが決まりました。

名古屋市の教員採用試験は、狭き門なので、本当によく頑張られたと思います。


幼い頃からの夢がかなって、本当に良かったですね。
おめでとうございます!素敵な先生になれると思います!







←初めての門下生コンサートで、演奏する小学2年生の恵利那さん。グルリットの「春のおとずれ」
を演奏しました。(第4回門下生コンサート、2006年3月25日(土)熱田文化小劇場で)。












←2005年8月27日、初めて出演する門下生コンサートに向けて、レッスン中の恵利那さん。

この時は、彼女が、何年か後に、椙山女学園大学に来て下さるとは、思ってもみませんでした。

私は、まだ、34歳当時、椙山女学園大学の先生もしていませんでしたので、人と人のつながり、縁の不思議さを改めて感じずにはおれません。

彼女だけでなく、長く交流が続いている生徒さん達とのご縁は、私にとっては、
天からの大切な預かりもの、神様からのプレゼントという気がしています。

ピアノ演奏は、勿論の事、幼い頃から、ずっと1人1人をじっくり観察して変遷を見させて
頂いていくことは、本当にやりがいを感じます。年齢に応じて、レッスンノートの内容や、
レッスン時の反応、話し方、表情、全てが、どんどん変化してくるので、とても楽しいです。

なぜか、私は、幼い頃から、記憶力だけは、抜群で、すごく細かいところまで、よく記憶しているのです。生徒さん達1人1人と過ごした時間も絵巻物のように、どの子の事もバア~っとよみがえってくるのです。

両親もそれには、驚いています。それも、私の記憶は、非常に細かくて、あのお店に入ったときに、どこの窓のこちら側の椅子に座って、こんな絵が描かれていて・・・などと、説明が始まると、「あっ、又、めぐみのビデオテープの再生が始まった」と笑われます。

私の頭の中は、ビデオテープ・・。確かにそうかもしれない。会話をしているときに、私の周りは、誰も覚えていなくて、私だけが、何十年も前の事を詳細に記憶しているので、結構、困ることもあるのですが・・・・・。

一番、幼い頃の私自身の記憶は、2歳からあります。暗くて、誰もいないベビーベッドで寝かされていたときの、すごく淋しかった記憶が残っています。
桐朋学園の学長先生でいらした、(故)三善晃先生も、1歳半で、タンスの前で、ハイハイしていた記憶があるとお聞きしたことがあります。

又、記憶力の良さでは、ウィーン国立音大時代の恩師、ローラント・ケラー先生もすごい記憶力で、私の事は、全て、レッスンして下さった曲も、
先週、ご注意を受けた場所も、とにかく、すべて、私の事を記憶されていらっしゃいました。

父は、私の異常な記憶力に対して、「何か、ピアノを弾くことと、記憶力の良さと関係することがあるんじゃないか?」と言っていますが・・・

私の日記を楽しみにして下さる方々が、「先生の日記は、これこれの出来事がただ、あった、というだけでなくて、その時に自分は、どう感じた、
どう思った、などの先生の思いが綴られているので、読んでいてとても楽しい」とおっしゃって下さいます。

おしゃべりでない分、自分の心も相手の心も中身をよく感じとることができるのかも・・・・昔は、それで、結構困ったことも多かったですが、今は、それが、長所に向いているなと感じます。

生徒の皆さんのご活躍が、いつも楽しみです。


令和元年11月15日(金)ピアノと共に歩んだ道のり・・・36歳当時のリサイタル 


←36歳当時のリサイタル。(2007年11月24日(土))名古屋伏見・電気文化会館ザ・コンサートホール。

この時も名古屋市民芸術祭参加でした。

プログラムは、ショパンのノクターンOp.9-1、9-2、9-3、
フランクの前奏曲、コラールとフーガ、

休憩を挟んで、

メトネルのおとぎ話Op.20-1、26-1、2、3、4、
Op.42-2 (フリギア旋法)Op.42-3

忘れられた調べOp.39-3 プリマヴェラ(春)を演奏しました。

この時のチラシの背景は、ドイツのベルヒテスガーデン。私の大好きな景色です。

いつもチラシのデザインは、自分で考えます。






←この頃から、可愛い生徒さん達が、徐々に増え始めました。

生徒さん達と過ごす時間が、私にとって、こんなに自分の心を満たしてくれるものだとは、
学生の時は、思ってもみませんでした。自分の演奏活動の他、合唱の伴奏や、オペラ、バレエの伴奏、色々な音楽の仕事を通して、それなりに学ぶことが沢山あり、どれも楽しかったけれど、
生徒さん達を教えることは、それまでに感じたことのない、大きなやりがい、充実感、
達成感を感じることが出来ました。
何よりも、一番大きな収穫は、私自身が成長できた事だと思います。

この頃の生徒さん達は、大学院へ進んだ方、留学した方もいれば、一般企業に勤めている方、
中学の音楽の先生に決まった方、お医者さんになり、結婚した方・・・・
もう、ほとんどの皆さん、社会人になって立派に自分の道を歩まれています。


この時のリサイタルのアンコールは、「千の風になって」を弾きました。

今、流行している曲をいつもアンテナはっておいて、演奏すると、皆さん喜んで下さいます。
私の右隣の坊やが、「なんで~?最後に、千の風、千の風が出てきた~!なんで~!なんで~!」と大騒ぎして、みんなで、大笑いした、にぎやかな想い出があります。

又、この年から、椙山女学園大学にも勤務し始めました。

あれから、あっという間に時が過ぎましたが、もう、今から、12年も前の出来事です。











令和元年11月14日(木)ピアノと共に歩んだ道のり・・・33歳当時の私のリサイタルの想い出 


←33歳当時の私のピアノリサイタルのチラシ。(2004年10月26日(火)名古屋伏見電気文化会館ザ・コンサートホール。

ラフマニノフ 24のプレリュードから1番「鐘」 5番、7番、メトネルの「夕べの歌」
「ピアノソナタOp.11」

休憩をはさんで、スクリャービンの24のプレリュード全曲演奏しました。

丁度、韓国のドラマ「冬のソナタ」が、大流行していた時期で、主題歌とマイ・メモリーを
アンコールに弾いたら皆さん、すごく喜んで下さいました。

「グリーンエコー」「みどりの会」などの合唱団、「名古屋オペラ協会」「二期会」など、ありとあらゆる、音楽の仕事の現場に通う毎日でした。

私が、ウィーンから、帰ってきて、音楽の仕事を始めるのに、すごく苦労したのは、
1つは、愛知県という土地に私達家族の地盤がなかったという事もあったと思います。

私の両親は、両方とも、九州、私は、三重や東京や、ウィーンを転々とした暮らし、
愛知県人でないという事もあり、誰も知り合いのいない愛知県で、どうやって、道を切り開いていくか、毎日考えて、行動する毎日でした。全て、何もかもゼロからの出発でした。



合唱団のピアニストをしていた頃は、100名以上の団員さんがいらっしゃるので、1人1人に頭を下げて、練習の後、「私のリサイタルがありますので、是非いらしてください」とチラシとチケットを持って、売る毎日でした。

「マッチはいりませんか?」と街の人々に声をかける「マッチ売りの少女」みたいな気分でしたね。勇気をもって声をかけても、「ああ、いいよ」と快く言って下さる方もいれば、「いや~興味ないね」と言われる方も勿論います。「興味ないね」と言われても、自分の行った努力は、全て、無駄にならず、自分に備わっていくのだし、断られても
自分が失うものは何もない、と幼い頃から、いつも思っていたので、あきらめずに積極的に声をかけていました。

プログラムの最初は、いつも、激しい曲で始まるのか、静かに始めるのか、色々工夫します。

この時は、ラフマニノフの鐘で、始めたので、ものすごく激しいエネルギッシュな開始でした。

唯一、緊張を和らげる方法があります。それは、音楽に対して、演奏する曲に対しての強い「愛」を感じていることです。

演奏することは、言葉でコミュニケーションをとるのではないので、聴いている人たちに、より大きく「伝える力」が必要になってきます。


ステージに出て弾くと、聴いている人たちが、今、どんな気持ちで聴いて下さっているのか、全身肌で、感じ取ることが出来ます。
言葉はないけれど、お客様の空気が、読めてしまうのです。

自分が表現を大きく出せば出すほど、相手からかえってくるものも大きい。そうなってくると、会場の雰囲気が暖かくなってくるので、とても弾きやすくなってくるのです。そうやって、自分の内にあるものを外へ、外へ出すようにしていきます。

ステージに出て、緊張がひどいと悩む人には、是非、聴き手とコミュニケーションを取ることを第一に心がけると、落ち着いて弾けますよ、と
アドヴァイスしています。



令和元年11月12日(火)ピアノと共に歩んだ道のり・・・・私の幼年時代 小学1年生当時


←小学1年生当時の私の連絡帳。
母と担任の先生とのやりとりが綴られています。



5月11日

「いつもお世話になっています。
明日家庭訪問なので、その時先生に話してあげるからと言っておいたのですが、昨夜どうしても「連絡帳へ書いて」と言うものですから・・・・・。

昨日の朝、「給食がきらいだから、学校へ行かない」と泣くし、おとといは、何かどこか悪いのではないかと思うくらい、帰宅後も黙っていたのですが、私が、夕食時「嫌いなものだと、口に入れたままだから、学校でも遅いのでしょ!」と何気なく言ったところが、目に涙をいっぱいためているので、いつも言ってるのに、どうしたのかなあ?と思いながら、過ごしていました。
昨日ふっと「先生にこの前早く食べるように注意された」と言って、一生懸命がまんしていたことを、私に打ち明けたといったみたいで、涙を流して泣いているのです。

集団生活なので、みんなと同じ時間に終わらねばなりませんし、めぐみだけ少しにして頂く訳には、いかない事も充分わかるのですが、ここ1週間ほど、学校をやめるとか、女の子だけの少しの学校ってないの?とか言って、「何がそんなに、嫌なの」というと、「給食」と言って
いたのですが、おとといから、給食の事で、大変悩んでいるみたいですので、あまり、激しく活動する子供でもなく、当分少し、減らして見て頂けないでしょうか?
私も出来るだけ頑張って、一生懸命食べるよう励ましてやろうと思っています。よろしくお願いします」。



※私が育ったころは、貧しかったので、食べ物を粗末に扱ってはならないといった躾が厳しくあり、家庭でも学校でも食べものを残すと、ものすごく怒られました。学校でも給食を残すと、掃除の時間まで残って食べなくてはならない決まりがあったのです。

私が、生徒達を見ていて思うのですが、小学1年生の身体と小学6年生の身体は、大人と子供くらい、違います。
同じ分量の給食を食べられるはずがありません。子供でも沢山食べられる子供もいれば、すごく食の細い子もいます。
自分の体験から、何でも、1人1人、受け入れられる容量というものが違うので、食べ物に限らず、いつも1人1人の子供の気持ちを汲んで接するようにしています。

ちなみに、こういった1つ1つの小さな悩みも、その時は、本人も親も乗り越えるために必死ですが、過ぎ去れば、ただの笑い話です。

今の私は、好き嫌いが何もなく、何でも美味しく沢山食べています。大きなドイツ人男性の分量といい勝負かも!?(笑)


令和元年11月9日(土)ショパン国際ピアノコンクール in ASIA

今日は、第21回ショパン国際ピアノコンクール in ASIAの名古屋地区大会がめいおんホールであり、現在、愛知県立芸術大学1年生の生徒さんから、大学生部門で、
銀賞を頂いて、全国大会へ進みます、と喜びの報告がありました。

おめでとうございます!


令和元年11月4日(月・祝)生徒さん達のご活躍


←今月11月24日(日)午後13:30開場14:00開演、岡崎市シビックセンターコンサートホールで、
ピティナ・ピアノコンペティション入賞者コンサート「はじめのいっぽ」が開催されます。

門下生の中から、小学3年生の島珠結さんが、グリーグの「ホルベアの時代より」プレリュード、そして、
小学6年生の島琴雪さんが、ショパンの幻想即興曲を演奏致します。

ご興味のある方は、応援に行ってあげてください!


















令和元年11月3日(日)第10回日本バッハコンクール

今日は、第10回日本バッハコンクールがありました。

小学3・4年C部門を受けた、小学4年生の生徒さんが優秀賞で、全国大会へ進むと喜びの報告がありました。よく頑張られましたね。おめでとうございます!
彼女は、偶然にも、私と同じ10月19日生まれだそうです。

バッハコンクールとは関係ないのですが、誕生日と聞いて思い出しましたが、もう一人は、私がウィーンから帰ってきてすぐに見させて頂いた、明和高校の生徒さんで、愛知県立芸術大学を卒業された方で、やはり、10月19日生まれと聞きました。
←ライプツィッヒの「バッハ博物館」にある、絵葉書。


バッハの生涯が、よくわかる博物館です。















←ウィーン国立音楽大学留学時代の恩師、ローラント・ケラー先生から、私が、日本に
帰国する前に
「メグミにプレゼント」とおっしゃって、ケラー先生が演奏された、バッハ平均律1巻、2巻のCDを持たせて下さいました。










令和元年11月1日(金)自分の行いの結果は必ず自分に返ってくることを悟った小学5年生当時の私


←第36回全日本学生音楽コンクール(毎コン)全国大会の時のプログラム。

1982年11月28日(日)
この年の全国大会は、福岡県立勤労青少年文化センターで開催されました。

この時の私は、小学5年生。(写真上段の右端が私)。
まだ、この当時は、東海大会がなく、私は、西日本大会第1位の代表として出場しました。
福岡大会、東京大会、西日本大会で、1位を受賞した3名が全国大会へ進みました。

課題曲は、モーツァルトのアレグレットの主題による変奏曲B-dur
KV.500でした。

初めての毎コン挑戦で、西日本大会第1位を頂いて、全国大会へ、参加させて頂いたことは、ものすごく嬉しかった想い出です。

何が嬉しかったのかといえば、
人間は、生まれつき運が良い、悪いは、決まっておらず、自分の普段の行いによって、いくらでも変えていけるという事が、はっきりと自分でわかったからです。
私のピアノ熱が高まるにつれて、私をずっと悩ませた家庭の問題、学校、それに加えて、ピアノレッスンも大変厳しい状況となり、私が、ピアノを弾くからこんなことになってしまったのではないか・・・・何といっても小学5年生の子供です。子供の力では、周りの状況を変えることは、出来ません。どうすることも出来ない、悔しさと悲しみに毎日、泣き崩れ、しまいには、私の運命は呪われているんじゃないか、と思ったくらい、苦しみに苦しみ抜きました。今から思えば、あの頃は、家の中が、台風の目に入っていったような、嵐のような毎日でした。
そして、小学4年生から、母と一緒に、毎週三重の家から、東京へレッスンに片道5時間半かけてレッスンに通うようになりました。

どこにも行き場のない、辛い状況の中で、私にとって、母と一緒に新幹線に乗って通う、ピアノレッスンだけが、心のよりどころとなっていきました。

そのよりどころとなっているはずのレッスンですらも、私の演奏が、先生にお気に召されないようなのです。何人かの生徒さん達と一緒に、弾き合いをすると、決まって、叱られるのは私です。

私は、先生からも見捨てられて、全て、何もかも失ってしまった・・・と絶望感に打ちひしがれました。

けれども、いったん、どん底まで、落ちてしまうと、今度は、私の思ってもみない強い力が大きくわいてきました。

「絶対に、1位を取って、全国大会へ行くんだ!」そう考えを改めて、自分の行いが自分の明日を変えていくという間違いのない真理を悟った、私は、猛練習を始めました。このモーツァルトの変奏曲は、16分音符や、トリルなど、技術的に非常に難しく、何回弾いてもミスタッチが出てしまいます。

音楽的云々はともかくとして、とにかく、1つのミスタッチもなくなるまで、練習してみようと決めて練習にとりかかると、8時間が過ぎていました。

たった5分程度の曲です。たった5分の曲に、8時間もかけて練習出来た、当時の小学5年生の私を想い出すと、自分でいうのも何ですが、
涙ぐましい努力でした。

大阪の西日本大会で、第1位という結果が出たときは、母は、私を抱きしめて泣いて喜んでくれました。私は、この時、運がいいとか悪いは、なく、自分の行いは、間違いなく自分に返ってくる、自分の行いは、自分を決して裏切らないということを体験を通して知りました。

この頃から、私の心は少しずつ、柔らかくなっていきました。
それまで、悲しいことが多すぎて、涙も出ないような、状況に立たされて、泣くことも笑うことも出来なくなってしまい、完全に心を閉ざした状態から、
変わり始めた、私の大きな心に残る想い出です。

生徒さん達を見ていて、誰もが、自分の運命はいくらでも自分の手で変えていけるということを信じている事と、どん底に陥ったときに、強い力が湧いてくるのを実際に私が何度も体験しているために、生徒さん達の強い力を信頼しきっているのは、そのためです。

1位を頂いたことだけが、嬉しかったのではなく、自分が行った努力は、他の誰の所にも行かず、必ず自分に備わるということが小学5年生の私にわかり、いつまでもその気持ちを忘れずに、生徒さん達と向き合っています。